2017年6月の地平線報告会レポート


●地平線通信459より
先月の報告会から

ランタンの希望のひかり

貞兼綾子

澤柿教伸 樋口和生

2017年6月23日 新宿区スポーツセンター

■6時20分を過ぎて、今日の前半の報告者・澤柿教伸さん、交通整理役を引き受けてくれた先月の報告者・樋口和生さんの待つ会場へメイン報告者の貞兼綾子さんがパタゴニアの可愛いリュックを背負い息せき切って到着された。また今日も道に迷ったらしい。こんなに道に迷う人なのにヒマラヤでは我が庭とばかりに駆け回るのだから、前世はたぶんあの辺りでお生まれになったのだろう。

◆まず前半は、2015年4月25日午前11時41分に起きたM7.8のネパール・ゴルカ地震(実際にはM7.8とM7.3と2回発生)、大雪崩の学術調査とドローンの活用について澤柿さんから。澤柿さんは剣岳の麓で育ち北大で地質学を学び、専門は氷河が作る山の地形。第34次、47次、53次南極観測隊でも調査されてきた。北大山岳部では樋口さんは先輩だが、南極観測隊では澤柿さんが先輩となる。現在は法政大学で「探検と冒険ゼミ」を開いている。次世代の極地研究者を育てるプログラムに関わったりフィールドワークの入門書も作成中。

◆ゴルカ地震が起こった年、澤柿さん自身は新しい職場に移ったばかりで、さすがに、ネパールに行きたいとは言えなかった。でも雪氷研究者やランタン村に関わっている人たち、人工衛星を得意とする人たちが周りにいるので皆で「いま、ランタンに起こっていること」を調べようということになった。ちょうど貞兼さんが地震後最初のランタン谷調査から帰ってきた時だったので、その報告を中心に緊急公開シンポジウムを開いた。

◆澤柿さんが行くことは叶わなかったが、現地調査は文科省の災害時緊急科研費を使って名古屋大学の藤田耕史准教授がリーダーシップを執り行なわれた。この緊急科研費は今年3月の何人もの高校生の命が奪われた那須雪崩事故の調査にも使われていて、ランタン調査に関わったチームが今、がんばっているのだそうだ。

◆現地に行けない澤柿さんたちは人工衛星の写真を使って、ランタン村を埋めた物質の厚さの変化の解析をした。地震前、直後、半月後、6月のモンスーン直前(雨期には雲でさすがの人工衛星もお手上げなのだ)そしてモンスーン開け。その時の画像によると物質は少しづつ減少したが一夏を超えてもまだまだ残っていたことがわかった。

◆突然、画面に大きな岩が映しだされた。以前チーズ工場があった横に鎮座していた大きな石で通称「チーズ岩」。それが地震でポーンと飛んで、360m(標高差100m)離れたこの場所に来てしまったそうだ。4.4トンもある大きな石をここまで飛ばすエネルギーってどれほどのものなのだろう?

◆さて、つまるところ、雪崩の発生源は何だったのか? 地すべり学会の土の専門家、雪氷の専門家と合同で画像を見ながら議論し、最後には両方という結論となったそうだ。でも、そもそもの最初は何だったのか?ランタンリルン西側の写真が映された。地震前と後では明らかに違う。上部にあった懸垂氷河が地震後にはガサッと無くなっている。これだけの量が落ちると下の雪などもまきこんで大きな雪崩となる可能性は大きい。

◆この辺りは長年、雪氷学会が調査してきた場所なので気象ステーションがある。他国のデータも照らし合わせた表を見ると地震の起こった年の前の冬の積雪量が尋常ではないことが一目でわかる。気温は平年並みだったが100年〜500年に一度の豪雪だったのだ。地道なデータの積み重ねや発生間隔と量の解析の結果、「500年に一度」という結論が導きだされるのだという。

◆映された写真の白いところは雪や氷でランタンリルン(標高7234m)の真下にある村(標高3500m位)が、4500〜5500m付近を発生源とする雪崩らしきものに襲われて完全に埋まってしまった。それは谷の対岸にまで達していたそうだ。雪崩の前後で増えているもの(多いところで深さ30m)は地表面温度も計測できる人工衛星での調査の結果、「冷たいもの」だということがわかった。写真では土か石のように見えるけれども、それは氷だったり、土砂の中に氷が入っていたり。谷底の川は流れつづけていたので、堰止湖ができなかったことだけは不幸中の幸いだったそうだ。対岸の木は堆積物はないので爆風でなぎ倒されたことが推測される。

◆2017年5月22日、名古屋大と法政大は気象データの解析から豪雪に着目した「ネパール2015ゴルカ地震によって引き起こされたランタン村の大なだれの被害は、冬季の異常積雪で増幅された」というプレスリリースを出した。

◆実際にはゴルカ地震とはどういうものだったのか。カトマンズの被害の写真や18名が亡くなったエベレストB.Cの雪崩動画を見せてくれたが、ランタン村の雪崩はこれとは桁違いの大きさだったという。極めつけはカトマンズ市内の様子が俯瞰してわかるドローン映像。YouTubeにアップされるドローン映像から3Dで形が復元できるのだという。

◆ゴルカ地震が起こった時に澤柿さんは、自然地理、雪氷学を専門としている自分に何か出来ることはないだろうか? でも現地には行けない。とにかくできることからやろう! 人工衛星の解析・地震発生事由の解説・発生箇所の推定など出来るかもしれないと、いてもたってもいられない気持ちでとりかかった。

◆アメリカでは災害時の調査のために人工衛星画像を無償提供するというシステムがあるので、さっそく申請して提供してもらった。また、アリゾナ大の教授の呼びかけで9か国50人以上(名古屋大の4名はチョーオユーとエベレスト担当)がネパール全土の被害調査に参加した。地すべり、堰止湖、氷河湖等のデータベース化は1年で終え発表された。名古屋大の4名のうちの2名はネパールからの留学生だという。この地震でカトマンズ周辺はもち上がり、山の方は沈んだ。その結果4300箇所もの地すべりがあったことがわかった。

◆ランタン被害の第一報はBBCのニュース。被害がどれだけ大きかったかがわかる。大阪市立大がこのときに登っていたランタンリの写真でもやはり頂上の形状の変化が確認できた。名古屋の会社、PRODRONEが高地調査に対応できるドローンを3機を無償貸与してくれ、くまなくランタン谷を撮影して堆積物を測ることができた。

◆「研究者は正確にと時間をかけてしまうんです」と澤柿さんは言う。けれども村の人々は一刻も早くランタン谷へ戻りたい。そのためには安全な居住地をみつけることが最重要課題で、これまでの調査をもとにハザードマップを作った。待ちに待ったハザードマップ、実際に作ってみると、もともと住んでいた場所自体が危険な場所だったことがわかったのだという。

◆貞兼さんによると、居住地、耕作地、放牧地を含め最適な場所が見つかったと思ったら国立公園だったり、村人が希望する候補地が安全とはいえない場所であったり、また、国際NGO・OM Nepalの支援で建てている仮設住宅がだんだん氷と土砂が混じった堆積物に近づいてきたりと、居住地の問題は非常にデリケートな問題なのだそう。新しいハザードマップが待たれるところである。堆積物が全部解けるには10年〜30年はかかるという。

◆今回で4度目の報告会登場となる貞兼さん。そのうち2回がゴルカ地震後になる。貞兼さんが初めて訪れた1975年に国立公園になったランタン谷は80年代には世界的なエコツーリズムムーブメントの中で全村移転の憂き目に遭いそうになった。そこで、貞兼さんに助けを求めたことがランタンプランの立ち上げのきっかけだ。調査研究のために村を訪れる科学者たちはいつも人の住まない氷や空や雲ばかりみている。でも、その研究が村人に何かの形で還元されなくてはいけないんじゃないかと、貞兼さんは常々思っていたそうだ。

◆1987年には自然科学者たちや樋口さんの協力を得て、水力発電に成功! 村に初めて灯ったあかりを見て「バターランプが108つあるよりも明るい」と村人は喜んだ。95年、98年には日本大使館の草の根無償援助を得て、公民館に明かりを灯し、夜は識字学校や環境教育を行なった。村の人々は毎晩、貞兼さんが出てくるのを待ち構えていたそうだ。その後、日本から専門家を招きチーズ工房やパン工房が建てられ、世界中のトレッカーたちにも喜ばれていた。

◆地震前のそんなランタン村の写真を見て「これはチェンガです。彼は亡くなりました。」「これは〇〇で……」村人が映るたびに一人ひとりの説明をする貞兼さん。頭の中にはほぼ全員のプロフィールがインプットされているのだ。それは貞兼さん自身の喜びや悲しみと幾重にも重なっているようにも思える。

◆科学者のネットワークを活かしてランタンプランは30年も続いてきた。そこに地震が起こった。「突発災害予算はどの地域に使っても良かったけれど、この関係があったからこそ科学者たちは『ランタンへ』というリクエストに応えたわけです。」貞兼さんを暖かくフォローするように樋口さんがまとめてくれた。

◆今年も3月8日から約2か月ほど、ランタン谷で活動してきた貞兼さんの主なミッションはゴタルー(gothalo 牧畜専従者)の支援とキャンチェン・ゴンパ(寺)の再建。地震後、カトマンズのイエローゴンパやその周辺に避難していた村人は今年の2月に全員が帰村できた。そこで、心を澄ましてゴタルーたちの声を聴いてみると「人に対しての見舞金というのはあるのに家畜にはない」ということに気づき、ゾモをゴタルーのもとに買い戻そうと考えたという。「対話が大事」という貞兼さん。今回はゴタルーにインタビューもしてきたので、いつかまとめたいという。

◆樋口さん率いる第57次南極越冬隊が購入してくれた57着のゾモTの支援金で購入したゾモには、隊員がランタンに行った時に自分が贈ったゾモだと判るようにと「メト(花)」という可愛らしい名前が付けられたそうだ。

◆キャンチェン・ゴンパの再建は、ランタンプランが施主となり、貞兼さん滞在中に高僧を招いて儀式を執り行い、仏様に一時他の場所に移っていただくというところから始まった。再建委員会の会議の机の上には250万ルピー(約300万円)もの現ナマの写真が! 村人総出で3日がかりで解体し、寺大工、石工、木工の職人50〜60人を集めて昔ながらの寺の復元を目指し現在作業中。8月末の竣工予定。

◆いままで、ランタンプランが主体で彼らを支援してきたけれども、地震を経験して、主体は彼らでこちらは彼らのすることをサポートするという形に変わってきた。それは彼らがこの30年に学んだことを蓄積して実践する実力をつけたということに他ならないそうだ。ランタンの未来は少しづつ明るい方へ向かっているのだ。

◆「かわいそう……ではなくて、社会のバックグラウンドを知ってもらいたいのです。そして、ぜひ、ランタンへ出かけてください。それが彼らへの励ましとなるのです」村でいちばん顔が広いランタンワ(=ランタン人)、貞兼さんは言う。

◆最後に1961年のランタン・リルンの遭難(3人が死亡したヒマラヤでの日本人登山隊初の遭難事故)の大阪市立大のメモリアルプレートは無事だったことと、貞兼さん滞在中にランタンを訪れた次世代の架け橋となるであろう学生が紹介された。ゾモ普及協会には今日(6月30日)新潟大学山岳環境研究室からゾモT 9枚の注文があった。4〜5月のランタンでの氷河調査の際に貞兼さんにお世話になったという。村でいちばん顔が広いランタンワは誰に対してもwelcomeなのである。こうやってまたひとり、貞兼綾子という人に魅せられていく。

◆地平線の次世代代表、滝本柚妃ちゃんからの質問は「自分の家よりもお寺を優先的に再建するなんて、お寺はどれだけ大事なんですか?」には「心が空っぽで、まず祈るところがほしかったのです」。村人と同じように心が空っぽになった人の言葉は深かった。(田中明美


報告者のひとこと

ご支援に心から感謝

 2015年4月25日に発生したネパール大地震でヒマラヤの小さな村が壊滅的な被害を受け、いてもたってもいられず現地へ飛んだのは、その1ヶ月後でした。地球創生期のカオスに放り出されたような村の有りさまに言葉にならない衝撃を受けました。このデブリの下にみんなが閉じこめられているのだと思うと、泣き叫ぶことしかできません。

 このランタン村の震災の現状と復興へのお手伝いについて、地平線会議で報告の機会をいただいたのが、帰国後の8月28日でした。

 今考えると、地震発生からこの最初の報告会までの4ヶ月間に整えられた日本のバックアップ態勢の素早さに驚きを禁じ得ません。一つは私を送り出すランタンプランの再結成、二つ目はゾモ普及協会の立ち上げ(最初の報告会の時にゾモTシャツの販売を間に合わせた)、そして日本の山岳主要6団体の対応。そしてこれらの組織を介してのご支援の輪は北海道から沖縄まで広がっていました。ヒマラヤがつないでくれたご縁というほかありません。

 もう一つ加えると、私の現地での活動が比較的スムーズに運んだのは、LMRC(ランタン復興運営委員会)の親身で固い連携態勢に支えられていたからだと思います。この6月、私の帰国後にネパールの統一地方選挙が20年ぶりに実施され、4人の村会議役員が選出されました。これからはテンバたちのLMRCに代わって彼らが村の再建にあたります。

 最後に地平線会議のみなさまからのご支援に心から感謝もうしあげます。貞兼綾子(ランタンプラン・代表)

助さん、格さんとして

■はからずも5月の報告会に引き続いての参加となりました。しかも今回は報告者として参加することになり大変光栄に思っています。地平線通信458号の「今月の窓」にも書かせていただいたとおり、話を聞きに行きたいと常々思っていた報告会に引っ張り出されることになったのは、貞兼綾子さんからの要請によるものでした。

◆5月の報告会に向かう前に、ランタン村から帰国されたばかりの貞兼さんと西早稲田駅の喫茶店で待ち合わせて、報告会をどうするかという、打ち合わせとも雑談ともつかない話を2時間ばかりしましたが、それが今月の報告者となる前振りだったとは、露も思っていませんでした。

◆丁度この5月末に、ランタン村を壊滅させた崩落物の正体とその発生原因をつきとめた論文が公開となり、そのことを名古屋大学と法政大学からプレスリリースしたところでしたので、その内容を一般向けに解説するつもりで話をすればなんとかなるだろう、ということで準備を進めてきました。しかしなんといっても主役はあくまで貞兼さん。図らずも進行役の長野さんから「助さん・格さん」と例えていただいたように、御老公の介助・引き立て役としての登壇、と考えていました。結局はかなりの時間お話しすることをお許しいただき、また、大勢の聴衆の方々に真剣に聞き入っていただいて、地平線報告会のポテンシャルの高さを実感したところです。

◆最後に、今回お話させていただいた内容は、名古屋大学の藤田耕史准教授が中心となってまとめられた成果で、欧州地球科学連合の科学誌「Natural Hazards and Earth System Sciences Vol.17」において2017年5月22日に出版された論文「Anomalous winter-snow-amplified earthquake-induced disaster of the 2015 Langtang avalanche in Nepal.」に基づくものであることを申し添えます。(澤柿教伸


7月の報告会を聞いて思ったこと

■僕は昨年の文化祭で、ユニセフの活動について調べて発表した。今回の報告会では、支援のあり方、また支援の具体的な方法などを拝聴でき、とてもためになった。特に、お金で支援するよりもその現場に行き、村人達のサポートをするのが大切だという話が心に残った。

◆東日本大震災の時には、僕はまだ幼稚園だったが「世界の終わりだ」と言うほどの揺れも、その後の津波の悲惨なニュースも覚えている。ネパールの大地震によって失われた命と、村人の生活を思うと心が痛む。村人に支援し続けるのは簡単なことではないし、お金もいくらあっても足りないだろう。だから、村人に出来ることを教えたり、今までやってきた事をサポートしつつ村を作り直すお手伝いをする事が大切なのただと僕は感じた。

◆なぜなら、村の復興は村人達自身でやっていかなければならないから。ランタン村では悲しさを乗り越えて、新しい村づくりが始まっている。そんな村人のためにも、誰もが幸せになれる村になってほしいと僕は思う。(長岡祥太郎 小6)


to Home to Hokokukai
Jump to Home
Top of this Section