
7月15日。昼過ぎの気温34度。日本も世界も完全に猛暑の季節に入った。
◆6月中旬、江本、長野亮之介、落合大祐、車谷建太、それに光菅修君、さらに前回も同行してくれた北大探検部出身の五十嵐宥樹、笠原初菜さんを加えて旭川経由で西興部村に行ってきた。どんな行動だったかは、4ページからの笠原さんほかのレポートを見てほしい。
◆笠原さんは西興部村での出来事を中心に書いてくれているので付け加えると、旭川から入ったおかげで西興部村以外の北海道の人たちと交流できたことは素晴らしかった。深川市の森の中でお会いした野谷夏海さんは「働く馬のコンサルタント」を名乗る若い女性だ。1歳の愛馬、フーぺをテーマにした「フーぺのカレンダー2026」という葉書大のカレンダーを下さったが、その1枚1枚に溢れんばかりの馬に対する愛情が迸り、なんだかジン、ときた。その野谷さんと愛馬が9月には西興部村まで来てくれるのだ。
◆6月27日に予定していた稲葉香さんの地平線報告会、台風の襲来で急遽延期を決めた。大阪唯一の村で暮らす報告者の稲葉さんが、大阪市内に出る足もなくなり、報告会どころではなくなった。素早くウェブサイトなどでお知らせしたが、会場の榎町地域センターに連絡したらこの日は「全館閉館」とのこと、中止を知らずに会場に参じた人はいなかった、と聞いてほっとした。
◆1979年9月に第1回報告会を開いて以来、お天気で報告会を中止したのは今回が初めてだ。あらためて、毎月毎月、よく続けてきた、と思う。稲葉さんも地平線会議も7月以降はいろいろ予定があるためドルポ報告会の実施は早くて12月になりそうだ。
◆7月12日、武蔵小金井のカフェで関野吉晴を中心に西興部でのイベントの打ち合わせをした。「旧石器時代」のすごさを強調するのを聞きながら「アマゾンの森から日本の森へ」というタイトルが自然に決まった。翌13日深夜、ニュースを見ようとテレビをつけると、関野が出てきた。かって担当ディレクターが地平線報告会に顔を出していた「クレイジージャーニー」という番組。「関野吉晴11年ぶり登場。77歳究極サバイバル」というタイトルだ。で、一体何を? 本気で石器時代の暮らしを実践している、その数日を追ったドキュメンタリーだった。
◆何も持たず、ただただ「本物の自給自足」を実践している。「旧石器時代」の生き方を意識しているので鉄のナイフは使えない。薄い鋭利な黒曜石をナイフがわりとし、とくに浅瀬に頻繁に顔を出すウツボを捕まえる場面が面白かった。ウツボは素早い動きで何度も関野の手をすり抜ける。ついに竹を削いで何本か合わせた「槍」を作って仕留めた。それだけではまだ逃げそうなのでなんとドクトルはいきなりウツボの頭をがぶりと噛み砕いてしまった。火をおこして、ウツボを炙る。ずっと貝ばかり食べていて沖縄ではこれが初めての魚だそうだ。
◆これはテレビ番組ではなく記録に残すべき、とうなったら、実は3年前に始まったドクトルの旧石器的生活はムサビの教え子でもある映像作家、江藤孝治さん(41)が継続して撮影を続けている、と知り、安心した。アマゾンに通っていた青年、関野吉晴との出会いは地平線会議誕生の1年か2年前だが、いまなおなんと青青しいことか。
◆どんぐりと貝を食糧に77歳にして“旧石器人”を宣言したドクトルの行動は、地平線モリズムの強烈なテーマとなることは間違いない。なお、さきに予告した服部文祥さんは北海道地平線には参加せず、後日あらためて“文祥1本勝負”として登壇してもらうことにします。ご了承を。[江本嘉伸]
■9月の「地平線モリズム西興部」、プログラムがようやく詰まってきました。西興部村はかつては林業が盛んだった地域で、総面積の9割近くが森林という「森」の村です。そこで今集会の大テーマは「森」として、森での暮らし、なりわい、森の木々や生き物など、地球規模の話題が展開するような催しにしたいと思います。いつもの報告会と同様、参加費は500円です。

◆9月4日(金)
17時〜 モリズム前夜祭[GA.KOPPER]
賀曽利隆さんの夕べ/リレートーク 飛び入り歓迎
◆9月5日(土)
10時〜 地平線モリズム Day 1[プラムホール]
品行方正楽団によるオープニング/賀曽利隆さんの「巨木紀行」/北大雨龍研究林から坂井励さん「旅の続きを森でみつけた-これからの北海道林業」/関野吉晴さん「アマゾンの森から日本の森へ」
◆9月6日(日)
9時〜 地平線モリズム Day 2[プラムホール]
野谷夏海さんの「働く馬」/豊富から田中雄次郎さん/猪熊隆之さんの観天望気ワークショップ/澤柿教伸さん (終了予定16時)
◆メイン会場のプラムホールは、「ホテル森夢」と同じ建物内です。まだ流動的なコマが残っています。あえてギリギリまで決めず、臨機応変に進行したいと思います。ひょっとしたら当日急にアナタに話してもらうことがあるかもしれません。そのときにはおじけずによろしくお願いします。[落合大祐]
■いよいよプログラムが決まりかけてきた9月4日(金)〜6日(日)の地平線会議 in 北海道「地平線モリズム」。小さな村の宿泊施設が限られているため、この期間の宿泊は地平線会議でまとめて手配します。もう50名以上から参加表明をいただきました。宿泊はそろそろ締め切ります。7月31日までにモリズム特設ページから氏名と連絡先の登録をお願いします。ドミトリーまたは相部屋になることもあるのでご容赦ください。開催が近づきましたら個別に連絡します。8月に入ってからも受け付けますが、ベッドや寝具が確保できるかはわかりません。シュラフ持ち込み歓迎です。

https://www.chiheisen.net/morism/
■9月4日〜6日の北海道・西興部で開催される地平線会議の拡大集会「地平線モリズム」まであと2か月を切りました。すごく楽しみだし、待ち遠しいし、いよいよという感じもしますね。「バイクのカソリ」、ぼくは相棒の250ccバイク、スズキVストローム250SXを走らせて西興部まで行こうと思っています。このバイクでは昨年、ナイロビ→ケープタウンの「アフリカ大陸縦断8445キロ」を走りました。今年に入ってからは、東日本大震災の大津波で大きな被害を受けた東北の太平洋岸を見てまわる「鵜ノ子岬→尻屋崎2837キロ」を走りました。
◆会場の西興部村までのルート選びは楽しみです。「さ〜て、どう走ろうか」と地図を見ながらプラニング。まさに至福の時を過ごしましたが、その結果、西興部までの往路は日本海ルート、復路は太平洋ルートを走ろうと決めました。函館を拠点にして反時計回りでの「北海道一周」。北海道本島の東西南北点に立ち、その間では北海道の巨木を見てまわりたいのです。
◆往路の「函館→西興部」間では乙部町の「縁桂」(樹齢500年以上のカツラ)、江別市の「昭和の森のクリ」(樹齢800年以上のクリ)、石狩市の「千本ナラ」(樹齢800年以上のミズナラ)、中頓別町の「千本シナ」(樹齢200年以上のシナノキ)、下川町の「七尺ニレ」(樹齢300年以上のニレ)を見てまわり、国道239号の天北峠を越えて地平線モリズムの会場まで行きます。
◆西興部村に着いたら周辺の峠を越えたいですね。道道137号の瀬戸牛峠から滝上町との境の札久留峠まで行って西興部に戻るのです。瀬戸牛峠からは西興部の町並みを見下ろした記憶があります。
◆北海道の峠で興味深いのは峠名です。先の天北峠は下川町(天塩)と西興部村(北見)の境の峠ですが、天北峠はもうひとつあります。国道275号の天北峠で、音威子府村(天塩)と中頓別町(北見)の境の峠です。
◆北海道は明治2年(1869年)に従来の七道にならい8道目の北海道となり、石狩、後志、渡島、胆振、日高、十勝、釧路、根室、北見、天塩、千島の11か国に分国されました。その国名を合成した峠名が道東、道北には多いのです。天北峠のほかにも塩狩峠、狩勝峠、日勝峠、勝北峠、釧勝峠、釧北峠、根北峠があり、石狩、十勝、北見3国国境の三国山(1541m)の南西には三国峠があります。三国山は3国国境ですが、三国峠は石狩・十勝の2国境です。
◆復路の「西興部→函館」間では置戸町の「三本桂」(樹齢300年以上のカツラ)、網走市の「美岬のヤチモダ」(樹齢400年以上のヤチモダ)、標茶町の「標茶のミズナラ」(樹齢不明のミズナラ)、上士幌町の「十勝三股のハルニレ」(樹齢不明のハルニレ)、美瑛町の「森の神様」(樹齢900年以上のカツラ)をまわり、最後に「洞爺湖中島のアカエゾマツ」(樹齢不明のアカエゾマツ)を見て函館に戻ろうと思っています。
◆ぼくは今、日本中の巨木を見てまわっていますが、じつに面白いですよ。神が宿っているかのような巨木は森のシンボル。北海道への行き帰りでは、「東京→青森」では日本海ルート、「青森→東京」では太平洋ルートを走ります。その間では、まだ見ぬ東北の巨木を探し求めていきます。東北は我がフィールド。ここ何年か東北の巨木を見てまわっていますが、東北の巨木30選を選びましたので、その写真を西興部に持っていきます。東北の巨木はすごいですよ。「日本一級」の杉沢の大杉(福島)、三春の滝桜(福島)、山五十川の玉杉(山形)、東根の大欅(山形)、鳥海山のあがりこ大王(秋田)、稱名寺の大椎(宮城)、三陸大王杉(岩手)、北金ヶ沢の大銀杏……とじつに多彩です。
◆地平線会議の拡大版集会といえば恒例のオークションですよね。かつての競り人、故恵谷治さんの見事な掛け声が思い出されます。まあ、それはおいてカソリ、何を出品しようかとさんざん考え、江本さんにも一緒になって考えてもらった結果、「世界の砂漠」の砂を持っていくことにしました。サハラ砂漠をはじめとして、アフリカのナミブ砂漠、アジアのタクラマカン砂漠、ゴビ砂漠、南米のアタカマ砂漠、オーストラリアのシンプソン砂漠の砂をガラス瓶に入れましたが、命を張ってバイクで砂漠を越えたシーンが次々に蘇ってくるのでした。その時の写真も添えて「世界の砂漠」の砂の入ったガラス瓶6本を西興部に持っていきます。どうぞご期待下さい。ということでみなさん、西興部でお会いしましょう![賀曽利隆]
■皆さん、こんにちは。「ちえん荘」の、笠原初菜です。先月、「地平線モリズム」の下見や打ち合わせのため、江本さん、長野さん、落合さん、車谷さん、光菅さんが西興部を訪れるとのことで、私と五十嵐がご一緒させてもらいました。そのときの様子を、私なりに振り返ってみたいと思います。実際は、深川市で「フーペ」という名前の愛馬を飼う野谷夏海さんに会い、馬と触れあわせてもらったり、私の地元である南富良野町を訪れたのですが、今回は西興部村での出来事を書きます。
◆前日は深川市で解散後、東京からの皆さんは旭川に宿泊、五十嵐と私は東神楽町のちえん荘へ。午後イチに西興部村役場に各々集合、のはずだったのだが、北上する途中、下川町で昼食を食べようとたまたま選んだ喫茶店のドアを開けると、江本さんほか皆さんが勢揃いしていた。……わお! 村役場では、猟区の伊吾田順平さん、役場職員で地平線モリズム担当の橋場唯さん、東大起さん、そして音響、映像など機材関係を中心に協力をお願いしている亀津鴻さんを交えての打ち合わせ。当日のスケジュールを、落合さんが用意してくれた資料を元に具体的に詰めていく。びっくりしたのは、途中でメイン会場のピアノの調律について話し合っていたとき。この話題になって1分も経たないうちに橋場さんが「担当が違うので……。呼んできましょうか」と言って、数十秒後には会議室に教育委員会担当の中内太さんが来てくださっていた。あっという間に調律のことや当日使う和太鼓についての疑問が解消された。なんとスピーディーな展開。西興部村役場の風通しの良さ、部署間の普段からの良い関係が垣間見えた気がして、暖かい気持ちになった。小さい村役場だからこその人間関係なのかな、と。
◆夕方、元小学校の校舎を改装したゲストハウスGA.KOPPERで、元旅人であるオーナーの浅野和さん千世さん夫妻に出迎えてもらう。まずは宿である校舎内を案内してもらった。各部屋やあらゆる場所にちりばめられているワクワクのかけら、例えばクライミングしないとたどり着けない2段ベッドの上の段、寝室の段差ステップとして置かれた古木の割れ目にさりげなく埋め込まれている色とりどりのシーグラス、ギター型にくり貫かれた廃材板(村内のギター工房で出たもの)を何十枚も重ねて作られた長椅子……、実際に訪れて見て触れてみないとここの楽しさはわからない。事前に写真で見て想像していた場所とまったく違っていた。なので詳しくは書かない(書けない)が、とにかく素敵な空間だ。
◆夕食前に談話室に集まり、浅野さんや地元西興部小学校の濱哲哉校長先生、役場に就職した元酪農学園大生の川合慧君も合流。主にGA.KOPPER での前夜祭や、小学生たちとの交流をどのように実現できるか、の話し合いが行われた。江本さんが「気象の専門家である猪熊隆之さんのお話を、ぜひ子どもたちにも聞いてもらいたい」と濱先生に投げ掛けると、「前年度から計画しておかないと授業に組み込むのは難しいが……」と学校側の事情を打ち明けると同時に「子どもたちに冒険家の方や気象の専門家などの生きざまを聞いてもらいたい、こんな生き方もあるのか、と広い世界を知ってほしい」と語ってくださったのが印象的だった。ここでも、小さい学校ならではの先生方の柔軟性や、心意気を目の当たりにした気がした。
◆夜は、地元の食材がたっぷり使われた色とりどりのご馳走が並んだ交流会。ウェンシリ太鼓の藤田麻美さんや高橋亜季さん、スコップ三味線弾きの高橋啓子さんも合流した。ビュッフェ形式に並ぶ一つ一つの料理には、浅野家の長女の巴ちゃんが手描きしたイラストつきの料理名の札がついていて選ぶのが楽しい。初めて食べて「真似したい!」と思った料理は「鹿肉のタジン」というスパイス煮込み。他にも生春巻き、地元のチーズ各種、新鮮なホタテの刺身、伊吾田順平さんが作ってきてくれた熊肉の味噌煮込み、啓子さんが作ってきてくれたフキの味噌漬け……そしてまだまだ沢山。どれも本当に美味しくて会話も弾んだ。品行方正楽団による「地平線西興部音頭」の歌詞が配られて音源が流れると、車谷さんと長野さんの歌声につられてみんなで唄いながら踊った。お酒も入って楽しくお開きかと思いきや、解散後に地平線メンバーは再び談話室に集合。落合さんが作ってくれたタイムテーブルの資料を見ながら、さらに詳細を詰める。解散したころには日付がとうに変わっていた。
◆朝食後、元村長の高畑秀美さんと面会。地平線モリズムは森がテーマ、ということで、周辺地域の林業についてお話していただいた。「冬の仕事として、農家の人が馬搬をやる風景を覚えている。馬が何十頭も連なって……」と幼いころの記憶から始まり、「林業が栄えていた私の若いころ、ボーナスが100%だと言っていた友達がいた」との驚きの時代のこと、そして「天然林を切りすぎて川に水がなくなり、山の保水力がなくなった」「(高卒で就職のために)ここに来たころは年中水が潤沢にあってヤマベすくいができたが、今は夏場は水が枯れる」と現代の話に続く。つい最近観た山上徹二郎さんと今井友樹さんの映画『森に聴く』で伝えられていたメッセージに通ずる話だ。高畑さんが6月号に寄稿していた「私の田舎遊びを聞いてください」はとても素敵な内容だったので、まだ読んでいない方にはぜひ読んでみてもらいたい。
◆次は、鹿の革をなめしてその革でコインケースやアクセサリーなどの小物製作まで手掛けている、伊吾田良子さんの工房にお邪魔した。畳10畳ほどの小さなスペースで行っている革なめしの現場。すでに表面の毛がきれいに脱毛され、なめしが終わってベニヤ板に貼り付けられた鹿革が十数枚、カード立てにカードが刺さっているような感じで、等間隔に立て掛けられていた。現在は春と秋の年に2回のなめし作業のうち、春なめしの終盤だそうで、立て掛けられた革たちは、乾燥中のものだそう。横には浴槽のような容器があり、その中にはタンニンにつけられた、白っぽくて少し鶏皮みたいな見た目の皮が浮かんでいる。ミモザの木質部のタンニンを使ってなめしているそうだ。
◆良子さん曰く、革なめしの工程は以下の手順。冬に確保した皮を塩蔵→春シーズンの場合はGW開けから何度も水につけて生皮の状態に戻す→皮の裏の肉片や脂肪を手作業で落とす→アルカリ溶液に浸して脱毛→アルカリを酸性に戻してから3段階で濃度を上げながらタンニン漬け(この工程に1か月以上かかる)→油を添加して乾燥。「私ともう一人の2人での作業なので、1年で合計30枚しかなめせない」という。皮を製品として使えるようにするまでにひと月半はかかるそうだ。「やっていて楽しい作業はありますか」という質問に対し「なめしの工程はどれも本当に大変だけど、毎回出来上がりが違うのでうまくできたときは嬉しいし、作品になったときに喜びを感じられる」と答えてくれた。革製品を売る人の中でも、なめし工程まですべて自分たちで行っている工房は日本でもここだけなのだそうだ。光菅さんが、前日GA.KOPPER で購入したというコインケースをみんなに見せてくれた。薄茶色のすべすべした柔らかい革が、カラフルな糸で縫製されている。私は買っていなかったのだが、実際になめしの現場を見せてもらい、良子さんからひとつひとつ手間のかかる作業のお話を聞いて、人の手で時間をかけて丁寧に作られたものなんだな……という実感が沸いたら、欲しくなってきた。こんど来たときは、作られる過程のことも想像しながらじっくり選んでみたい。
◆帰り際、鹿肉をさばいていた順平さんにみんなで挨拶すると、「ちょうど一番美味しい部位があるよ、お土産にどうぞ」と、背ロース(でしたよね……?)を2本、私と五十嵐に持たせてくれた。帰宅後、ちえん荘の仲間たちと焼肉にしていただきました。柔らかくてジューシーで美味しかったです、ごちそうさまでした![笠原初菜]
■先月の通信でお知らせして以降、通信費(1年2000円です)を払ってくださったのは以下の方々です。万一記載漏れがありましたら必ず江本宛メールください。通信費を振り込む際、通信のどの原稿が面白かったかや、ご自身の近況などを添えてくださると嬉しいです。メールアドレス、住所は最終ページにあります。
水落公明(3000円 地平線通信をお送りいただきありがとうござます。毎月ボリュームのある内容、読むのが楽しみです。当方、高齢の母の面倒見のため、長期間家を空けることができず、悶々とする今日この頃です) 坂本富士夫 花岡正明(30000円 24回という引っ越し人生からようやく落ち着いて15年。その分の通信費です) 藤井正彦(10000円 中村保さんの会で久しぶりに江本さんに会えました。その際いただいた地平線通信に惹かれて) 長瀬まさえ(4000円) 鈴木泰子 野口健志(6000円 通信費2年分+カンパです) 北村憲彦(6000円 たぶん3年分未払いかと思います。高校生登山部の宿泊数制限や指導者の育成に教育委員会にも応援してほしいと思います) 風間深志(10000円)
■「地平線モリズム」2度目の視察で最初に訪れたのは野谷夏海さんの馬がいる深川市内の牧場だ。街から少し離れた小高い牧場の柵の中に入ると、野谷さんの馬、フーぺ(1歳)のほか、一緒に住むチェリー(25歳)、ポコ(15歳)という三頭の馬が人懐こく寄ってくる。野谷さんは馬主としては日が浅いが、馬で物を運ぶ「馬搬」の経験も重ねてきており、夢は広く深い。おじいちゃんから受けついだという山林を案内していただいた。本州の山に比べてなだらかな5haの山林は主にエゾマツの植林地。林内には様々な鳥の声が心地よく響く。
◆「ちえん荘」の林業家、五十嵐宥樹くんたちと、この山で馬搬の実践も始めている。混んでいる針葉樹を抜き切りする「間伐作業」をして、馬で運び出す「ヤブ出し」を秋から冬場に行う。残したい広葉樹にもマークがつけられていたり、密度調査をした痕跡があったりと、試行錯誤しながら山を生かす方策を考えている様子が窺えて楽しい。「いつか、馬たちのお墓もこの中に作りたいんです」と森の奥まった一隅で話してくれた。
◆かつては第一次産業の様々なシーンで重要な動力源となっていた馬や牛は、1950年代以降、石油動力の普及に押されて現場から消えていった。しかし輸入に頼るエネルギーの儚さも見えてきている。馬搬のような取り組みが若い人の間で見直される機運は応援したい。モリズムでは野谷さんと五十嵐くんの話も是非とも聞き逃さないで欲しい。[長野亮之介]
■我ら品行方正楽団が地平線モリズムに参加することが決まり、メンバーで集まった最初の夜。白根全さんの「お祭りならやっぱり盆踊りでしょ!」という一声から、あれよあれよと『西興部音頭(品行方正楽団バージョン)』は完成した。唄のなかには「太鼓の調べに乗って村のみんなが踊り出すと、その音につられて森のなかから動物たちも出てきて、皆が輪になり踊り出す」というイメージが込められている。この音頭が地平線の仲間たちと地元の村の皆さんの心を繋げる役割を担えるのならこんなに嬉しいことはない。
◆「まずはこの音頭を村の皆さんに届けよう」。そんな想いで向かったこのたび2回目の西興部訪問旅で、その瞬間は突然に訪れた。村の役場の方々と西興部小学校校長が一同に集ったGA.KOPPERでのミーティング。話の流れで急遽持参したスピーカーで『西興部音頭』を聴いていただく展開に。やや緊張気味にプレゼンを終えると、校長から「今のうちから校内放送で流しましょう」との嬉しすぎるお言葉をいただいた。
◆実はこれまでにも水面下では素敵なご縁が働いていて、今回のオープニングで品行方正楽団とコラボ演奏をする地元「ウェンシリ太鼓」代表の藤田麻美さんに事前にこの音源をお送りしたところ、偶然その場に居合わせていた「スコップ三味線」の高橋啓子さんが聴くや否や「踊ってみたくなる曲だね」と即興で自由に踊り出したという経緯があった。
◆そこで麻美さん、啓子さん、亜季さん(ウェンシリ太鼓メンバー)のとても元気な女性3名にも揃って参加してもらったGA.KOPPERでの懇親会。「振り付けはどうしよう?」。見渡せばゲストハウスオーナーの浅野さんご夫妻や音響担当の亀津さん、五十嵐くんに笠原さん……。その場に居合わせた皆で相談しながら振り付けを合作できたらこんなに愉快なことはない。ある程度お酒も入ったところでスピーカーから音源を流すと、皆が想い想いに唄いながら身体を揺らし始めて踊り出す。あちこちで笑いが起きているし、何よりもノリが良い。
◆振り付けは「簡単に覚えやすいのが一番」なのだけれど、いざやってみると意外とその場で考案する難しさも痛感。結局今回は振り付けの完成には至らなかったけれど、求めていた輪の雰囲気と皆さんの笑顔を見て、「ああ、大丈夫。これは本番も楽しくなるなぁ〜!」と一人勝手に安堵したのでありました……。
◆まあ、お祭りっていうのはそもそも事前にデザインしきれるものではないし、その場その瞬間のみんなのノリさえあればどうにでもなる世界。さぁ〜て、本番では西興部の森を舞台に一体どんな踊りの花が咲くのでしょう……? 皆さん大いに楽しんで、唄って踊ってまいりましょう〜♪♪♪[車谷建太]
■2026年9月4〜6日に予定している北海道西興部村での地平線会議を成功させるため、1万円カンパを進めています。少しでも多くの青年たちが集う場所にしたい、というのが私たちの願いです。おかげさまで、6月までに目標額の100万円は達成しました。皆さんの熱い心に心から感謝申し上げます。ありがとうございます。カンパは引き続き受け付けておりますのでどうかご協力ください。[江本嘉伸]
賀曽利隆 梶光一 内山邦昭 新垣亜美 高世泉 横山喜久 藤木安子 市岡康子 佐藤安紀子 本所稚佳江 山川陽一 野地耕治 澤柿教伸(2口) 神尾眞智子 村上あつし 櫻井悦子 長谷川昌美 豊田和司 江本嘉伸 新堂睦子 落合大祐 池田祐司 北川文夫 石井洋子 三好直子 瀧本千穂子・豊岡裕 石原卓也 広田凱子 神谷夏実 宮本千晴 渡辺哲 水嶋由里江 松尾清晴 埜口保男(5口) 田中雄次郎 岸本佳則 ささきようこ 三井ひろたか 山本牧 岡村まこと 金子浩 平本達彦・規子 渡辺やすえ 久保田賢次 滝村英之 長塚進吉 長野めぐみ 北村節子 森美南子 飯野昭司 猪熊隆之 岡村節子 加藤秀宣 斉藤孝昭 網谷由美子 阿部幹雄 高橋千鶴子 岡貴章 森本真由美 山本豊人 小林由美子 斉藤宏子 渡辺三知子 小林進一 岩渕清(3口) 那須美智 森国興 丸山純 関根皓博 三輪主彦 中山綾子 小村寿子 大嶋聡子 中島菊代 酒井富美 平靖夫 下川知恵 江口浩寿・由利子 河野典子 古山里美 河田真智子 野元啓一 野元伊津子 成川隆顕 神長幹雄 中嶋敦子 桃井和馬 光菅修(2口) 田島裕志 河村安彦 五十嵐宥樹 笠原初菜 恩田真砂美 滝野沢優子 西牧結華 谷口尚武 花岡正明 北村カズヒコ 吉野透 山田まり子 中村保
★1万円カンパの振り込み口座は以下のとおりです。報告会会場でも受け付けています。
みずほ銀行四谷支店/普通 2181225/地平線会議 代表世話人 江本嘉伸
■栃木の美術館での展覧会に参加します。すばらしいアーティストの方々とご一緒させていただきます。参加する前から圧倒されています。[緒方敏明]
いえとまち 棲むということ
お城、建築途中の家、風景の中の家々、見慣れた風景、夢で見た情景、空想のなかの都市計画図、城塞のような架空の街、小さくて大きい建築…作家達は身近な家や街を各々の目線で捉え、その表現は実にさまざまです。
期間 7月17日〜11月23日
開館時間 10:00〜17:00
休館日 毎週月曜日(但し、7/20、9/21、10/12、11/23は開館 7/21、9/24、10/13は休館)
入場料 大人1,000円
場所 もうひとつの美術館 https://www.mobmuseum.org/
栃木県那須郡那珂川町小口118-2 TEL 0287-92-8088
出展作家 大家美咲 緒方敏明 香川定之 株田昌彦 川島直人 神山亜津美 後藤拓也 鳥山シュウ hideki
主催 認定特定非営利活動法人 もうひとつの美術館
※近隣各所に温泉もあります。

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■夕食の炊事にかかっているとき、固定電話が鳴りました。「ボーヤ」からです。「米ドルを支えるために、日本国民は30年間成長なし、所得に変化なしで、子羊のようにひたすら忍耐し続けてきました。日本にはご主人様に寄り添い、忖度してばかりいる、世界にマレに見るリーダーたちがいたからでしょう。ところが、今、自分さえ良ければいいという世界になりつつあります。日本は自立すべきでしょう」と言うのが私の持論です。それに似た論を展開している本を見つけたので送付してくださったとの伝言でした。そして彼も感想をとうとうと語り、夕食時などかまわない長電話になりました。
◆いつもながら、彼との議論が面白く、自己流の特製スープで今現在煮ているワンタンは、いずれ焼きワンタンになるであろうと推測されましたが、覚悟して電話を切らない方を選びました。わがガスレンジは水分がこぼれるとストップするし、なべが一定以上の温度になるとストップするようです。「取説」でなく、経験でこれを知っていますのて、安心して話しこみました。
◆「ボーヤ」と呼びますがもう83歳のおじいさんです。私より5歳下です。戦争で北沢のわが家が焼け落ち、小さな借地でしたので、父は近所のかなり広い、洋行帰りの中江邸の跡地を借地しました。家を建てるとの意気込みでした。その地主がボーヤの祖母です。残念ながら借地は返還され、ずっと間借り住まいになりました。高3のとき、ボーヤの祖母に懇願され、中2の坊やの家庭教師をしました。つまりこのとき、ボーヤは5歳下でした。ですから今も。
◆ボーヤの父は戦死、母は跡継ぎのボーヤをおいて、再婚しました。大地主のボーヤの祖母は故郷の財産の整理にその夏帰郷しました。留守を私が預かり、ボーヤの家に合宿して勉強を教え、自炊し、受験勉強しました。高3ですから。彼が高校、大学を経て時事通信社に就職した後も絆は強く結ばれていました。私の初モンゴル出張のときも、空港まで見送りしたのは身内ではボーヤと弟の二人でした。
◆彼は時事通信の出版部でしたので、企画の段階から私は相談を受けたこともありました。私も環境、エネルギー問題で80年代の初めころ、彼にずいぶん勉強させられました。当時の彼の企画の環境問題の数冊を所持していますが、現状の地球環境は、今頃まだそれやっているのと、その本たちにあきれられていることでしょう。彼の企画は時事通信のカラーから外れているといわれるほど、水際だったものでした。
◆当時環境問題で著名だった米国の環境運動学者のバリー・コモナーの『エネルギー 危機の実態と展望』を1977年に時事通信社で手がけたのが彼、ボーヤでした。この本はエネルギー危機、環境保全など今日問題とされるすべての問題に触れている古典です。当時、車社会に対応するために次々路面電車を廃止していく愚を説いていたのが印象的でした。50年経た今、本連載の第1回でライトレールに触れたのはこれによったわけです。
◆次に時事通信社から出たヒットは1979年のエネルギーと資源戦略問題の大御所エイモリー・ロビンズの『ソフト・エネルギー・パス』で、惨事を招くエネルギーを避けて、風力、太陽熱など、提案をしていました。それは1983年の『エネルギー・戦争』に続きました。その間に核に関する書物群がでて、スリーマイルズ島の惨事が論じられ、被爆の問題がとりあげられました。やがて、D・ディクソン『オルターナティブテクノロジー』からP・ハーパー、G・ボイルの『ラジカルテクノロジー』(1982)に行き着きました。
◆今同様な問題がこの日本でとりあげられて、熱くではなく醒めた論調で語られています。大体の不都合な現象は少子化と地球温暖化のせいになっています。しかし、地球温暖化説に与しない考え方があるのも事実です。故梅棹忠夫先生がウランバートルに見えたとき、モンゴルに植林してもだめだと言っておられました。それは地球が温暖になったからではなく、マントルが地表に近く上がってくるから砂漠化が起こるので、何度植えても効果なく、それは花田君の頭から髪の毛が生えて再生するのを待つようなものだと仰せでした。
◆高校で地学を選択した同級生の何人かは地質学者になり、退職後ウランバートルの私の住まいを同級生たちが訪ねてきた中にも地質学者がいました。そのとき日本の石油掘削の第一人者である友人が言いました。「地球全体の熱の収支の帳尻があっていれば、温暖化など騒ぐことない。地球はスノウボウルになったこともあり、今間氷期だから、また寒冷期がくるかもしれない。もちろん、太陽が膨張しているというか、地球も遠心運動のエネルギーがそがれて、太陽に落ちて行くので、やがては温暖化どころか熱くなるが、遠い先の未来で、だいたいそのとき人類がいるかも疑問であり、今心配することではない」。ですから、トランプ大統領にも一理があるのかもしれません。でも現実の大規模洪水災害など見ている私は心配です。
◆トランプ大統領が主導して米国はパリ会議を離脱しました。こんなトランプ大統領を環境問題でもどうしても信用できません。トランプ大統領はグリーンランドを併合しようとしたり、ヴェネズエラ、イランなどに攻撃をしかけています。「国際法でわたしを止められない。止められるのは私の心だけ」とうそぶいています。世界秩序を意図的に破壊しています。それにしても米国民はどうしてトランプ大統領を野放しにしているのでしょう。上記の米国人学者群のホットな論陣はどうなったのでしょうか。かれらは米国のみならず、世界の良心だったのですから。(おわり)
■地平線通信566号の発送作業は、6月17日、いつもの榎町地域センターで無事終了しました。先月号のあとがきにあるように、落合大祐さんは出張先のバルセロナでフロント原稿とあとがきをレイアウトしてくれました。駆けつけてくれたのは以下の皆さんです。ありがとうございました。
車谷建太 高世泉 岡村節子 中嶋敦子 長岡竜介 久島弘 白根全 江本嘉伸
■大雨の影響で、昨日まで運休となっていたJR徳島線も運転を再開した。朝早く家を出て、曲がりくねった山道を下り、濁流と化した吉野川を横目に駅に無事到着。送ってくれた夫へのお礼もそこそこに、列車に乗り込んだ直後にドアが閉まり、ほっと胸をなで降ろす。今日はこれから大分に向かう。毎年この時期、わたしが所属しているツアー会社のセミナーが国東で開かれるためだ。車窓から眺める瀬戸内海、久しぶりに会う友人、久しぶりのひとり時間に心が弾む。
◆徳島に移住して早4年。今は山の中腹の古民家で、家族3人、猫一匹、ニワトリ13羽と暮らしている。昨年から田んぼをはじめたが、今年は大量に苗が余ってしまった。半分くらいは友人に譲ったが、まだまだある。このまま置いておくのももったいないので、畑の一角をスコップで掘り、ホースで水を引き込み、田車でかき混ぜて小さな田んぼを作った。娘が昼寝をしている間にと、夢中になって作業していたらあっというまに3時間ほど経っていて、予定の3倍くらいの広さの田んぼができた。身体はバキバキになったが、とても清々しい気持ちだ。
◆そして昨日はもうひとつとてもうれしいことがあった。10年前の南北アメリカ自転車ひとり旅の途中、合流して一緒にキューバを走った友人が、娘と一緒に宮崎から我が家に遊びに来てくれたのだ。彼女は単身でアフリカを2回縦断したツワモノ。しかも彼女の娘はうちの娘と半年違い。初対面にも関わらず、2人はすぐに仲良くなった。一緒にシャボン玉をして、自家製ラーメン(猪チャーシュー、自家製メンマ、煮卵)を食べ、作ったばかりの田んぼでどろんこになり、薪風呂に入る。楽しそうに遊ぶ2人を見て、10年前からは想像できなかった未来に、胸が熱くなった。
◆いつかこの子たちも旅に出る日がくるのだろうか。そのときになってはじめて、送り出す側の本当の気持ちがわかるのだろう。それまでは日々の「抱っこ抱っこ攻撃」に甘んじるとしよう。[桜井(青木)麻耶 2018年5月「風来坊のビジョン・クエスト」報告者]
■北中米ワールドカップのグループリーグ、日本戦の3試合を米国ダラスとメキシコのモンテレーで観戦してきました。結果は皆さんもご存知の通り、1勝2引き分けのグループ2位で無事に決勝トーナメントへと駒を進めました。続くブラジル戦では残念ながら敗退してしまいましたが、今大会での日本の躍進は現地でも非常に高く評価されており、私たち日本人サポーターもその恩恵を至る所で受けることができました。これが今回の旅における一番の収穫だったかもしれません。
◆特にサッカー熱の高いメキシコでは、試合のない日でも日本代表のユニフォームを着て街を歩いているだけで、あちこちから「ハポン!」と声が掛かります。通りがかりの車がクラクションを鳴らして手を振ってくれたり、「一緒に写真を撮ろう」と求められたりすることもしばしばでした。まるでスターにでもなったかのような、普段の旅行では到底味わえない高揚感があり、外出時はもっぱら代表ユニフォームを身に纏っていました。多少値は張るものの、あれほど絶大な効果を生むのですから、その価値は十分にありました。
◆一方で、カナダ、アメリカ、メキシコの3か国にまたがる今大会は、各種手配や移動との戦いでもありました。まず、日本戦の数日前出発の航空券が高騰したため、今回は仁川経由でダラスへと向かうルートを選択しました。さらにダラスからモンテレーへの直行便も手が出ない価格になっていたため、当初は長距離バスを検討しました。しかし、陸路での国境越えは同乗者のトラブルで何時間も足止めを食らうリスクがあると知り、サンアントニオまでバスで向かい、そこからモンテレーへ飛ぶという変則的なルートに切り替えました。
◆ホテルの手配も一筋縄ではいきません。1月の時点でダラスのホテルを押さえてはいたものの非常に高額だったため、その後宿泊日数を減らしてサンアントニオで3泊、モンテレーで2泊追加へと予定を調整しました。さらに開幕直前になってホテルの相場が4割も暴落していることに気づき、すかさず安い料金で予約し直し、元の予約をキャンセルするという作業も行いました。
◆英語の予約画面と格闘し、日付や規約の確認等ミスが許されない中、大いに役立ったのがAIです。手続き画面を入力するたびに写真を撮っては「これで間違いないか」とAIに確認しながら作業を進めました。AIという頼もしい相棒がいなければ、一人でこれらの手順を間違いなくこなすのは至難の業だったでしょう。
◆こうした臨機応変な対応は、大会が進むにつれてさらに必要になっていました。日本が対スウェーデン戦でグループリーグ突破を決めた瞬間、次のブラジル戦のチケットを持っていたい人たちは、その場でヒューストン行きの航空券やバスを押さえていました。一瞬の躊躇でみるみる予約が埋まってしまうのです。観戦チケット価格の高騰も凄まじく、かつてのようにリセールで定価購入を目指すことは不可能に近く、数倍の価格に跳ね上がった他国の対戦カードは早々に諦めざるを得ませんでした。今回のワールドカップ観戦は、まさに旅のスキルそのものが試される場でもありました。
◆もちろん、煩雑な各種手配の後には、それぞれの街ならではの魅力も存分に味わいました。ダラスではケネディ大統領暗殺事件の現場や資料館を巡り、本場のステーキに舌鼓を打ちました。かつてメキシコから独立した歴史を持つテキサス州では、市内電車のアナウンスに英語とともにスペイン語が流れ、街行く人々はアメリカ代表よりもメキシコ代表のユニフォームを着た人の方が圧倒的に多いのです。料理も「テクスメクス」と呼ばれるメキシコ風料理が主流で、「いずれアメリカではスペイン語話者が多数派になる」という話を肌で実感した次第です。
◆モンテレーは観光資源こそ少ないものの、アメリカ国境近くに発展した活気ある工業都市でした。かつての製鉄所跡は広大な公園に生まれ変わり、運河には遊覧船が行き交っています。夜になっても人々が安心して散策し、運河沿いのテラスでくつろぐ姿を見て、メキシコの豊かな都市の高い生活水準に驚かされました。17日間という長期旅行となった私たちも、ここでは綺麗なカフェで食事を楽しみ、街のランドリーサービスを利用しながら、ゆったりとした時間を過ごすことができました。
◆旅には思いがけない偶然もつきものです。ダラスで滞在したホテルのすぐそばにあるアメリカン・エアラインズ・センターで、今大会のテーマソングを歌うシャキーラのライブが開催されることを当日たまたま知りました。万一の可能性を期待してチケットオフィスに立ち寄ると運良く当日券が手に入り、満員の会場で彼女の歌声を聴くことができたのは最高の幸運でした。さらに面白かったのは、アメリカの若い女性たちが、ステージではなく「歌っている自分自身」をスマホで自撮りし続けていたことです。世の中の移り変わりを感じる、なんとも興味深い光景でした。
◆そして、今回のアメリカ滞在でぜひ体験したかったのが自動運転タクシー「Waymo」です。アプリで行き先を指定すると無人の車が静かに迎えに来て、ドアを開けて乗り込みシートベルトを締めると、何事もなく目的地へ送り届けてくれます。チップの計算や運転手への気遣いも無用なのが助かります。夜更けの人気のない街角で、無人のWaymo同士がすれ違う光景は、まさに近未来の到来を象徴していました。このシステムが日本でも普及すれば社会は大きく変わるに違いありません。そんなことも思わせる体験となりました。
◆気温41度の灼熱や、空港が閉鎖されるほどの豪雨にも見舞われました。スタジアムにたどり着くために行列に並び、炎天下を30分以上も歩くなど、肉体的な苦労は絶えませんでした。それでも、イランやイラクの人たちも含め、世界中の人々が国境を越えてサッカーを通じて楽しく友好を深めている姿を目の当たりにすると、すべての苦労を補って余りある思いがします。やはりワールドカップは、他では得られない極上の体験をもたらしてくれる素晴らしいイベントです。それを改めて心に刻んだ観戦旅行となりました。[岸本佳則]
■しばらくご無沙汰しています。飛騨高山の僻地で自然派ブルーベリー園を50代で承継した、NPO日本エコツーリズムセンター・大学講師の中澤(トモネエ)です。今年は熊が全国を賑わせていますが、鳥獣害を中心に報告します。
◆雪が溶け始めた3月、数頭のイノシシが出没しました。集落自体は立派な電気柵で覆われているので、橋など交通のために空けた路面から夜間侵入の疑い。もっぱら彼らの目的は土中の虫たちで、圃場の草地や木の根周りを所かまわず掘り返しており、根の浅いブルーベリーには致命傷です。ビニールマルチで全面覆った圃場までマルチごと堀り返される始末。遠路より夜間に車を走らせ、緊急対策に忌避の木酢液と懐中電灯を沢山ぶら下げ、翌朝に集落の長老や猟師の友人に相談しました。効果が高い電気柵や目隠し板は広い圃場ではできる気がしなく、当面は簡易のネットで物理的な侵入を減らすことにしました。その後猟師さんの捕獲駆除で、掘り返しは減りました。
◆5月。通常なら剪定作業が終わるころに草刈り開始ですが、草の伸びが早く、両作業が重なってしまう事態に。草が生えるとは葉も繁茂するわけで、枝が見えず剪定できない一角が残ってしまいました。大粒栽培は剪定により枝を若返らせて花芽を減らすので、この一角は今期小粒です。ほかにもマイマイガの毛虫やゴマダラカミキリムシ、ミノムシを見つける度、落として一瞬で踏み潰します。環境教育がしみ込んだ心身にとって殺生は葛藤ですが、農作の定めであり、せめてひと思いにしたい。
◆6月。例年通り、イノシシ除けの周囲に張ったネットの上に鳥よけ網を張り、準備万端と安心していたところ何かが侵入し、枝がいくつか豪快に折られ、太目の糞が残されています。アナグマかハクビシンが木によじ登り、実を食べているようです。集落の長老の秋蔵さんが早速檻を持ち込み、自身が養殖したハネもののアマゴ(贅沢!)をエサに設置して様子見、翌々日、見事に70cmほどのハクビシンがかかりました。睨み暴れる様子にお構いなく、檻ごと軽トラに積んで山へ連れて行かれる様子を見送り、南無阿弥陀仏と祈る。
◆そして7月。熟すのが早いかとおもいきや、例年並みの完熟スケジュール。またもやネットの中には、スズメ、アオバトが侵入し、ネットの上からはヒヨドリとカラスが果実めがけて襲来し、まことに多くの野鳥に狙われています。追い払いやネット補修で接近するたび、鳥と目が合うその眼光には「だが食べる!」との強い意志あり。こうして今年も、野生動物とのせめぎ合いが圃場を舞台に繰り広げられています。
◆最後に。本農園はお蔭様で、集落のおば様方から70代を超えても働ける職場と太鼓判をいただけたようです。「今年はもう少しできるかしら」との問い合わせが増え、80代の新人も加わり、僻地の労働問題はクリアできる見通しです。仕事はゆっくりでも、誠意をもって担ってくださり、楽しそうなおしゃべりには集落の昔からの情報や知恵が含まれます。もちろん若い方の雇用も少しずつ増やしていますが、まずは住民のQOL向上こそが、地域の元気の即効薬と、高齢者体操を取り入れながら中山間地農業の経営を模索する夏です。[中澤朋代]
■私が今シーズン過ごしている北アルプス南部穂高連峰の中腹、涸沢氷河圏谷にある「涸沢小屋」。同じカール内にある「涸沢ヒュッテ」と混同されがちだが、小屋の方が歴史は古く、巨壁の直下に張り付いて雪崩から守られるように建っているのが大きな特徴である。詳しくは小屋のウェブサイトに載っているのでそちらを見てください。ここでは実際に小屋で働いている人間として知り得た実情を伝えたい。しかし、本音(現実)と建前なるものがあり、ここでも言えない内容は江本さんにお尋ねいただければと思う。
◆まず、小屋の食事について。他の山小屋でもスタッフ経験のある仲間に聞いたところによると、涸沢小屋の特徴の一つは、お客さんの夕食に出される副菜がほとんど手作りで毎日異なるということ。多くの山小屋では、すでに下で調理済みで山の上で解凍したり少し加熱したりすればOKの固定メニューで回しているところを、涸沢小屋では毎日違う手作りメニューを提供している。
◆それは大きな沢地形にあって水が豊富で料理しやすい環境にあること、月2回以上のヘリ輸送によって新鮮な生野菜を調達できること(ヘリ輸送で物資運搬はほとんど賄われ、歩荷仕事は緊急性がない限り基本ない)、規模が小さめな小屋であることから、ある程度大量にまとめてパック冷凍された出来合いのものを一度にすべて解凍してしまうより、従業員も食べる従食をお客様にも提供した方が、無駄が出ず効率も良いという理由からだ。副菜のメニューが同じではないのは、休暇による人の入れ替わりによって厨房担当も変わるため。厨房担当者の好みによって内容・味付けや手の入れ方は変わる。
◆さらに言うと、これまで一人暮らしで料理に無頓着であった私自身だが、ここでは厨房担当になることが多くあり、そのときは料理の得意な先輩のアドバイスを貰い、学びながら試行錯誤している。メイン料理や他の副菜等どんな組み合わせだと食べやすく美味く感じやすいか、外国のお客さんでも食べやすいものは何か、も考える。人によって好みや苦手なものや食べられる量も違うため一概には言えないが、料理がプレートの上に食べ残されたときにはどうしたら食べて貰えたのかを考える。食べること自体は好きな私なので、食について考える機会となって、大きな学びになっている。
◆一方で、今の時期に特に気がかりなのは、お客さんが極端に少なかったり外国の方だけであったりすることである。酷い悪天候に限らずこの梅雨の閑散期は、土日でも宿泊が数名であったり、お客さんがゼロの日もある。また、宿泊されるお客さんが外国人だけという日もある。日本人はどうして来ることができないのか……。
◆山小屋生活から街に降りての休暇中に、これを書いている。山へ山へと仕事を求めてきたけれど、いざ本格的に山に暮らしながら働いてみると、改めて自分が山に何を求めているのかを考えさせられることとなった。小屋暮らしは人にも恵まれて楽しむことができているけれど、たまに街も恋しく思った。それは行ける場所が限られる山小屋とは違って何より、街にはどこかに行ける自由と一人になれる時間があるからだった。
◆人と人との間に揉まれて、自分を改めて知る。ここまでの長期にわたっての共同生活は初めてなので、誰とも接しない1人の時間がどれほど自分にとって影響があることなのか、この休暇中にしみじみ考えに浸っている。その「考えに浸る」時間がもっとも、私の山小屋生活に足りないことだったのかもしれない。多くの山小屋では、労働とそれ以外の時間の区別が難しく、もちろん打刻システムもないので、1日に何時間働いたのかを実測できない。
◆小屋での寝食は常に他のスタッフの仲間と一緒で、休憩時間は一日少なくとも3時間ほどはあるけれど、誰かしら行き来きする場所で休むことになる。山小屋に来る前からそのような生活環境になることは想像していたが、実際に経験してみると、いかに自分にとって一人で気の済むまで物思いにふける時間が必要であったかに気づけた。あくまでも私個人の性格上の話である。
◆高校生から大学生の悩み多き時代に、「山に行けばすべて丸くおさまる・山でなら人との関係に前向きになれる」と思っていたときがあった。でも、それから10年近く経ち、少しずつその考えは変わってきていて、今回の山小屋経験も大きな気づきをくれている。私は山に、「何者でもない自分」を受け入れてくれる場所を求めている。つまり、できる限り「自由」でいたいのだと、山小屋生活で気づくことができた。
◆先ほど水が豊富と述べたが、それでもこの夏もまた水不足が心配される。とりわけ少雪であった冬の後なので山の保水量が減っていることが考えられる。これを書いている数日後に休暇を終えてまた小屋に戻るが、これから夏本番、まずは7月の連休から北アルプスの夏山の本気を見ることになるはず。初めて過ごす涸沢の夏。どんな日々がこようとも、楽しんで、また自ら学びを得ていきたいと思う。[小口寿子 涸沢にて]
■6月末、3歳の息子・凪津(なつ。以下、なっちゃん)と一緒に初めて舞台に立った。4月の地平線報告会で知り合った柏木志津子さんが主催する演劇ユニット「ポランの広場」で「子役を探している」と声をかけてもらい、演技経験はほとんどなかったけれど、「面白そう」という理由だけで参加することにした。演目は宮沢賢治の『どんぐりと山猫』。私となっちゃんは、裁判で「ぼくが一番だ!」と言い争うどんぐり役の1人として出演した。
◆5月の連休明けから毎週末、世田谷まで約1時間半かけて稽古へ通う日々が始まった。周りは事務所に所属している子役やベテランの役者さんばかり。一方、最年少のなっちゃんは、セリフを覚えるどころか指示通りに動くことさえも難しい。それでも稽古場ではみんなに可愛がられて、楽しく過ごしていた。
◆同じ頃、私は人生初のトライアスロンにも挑戦していた。ランニングとロードバイクは以前から好きだったけれど、スイムに関しては25メートルもまともに泳げないようなレベルだった。平日は仕事帰りに区民プール、週末は稽古がない日に鎌倉でオープンウォータースイミングの練習。仕事と稽古とスイムで予定はびっしり埋まり、「なんで私はこんな大変なことを同時に2つも始めてしまったんだろう……」と何度も思った。それでも続けたのは、芝居にもスイムにも、自分がずっと避けてきたものがある気がしたからだ。
◆私は昔からガリ勉気質で、頭で理解することは得意なほうだった。今は出版関係の仕事をしているが、本を読んだり文章を書いたりするなど、考えることが業務の多くを占める。でも芝居やスイムも、それだけではどうにもならない。「脚の力を抜いて」「もっと自然に」「水をつかんで」と言われても、頭ではわかるのに体がその通りに動かない。どうしたら思い通りに体を動かせるのか、その感覚を獲得するのに人一倍時間がかかってしまう。
◆演技に関しても、映画が好きで前職では映像制作もしていたのに、「生身の人間が演じる」ということだけは最後まで実感として理解できなかった。だから今回、役者さんたちの稽古を間近で見ながら、自分も演者として参加することで何かを掴み取りたいと思ったのかもしれない。その一方で、なっちゃんは違う。演技やセリフをさほど理解しているようには見えないが、稽古の途中で覚えたセリフを気まぐれに口に出し、ただ楽しそうにそこにいる。その姿を見ていると、「考える」より先に体が反応しているようで、少し羨ましかった。
◆スイムでは、日々の練習の成果もあり少しずつ泳げる距離が伸びていった。芝居でも、稽古の回数を重ねる中で少しずつみんなの呼吸が合って、1つの作品になっていく過程を体感することができた。どちらも、頭で理解するよりも体が少しずつ覚えていくという、私の今までの生活の延長線上では得られなかった、新鮮な感覚だったと思う。
◆そして迎えたトライアスロン当日は悪天候で、残念ながら苦労して練習したスイムとバイクが中止になってしまった。ランだけで完走メダルをもらい肩透かしを食らった気持ちのまま、1週間後には舞台の本番。しかし本番直前になって、なっちゃんが衣装を着たがらなかったり、お昼寝から起きなかったりと最後まで大騒ぎだったが、家族や役者さん、子役の保護者さんに助けられ、なんとか親子で舞台に立つことができた。「いえいえだめです!」「まるいのがえらいのです!」。稽古で聞き覚えたセリフをなっちゃんがタイミングよく口にしてくれたとき、ちゃんと“どんぐり”になっていて驚いた。
◆7月になり、ようやく忙しかった毎日が終わった。鎌倉でハイキングをし、フェスで音楽を聴き、久しぶりにお酒もしっかり飲んだ。でも期待していたほど解放感はない。むしろ、届くかどうかわからない目標に向かって、昨日より少しだけ前へ進もうとしていた時間のほうが、ずっと充実していた気がする。
◆芝居もスイムも、まだ「できるようになった」と胸を張れるほどのレベルではない。それでも、頭だけでは届かない世界があり、体を使って少しずつ覚えていく面白さがあることを知った。この春から初夏にかけて過ごした時間は、自分にとって新たな身体感覚を探る旅だったのかもしれない。[貴家蓉子]
■長野亮之介猫絵展9の「しっぽもん」展を開催します。しっぽのある動物たちの絵を展示します。暑い盛りで外出しにくいと思いますが、ついでがあればお寄りください。
期間:8月5日(水)〜9日(日) 期間中休みなし
時間:13時〜18時(最終日は17時まで) 期間中在廊予定
場所:メゾンドネコ(東京都中央区京橋1−16−4) 東京駅から徒歩8分 銀座線京橋駅から徒歩2分
■アイスランドのレイキャビクで暮らし始めてからちょうど11か月が経つ。6月に夏至を迎え、日照時間は冬に向けて短くなっている。気温は10度を超える日が多い。今年は開花の当たり年らしく、例年に比べると満開の花が多いとあちこちで耳にした。ライラックは優雅な香りでハッとすることが多く、アルバイトの帰り道がいつも楽しい。ここ2週間はアンジェリカが背丈を伸ばし、花を咲かせている。数か月前の冬はグレーだった景色が、こうして生命に彩られているのを見ると、越冬した植物の忍耐力を思い知らされる。刻々と変わる天候に翻弄されながら、次々と移り変わる植物を追いかけるように生活をしているこの頃だ。私は粛々とアルバイトをし、レイキャビク周辺の個人宅の庭造りについてインタビューをしている。
◆どうしてアイスランドに? 何を学んでいるの? とお客さんから聞かれることが多々ある。「アイスランドの庭に興味があって、人類学を学びながら暮らしているんです」といえば、皆さん納得したように帰ってくれる。とはいえ、今の状況は整然とした物事の連なりから成り立っているわけではない。人類学に出会ったのも、実家の本棚に入っていた民俗学や人類学の本を偶然手に取っていたことがきっかけだった。アイスランドとの出会いは、高校時代に友人から借りた漫画がきっかけで、その中の火山帯の描写に引き込まれたことが事の発端だ。2020年4月に入学して以降、大学時代は勉強よりも登山に打ち込んでいたし、大学4年目には一年間休学をして、北アルプスの山小屋で働かせてもらったり、ネパールはヒマラヤのソルクンブで登山をしたりした。庭に関しても、ある庭師と出会って、本を読んで、単なる景観としてではなく、生き物のうごめきとして庭を見る、という視点から研究が始まった(ここでいう庭は一定の敷地内の野外空間を指す)。こうしてみてみると、私のなかに根付く言葉や考え方は、私という土壌にたまたま飛来して芽を出したものだと気づく。それは私が予想もできない形で成長し、思いもよらない景色を見せてくれる。
◆少し話が変わるが、ちょうど一昨日(7月8日)、レイキャビク郊外のある庭に伺い、庭を回りながらインタビューを行っていると、竹に出会った。日本で言う笹竹のような見た目で、直径15センチほどに束の根元が収まっている行儀のいい園芸種の竹だった(名前は特定できていない)。アイスランドの元々の植生(どこまでさかのぼるかによって異なるかもしれないが)に竹はいないのだが、同じ竹(bamboo)といわれる植物も、海を越えアイスランドで根付き、異なる環境に反応しながら生きていることを実感した。他方で、すべての種が芽吹くわけではない。それは不安定であると同時に、なにが起こるかわからないワクワクを感じさせる。それに、たとえ一度芽吹いても、翌年には霜で凍って死に絶えるかもしれない。どこまで続くかわからない多年草の生命は、いつか死ぬかもしれないという不安よりも、今目の前に生きていることの偶然性を認識し楽しむことを教えてくれる。それを自分の生活に置き換えるならば、生活の難しさをはらみながら、自分の好奇心に反応し行動することだ。地平線通信には、それをオリジナルな方法で表現している人たちで溢れていて、その言葉に私はいつもパワーをいただいている。
◆しかし自然環境の変化はダイナミックだ。ヨーロッパのヒートウェーブはすさまじいし、アイスランドでもここ数年、夏の気温が上がったり、不規則な大雪、気温の変化が見られたり(もともと不規則なのだが、より苛烈になっている、という話だ)、氷河が消失したり(2014年)、蚊が初めて確認されたりしている(2025年)。最近聞いたのは、アルミ生産や植林に用いられる輸入材に付随した外来の昆虫類がアイスランドで広がりつつあるという話。私が見たのは、園芸店のポットの根本にいた外来のナメクジ。もちろん、こうした事例はアイスランドに限ったことではない。身近な出来事から、いかに想像し、行動すればよいのだろうか。そういうことをずっと考えている。
◆来週からテント泊の縦走に行く。Laugavegurというハイキングルートで、ランドマナラウガ(Landmannalaugar)とソルスモルク(Þórsmörk)を結ぶ55kmを2泊3日かけて歩く。アイスランドには魅力的なルートがたくさんあるので、今年は山にたくさん行きたい。そうして自分の身体で体験をして、感情を観察して、言葉にして、生活を繋いでいきたいと思うこの頃だ。[安平ゆう アイスランド大学修士課程1年]
■10年間、この日をずっと待っていた。2016年夏、思いがけず出会ったモンゴルの遊牧民少年アルタンゲレル・ソソルフー君が、来たる名古屋場所でプロの力士としてデビューする。所属は湊川部屋。
◆私は中学生のころからプロボクシングのオタクだった。しかし同じ格闘技でも、相撲には興味がなかった。そんな自分が大相撲の取材をするようになったのは、10年前、飲み屋にスマホを忘れたのがきっかけだ。翌日取りに戻った店で知り合った方の縁で、数日後に開催されたわんぱく相撲全国大会に招待され、当日になってモンゴルチームの通訳をいきなり頼まれることに。
◆そのチームの小学6年生代表選手がソソルフー君で、妙に肝が据わった華奢な少年から不思議と目が離せなくなった。大会後、接戦の末に銅メダルを獲得したソソルフー君は、「モンゴルに必ずメダルを持ち帰らないといけないと思っていた」と初めてほっとした顔を見せ、大草原へ帰って行った。
◆「いつも働いている遊牧民のお母さんに楽をさせてあげたい。大人になったら大相撲の力士になりたい」と話していたから、またいつか来日するだろうと思ってはいたけれど、鳥取西中学校への相撲留学が決まったと聞いたときは驚いた。
◆モンゴル西部のバヤンホンゴル県で、馬に乗り家畜を追い、地平線を眺めて育ってきた子どもが、突然日本に移住して規律だらけの相撲名門校に入る。日本に来たら、何年もモンゴルの家族や友達と会えなくなる。この学校の相撲部員はスマホを自由に持てないので、連絡も簡単にはとれない。留学は早すぎるのではないかと、部外者のくせに勝手ながら心配になった。
◆翌年の白鵬杯も、ソソルフー君はモンゴルチーム代表メンバーに選ばれた。大会を終えた夜。鳥取から相撲部の先生が両国まで迎えに来た。他のモンゴル代表の子たちが無邪気に笑うなか、彼らと別れて島国に残ろうとしていたソソルフー君の目がうっすら赤く染まっているのを私は目撃してしまった。「モンゴルの男は人前で泣いたらいけない」と聞くが、ソソルフー君は私と一瞬目があった直後、ひとり後ろを向いていた。
◆それから半年後、ソソルフー君の様子が気になった私は、鳥取西中学校と鳥取城北高校の合同稽古を見学しに行った。鳥取城北高校にはモンゴルからの留学生が他にも数人いて、丸刈りになったソソルフー君の心の拠り所になっているようだった。学校で友達ができ、日本語も少しずつ覚えていた彼の姿を見て、私は少し安心した。身体が小さいのでご飯を何杯も食べるようにと先生から指導されていたが、「野菜と米中心の食事がきついです」と苦笑いしていた。
◆中学生のうちは試合で勝つことができず、仲間に先を越され、心が折れそうな時期もあったと思う。しかし高校生になると、身体が太くなり、試合にも勝つように。全国大会で鳥取城北高校の団体戦優勝に貢献し、スポーツ新聞に写真が載ることもあった。
◆鳥取城北高校の相撲部員は卒業間近になると、進路が大きくふたつに分かれる。大学へ進学して相撲を続けるか、相撲部屋へ入門して最短でプロ入りを目指すか。ソソルフー君は高校を卒業したら、横綱白鵬関の部屋に入ると私は信じていた。小学5年生のときに白鵬杯で優勝して横綱を大興奮させたことがあり、横綱が期待を寄せ、本人もまた横綱に強く憧れていたからだ。しかし白鵬関の部屋の外国人枠には、鳥取城北高校の先輩にあたる寿之富士関が先に内定した。
◆部屋が決まらないので、進学するのかと思いきや、鳥取に残り、介護の仕事に就いたと人づてに聞いて、また驚いた。社会人を経験しながら、鳥取城北高校相撲部の後輩たちとトレーニングを重ねていたという。モンゴル人を入門させることに慎重な日本人親方もいるなかで、ついに入門先が決まりそうだという知らせを耳にしたのが昨年のこと。湊川親方(元貴景勝)の部屋というのも意外だった。
◆気になる四股名は、城勝雄。鳥取城北高校の城、貴景勝の勝が入っている。ちょうどこの文章を書いている7月11日は、モンゴルで国民的祭典ナーダムが盛大に行われている日。外国に暮らすモンゴル人たちは、母国から発信されるナーダムの開会式や子どもたちの長距離競馬、大人たちのモンゴル相撲大会のライブ映像を食い入るように眺め、故郷に思いをはせている。城勝雄はどうだろう。10年をかけてたどり着いた土俵を前に、いまどんな気持ちでいるのだろう。
■西興部という村のことをもう少し知りたくて「村史」のページを繰る日々だ。その中で1994年以来「ニューカントリーフライト事業」の名で8回に及ぶ海外視察が行われてきたことに注目した。
◆第1回は1994年(平成6年)秋、村長以下16名が参加、ドイツ、ルクセンブルグ、ベルギー、フランスに10日間程度の旅。1人60万円の経費のうち参加者の負担は10万円で残りは村が全額負担した。8回の旅の参加者は111人にも。
◆この旅の参加者たちが「村づくりを考える会」を発足させ、ヨーロッパ各地で見た、花で飾られた街の景観をモデルにして西興部村は美しい村に変貌していった、という。1000人の小さな村が今も独り立ちしている背骨が見える気がする。[江本嘉伸]
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森のヒト
「うちは家系的に森のヒトなんや」と言うのは探検家の山田高司さん(68)。高知県土佐清水の生まれ。山仕事を業いとし、山のことを知り尽くしていた祖父を敬い、森と川を遊び場に自分でとった魚や小鳥がオヤツだった子ども時代を過ごします。小学校の同級生の9割は農林漁業家庭。野山で生きる術を知る彼らのたくましさにも憧れました。 東京農大に進むと迷わず探検部へ。カヌーで日本中の川を下るうちに、土地で一番低いところを流れる川からの視点の面白さに開眼します。80年代は南米、アフリカ、ヨーロッパ、アジアの川へ。「川と森は一体の循環世界を作ってるやんか。世界中を回って、それが一番残っていたのは日本だと気づいた」。 帰国後、高知や東京の奥多摩などで林業に従事。「自然を搾取するだけの経済はとっくに限界を迎えとる。自然の時間の流れを尊重せんと」。ここ数年は古代シュメール文明を生んだチグリス、ユーフラテス川に通い、文明と自然についての考察を深めている。「人類最古の文明は森の精霊フンババを殺したことから始まったと『ギルガメシュ叙事詩』にあるんや。森の文明はどこにあるんやろ」。 山田さんと同い年で北大林学科出身の長野亮之介を聞き役に、今月は山田高司さんの森の話に耳を傾けます。(参考図書『メソポタミアのボート三人男』高野秀行著 面白いよ!) |
地平線通信 567号
制作:地平線通信制作室/編集長:江本嘉伸/レイアウト:新垣亜美/イラスト:長野亮之介/編集制作スタッフ:丸山純 武田力 中島ねこ 大西夏奈子 落合大祐 加藤千晶
印刷:地平線印刷局榎町分室
地平線Webサイト:http://www.chiheisen.net/
発行:2026年7月15日 地平線会議
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