2023年9月の地平線報告会レポート


●地平線通信534より
先月の報告会から

よろず冒険あります!

荻田泰永

2023年9月30日 冒険研究所書店

■今月の地平線報告会は、小田急江ノ島線「桜ヶ丘駅」東口から徒歩30秒、街でただ一つの本屋が舞台。その名は「冒険研究所書店」。北極冒険家の荻田泰永さん(47)による書店だ。2階にある店舗へ階段を上がると、壁いっぱいに並ぶ、色とりどりの本たちが私を迎えてくれた。店内には本だけでなく、ソリやダウンジャケットなどの極地冒険で使う装備も置かれている。レジ前に座っていたのは、荻田さんと保育園からの付き合いである栗原慶太郎さん。荻田さんの極地冒険を裏で支えている、40年来の相方だ。

◆開始時刻に合わせて、荻田さんの話を聞こうと書店いっぱいに聴衆が集まってきた。たくさんの本に囲まれ、あれもこれも面白そうだと、皆がきょろきょろと店内を見渡している。地平線会議史上初となる本屋での報告会。極地を歩いてきた北極冒険家が、なぜ本屋を。荻田さんにはこれまでの活動と合わせて、そのわけを語っていただいた。

これまでの極地冒険

◆荻田さんは、カナダ北極圏やグリーンランド、北極海を中心に冒険行を実施してきた北極冒険家。今や通い続けて20年になる。2018年1月5日には、日本人初の南極点無補給単独徒歩到達に成功した。北極海が凍る最も寒い時期に、不安定な海氷の上を歩いてきた荻田さんからすると、「南極は北極より全然簡単」だったそうだ。安全のため夏に限定される南極行は、一日中太陽が沈まない白夜のなか行われる。100kgほどの重量となったソリを引いていれば、気温が氷点下でも暑くてたまらない。そのうえ、危険な動物はおらず、大陸であることから海に落ちる心配もないのだ。

◆2019年には、素人の若者を連れてカナダの北極圏を600km歩いた。募集は行わず、「若者を連れて北極を歩こうと思っている」と言い続けるだけ。自ら荻田さんの手を握りに来た12名の志願者たちが集まり、1か月半にわたる北極行を踏破した。この遠征のある日、同行した写真家の柏倉陽介さんが、テントの中でふと口にした。「荻田さん、日本に帰ったら、冒険研究所を作りましょうよ」。

◆荻田さんは若いころ、少しでも極地の情報を得ようと、数少ない経験者によく話を聞きに行っており、現地では海外の冒険家との対話も重ねてきた。彼らと語り合い、地道に経験値を高めていく一方、自分と彼らが置かれている社会的背景に差異があることに気づき始める。彼らの語りからは、冒険家を支える何らかの相談先や支援者がいることを感じさせられた。対して自分は、アルバイトで資金を貯め、誰かに支えてもらうでもなく、己の力で北極までやってきている。そんな自分は、まるで日本社会から背を向けた「アウトサイダー」としての烙印を押されているような気がした。だからこそ、若いころの自分のような人間が相談に行ける場所、アドバイスをもらえる場所、いわゆる冒険家のための「事務所」のようなものを、日本にも作りたいと考えていた。柏倉さんの言葉を聞いた瞬間、自分のなかで「アリだな」と思った。

子どもたちを連れて

◆小学6年生を対象に100マイル(160km)を踏破する冒険旅、「100miles Adventure」を今年の夏も行った。2012年から始めて今年で12年目。今回の第1ルートは、「福岡タワー〜長崎平和公園」、子どもたちが変わり、第2ルートは「長崎平和公園〜熊本城」。それぞれ11日間かけて全員が歩ききった。やる気に満ちあふれた元気な子どもたちが集まるのかと思いきや、「今年は乗り気じゃないやつが多かった」とのこと。「100miles Adventure」をまず知るのは、たいていの場合親である。なかには「行きたくもないのに行けと言われて来た」という子どもたちもいるようだ。それでも、「これは自慢でもあるんですけど」と、荻田さん。最終日には子どもたちはみんな「楽しい」で帰るのだという。「そこは自信あります」と誇らしげに何度も頷いていた。きっと、子どもたちの楽しそうな笑顔を見ると、荻田さんも嬉しくなるのだろう。

◆実はこの冒険旅、決まっているのは日程と宿泊場所だけで、プログラムはほとんど決められていない。確保している2日間の休養日も、数日前にみんなで話し合って決める。「事前に計画しないっていうことの面白さ」が旅にはあるのだと荻田さんは言う。「予定に従うんじゃなくて、人間としての感情に従って旅をしたい」。北極を旅してきた冒険家としての思いがそこにはある。

◆メンバーの選考方法は、「募集不告知かつ先着順」の形態をとっている。「行きたい」という気持ちに差があるなかで定員を上回ったとき、抽選という形では、本当に行きたい人を選べないからだ。たいてい、フォームを公開して1分後には1人、2分後には2人。5分ほどで7、8人の応募が。その調子で今年は2時間ほどで定員に達したという。これまで、100を超える家庭が荻田さんに憧れ、荻田さんを信じ、集まってきた。「100miles Adventure」に参加した家族のなかに、文句を言ってくるような人は誰もいなかった。

なぜ冒険家が書店を?

◆話は2019年に戻る。若者を連れて北極圏を歩く旅を終え、帰国した荻田さんは、柏倉さんが口にした「冒険研究所」という言葉を胸に早速動き出した。まず、「事務所」のような場を作るのなら、装備も一括で保管しようと考えた。20年もの極地冒険で膨大な装備品が溜まり、保管場所に困っていたからだ。そして装備や道具を軸に、人が集まれる場所を作りたい。不動産情報を細かく調べ、良い物件を見つけた。2019年10月、この桜ヶ丘の地に「冒険研究所」を開設する。

◆とはいえ、名目上は「事務所」。時々知り合いが遊びに来てくれたものの、一般の人が不意に立ち寄れる場所ではなかった。そんな矢先、コロナ感染拡大に伴って全国の学校が一斉休校に。これでは多くの人が困るだろう。行き場のない子どもたちの居場所になればとの思いで事務所を開放した。地域の子どもたちと触れ合うなかで、改めて桜ヶ丘という街を見渡してみた。すると、街に「文化的な香りがない」ということに気づく。特に医療機関が多いと感じた荻田さんは、桜ヶ丘駅から半径200m(徒歩約3分)圏内にどんな医療施設が何軒あるのか数えてみた。結果は、歯医者が9軒、整骨院・接骨院が8軒、他にも内科、整形外科、皮膚科、胃腸科、そして駅の反対側には大きな病院まであった。本屋は1軒もなかった。荻田さんは、年配者向けの施設「しか」ない現実に愕然。一体、地域の子どもたちはどこで本に出会うのだろう、という疑問を抱いた。「じゃあ、自分が何かやるか」。

◆「本屋だな」と思った。桜ヶ丘の街に本屋がないこと。子どもたちに出会いのきっかけを与えたいこと。誰でも自由に出入りできる空間にしたかったこと。そして荻田さん自身、本が好きであったこと。「全部が『本屋』というキーワードでつながった」。といっても、何から始めたらよいのかわからない。ネットで検索するところから始め、SNSで「本屋を始めようと思っている」とつぶやくと、同じ神奈川県内で本屋を開業した方が協力してくれることに。そして2021年5月24日、「冒険研究所書店」はオープンした。本屋をやろうと思い立ってから約4か月という早さで。やると決めたら一直線になるところは、極点を目指してまっすぐ突き進んできた荻田さんの、熱い冒険精神からきているのかもしれない。

冒険と読書の共通性

◆なぜ本屋を始めたのか。荻田さんが最後に語った最も大きな理由は、「冒険することと本を読むことの共通性」にあるという。「冒険家が本屋?」。私を含め、多くの人はその意外な組み合わせを不思議がるだろう。それは、野外で活発に身体を動かす冒険と、ある一か所で静かに頭を働かせる読書とは、まったくかけ離れた行為であるととれるからだ。

◆冒険と読書をつなぐ鍵になるのが、『世界最悪の旅』(アプスレイ・チェリー=ガラード著)に書かれた一節だという。二十世紀初頭に繰り広げられた南極点到達競争において、人類初到達のレースに敗れ、ほぼ全員が死亡した英国のスコット隊。後方支援隊員の一人であった著者・チェリー=ガラードは、スコット隊の壮絶な探検行をありのままに記録した。彼は、この本を次の一文で締めくくる。「探検とは知的情熱の肉体的表現である」。

◆肉体的に行為を表出するのは、野生動物も同じ。生きるために獲物を探し、狩りをすれば、時には痛みや疲れ、暑さ、寒さを感じる。しかし、そんな辛い思いをあえて行うのは人間だけである。なぜか。人間には、知的情熱があるからだ。チェリー=ガラードはそう言いたいのではないか。同時に荻田さんには、この言葉が「人間とは知的情熱を肉体的に表現する生き物である」と読めた。人間は、根源的に持っている情熱を体で表そうと、主体的に動く。それこそが冒険だ。荻田さんが冒険を続けるのは、「人間だから」に他ならないのだ。

主体的な冒険と主体的な読書

◆内側に秘めた情熱を主体的に表現する行為は、本を読むことも同じだという。冒険も読書も、主体性が求められるという点で共通しているのだ。逆説的に言えば、主体性のない読書とは、本のなかに答えを探す読書である。本に書かれた内容は著者の答えであって、読者の答えではない。本は、自分の考えを表現するための道しるべである。それをさも自分の言葉かのように口から発するのは、知的情熱を肉体的に表現することではない。すなわち、「人間であることの否定」に等しい行為だと、荻田さんは考える。

◆「主体性が求められる行為」という点で、冒険と読書には共通性がある。「表面的に表現される行為は全然違うけど、メンタリティはまったく同じ」であると気づいたのだ。であれば、自分は本屋をやるのに整合性がある、と荻田さんは確信する。「本屋には、やってきたことの文脈が乗るんですよね、すべて」。冒険研究所書店を開いた背景には、そんな物語があった。

機能と祈り

◆荻田さんは書店を営むうえで、「機能と祈り」という言葉をキーワードにしている。これは、哲学者の内山節さんの著書にあった言葉だ。例えば、子どもに対してお父さんはどんな存在か尋ねたとき、「お父さんは、外で働いてお金を持ってきてくれる人」と答えたとする。このとき、子どもはお父さんの機能を語っている。一方、「お父さんと日曜日にキャッチボールをするのが楽しみだ」と答えたとすると、それは祈りの話をしている、といった内容だったそう。荻田さんは、この「機能と祈り」を「入れ替えできるか否か」であると解釈した。つまり、代替可能なものが「機能」で、代替不可能なものが「祈り」の側面を持つという考え方だ。

◆この言葉を荻田さんが思い出したのは、冒険研究所書店で定期的に行っているトークイベントでのこと。ゲストに招いたのは、明治時代の実業家・渋沢栄一さんの曾孫にあたる、澁澤寿一さん。日本中で森づくりや地域づくりに関わってきた澁澤さんが、昭和30年代くらいまでの日本の農村では村中総出で田植えを行っていた、という話をしてくれた。農業機械が普及していなかった当時、広い田んぼを管理するには水の上げ下げくらいしかできなかった。何日もかけて田植えをして、稲の生育環境にばらつきが出てしまうことを防ぐため、一気に田植えをする必要があったのだ。

◆荻田さんはこの話を聞いたとき、かつての集落内での人間関係は、「機能」でもあり「祈り」でもあったことに気づいた。田植えをするときは代替可能な「機能」として、一緒にいて楽しい隣人と過ごすときは代替不可能な「祈り」として。村の人々が「機能」と「祈り」の両輪を併せ持って社会が回っていた。

◆ところが、今の社会を見渡してみれば「機能」ばかりではないか。自分がいなくても回る社会で生きているなら、そもそも自分は「機能」でしかないのではないか。「でも本来、人間の社会はそういうものじゃない」と荻田さんは言う。私たちは、入れ替え可能な存在であり、不可能な存在でもあるはずだ、と。

◆荻田さんはこれまで、一人北極圏に出かけ、自分自身の冒険をしてきたつもりだった。つまり代替不可能な「祈り」の冒険だ。しかし、若者を連れて旅に出たとき、自分はこれまで連綿と続いてきた冒険の流れを紡ぐ「機能」でもあるんだ、個人としての冒険は「祈り」かもしれないが、歴史のなかで見たら自分は「機能」でしかないんだ、とはっとした。

冒険研究所書店をどんな本屋にするか

◆では、本屋とは何か? 「本を買う場所」といえばそれは「機能」である。今の時代、ネットで簡単に本が手に入るようになり、より高機能な本屋が世を覆い尽くそうとしている。「機能」として戦おうとすると負けてあたりまえだ。では、代替不可能な「祈り」に徹するべきかというとそれも違う気がした。冒険研究所書店は街で唯一の本屋である。桜ヶ丘の「街の本屋」として利用する人だってもちろんいる。冒険の本ばかりを置いていたら、本屋としての「機能」が不足してしまう。でも、冒険家が営む本屋としての「祈り」も果たしたい。「機能と祈り」のバランスをいかに保ちつつ、街と調和していくか。荻田さんが北極冒険家として、そして本屋として心がけている本質がここにある。

言葉は行為をどこまで表すか

◆「冒険」「探検」とは一体何だろうか。文字を分解してみると、冒険とは「危険を冒すこと」、探検とは「探り検(しら)べること」であることが見えてくる。つまり、リスクがなければ「冒険」にはなり得ない。一方、「探検」はリスクが前提ではなく、探ることが目的だ。しかし、これはあくまで日本語の話である。翻訳された英語の語源を辿ると、「adventure」(〜へ至る)、「explore」(外へ叫ぶ)、「expedition」(外へ歩く)といった意味を持つことがわかった。

◆荻田さんは、これらがそのまま「冒険」「探検」と訳されていることに違和感を持った。英語の語義では、リスクの話も検べる話もしていないではないか、と。自分がやっていることは、冒険でも探検でもない。リスクはただの前提条件であり、わざわざ危険を冒しに極地を歩いているわけではないのである。20年もの極地冒険を経てきた荻田さんにとって、危険がなければ行為はありえない。だが、危険だからこそ主体的に考える。冒険は、行為者が主体的に作りだした価値観、心の内にある基準に沿ってするものである。だから、荻田さんにとって「冒険」「探検」では、自己を表すには言葉が足りないのだ。

「冒険」「探検」に替わる言葉を探して

◆そこで荻田さん、「冒険」「探検」に替わる第三の言葉をいろいろ考えてみた。どちらも「ケン」で終わるな。じゃあ、自分のやっている行為により近い「ケン」は、「?(こざとへん)」でもなく「木」でもなく何だろう。「私はね、発見したんです」。荻田さんは、ニヤリと笑みを浮かべて言った。「これね、『馬』なんです」。「経験」や「体験」で使われる「験」。例えば、「実験」は実際に試すこと。「効験」は効き目や効果を表す。「修験道」なら野山を走って修行を納めるということだ。こうした「験」に込められた「試す」「効果」「納める」といった意味を知ったとき、「めちゃくちゃ自分のやっていることに近いな」という思いを直感的に感じた。

◆まだ、何の漢字に「験」を続けるかは決まっていないのだそう。「何がいいと思います?」と、荻田さんは私たちに嬉しそうに尋ねた。翻訳できない言葉も、未知の世界も、何かを探し追い求める荻田さんはとても楽しそうに見えた。

今後の活動

◆いま、荻田さんの内には、ふたたび「大きい遠征をやりたい」という欲求がむくむく湧いてきているとのこと。まだ具体化できてはいないようだが、今後の活動に期待してしまう。本屋はというと、荻田さん自身にもこれからどうなるのか分からないそう。でも、「ちっちゃく終わらせるつもりはまったくないので」と力を込める。本屋としての「機能」に全力を注ぎ、かつ「祈り」としての役割も果たす。「機能と祈り」、それぞれの両輪をバランスよく回転させていきたい。それが、今の荻田さんの決意である。北極冒険家として、そして書店の店主として。人間らしく冒険し続ける、そんな人だった。

報告を聞いて

◆私には最近、夢ができた。南極に行きたいという夢だ。でも、狭き門で将来が心配。大学のキャリアセンターに話してみた。「ふーん、そういう学生と私は会ったことないな」で終わり。相談して後悔。でも、荻田さんの本を読み、話を聞いた。ああ、一人でも冒険ってできるんだ、していいんだと思った。◆私は理系の学生ではないし、医者でも料理人でもない。だが、社会学部の文系学生だからこそ、南極でもできることがあるのではないか。正直、今の私にはそれが何なのか、うまく自分の言葉で表すことができない。ただ、研究者や専門家ではないからこそ、見えてくる問題や発見できる魅力があると思っている。それこそが、私にしかできない「祈り」であろう。

◆では、これからどうやって、南極で活躍するための「機能」を備えていこうか。どんな道を歩んでいけばよいのか。孤独を恐れ、まだ一人悩んでいるところである。でも、私には強い味方がある。「冒険研究所書店」という冒険家のための最高の相談場所がある。一人だったとしても、未知の世界に飛び込んでいける冒険家でありたい。[杉田友華 法政大学3年]


報告者のひとこと

日本の冒険探検の「部室」のような場所として書店を

イラスト

■冒険家が書店を始めると「なぜ書店を始めたのですか?」となぜこうも質問を受けるのだろうか。という一文から始まるのが、私が書いた「書店と冒険」という小さな冊子状の本。散々尋ねられる質問への回答の書として書いたその内容に沿うように、報告会ではお話をした。極地冒険のこと、夏休みの100マイルアドベンチャー、若者たちとの北極行から書店開設に至るまで。

◆書店が開店したのが、2021年5月24日。その直後に江本さんから電話をいただいた。「荻田くん、引っ越すんだけどうちの本を全部引き取れるかい?」そうやって書店に江本さんの書棚の蔵書のすべてがやってきた。モンゴル、チベット、ヒマラヤ関係の書籍から、山岳関係、探検関係、地平線会議の関係者の書籍。そして、膨大な資料の束。それらは、半分ほどは閲覧用として書棚に収めたが、残り半分はいまだに整理されず箱に収められたまま、書店の一角を占有している。

◆報告会のときには、江本蔵書の話をする時間がなかったのだが、これは早いところ整理したいと思っている。が、如何せん一人では手が足りない。地平線会議関係の、大量の在庫書籍(年報「地平線から」、フロント集「風趣狩伝」など)も江本宅より大量に引き上げている。地平線会議のこれまでを振り返る意味でも、みなさんのお力をお借りして整理したいと思っているので、ご協力お願いします。

◆なぜ書店を始めたのか。その大きな理由の一つに、物理的に人が集まれる場を作りたいということがあった。冒険や探検をキーワードに、また本というものを媒介にして、人が不特定に集まれる場。私が若いころ、極地冒険の知識を持つ人も少なく、細い糸を辿るように経験者に話を聞きに行った日々を送っていた。いま、40代も半ばを過ぎて、私が若い人たちから相談を受けることが多くなってくると、若いころの自分が必要としたような場を作ることが、やるべきことの一つなのではないかと思っている。

◆地平線会議は、その場をずっと作ってきたと思っている。私は「冒険研究所」という場を、日本の冒険探検の「部室」のような場所として活用して欲しいと思っている。その部室の運営費用として、書店の売り上げを使っている。ぜひ皆さんも遊びに来てください。そして、本を買ってください。待ってますよ。[荻田泰永](イラスト ねこ)


冒険研究所書店で私が買った3冊

■9月の報告会は冒険家の荻田泰永氏が数年前に開業した冒険研究所書店で行われた。ここは前から気になっていて一度は訪れてみたいと思っていたのでちょうどよい機会になった。書店でトークイベントが開催されることはそれほど珍しいことではないが、地平線報告会がこのような場所で開催されるのは初めてというのは意外だった。

◆これまでの荻田氏の活動や著作物をそれなりにフォローしてきていただけに興味津々で訪れた会場は、予想に違わず、すんなりと入って落ち着けてしまう空間であった。陳列されている書籍は、新刊・古書のいずれも琴線に触れるものばかりで、大学や自宅から近ければかなりの頻度で入り浸って散財してしまうに違いない空間だと思った。講演後に会場がすいてから見渡した先に、売り物とはまったく異なるオーラを発する書棚が目にとまった。長野亮之介さんに聞いてみたら、やっぱり、ここで引き取られた「江本ライブラリ」なのであった。

◆せっかくなので何冊か買って帰ろうと選んだのが、最近出たマロリーとアーヴィンのエベレスト初登頂の謎に迫る「第三の極地」、メートルを定義するためにフランス革命期に実施された子午線の測量記録「万物の尺度を求めて」、そして地図の世界史を読み物としてまとめた「オン・ザ・マップ」の3冊。最初のは新刊でそのうち買うつもりだったが、あとの2冊は地球科学を教えているという商売柄つい手が伸びてしまった古書である。荻田氏の商売に貢献するにはそれなりにプレミア感のある古書のほうがいいだろうな、と思ったのもこの3冊の組み合わせにした理由の一つ。休憩を挟んだ後半の話で「古書の方が商売としての身入りがよいけれど選り好みして買い取ることが難しいだけに新刊のほうがやりやすい」と荻田氏が語っていたことに「あーこれでよかった」と思わず頷いてしまった。

◆さて、冒頭のところで「南極点は超楽勝」という話がでた。ずっと通っていた北極から転じて彼が南極点を目指すと言い出したときに「荻田さんならあっさり達成するだろうな」と予言したのだけれど、実際そのとおりになった。現実問題として、夏季の「南極大陸」は歩いているだけで極点に到達できるくらいの場所である。その意味で「南極点無補給単独徒歩到達」を日本人として初めて達成した、ということ自体が意外でもあった。それでも、荻田氏のこれまでの蓄積と意欲があったからこその偉業であることにかわりはない。

◆しかし、この「楽勝」な状況はあくまで「氷床上」を「夏季」に移動するからのことなのであって、凍結した南極の海を相手に厳冬期に活動するとなると、事態は荻田氏が「断然難しい」という北極の状況とまったく同じ様相を呈することになる。まさにそういう状況に置かれているのが、実は昭和基地なのである。昭和基地は約4〜5kmの幅を持つ海峡に隔てられた島の上にあって南極大陸にはない。どこに行くにも、まずは凍結した海氷の上を移動しなければならないのだ。夏季でさえ、海氷の状況に左右されて、厚い海氷や乱雑に折り重なったパックアイスに阻まれて砕氷船が昭和基地までたどり着けないことすらある。そんな昭和基地を仕切る隊長の重要な役割の一つが、常に海氷の状況を監視して越冬隊の活動に万全を期すという仕事。百戦錬磨の冒険家とうってかわって、極地の経験など素人に近い研究者やエンジニアたちを海氷上の活動へと送り出す、この精神的ストレスは相当のものであった。実のところ、フィールド担当の副官として荻田氏が居てくれたらなぁ、と隊長室で腕を組みながら思うこともしばしばだったことはここだけの秘密。

◆話はかわって、トークの後半にあった、荻田氏が理想とする本屋のイメージとして「機能と祈り」という言葉が出たことについても感想を書いておきたい。すでに荻田氏はいくつかの書き物のなかでこの言葉を繰り返されているが、それらを読んできて、そしてまた今回直接本人の口から聞くことができて、冒険家はやっぱりそこにたどり着くんだなぁ、とあらためて思わされるようになった(角幡氏が「社会システムからの逸脱」なんて言っているのも私には同じに聞こえる)。これは、地球温暖化問題の最前線を担う南極観測隊を率いる実戦部隊の責任者として、また、文明圏から遠く隔絶された極限環境下で数十人の集団を統率するという「基地長」を経験した今となって、ますますその思いを強くしていることでもある。

◆最近の社会学的な視点として「グレートアクセラレーション」という言葉が使われる。人類史上最速の変化の真っ只中に現代はあって、その先行きは予想が困難、といわれはじめている。このような時代は「人新世」と呼ぶべきで、地質学の観点からも次の時代区分に地球は突入してしまったのではないかとされている。最近人気の経済学者である斎藤幸平氏がいう「人新世の資本論」などがまさにそれで、そこでいわれているのが「使用価値」への転換だ。これと同様に「交換できるモノ」vs「かけがえのないモノ」、あるいは「商品交換」vs「贈与交換」という考え方もあり、荻田氏がいう「機能と祈り」とはまさにこの対立軸に相当すると思った。この考え方の先には、「市場」にかわる「共同体」という社会のありかたへの回帰が、「人新世」を生き抜くための主張として出てくる。そして私は、昭和基地での越冬生活はその具体的な実践者なのではないか、と思い始めている。現在所属している社会学部という大学での立ち位置や、組織運営論として観測隊を考察してきた最近の体験をした今となっては、自分の専門である地球科学から一歩引いて世の中を眺めてみるのも悪くはない。さらに、社会学者を越冬隊長にしてみるのも人類への貢献としては結構いいんじゃないか、と思ったりもしているところ。[澤柿教伸 法政大教授 前南極越冬隊長]

事前に計画しすぎないこと

■荻田さんの話が進むにつれ、一歩、さらにその先の一歩へと深く分け入っていくような内容にどんどん惹き込まれていった。それは、自分自身がうまく言葉にできなかった抽象的な感覚を明確な言葉として表現されていたからだ。

◆その中でも印象深かったのは、「事前に計画しすぎないことの面白さ」の話だ。一般的には仕事やプライベートで予め計画を立てて計画通りに実行することが良しとされている。でも計画を守ることを優先し予定を終えると、なんだかつまらなかったなと感じてしまう。思わぬ偶然や寄り道にこそ新たな発見や楽しさが含まれていると知っているからだ。荻田さんが子どもたちと行く100マイルアドベンチャーでは、予定に従いすぎずそのときの面白さや気持ちに沿って子どもたちと行動することの大切さ、得られるものへの考察があった。

◆そして、「機能と祈り」の話に深く頷いた。荻田さんが営む書店という“機能”、荻田さんだからこそできる冒険研究所書店という“祈り”の部分。品ぞろえの多い書店という機能だけの勝負ではさらに高機能なライバルへと簡単に入れ替わってしまうこと、入替不可能な独自性の部分(祈り)を全面に出しすぎると敷居が高くなり独り善がりになってしまうこと。この2つのバランスをチューニングし続けて桜ヶ丘という街の書店として果たす役割、地域に根ざす姿勢。私たちの生活や仕事にも通じる普遍性を感じた。

◆今回の荻田さんの報告会からは、いわゆる冒険の話はほとんど出てこなかった。荻田さんがなぜ書店を営むのか、そしてそのきっかけと想い、報告会を桜ヶ丘という場所で開催するに至った意味を考えさせられた報告会だった。荻田さんから発せられる言葉だからこそ深く理解できた。[塚本昌晃  福井から参加]

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