2006年5月の地平線報告会レポート




●地平線通信319より

先月の報告会から

火おこしのススメ

大西琢也

2006.5.26 榎町地域センター

 大西琢也とは4年前彼の専門分野、野外教育の現場で知り合った。初めて会ったときから彼はまさしく夢追い続ける原始人。目の輝きが刺激的で、自然に対する心が深い。報告会にきた方々はわかると思うが、彼には人を惹きつける力がある。彼から出るエネルギー、オーラ、それとも彼の心の中にあるスピリッツがそうさせるのか、それは4年経った今でも表現することはできない。そんな大事な友人の話は、参加者全員が輪になって手をつなぎ時計まわりに「握り」を伝播する独特のパーフォーマンスから始まった。

◆初めて訪れた外国はバヌアツ共和国。彼がもともと専攻していた考古学の発掘のために行った。4000年〜5000年前の縄文土器があるということだった。仲間より一日早く現地入りし、一人村の中にテントを張ったタク青年がそこで出会ったのは、発掘の前夜、村の男たちの話し合いであった。「その内容はといえば…?」タクが会場のみんなに問いかけた。いろんな意見が飛び交い、答えは「土を掘り起こすことはいいことなのか?」ということだった。土地の人々にとって土の中を掘り起こすということは自分の体の中を掘り起こされるような感覚であったのだろう。昔のことを知りたいという、言わば日本人のエゴで発掘をしていいのだろうか…。タクはその思いと葛藤しながら発掘をした。結局土器は出てこなかった。

◆次にスクリーンには大海原に丸木舟が浮いている写真が。「何でも自分でやってみる」をモットーとするタク。バヌアツで見た丸木舟を作ってみたいということで立ち上げた企画“縄文丸木舟復元プロジェクト”の写真だ。丸木で舟を作り、縄文人が往復していた黒曜石の産地である神津島を目指すという試み。

◆自分たちで作った丸木舟で、仲間6人と沖にテストしに行った時のこと、海上保安庁の大きな船が近づいてきた。「君達、止まってください。その“木”を捨ててこちらの船に乗り移ってください」丸木舟を“木”と表現した海上保安官のことを彼は今でも鮮明に覚えているという。彼らは「嫌です」と返答し、実験を続けた。しかし、保安官はそのまま“木”に乗った6人の青年を放っておくことは出来ない。鋼鉄製の巡視艇は行ったり来たりし、スッタモンダの末、結局青年たちが折れ、大きな鉄舟に乗せられて帰ることになった。岸に到着した青年たちを迎え入れたのは大勢の報道人。新聞に載った内容は「無謀な『縄文人』、大人の判断を」というものであった。そうじゃないと否定したい気持ちを抱えながらタクは思ったという、自分の気持ちをしっかり持とうと。

◆23歳の時、日本山岳会の隊で、北米大陸最高峰マッキンリーに登った。「自然の中に入っていくと自分の命、心臓が動いていると感じることができる」「自分の歩みを止めてもいい、ただ誰にも助けはできない。自分自身で一歩を踏み出さないといけないのだ」と思ったという。自分が動くことの大切さを知ったこのときの体験を彼は人生において重要な出来事であったと言った。

◆さて、続いての話は日本海から太平洋まで21の3000m峰の単独連続踏破に挑戦した時のことだ。話の中で彼が強調したこと、それは“水の大切さ、水のありがたさ”であった。彼は数日間水に出会えず、葉っぱから滴る一滴の水も欲しいくらい干からびてしまった。やっとの思いで小屋に到着し、タンクに繋がるホースの中にわずかに残った水を飲んだときの感動はものすごかったそうだ。水が体に染み渡る幸福感。生き返る瞬間。言葉では表現できないようだった。

◆「今の子供たちは水は蛇口からでると思っている。川から流れている本来の水の姿を「水じゃない」と思っている。」本来の水の姿を子供たちに知って欲しいから子供たちとキャンプをしていきたいのだという。水のありがたさ、それを重みある言葉で表現できたのは水を本当に必要とした体験をもつタクの言葉であったからなのであろう。

◆5年前、九死に一生を得た体験、事故の話になった。多くは語りたくないことのはずなのに、彼は死んだかもしれない体験を乗り越えたから今話すことができるという言葉で説明した。「自分は好きなことをしていていいのか」という自責の念から「自分にできることはない?」「生かされている意味は?」と気持ちを切り替えた。長い年月をかけ、必死に悩み、そして乗り越えていった。彼の深みはこんな体験からも表れているのかもしれないと思った。

◆そしてここからが今現在彼が生きているためにやっているメインのこと、“火起こし”の話になった。「火はみんなの中に持っているもの。全てのものの中に隠されているもの」「火は子供だ。大切にしないと消えてしまうし、小さい弱い火に無謀に大木を与えても支えきれず消えてしまう」と語る。子供を対象に行っている野外活動の中で火起こしをするけど、そこで本当に教えたいのは火起こしではなく、「火は必要なもの」「火が欲しい」という気持ちだという。そして火が起きたときに感じた心、気持ちをその子の未来の人生に役立てて欲しいと思うのだという。――火を通して生き方を伝えたい――それが彼の願いであり、火起こしをする意味でもあったのだ。火が灯る時、火が目に入る瞬間があるという。それはまさしく人に“輝き”が灯ることのようにも思えた。

◆2年前、聖なる山、富士山の頂上で火を起こすことに挑戦した。5秒で火起こしをした記録を持つ彼が、なんと3時間半かかってしまった。「今まであんなに時間がかかったことはない」。手の皮が剥がれてくる、力も入らない、気力も失われてくる…。でもタクは決めた「火がつくまで帰らない」と。彼は気持ちを“火をつける”ことから“火をいただく”という思いに変えた。そして祈った。その時、神から贈られてきたように火が起きたという。

◆私は4年前から毎年夏、彼と数人の子どもたちと共に火起こしを山の中で行っている。火起こしの難しさもわかるし、手の痛みもわかるし、タクの火起こしの技術もわかる。だから、その3時間半という時間の重みが痛いほど伝わってきた。3時間半かかってタクがつけた火がどれだけ難しいもので、たくさんの葛藤と挫折の中で生まれた火だということが想像できた。自分の我ではなく、皆にささげると思ったときに神はささげてくれる。この時の出来事を彼は“人生観が変わった”と表現した。

◆しかし、人生そううまくはいかない。起こした火を下に降ろそうとランタンに火を灯し、下りかけた時突風に吹かれ、一瞬のうちに3時間半の結晶は消えてしまった。頂上からたった100m下ったところだった。“生きていて出会うものは全てメッセージ”と信じる彼は笑って言った「自分はまだ伝えることができないということだろうと思った。」と。

◆自分の生きている姿そのものを見てもらいたいから、やってきた経験や感動をそのまま感じてほしいから、火起こしを通して伝えていくのだという。最後に彼が締めくくった言葉、「土からもらって、土に返す。その中で生きていきたい」。火も土に帰るのだ。

◆彼はこれからもいろんな場所で火起こしを続けていくだろう。アフリカのキリマンジャロの標高5000m地点で、さらに人類発祥の地といわれるオルドバイ渓谷でマサイ族と火起こしをした。言葉が通じない中で火起こしこそが彼にとって言葉以上のコミュニーケーションなのだった。火起こしは彼にとって夢であり、ライフスタイルであり、生きる術であるのだ。

◆最後に、会場にきた人たちだけにはもう一つサプライズがあったのだが、それは会場にきた人たちだけが享受できた秘密ということで。今回来られなかった方は、またタクに直接会った時、何があったか聞いてみるといい。彼はきっと喜んで教えてくれる、やってくれるだろうと思う。だってそれは彼が生きている証だから。(山を走る鈴木博子)


[聖地、富士山へ]

 人生は初めの10年で決まる。冗談ではなく、僕はそう思います。昨年、「人生の総ざらい」なるものをしてみました。覚えているものをとにかく、書き出していく。これがまたすごいこと…。あれこれ出るわ出るわで、途中で5回はやめたくなったものです。うへぇ。一人の人生ってすごいです。書ききれるわけがありません。それでも、やっとこ続けてみたら面白いことが見えてきました。昔から「三つ子の魂、百までも」とか、「七つまでは神の子」と言いますが、これホント。自分が子供の頃に、見聞きしたこと、身体で覚えたこと、感じたことが人生の土台になっています。10歳ごろまでに経験したこと。あなたも思い出してみてください。きっと今につながる 「何か」がそこにありますよね?

◆僕の場合、大学を出たら考古学者!これが夢でした。しかし、就職活動に興味はなく、一人の行動者として、またプロの野外教育指導者として旗揚げ。現在はNPO法人という形で自然学校を運営し、子供たちの「根っこ」を育む野外教育を展開しています。活動の原点は5歳から始めた麓からの富士登山。「暗闇への畏怖」、「雲海と影富士」、「お日様の温もり」、などなど、こうして書いたり、話すだけで映像がフラッシュバックしてくるほどです。自分の足で一歩ずつ積み上げて、培った「世界観」。 僕は今でもそれに支えられて、生きています。これは本当に幸せなことだったなと、 つくづく思います。だって、今の子供たちは世界が狭すぎる。大人が創り上げた、妙につまらない人工的な空間で生きていくしかない。小さな映像や甘い誘惑に囚われてしまう。まるで家畜の世界。洗脳されて太らされて、行き着く先を想像できるのかな。これって哀しくありませんか。

◆そんな幻想から救い出したい。そのために、とりわけ生後10年は大切です。 「ひ・ふ・み、、、」と数えてみれば、1から10までで一巡り。子供たちがそこで、「ひ・と」になれるかどうか。「生まれた火種」に何をどれくらい、どうくべるのか。自立した炎になれるよう、手助けしたいものですね。僕はありがたいことに幼き頃から繰り返し富士山へ登ることで、ビジョンクエストができました。大人と子供の境界があいまいな世の中だからこそ、「通過儀礼」的な節目は重要になるでしょう。大人が「大人」になるために、子供が「大人」になるために、この夏、聖地である富士山へご一緒しませんか。人生、実践あるのみ。(火起こし野人より 6月8日)

■大西さんの富士山行は、
 ★第1ステージ 禊(みそぎ)年6月24日(土)〜25日(日)1泊2日
 ★第2ステージ 登拝(とはい)7月15日(土)〜17日(月・祝)2泊3日
 ★第3ステージ 祭(まつり)8月26日(土)〜27日(日)1泊2日、
と3つのステージに分けられるそうです。
参加費など詳細は NPO法人 森の遊学舎
 http://www.ugaku.com   へ。

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