1998年12月の地平線通信



■12月の地平線通信・229号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信229表紙●子供のころから、今日は星が見えるかな?と空を見上げるのが好きだった。当時インドで暮らしていたので、りゅうこつ座のカノープスや南十字星など、日本ではめったに見られない星を知っているのが自慢だった。

●東京でも、星は見える。どぶ色の空だけれど、見たいという気持ちさえあればいい。話題の彗星も見たし、流星に出くわす機会も結構ある。

●でも今年のしし座流星群だけは、どこかに遠出してもっと暗い空の下で見たいと、1年前からわくわくしていた。流星雨、もしかすると流星嵐になるかもしれない。こんな一世一代のチャンスは見逃せないぞ。

●10月になってから、毎日インターネットとニフティで情報収集を始めた。居ながらにして、驚くほど専門的で役に立つ情報が手に入る。夫の純にもけしかけ、山形から熊本まで全国の「地平線 HARAPPA」の仲間に「そっちが晴れていたらいきなり押しかけますので、よろしく」と頼みこむ。

●11月 15日〜16日、流星群が活発になってきたらしい。星見の練習を始める。午前3時、ベランダに出るとしし座がすでに高く昇っていた。30分後、でっかい流星が飛ぶ。感激。思わずにやける。それから5時までに 2つ流れた。くうくう眠りこんでいる純の顔を見ると黙っていられなくなり、「ふっふっふっ」と怪しく笑い、「見たぞ」と揺り起こす。

●16日。起こされてから眠れなかったと、純は機嫌が悪い。17〜18日を空けるためにずっと徹夜で仕事をしてきたので、かわいそうだったかな。全国的にお天気が思わしくなく、はらはらする。夜になって雨が降り出したが、雲の上をばんばん流星が飛び交っていると思うと、眠れない。でも午前4時から晴れ間がのぞき、5時半までに16個も流れた。しかも、5時14分にはすごいやつがきた。満月大の巨大な青白い火球が、シリウスのあたりからひゅっと飛んだのだ。輝く跡を残し、そして最後には炸裂。空半分がぱっと青く光った。音こそしなかったが、ボンという感じだった。明日はこんなのが雨あられのごとく降るのだろうか。興奮しながらそっとベッドにもぐりこむ。

●17日。いよいよ本番だ。天気予報が刻々と変わる。どうやら絶対確実なのは静岡と山梨のようだ。そこで、前から打診してあった小川さんに連絡をとる。純の中学以来の友人で、元天文少年。今は沼津に住んでいる。伊豆にも富士山にも八ヶ岳にも行ける、絶好の拠点だ。

●夜、新幹線で三島に行き、駅に車で迎えにきてくれた小川さんと小淵沢に向かう。しかし12時過ぎに候補地と考えていた牧場に着くと、急に雲が押し寄せてきた。雲の間からひゅっひゅっと続けざまに星は流れてはいたが、場所を変えることにする。深夜だというのに、交通量がすごい。ちょっと展望のいいところは車がぎっしりだ。長野側に入ると、雪まで降り始めた。

●中央高速を戻って野辺山へ。こっちは晴れている! 結局3時半過ぎ、甲斐大泉駅近くの空き地に落ち着いた。実は1週間前、しっかり下見に出かけて、この場所に目をつけてあったのだ。ビデオだ、写真だと準備に忙しい男たちから離れ、さっさと寝袋にもぐりこみ、天を仰ぐ。気温は零下。信じられないくらいたくさんの星が、ぎらぎらとまぶしいほどだ。オレンジ色の流星が弧を描いてオリオン座を横切り、木立のなかに消えていく。天頂を流れるものは速くて短い。同時に3方向に分かれて飛んでいったものもある。いいぞいいぞ。ここまで来てよかった。

●いよいよ「極大」。でもペースは上がらない。4時から30分刻みに36個、40 個、29個。5 時半から明るくなるまでに3個。移動しながら数えた流星も含めれば約150見たことになる。なかでも4時13分に出現した火球は、痕が10分以上も漂っていて印象的だった。極大での出現数は予想の最下限値で、欧米では突発的な極大が見られたそうだが、大満足。

●さぁ、来年はどこで見よう。99年だってしし座流星群は出現する。ただ日本では極大が、残念ながら日中なのだ。いつも行くパキスタン北部のチトラルではどうだろう。山に囲まれていて、空が狭すぎるかもしれない。でも、天文の知識などないみんなと一緒にわいわい騒いで流星を眺めたら、きっとたのしいだろうなぁ。[丸山令子]



先月の報告会から・229
焦げつく北極点
河野兵市
98.11.27(金) アジア会館

◆20世紀末の日本から、また一つ最大の地球行が成し遂げられた。河野兵市さん、日本人初の単独徒歩北極点到達、その大きな冒険は河野さんを支えた多くの人の表情がうかがえるような、深く親しみを持たせてくれる、そんな河野節で語られた。

◆「焦げつく青春」をキャッチフレーズに、地球をあまねく体験するという河野さんの旅は情熱がいつもたぎっている。「いったいどげな世界があるんやろかな」という好奇心が旅への情熱を燃やしている。1990年のサハラ砂漠リヤカー徒歩縦断行のさなか、「次は寒い所へ行きたい」…目標は北極。

◆砂漠の真ん中で夢見た「北極点から日本まで歩いて帰る」−−河野さんの旅は、広い深い河みたいなイメージを持って流れている。

◆「自分のお金だったら出発して1、2週間でやめてしまうだろう。」ふるさと・愛媛でぶつけた北極行への情熱はたくさんの人の夢と共有されて、地元草の根支援カンパが広がっていった。

◆やる気も根性もすべて凍らす乱氷、リード、ブリザード。様々な局面で神という存在を意識した。力の限りの集中力をもって祈る。信仰は持たずとも、ニ大宗教の神様から七福神も拝んで、そして大自然に祈った。いくらもがいても大自然にはかなわない。

◆到達までの1週間、最悪の条件の下、流氷のエスカレーターを逆走するような北極点への道のりは、河野さんをギブアップ寸前まで追い詰める。そういう極限の状況で子供たちからの純粋な応援メッセージは本当に大きな意味を持った。「最後まであきらめないで頑張ってください。」

◆「素直に応援し、夢を託す純粋さに打ち勝つことができなかった。みんなが自分に夢を託してくれている以上、自分からやめてはいけない。」この部分はいつも飛ばすんだといって、胸いっぱいの思いを語ってくれた。河野さんを地球のてっぺんまで押し上げたのは、そういう本当に大きな力だった。ネバー・ギブアップが応援してくれる人たちへの、そして大自然への感謝のかたちだった。そして、北極とことんネバー・ギブアップの神様は北緯89度59分955の北極点に青空をひらいて河野さんを迎えてくれた。

◆汚れの一点もないところを汚してはならない、汚す気になどなれない、北極は何もないことに価値があるということ−−河野さんは極限のさなかで体験したことや思ったことを熱い情熱をもって冷静に正確に、それにユーモアも一杯こめて伝えてくれた。それをしっかり受けとめるということはすく大切で必要なことなんだと思う。遠くに目標をおいて近くを見ながら歩く。夢へと踏み出す一歩が冒険なんだ。この言葉が頭に大きく響いた。

◆河野さんは「北極からふるさとに歩いて帰る計画」を次の目標にじっくりと捉え、夢へと踏み出すきっかけの手助けをして近くの日本各地を歩いている。「はやく後続が出てきてくれれば助かるんだが」と笑う河野さん。でも、まだまだ北極行を伝える旅は続きそうだ。[横田明子]


年末サービス! 一挙2話掲載!
不定期破天荒連載「生田目が行く!」
第三発 生田目の涙涙

◆そうこうしているうちに来るべき時が来た。渋谷の西部のラルフローレンで彼がセーターを買いたいというので、渋谷でデートとばかりに歩き出すと、どうも方向が違う・・えっ?と思った。ポップティーンやセブンティーンで散々耳学問していた。今日は何となく予感がして、下着もおニューにしてきた。もしや、まさか、とうとう! 好奇心が頭の中を占領していた。人通りが少なくなった所で彼が「やっぱりやめようか」と恥ずかしそうに踵を返そうとした。何言ってるんだ、この男! ここまで来て! 童貞でもあるまいし! 気がついたら彼の腕を引っ張って円山町のだらだら坂をがしがし上っていた(笑)。

◆興奮していた。何って・・見るものすべてに! 風呂が透明だった。特大のサラダボールのようだった。頭がクラクラして、足が震えた。「すっ、すげー!」って感じ。この後、世界のいろいろな所でいろいろな風呂、もしくは風呂様のものに入水したが、この「すっ、すげー」にはまだ勝るものはない! その割に事は簡単だった。ような気がする。なにしろ気が動転していたし、初めてだったし、16年も昔のことなのでよく覚えていないのだ(これは本当です‥(笑))。

◆ただ、こんな事のために男の人は手を変え品を変えご苦労なこったと思い、一方で期待過剰と耳年増だった自分が正直おかしかった。そんな事をつらつら考えていると、彼が怪訝そうに「明美・・初めてじゃなかったの?」と少し乱れてはいるが、真っ白なままのシーツを見て言った。えっ? 何? 何だって? そりゃあ、死ぬほど痛いってポップティーンには書いてあったヨ。一回じゃ無理で3ヶ月かかったなんてのもあったかなあ。そういやあ、あんまり痛くなくってよかったってさっきホットしたけどさぁ・・。でもね、でもね「力を抜いて、心配しなくていいから」ってさっき耳元であんた言ってたじゃない! バイト始めるまでスポ根バレー部だったから? それとも2学期体育、ハードルだったから? どーしてどーして、そんなこと言われたって私、初めてなんだからわからないわよぉ!「キスもHもあなたが初めてに決まってんでしょ! バカー!」とあとは大泣き大騒ぎの涙、涙の無血開城とあいなりました。ちゃんちゃん‥[生田目明美]


不定期破天荒連載「生田目が行く!」
第四発 生田目の目算

◆ある日、母がウチに帰るわよといった。あれあれ、また何を考え始めたのかと・・。別居するとアパートを借りてみたり、帰るといってみたり・・。本人は熟考の上のことだろうが、子どもは決定権がないから振り回されるばかりで、やれやれまた始まったぞってなもんである。

◆そう思ってあきれ顔をしていると、「あら帰るったって一緒に暮らすわけじゃないわよ! ここと交換してもらうの! こっちの方が女二人で人数多いんだから、狭いアパートにいるなんてずるいじゃない。あっちは男一人なんだから、パパがアパートに住む方が道理でしょ!」。なんだかすごい道理だなぁ、相変わらず・・。勝手に出てきたのは私たちじゃなかったっけ? とは思ったけど、どーせママの頭の中は明美が素行不良になったのはこのボロアパートのせいだなんて事になってると察しがついたので、そんなに子育ては単純じゃないと心の中で呟いていた。

◆余談になるが、現在、いろいろな紆余曲折を経て同居している父は、人生の勝ち負けとか、人間としての強さ弱さみたいな価値観で話すと、ちょっとなぁという感じ(また次回以降に)の人だけれど、お人好しなんだなぁとつくづく思う。女房に出て行かれたり、アパートに押し込められたり、心が広いのかバカなのか、母もかなり変わっているが父も相当変だなと子ども心に思っていたが、今思えば我慢してたんだな、いろいろ・・。女も大変だけど、男も大変! 人間生きていくにはいろいろ大変だと最近32歳になって思ってしまった(笑!)。

◆話を戻すと、そんなドタバタの中、うれしはずかし高2の夏休みが迫っていた。学校や親にしてみれば、大切な進路決める大事な時期・・。この夏やるかやらないかで後が決まるなんて嚇かされたりしていたが、学校じゃぁ、湘南だ、新島だ、花火だ、ナンパだ、17の夏だ、ひと夏の・・だと大騒ぎってなもんです。となると、やっぱり彼から旅行に行こうと誘われました。

◆さぁーどーする・・、どーやって嘘つこうか・・。親友の愛ちゃんと由美ちゃんとにするか? バイトの研修にする? 予備校の夏季特訓? どー考えても、母をだまし通せそうにはありません。悩んだ末に、こともあろうに「正直に話して許してもらう」という道を選びました。最初、彼は躊躇していましたが、私が (1)彼がいいとこ坊ちゃんでW大生で真面目そうに見える。(2)うそをついてばれたら彼が大変。(3)娘と心が通じ合えないと思い込んで悩んでるから、「ママならわかってくれると思ってた」で押せば間違いなく落ちる!(あー、私って悪い娘だ)と言い張ったので、若干二十歳のスケベ盛りの狼さんは決意の直談判とあいなりました。

◆もう少し紛糾するかと思っていたのに、直球勝負が功を奏して割にすんなりOKが出たのはびっくりしたけど、ちょっと二人で話をさせてと、私を茶の間から追っ払った後で、彼に「高校生だから間違いだけは・・よろしくお願いしますね」と避妊の約束をさせて、ポンと10万円渡したと後で彼から聞いた時には、ひょえ〜やっぱり母上は一枚上手だと感動してしまった。

◆ずいぶん大人になってから母にあの時はすげーって思ったよと話したことがあったが、「だってダメって言ったって、あんた絶対行くってわかってたし、ちゃんと二人で話に来たから変なことされるよりって思ったのよ」と笑っていたが、何だかんだ言っても、娘の性格なんてお見通しなのです。

◆彼はといえば、母公認でH旅行に行けると(避妊さえすれば)大はしゃぎで、生理日まで加味して綿密な旅程をたてたにもかかわらず、なぜか遅れて旅行初日からずーっと生理という、最後は神様も親心を汲んで下さったという一夏の経験でした。狼ならず「とらぬ狸の皮算用」というところでしょうか(笑)。[生田目明美]


地平線ミラクル
フランスの白い神

◆1980年6月、オートバイでフランスを南下していた。目指すはマルセイユ。ここから、アフリカのアルジェリアの首都アルジェまでのフェリーが出ている。

◆真夏のサハラだけはやめた方がいいとの忠告もあったが、何せ、初めての外国の旅だから、その忠告にどれだけの重みがあるのかは実感として分からなかった。何とかなるさ! だが実際、7月のサハラではとことん後悔する事になるのだが、それは省略。

◆ロンドンで買ったバイクはスズキ・ハスラーTS125ER。色は白。当時は1ポンド550円という円が弱い時代で(今は200円か)、保険やらカルネ(無税通関手帳)やらを含めると、中古のバイクでも、予定の倍以上の50万円近くが飛んだ。いきなり貧困野宿ライダーになったが、2年間思い描いていたアフリカへ行けるのだから心は軽い。

◆フランスではパリを出てからは地図を使わずに南下した。地図代がもったいなかったし、そのうちマルセイユまでの標識も出てくるだろうし、海にぶつかれば、東か西へ行けばいいだけの話だ。

◆だからその日の事は、今もってフランスのどこなのかはわからない。

◆その日、標識を読み間違えて、有料道路だかへ続く狭い道路に入った。だがすぐに、一方通行を逆走していることに気づいた。やばい! 対向車が来る前に・・。急ハンドルを切った。慌てていたのだろう。曲がりそこなって、ガードレールにぶつかってしまった。転倒。バイクを起こす。ハンドルが少し曲がったので、バイクを押して元の道に戻った。まずハンドルをまっすぐに戻す。次に荷物が無事かを確かめて、ホッとして改めてスターターをキックした。エンジン音はいつも通り快調だ。

◆よし行こう。だが前へ進まない。あれ? どんなにアクセルを吹かしても進まない。あれ? バイクを降りてチェーン周りをチェックしてみると、チェーンそのものがない。さては・・。転倒現場に戻ると、チェーンが死んだ蛇のようにくねくねと横たわっていた。よかった。しかし、チェーンを拾い上げた瞬間、あっ!と声を上げた。

◆ご存知の通り、チェーンは一本の輪になっている。だが、この時のチェーンは一本のヒモになっていた。ヒモを輪にするために、チェーンの頭と尻をカチッと繋ぎ止める部品はチェーンクリップ(トバ口)といって、親指の爪ほどの部品である。

◆ブレーキレバー、クラッチレバー、ワイヤー類、エアクリーナーなど、消耗品のスペアは思い付く限り持参してきた。だが、重さわずか数グラムの部品の紛失は想定外。しかも、その日は強風が吹いていて、チェーンクリップはどんなに探しても見つからなかった。

◆どうしよう。そう思ってもやる事は一つ。チェーンクリップの代わりに、針金でチェーンを輪にする事だ。ただそれをやるとなると、低速走行で数十キロおきでの交換が必要だ。マルセイユに着いても、部品の調達にどれだけの時間がかかるのか。

◆ペンチと針金を出して、しょうがねえと修理を始めようとした時だ。ブーとブザーの音がして、僕のすぐ背後に誰かが止まった。振り返る。そして驚いた。そこには、全く同じバイクが止まっていた。スズキ・ハスラーTS125ER。色も白!「どうしたんだ?」

◆ライダーの若者が話し掛けてくる。わかるだけのフランス語とジェスチャーを駆使して事情を説明した。すると、彼は信じられない事を言った。「その部品なら俺の家にある。ここから近い。15分で戻ってくる。待っていてくれ」。

◆本当か! チェーンクリップを常備している奴なんてまずいない。それも15分で持ってきてくれるって!?

◆風の中、ただ待った。冗談じゃありませんように。また来てくれますように。

◆そして15分後、彼は本当にやってきた。「これだろ!」

◆チェーンクリップだ! カチッと小さな音がして、チェーンは再び輪になった。「じゃあ、俺はもう行くよ」

◆僕は、実費として部品代だけでも払おうとした。だが彼は、目と手で「いいから」と、その申し出を断った。「メルシーボクー!」

◆僕は何度も大声で叫んだ。その度に、ハスラーの彼はウイリー(前輪を浮かせる走行)をして、視界の中で段々と小さくなっていった。

◆今でも夢かと思う。その後の人生で、自分のと同じ白いハスラーを見たのは後にも先にもあの時だけなのだ。[樫田秀樹]


アンケートはがきから 7

◆昨年12月に同封したアンケートはがきのコーナーです。1年たってしまいましたが、一挙に掲載して今回でやっと最終回です。掲載した項目は次のとおりです。 ●「何か手伝ってくれますか? 近況」/「何者?」/「すまい」 「お名前」(敬称略)

●本の出版を新聞で知り、それ以後、地平線通信を送って頂いてます。皆さんの勇気ある行動に驚きまたも少し自分も若かったら!! な〜んて真似も出来ないのに羨ましがっていました。長い間、地平線通信ありがとうございました。/姉の店(雑貨)を手伝っている56歳の主婦です。/埼玉県春日部市 坂本登喜子

●昨年転居をし、心機一転といったところ。/シゲさんの知り合いで顔を出すようになった東京新聞記者/東京都大田区 鈴木穣

●明けましておめでとうございます。いつも毎月送られてくる地平線通信を楽しみにしてます。仕事が地元でピアノの調律師をしているので、月1回のお話会に出席できません。まだまだ走り出しなので、もう少し仕事に余裕が出来てきたらアジア会館に行けると思います。皆様のご活躍をお祈りしてます。埜口保男さんの卒論にとても興味があります。/日本ピアノ調律師協会会員/茨城県猿島郡 坂野麻由美

●手伝いたい気持ちはあるのですが、1年のうち半分くらいしか東京にいないので、なかなか手伝えそうにありません。/10年ほど前、伊豆の三宅島で瀬口さんと知り合い、以降、ほぼ毎年自転車にナベ、カマ、テントを積んで北海道旅行に出かける体になってしまいました。今年の夏は礼文島で昆布干してました。/東京都渋谷区 白石洋子

●初の海外長期旅行に向けて資金を溜めています。でも円安なので困ります。/32歳。会社員。JACC(日本アドベンチャーサイクリストクラブ)会員。地平線ビデオ図書館利用者(VOL.172参照)/三重県鈴鹿市 嶋洋太郎

●お手伝いはちょっと無理です(ボランティア団体の「ネパールの会」で色々雑務やってます)。せめて通信費を払おうと思っていますが、どのように払えばよいでしょう。夏、冬など休みには毎回短期の旅行に出ています。今回はチュニジア、マルタに行く予定です。/都立大付属高校教諭。地学担当/東京都杉並区 進藤緑子

●いつも通信ありがとうございます。報告会にも最近は行ってませんが、毎月、通信が届くのを楽しみにしてます。年末年始は仕事でその代休を取って1週間くらいでベトナム・チャリンコツーリングをする予定です。ではこれからもよろしくお願いします。/km印のハイヤーの運転手してます。学生時代は1年だけ探検部にいました。先輩に時々通信に載る野々山富雄氏がいます(2コ上)/千葉県我孫子市 須藤晃司

●三輪先生、御無沙汰しています。今年も懲りずに島の学校へ移動希望を出していますが、どうなることでしょう? やはり一つどころに長くじっとしていられない性格のようです。最近はインラインスケートに凝っています。毎週末、航空公演で滑っています。また動員ででもお会いしましょう。/三輪先生の教え子。「地平線の旅人たち」の都高校新聞への推薦者。/埼玉県所沢市 佐藤功

●滝野沢さん、金井さんの知りあいです。今後も送ってください。/編集者/東京都千代田区 鈴木和夫

●お返事遅くなって申し訳ありませんでした。なかなか聞きに行くことができませんが、いろいろな分野で多くの人たちがいろいろな活動をしていることを毎回楽しく読ませて頂いております。/神奈川県川崎市 関本あや子

●う〜ん、それはムリ。ごめんなさい/三輪倫子さんの大ファン。DTPにおいては、丸山純の弟子の末席を汚しつつ・・。雑誌記者/東京都豊島区 佐久間淳子

●秘境旅行、トレッキング、登山を楽しんでいる中年女/東京都足立区 佐々木陽子

●12/20〜30日をSingle Bellを逃れるべく(?)、イスラム教徒の多いインドネシアへ脱出です。もう10年も経ってしまいましたが、高校生の時1年間お世話になったホストファミリーを訪ねるのです。皆様、どうぞ素敵な年末年始を!/報告者水野麻子の友人。また、今年の報告者の本橋成一さんと共通の友人が発覚! 樫田氏、長野氏、江本氏、武田氏ともお花見他イベントでお会いしました。/東京都江戸川区 瀬沼由香

●最近入院しました。体調が良くなったら会議に参加させて頂こうと思っているところです。お手伝いしたいのはやまやまですが、こんな状況なのでしばらくは・・。/シゲさんの紹介でこの会に今年参加させてもらったんです。旅は大好き。体調が良くなったらまた再開します。/東京都品川区 瀬戸淳子

●残業が多い上に、土・日・盆・暮れ関係ない勤務なので、あまりお力になれないと思うのですが、今年行われた写真展がとっても素晴らしくて感動してしまったので、そうした単発的イベントならお手伝いさせて頂けますか? ちなみに、私も写真が好きなんです。自己満足の世界ですけど。/ただの会社員。羽田空港で働いています。年に2〜3回海外に出ます。秘境っぽい国が好きで、今までにペルー、モロッコ、インド、トルコ、ジャマイカ‥そして、今年の締めにブータンに行ってきました。/東京都港区 斉藤明子

●連絡遅れ本当に申し訳ありません。去年の夏、旅に出てから帰ってきてボーとして、それから、自分の目指す仕事にも就く事ができ、ちょっとだけ忙しい毎日を過ごしていました。地平線会議の今のとても大変な現状も考えず、「送ってくるものはいただいておこう。楽しいし」と、ただただ、毎月送られてくる楽しい情報をのほほーんと読んでおりました。こんな私を許して下さいとは言いません(言えません)。こんなのんびりやの私よりもっと地平線さんに意欲的な方への対応を無理せず続けて下さい。陰ながら私は応援しております。頑張って下さい。私も旅は続けていきます。ではまた。/旅好き、アウトドア好きの少女(?)です。/大阪市 岡武愛子

●報告会には行ける時に行っていますが、その度に新しい世界が広がるようでとても楽しみにしています。今年の春、報告会のビデオを田舎(岩手)の兄に見せたら感動してました。普段は週末の休みは自転車で関東付近を走っています。長期休暇時は西へ東へ南へ北へ自転車のワダチを日本中に印すべく出かけていますが、近頃ちょっとご無沙汰しています。/アクリル樹脂板製造に従事するチャリンコ乗り。/横浜市 長田乾

●なかなか報告会に伺えません。通信で皆々様の活躍を手にして一人ごちています。すみません。忙しいといいながら、7月にインドネシア・バリへ行きました。5年ぶりくらいのバックパックツアー、熱帯で頭はやられるは、年取った部分力は出ないは、挙げ句の果て、小型バス(ベモ)の車中で、パスポートをかっぱらわれるはで、難渋しました。おとなしく殿様観光してればいいものを、ちょっとムリしちゃいましたか。お手数ですが、通信はいつも心待ちしております。どうぞ引き続きお送り下さい。/エンジニア/鎌倉市 長田憲二

●今、何が手伝えるか分からない。200回記念大会の時は、会場を手伝わせて頂きました。今年はあまり家から出れそうにないので、家でできる事があれば手伝います。/バイクオーナーズクラブ、Tenere Club Japan代表。他の趣味はシーカヤック。/埼玉県蕨市 尾崎勝一

●何がお手伝いできるかよく分からないのが正直なところです。今年からマラソンを始めました。42.195キロは遠いなあーと思っています。ウルトラが夢です。/たいした者ではありません。/東京都葛飾区 小澤真人

●三輪倫子様。奥さん、世界を股にかけて大活躍の様子。北ベトナムのハノイに行ってこられた由心より大きな拍手を送ります。私も53年前、昭和20年11月から21年5月まで、駅の3階を宿に中国軍の使役で、いつ祖国に本に帰るあてもなく毎日毎日を過ごした日々を思い出しました。昭和53年12月〜54年1月に私の戦友の墓参りに33年ぶりに一人でハノイを訪れ、感無量でした。戦争の空しさをしみじみ感じました。ハノイ駅のお正月から53回目のお正月は今年もまたエベレストの湖です。良い新年をお迎え下さい。/長野県下伊那郡 大沢茂男

●チベット・カイラスから帰って早4ヶ月。2月末、東京に引っ越します。何か手伝うものがあるでしょうか。/ただの学生。/東京都中野区 金守達也

●ごめんなさい。時間的に厳しくお手伝いできないと思います。地平線会議の人々のようなディープな旅はしてませんが、ここ最近ではスペインに2週間ほど行き、オブジェ巡りをしてきやした。/変人です。いやいや派遣社員+フリーターで週7日労働者やってます。なかなか地平線にも参加しなくてスミマセン。/東京都世田谷区 河内孝江

●何かお手伝いしたいとは思っているのですが、勤務の都合でそれがかないません。ごめんなさい。地平線通信は毎月とても楽しみにしております。今後も末永く継続して下さる事を願っております。スタッフの皆さんを陰ながら応援しています。ガンバッテクダサイ。/旅好きな平凡な公務員です。/横浜市 後藤正

●遠隔地にいるものとして、通信は唯一(でもないですが‥HARAPPAもありますが‥)の地平線との繋がりです。手伝えない心苦しさは感じています。自覚性のある働き過ぎで、筆を執るのがおっくうになり、遅い返事になりました。/神谷夏実氏の手下。平本達彦氏宴会チームの常連。/姫路市 近藤淳朗

●仕事に大きく波がありますので、都合の良い時だけという条件付きになりますが、お役に立てればと思います。とりわけ在宅で出来るもの(封筒作り、通信の折りなど)でしたら可能です。あと、展示会などで使うキャプション作りには自信があります。/上村直己さんの業績を顕彰する目的で設立されました(財)植村記念財団で学芸員をしております。たくさんの冒険家とお知り合いになりたいです。/東京都板橋区 内藤智子

●手伝う事は困難かと思われますが、月1回の集いには参加したいと考えています。ところで、時代を超えた(過去、未来)日本の中の地平線というテーマは今後非常に重視すべき視点と考えています。/環境・建築設計事務所/東京都三鷹市 富岡彰

●地平線通信、毎月ありがとうございます。僕は地平線DASの問い合わせをした際に地平線通信の事を知らされ、以来送って頂いている者です。アンケートの葉書を紛失してしまい返答が遅れて申し訳ありません。毎月楽しみにしていますので、また北海道からは会議になかなか参加できないので、これからも送って下さい。宜しくお願いします。/札幌市 高橋学察

●冒険とは全く関係ありませんが、読売演劇大賞最優秀作品賞を頂きました。京都に50日間暮らして作った作品「月の岬」での受賞です。今のところ、こういった新しい試みが私にとっての冒険となっています。/劇作家、演出家です。/東京都目黒区 平田オリザ

●何もお手伝いできぬまま、通信だけ楽しく読ませて頂きました。返事が大変遅くなってしまい申し訳ありません。通信のみ頂いているのも気がひけます。今までどうもありがとうございました。/東京都三鷹市 宮澤良美

●毎回送って頂いてありがとうございました。以前、関係者の方に「地平線通信」をSTOPして欲しいと言っておいたのですが、そのまま送られてきたようで・・。連絡遅くなりすみません。南米に滞在していたものですから。/写真屋/横浜市 森本啓司

●最初にお会いしたきり、約1年半、3分の1回行きました。帰りが忙しい(小田急が)。近況→この世とあの世を結ぶ壮大な宇宙的会がより重く深く広くと願う。人間の人生の意義を「教」える「宗(もと)」の会です。純粋宗教のアカシビトの集まり。夢、行、味わう人類の行く手を照射するリーダーたち頑張って下さい。/ツワ者。芸者。書者。書道家。ピリピン、コーリア、チーナと必ず外人に問われ者。/神奈川県相模原市 山家神水

●具体的には何も出来ないとは思いますが、宣伝布教活動は協力できるかと思います。/山と溪谷社勤務/東京都目黒区 大畑貴美子

●現在、神奈川県厚木市七沢にて縄文時代の丸木舟を復元中。今夏に伊豆半島ー神津島間の航海を予定しています。/原始技術士研究所研究員。マッチ、ライターなしで火をおこします。/神奈川県川崎市 大西琢也

●もうすっかり地平線会議とはご無沙汰してしまっていますが、地平線と出会ったおかげで、アフリカ旅行や南米旅行を楽しんでくる事が出来ました。最近、地平線で大活躍中の熊沢正子さんとも仲良くしてもらっています。これからも宜しくお願いいたします。/東京都小平市 大友壮一

●ちょっと無理かなと言う気がします。お手伝いしたい気はあるのですが、報告会への出席もここ1年以上できないでいますので、偉そうな事は言えません。/出版社社員。1972年アムカス探検学校参加。/千葉県柏市 太田明夫

●申し訳ありませんが、北海道にいてあまり手伝えません。地ビールの頂点を目指し、オホーツクビールを醸造しています。皆さん、是非、本場へ飲みに来て下さい。/ナチュラリストである。鯨の研究をしていた。これからのテーマは知床のヒグマです。/北海道北見市 大島陽

●事務局の仕事に追われ、報告会にもなかなか出席できない今日このごろですが、メンバーの方々とも時々お会いする機会もあり、毎月の「地平線通信」からも元気を頂いています。中畑さん、武田さん、いつもありがとうございます。通信費、喜んで払います。/緑のサヘル・事務局スタッフ。山田高志君、本所さんを通して地平線を知り、報告会に何度か参加。/東京都荒川区 大久保久美子

●現在、インドネシアに単身赴任中です。何もお手伝いは出来ませんし、通信を読ませて頂いているのも本人ではなく、別居中の連れ合いですが楽しく読ませて頂いておりますのでこれからもいります。/もう随分前にあふりかのトアレグ族の話をさせて頂いた梅沢です。/新潟県刈羽郡 梅沢政弘

●現在の自分にできることといったら、どこかの国の政府ではないのですが、お金を出す事だけです。自分も函館に来て早3年経ちました。そろそろ次の街へ流れようかと思っています。/函館市 岩淵清

●何かできるのでしょうか?/超シフト勤務で働くようになった運輸業の操縦士。/東京都世田谷区 今福徹

●地平線通信の発行、発送とホントにたいへんですね。いつもありがたく読ませて頂いています。みなさんの言動にいつも感心させられっぱなしです。/旅の話を聞いたり読んだりするのがが好きなただの会社員です。/東京都小金井市 稲倉由美子

●不況下サラリーマンにどっぷり漬かり17年過ぎています。関西で琵琶湖〜道頓堀まで川下りやダイビングで環境テーマに昭和56年頃遊んでました。昭和60年、ボルネオに洞窟探検したりしていました。現在は子どもたちをダシにしてボーイスカウト活動しています。/大阪芸術大学探検部OB。ボーイスカウト横浜79団・団委員/横浜市 伊藤郁夫

●仕事があってなかなか参加できませんが、出来るだけ遅刻してでも出席するようにいたします。/会社員です。/東京都世田谷区 石原功

●地平線の皆様、大変でしょうが灯を点し続けて下さい。/JACC(日本アドベンチャー・サイクリストクラブ)。/大阪市 池本元光

●3年前にシリアのベドウィンの村に行って以来、外国には行っていません。国内では北アルプスに時々出かけています。年に1〜2週間の旅がやっとというところです。/福岡市役所勤め。遺跡の発掘をしてる。一応考古学をやってます。長野さんに中国で88年に会って以来、通信を送って頂いています。/福岡市 池田祐司

●卒業しても就職せず、旅をするつもりです。カヌーでスカンジナビア、カナダ、ニュージーランドを旅して、徒歩でサハリンも北上。そんなのできたらいいなと思ってます。手伝えることがあるなら努力します。/富山市 飯田徹

●時間の都合が付けば、何か必要な事があれば協力したいと思います。/自営業。/東京都江東区 荒川昭

●20数年前、賀曽利さんの「極限の旅」を読み、アジア、ヨーロッパ、アフリカをバイクで旅したものです。渡辺ご一家と知りあいです。/埼玉県大里郡 新井茂登

●いつも通信を送って頂いているのに、何もできなくてすみません。通信に触発されて週末に岩上り‥と言う繰り返しでしたが、今年はアジア会館にも足を運ぼうと思います。仕事場でこっそり読むのがなんとも言えずいいんです。/エディター。/東京都千代田区 阿倍唯史

●自由人になりたいサラリーマン/千葉県船橋市 朝比奈隆

●いつもご苦労様です。パソコン通信やインターネットで皆さんと結ばれていますので、紙媒体はストップして結構です。発送作業など手伝えなくてスミマセン。これからも宜しくお願いします。/インドのアサノです。/東京都町田市 浅野哲哉

●最近、身の回りの事が忙しくて活動できませんが、会報を読んで刺激になります。通信費必要でしたらお支払いしますので、今後とも宜しくお願いします。/埼玉県浦和市 秋元修一

●報告会にも行けず、何のお手伝いもできなくて申し訳ありません。通信だけは毎回楽しみにしています。/茨城県つくば市 秋元一浩

●いつも地平線通信を送って頂きどうもありがとうございます。講演の方はなぜか用事がぶつかる事が多くて、あまり出席できないのが残念なのですが・・。お世話になっていますので、何か私に手伝える事があれば、是非お手伝いをしたいです。ワープロ打ちとかくらいしかできないかもしれませんが‥。/ライター/埼玉県越谷市 青木ゆり子

●先日、ローマの田口に会ってきました。500年前の家を加増したアンティークマンションに住み、車を乗り回してました。現在はアフリカへ転勤。/1日の仕事は2時間ほど(ときには紹介者がある初心者のいる日は4、5時間働く事も)自宅の鍼灸院で。スポーツクラブに週3日通い、ウェイトトレーニングと水泳。日中はデザイナーズレストランや話題の店でランチ巡り。自宅で月2〜4日はパーティ。人が人を呼び、3年にして約300人が来訪。仕事の疲れを癒し、リフレッシュするために年4回は海外へ。趣味に生きる暇人です。「いそがしい」という言葉は使った事がないし、簡単に使いたくありませんね。三輪さんも暇ならパーティへどうぞ。連絡をお待ちしております。/東京都世田谷区 相川弘之

●地平線通信を読むだけの人!! デシタ。でも毎月非常に楽しく夢を見させて頂いた旅好き、山好きでもあります。ますますのご発展を願っています。/東京都板橋区 相川八重

●いつも楽しく読ませていただいています。返事をと思いつつこんなに日が経ってしまい申し訳ありません。熊本に来て3年目になります。去年は夏期講習(塾)の小6国語のテキストに賀曽利さんの文章が出てき、埼玉に住む母からは久島さんのJTBの広告文を送ってもらい、本屋で見た重さんの本で長野さんが夫と同じ大学の同じ学科卒であることを見つけ、いろいろ驚きもし、嬉しくもありました。ここにも地平線の支部があるようですが、写真展が開催されるならお手伝いしたいなあと思っています。皆さんによろしくお伝え下さい。/中国放浪中に久島さんと出会ったのが地平線との出会いでした。何度か辺境自炊委員会にて長野さん宅へお邪魔もしました。協力隊OGです。今は日本語教師と、映像制作の仕事をしています。/熊本県熊本市 齊藤雅子(7月7日付の消印でした)  [おわり]


地平線新刊情報

「四国三十三ヶ所カヌー膝栗毛 付・韓国済州島漕登録」
吉岡嶺二 限定私家版[1700円+郵送料300円]
〔延べ33日にわたる“尺取り虫方式”での四国一周漕行記録。番外編の済州島を含む〕

問合せ・申込み:吉岡嶺二さんへはがきまたは電話で
(〒248-0033 鎌倉市腰越3-27-6 Tel 0467-31-6602)


地平線はみだし情報

7月の報告者続素美代さんも出演しているIMAX映画エベレスト
東京アイマックス・シアターで上映中。

新宿高島屋タイムズスクエア12F 03-5361-3030(代表)03-5361-3031(予約専用)
http://www.sme.co.jp/IMAX/



今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)

地平線通信229裏表紙 12/25
FRIDAY
6:30〜9:00 P.M.
アジア会館(03-3402-6111)
\500



クロスピークで昼食を
 5年前、宮澤美渚子(みさこ)さんは、ヒマラヤのコンデリ山頂で還暦を祝いました。6000mの登山はこれで最後と思い、下山後すべての装備をシェルパにプレゼントしたそうです。
 しかしヒマラヤの魅力忘れがたく、以来2峰の6000m峰を登頂。
4峰目に選んだのがクロスピーク(6510m)です。夫の憲さん(71)が35年前に挑み、頂上間近で敗退したという因縁深い未踏峰。
 今年9月に現地入りしたものの、登山許可がおりないままの決行、憲さんのリタイアなどのトラブルを乗り越え、ついに10月8日午後12時50分登頂成功。体力の限界に挑む厳しい山行でした。
 今年最後の地平線報告会は、宮澤さん御夫妻を迎え、ヒマラヤのの魅力と、お2人のバイタリティの秘密を語って頂きます。


通信費(2000円)払い込みは、郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議/料金70円

地平線ポスト宛先:〒173-0023 東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方
E-mail :
お便りお待ちしています



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