2016年4月の地平線報告会レポート


●地平線通信445より
先月の報告会から

ゴルジュの楽園

宮城公博

2016年4月22日 新宿区スポーツセンター

サブカルスーパークライマー 宮城公博

■とうとうきたか……栄えある444回目の報告者である宮城公博クンの話は、江本さんがよく言う「報告すべきタイミング」で、しかも極上の時が巡ってきた中での報告だったと思う。なぜならば、スライドをまじえて紹介してくれたとんでもない登攀「黒部横断ゴールデンピラー」の直後であること、初めての著書『外道クライマー』が3月に上梓され彼の人気がうなぎのぼりで高まりつつあること、そして、こんなことをやり続けている彼が生きて自ら語れること……それらがドンピシャにはまったタイミングだったからだ。2年前は、こんなタイミングが巡ってくることをまわりも、本人も想像していなかったと思うのだ。

◆宮城クンはまたの名を“舐め太郎”といい、インターネットでは“セクシー登山部”というブログに“韓国エステとウインタークライミングの融合”という副題までつけて自身の山行記録などを発表してきた。名前も内容も実に破廉恥で、エロ本ばりのいやらしい表現や、雪山で撮影したビキニの女性の映像までてんこ盛りで(実際はビキニの女装趣味の男性の映像、なのだが)、雪山でのトレーニングである「雪上訓練(せつじょうくんれん……ときにせっくんと呼ぶ)」をわざわざカタカナで“セックン”と表現し、おいおい、どこまで人の下劣な関心を煽ろうとしているんだよ、というほどのエロモード満載の山ブログを展開していた。発見したばかりのころは、まあ、若さだけが取り柄の、自己顕示欲にまみれた人なんだろうなと思ったものだ。

◆しかし、彼のブログの文章を読むと、その登山の記録は興味を引くものだった。表現も巧みで、むむっとうなってしまう表現が随所に散見されてついつい引き込まれてしまう。ちょっと哲学的で思索的で、もっと彼の文章を読んでやってもいいかもな(上から目線)……と思い始めていたちょうどそのころ、私は宮城クンから直接のアプローチを受けたのだった。「今度、女子と一緒に山へ行くので一緒に行きませんか」というもので、山をはじめて数ヶ月だけれどモチベーションの高い女子を連れて冬の錫状岳を登りに行くので、一緒に行こう、ついてはテント泊の技術について彼女に教えてほしいというものだった。冬の錫状岳といえば、それなりの経験があるアルパインクライマーが通うエリアであり、そこに初心者の女子を連れて行くという発想に度肝を抜かれたが、基本的に面白がりの私は、二つ返事で行くことが決まった。

◆はたして初対面の宮城クンの印象は「常識的なふつうの人」。降り積もる雪をラッセルしながら岩場までのアプローチでも、それなりに話しが盛り上がり、話のツボも共有できそうで、それまでもっていた変態のイメージは払拭されることとなった。自己顕示欲もうるさいというほどではなく、むしろフツーの若い男と比べれば自制が効いて落ち着きさえ感じるほどだった。年は違うが、まあ、肩の凝らない、どちらかというと気の合う友達になれそうだな、というのが第一印象となった。

◆報告会でもハナシがあったが、宮城クンは、サブカルおたくからアルパインクライミングの世界に入るという、めずらしい経歴を持つ。山をはじめたきっかけは自主映画を撮るためで、そこで山登りそのものに「何かある」と直感し、独学で山を学んできたという。サブカルチャーの定義とは「社会で支配的な文化の中で異なった行動をし、しばしば独自の信条を持つ人々の独特な文化」であり上位文化に対しての下位文化と位置づけられるらしい……。そもそもサブカルチャーには既存のヒエラルキーに対する批判という視点が存在している。そう考えると、いまの宮城クンの立ち位置がよく理解できる、と思う。

◆登山の世界は、ブルジョアの遊びであるという歴史の上に成り立っている。「外道クライマー」の解説に探検家であり作家の角幡唯介くんが見事な冒険論を展開しているように、そこには敢然たるヒエラルキーが存在していて、宮城クンはあえてそれを暴くような言動を繰り返す。それは単に自分を安全圏に置いたまま批判するだけではなく、登山を韓国エステと融合してみたり、裸で凍った滝に挑んでみたり、眉間に皺を寄せたくなるような下劣な事柄と登山をかけあわせ、自らその場に自分を立たせることで、あんたたちのやっている上品をみせかけた登山とはしょせんその程度じゃないんですかとでも言いたげに、ヒエラルキーを崩そうと挑んでくるのだ。

◆ただ、宮城クンが特異なのは、ヒエラルキー批判というちょっと威勢のいい若者であればだれでも思いつきそうな枠を超えて、一歩踏み込んで、登山界がヒエラルキーに絡めとられているうちに失いつつあったその核心…創造性や冒険性の追求という王道を体現し、命がかかるようなぎりぎりの現場に身を置いていることだ。『外道クライマー』にも詳しく書かれているが、冬の称名滝などの登攀は、当時だれも手をつけていなかったという意味で創造的で、命がかかるという意味で冒険的で、彼はそんな登攀をいくつも成し遂げ、ヒエラルキーに縛られ本質を見失いつつある登山界が抱える命題に対し真っ向からドヤ顔を向けているように見える。

◆しかし、これらの登攀が成し遂げられたのは、宮城クンの実力もさることながら、ともにロープを組むパートナーである、世界の佐藤裕介らの存在が大きい。実際、称名滝の冬期登攀や台湾のチャーカンシー、黒部横断ゴールデンピラーの発案は、パートナーたちによるものだ。しかし、社会的な意味で冒険を位置づける感覚は、おそらくだれよりも相対的に物事をとらえるバランス感覚のある宮城クンにかなわないのではないかと思う。

◆逮捕されて大問題となった、那智の滝の登攀劇を知ったとき、社会的に「やってしまった」ことを事前に想定し理解していたのは、宮城クンだけだったろうな、と思った。クライマーとしての純度の高い佐藤裕介くんや大西良治さんは、登攀への情熱が先行しすぎて、ここまでの社会的なインパクトを想定していなかっただろうと思う。宮城クンは、アルパインクライミングというニッチな世界とサブカルチャーという大衆文化をひとりの人間の中に同居させることのできるバランス感覚と、それを一般化し言語化できる表現力を併せ持つ、とても稀有な存在であり表現者だと思う。

◆それにしても、今回の報告会では、改めて宮城クンの現状把握能力やバランス感覚に気づかされた。というのも、報告会ではまず2014年のパキスタンカラコルムのK6遠征の写真から紹介をはじめたからだ。パキスタンの鋭い光に映し出された映像は美しく、迫力がある。仲間2人とルートの核心部は抜けたものの天候悪化で敗退した遠征だったが、語る内容は「大きな壁と同じようにふもとの小さな石などボルダーにも登って楽しむんです」「海外の壁はスケールが大きいけれど日本の壁とやることはかわらないんです」「こういう海外の壁は日本で登りこむことと生活技術があればできるんです」「登るより氷の壁を削って寝床を作る方がたいへんなんです」など、キャッチーな写真を見せながらも日本の登山とさほどかわらないことを端々に入れて話す。

◆そして、「若手クライマーの死亡率の高さ」や「自分も良くいままで生きてこれた」などアルパインクライミングは死に近い行為であること、死なないためには「登る技術とともに生活技術、これをやったら死ぬなという臭覚のようなもの、下りる技術」が必要であり、そのうえで「より高く、より困難で、だれもやっていないことを目指す」。それが、アルパインクライミングなのだと説明する。それを前提として説明したうえで、「本当は黒部のハナシだけしたかったのだけど、写真がしょぼいので」と黒部横断ゴールデンピラーの写真に移る。

◆黒部横断ゴールデンピラーとは、2016年2月3日から3月2日、32日間をかけ、佐藤裕介、伊藤仰二らとともに行った登山で、その内容は、長野側の赤岩尾根から鹿島槍を経由し、牛首尾根を下り十字峡を徒渉、トサカ尾根末端壁(劔沢大滝左ゴールデンピラー)を冬季初登、黒部別山北尾根、真砂尾根、別山尾根から劔岳に登頂し、32日目に早月尾根下山というもの。「岩と氷というヨーロッパの風土と異なる日本において、最も厳しい状況は何かといえば他の国に見られないほどの豪雪」。そこで、最も厳しい時期を選んで、長野側から富山へと抜ける豪雪地をつなげ、かつ、その中心部に位置する未踏の壁を登攀する計画がこの登山だった。

◆ひとり35〜40kg背負っての入山。「はじめから待機することを想定しているので、食糧はハムやチーズ、ラードを多めに持参し充実していた」。核心のゴールデンピラー手前では、天候と積雪の安定を待つため19日間雪洞で過ごす。「晴れても積雪が安定するまで待機しなければならなかった。外でラジオ体操したり、テント内ではフォーメーションCという合理的な過ごし方を編み出したり、お互いをマッサージしたり、ネットで気象情報を入手したりして過ごした」。

◆そして22日目十中八九だめでしょと思いながらもゴールデンピラーに近づき状況を見て登攀を成功させた。「K6からの下山でかかった時間は半日、今回の中心部である黒部別山から逃げようとしたら富山側でも長野側でも1週間はかかる。K6より黒部の方が充実した」という。「装備は熱に弱い6.5mmダイニーマを使うなどギリギリの選択をした」「マニュアルに書いてあった、じゃなく、この壁に登るには何が必要かと合理的に考えた結果の選択だった」。

◆冬にそんなとんでもない山行を成功させた宮城クン、夏は沢のゴルジュ登攀を中心に活動する。「山は下から状況を観察できるけれど、ゴルジュはそこに行くまで状況がわからないので総合的な技術とともに本能で物事を感じる能力が必要になる。世界には踏破されていないゴルジュが無数にあり、地底や海底や火星と並んで人類としての未知がまだ残っている」。「暇があればグーグルアースで世界中のゴルジュを探してます」。

◆そういえば「おれファッションにも関心が高いんです」とナナメから物をいう宮城クンは、山ファッションにおいても一家言あるらしい。「山の世界に山スカートを広めた四角友里さんはパンクですよ。ファッションに詳しい俺にはそれがわかるんです」。宮城クン曰く、山ではファッションにおいてもヒエラルキーが存在しており、四角さんは山スカートやあたらしいスタイルを提案しそれらを壊し揺さぶろうとしているというのだ……。

◆しかし、そんなファッションフリークを自任する彼の報告会当日のいでたちは、垢の染み付いた薄汚れたクライミングジャケットにタオルを首から下げ、ひげは伸び、どうみてもレゲエのお兄さんか土方の仕事帰りですかと聞きたくなるような小汚いスタイルだった。まあ、これも、ファッションに関心が高い彼である以上は、計算しつくしたのちの、おれの立ち位置みたいなものの表現……だよね。きっと。(恩田真砂美


報告者のひとこと

遊びとして終わりのない深いもの

■2時間半は意外と短いとは聞いていましたが、本当に短い。話したかった部分の核心部がまるで喋れなかったので不本意かつ、来て頂いた人に申し訳なかったなぁと……。

◆ゴルジュ突破とアルパインは文化としてますます先細ってます。もう先細り過ぎて針の先端が見えなくなるぐらい先細っているのですが、その芯の部分は今も昔も変わらず存在し続けています。それは山をエゴイスティックな表現行為と自覚して自然と向き合い続けることです。間違えても間違わなくても死ぬかもしれないのですから、山に対してどこまで主体的でいられるかということが、覚悟を自分の責任にできるかどうかを左右します。

◆マナスル初登頂のように登山が国威発揚の意義を持っていた時代ならヒーローになれたであろうクライマーが僕の周りにいくらかぶらついています。それは不遇であると同時に、何も背負わされないことで自由を約束されています。誰かのため、なんていうような余分な装飾を抜きにして、欲望に忠実に歩める今は、クライマーにとっては幸福な時代なのかもしれません。

◆シリアスな場面、笑えるほど滑稽な場面、非日常の依存性、想定の範囲外から襲ってくる猛威に対して、深く自分を見つめながら生きるということに向かい可能性を取捨選択するというゲームが登山であり、そこに探検というものを付け加えるとゴルジュ的になり、スポーツ性を見出すとアルパインっぽくなり、自然崇拝をつけると黒部的になりますね。とはいえ、どれも安易にカテゴライズできるような代物ではなく、遊びとして終わりのない深いものです。(宮城公博


めっちゃリスクの高い行為、早死にしないで生きのびてくれ!

■宮城公博さんの話のうまさわかりやすさおもしろさが、もしかしたら行為そのもののスゴさを見えにくくしちゃってないかなと思った。今のペースで進んでゆけば、そう遠くないうちに死んじゃうな……。有能な若手クライマーに対してそのような言い方は失礼きわまりないことは百も承知だけれど。 宮城さんの取り組んでいるようなアルパインクライミングがどのようなものか少し説明したほうがいいと思う。

◆不確定要素と理不尽を積み木のように積み上げた危うい世界。最新の装備で身をかため、充分な体力トレーニングを積み、たしかな技術を磨き、あらゆる科学技術を駆使して気象データを集めたところで、失敗するときは失敗するし死ぬときは死ぬ。 長い時間をかけてコツコツと精進をつづけてゆけばやがて血となり肉となるだの、死ぬ気になってことにあたるならば道はかならず開けるだの、そんな安っぽいサクセス・ストーリーとは次元がちがう。

◆報告会の会場で写されたカラコルムの山での記念撮影の写真だが、3人のうちの1人は昨秋にソロでヒマラヤの氷壁に向かい行方不明になっている。 余談になるがわたしが二十代のころに席を置いていた同人・登攀クラブ蒼氷は会員数は数名だったが、平均すると1年に1人ずつ山に消えていった。たしか創立10年めで山での死者がちょうど10人だったと思う。山で死んだら一人前なんて冗談半分でいっていたけれど、本気で取り組むとはそういうことでもあった。

◆さらに余計な一言をいわせてもらうならば、我が山岳会、山岳部は創設いらい山での事故死はゼロですと言っているところは、創設いらい活動らしい活動をしていない、あるいはやった気になっているだけともいえる。挑戦をやめるか死ぬか。それが真摯に追求する人の運命。そうした意味では、闘牛や最前線を撮影する戦場カメラマンの世界にも似ている。自殺が目的で行っているのではもちろんない。より厳しくより困難な状況にあえて身を置き、そこから生へ生へと安全圏に向かって脱出してゆく。 宮城さんが取り組んでいるのは、まさにそういう神の領域における行為なのだ。

◆登れて反骨精神旺盛で表現力に長けている若手クライマーの存在は、すっかりエンタメ化してしまった昨今の登山界では貴重だ。目立っている人の多くが登れずマニュアルどおりのことしかしゃべらず。 宮城公博さんのキャラは、登山界においてもはや絶滅危惧動物に近い。だから早死にしないで生きのびてくれ! そして毒舌辛口によりいっそう磨きをかけて、登山界でゴロゴロしとる根性の腐った輩をバッサバッサ斬ってくれ!!(田中幹也


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