2024年11月16日(土)に『クラ』と『女の島』の上映会を開催しました

「未知」の世界の根本に発見した「既知」の世界

★地平線通信548号(2024年12月18日発行)より転載(筆者:中井多歌子)

■地平線会議は、私にとって「未知」の世界の情報や知見にあふれた宝箱。11月16日の地平線キネマ倶楽部の上映会、『クラ——西太平洋の遠洋航海者たち』と『女の島 トロブリアンド』の二本立ても、私の知らない太平洋の島国に伝わる、独特の文化を紹介したドキュメンタリー映像ということで、そこにあるはずの「未知」との遭遇を楽しみに訪ねた。

◆映像の中で紹介されていたのは、その仕組みもさることながら、まさに私の「既知」の概念とは異なる、人間の所有や労働や感謝や善悪に対する根本的に「未知」の概念だった。「あ、そこ大事なんだ!」「あ、そこはどうでもいいんだ!」の連続。しかもそれらの多くが、“島”という外界からの影響に対して極めて脆弱な独自性を持つ彼らの先住民文化の中で、それをバランスよく保持していくために重要な鍵となって働いているように思えるものだった。1970年代という、50年前の、とんでもなく貴重な記録の中に観たのは、「過去」ではなく「未知」だった。

◆しかし実のところ、今回の映像作品と出会って私が何より感動したのは、そんな「未知」の世界の根本に、「既知」の世界を発見したことだった。具体的に何かというと、島の人たちが奏でる歌や太鼓の音世界。特に、夜通し歌っていた、ともすると単調で退屈ともとらえられる短くてシンプルなメロディの繰り返しによる詠唱と、そこに絡み込む太鼓のリズムが、見事なトランスを生み出しているように聴こえたこと。

◆そこには、人間が、テンションコードとかポリリズムとか、そういった机上の音楽理論などを打ち立てるよりはるか昔、太古の時代から、自然界で生きる生物として持ちあわせた五感や、時にはそれを越える感性を駆使して、純粋に心が惹かれる音の世界を、本能的に生み出してきたということを改めて示してくれているかのようだった。これぞ私たちが「文化」と呼んでいるものの源では!? まさに地球のメロディ! 「未知」の文化を紹介する映像の根本に「既知」の文化の源泉を発見したように思った。ああ、根っこはつながっている。感動。このたびもありがとうございました。[中井多歌子]

この記事を書いた人

地平線キネマ倶楽部事務局。デジタルエディター。北部パキスタン文化研究者

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