2014年5月の地平線通信

5月の地平線通信・421号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙

5月12日。さわやかだった五月晴れが今日は、西から雨模様になる予報。きのう始まった大相撲夏場所。初日としては、17年ぶり満員札止めだったという。何と言っても久々に「3横綱」が揃ったことが大きいらしい。国技館の入場券は全部で1万605枚あるそうだが、初日は朝8時過ぎには300枚の当日券もすべて完売した、という。

◆異文化を知るにどん欲な地平線の皆さんに、3横綱の本名を講義しておこう。本当はこれが本名なのだ、ということを一瞬だけわかってください。まず、ムンフバティーン・ダワージャルガル、次にダワーニャミーン・ビャンバドルジ、そして今場所横綱としてデビューしたマンガルジャラビーン・アナンド。わかりますね? 順にそれぞれ白鵬、日馬富士、鶴竜の本名である。前半分の名はお父さんのもの。白鵬の場合「ムンフバットを父に持つダワージャルガル」の意味だ。

◆それにしても、だ。曙、武蔵丸、朝青龍など外国人力士が横綱となったことは過去にあったが、3人横綱が誕生し、その3人がそろってモンゴル人力士という時代が日本の大相撲にやって来るなんて、一体誰が想像しただろうか? 少なくとも私はまさかここまでモンゴル時代が来るとは、考えもしなかった。

◆初日は、ようやく髷(まげ)を結えるようになった気鋭の幕内、遠藤の取り組みも注目された。幕内最年長の旭天鵬(39才7か月)を一気に寄り切って喝采を浴び、「髷を結った最初の相撲を白星で飾れて良かった」と前頭4枚目のこの人気者は語ったが、私はベテラン、旭天鵬の髷などまったくなかった時を思い出してなんとも不思議な感覚にとらわれた。

◆我が麦丸が8才になった5月1日、埼玉県東松山にある大東文化大学に行った。今期ここで講師をつとめている丸山純さんの講義「キャリア形成と人生」に外部講師として助っ人参加したのだ。18才、19才の学生たちを前にして気合いが入り、山岳部に入った直後のモノクロ写真など見せて、自身の18才当時の格闘ぶりを熱く語った。3.11や韓国の客船沈没事故を念頭に、自分を鍛えておくことの大事さ、リーダーの指示を待つより自身で判断できる人間になってほしい、そして体験を記録しておくことの大切さ、というようなことを話したのだ。そして、1枚の昔の新聞のコピーを見てもらった。

◆1992年2月26日付けの読売新聞。「草原の民、経済と格闘」という見出しで十段ぶち抜き(新聞の1ページは15段、通常は下の5段は広告面になる)の大きな記事である。遊牧の国、モンゴルが不慣れな市場経済への移行で苦闘している、という内容で、中央に大きく6人の若者の写真が載っている。「大島部屋」の看板の前に立つ一番左の青年がツェベクニャム、後の旭天鵬で、当時17才。189.9センチ、90キロ。

◆大相撲に若い人材を招きたい、と大島親方の意向で6人が選ばれ(170人が希望したため、勝ち抜き戦で6人にしぼった)、来日したのだった。「技のデパート」と後に呼ばれた旭鷲山はじめ、当時は誰も日本語を話せず、部屋を取材に行った私は江東区役所までついて行って住民登録のお手伝いをするハメになった。

◆あの時は、まさか22年後、日本の3横綱がすべてモンゴル人で占められる事態が来るなんて、誰もまったく予想しなかった。6人のうち3人は耐えきれずモンゴルに逃げ帰ったから、モンゴル力士が日本に定着できるのか、との心配すらあった。その中であのツェベクニャムが今や幕内最年長となって、なお現役で頑張っていることに、彼らの来日当時を知るモンゴルおたくのジャーナリストとして、私は感動する。

◆1987年7月11日。生まれて初めてモンゴル相撲を見た時の衝撃は、忘れられない。ウランバートルの中心から少し離れた緑のスタジアム。バトムンフ書記長(当時)が入場して開会を宣言すると、一団の馬と騎手たちが場内を一周、次いでどこに待機していたのか、屈強な男たちが大勢、しかも一斉に現れたのだ。いずれもゾドクと呼ばれるチョッキのような上衣、ぴったりした腰衣(ショーダク。一種のトランクス)、そして美しい革のブーツ(ゴッタル)をつけている。びっくりしたのは、力士の数。なんと512人もいたのだ。

◆きりりしまった身体、軽快な動き。日本の力士より精悍で、むしろかっこいい、というのが第一印象。ひとりひとり両腕を広げ、翼をはばたくようにして独特の舞いを踊るのも美しかった。やがて32人の力士だけが残り、おもむろに相手をつかまえ、相撲を開始した。2日間にわたって戦いは続き、9回勝った者が優勝者になるのである。

◆18才。ツェベクニャムも日本の学生たちも私も、鮮烈な青春となお向き合い、戦っている。今、この一瞬もあの時の心で。(江本嘉伸


先月の報告会から

イヌゾリラーの至福

本多有香 佐藤日出夫 舟津圭三

2013年4月25日  榎町地域センター

■地平線報告会420回目は、カナダ在住のマッシャー(犬ぞり師)本多有香さんの著書『犬と、走る』の出版を記念した特別バージョン。二次会で有香さんに大好きなビールを存分に飲んでもらうため、二次会場から近い榎町地域センターでの久々の開催となり、有香さんをサポートするカメラマンの佐藤日出夫さんに加え、犬ぞり界の大先輩である舟津圭三さんも駆けつけてくれた。

◆進行役は長野亮之介さん。タイトルの「イヌゾリラー」というのも長野さんの命名で、「シャネルの愛好家をシャネラーと呼ぶように、犬ぞりを好きな人たちがやって来る」ことにちなんで名付けたそう。長野さんは人前で喋るのが苦手だというスピーカーたちに配慮し、開始早々からアラスカンハスキーを模した自作のヘルメットを被って犬に変身した。題して「犬と、喋る」。

◆最初に登場したのは、カメラマンの佐藤日出夫さんだ。佐藤さんは1992年4月に初めて訪れたアラスカで「アイディタロッド」という犬ぞりレースがあることを知り、詳しい情報を持たないまま、翌93年の大会の撮影に飛び込んだ。そこで舟津さんと偶然知り合い、以来、舟津さんに犬ぞりについて教わりつつ四半世紀にもわたってレースを撮りに行っているという。

◆ちなみに、アイディタロッドはアンカレジ

〜ノーム間の約1800キロをつなぐ世界最長の犬ぞりレースで、「地球上で最後の偉大なレース」などと称される。一方、有香さんが4度挑んだ「ユーコンクエスト」はホワイトホース(カナダ)

〜フェアバンクス間の約1600キロのレースで、距離的にはアイディタロッドより少し短いが、チェックポイントが少なく大きな山越えが4つもあることなどから、こちらは「世界で最もタフなレース」と言われる。チェックポイントの数が違うため積み込む荷物の量にも差があり、ゆえにスピードも異なる、「違うタイプのレース」(舟津さん)という。どちらも日が短い極寒の冬空の下、主に人里離れた雪原や凍った川の上などを10日前後で走り抜ける点では同じだ。

◆佐藤さんはスーパーカブという小型の飛行機をチャーターして、この長距離・長時間にわたる犬ぞりレースの撮影に臨む。チェックポイントや怪我した犬を棄権させる「ドッグドロップ」、暖かいキャビンや食事などのもてなしを受けられる「ホスピタリティストップ」など、犬ぞりチームが必ず通る地点や、そこから予想されるルート上で待ち構えて撮影し、レースを追いかけるように再び点から点へと飛ぶ。とはいえ、コースを外れるチームもあれば、いつ通るのかも分からない。GPSを積んでいる現在でも30分や1時間待つのは当然で、それがなかった頃は雪原の中で半日や1日待つこともざら。「いつ来るか分からない犬ぞりをじっと待ち、しかもやり直しのきかないレースの一瞬を捉える。それをずっと続けて来られたのは、すごい忍耐力だと思う」。舟津さんは佐藤さんをこんな風に評した。

◆しかも、佐藤さんの撮影行は仕事ではなく個人的な作品作りのためだといい、安くない渡航費をはじめとする費用は全て自腹で続けている。「長く続けてこられたのは、なかなか思ったようなシーンに出会えず、未だに悩みながらやっていることが理由かもしれない」と佐藤さん。レース前の新聞報道などでマッシャーの個人的なバックグランドに触れられることも、ますます興味をひかれる理由のようだ。

◆そんな生き様で魅せるマッシャーの一人、舟津圭三さんは、1986年に他のマッシャーの手伝いとして初めてアイディタロッドに参加した。舟津さんは、そのレース経験に触れ、「犬と人間が一緒になってアラスカの原野を走るのはすごく感動的で、いつかは自分も走りたいという夢を抱いた」と振り返る。その後、犬ぞりによる89年のグリーンランド縦走、90年の南極大陸横断を経て、93年にアイディタロッドに初参戦し、完走して新人賞を獲得。97、98年にはユーコンクエストで5位と8位の成績を残した。

◆舟津さんは最初のレースでは犬を借りて出走したが、その後に自分の犬舎を得て、多いときには45匹を育てていたという。私は犬ぞりに詳しくないのだが、舟津さんの話を聞いて、マッシャーは単なる競技者でないというところに興味を覚えた。競馬でいうと馬主と生産者、騎手、調教師、その全部の役割を兼ねていて、しかもチームビルドの面白みがあるというのだ。

◆「例えば高校野球の選手と監督みたいなもので、自分のトレーニングや接し方で犬たちに自分のカラーがついていくのが犬ぞりの面白み。しかも、マニュアルはなく、自己流でやるしかない。試行錯誤しながらチーム作りをして、それをレースで試す。借りた犬でも2、3カ月は一緒にトレーニングするが、ゴールしたときの達成感には違うものがある」(舟津さん)。

◆監督と選手の間の信頼関係も重要で、有香さんは著書に「困難な状況を乗り越える方法は一つしかない。厳しいトレーニングを一緒に頑張って、そこでできた信頼関係の下に築かれる『強い絆』だけだ」と記している。しかも、訓練で培われる部分は半分で、もう半分は生来の素質、つまりブリーディングに関わる。「何世代にもわたる犬ぞりファミリーがアラスカにはたくさんいて、そういう人たちにしか分からないテクニックや勘があるのではないか」と舟津さんは言う。

◆最後に本多有香さんが話に加わった。有香さんの家では幼少期から犬を飼っていたといい、初めて飼った紀州犬の健太郎に寄り添うような可愛らしいリトル有香さんの姿がスライドに写し出される。その後、岩手大学在学中に参加したカナダのオーロラツアーで、雪原を駆ける犬ぞりを初めて見てその魅力の虜になったという経緯は本に詳しく綴られている。

◆舟津さんと有香さんとの出会いは1999年1月、ワイオミング州(米国)で行われた犬ぞりのステージレースでのことだ。有香さんはカナダのマッシャーのハンドラーとして参加しており、舟津さんはそのときの第一印象を「ボロボロのブルーのつなぎを着ていて、イヌイットとばかり思っていた」と語る。その後、舟津さんの紹介で有香さんは佐藤さんと知り合ったという。

◆スライドには、佐藤さんが撮影した写真が次々と映し出される。クエストのスタートや犬にブーティーを履かせる様子、観衆におびえた犬たちに代わって有香さんが先頭を切ったゴールにビールでの祝杯、ホワイトホース郊外のアニーレークロードの一角に自力で建てたキャビンと26匹の家族……。それぞれの写真の中の有香さんがいつも笑顔なのが印象的だった。過去には20分で報告を終えた伝説を持つ有香さんは、今回も多くは語らなかったが、なによりも写真の中の活き活きとした表情が「自分の居場所はここなんだ」「これに賭けているんだ」という強い意志とひたむきさを雄弁に語っているように感じた。

◆そのほかに2人のマッシャーの話で衝撃を受けたのは、犬ぞりの“居眠り運転”(!)。レースが進むにつれ犬だけでなくマッシャーにも疲労が蓄積し、そりの上で居眠りをして木に激突するなどして怪我をするケースがあるそうで、(そんな大自然に体が“むき出し”の状態で寝られるの!?)という一瞬の驚きの後から、(ああ、そうか、それほど苛酷なレースなのだ)という理解がついてきた。

◆実際、睡眠不足が続いてもマトモな精神を保てるタフさも勝敗を分ける一つのポイントであるようで、トップ集団ほど睡眠時間は少ないそうだ。例えば有香さんは6時間走って6時間休憩するサイクルで走るが、もっと長時間走って休憩時間はぐっと短くする走法などもあり、舟津さんは「上位は寝ていないか、寝ても1時間を切るのではないか」と指摘する。それに加え、犬やドッグフード、装備の改良などの結果、20

〜30年前なら2週間や3週間かけてゴールしたレースが、いまでは8日間ほどの勝負に。ユーコンクエストなら一日あたり200キロ走る計算だ。改めて、ものすごくタフなレースだと思う。

◆最後に舟津さんは「プロで続けていくのは大変なことだが、今後もアイディタロッドやユーコンに出るチャンスがある。是非続けて欲しい」と有香さんに期待をかけた。また、2005年のセーラムランから有香さんをサポートする九里徳泰さんは、出会ったその日に十数杯ものビールを飲み交わしたエピソードと共に「重要なのはサポーター。日本全部で応援して」と訴えた。私も有香さんの話を再び聞き、本を読んで、無力ながらすっかりサポーターの一員になったつもりの一人だ。有香さんが持つ誰よりも熱い思い。簡単には真似できない愚直なひたむきさ。感動をおぼえるくらいの潔さ。そんな姿に触れると少し心に火が灯る。だから応援したくなる。集まったみんながきっとそうなんだと思う。

◆そして、お待ちかねの二次会はビールパーティー! おなじみの中華料理屋「北京」のドアには、ちょっとおどけて「ビールパーリー」と書かれた長野画伯の力作看板が掲げられ、入り口付近に北村節子さん手づくりのわんこクッキー、店内の天井には久島弘さん、緒方敏明さんらが作成したわんこの写真が吊り下げられたタルチョが張り巡らされ、正面には有香さんのドッグトラック用に画伯が描き下ろしたわんこたちの絵……。いつもの北京がすっかり「アジアの怪しげな飯屋」(丸山純さん談)に様変わりした。

◆有香さん本人による、うつむきがちな乾杯の音頭に続いて、舟津さん、朝日新聞の近藤幸夫さん、角幡唯介さん、九里さんからそれぞれ挨拶があって、やっぱりビールをたくさん飲んだ話などが喜々として披露され、画伯特製ケース入りビール券が贈呈された。

◆そして、もちろん有香さんにもマイクが向けられたが、「自分は不言実行!」とばかりに明言を避けて次々と周りの人にマイクを渡してしまう。そうして、気がつくと酔いの回ってきた有香さんがすっかりその場を仕切って、舟津さんにシューベルツの「風」をアカペラで歌わせ、「箸休めに」と江本さんにロシア民謡の「カチューシャ」を歌わせているのだった。店の外に設けられた特設の立ち飲みバーまで人が溢れ、止むことのないさざめきと春の夜風が心地よい祭りの夜だった。(菊地由美子


報告者のひとこと その1

■皆様、日本では大変お世話になりました。私はユーコンに戻り、仕事待ちをしています。現在は仕事を干されてしまい週3日程度と、たいして働いていないので少し不安ですが、冬の後片付けやドッグヤードの整備に時間を費やしています。かなり暖かいし日が長くなっているので、色々なことが簡単にできます。我が家の美犬たちは皆元気です。そして抜け毛が酷いながらも目茶苦茶可愛いです。

◆地平線の原稿を書くように言われたのですが、結局御礼の言葉の羅列になってしまうだけなので、どうしたらいいのか途方に暮れています。私は本当に幸せ者です。

◆今回の報告会では舟津圭三さんが出てくれたことにとても感謝しています。圭三さんはすごい経歴の持ち主なのに気さくで気の利く、しかも話し上手ですから、いつもは酒無しでは何も出来ない私も、安心しきってビールを飲まずに前に座っていられました。司会者が犬だったから安心していたのかもしれませんが。

◆師匠(注:写真家の佐藤日出夫さんのこと)は見た目はさっぱりしていますが、犬ぞりレースに関することになったらもう、話し出したら熱い男です。そんな熱い彼の雄姿をたくさんの方に見ていただけたのなら嬉しいです。私はいつもいつも師匠からあまりにも色々としていただいているので、今回本が出ることで師匠に少しでも利益が出ればと思っていたのですが、結局私はお釈迦様の手のひらの上にいたようです。悔しいのでもっと有益な人間になって恩返しをしたいです。いつになるかは分かりませんが、その目標に向かって頑張ります。

◆2次会のビールパーティーでは、会場が文化祭を髣髴とさせる可愛く豪華な演出で驚きました。北京が北京ではなくなっていました。ドアのでかい看板から美犬たちの写真まで、愛情溢れる飾りでした。集英社の方々も含め、準備をしてくださった皆さん本当にありがとうございました。荷物が多かったので画伯に描いていただいた諸々の品は現在私の手元にありませんが、ほとんど野島康子さんが名古屋に持ち帰りました(野島さんは日本で活躍されている埴輪顔の女性イヌゾリラーです)。トラックに描く絵は、少しよれましたが無事にこちらに持って来れました。ありがとうございます! 落合さんに頂いた写真を見直してみるにつけ、すごかったなぁと感心しています。かわいい大西さんの司会さばきは微笑ましくてオチがあって最高でした。酒がまわらない間はのりが悪くてすみませんでした。なんにしろ圭三さんの美声をみんなに聞かせることが出来たので、ホッとしています。器の大きな圭三さんにみんなメロメロになったことと思います。

◆ただ、江本さんにはロシア民謡よりも宇宙戦艦ヤマトを歌わせるべきだったと猛省しています。そしてカラオケ大王である朝日新聞の近藤さんに何故私は歌わせなかったのか! 自分にがっかりです。久しぶりに九里大先生のマーク・パンサーも聴きたかったのですが……。私はあっという間に出来上がっていたので、よく判らなくなっていたんだと思います。江本さんの締めの掛け声が「ポーオ!」だったのがこのパーティーの締めに相応しいと思えるほど、笑える楽しい時間でした。本当にありがとうございました。それから、まさか花束をいただけるとは思っていなかったのでびっくりしました。花の一部は野島さんが江本邸に飾ってくれて、お部屋がまさかのファンシー応接室チックに変身しました。残りはこれまた野島さんが名古屋に……。

◆在日中は今回も江本邸にごやっかいになり、超久しぶりに大阪の中島ねこさんと飲むことも出来ました。江本さんとは、ほとんどずっと一緒に行動していたので、私がいなくなってホッとしているころでしょうか? 本当に本当にお世話になりました。

◆ 『犬と、走る』という本ができあがるまでに、本当に色々な方が協力してくださいました。出版されてからも、色々な方が売れるように頑張ってくださいました。そして、たくさんの人たちがビールでお祝いしてくれました。私は本当に本当に幸せ者です。こんなにしていただいているんだから私ももっと頑張らないとと思っています。結局やっぱり御礼の羅列になりました。すみません! ありがとうございました!(カナダ・ホワイトホースに帰った、本多有香) 


報告者のひとこと その2

■報告会と本多さんの出版記念パーティーに参加させて頂きありがとうございました。出版記念パーティーでは本多さんだけでなく自分までも祝って頂き、地平線会議のスタッフの方々の結束力と温かさを思いっきり感じさせてもらいました。出版記念パーティーで、あれだけの人達に応援してもらえる本多さんはあのビールの飲みっぷり良さだけではなく、人柄なのだと改めて感心した次第です。きっと今後も経済的には大変なのでしょうが、男気?を見せて欲しいです!

◆それと出来るだけ早めに、是非アイディタロッドに挑戦して頂き撮影させて欲しいです。また、本多さんのアイディタロッド報告会で写真を交えて皆さんに報告出来る事を楽しみにしてます。(名古屋 佐藤日出夫


報告者のひとこと その3

■「地平線」、大地と空とがつながる所。二十歳代の僕は、この言葉に大いに自分の好奇心をかきたてられました。手段は、自転車であり、犬ぞりであり、スキーであり、自分の足であったりしたわけですが、当時の「地平線会議」の刺激的な分厚い冊子を読みながら、冒険者たちの世界に浸り、また憧れを持たせてもらったことが、ついこの間のように感じられます。あれから30年、その地平線会議が今でも存続し、報告会も毎月開かれていることは、本当に素晴らしく思います。今回、その日本の「王立地理学会」とも言える、いや、そんなに敷居が高くなくて、もっとくだけて楽しい、一度参加してみたかった「地平線会議」の報告会に初めて参加させて頂きました。

◆そもそも今回の報告会に参加できた理由は、イヌゾリラー・本多有香さんの『犬と、走る』出版記念報告会があると聞いたからです。数少ない日本人同業者として、彼女をお祝いしたかったので、一時帰国の大阪から駆けつけました。有香さんとの付き合いは、15年近くになります。本の中では、今に至る彼女の「ワイルド」な生き様が、よく描かれていたと思います。彼女の生い立ち等、本多有香を再認識した箇所もありました。夢に描いたユーコンクエスト完走に至るまでが、本当に大変だった。

◆アラスカに暮らしてきた僕は、若さの勢いで、イヌゾリラーを目指す彼女を外から見ていて、危なっかしいなー、心配だなーと思った時が正直ありました。ユーコンクエストで、毎回のように起こるレース中の不運な出来事、運不運も実力のうちとよく言いますが、彼女自身の中に、不運の原因があったのかもしれません。でも、彼女は、そのことを毎回反省し、修正しつつ、辛い思いにめげることなく、新たな前進をし続けた。最後まであきらめずにやり抜いて、とうとう完走しました。

◆異国に住みつくこと、仕事を持ちながら、開墾生活から、全て一人で犬の世話、トレーニングもすることが、どれほど大変か、同胞イヌゾリラー(長野さんのこの言葉がとても気に入りました)としては、その苦労がよくわかるだけに、彼女のフィニッシュは感動的で、また、世話になった今は亡き西山周子さんが書かれている部分には、思わずウルウルしてしまいました。思い続け、諦めなければ夢は必ず実現するということを、彼女は体現してくれた。多くの読者をきっと勇気づけてくれるに違いありません。

◆イヌゾリラー稼業は、「世界一」と称する自分のワンコと、生活を共にするわけですから、いったんはまってしまうと、なかなか抜け出せない魅惑の世界です。最大の長距離犬ぞりレース、「アイディタロッド」完走も、彼女の視野にはあるはずです。はまった以上、次なる彼女の「地平線」に向かって、これからも前進し続けてもらいたいし、ぜひ、資金難という大きな課題を乗り越えてアイディタロッドのゴールの町、ノームでの美酒も味わってもらいたく思っています!!(舟津圭三


地平線ポストから

『犬と、走る』と祭りのあと

■忘れられない楽しい夜でした。本多有香さんと佐藤日出夫さん、愉快すぎる出席者の方々の温かい気持ちとはじける笑い声に包まれ、酔いが一気にまわりました。舟津圭三さんの美声もスーパーかっこよかったです! まだほのかに熱気の余韻が残っています。

◆ところで自分について人に語ったり有名になることに興味がない本多さんが、そもそもなぜこのような大作を書いたのでしょうか……? 実は5年ほど前から本多さんに執筆をすすめていたのが江本さんでした。そのころから本多さんは短い原稿を書きためるようになり、時間をかけて何度も何度も何度も書き直してきたそうです。キャビンにあるノートパソコンの充電が切れたら知人宅まで借りに出かけ、仕事とトレーニングの合間に図書館に通ったりもして。

◆『犬と、走る』は、ひたむきな本多さんの飾らない人柄がそのままかたちになったような、不思議なパワーに満ちあふれた本だと思います。生きてきた事実そのものが豪快、痛快、爽快! ただただ一生懸命で、でもおかしくて、少しだけかなしくて。世の中にこんなぶっとばした人がいることを、もっと多くの人に知ってほしい!とつい熱くなってしまいます。

◆長期にわたった執筆期間中、頭を悩ませるトラブルがたびたび本多さんの前に立ちはだかりました。海の向こうにいるそんな彼女を気にかけながら、国際電話で厳しくも愛情深いエールを届け続けてきた江本さん。さらに本の制作にかかわった集英社の方々や、4.25の成功を目指して燃えながら走ってきた地平線スタッフのみなさんの姿をそばで見ていたら、本多有香さんという人が持つはかりしれないユニークな魅力について改めて強く感じずにはいられませんでした。

◆日本滞在中ビールを飲んで飲んで、くだらない冗談に声を枯らして笑い転げた日々はあっという間に過ぎ、本多さんはカナダへ帰って行きました。「ふなっしってなに?」というラストメールを残して……。ちょっとさびしくなりましたが、ホンダロス症候群にとって最高の妙薬『犬と、走る』が、今やあるのだった! それではしばらく休肝します〜。

追伸:パーリー準備のために奮戦してきた方々をこの場をお借りして紹介させてください!

◆「北京」を『犬と、走る』的別世界に変貌させてしまった奇才芸術家軍団はこちらの方々! 電飾埋込特注看板などオリジナルグッズを怒濤のごとく創作してくださった長野亮之介さん(度肝抜かされっぱなしでした!)、天井をにぎやかに駆けぬけた愛らしいわんこタルチョ監督緒方敏明さん、風のようにあらわれ1ミリ狂わぬ超人ワザで会場をグレードアップして去っていった北京軒先Bar『X』店主Mr.X(このために大阪から上京された!)、鮮烈アイデアとクリエイター魂で難問をめくるめく解決してくれた山本豊人くん。

◆見えないところでたくさん汗をかかれていたのがこちらの方々です! 新宿区スポーツセンターと行き来して滞りなく準備を進めてくださった報告会受付嬢石原玲さん、もう一人の受付嬢山形の網谷由美子さん、絶妙なフォローをさりげなく出してくださっていた日野かこさん、私がどつぼにはまったときの駆けこみ寺加藤千晶ちゃん、いつだって祭り愛全開の車谷建太くん、頼れるキュートなご夫婦福田晴子ちゃんと前田庄司くん、笑顔のキレもの杉山たかしょーくん、榎町の番長関根皓博さん、緊急助っ人の松澤亮さんと大阪のlunaさん、遠隔応援団のねこさんとあみちゃん。さらに可愛い特製わんこクッキーを真心こめて焼いてくださった北村節子さん、当日の花束プレゼンターをつとめてくれたちいさな柚妃ちゃん(5才)と美月ちゃん(4才)。

◆1円でも多くのカンパを本多さんに届けたくて、マイクレンタル代を浮かすために緒方さんの私物アンプを使わせていただきました。重たいアンプを運搬してくださった本多さん命のパーリーカメラマン落合大祐さん、豊富な経験とセンスでここぞ!というとき的確にヘルプしてくださった丸山純さん、終始強力にバックアップしてくださったビール下飲み王武田力さん、マイペースな私に猛烈激烈エモハッパを連日かけてくださった江本さん(江本さんの寿命がちぢまってないか心配です……)、以上が裏リーダーの方々でした。

◆そして「お好きなように店を使ってくださいね」と広い心で準備段階から協力してくださった「北京」の容子ママ(なんと犬ぞり経験あり!)と国際色豊かなスタッフのみなさん。スピーチで盛り上げてくださった集英社インターナショナルの担当編集者田中伊織さん、館孝太郎社長、販売ブースを出してくださった広報の小林恵理子さんと情熱アルバイターやっくん、造本担当の中丸一朗さんにも、心からありがとうございました。(ビールパーリー実行委員長 大西夏奈子

著書から伝わる、本多有香さんの不器用さの魅力

■『犬と、走る』、一気に読みました。まず、地平線会議で噂に聞いてきた本多有香さんという方が、こういう人物だったんだな、というのを知ることができてよかったです。パーティーではビールを空けるのに忙しいなか、あれこれ聞くのも気がひけるものです。その人がどういう人間で、どんな人生を生きてきたのかを教えてもらいたい時、本人による著書を読むのは最もよい方法の一つです。ですから、著書ができた、というのはとてもありがたいことでした。

◆全編を通じて、本多さんの真っ直ぐな情熱と根性が貫かれていました。過酷な生活や波乱の運命を越えてでも正直に生きる姿には、誰もが「スゴい」「パワフル」「自由だ」と口を揃えるのではないでしょうか。しかし私は、夢に向かって突き進む清々しさの中に、むしろ、そうしなければ生きられないある種の不器用さのようなものも感じ、そこに魅力を覚えました。

◆読みどころに感じたのは、犬ぞりレースとはかくなるものか、という実態がきわめてリアルに描写されている点です。エサの準備、個性的なマッシャー達、レース真っ最中の目線。本多さんと一緒に北の大地を旅しているような気持ちになりました。自分ももう犬ぞりレースに出られるんじゃないかという気すらしてきます(笑)。雪原の旅をありがとうございました。欲をいうならば、わんこたちへの溺愛ぶりをもっと露骨に伺ってみたいな、なんて……。

◆そして、自分のことを話すのが苦手、と耳にしておりますが、本多さんの半生で得た信念なり教訓なり、あるいは犬ぞりの快感についてなり、さらに詳しく教えていただきたいなあ、と思います。というわけで、次作も楽しみにしています! PS:子犬と笑顔が光る黄色いカバー、元気さが伝わってきますね! とびらも写真が大きくて良かったです。(福田晴子

パーリーの成功は、軒先bar『X』でのひらめきにあり!!

■江本さんからの電話を、私は大阪の実家で取った。「会場作り、頼むぞ!」 地平線名物“エモの一声”で、帰京が決まる。担当はステージ周りの飾り付けらしい。ただ、飛び交うMLを眺めていても全体像はサッパリ掴めない。オマケに移動前日の『エミちゃんとランチ』の二次会で、私は生まれて初めてカラオケボックスを体験。耳栓をも貫くノイズに粉砕された。1時間で逃げ出し、帰宅後すぐ横になったものの、頭のクラクラは翌日も取れない。座席のシートベルトを締め、次に気付いたら雲の上だった。不運は続き、出遅れを挽回すべく、夕食を兼ねて下見に訪れた『北京』は、本日貸し切り。残り3日なのに、と不安が募る。

◆そこへ、大西夏奈子、山本豊人の両名が到着。様子見のため、我々も入り口付近に陣取り、近所のスーパーで買い出した缶ビールとおつまみを並べて、軒先bar『X』を開店した。「店の外にも席を作れるね」「わんこクッキーを店内のあちこちに隠して、参加者に宝探ししてもらおう」「出版社のエラいさん達は、階段にゴザ敷いて、ひな壇の特別席!」。呑みながらの作戦会議だから、アイデアも続々だ。

◆そのハイ状態のまま、ようやくお開きとなった店内に入り、後片づけで忙しいスタッフを横目に作業にかかる。壁の採寸、天井の飾り付け方法の確認、テーブル配置の検討……。立食スタイルも、この場で決まった。先の貸し切りが、50人ちょっとで身動き取れなかったためだ。こうして全てをチェックし終えた時、何をどうすべきか、ほぼ完璧なイメージが私の脳裏に出来上がっていた。それを手直ししつつカタチにし、無事、当日を迎える。一打逆転となったあの宴。報告会は覗けなかったけれど、こんな楽しみがあるから裏方はやめられない。

◆最後に、『北京』の皆さんに一言お礼を。店内を自由に使わせて戴いた上に、当日、1時間半も前に現れた我々のために、貸し切り時間を早め、何組ものお客さんを断って下さいました。「軒を貸す」どころか「母屋まで取らせ」て下さった皆様の協力がなければ、今回のパーティーの成功はなかったでしょう。本当にありがとうございました。[軒先bar “X” 店主]

あのユーコンの土地をぼくの絵が走るなんて、ワクワクする!

有香の犬絵

■「ガハクぅ〜、絵がまだ届かないんですけどぉ〜」。報告会開始前のざわめきの中、本多有香さんがいたずらっ子のようなニヤニヤ顔で近づいて来た。犬ぞりレースの際に犬を運ぶ[ドッグボックス]を飾る絵の事だ。すでに用意してあるけど、会の最後のサプライズプレゼントだから、直前まで有香さんにはナイショなのだ。彼女の来日中マネージャー的に有香さんに同行している江本嘉伸さんも、一生懸命口を閉じているはず。ここでバラすわけには行かない。「そうだよねー。わー、ごめん。絶対描くから……」とヘタな芝居でお茶を濁した。

◆有香さんのドッグボックスの左側面には、地平線通信に僕が描いた犬ぞりの絵がすでに使われている。その対になる絵を頼まれたのは、2年前(多分?)。報告会後の酒席でのこと。有香さんの行動と人柄に惚れたファンとして二つ返事で引き受けた。それに彼女の犬舎に近いカナダ・ユーコン準州のホワイトホースは第29回報告会で僕が報告した「ユーコン川イカダ下り」の旅の実質的な出発点。その土地を僕の絵が走るなんてワクワクする。左がわは犬達の正面の顔なので、右がわは車の進行方向に合わせ、彼女のワンコ達が走る横向きの姿を描いた。

◆注文を長く引き延ばした後ろめたさも手伝い、他にもいくつか後方支援に作らせて頂いた。報告会で僕が被った犬帽子は紙製の張り子。家電製品のパッキングに使われるパルプで制作したのだが、これが予想以上にうまくいき、創作意欲に火が点いた。パーティ進行用に車谷建太君に頼まれたビール券入れは、有香さんにプレゼントする際目立つよう高さ70cmに。武田力さんに頼まれた会場の案内看板は幅100cm、高さ150cmと次第に大きくなった。調子に乗って仕込んだ電飾が、会場の[北京]のドアでチカチカと怪しく瞬いた。アーチスト緒方敏明さんに唆された本の販売用ポップにはダンボールの犬も。こういう時、僕は集中力がアップして仕事も速い。丸山純さんに「やりすぎ」と言われたほど楽しんでしまった。

◆さて報告会最後のプレゼントタイム。有香さんはビックリしてくれたのか、あるいは僕のヘタな芝居でバレてたのか、真相は満面の笑みに隠れて分からなかった。絵の感想も聞きそびれたが、もしも採用されたなら、僕の絵がアラスカを走る姿をいつか直接目にしたいものだ。(長野亮之介

素晴らしかった地平線芸術家集団の演出

■報告会ではお世話になりました。本多有香さんは(予想どおり?)あまり話をしなかったけれど、犬ぞりレースの写真を撮り続けてきた佐藤日出夫さん、そして飛び入り参加の舟津圭三さんのお話を聴けてよかったです。舟津さんとは20年程前に鳥海山麓で開催された犬ぞりレースにゲスト出演していた時にお会いして以来かも。「北京」での出版お祝いビールパーリーは、長野画伯はじめ地平線芸術家集団の演出がすばらしかったですね。

◆翌日は早く『犬と、走る』を読みたかったので出発二時間前に空港へ行って本を開き、飛行機の中でも読み続けてその日のうちに読了。ユーコンクエストのレース中は公式サイトで本多さんのレース状況を確認していて、チェックポイントに到着する時間が遅すぎると「何があったのだろう?」と心配していましたが、この本を読んであの時はこういう状況だったのかというのがわかりました。本多さんが卒業後に就職した先がわたしと同業だったのも何だかうれしい^^;

◆近所の書店に行ったら『犬と、走る』があったので、少しでも目立つように並べ直しました。隣りには角幡唯介さんと高野秀行さんの『地図のない場所で眠りたい』が並んでいたので、思わず購入。北京には角幡さんも来ていましたね。機会があればまた報告会に行きたいと思います。皆さまにもよろしくお伝えください。(飯野昭司 山形県酒田市)

2014年「北極点無補給単独徒歩」顛末

■カナダ時間3月7日正午。極地冒険の「聖地」レゾリュートからチャーターしたツインオッター機が、1000kmほど北上したカナダ最北端に位置する北緯83度のディスカバリー岬へランディングした。マイナス36度、気温は高い。ここから2012年に果たせなかった「北極点無補給単独徒歩」の再挑戦がはじまる。

◆無補給単独徒歩とは、1人で途中の物資の再補給を受ける事なく自力のみで北極点を目指すということだ。これまで無補給単独徒歩で北極点到達を果たした人物は世界で2人のみとされている。ディスカバリー岬から北極点までは緯度7度、直線距離で約780km。北極点を目指す冒険行では凍結した北極海上を進み、足元の海氷の厚さは平均すると約3mほど。北極点付近で水深4000mにも及ぶ北極海のスケールから言えば、その厚みはほんの薄膜程度であり、日本の30倍以上の面積を有する北極海の大きな海流や、強い風によって海氷は気まぐれに動き回る。

◆海氷の動きによって氷同士はあちこちでぶつかり合い、巨大な乱氷帯やプレッシャーリッジ(氷丘脈)を形成し、時に高さ10m以上の氷の壁となって進行を阻む。海氷は押し合うこともあれば逆に引き合う事でリードと呼ばれる割れ目を形成する。リードは幅数十センチの小さなクラック程度のものから、巨大なものは対岸までの幅が数キロ単位のアマゾン川のようなものまで様々であり、いつどこに出現するかは全く予測ができない。北極海とは、日々状況が変化する、不確定要素に満ちた世界なのだ。

◆出発後2日目には、目の前に巨大な乱氷帯が出現した。出発前にカナディアンアイスサービス(CIS)というカナダの機関の知人より、今年のディスカバリー岬沿岸が過去にないほどの大乱氷帯になっている事は情報として得ていた。50日分の食料や燃料、キャンプ道具を積み込んだ総重量118kgの2台のソリを引きながら乱氷帯に入っていくと、そこは高さ5〜6mの氷のブロックが見渡す限りに積み上がっている。

◆通常、北極点を目指す冒険というのは北緯83度から84度への最初の緯度1度(111km)に最も時間を要する。沿岸部に発生する乱氷帯とスタート当初の重いソリで時間を要するからだ。乱氷帯では毎日3〜5kmほどしか進めない日々が続いた。2台のソリを1台ずつ運び、壁のようなプレッシャーリッジを乗り越えていく作業が延々と続く。乱氷帯は進行に時間がかかるのはもちろんだが、装備の破損やケガのリスクも伴う。今回、私と同じチャーター機でスタートをしたアイルランドの二人組は、出発10日後に乱氷帯で二人ともにケガをしてレゾリュートに引き上げる事態となった。

◆通常、北極点を目指す隊は北緯84度までを2週間程度で通過する事が多い。しかし今回、乱氷帯の激しさに加えてブリザードで3日間の停滞を強いられた事で、84度通過に20日を要することになった。北緯84度以降は順調に距離を伸ばして北進を続けるが、その後も2度のブリザードでさらに3日間の停滞となった。無補給単独という性質上、動く事のできる日数には必然的に制限がある。そこに物資補給を受けながらの冒険行との最大の違いがある。状況のすべてが不確定な北極海上で、何日かけて北極点を目指すかを読まなくてはいけないのだ。

◆物資を多めに用意すれば安心だが、ソリの重量が増える事は進行速度の低下を招く。スピードを重視すれば日程が厳しくなる。そのギリギリを狙ったのが50日分という計画だった。しかし今回、度重なるブリザードと出発直後の激しい乱氷帯で時間を要したため、日程が次第に厳しくなっていった。20日目以降は、日々の食料を少しずつ残していって55日動くための5日分の食料マネージメントを開始した。食料制限をかけていくと、当然空腹感は激しさを増していく。

◆北緯86度付近に迫ると、次第に足元の海氷の動きが激しくなっていった。南東のグリーンランド方向へと流れていく海流の流れが強くなり、一日頑張って歩いた距離の1〜2割程度を寝ている間に南へと押し戻される日々が続く。その後も度重なるブリザードは周囲の海氷の流動性を増し、平坦だった海氷上に新しい乱氷帯やプレッシャーリッジを発生させる。また、あちこちに新しいリードを作り出し、安定した進行が極めて困難となっていった。

◆出発44日目、食料計画上は38日目。北緯86度22分まで達したところで再び訪れたブリザードは24時間で22kmも南東へと私を押し流していった。そのブリザードは4日間吹き続け、80km近く南東へと私は流された。その地点からは17〜18日の行動で北極点への到達が可能だと私は計算していた。20日目以降の食料マネージメントで食料計画上55日目までの行動が可能であったので、順調に進めればギリギリで北極点到達が可能であると思われた。しかし、5日の追加日数を捻出するための食料制限とブリザードによる断食状態の日々の影響で私の体はその時点での消耗が激しく、そこからさらに17日間、極点に向けて走ることができるのかが疑問だった。

◆すでに体から脂肪は枯渇し、疲労と空腹は極限に達していた。ブリザードにより発生したクモの巣のようなリードの中に突っ込んでいく事は、その時の集中力が欠けた状態では余りにも危険であると私は判断し、今回の北極点挑戦は48日目での撤退を決めた。今回の挑戦を通して、自分の力が全く通用しなかったとは思っていない。それどころか、挑戦してみて今の自分の力で充分に通用する事を再確認した。あとは、計画の見直しなどを図る事で「無補給単独徒歩」による北極点到達は充分可能であると私は思っている。(荻田泰永


【通信費とカンパをありがとうございました】

■先月の通信でお知らせした以後、通信費(1年2000円です)を払ってくださった方々は、以下の皆さんです。数年分をまとめてくださった方もいます。万一、記載漏れがありましたら、必ず江本宛てにお知らせください。アドレスは、最終ページにあります。振込の際、通信の感想などひとこと書いてくださるのは大歓迎です。

★高松修治 津川芳己 寺沢玲子(10000円 地平線通信が届く度に、鈍った頭に刺激を与えられます!通信費プラスカンパをお送りさせていただきます)村田憲明 向晶子 森美南子 筑摩耀平 網谷由美子 伊藤寿男(5000円 2年分+カンパ) 滝野沢優子 今井尚(10000円) 小島あずさ(10000円) 岸本佳則・実千代(10000円)


新しい発見が多々あった鳥海山スキー! ことし70のオジイサン、みわかずひこ

■連休に鳥海山に行ってきた。まだ立山室堂のように道路の雪壁が5mぐらいある。そんな時期にテントを持ち、シールを付けたスキーで山登りをしようなんて、「70歳のジイサンのやることじゃない」と奥さんに言われた。自分でもそう思っていたが、後期高齢者の先輩ジイさんから誘いがかかれば、後輩としては拒否はできない。このジイさんは、地平線会議のMIYA本さんのザイル仲間で、冬の谷川岳の衝立岩に新ルートを開いた人だ。大学教授引退後再び山に戻り、ここ3年間は冬の間八甲田に家を借りて年間100日近く山スキーに狂っている。何事も徹底的にやらなければ気が済まないようだ。

◆私は数年前からE本さんも誘ってバックカントリーのスキーをやっている。裏にウロコがついたスキー板、シールを貼る板などいろいろ買い求めて、家ではひんしゅくをかったが、リフトで上がって滑り降りるだけのスキーと違って新鮮でだんだんはまってきた。しかしスキー板で急傾斜の雪の山を登ることなど考えていなかった。雪山はワカンやアイゼンで登るものと思っていた。しかしシール付きの板ならかなりの傾斜でもスイスイ登っていく。ICIのKOSHI谷さんに頼んで雪山を登れる幅広のスキー、TLT締め具、靴、シールなどワンセット購入した。これはなかなか高価。でも後輩のIPPEI君も「年寄りのスキーは財力で滑るものです」と言う。

◆5月2日の夜はテント泊、3日の朝4時には起き、鳥海山では一番長い中島台高原ルートの10kmを行く。頂上には2時までには着きたい。1000mの森林限界を出るまでに3時間かかり、いよいよ広大な中島台高原になる。我が最新のスキー板は快調だが、大ジイさんはさらに速い。ほとんどシールだけで行けたが頂上近くでは表面が凍ってきた。翌日のことだが表面が凍るとシールは利かなくなり、かなりの人がそこでスキー登山を諦めていた。今回スキーにアイゼンが付くようにしておいたので、氷の急斜面は横方向に登ることができる。小さな装置でワンランク上の登山ができた。

◆頂上間近で天気が急変し、猛烈な風が吹いてくる。2回ほど吹き飛ばされ転がったが、ちゃんとヘルメットを用意してきたので、頭には全く傷はできなかった。「KASO利さんじゃあるまいし、ヘルメットなんて大げさだ」と思っていたけど、安全装置は必要だ。風の後には雲が垂れさがってきた。あっという間に視界は10mほどになる。一気に滑って逃げようとしたが、もう遅かった。雲に閉じ込められたら方位は全くわからない。登りのスキーの跡は消えた。

◆大ジイさんは位置確認のGPSを持ち、雪崩にあっても脱出できるエアバックを背負っている。万が一埋まったら掘りだすスコップも持ち、電波を発するビーコンは必需品という。「大げさな!」と半分あきれていたが、自分が雪山の中で方位を失ったら、これらがなければ皆さんにご迷惑をかける。次回はちょっと高価すぎるエアバックは別としてGPS、ビーコンを持ってこなければと猛反省。

◆翌日は霧も晴れ最高の登山、スキー日和になり日本海を見ながらの大滑降。大斜面を好きなように滑りおりる。ゲレンデのスキーしか知らない人間にとっては目からうろこ。スキーは自由勝手に滑る道具だ。スキーリフトがなく、圧雪もない、それがこんな楽しいこととは知らなかった。若者にもその楽しみを味わわせたい。しかし彼らには財力がない。でも将来がある若者は、最低限の安全装置だけでいい。少しぐらい世の中にご迷惑をかけても構わない。それを糧にして将来世の中に貢献すればいいのだから。もう世の中にお返しできない我々年寄りは、財力を駆使し用具をフル活用したほうがいい。私は今回の山スキーで新しい世界を発見した。さらにジイサンのあるべき姿の発見もあった。いい山スキーだった。

◆本日6日、雪山で年寄りの遭難が相次いでいる。「ジイさんたち、もう自分の年を自覚しなさい!」と言いたいのだが、「お前なんかに言われたくない!」と返されそうだな。(三輪主彦

エミコさん、元気に帰国!!

■今年もシール・エミコさんが4月15日から5月11日の予定で一時帰国しました。みなさん、安心してください。エミコさんのピカピカの笑顔は健在でしたよ。今年はスティーブさんを置いての独り帰国。滞在先も大阪のエミコさんのお母さんのおうち。この季節になると大手術をした頃を思い出してナーバスになってしまうエミコさんを気遣って、スティーブさんが「日本にリフレッシュしに行っておいで」と送り出してくれたそうです。しかし独りでオーストラリアから帰国するのはいろいろと大変だったみたいです。

◆今回の帰国では携帯電話を持たず、インターネットも繋がらず、移動が車椅子になってしまうのであまり外出もせずと不便だらけだけど、そのぶんお母さんとの時間を大事にゆっくりとすごしていたようです。そんな中で、私は2回エミコさんに会う機会がありました。1回目は彼女の要望で10名ほどが集まってのランチとカラオケ。食べて、笑って、おしゃべりして、歌って、踊って(?)と、とてもはじけまくった楽しい再会パーティになりました。そして2回目は我が家でのお泊り歓迎会。地平線会議の大阪の飲み仲間のねこさん(中島菊代さん)lunaさん(村松直美さん)も一緒に、いろんな女子トークで夜中まで盛り上がってました。

◆今でも、身体のあちこちが痛かったり、精神が落ち込んだり、泣きたくなるようなことがしょっちゅうあるみたいですが、なんとかがんばって前向きに生きているそうです。それで1年がんばった自分へのご褒美に、毎年1度は帰国したいと笑顔で言っていました。また来年一緒に宴会する日を楽しみに待ちたいと思っています。「エミちゃん、また来年もいっぱい食べて飲んで、内緒の話しようね! 5月15日 Happy Birthday ♪」(大阪 岸本実千代


5月19日「3.11」支援活動の今を知ろう!

■RQ市民災害救援センターの活動が終わったあとも、現地で引き継き支援を続けている仲間たちがいます。彼らの活動を知り、応援する機会を久々に設けます。
【日時】5月19日(月)19:00-21:00
【会場】RQ災害教育センター(東京都荒川区西日暮里)
【アクセス】http://g.co/maps/ykrad
【参加費】500円 【申込み】以下のフォームでhttp://www.rq-center.jp/news/1406


今月の窓

〜フィルターいろいろ揃ってます〜

 先月号のこのコラムに載ったエッセイ、「地平線と『妻フィルター』」。「うふふ、とうとう出たか」と、感じるところあって一文を。あ、お断りしておきますが、私、この通信に関しては熱心・細心とは言えない「拾い読み読者」でして、その範囲での独断であること、ご容赦くだされませ。ついでに私、「シニカルおばさん」とも言われてますの。おほほ。

 地球狭しと歩きまわる多くの男性諸君、君の家庭はどうなっておるのか……と、これ、実は世間一般ではしごく素朴な疑問です。なぜかこれまでこのテーマ、地平線では避けられてきた気配あり。「超ユニーク、高リスクな行動ほどけっこう」という地平線の暗黙のお約束の下、E爺(なんだ、この変換ミスは!?)もとい、イージーな「いいねえ、どんどんやって」論が大手を振って、通信は「すごい」「感動!」のオンパレード。これってちょっと不気味かもよ。

 そこへ、新進気鋭の紀行ライター君の「上戸彩似の赤ちゃんが生まれて、かわゆくって、辺地に行く気力が失せた?」っていう独白(本年1月号)。あれはなかなか率直、「まっとう」で、おばさん的には三重丸でありました。好ましいなあ。「妻フィルター」と合わせて、この集団の禁断の課題がついに言語化されつつあるのか? よしよし、いいぞ。

 思えば、オトコの脱家庭は歴史的にもなぜか深淵に語られてまいりました。西行は4歳のわが子を縁側から蹴落とし旅立って名を成す歌詠みとなり、明治の人、中村直吉は帽子屋の稼業を放り出して各地を放浪、妻に愛想をつかされながら一応、「日本人初のアフリカ放浪者」とはなりぬ……等々。そんな「決然と、孤独を恐れず旅立つオトコ=世俗に染まらぬ純な奴」という「日本の伝統的評価」がどういうわけかここ、地平線会議では生きている?気配……。

 いいのよ、どんどん放浪しても。でもね、それを仲間内で「かっこいい」とだけ評価しあうのはなあ、と。その間の後方部隊の日々こそが実は「物語」に陰影を与えるドラマかもよ。さらに言えば、長生きになった日本人、放浪オトコもその妻も80を越える日が来るでしょう。「決然たる孤独」はどういう「その後」を迎えるのか? 着地点のデザインがほしいところです。

 となると、長期スケジュール闘争として考えられるひとつは、平素から何が何でも家庭運営の役割は果たすという姿勢ですね。出稼ぎのお父ちゃんが半年、高層ビルの足場で汗を流して子供の笑顔を楽しみにお土産買って帰る、というあのたたずまいです。あるいは、常に「すいません、好き勝手にやってまして。ええ、ええ、こまった酔狂、道楽と十分承知で、ハイ、もう恐縮しておりますです、ハイ」という平身低頭スタイル。かりそめにも家庭では「おれは必死だ、これはロマンなんだ」はやめてね、ということなんであります。

 「あ、あ、もちろんですぅ。僕なんか、家ではいい子してますも〜ん」という某バイク王のソプラノが聞こえて来るようですが、「ま、いいでしょ」と許す寛容、且つ生活力ばっちりの妻は実はレアもの(そんな彼女をゲットしたのも長い目で見ればバイク王の戦略的実力?)。

 「そんなの承知!」というメンバーが多いとは思いますが、この集団のややこしいのは、多くのカップルの「妻族」が、「いい加減落ち着いてよ!」の後に「私だって出歩きたいのに!」というセリフを飲み込んでいる空気濃厚なこと。強力時限地雷埋設地帯厳重注意!

 と、ここで紙面が尽きた。冒険・探検と酔狂・道楽は一つコインの表と裏。妻フィルターを筆頭に世の中にはいろんなフィルターがありまして。この項、機会あればTO BE CONTINUED.(北村節子


結婚しました!

■地平線の皆さん、こんにちは!関野吉晴さんのプロジェクトで映画の仕事をやらせてもらった江藤孝治です。この度、皆様にお世話になっている小久保純子さんと結婚することになりました。私も小久保も地平線会議にはご縁があって、壇上でお話しさせていただいたこともあります。小久保さんは農大探検部出身で、当時取り組んでいたアイスランド氷河洞窟探検のレポートを。私は探検家・関野吉晴さんのプロジェクトを追ったドキュメンタリー「僕らのカヌーができるまで」の告知をさせていただきました。不思議な縁でその後、小久保さんが勤めていた映像制作会社で私が働くことになり、出会ったのでした。

◆2013年の8月、私はアメリカで新たな映画の撮影を行っていました。ネイティブアメリカンと日本人アーティストの交流を描いたドキュメンタリーです。約1か月半の長いロケでした。ハードな日程に加え、トマトと牛肉、ポテト、小麦の組み合わせをコーラで流し込むばかりの食事はつらく、やっとの思いで帰国した後、小久保さんが作ってくれたミョウガのみそ汁がなんと美味かったことか。そんなこんなで胃袋をつかまれ、一緒になることを決めました。

◆これからは二人で未開の路を歩む所存です。未熟者ですが、旅の先輩方、路に迷った時はどうか相談に乗ってやってください。今後とも末永くおつきあい、よろしくお願い申し上げます。(江藤孝治 ちなみに、映画は秋の公開をめざしています。もろもろ決まりましたら、改めてご報告させてください)


【先月号の発送請負人】

■地平線通信420号は、4月9日印刷、封入し、10日発送しました。作業に参加してくれたのは、以下の方々です。
森井祐介 松澤亮 車谷建太 福田晴子 前田庄司 菊地由美子・美月 白根全 江本嘉伸 石原玲 杉山貴章
美月さんは、4才。この仕事には初登場です。由美子かあさんの隣でネーム貼りなどしっかり仕事していました。ほとんど日本にいない白根君はこの日ペルーから帰ったばかり。大変な時差ぼけに耐えるためには発送に参加するしかなかった、とありがたいせりふ。皆さん、ありがとうございました。


あとがき

この通信の制作の主軸、レイアウトを一手引き受けてくれていた森井祐介さんが入院された。「昨年10月、体調がよくないので近所の病院に行ったところ、血圧が高いこと、心臓が弱っていて血行が悪いことがわかりました。結果として、検査入院、結果として心臓に繋がる動脈を広げる処置が必要ということに」とご本人は教えてくれた。心臓のバイパス手術、天皇もされた、あの手術です。

◆私より1才か2才年長の森井さんは、普段は新宿駅近くの囲碁センターで教えている。水曜日だけ休みなので、地平線通信は、いつも森井さんにあわせて「水曜日発行」としてきた。印刷の仕事が本業だったこともあって、パソコンは私にとっては師匠にあたる腕だ。

◆穏やかで、控えめな森井さんは、普段は裏方に徹しているが、地平線通信制作の根幹には毎号、毎号、常に私と森井さんとの「電話のやりとり」がある。原稿の量、掲載の順序、見出し、などなど大事なことはずっと相談して決めてきた。

◆レイアウトだけでなく、編集長の心を汲み、常に通信の心臓部にいてくれている、という感じ。明日の手術はほぼ1日がかりというが、「麻酔で寝ている間に終わりますから」と先ほども元気な電話をくれた。今回は、加藤千晶さんを軸に、新人の福田晴子さんの助けでレイアウトをやってもらってます。森井さん、ゆっくり休んで快復されたらまた頼みますよ。

◆先の話。7月の地平線報告会は、都合により18日の第3金曜日に行います。あらかじめ予定しておいてください。6月は通常通り27日の第4金曜日です。(江本嘉伸


■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

冒険の先っぽ

  • 5月23日(金) 18:30〜21:00 500円
  • 於:新宿スポーツセンター2F

「たいていの人にウスラ笑われたり、“やめとけ”って言われると、その計画は前衛的なのかなって思うんです。だったら俺がやるって」というのは、冒険家の田中幹也さん。先鋭的なクライマーから、20代半ばで垂直から水平に舞台を移し、前例の無い創造的な旅を実践。この20年は厳冬期カナダをスキー、自転車などを使った単独無補給踏破に飽くことなく挑んできました。

「一応目標は設定するけど、大事なのはプロセス。1000km以上歩いて目的地に着いても、結果だけ追いすぎて満足感がなかったことも」。'13年の旅は予定の1/5程しか進めず、凍傷で一時的に失明までしましたが、「久々に全力を出し切ってトライした充実した旅でした」と幹也さん。

一連の行動に対し、この度、'14年度の植村直己冒険賞受賞が決定しました。「冒険は芸術と似ている」という田中さん、受賞の報と同時に、カナダでのプロジェクトを放擲。新たな冒険の先っぽを求めてフィールドを変えました。

今月は6/7の授賞式を控える田中さんに、幹也流冒険の考え方を語って頂きます。乞御期待。


地平線通信 421号
制作:地平線通信制作室/編集長:江本嘉伸/レイアウト:加藤千晶 福田晴子/イラスト:長野亮之介/編集制作スタッフ:丸山純 武田力 中島菊代 大西夏奈子 落合大祐 
印刷:地平線印刷局榎町分室
地平線Webサイト:http://www.chiheisen.net/


発行:2014年4月9日 地平線会議
〒160-0007 東京都新宿区荒木町3-23-201 江本嘉伸方


地平線ポスト宛先
pea03131@nifty.ne.jp
Fax 03-3359-7907 (江本)


◆通信費(2000円)払い込みは郵便振替、または報告会の受付でどうぞ。
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議


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