2007年6月の地平線報告会レポート



●地平線通信332より
先月の報告会から

ウノメタカノメ交遊記

松原英俊

2007年6月29日(金) 榎町地域センター

 午後8時45分。報告会終了まであと15分。突然、地平線会議代表世話人の江本さんが報告者の松原英俊さん(57才)に提案した─「松原さん、何か月かしたら報告会もう1回やりましょう!」

◆うーん、確かにそうだ。報告者の松原さんは日本最後の鷹匠なのに、30分の記録映画の上映を除いては、その時刻になるまで鷹匠の話がほとんど出てこなかったからだ。鷹匠にまつわる話を聞きたい。この会場の思いを江本さんは代弁した。とはいえ、松原さんの話を退屈そうに聞く人は一人もいなかった。それどころか、誰もが、ときに抱腹絶倒しながら話に引き込まれていた。松原さんの生き方の根本は「自然と一体になって生きる」こと。私たちは、「松原英俊の生き方」を堪能していた。

◆1950年5月、青森県生まれ。小さい頃からとにかく動物好き。小学6年生で早くも日本野鳥の会に入会したほど(当時の青森支部最年少)だ。中学校のときはアオダイショウを捕まえペットにした。1969年、慶応大学入学。野鳥の会サークルに入部するが、すぐに退部。自分のペースでゆっくりと鳥を見たかったから。単独登山を始める。

◆大学3年生になったら、サウジアラビアのラクダ単独横断をと決め、バイトで資金を貯めていた。だが、1年間の休学願いを出したあとドンデン返しが起こる。サウジアラビア大使館から許可されたビザはわずかに3日間だった。そこで松原さんは、その一年間を岩手県の寒村で過ごすことにした。農作業を手伝いながら、ときにブタのコエダメに落ちたり、子どもたちとコウモリや魚を捕まえる毎日は楽しかった。そして決めた─「どんなに貧しくてもいい。自然と一体になって生きよう」。そうして選んだ仕事が鷹匠だった。

◆卒業後、当時の最後の鷹匠山形県のKさんの元を訪れ弟子入りを志願。しかし、Kさんは「今は鷹匠で食える時代ではない」と弟子入りを拒否。確かに、今を例にすれば、苦労して取ったウサギだって、その皮は一枚たったの50円。「でも、食う、食えないは関係ない。私は鷹匠という生き方をしたかった。鷹匠は冬場に限られる仕事である以上、それ以外の季節を農業でも土方でもやれば、鷹匠はできるとの自信がありました」。そう思ったら引かない。近くの小学校の軒下に野宿しながら、断られても断られても弟子入り志願を繰り返し、とうとう7度目の訪問で「たとえ弟子にしてくれなくても、ここで野宿して、毎日通って技術を盗みます!」と宣言した。これでようやくKさんは折れた。

◆だが、師匠Kさんやその家族との人間関係に悩み抜き、Kさんの農作業を朝から晩まで手伝いヘトヘトになってからようやく鷹匠の修行は夜に始まるなど、その毎日は肉体と精神をすり減らした。そして1年後、独立。短い修行だったのは、一つにはKさんがもう80歳近いため、山に入っての実地訓練を望めなかったことだ。鷹匠の基本だけを教わり、クマカタの「寒太」を手に入れ、松原さんは一人、人里と隔絶された山小屋に住み込む。山小屋に電気ガス水道は一切なし。夜はローソクだけ。風呂はドラム缶の五右衛門風呂。年収は夏の土方仕事で貯めた24万円。だが「タカと二人だけで暮らせるのは至上の喜びでした」。

◆以上は、私の取材を少し補足して書いた。松原さんが8時45分まで話したことは、簡単に書けば「動物を自分で獲って食う話」だ。その動物が生きているかどうかのジャンルは関係ない。食うのである。だが、私たちが話に引き込まれたのは、そこに松原さんの何にも左右されない生き方が明確に現れていたからだ。ともあれ、話を紹介しよう。

◆CASE1 ヘビ・・中学生のときにアオダイショウを捕まえ飼っていたほどヘビも好き。それは、東京の下宿生活でも変わらなかった。登山中にヘビを捕まえては捌いて食料にした。そのうち「ゲテモノ屋に売れば金になるかな」と下宿にヘビを数匹持ち帰りダンボールで飼っていた。「でも、ヘビがダンボールから逃げるんです。ところが、真夏の暑い夜なんか、裸で寝ている私の体を這ってくれると涼しいんです、はい」。凄い大学生だ。話はこれで終わらない。ヘビはダンボールだけではなく松原さんの部屋から逃げて、下宿中が大騒ぎになった。

◆CASE2 ネコ・・冒頭、「嫌悪感を催すかもしれませんが…」と前置きしたのは、この猫の話のせいかも。大学時代の新聞配達をしていて、交通事故死した猫を発見。損傷の少ない遺体に「きれいな死体だ。これをカラスに食われるのはもったいない」→「食えるのでは…」→「食おう」。早速、下宿備え付けのフライパンで、ネコ炒めを開始。そこに下宿のおばさんが…。「何の肉?」「…」「ヤギの肉?」「…」「あんた、まさか人間の…」。さすがに告白した─「車ではねられたネコです」。すると、おばさん、「戦争中は、ネズミも犬も食ったからね」と、ネコ肉に、ネギを炒め生姜と砂糖を絡めてくれた。おばさんの勝ち!

◆CASE3 セマルハコガメ・・鷹匠は冬場に限られる仕事。それ以外の季節はアルバイトの時を除いて、米と調味料だけをもって各地の山や海で、自給自足のサバイバルキャンプを行っている。報告会の数日前にも、西表島の南端のキャンプ場で10日間、魚やタコをヤスで突いて食べていた。そしてカメを捕まえると、天然記念物のセマルハコガメだった。初めは箱に入れて見るだけで満足していたが、そのうち「食べてみたいな…」。だが一方で「天然記念物はさすがに…」。天使と悪魔の両方の囁きにその実行を決められず「一晩中悩みました」。類は友を呼ぶ。松原さんの背中を押したのは、キャンプ場に1ヶ月も泊まっているおじさんだ─「あのカメ、うまいよ」。よし! 翌朝決行だ。だが、そういうタイミングに限って、親切な誰かが箱の中のカメを逃がしていた…。

◆CASE4 ハブ・・何年か前、沖縄で交通事故死したハブを捕まえた。長さ1メートル半。見ているうちに、「ああ、食べたいな…」。誘惑に勝てず、死骸を紙袋に入れて手荷物で帰りの飛行機に持ち込んだ。山形の自宅で食べるためだ。だが、予想外の問題が。死臭が機内に漂い始めたのだ。「さすがにまずい。処分しなければ」。で、死骸をトイレで流すことに。だが、いざその時になると「せめて皮だけは」。機内のトイレでヘビの皮を剥いだ人間は史上初か。

◆CASE5 一石二鳥・・あるとき、アオダイショウが子ウサギを飲み込んでいるのに遭遇。だが大きい胴体は飲み込めなかったので、そのおこぼれをタカの餌にもらい、ついでにアオダイショウも捕まえた。「これが一石二鳥です」。

◆CASE6 ラ○チ○ウ・・立山を登山中、何気に石を投げたら天然記念物ラ○チ○ウに当たって死なせてしまった。「私は野鳥の会の会員なので、見つかったら大変とその場に埋めようとしました」。でも…「もったいない。食えるんじゃ…」。リュックに放り込み、人気のない場所で食べた。「野性味あってうまいです」。

◆CASE7 クロダイ・・3年前、飛島で大きな鳥が海面でバタバタ羽ばたいて飛び立たない。猛禽類のミサゴで、松原さんと目が合うと逃げていった。見ると、その足に何も掴んでいないので「獲物が残っているはず」と松原さんは、海に入った。捕まえたのは47センチのクロダイ。さっそく刺身に。「うまいです。これが漁夫の利です」。

◆一つだけ補足したい。松原さんは山小屋時代、米と即席麺と缶詰、調味料以外、すべてを自給していた。山小屋脇に畑を作り、山菜やキノコを採り、水すら沢から汲んで確保していた。ただ自然の恵みだけを頼りに生きてきた人が、自然の恵みである動物を食べるのはごく当然のことだ。「自然と一体となって生きたい」。こう決めたとき、選択肢の一つにマタギもあったが、鷹匠に決めたのは、「鉄砲という文明の利器を使うより、生き物であるタカと狩りをしたかった」から。そこまで腹をくくっていた。

◆報告会の最後で、松原さんはようやく28才の冬、修行から4年半経って、初めての獲物を手にした話をしてくれた。「私は狩りは素人なので、3年間獲物はゼロでした。でもあの日(79年2月13日)、クマタカの加無号(かぶごう)が私の腕から離れて飛んでいきました。雪の急斜面をウサギが走っていて、加無号はウサギに追いつくと、翼を広げて被いかぶさり爪をかけ、そのまま暴れるウサギと一緒にもつれて斜面を滑っていきました。そして、ギャーギャーというウサギの断末魔が聞こえたんです。弟子入り前からずっと、自分の腕から飛んでいったタカが獲物を手にする光景だけを毎日何百回も考え、4年半、どんなに辛い目に遭っても、一度も鷹匠を諦めることも、違う仕事を考えたこともありませんでした。そして、夢に描いてきた光景が現実のものになると、腹の底から爆発するような喜びが湧き起こり、ただ泣いていました。あのときの喜びは、世界中のどんな喜びよりも大きかったと思います」。

◆鷹匠になって33年。57才になった松原さんにはたった一つの夢がある。「この先老いぼれても、タカをこの腕に乗せて雪山を一歩一歩、歩いていきたい」。そしてこう言った。「私は、法を犯しても自分の夢を貫きます!」

◆法を犯しているかどうかここでは書かないが、一つだけ言えるのは、松原さんならば法を犯しても許されることだ。なぜなら、非日常的行為としてサバイバル行動をする私たちとは違い、松原さんは日常生活がサバイバルそのものだからだ。23才で決めた「自然と一体となって生きる」スタイルを、山形県の山のなか、松原さんはただ貫いている。自身も自然の一部である松原さんは、自然のなかでどう自由に行動してもいいと思う。松原さんが法を犯しているのではなく、松原さんの自由を奪う法律がおかしい。(注:現在クマタカやイヌワシに関する法規制が敷かれ、鷹狩りが困難な状況に追いこまれつつある)

◆それらの詳細も含め、今度は鷹匠に絞った話を是非聞きたい。ただ、11月から3月までは鷹の訓練と狩りのシーズンなので、報告会パート2は、来春以降になるかもしれないが、是非、多くの方に来ていただきたい。(樫田秀樹)


[報告会を終えて]

松原英俊

 報告会と二次会が終わったあと、厚かましくも江本さんのお宅におじゃまし、夜食に江本さん手作りのシチューや煮物、それにモンゴルのヒツジのモモ肉や沖縄のパッションフルーツまでも腹一杯ごちそうになりました。

◆翌日は、その満腹の腹をかかえて八ヶ岳登山に出発し、北八ツから南へと縦走していく私を待ち受けていたのは、亜高山に生息する多くの動植物たちでした。標高2000mを越える登山道のかたわらでは、私の大好きなイワカガミや白い花が清楚なゴゼンタチバナが咲き、上空には日本一高速で飛ぶハリオアマツバメが舞い、「ガァーガァー」としわがれ声で鳴くホシガラスや私のリュックの上に乗ってきたほっぺたの赤いウソ、又木にたれさがるサルオガセを嘴一杯にくわえて巣作りにはげんでいたヒガラ等、多くの野鳥が様々な表情を見せてくれました。

◆さらに縦走2日目、夏沢峠に建つ山小屋「やまびこ山荘」に泊まった時は、私のように山に棲んでいてもめったに見られない夜行性のモモンガや珍獣ヤマネが、小屋の中の本棚の上に出てきて、わずか1mの距離でそのかわいらしい姿を見ることができたのです。そしてさらに幸運なことには、夕暮れ時窓近くのオオシラビソの木に狩りの名手テンまでもがその優美な姿を現わし、餌台のヒマワリの種を無心に食べ続け、やがて満腹すると近くの水入れから水を飲み、それから悠然と身をひるがえして木を駆け下り、暗闇の中へと消えていきました。その姿は今もありありと私の脳裏にやきついています。テンのもつ俊敏でしなやか、かつ獲物に対して獰猛な性質は私の憧れであるのかもしれません。

◆翌日は雨風が強く、主峰の赤岳までの縦走はできませんでしたが、それ以上に多くの鳥や動物に出会え、報告会のおかげでとても素晴しい山旅ができました。ありがとうございます。


地平線ポストから(抜粋)

[本気で夢を追うということ]

■江本様 こんばんは。29日は貴重なお話を聞かせていただくことができ、参加してよかったとしみじみと振り返りながら帰宅しました。松原さんのお話はとても面白く、そして深く重みのある言葉が胸にズシリときました。

◆「夢を追う」と口にすることはたやすく、本気で夢を追うことは、簡単にできるものではないと分かっていたつもりでした。それを強い思いを持って言い切り、実行し続ける松原さんは本当にスゴイ人だなと、かっこいい生き方だなと思いました。そして、夢を追うとは、全力で生きることなんだと見せつけられました。松原さんが最後のメッセージで残した「忍耐」は、私に足りないもののひとつだと自覚しています。迷いなく生きているようにみえる松原さんのお話を聞いて、たくさんのことを感じ、勉強させていただきました。松原さん第2弾、大期待して待っております。

◆私は12日から1週間、早めの夏休みでフランスへ旅行してきます。こんなユーロ高の時に行くのも、パリに知り合いがいて、1週間泊まらせてもらえるからなのです。今年いっぱいで帰国するというので、急遽行くことに決めました。

◆実は、私にとって初のヨーロッパ上陸です。風邪と咳が長引いているのが気がかりですが、歴史ある建築物&美術館などを堪能してこようと思っています。それでは、またお会いできるのを楽しみにしております!(和田真貴子 7月3日)

[松原さん、すごい!!]

■江本さん、この前の地平線すごくよかったです! ほんと! 松原さんすごいです! また是非やっていただきたいと切望します!

◆monoマガジンでインタビューを受けました。もしよかったら立ち読みで覗いてみてください。モノ・マガジン NO.565 7/2発売 http://www.monomaga.net/wpp/shop/ProductDetail.aspx?sku=565

◆今月末にはアメリカでまたレースに出てきます。地平線にはいけませんが、楽しんで走ってきたいと思います。(7月2日 山岳トレイル・ランナー 鈴木博子)

[心がしんとなった]

 地平線の報告者が西表島帰りの鷹匠の松原さんだったので、興味あって行ってきた。毎年沖縄など南の島でテントを張って遊ぶ(米と調味料だけ持って)そうで、まずはつい最近行ってきた西表島での話から始まって、次に鷹匠になるまでの話とかがあって、あとは生き物を観察したり食べたりした話がずーと続いて、みんなでげらげら笑ってたのに、最後の最後にすごくかっこよく締めくくってくれて、展開のギャップも手伝って、心がしんとなった。

 話が進む合間に、ホワイトボードには
 『見釣り ハマフエフキ52cm』
 『ハヤブサの首落とし』
 『ミサゴ→クロダイ(漁夫の利)』
 『ソデイカ 1m35cm×13kg』
 と、書かれてゆき、なんだかおかしかった。

 島でのサバイバルな遊びの様子をまとめるだけでも、きっと興味深い本が何冊もできるだろう。だれか作ってくれないかなぁ。それとも笑って断るかな、松原さん。

 翌日からはザック背負ってひとり、八ヶ岳に向かわれた。今もまだ山で『観察』されてるのかしらん。(中島菊代 HP「ねこからの手紙」 http://www.neko-te.net/ の内「日々の戯言(たわごと)」7月2日付け)


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