2018年7月の地平線報告会レポート


●地平線通信472より
先月の報告会から

キョロキョロマッケンジー

河村安彦

2018年8月24日 新宿区スポーツセンター

40年前の学生探検報告会

■ここに1978年12月2日から4日、法政大学で開催された全国学生探検報告会の冊子の写しがある。表紙を飾る木彫りにも見えるその像はパプアニューギニアのものだろうか。中空を見つめる瞳は、吸い込まれそうになるほどの漆黒をたたえている。プログラムの中には関野吉晴さんの「アマゾン河源流の最近の行動報告〜インディオと遺跡群〜」の文字が見え、河村安彦さんの「カナダ・マッケンジー川航下〜ファルトボートによる単独3,500余キロ〜」の報告は最終日4日のトリに控えている。

◆「今回の川旅は78年に下ったカナダのマッケンジー川を当時と同じスタート地点から下り始め、同じゴール地点までを航下したものです」と語る河村さんは獨協大学探検部出身の63歳。この夏、40年前に下ったマッケンジー川を50日かけ独りで旅をした。航行距離は3,600キロ。その間に73キロあった体重は58キロになった。

◆河村さんと地平線会議代表世話人の江本さんとの出会いは、全国学生探検報告会でマッケンジーの川旅を報告する少し前。待ち合わせ場所に持って行った川旅のことを記した日記帳を江本さんがじっくりと読んでくれたのを覚えている。これまで河村さんは78年を皮切りに81年、83年、そしてこの夏と4度マッケンジー川を旅しているのだが、まずは彼が78年12月の「全国学生探検報告会」の冊子に書いたマッケンジー川航下の主旨を以下に紹介したい。

◆『私の探検部生活の中で持ち続けたテーマ「川から見た世界」は、海外の河川に目を向けさせた。そこで単独航下の成されていない川を下り、全流域を自分の目で見ようという発想により企画した。もっとも個人では多岐に渡る調査活動には無理があり、川下りそのものに注目をおき、その付随的な結果のみを消化しようと思った。「マッケンジー川」は北米第2位の長さを誇る大河であり、正確にはピース川、アサバスカ川、スレーブ川等の大支流とグレートスレーブ湖、そして、マッケンジー川と名称が変わるのである。全長4,240キロに及ぶこの川は、カナダ内陸部森林地帯を網羅している大中小支流、そして、無数に点在する湖沼群の水を集めて北極海(ビューフォート海)に注ぐ。保留地に追われていたインディアン諸部族にとっては、豊富な水が今も彼らの生活の舞台であり、水路や湖沼間の通過は今もって手製のカヌーを使用している者もいる。(以下略)』

◆河村さんは、1978年6月12日から8月11日の約2カ月間かけてこの長大なマッケンジー川を折りたたみ式カヤックで航下し、その川旅の報告を全国学生探検報告会で行った。「学生時代の最後にどこか記念に残るような川旅をしたいなと思ったんです」と振り返る河村さんだが、アマゾン川ははじめから頭になかった。既にたくさんの人達が下っている川だったからだ。ユーコン川も下っている人がいる。「誰も下っていない川を下りたい」という想いの前に現れたのが、全長4,240キロのマッケンジー川だった。

新婚旅行もマッケンジー

◆2度目のマッケンジーは81年。今度はリヤド川の支流ムスクワ(デネ族の言葉で「熊」の意味)川のフォートネルソンから下り、途中フォートリヤド・フォートシンプソン間をエスケープ。フォートシンプソンからあらためてマッケンジー本流を下り、イヌビック到着後、西に移動し、ベルリバー、そして、ポーキュパイン川を下り、アラスカのフォートユーコンまで旅した。アラスカのフォートユーコンでは、地平線通信のイラストでお馴染みの長野亮之介画伯と合流する話があった。当時北海道大学の学生だった画伯は筏でユーコン川を下っていた。カヌーの師匠を通してお互いの存在は知っていたのだが、会ったことはない。画伯と合流するのを楽しみにしていた河村さんだったが、画伯の乗った筏は3キロ先から舵を取ったものの蛇行するユーコン川本流から離れられず、下流に流されていってしまったという。

◆83年は奥さんと新婚旅行のふたり旅。マッケンジー川のはじまるフォートプロビデンスからフォートシンプソンまでの200キロは短いけれど、とても景色の綺麗な場所だった。この時の旅は「三度目のマッケンジー・二人の河下り報告」として1983年8月、46回目の地平線報告会で報告された。

63才の挑戦

◆あれから40年。ひそかにマッケンジー川再航下を計画した河村さんはファルトボートを新調し、体力の確認のために去年の10月に栃木県の黒羽から那珂川を太平洋まで下った。その後盛岡から中尊寺まで雪の降る北上川を下り、再びマッケンジー川を下ろう、と決めたという。しかし、これを周囲に伝えたのは、出発の直前。万一行けなかったらかっこわるいという想いからだった。これまで川旅で危ない目にあったことはない。それは危ない目に合わないように行動しているからだ。

◆今回、川旅の起点として選んだのはブリテッシュ・コロンビア州のフォートセントジョン。そこから出発点であるテイラーに移動し、東に向かって流れるピース川を下った。ピース川はゆったりと蛇行し、やがて北東に向かい、グレートスレーブ湖に流れ込むスレーブ川に合流する。スレーブ川は北に向かって流れる川だ。川の水の色は茶色で、その上を白い雲が浮かんでいる。川の両脇にはトウヒの木々が立ち並ぶ。78年にはグレートスレーブ湖まで下ったのだが、今回は途中のフォートスミスからヘイリバーまでを飛行機で迂回し、そこからマッケンジー川の本流を極圏に向かってゆったりと漕いでいく。目指すのはイヌビック。北緯68度に位置する街だ。

◆マッケンジー川の良さはアプローチのしやすさにもある。川下りの起点となったフォートセントジョンには飛行場があり、バンクーバーからアクセスすることができる。そこからピース川沿いのテイラーまでタクシーで50ドル。ファルトボートを持っていけば、直ぐに川旅をはじめることができる。ファルトボートは学生時代からの旅の道具だ。ここでカヌーとカヤックの違いについてふれておくと、カヌーとは所謂オープンデッキで、かつシングルパドルのものだ。オープンデッキは荷物をたくさん積みこむことができ、のんびり漕げるのが特徴だ。ゆっくり旅する時間が取れるならば、カヌーで旅をするのがいい。一方、カヤックはクローズデッキでダブルパドルのものを言う。デッキがクローズであるため、カヌーに比べて積載量に制限がある。

◆マッケンジーではカヤックであるファルトボートを使ったため、船内に積み込むことのできない荷物はデッキの上に括り付けて旅をした。荷物の量は約1週間から2週間分。これは次の街までの距離によって決まる。デッキの上に荷物を載せると風の影響を受けやすくなるので、できれば荷物は少ない方がいい。川旅の基本は川の流れに任せることだけど流れがないところでは一生懸命漕いだ。

多くの動物たち。そして、いろんな景色を見た

◆40年前の川下りでは、上流から下流までを一生懸命に漕ぐことに費やした。長いときには1日12時間、100キロの距離を漕いだこともある。しかし、今回は「いろんな景色を見てみよう」という想いを胸にのんびり漕ぐことに専念した。そして、これまでに気付かなかったことを数多く発見した。たとえば、空だ。「空の写真はずっと見ていても飽きません」と語る河村さん。40年前はただ通り過ぎていった空の景色が今回はとても興味深かった、という。

◆毎朝、起床は4時半くらい。その後朝食を食べ、5時半くらいに出発。平均60キロほどを下り、15時半には着岸、その日のキャンプの準備をする。40年前は熊が怖かったのでできるだけ川岸に近いところにテントを張った。しかし、今回は森に近いところでキャンプをした。「この年になったら、いつ熊に食べられてもいいし」と微笑む河村さん。40年前とは違いキャンプ自体を楽しんでみようと雨が降っても毎日のように焚火をしていたという。火はずっと見ていても、見飽きることがない。

◆そんな川旅の食事は粉食か麺類を基本とし、唯一のタンパク源として保存の効くチーズを携行した。実は魚はそれほど釣れなかった。食べたのは2、3回だけだった。ときどき食パンの上にピーナツバターと潰したバナナを乗せて食べた。キャンプ地には寝室であるテントのほかにトウヒの木の枝や葉でつくったリビング、そして、キッチンを別で用意した。トウヒの葉はふかふかしているので、インディアンはフィッシュキャンプの寝床にそれを使うのだという。時々川の水で体を洗い、トイレはインド式で済ました。ただ肌を露出すると一瞬で蚊に襲われるのには辟易した。

◆そして、岸辺にはたくさんの動物がいた。コヨーテ、リンクス、ブラックベア、ジャコウウシ、カモメ、ビーバー、鹿、そして、ムース。川を泳いで渡ろうとしたムースは途中で力尽き、溺れていった。時折現れるビーバーに声をかけ驚かそうとするが、ビーバーは全く素知らぬ顔で川を泳いだ後、尻尾でポンと水面を叩き、水に潜ってしまう。川旅の途中釣り上げたパーチ科の魚は80センチほど。釣って5分で頭を落とし、はらわたを抜いた後、皮を剥き、塩とオリーブオイルで味付けしてから白樺の皮に包んで蒸し焼きにして食べた。一度見かけたリンクスは身を隠すように座りながら、テントをずっと見ていた。

◆河村さんが大学に入学したとき、獨協大学探検部は既に消滅していた。「ないものはつくろう」ということで仲間を募り、アドベンチャークラブのような探検愛好会を発足。大学の壁を登ったり、大学横の川を草加市まで下ったりした。しかし、大学を卒業すると探検愛好会はあっという間に消滅。その後獨協大学はモーターパラグライダー・エアフォトグラファーの多胡光純(てるよし)さんの登場を待つことになる。

◆「大学の後輩の多胡君はマッケンジー川を空から眺めるという新しい視点を持っています。それならば自分にとっての新しい視点とは何か。私の場合は40年という時間の変化を通しての視点だと思います」そんな川旅の中で40年前に出会った少年は今や恰幅のいいおじさんになっていた。ただ残念なことに以前のように川で生活する人の姿は見なくなった。40年前は川の傍のキャビンでムースの皮を剥いでいる場面にもよく出くわしたが、今回はそんな生活風景を見ることもできなかった。木で骨組みをつくり、キャンバスを張り合わせた手作りのカヌーもツンドラに穴を掘ってつくった天然の冷蔵庫も見かけることはなかった。

変化、変化、変化

◆ログハウスを建てる姿も同様だ。ログハウスは今や白人のための高級住宅になっていた。代わりにツーバイフォー(木造枠組壁工法)でつくられたべニア板の家が街には増えた。40年前に航下したときにはうるさく吠えられた使役犬も今はペットとして飼われている。使役犬の代わりの足はスノーモービルだ。マッケンジー川下りの終点イヌビックからタクトヤクタックまでは道もできている。道ができると人は道に依存してしまう。車さえあればどこにでも行けるからだ。狩猟にさえ車は使われている。昔は見ることもなかった車だが、今は1軒に1台以上が停まっている。キャビンは使われず、ティピーは物置と化していた。40年前の自給自足の生活の面影はもうどこにも見られない。

◆更に以前は当たり前に飲んでいた川の水を今のマッケンジー川水系に住んでいる人達は飲まなくなった。40年前、出会った少年は飲み水を頼むと川から汲んできた水をそのままくれた。今はペットボトルに入った水をくれる人もいれば、ろ過した水やタンクに貯めた消毒液のにおいのする水をくれる人もいる。川の水は今の彼らにとっては汚いのだ。確かにマッケンジー川の水は濁っている。でも、口に含んでも砂を感じることはない。タンクに貯めた水よりも美味いくらいだ。

◆ただ川の水はよく考えたら汚いのかもしれない。川ではいろんな動物の死骸を見ることが多いからだ。それでも日本の川の方が汚いと河村さんは思う。「北上川を下っているときに排水溝から湯気の出ている水が川に流れ込んでいるのが見えました。私はその川下りで水の入った1.5リットルのペットボトルを常に携帯していました。日本の川の水は飲む気がしません」

GPSより紙の地図

◆今回の旅では紙の地図が手に入らず、40年前に下ったときに使っていた100万分の1の地図を持って行った。今ではGPSが主流なので、紙の地図が手に入らないのだ。手に入るものは5万分の1、もしくは2万5千分の1のものに限られる。一方でGPSにはGPS特有の問題がある。それはバッテリーの問題だ。今はカメラもデジタルカメラで、川下りのために用意したウェラブルカメラも電池の消耗が激しい。iPhoneもしかり。どうしてもついつい見てしまい、しまいには電池がなくなってしまう。そんなデジタル機器に頼る自分を情けなくも思うが、一旦持ってしまうとそれに頼ってしまうものなのだ。

◆「GPSで場所を確認しても、見えるのは自分の周りだけなんです。自分が実際にどういう場所にいるかを把握するのは紙の地図の方が断然いい」旅の最後にイヌビックからタクトヤクタックの間の道をヒッチハイクで移動もした。以前この区間は車道がなく、人が移動するときはカナダ警察の飛行機に乗るか、郵便物を運ぶ飛行機、もしくはインディアンのカヌーに乗るしかなかった。今はその道を自転車で旅している人もいるという。

旅は、終わらない

◆幼いころのあだ名は「カッパ」。子供の頃から釣りが好きで、中学、高校になるとひとりで釣りに行くようになった。「釣りに行くときに川の脇を歩いていくんですよね。そのときに「この先には何があるんだろう」と道の先にあるものに興味を持つようになりました。今は旅をするために川を使っています。私の旅は川下り自体が目的になっています。ひとつの川を下ったら、次の川を下る、というような川を次々と変えていくようなスタイルではありません。同じ川を何度も下るのが好きですね」

◆「マッケンジーの旅は恐らく終わらないと思います。まだやり残したところが、200キロほどあります。あと数年の内にそこを下りたいです。まだ体力的には問題ないでしょう。最後に海まで行きたいですね。川を下る醍醐味は、もしそれが可能ならば水源から海までを辿る旅ができることです。そういう川下りを自分のフィールドとしてやりたいです。今更他の川に浮気する気もないので、もっと北米の川を知りたいと思います。一本の川を下った達成感よりも周りをキョロキョロ見ながら川下りする方が楽しいし、自分にとって大切なものだと気付きました」と報告会の最後に語る河村さんに「この旅で感じた一番大事だったものは何か?」という質問が飛んだ。

◆「同じ場所をいろんな時間の経過と共に振り返ると自分の人生とどうしても重なる部分が出てきます。ある意味では同じ川を下ることで自分自身を定点観測しているようなものだと思います。10年ひと昔と言いますが、それならば40年は大昔です。40年の時間の流れを本当に感じた旅でした。川はあの頃から変わってはいません。でも、一度川の周りのインフラが整備されると現地の生活は変わっていってしまいます。イヌビックからタクトヤクタックまでの道路が今年の5月に開通するまでは、現地の人は1か月に一度ボートでお酒の買い出しをしていたそうですが、今では毎週のようにイヌビックに来るようになったそうです。イヌビックのホテルでお酒を飲みながら、食事をするのが唯一の楽しみということでした。私は今見ていること、そして、今体験していることを時間が経ってからもう一度見て、体験することが何より大事なことだと思います」

◆報告会後の「北京」での二次会ではサックス奏者の長女のラジオ出演を嬉しそうに宣伝していた河村さん。初めてのマッケンジー川下りのときにまだ彼女は生まれてはいない。40年という歳月を想うとき、その月日は決して短いものではない。10月には地平線会議発足40周年記念イベントもある。人生を80年とすれば、地平線会議は今年その折り返し地点に到達したことになる。40年後は2058年。そのときあなたは何をしますか?(光菅修


報告者のひとこと

たった40年の間に起こった大きな変化に驚いた

■7月28日に帰国した。出発前に今回の計画をお知らせした江本さんに帰国の報告をしなければと連絡したところすでに8月の報告は私に決まっているという。確か出発前に8月決算なので帰国したら社業に注力しなくてはいけないとお話ししていたはずだったが、すでに決まっているとのことで焦った。決まっているのでは皆さんにご迷惑をおかけすることはできない。

◆とはいうものの約2か月強の社業のブランクを解消しつつ報告会の準備も行わなければならない。デスクワークの頭がつかれるとまずは画像の整理と折れ釘の日記を解読しながらデジタルに変換。カヤックで座り続けたけれど今度はデスクに向かって座り続けた。それでも、報告会ではなんだか尻切れトンボになった感がある。

◆報告会を終えて少し落ち着いたところで、改めて振り返ってみた。地平線会議が産声を上げた1978年、丁度その年にカナダのマッケンジー川を上流のピース川から北極圏のイヌイットの町イヌビックまでの単独川下りを行った。それは、それほど気張った計画ではなく日本の川と感覚は同じ、日本ではせいぜい2、3日の川下りだったけどその延長の旅だった。

◆だから、帰国してその年に開催された地平線会議発足のきっかけとなった「全日本学生探検報告会」で報告するとは全く思っていなかった。他の大学の探検部は意義と結果の報告をしっかりと行なっている。だけどこちらはいつもの川下りで、その時も尻切れトンボになったと記憶している。あれから40年、いまだ海外の川下りはマッケンジー水系、そんな私をこの記念すべき節目の年の報告者に呼んでいただいたことに感謝している。

◆今回の旅ではこの川とその周りで起こっている変化を実感した。しかもたった40年の間に起こった大きな変化に驚いた。インフラの整備はお金の必要な社会を作ってしまい、手っ取り早い現金収入の為に若者が都会に向かってしまう。伝統的な生活はなくなり資本家たちの思い描くマーケットへ変化してしまう。我々が抱くノスタルジックな憧れである自然とか伝統は今やなくなりマーケットの一部に編入され全てお金が中心の世の中に急速に向かっている。

◆私の会社は、10人にも満たない零細企業だ。海外から電子関連機器用のアセンブリー工具材料測定器などを輸入している。この会社もあと2年で50周年を迎える。安かろうで競争しても所詮輸入品、少しでも市場に浸透するとあっという間にイミテーションが出回ってしまう。零細企業はすぐにそんな競争に巻き込まれる。しかもネット通販は産業用機器の業界にまで広がってきている。それでもここまで続けてこれたのは、愚直に信じたものを市場に提供することを信条としてきたからだ。これは地味な活動である川下りを続けてきたことが原動力となっている。

◆川下りも長いこと続けていると様々なタイプの活動の仕方がある。競技としての川下り(スラローム/ワイルドウォーター)と、川という道を旅することがある。 しかし船の材質と操作テクニックが上がるにしたがって不可能と思われたワイルドウォーターや岩だらけのクリークを下るクリーキング、縦に回ったり飛んだりするアクロバットなど派手なそして目立つことができるようになった。パックラフトなんて言う新しい川下り? 川旅のギアなどの選択肢も増えてきた。門戸が広がったのはいいが、単なる趣味の一つとして浅く広くという感がある。川の旅という狭い世界でも長く続けることで深く追及することが私の目指す川下りだ。

◆私が携わっている仕事では地平線会議に関係する人たちとの接点は知っている限り全く皆無だ。今回の旅でも、出発前によほど迷惑をかける可能性がある人以外にはちょっとプライベートで2か月程連絡取れないとしか伝えなかった。しかし、どういう経路で情報が流されているのか!? 帰国してから会う人ごとに旅のことを聞かれる。仕事の話30分に旅の話3時間、これでは全く仕事にならないのであった。会う人ごとに休めていいよなという! でも一言いいたい、皆いろんな思いを秘めて日々過ごしていると思うけれど、今に流されているよりもエイヤーと自分の思っていることをトライしてみることの必要性を話すことにしている!(河村安彦

★大事なことはホットなうちに、というのが信条です。が、事情を知らず、急ぎの報告会を押し付けてすみませんでした。(E)

デジタル地図の危うさを語ってくれたことに共感

■久しぶりの報告会、刺激的でした。40年ぶりの報告会という、江本さんの思惑も当たったかもしれませんが、時代の変遷を河村さんの報告で、改めて感じさせられました。40年ぶりのマッケンジー川の、川下りの旅、とても楽しく聞くことができました。それぞれの人にそれぞれの生き方があり、その発露は芸術、社会貢献、政治、冒険、などに向けられるということが、その人の存在理由に大きく貢献していると思いました。

◆私の個人的な印象としては、情報の研究者として共感を得たのは、デジタル地図の危うさを語った時です。私も、山行は市販の地図か国土地理院の地理院地図のプリントアウトを使っています。スマホのデジタル地図は、ビルの林の中をうろうろするときは有効です。しかし、情報はデータとして蓄えられアドホックに必要な時に使えるという有効性を持っている反面、それを使うデジタル機器の動作環境の制約を致命的に受けることになります。

◆車での移動もカーナビを使うと帰り道もカーナビを使わざるを得ませんが、アナログの地図だったら、帰り道は道を覚えていて、大体はナビはいらずに、帰ることができます。河村さんの冒険をデジタル情報とアナログ情報の使い分けが必要になってくることを自ら実践して証明した冒険だったという視点から拝聴いたしました。(北川文夫 岡山発)



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