99年5月の地平線報告会レポート


●地平線通信235より

先月の報告会から・235
コレ、森に帰る
峠隆一
99.5.28(火) アジア会館

◆1度だけの取材のつもりで訪れたサラワク、が以後足かけ5年の間に15回も、延べ1年以上も滞在、いや暮らしてしまった程、森の生活は峠さんを魅了してしまう。この春5年振りに彼の地を訪れ、森と、カヤン人の仲間たちと再会して帰国まもない報告である。

◆サラワクはマレーシアのボルネオ島にある州だ。13州ある中でサラワクだけが他の12州から入る時でさえ、パスポートを必要とする、マレーシアでも特別のエリアだそうだ。

◆「コレ」、峠さんのカヤン名である。意味は豹。柴又に寅がいるならば、カヤンの森に豹、乙ではないか!10年前に「お前を養子にする。」と宣言したマリアンさん(義父)によって命名された。

◆優しく、逞しく、ユーモアたっぷりのカヤンの人々、コレはこの5年間毎日再会を夢見ていた。そう、あの日以来…。1993年11月、先住民の反政府運動を扇動したという身に覚えのない容疑をかけられ、彼はスペシャル・ブランチと呼ばれる警察とは別の組織の人々に逮捕されてしまう。狭く何もない独房、1ヶ月もすれば確実に気が狂うと感じたそうだ。こうなったら病気になってここから出てやれ!腹痛を起こす、には→汚いものをお腹に入れる、には→床や壁を舐めてやれ!と実行に移そうとしたのだが、幸いにもその前に釈放された。

◆時の経つのはなんと遅いことか、1時間くらい経ったろうと看守に時間を聞く。「嘘だろっ」、10分しか経っていない!! 拘留は1週間にわたり、州外強制退去の身となる。彼の名はおそらくブラックリストへ載っただろう。もう二度とあそこへ行けないかもしれない悔しさと同時に、彼と逮捕直前まで一緒にいた人や、自分の身を心配しているであろう森の仲間たちの事が気がかりになった。

今回は、自分は無事で元気であることを彼らに伝えなくてはならない、そんな思いもあった。夜8時、村に到着、彼を見つけた村人の声にロングハウス(高床式長屋)から「コレだ!コレだ!」と人々が出てきた。「私たちはみんな、あなたがもうここには来られないかと思ってみんなで泣いた。本当に泣いた。」コレは嬉しかった、こんなに自分の事を思っていてくれる人たちがいる。

◆最近のサラワク熱帯雨林保護活動は、インターネットの普及とともに、国内外のNGOとの繋がり・連絡など、組織的そしてより有力になってきているそうだ。伐採よりも焼き畑が問題ではないのか、という人がいるが、そんなことはないとコレは言う。焼き畑は、昔っからやってきたことで、決められた土地しか焼かないのだそうだ。その上、森の力は強く、半年もすれば「ウッソー!」と思うくらいうっそうとした森に戻ってゆくらしい。

近年、マレーシア政府は、油ヤシプランテーションを次々計画している。伐採が太い木のみを切るのに対し、プランテーションは、小さい木も細い木も全て切っていく。その後から油ヤシが植えられ、とれた油からは「地球に優しい」石鹸や洗剤として、こちらで売られたりしている。何とも皮肉な話しだ。

◆焼き畑をしないプナン族は全てを森に依存しているので、彼らはNCR(Native Custom Rights)を掲げて立ち上がる。

◆コレは再び森へ行くだろう。新たな思いを胸にして。「コレ、マン・タコッ!」(コレ、恐れるな)、逮捕された経験のある男から贈られた言葉である。[瀬沼由香]

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