2024年2月の地平線報告会レポート


●地平線通信539より
先月の報告会から

野ぐその如き君なりき

伊沢正名

2024年2月23日 榎町地域センター

■伊沢さん初登場の前回は、2010年4月23日。当時の報告会レポートによると、その朝ののぐそは11234回目だった。今回が16318回目だというから、実に5084回増。「14年ぶり」よりもインパクト大だ。

◆1960年代後半、仙人に憧れた伊沢さんは、願望叶わず、人間社会に戻って自然保護運動に係わった。そのころからきのこの写真を撮り始め、自然界では「腐る」ことが大切だと知った。枯れ木や動物の死骸はやがて土に還り、新しい命へと生まれ変わる。そんな分解の役割を、菌類が担っていた。73年の暮れ、し尿処理施設建設の反対運動が起きたのをニュースで知り、ショックを受けた。反対するならウンコするな、と怒ったが、自分だって出している。困ったな。そのとき思い出したのが菌類の働きだ。

◆自然の中ならウンコは菌類に分解され、植物が育って森ができる。そう閃き、74年の元旦からのぐそを始めた。以来50年。途中で連続記録13年と45日、4793日の記録も打ち立てた。人間は自然界から戴いた命を食べ物に変えて生きている。だから、のぐそでウンコを自然に返すのは生きる上での責任だ。5週間、計35日かけて毎日ウンコの目方を量ってみたら、平均で一回当たり245g。1年分なら90kg近く。一生分だと何トンにもなるという。死体の始末は人に委ねるしかないし、土葬もできない。が、その100倍もある自分のウンコは自分で処分できるのだ。

◆07年の夏、研究者にくっついて北限のサルたちを追った私は、幸運にも、一匹がサルノコシカケに座るところに出食わした。「これは自慢しなきゃ」と写真を葉書大にプリントし、長らくご無沙汰の伊沢さん宛に投函した。ほどなく届いた返事には、「きのこ写真家を辞め、いまは糞土師をしている」の謎の一文が。驚いた。のぐそが趣味だと知ってはいたが、あの輝かしいキャリアを捨てて、そっちの世界に走るとは! けれど誤解していたのは私の方だった。

◆「菌類の働きを知ってもらいたい」の願いを込め、伊沢さんは写真家を続けてきた。しかし、人々の関心は「食えるか食えないか」だけ。そこで、2006年、「もうやってられない」と菌類写真家から足を洗い、糞土師を名乗り、うんこを通して自然の素晴らしさを広める活動を開始したのだった。

◆報告会前半、最初のスライドに選ばれたのは、「写真家として初の作品」というハナオチバタケ。我々なら気付きもしない小粒のきのこ。が、伊沢さんは、「小さくても植物を分解して森作りに貢献している。それに対して自分はどうだ」と感動し、「負けた!」と思ったという。いわば、初心を物語る1枚だ。

◆落ち葉、鳥の死骸、捨てられた新聞、果てはダイオキシン……。スクリーンには、様々なものを分解する多種多様の菌類が次々現れた。後の質疑応答では、「プープランドで実験したとき、関野さんのうんこが50日後でもそのままだった」という話が出た。別の編集者のうんこも、1か月後、まだ分解していなかった。調べてみると、風邪で抗生物質を呑んだり、コンビニ弁当を食べていた。しかし、それも2、3か月後にはキレイになくなった。抗生物質や殺菌剤入りうんこでも、時間を掛ければ分解されてしまうのだ。

◆一連のきのこ写真のラストは「私の訴えがこもった最高傑作です」という1枚で、手前の馬糞の小山とツヤマグソタケ、その後ろに牧草、そして遠くに馬が数頭佇んでいる。生き物は、自分に不要なものや副産物、分解できないものをうんことして出し、それが次の生き物のご馳走になる。この写真は、馬糞→キノコ(二酸化炭素と無機養分を排出)→植物(光合成で酸素を放出)→馬(糞を生産)→……、と、各々の「うんこ」が繋がる糞土曼荼羅そのもので、最後を締め括るに相応しい1枚だった。スライドは、ここから「のぐそ掘り返し」のディープな世界へ。

◆一番乗りのセンチニクバエに始まり、嫌気性、好気性の菌類、アリや昆虫、小動物などにより、うんこは時間を追って姿を変え、分解されてゆく。原形が消え去った跡にも、あたりを鷲掴みするように樹木が細い根を伸ばしている。それは地中で人知れず繰り広げられる、一遍のドラマでもあった。

◆人口を減らす以外に人類が生き延びる道はない。そう考える伊沢さんは、「納得して死ぬためにも、その不安を乗り越え、喜びを見出して死を受け入れたい」と願い、そんな「幸せな死」探しに、地平線が貢献したという。舌の異変を押して参加した2015年4月の「ぼっかされだ里に花の咲ぐ」福島ツアーで、大西夏奈子さんと知り合い、口説き倒して「葉っぱのぐそをはじめよう」――14年前にも語られていた、伊沢さんが心血を注いだお尻拭き図鑑――の編集を依頼した。

◆ツアーの後も舌の痛みは激しくなる一方で、大型連休明けにステージ3の舌ガン宣告。そこから伊沢さんの「幸せな死」の探求が本格的に始まった。本作りの傍ら、様々な人に会って話を聞いた。長野淳子さんも、その一人。彼女が地平線通信に書いた「生き切りたい」に感銘を受け、対談を申し込んだのだ。余命いくばくもない人に、死について問い、本音を聞く。ためらいや、「人間関係がダメになるんじゃないか」の不安もあった。けれど、淳子さんは「光栄です」と受けてくれた。

◆その対談で、何を一番やりたいか訊ねたら、「朝起きて御飯を食べて、という普段の生活を丁寧にやりたい」の答が返ってきた。死に向き合いながら、普段通りの暮らしを大切にする。「何かをやり遂げるだけが幸せじゃないんだ」と気付き、「男なら『これだけはやり遂げて死にたい』と考えるだろう。女は違う」とも感じた。「淳子さんに出会っていなければ、『幸せな死』は見つからなかった」。そう語る声には、万感の思いが滲んでいた。

◆糞土師を名乗り始めた当時の伊沢さんは、ガチガチの「フンダメンタリスト」(のぐそ原理主義者)。いつだったかカミさんの運転で送迎したが、その間、ずーーっとノグソ話が止まらず、一瞬たりとも聞き役には回らなかった。だから、「対談ふんだん」で対話が成立しているのを見たときは、「あの唯我独尊の人物が……」と目を疑い、それくらい「幸せな死」の探求は真剣だったんだ、と納得した。

◆我々は生に対してポジティブな、死に対してはネガティブなイメージを抱いている。でも伊沢さんは、「生きる」ことの意味を問いながら、「死ぬ」ことの意義も認めている。それゆえ人権派に対しても、「彼らは『生きているだけで価値がある』といって安楽死に反対するが、それは患者の苦痛を引き伸ばし『もっと苦しめ』と言うに等しい。自分の価値観を押し付けて満足しているだけだ」。

◆生きることの意味は人によって違うんだから」と手厳しい。また「良識」にも、「我々が何かを判断するときの『正しい』『悪い』は人それぞれ。結局は、その人の好みに過ぎない。それはプーチンもイスラエルも同じ。だから争いが起きるんだ。『正しさ』なんて危険なだけ」と容赦ない。そもそも、伊沢さんは写真だって自己流だ。しかも、実は「やっちゃいけないことばかりやっていた」から良い写真が撮れたという。フィルムの発色は、日陰では青みを帯び、長時間露光すると赤っぽく写る。だからそれまでは、「明るい場所で速いシャッタースピード」が基本だった。けれど、そんな知識もなく、暗い場所に生えるきのこを遅いシャッター速度で撮っていた。その結果、双方の欠点が相殺されて、あの美しい写真が誕生した。「写真の撮り方は被写体によって違い、新しい分野を撮るなら、いままでのやり方通りではダメ」なのだ。

◆伊沢さんにとって大切なのは、「正しい」「悪い」よりも「責任」だ。それも「何か失敗したときの尻拭い」ではない。アメリカインディアンは7代、200年先の子孫の幸せを考えて行動する、を引き合いに、「何かをやるとき、自分じゃなく相手の立場に立って考え、結果がどうなるか、ちゃんと自分でケアできるのかを考えるのが責任だ」という。

◆その伊沢さんは、夫婦でペルーを訪れたとき、旅行ハイライトのマチュピチュ観光を直前にキャンセルした。地元の子供たちに隠れてノグソするのは難しい。万一目撃されたら日本人旅行者全体が白い目で見られてしまう、との判断からだ。巻き添えを食った奥さんとは、のちに別れることとなり、本人曰く、「のぐそのために遺跡観光とカミさんを棒に振った」のだった。

◆自然界の循環は、誰もが知識として知っている。でも、伊沢さんによると、我々は「役割」で見ているに過ぎない。植物は無機物から有機物を作り出す生産者、それを消費する動物、そして、その動物の死骸を分解する菌類。つまり、生産者、消費者、分解者、という役割で生き物を捉えているだけだ。しかし、それでは自然を理解できない。その循環の中に「うんこ」の概念を加えて初めて、「食べてうんこして生きる」という生態系の循環が見えるという。

◆いま、伊沢さんの前歯は1本を残すのみ。舌ガンの後遺症も重なって、食事は大変だ。本人の音頭、「酵母菌のうんこに乾杯!」で始まった二次会でも、箸をつけたのは軟らかなメニューだけだった。でも、治すつもりはないらしい。「食べられなくなった野生動物は、死ぬのが自然の摂理」に従う覚悟だ。実は、2010年の報告会で、私は少なからず気を揉んだ。探検や冒険とは畑が違うし、テーマもテーマ。そこで、事前に長野画伯たちの森林ボランティア集団「五反舎」(地平線の仲間数名もメンバー)で講習会を開いてもらい、参加者の反応に手応えを感じ、淳子さんや外間晴美さんたちにも応援を頼んで報告会が実現した。

◆それを二次会の席で打ち明けた。と、「自分では冒険者だと思っている!」の力強い一言が。これは失礼しました。確かに、相手にしているのは未知のフィールドだ。でもね、伊沢さん。冒険者なら冒険者らしく歯は治し、末永く現役でいてくださいね。お願いします。[昨年暮れに歯を3本入れてハッピーな、久島弘

イラスト-1

イラスト ねこ


報告者のひとこと

糞土思想は野糞で命を返すという実践哲学

■2010年の春、突然報告会に呼んでいただき、出来たてほやほやの糞土思想を話したのが、私が地平線に関わる始まりでした。当初は野糞をしているだけの糞土師如きが、こんな凄い探検家や登山家揃いの集団に入っていいものかとだいぶ気後れしたものです。しかし未知の世界に分け入るのが探検ならば、渋谷の街中の丁字路で、尻の後ろ数mに大勢の人集りがあるにもかかわらず野糞を敢行するのも、都会のど真ん中に未知の世界を求める探検か冒険ではないかと屁理屈ならぬ糞理屈をこねながら今に至っています。

◆それから14年、うんこと野糞に「しあわせな死」も加わりだいぶ成長した糞土思想を、今回の報告会で初めて開陳しました。うんこの方はすでにしっかり練り上げてはいるものの、死の方はまだまだ消化不足もあり、ある程度準備はしても全部出し切ることはできませんでした。二次会の北京では江本さんから一応お褒めの言葉をいただきましたから、そこそこの出来だったのかもしれませんが、私自身はまだちょっと残便感のある便秘気味の心境です。

◆自然生態系の循環が壊されて破滅的な人新世を迎えてしまった根本問題は、行き過ぎた人口増加にあり、その改善には人口を減らすことが避けられないと私は考えています。つまりしあわせな死の目的は、納得して受け入れられる死を探し出し、それを広く提起して、みんなで楽しく自然に還ろうというものです。これまで多くの人が模索してきた、人間としてどう生き、どう死ぬかというような死生観とはまるで違います。

◆死体とうんこは物質としては同一と閃いたところから、野糞跡掘り返し調査で明らかになった命の循環に当てはめてみれば、死は悲惨なものでも終末でもないどころか、死体を野糞のように自然に還せば、むしろ幸せな世界に繋がることが見えてきたのです。しかしそれを理解してもらうには、これまでやってきた糞土講演を聴いてもらわなければなりません。そんなことで前半の話に多くの時間を費やして尻切れとんぼになり、途中で排便を止めざるを得ないような状況に陥った次第です。そこで、報告会で出し切れなかったことの一つをここに記します。

◆地平線報告会500回記念集会の日(2023年11月)に前歯が全滅し、それを機に私自身のしあわせな死に向かう心の準備はしっかり固まりましたが、それを実現するにはまだ大きな壁が立ちはだかっています。自分の死体をどうするかという問題です。一番の希望は自然の中で野垂れ死にですが、喰えなくなって徐々に衰弱し、ある程度身体が弱ったところで山に籠ったとしても、死んで朽ち果てる前に見つかってしまえば不審死体として収容され、検視解剖されて最後は火葬でしょう。また、少しでも誰かの手を借りれば、その人は自殺幇助や死体遺棄などのくだらない法律で処罰されてしまいます。死骸が見つかりにくい可能性としては富士山の樹海という手もありますが、何事にも人と違った独創性を面白がりたい私には、そんな人真似自殺的なやり方は性に合いません。確実に土に還るには、やはり合法的な土葬が最善です。

◆以前の伊沢家の墓地は鬱蒼とした木々に覆われていたのですが、30数年前のこと、石屋にそそのかされた両親は私の知らぬ間に、つるつるぴかぴかの石で固めた今風の一点の緑もない殺風景な墓に造り替えてしまいました。もはや土葬は不可能です。そんなこともあっての野垂れ死に願望ですが、その難しさから今考えているのは、半世紀の野糞で育ててきたぷーぷらんどの林の中に土葬してもらうこと。その一角を墓地にすれば最期の願いが叶います。しかし墓地の認定の権限は自治体にあり、現状ではお寺や宗教法人などでないと認められないのです。この関門をいかにして突破するかという新たな闘いが浮上してきました。そのためには先ず、糞土思想としあわせな死を理解してもらうことが欠かせません。

◆ここまでの糞土思想を纏めた『うんこになって考える』という本を遺書代わりに出そうと、少し前から大西夏奈子さんに手伝ってもらいながら執筆を進めてきました。原稿は一応書き終え、すでにいくつかの出版社に持ち込んだのですが、野糞は軽犯罪法に当たる等の理由で全て断られてしまいました。人と自然が共生するための大切なことを、軽微な犯罪(科料=罰金の最高額が1万円未満)を理由に拒否し、くだらないクレームに怯えて自己保身を図るえせ良識に、出版界まで覆われているのが今の日本社会の実情です。しかし、断られるたびにその問題を原稿に書き加え、批判精神満載の糞土思想がますます充実してくるのだからたまりません。とはいえ、なにくそっというやる気のある出版社を探し出さないことには先へ進めません。何かいい知恵がありましたら、是非ご協力をお願いいたします。

◆最後にひと言。糞土思想は野糞で命を返すという実践哲学です。しあわせな死も遺言のような薄っぺらなものではなく、最期に後悔しないように、おれは死ぬ瞬間までこう行動するぞ!という「生き方宣言」なのです。[伊沢正名 糞土師]


糞土思想に共鳴する新コスモロジー

■私は12月の地平線報告会で、いまの日本人が他者に冷酷で、「人生の目的は“私”が幸せになること」、「楽しくなければ人生じゃない」という利己的で刹那的な生き方をしていることに危機感をもち、価値観の根っこにあるコスモロジー(世界観・人生観の大本)を創りなおすべきだと大風呂敷を拡げた。意外なことに、また嬉しいことに、伊沢正名さんがこれに強い関心を示してくれた。そこで先日、茨城県桜川市に伊沢さんを訪ねた。伊沢さんが熱く語る「糞土思想」なるものを拝聴すると、私の構想するコスモロジーとほぼ一致することに驚いた。

◆古くからコスモロジーを担ってきた宗教が近代になって力を失い、“神”は退場して“人”が最高の存在となった。ヒューマニズムの「自由・平等・博愛」は世界を変え、近代文明は私たちの暮らしを便利にした。だがそこに神に代わる“大いなるもの”は存在しない。法律も正義も倫理も“人”が決めることになる。突き詰めると判断基準は人の“好み”しかない。「人権派の正義」を伊沢さんが罵る所以である。

◆私たち人間は、自然という“大いなるもの”の恵みで生かされており、生態系の食物連鎖という循環の中でその一員としてしか生きられないことをつねに自覚すべきだと伊沢さんは訴える。さらに生き物のエネルギーは太陽によって与えられているとして、循環の輪を地球外へと広げていく。これは、人は宇宙の一部としてエネルギー循環の中で生かされているとの気づきをベースにする私の新コスモロジーとぴったり重なる。また、中村哲医師の、人は “天”が与える自然の恵みのおこぼれを得て生きているとする哲学にも通じる。

◆伊沢さんの自宅、「糞土庵」に泊った翌朝、私もプープランドで野糞をした。陽当たりのよい山林の木陰で、穴を掘って用を足し、糞を落葉と土で覆う。土の中の無数の微生物が喜んでわっと私の糞に群がるさまをイメージする。すると「食物連鎖のなかで正しいことをした」という満足感がこみ上げてきた。

◆人間は自然の循環の中にあるという理屈なら5分でわかる。だがアタマで理解するだけでは人の価値観を基礎づけるコスモロジーにはならない。無意識にまで染み込ませる、仏教で言う薫習(くんじゅう)が必要なのだ。ムスリムが一日5回神と向き合うように、野糞は自然と直に向き合う“儀式”であり、それは毎日繰り返されて身心に“沁みる”。新しいコスモロジーを薫習する有効な方法の一つだと実感した。

◆伊沢さんと意気投合し、「糞土師の対談ふんだん」の次回の対談相手にご指名いただいた。どんな対談になるか楽しみである。[高世仁

思想を実践した生き方に魅せられて

■先日の地平線報告会の後の二次会で、ご挨拶させていただきました西口です。随分以前に江本さんに、緒方敏明さんとの二人展にいらしていただきました。あのときはありがとうございました!! とってもおいしい手作りのカレーをたくさんご馳走になりましたこと、忘れません。

◆あれから、ご無沙汰しておりまして申し訳ありません。久々に参加した報告会の伊沢正名さんには、思想を実践した生き方に魅せられました。身近なうんこだけど、いつも早くトイレで流してしまいたいと思っていました。見たくないと思っていたのです。

◆でも。生理のときに使う、ナプキン。市販のものから、やわらかい布で手作りした布ナプキン(洗って何度も使うことができる)に変えたときに、汚いと思っていた生理が、大切な身体の一部に思え、自分の身体や生理を慈しむ気持ちに変わったのを、お話を聞いて思い出しました。汚物入れという名のゴミ箱に、自分の身体からでたものを受け止めたものを捨てるから、生理は汚物なんだと思っていたのです。

◆のぐそをして、やわらかい葉でお尻を拭いて大地にお返ししたら、矛盾のない気持ち良さに、身体も大地ももっと好きになりそうです。

◆わたしは、好きなこと(絵を描くこと)をしています。心を動かされたものを描き、それがいい絵になったらいいなぁと思います。また、友人たちと一軒家を借り、女性のための安心できる家をすこしづつ作っています。大きな庭があるので、のぐそをしてみようと思いました。また地平線報告会に参加させてください。どうぞよろしくお願いします。[西口陽子 画家]

伊沢さんが気づかせてくれたこと

■私は、大学で生物学を学びましたが、うんこ、に対して、ただ汚いという印象しかなかったことに、気がつかせていただきました。伊沢さんのリアルなお話を、学校で子どもたち学生たちに、聞かせてあげたいと思いました。キノコの写真は素晴らしく、自然を、自然の神秘な美しさを、伊沢さんは心から愛していると感じました。人間の人口過剰の話などは、過酷な状況で懸命に生きようとしている人たちにはどう聞こえるか、など、疑問に思うところもありました。が、とにかく独創性に満ちた伊沢さんに驚くと共に、ますます活躍していただきたいと、思いました。[秋葉純子

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