■安東 浩正 ANDO Hiromasa 4 | ||||||||||||||
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05…995年12月/中央チベット シシャパンマ峰の麓、パイク湖にて
【聖なる湖】……そのヒマーラヤの聖水を集めた水はあまりにも蒼い。チベットの荒涼とした大地において、その蒼いガラスのようなパイク湖の平面の存在はそれだけで奇跡であり、人に畏怖心を与え聖湖たるに堂々であり、それは大地の優しさの証明であった。その湖岸は雪に覆われ凍っていた。氷どうしが擦れあう音が、まるで何かゆったりと大地が静かな交響曲を奏でているかのようだ。 |
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09…1995年12月 中央チベット ヤールシュンラ峠より
【ヒマーラヤを越える道】……ネパールとチベットを結ぶ中ネ公路。チベット高原最後の峠であるヤールシュン・ラ峠(海抜5124メートル)より海抜1000メートル以下のインド亜大陸に向けて、道はまっしぐらにヒマーラヤを駆け下って行く。生命の存在を拒否するが如く荒涼としたチベットの大地より、高度を下げるにつれて緑の木々が現れはじめた。久しぶりに森の匂いをかいだ時、何だか宇宙から地球に帰ってきたような気がした。 |
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10…1995年2月/中央チベット チョモランマ街道ツァー村にて
【チベットのお坊さん一家】……放牧の民であるチベット人の、ワイルドな生活の中にある優しさも忘れがたい。くたくたの状態である村にたどり着いた時の事、チベット仏教の僧侶の家にお世話になった。言葉はまるで通じなかったけれども、同じ仏教の心を持つものどうし心が通う。出発の際、お礼がしたくて心付にお金を置いてゆこうとしたけれども、絶対に受け取らないばかりか、貴重な食糧である麦の粉や蒸し芋をたくさんくれた。写真を撮ってあげようとすると、一番上等の服でおめかしして出てきた。 |
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08…1995年12月 中央チベット シシャパンマ峰の麓、パイク湖にて
聖なる湖 |
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09…1995年12月/中央チベット ヤールシュンラ峠 より
ヒマーラヤを越える道 |
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10…1995年2月/中央チベット チョモランマ街道ツァー村にて
チベットのお坊さん一家 |
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