2010年7月の地平線報告会レポート


●地平線通信369より
先月の報告会から

変わりゆく北極圏

荻 田 泰 永

2010年7月23日 新宿区スポーツセンター

■第375回の報告者は、今年北磁極まで徒歩で行ってきた荻田泰永(おぎた・やすなが)さん。来年は日本人初の単独無補給北極点徒歩到達を目指す北極冒険家が、変わりゆく北極圏の現在と、自身の活動の軌跡を語った。

◆はじまりは、「とにかく自分を変えたくて」2000年に大場満郎さん企画の「北極圏を目指す冒険ウォーク」に参加したこと。その時の自分にとっては北極での冒険じゃなくても、どこでも、何でもよかったのだと言う。当時荻田さんはアウトドアの経験も無く、海外旅行も初めてという全くの素人だったが、同じく素人の若者を中心とした9名の参加者と一緒に大場さんに引率されてレゾリュートから北磁極まで700kmを35日間で歩いた。北極圏でカルチャーショックを受け、帰国後しばらくは貴重な体験の余韻に浸っていたが、半年ほどして、荻田さんは以前と何も変わっていない自分を発見する。

◆そして今度は自分1人で行ってみようと思い立ち2001年にレゾリュートを再訪。しかし、北磁極まで1人で歩く実力はないことを痛感し、レゾリュートでの訓練に切替えた。この1か月の滞在中に河野兵市さんや各国の冒険家と出会い、刺激を受けた。これが荻田さんにとってはもう一つの始まりだったのかも知れない。

◆北極通いの資金はガソリンスタンドやガードマン、都内の某高級ホテルでのルームサービス等のアルバイトを掛け持ちして貯めた。6か月間休みなしで毎月25万円蓄えたというから大した実行力だ。もっとも現在は北海道の鷹栖町に移住し、次に目指している北極点となると今までとは桁の違う費用が掛かるので、スポンサーを募る事にしたという。

◆翌年の2002年にはレゾリュートからグリスフィヨルドまでオールドエスキモーの道を500km単独徒歩踏破。2003年はカナダ北極圏ビクトリア島の単独徒歩行をした後、夏にはビクトリア島へツンドラトレッキングに行き、野生動物の観察や現地のイヌイットの人々との交流等、北極圏での活動の幅を広げていった。さらに2004年はグリーンランド(シオラパルク?アンマサリク間)の内陸氷床2000kmを小嶋一男さんと共に犬橇で52日間かけて縦断した。この小嶋犬橇隊での日々は、山岳部等の経験が無かった荻田さんにとっては良い経験になったという。

◆2006年にケンブリッジベイに1か月滞在してカナダ北極圏の情報収集。2007年にはレゾリュートからケンブリッジベイまで1000kmの単独徒歩に出発するが、500km地点で断念。2008年には再び夏のビクトリア島へ、野生動物とイヌイットに加えて今度は皆既日食も観察した。そして2010年、北磁極まで単独徒歩行。10年ぶりに今回は1人で北磁極に到達した。

◆映像に映っている荻田さんの装備はすごい。まるでFRP製ボートの様に見える橇は、大場さん企画の時に作って貰った物がレゾリュートに置いてあり、それを使用している。装備を満載すると約120kgあるというこの橇をロープで体にくくり付けて引く。足回りは歩行用スキーにシールを釘で打ち付けた物、ただし雪が少なくて氷の状態がよければスキーを外して歩いた方が速い。食糧は1日約5000kcal、テントは注文生産、ブリザードで停滞するとき等には短波ラジオに5mのアンテナコードを付けて日本のラジオを聴いた。

◆今回はこれらの装備にJAMSTEC(海洋研究開発機構)から委ねられたブイが加わった。バレーボール大のブイはGPS内蔵の小型気象観測装置になっており、荻田さんと共に移動している間も、3時間ごとにデータを送り続けていた。荻田さんの手によって北磁極に設置された後も、バッテリーの寿命が尽きるまで半年位はデータを送信し続けるそうだ。

◆今回の北磁極行では映像はあまり撮影しなかったという(バッテリーは1セットも使い切らなかったほど)が、報告会では前回の遠征の分と併せて貴重な映像が紹介された。北極はけして平坦ではない。-30℃程度の寒さは当然としても、向かい風が強くて橇が前に進まない、島の上にはアップダウンがあり積雪も柔らかくてきつい、海上にも乱氷帯や水平線の彼方まで一直線に伸びるプレッシャーリッジ(諏訪湖の御神渡りの様に氷が割れて盛り上がったもの)、氷山、海氷の割れ目等の障害物が次々にあらわれる。

◆しかもこれら氷の割れ目の周囲には水面の出ている部分があり、そこへ空気を吸いにやってくるアザラシを狙ってホッキョクグマが出没するので、危険である。このような場所ではキャンプをしてはいけません、というお役立ち情報(?)を交えつつ、映し出された映像にもホッキョクグマのオシッコが凍って15cm位の氷柱として雪原に突き立っている珍しい写真や、荻田さんに興味を持ってうろつくホッキョクグマと、それを一生懸命に追い払う荻田さんが写っていた。

◆今年の帰路は海氷の状態が悪くて途中で断念、イギリスの環境調査隊のキャンプまで戻って37日間の単独徒歩行を打ち切り、彼らと合流、帰りの飛行機に乗せてもらって帰還した。総勢7人の調査キャンプは快適そうで、氷に切った穴にプランクトンネットを入れたり、200mの水深から採水したりといった調査をやっているかたわらで、荻田さんは有り合わせの材料で餃子を作って振舞った。それまでの単独行中とは打って変わってアットホームな雰囲気だ。美しい映像と荻田さんの語り口からは、北極圏の厳しさよりも楽しそうな印象を強く受ける。しかし歩いているときには何でこんな事をしているのかと考え、やめたいと思うと語るとおり、やはりつらく厳しい事なのだ。37日間の単独行を終え、調査キャンプにたどり着いたときの荻田さんの涙が印象的だった。

◆報告会後半では、野生動物やイヌイットの生活も含めた北極圏の現在が紹介された。北極海の氷の厚みは1978年頃には4?5mはあったはずだが、現在では1?2m、それが水深4000mの海水の上に乗っているだけなのだから非常に割れやすくなっている。氷の大きさも2007年が最小になったが、今年2010年は最小記録を更新する勢いである。このように激変する北極圏のデータを欲しがっている研究者がいれば、荻田さんは現地へブイ等の観測装置も持って行くし、降雪サンプルの採取も行っている。これは自分の活動に社会性を持たせたいと考えているからでもある。

◆氷の上ではアザラシ、ホッキョクギツネ、ホッキョクグマとも遭遇する。今年は遠くで1頭目撃しただけだが、3年前には24日間で10頭ほど見た。70mの距離で撮影した大きなオスの映像は迫力があるが、前足が汚れているのは最近アザラシを食べて空腹ではない事を示しており、比較的安全なのだと言う。また、親子連れのホッキョクグマは、子供が親の背中に登ったりしていて、美しくも微笑ましくもあり、こんな映像は見たことがない。

◆一転して夏のツンドラには多くの生命が溢れていて、世界最大(バスケットボール大)のウサギ、ライチョウ(イヌイットは煮て食べているが、臭みがある)、牛より少し小さいジャコウウシ(一度絶滅してグリーンランドから移入されたもの)等のほか、オコジョがレミングを捕獲した瞬間を捉えた貴重な映像も紹介された。

◆荻田さんもイヌイットと一緒に、カリブー狩りに行った。スズキ製でも「ホンダ」と呼ばれる4輪バギーに乗って、ライフルで撃つ。獲ったカリブーは15cmぐらいの小さなナイフ1本でその場でみるみるうちに解体。秋のカリブーは脂がのっていて一番美味だというが、映像を見ているだけでも美味そうだ。網を2?3日間仕掛けておくとアークティックチャー(ホッキョクイワナ)が簡単に獲れる。これをさばいて干物を作る。マクタック(鯨の皮下脂肪)や、ゴムの様な食感のカモの胃袋も食べてみた。調理は基本的に塩茹でだけでそれをダンボールの上で切って食べる。魚をさばく時や、調理用に肉を切るにはウルと呼ばれる扇型のナイフを使う。基本的に女性が調理に使う物らしいが、ステンレス製らしきウルは見た目もユニークで、調理器具にうるさい、あの久島弘さんは興味津々だった。

◆現代のイヌイットの生活には自然の中で生きてきた伝統的な部分と、近代文明の利器、ライフスタイルが入り混じっている。荻田さんが撮った映像にはその混交ぶりが良く現れていて、それ自体資料的価値も高いものだ。行動者としてだけでなく、表現者としての今後の活躍にも期待がふくらむ。(氷河洞窟探検家 松澤亮


報告者のひとこと
真剣勝負がしたい━━北極点への旅というのは、自分の中では「一人称の旅の一区切り」という位置付け

■北極に通いだして10年。北極の海氷上を歩いているときに常に考えていたことは「なんでオレってこんなことやっているんだろう?」ということだった。考えても考えても、明確な答えは出ず、そのたびに現状を納得させるような場当たり的な結論に終始していたように思う。

◆北極に行くようになったきっかけは大学を辞め、無目的に生きていた自分自身の現状を打破して一つのことに全力を注ぎたいという思いを満たしたかったからだ。それが偶然に北極であっただけのことで、一歩間違えば砂漠だったかもしれないし、十歩くらい間違ったら宇宙飛行士を目指していたかもしれない。これまでの10年間は「自分だけの旅」を行ってきたつもりだ。自分で立てた目標を自分でクリアして、いかに消化していくか?というものであって、全て一人称で完結していた。それが良いとか悪いとかいう話ではなく、これまでの旅は「一人称であるべき」という思いを持っていた。

◆これまでも「自分の思いを伝えたい」という願望はあったが、アウトプットするにはそれ相応のインプットが必要である。自分のやっていることは人に自慢できるようなことではないし、それほど広い世界を見てきたわけじゃない。まだまだ足りないと自覚していたが、ようやく今になって広くはないかもしれないが一般の旅行者よりは深く北極を見てきたんじゃないかという思いが出てきた。そろそろ単なる「一人称の旅」にもケリをつけたいという思いが出てきた今日この頃である。

◆ダムだって雨が続けば放水するのだ。世間一般の人が気軽には行かない場所に行く我々のような者の存在意義の一つは「伝えること」であると、最近はより一層強く感じる。しかし!「じゃあ、お前は誰かに伝えるために北極に行くのか!?」と問われるならば否である。その質問の明確な答えは氷上で僕の頭の中をグルグル回っていたように、今もって回転中かもしれない。

◆今回の報告会の中では、最後に江本さんから「北極点に今更行くことに何の意義があるんだ?それほどのリスクとお金を費やしてやるべきことなのか!?」という投げかけを頂いた。次に考えている北極点への無補給単独行は、行動それ自体には意義はないかもしれない。それは自分自身でも分かっているつもりだ。

◆北極点への旅というのは、自分の中では「一人称の旅の一区切り」という位置付けだ。やはり北極海(島嶼部や沿岸部ではなく)をこの目で見てみたいし、体験してみたい。僕はずっと前から「北極の全てを見てみたい」という願望があり、やはり北極海を経験しないで終わるのは片手落ちであるという気がしてきた。その経験も大きなインプットの一つであり、この目標をクリアすることで次のステップに安心して進める気がするのだ。

◆正直、今回の報告会は言いたいことの10分の1くらいしか言えなかった気がする。話したいことは山ほどあったから時間も足りないし、本当はもっと真剣勝負をしたかった。最後の江本さんのツッコミのような「僕の化けの皮をはがす」強烈な一撃をドンドン放ってほしかったのだ。きっとその価値観の攻防戦のなかで多くの刺激を得て、新しい世界を見ることができるのだと思うから。でも、それをやり始めるときっといくら時間があっても足りないんだろうなー。(荻田泰永


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