2024年11月16日(土)に『クラ』と『女の島』の上映会を開催しました

打ちのめされました

★地平線通信548号(2024年12月18日発行)より転載(筆者:緒方敏明)

■地平線キネマ倶楽部の上映会、今回も感動しました。いままでのなかで、ぼく自身にとって最もピンポイントに突き刺さりました。打ちのめされました。なんと言ったらいいのか。自分の「妄想世界と重なる感じ」というか。ある意味での「救済」を得たというか……。当日の配布資料も、抜粋箇所がとても厳選されている気がしました。「牛山さんと市岡さん」との相互理解・疎通連携みたいなニュアンスも、テキストから読み取ることができて、グッときました。神がかり的なコラボレーションの経緯だと感じました。

◆市岡さんの著作、2冊とも入手して拝読しました。牛山さんと市岡さんの真剣真摯なやりとりの継続が、すばらしかった。市岡さんの想像力の熱と、牛山さんのプロ経験値からの基盤との疎通連携が、作品を生み出してゆく。市岡さん自身の「感じ」「想い」「考え」が、明瞭になってゆく。すべてが、リアル「現実」で行われていること。

◆ぼくは「過去の記録」として視ることができませんでした。これは「今」だと感じました。おそらくそれは、つねに現場に立っていらっしゃった「市岡さんの今」が、ずーっと映像に「生きてる」からだと感じました。タイムラグが無い。市岡さんが、リアル「現実」に向き合っていたトコヴァタリア老人との時間。すてきな時間だと感じました。「クラ」は、どのようにして発明されたのだろうか。長老たちが何代もかけて相談しながら編み出していったのだろうかと空想したり。楽しいです。

◆同時に、市岡さんのおっしゃった「男の趣味」という表現は、実に痛快でした。そのひと言で、一瞬で「今」「此処」「資本主義日本国」「フェミニズム・ミソジニー」に空間移動できたみたいな感じ。クラという「男の趣味」に“命懸け”で生きる。何代にも引き継がれてゆく「男の趣味」。儀礼がある。そこには、ヒエラルキーがある。ヒロイズムが有り、英雄が登壇する。「演技」が、ふつうに有る。輝く。俳優。儀式は、非日常を生きる期間。クラという航海の期間は、長い長い「演劇」のようなものではないのだろうか。まさに「リアル」な。「リアル」と「リアリティ」の合致を常に共有する旅路。儀礼という台本が有る、しかし、そこでは随時「アドリブの活きる」ことができる。

◆『女の島』も、伝統の伝承と随時工夫が実社会に生きてることが映されていました。社会の許容力と寛容。そのための工夫。積み重ねと継承。そして、臨機応変なアドリブ。人を、孤立させない工夫。「人と人」の距離が絶妙にバランスしている気がしました。個人個人のプライバシーを守りながら、放ったらかしにしない。「独り」「一代」では決して成すことが出来ないこと。それをみんなが常識として共通にしている歴史の偉大さに圧倒されました。

◆市岡さんのほかの作品も、もし機会あればぜひ拝見したいと思いました。[アーティスト・緒方敏明(丸山純への私信より抜粋・構成)]

この記事を書いた人

地平線キネマ倶楽部事務局。デジタルエディター。北部パキスタン文化研究者

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