2014年9月の地平線報告会レポート


●地平線通信426より
先月の報告会から

未来のルーツを歩く

森田靖郎

2013年9月26日  榎町地域センター

 「ジムで鍛えている」という締った体つきで登場した森田さんは、報告会の10日前にヨーロッパから帰国したばかりでまだ本調子ではない気配。「眠くて思考がまとまらないんだけど……」といいつつ、「35年前の僕はようやく物書き1本でやろうと決めたばかりの駆け出しで、当時は”カンボコ”の時代でした」と口火をきった。’79年にスタートした地平線報告会の第一回開催日が、今回の報告会と2日違いの9月28日であることを踏まえた枕話だ。“カンボコ”とは、感動と挫折(ボコボコ)を表す造語。取材で知る未知の世界に感動し、それを表現する難しさに凹む。情報源の乏しい時代、カンとボコの落差は今より激しかった。その凹凸の狭間で揉まれ、情報に接する森田さんの独特な勘が磨かれたのかもしれない。

 森田靖郎さんは地平線会議発起人の一人。南米、中国などを始め「多分人生の半分は」世界中を旅しながら、世の中で起きている事象の“本質”を探り、数多くのルポルタージュや小説の形で発表してきた。「出来事の表層を追うつもりはない。何か気に掛かると、直感に従ってゆっくり調べ、現場にこだわり、人に会って話を聞いて行くうちに、だんだん深層にもぐり、奥に横たわる大きな流れに辿り着くのが僕のやり方」と森田さんは言う。

 3.11以降、森田さんの直感のアンテナに触れたのはエネルギー問題だ。いち早く脱原発を宣言したドイツの倫理感が気になった。なぜ火元の日本ができない決断が、北方のゲルマン民族の国で支持されたのか? ドイツに長期滞在し、釣りをしながら人々と語り合う中で幾度も耳にしたのは「森に行けば分かる」と言う言葉だった。

 古来栄えたあらゆる文明でエネルギーの確保は最重要課題だ。中でも一番重要な熱源、すなわち火を作り出す木を、最大に蓄積するのが森だ。それだけではなく、衣食住に関わるすべての恵みを与え、そこに依存するあらゆる生命を育む森は、ヒトの理解を越えた偉大なる《存在》だった。森の神秘に対する探究心は宗教を生み、哲学を育て、文明を育んだ。

 森田さんは異国の森で、過去の人達が残した畏敬の念の痕跡を目にする。教会や祈祷場の跡だったり、「アジール(聖域/権力の及ばない特別な場)」の名残などだ。それは日本文化に深く根ざす「結界(神聖な場)」の存在に似ていた。古くから森には結界が作られ、しめ縄や山門や鳥居、石畳などで俗世間と隔てられた。祠や神社もしかり。後に成立した日本仏教宗派には拠点を「総本山」と呼び、山すなわち森と深く結びついている例も少なくない。

 「森田家は比叡山を抱く天台宗だったので、仏教は森から生まれたという感覚も自然に持ってました」と森田さん。天台宗のはずの森田さんの母上はロシア正教の洗礼を受けており、異なった宗教の出会いが新たな文明を生むかも?と興味を持ったそうだ。

 原発に対する当面の判断は違うものの、日本とドイツ両国には、かつて同じように自然を崇拝する文明があった事が伺えた。その文明はどうなったのか。「文明には賞味期限があるのでは?」と考えた森田さんは《文明周期説》という学説に行き当たる。「ざっくり言えば、大きな文明のトレンドは1600年周期くらいで入れ替わるという説」と森田さんは説明する。

 「今のトレンドはアメリカに代表される西洋文明(便宜的にアメリカ文明と呼ぶ)。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教など、砂漠で生まれた一神教を基盤にし、自然を人間の対立項と位置づける文明です。今それが経済的にも思想的にも行き詰まっている。相次ぐ天変地異など環境の変化に対応しきれないのも、文明の内部崩壊の兆候かもしれない。アメリカ文明の賞味期限は21世紀に終わるという説も」と森田さん。私達は20世紀から21世紀への《世紀またぎ》を経験した。その上、もしかすると《文明またぎ》を経験できるかもしれない。では次の数百年を担う文明は何だろう? そのヒントは、各地の森に残された前の文明の痕跡に有るのでは?

 ポスト・アメリカ文明を探る森田さんの旅は、その原風景ともいうべき米カリフォルニア州のレッド・ウッドの森歩きから始まった。ちょうど国民皆保険制度案を巡る国会紛糾でアメリカの国家予算が麻痺していた時期だ。その影響で旅が滞る中、森田さんの思考はアメリカ社会の考察に及んだ。《社会保障は個人の責任。割り勘で人の分まで負担などしたくない》という考え方はアメリカの文化を規定するフロンティア精神に基づくと分析する。個人主義と言えば聞こえはいいが、利他に価値を置かない考え方だ。

 対照的なのは、自然と共存し、小集団の共益を重視した先住民の文化。それを一掃して新たに作り上げた社会では、力の強いものがより多く取る事が無条件の正義だった。新天地が提供するささやかな再生可能資源にはあまり目を向けず、外から資源を持ち込む。爆発的なエネルギーを内包した化石資源を獲得してからはこの傾向に拍車がかかった。消費を前提にした資源使い捨て経済圏の拡大が最優先事項となり、人はローンというバーチャルな金融商品を抱えた《消費者》に矮小化され、化石資源と市場を確保するために際限なく軍事費が膨張する。「フロンティア精神が、アメリカン・ドリームを喰ってるわけです」と森田さんは表現した。

 では、プレ・アメリカ文明の名残はどこにあるのか?「今のヨーロッパ文明の源になった古代ギリシア時代には人間重視の文明があった。人々は多様な神が共存するおおらかな宇宙観を持ち、小さい事はいい事だと考え、経済圏の膨張を望まなかった」と森田さん。オークを聖なる木として崇め、自然への畏敬の念を忘れなかったという。しかし続くローマ帝国は拡大した領土を治めるためにキリスト教を導入する。リーダーを権威づけるのに唯一神の存在は都合が良かった。それが今から約1600年前の事だ。

 折悪しく地球は寒冷期に入る。森に向けられていた畏敬の念が神に集約されると、森は単なる《資源》として《消費》する対象になった。人口圧力が少ない時代とはいえ、数世紀に渡る乱伐は野生動物の減少を招き、天敵の減ったネズミが数を増やし、やがては中世のペスト大流行につながる遠因ともなったと森田さんは指摘する。もちろん歴史的にはもっと複雑な要因が絡むはずだが、話はジェットコースターのようにドラマティックに展開する。プロテスタントの誕生、十字軍の遠征、そして東西文明の交流からルネサンス、現代へと話は加速。この間、文明をリードする主体の変化や過去の再評価はあったが、大きい事はいい事だという拡大主義の流れは変わらなかった。アメリカに次いで現代のギリシア、ローマを歩いた森田さんの目に映ったのは、中・近世の遺構ばかり。「ローマ時代のアジールにいってみたけど、オークは無くて、修道院などに変わってました」。古代ギリシア文明の名残はオークの森と共に消えていた。

 「ここで僕の旅はちょっと行き詰まったんです」と森田さんは告白する。「文明の背中を探しに行ったつもりなのに、尻尾すら掴めなかった」。ただ、森田さんの勘は、古代ギリシア文明を構成する要素の何かが次の文明のヒントだと示唆していた。では次の文明を担うリード役は誰なのか? 「東西の文明が交代すると考えると、中国が有力候補。でもやっぱり違う」と森田さん。

 「今の中国は日本以上に資本主義にどっぷり浸かっている。共産党高級幹部の子弟はアメリカのエスタブリッシュメントが通う学校で資本主義帝王学を学んでいるのが実態」と明かす。世界中に広がる中国コネクションの中で流通するウラ資金は460兆円とも。「ただし、共産中国以前のシナ文明は自然環境に学んでいた。道教や儒教などの奥深い自然主義哲学を生んでいる。大陸で生まれたこれらの思想に一番影響を受け、今も継いでいるのが日本なんです」。

 8〜9世紀、地球は再び温暖期に入り、日本はモンスーン気候の影響が強くなる。この時期に大陸の思想を日本に紹介した二大天才が最澄と空海だと森田さんは言う。環境変化に翻弄され、自然の移ろいに敏感になった日本人に、仏教的思考は無常観を醸成するきっかけを与えた。一方で、自然の底知れぬ力の前ではなりふり構わず八百万の神(大自然の象徴)にもすがる、八方美人的倫理観の形成もまたこの時期になされたというのが森田さんの見解だ。

 砂漠で生まれた排他的な西欧の一神教文化や、中国やアメリカのように従前の文化を一回ご破算にしてゼロから立て直す《更地文化》と違い、日本文化は自然に逆らわず、入ってきたものをとりあえず受け入れ、持ち前の文化に重ね、やがて吸収してオリジナルにしてしまう。この柔軟な対応こそが、古代ギリシア文明に通じる未来の文明のヒントなのではないか?

 「世界中で、戦乱や経済危機で立ち往生している国を見てから帰国すると、日本はいつもビックリするほど平和で普通。この『普通であり続ける事』が大事なんじゃないかな」と森田さん。平和憲法を守って70年も戦争をしていない日本の存在は世界でも希有だ。それができたのは何でも飲み込んでしまう日本文化の特性によるものかもしれない。次の文明のヒントは、日本文化に見られるこの底知れぬ柔軟性にあるのだろうか? 森田さんは「外に探すつもりだったあらたな文明のタネが、実は足元に埋まっていたような感じ」と語った。

 「今日は、まだ自分でもまとまっていない考えを中間報告のつもりで話したので、曖昧ですみません」と話を締めくくった森田さん。いつもながらビジュアル無し、原稿無し、手元の資料にちらりとも視線を配らずに滔々と語る濃密な報告だった。終了前の約30分ほどの時間を使い、江本代表世話人のインタビュー形式で森田さんの取材に関するエピソードが散文的に披露された。森田さんの育った時代の神戸にはまだ戦後闇市の名残があり、多彩な外国人の姿も珍しくなかった。そうした原体験が、中国やNYをはじめ混沌とした都市の取材に有利だったのかもしれない。

 森田さんが取材現場で大事にしているのは「根っ子」を掴む事だという。犯罪を追うなら、犯罪者当人よりも家族や関係者から取材を始める事で、犯罪の根っ子が見える。その根っ子をつなげて行くと時代が見えてくるそうだ。趣味のアユ釣りの話なども披露し、最後に江本さんからのリクエストを受けて趣味のケーナで「カルナバル・グランデ」という曲を吹いて下さった。「一年以上吹いてないので」と照れながらの演奏だった。(長野亮之介


報告者のひとこと

「文化は守る」「文明は伝える」

 15か16の遊び盛りの頃、勉強はもちろん新聞など縁のない私が、たった一行の記事を、いまも記憶の脳裏に焼き付けている。朝日新聞の文化欄に掲載された小林秀雄(評論家)の記事には、「慣習とは自覚せずに繰り返すこと。伝統とは、自意識を持って“それでいいのか”と考えて繰り返すこと」とあった。短く、それでいて的を射た表現、以後、私は短い言葉こそ天才だと信じている。

 「恋」とは「異質を求め」、「愛」は「同質を確かめ合う」という短い言葉の出会いに人生を彩らせた。「“異”性」に心ときめかせ恋に落ち、愛し“合”うことを知る。旅と放浪の違いを、「旅は帰る所がある。放浪は帰らないことが最善」と放浪家で詩人の金子光晴は言い切った。二十歳の頃、帰らない旅に憧れ、「カネの北米、女の南米、耐えてアフリカ、歴史のアジア、ないよりましなヨーロッパ」と、ヨーロッパをないがしろにしてきた。

 「知らない」ということがどれほど罪なことか、「無知」が「無恥」であることを、半世紀後に思い知った。旧東ベルリンの街角のカフェで「この人生が生きるに値するかどうか……、それが人生の上で最も重大です」と、ドイツ人に森に誘われたことから、「森」を人生の根本道場と仰ぎ、ヨーロッパを旅する度に、「文明」と「文化」はどこが違うのかを求め、「文明の背中を追う旅」を繰り返してきた。 ドイツ人は、文化の「精神性」、文明の「物質性」を強調する。文明家アーノルド・J・トインビーは、人類の歴史を国家や民族の単位でなく、文明を単位としてとらえることを提唱している。その後、歴史家の間では、「文化を人々の間に共有された生活様式の総体」と定義し、「文明を文化の大きなまとまり」としている。この説明は私にとって、長いし、インパクトに欠けている。「無恥」を恐れずに言うなら、「文化とは固有のモノで、文明は国家や民族を超えて伝播するもの」と……短くしてみた。

 さらに西洋と東洋の違いを、「神は在るもの、神は来るもの、神は立つもの」、一方、「仏は成るもの、仏は往くもの、仏は座るもの」と、神と仏の違いを短い言葉にすれば身近になる。文化と文明は、人類にとって役割が違うはずだ。取扱いを間違うと紛争になることもある。シリアとイラクの国境や、イスラエル建国には、大国のご都合主義の国境線がある。国境線を拒む紛争は、文化圏ではなく、文明圏で発生した問題である。平和や地球環境の問題と取り組むには、国家間レベルでなく、文明間レベルで見た方がいい。

 人類が地球に出現したのは700万年ほど前、文明が発生してから1万年にもならない。地球誕生(46億年前)から今までを24時間(1日)で見るなら、今という時は、まだ数秒にしかならない、始まったばかりなのだ。地球は、まだまだ未知の領域だ。今の人間は、地球に対して大きな顔をし過ぎではないか。たまには博物館に行ってみるのもいい。地球に畏敬を感じながら、素手で未来を切り拓いた先人たちの気持ちが少しはわかる。(森田靖郎


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