行った、見た、聞いた
〜 記念フォーラムへの感想集 〜

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楽しかった文化祭から、酷寒の大地へ 安東浩正
ちゃりんこ野郎
旅人は、アーティスト 影山幸一
本吉宣子
マッケンジー河の3人 小林尚礼
北米大陸横断ジャーニーラン宣言 坪井伸吾
何でこんなに気になるの、地平線会議 村松直美
大阪発
アザーンの目覚まし 大久保由美子
いのち短し恋せよ若者 松本榮一
モンゴルから大道具作りに駆けつけて 山本千夏
ウランバートル住人
将来は安泰だ 岸本佳則
西宮発
伝説のセリ人 樫田秀樹
ちょべりぐな集まり 白根全
体がビートを感じて波打つ 恩田真砂美
恐るべし地平線会議 岸本実千代
西宮発
熱いパワーに財布の辛さも忘れた 鰐淵渉
愛知発
濃密な時間の記憶 丸山純
世代を越えて、地平線 井上智
熊本発
発端は新聞記事 村田忠彦
めでたい大集会 西澤栄里子
長野発
オレ、フォルクローレ習いたい 渡辺京子
えっ? 息子さんと!? 古山里美
目指すぞ、親子2代報告者 青木明美
マウイ島・ハレアカラから見た、水平線 海宝道義
人が素晴らしかったなあ 横内宏美
いきなり大冒険家 阿佐昭子
ラフカイとウルフィに会えて嬉しい!! くばようこ
茨城発
裏方もする哲学する東大生 松尾直樹
近くて遠かった大集会 藤原和枝
地平線の底力 三上智津子
翌日のぶつぶつ 前田歩未
京都発
伝説の地平線人たち 中山嘉太郎
山梨発
300か月フォーラムからサハラへ 賀曽利隆
その先の、水平線 河田真智子
行ってよかったあ シール・笑みこスティーブ・シール
奈良発
フォーラム、のち引越し 菊地由美子
夏帆さんからもらったこと 鈴木博子
キュッ、トクン 橋本記代
地平線黒子デビュー 中檜理
地平線アスリートとして 藤岡啓
次はいつ、どこで‥ 飯野昭司
山形・酒田発
その哲学の透明な響き 坂井広志
坂井紀子
あまりにも元気過ぎる!! 風間深志
300ヶ月も続く地平線会議の魅力 三五千恵子
楽しかった 受け付け 後田聡子
悠々と流れるマッケンジーのように 河村安彦
かつて僕のいた場所。そしてもう一度居場所を見つけること 三五康司
長時間の熱気、日本で唯一なんじゃないかな 長岡竜介
震災の新潟から駆け戻って 埜口保男



〜 記念フォーラムへの感想集 〜
楽しかった文化祭から、酷寒の大地へ
安東浩正 ちゃりんこ野郎 

◆大集会なかなか盛況に終わりましたね。スタッフの手作り感が満載なのがなによりいい。なんだか学校の文化祭みたい。高校生の時は写真部でしたが、展示用にとっておきの写真の大型パネルを暗室にこもって作ったり、大きなフィルムケースの張りぼて人形を作ったりしたときの事を思い出しました。金に物を言わせるイベントとはわけが違って、まるでぼくの旅みたいでした。安東の旅も予算はないから何もかも自分でやらねばならないけれど、把握していないところは皆無なので本当の自分の旅にできるのです。とはいっても今回のイベント、安東は直前まで中国雲南省に逃亡していたので、お手伝いしてないのだけれど…。雲南にいてもスタッフメーリングリスト上で毎日飛び交うメールを見ながらスタッフになった気分を味わわせていただきました。誰より落合さんご苦労様でした。

◆安東のために頂いたパートも、最初の企画段階では「地平線経済学」から「安東浩正の作り方」という題目にかわり、結局「ぼくらはなぜ旅をするのか」に落ち着いたのですが、午前のパートで石川さん熱気球、多胡さんモータパラの話だったので、自称マニア級飛行機好きの安東も、「おれにも話させろ!」といった感じで、たいしたことない飛行機の話を無理やりしましたっけ。あとは大理のカツ丼の話もしたかな。でも肝心の題目にある「なぜ旅をするのか」は話さなかったような気がする。まっそれも地平線的でいっかな。そもそも行動にでるのに屁理屈なんていらない。行きたいから旅に出るのである。理由よりも行動そのものに意義があるのだから。

◆さて安東の極東シベリア自転車縦断計画も出発が迫ってきました。前回のシベリア横断を遥かに上回る旅となるでしょう。なぜそんな過酷な旅に出かけるのか、行く前からその答えが判っているようではつまらない。それは出会いかもしれないし、極限の寒さかもしれないし、震えるほどの荘厳な景色かもしれないし、挫折かもしれないし、絶世の美女的雪女の誘惑かもしれないし、途中にある湖に住むといわれる謎の怪獣かもしれないし、KGBに逮捕されるかもしれないし、またまたシロクマかもしれない。最初に理由があってはそれは取材旅行になってしまいますからね。その答えが見つかったら通信にもお便りをと思いますが、果たして郵便局があるだろうか。皆さんも北の夜空に北極星を見かけたら、ぼくのために祈ってください。ではでは!




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
旅人は、アーティスト
影山幸一・本吉宣子 

夫妻で美術展企画会社「ノヴリカ」を運営、地平線会議に共感し、1997年、写真展「地平線発」−21世紀の旅人たちへ−を企画、全国で写真展を展開した

◆300か月記念大会おめでとうございます。大会場のうえ盛況で驚きでした。会則もない有志のネットワークとして25年の年月は、人間力のなせる業でしょうか。継続する力はすばらしい。地平線会議のエネルギーが「地平線300か月記念大集会」に集約され、大作『地平線大雲海』にアーカイブされて、「その先の地平線」へつながって行く現場に立ち会えた思いです。同時に、写真展もまた見てみたい、と思った次第。時代は、すっかりアナログからデジタルですが。

◆1997年開催の写真展で、私たちは旅人をアーティストと考えました。未知なる世界へ挑戦する人間の勇気と行動力がとらえる画像は、きっと美しいに違いない。そして、その画像を多くの未知の人と共有して感動したかった。単純だったかもしれないし、純粋だったかもしれない。10年足らずの小さな企画会社が企画する内容にしては、無謀だったのかもしれないが、その時、私たち二人の日常の「地平線」が始まったのかもしれません。旅人は創造するアーティストであることを伝えたい。しかし、伝わる言葉を持たなかった私たちにとって、地平線会議そのものが遠い地平線だったのです。

◆その後、私たちの会社は、なくなったのですが、「地平線」のような何かは継続しています。「その先の地平線」へ向かって日常を一歩一歩。写真展の開催と写真集の製作をさせて頂き、ありがとうございました。人間の極限までの体力と精神力を集中させたその行動そのものが、芸術としての様々な人間表現を生むものだと思っています。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
マッケンジー河の3人
小林尚礼 

◆記念フォーラムで一番刺激を受けたのは、マッケンジー河を旅する3人の話。多胡さんが、高い視点から写真を撮りたくなり、そのためにパラグライダーを手に入れたという話は、単純明快で、その努力は激しく、聞いていて気持ちがよかった。僕も山で写真を撮るが、どちらかと言えば、そこを歩くことで出会う人や風景を、そのまま撮ることが多い。しかし、彼のやり方からは、思い通りの角度で撮りたいという攻めの姿勢が感じられる。極北の大平原では有効なパラグライダーの撮影法が、東チベットの大峡谷でそのまま通用するわけではないだろう。しかし、そこの地形に対してどう攻め込んでゆくのかという、積極的な考え方があることに気づかされた。

◆田中・菊池夫妻の話も刺激的だった。カヌーで河を旅したとき、周りに広がる野生と、人間である自分を仲介してくれたのが、オオカミの血を引く愛犬だった、という話が印象に残る。僕がチベットの山の中を歩くとき、必ず地元の人間に案内を請う。彼らはそこに息づく神々を感じることができる。が、人間であることは僕と変わりがない。もし、もっと野生に近い存在と行動を共にできたなら、どんな旅になるのだろうか。

◆この6年間、梅里雪山というフィールドにどっぷり浸かってきた。まだまだここで見たいことはあるのだが、今は、東チベットのより広大な地域に足を伸ばすことを考え始めている。マッケンジー河を旅する3人、そして記念フォーラムで発言した方々に、その勇気を与えられた。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
北米大陸横断ジャーニーラン宣言
坪井伸吾 

◆あの日、玄関で「じゃ、地平線300年記念集会に行ってくるわ」と嫁さんに言って「江戸時代から、やってるんかい」って突っ込みを入れられました。きっと江本さんに「300」、「300」と呪文のように聞かされてきたせいでしょう。それはさておき、江本さん、世話人の皆様、ありがとうございました。本当に密度の濃い二日間でした。中でも一番印象深かったのは、リレートークに登場したスティーブとエミコさんの旅継続宣言です。

◆僕が二人に初めて会ったのは95年のナイロビ。二人が自転車世界一周を初めてから4年目でした。その時、エミコさんに聞いた「日本に着くのは21世紀かな」って一言はインパクトありましたね。そして時は流れ21世紀。インターネット時代の到来で二人の居場所は自宅のパソコンでも分かるようになり、本当にまだ走ってるんや、と感動してたら、エミコさんの突然のガンによる帰国。闘病生活の始まり。あれから3年。そんな経緯もあり、今回会場で聞いた力強い復活宣言に再び感動しました。

◆僕が二人とナイロビで出会ったように、報告者と会場の観客、それに観客同志も地球のどこかで出会い、それぞれの感慨にひたりながら、あの場にいたのだと思います。かつて自分が報告者だった時、打ち合わせで長野さんに「我々が聞きたいのは何をしたかではなく、なぜ、したかだ!」と、まるで「SHOW THE FLAG!」みたいな勢いで詰め寄られ、焦ったことがあります。でもその熱さがあるから、地平線は25年も続いているのですね。最後にこの場を借りて、僕も宣言します。来年、北米大陸横断ジャーニーランに挑戦します。どこまで行けるか今から楽しみです。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
何でこんなに気になるの、地平線会議
村松直美 大阪発 

◆「参加したい...」と思い続け、ようやく参加できた本場東京での報告会。しかも前夜祭&記念フォーラムとダブルに美味しい今回の企画。地平線通信で報告会の案内を見てはうずうずし、その報告を読んではため息していた自分。文面だけでは想像が想像をよび、思いが膨らむばかりで、ますます報告内容が気になって仕方がなかった。そしてようやく参加できた今回、そのウップンを晴らすにはおつりがくるくらい濃い〜2日間だった。報告者の話を全身全霊全開で受け止めようとした結果、今なお飽和状態なことはいうまでもなく、あの2日間がいかに充実しすぎていた時間であったことを改めて感じている今日である。

◆それにしても、地平線会議。報告会..。何でこんなに気になり、何でこんなに惹かれるのか...。それはきっとその場でしか感じることのできない雰囲気。報告者本人からその場で語られる言葉と受け取る者の間を行き来する思い。会場でなければ感じることの出来ない臨場感。あの空気は文字からだけでは決して感じることは出来ないからではないだろうか..。そしてそこで体感する空気はその場にいる自分をも旅から旅へいざなってくれる。旅の報告を聴き、次の旅へ思いを馳せる。言葉にできないパワーをたくさんもらい、自分も旅に出たくなる。文字からだけでは伝わってこない何かがある報告会。やっぱり生はすごい! 思えば、地平線会議と出会ってからいろんな出会いがあり縁があり今日に至っている。人と人とのつながりの不思議さや大切さありがたさを改めて感じさせてくれた存在でもある。この出会いに感謝の気持ちでいっぱいだ。みなさ〜ん、ありがとぉ〜♪




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
アザーンの目覚まし
大久保由美子 

◆あんなに楽しみにしていたのに、当日の朝ちょっとした事件が発生して、突然参加できなくなったのが本当に残念です。でも、前夜祭に夫婦で参加させていただき、オークションでは四万十のフセイン紙幣に続いて、シゲさんから戦利品をゲットできたことは大収穫でした。以下、アザーンの目覚まし時計を競り落としただんなの弁。「あんなんじゃ起きれないと思ってたけど、出だしに地の底から響くような声で『ぅぁあ〜』とか言うので、あまりの恐さに毎回恐怖で目が覚めます。目覚まし効果は抜群!シゲさんありがとう!」




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
いのち短し恋せよ若者
松本榮一 

◆地平線300回おめでとうございます。私たちはこんなにも長く集うていたのかと思うと、感無量です。僕がこの会を知ったのは、まだ20代、誘ってくれた江本さんも30代でした。いのち短し恋せよ若者です。この25年のあいだ世界も日本も、そしてひとり一人も大きな変化があつたと思います。この次に来る30年に向けて、変化というキーワードで地平線を考えてみたいと思いました。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
モンゴルから大道具作りに駆けつけて
山本千夏 ウランバートル住人 

◆モンゴルから飛んできて、本当によかったです。幕が上がるギリギリまで、久島さんと作ったマジックショーの大道具。スタッフ集合時間に遅れちゃったドサクサにまぎれるのに絶好の仕事でした。江本御大の華麗なるマジシャンと三輪先生の怪しさ、走り屋ヒロコ嬢、黒子の皆様、、、とてもリハーサルなしとは思えない見事なマジックショーでした。寄せ太鼓と共に、会場の空気を見事にヒートアップさせてましたね。多胡さんの空飛びプロモーションビデオに惚れました。石川直樹さんの作品にもトークにもしびれました。さすが記念すべき集会に選ばれた報告者! 納得の面々でした。

◆前半はお客さんとして、地方参加組の皆さんと一緒に客席で堪能し、後半からは裏方で照明係をやってたのですが、裏方はやっぱり落ち着くなぁ。300ヶ月を記念するにふさわしい素晴らしい集会になりました。実行委員長の落合さんはじめ、随分前から打ち合わせと準備を練っていた皆様、ご苦労さまでした。なによりも11月7日に向け激戦を勝ち抜いて見事、会場抽選に当選した新宿在住の関根さん、桜井さんに大感謝です。これで旅の元気を充電しました。来年は皆様、モンゴルでお会いしましょう!




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
将来は安泰だ!
岸本佳則 西宮発 

◆今回の記念集会は「その先の地平線」を実感させる若手の行動者の報告を続けて見・聞くことが出来、地平線会議の将来も安泰だなと思いました。パソコンを駆使した映像表現がこんなにも地平線会議で定着していることにも驚きました。次の「大雲海」はDVDで制作ですね。前夜祭で「東京以外」にも目を向けていただきありがとうございました。地方での報告会は毎月の報告会に変化を与えるし、新しい仲間を増やして行けるので今後も随時開きたいですね。準備と運営に携わった全ての皆さん、ご苦労様でした。本当に楽しく参加させていただきました。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
伝説のセリ人
樫田秀樹 

◆前夜祭でのお目当ては、もう見られないと思っていた伝説の「恵谷+岡村」のセリでした。これをまた見れただけでも来た価値があるというもの。ただ、出品数が多かったためか、最後の数十分は若干だれてしまったのが残念ですが、これはまた別の機会に何度でもやりたいですね。

◆集会で、一番印象に残った一つは、風間深志さんの、行動は「続けてこそ本物」との言葉です。これは、バイクの旅だけではなく、取材でも、村での住み込みでも、NGO活動でも、ありとあらゆる活動に共通する人生のエッセンスだと思います。風間さん、またバイクに乗ってください。

◆フォーラム全体でみれば、やや「移動派」の行動者の出演に偏ったかなと思いますが、そのなかにあって、マッケンジー流域にこだわる田中さん+菊地さん+ラフカイ+ウルフィの話は心に沁みました。ひたすら遠くを遠くを目指すだけが地平線ではなく、先住民と暮らしながら心に次々と現れてくる心象を吸収・確認し、さらに深く追い求めることもまた地平線。自分の心に正直なままに、やりたいことをやり続ける。今回のフォーラムが一番訴えたことはそれに尽きますね。

◆もう一つ印象に残ったのが、地平線会議発足人のお歴々の勢ぞろいでした。25年たったということは、みんなもう60前後。だのに、誰もが現役。どんな行動であれ、こういう先輩たちの存在そのものが励みになります。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
ちょべりぐな集まり
白根全 

地平線会議さん江
◆もしもし、ごきげんよう。いやー、ちょべりぐ(!)な集まりでありました。とくに感動的だったのは、何といっても品行方正楽団の寄せ太鼓(手前味噌てんこ盛り!)ですかな。何とこの道15年の超きびしい団長・大西嬢と、その方面では日本を代表するプロの長岡氏、そしてまだ駆け出し太鼓歴5年目という地平線のヨン様こと長野画伯に口説かれて舞台デビューしてしまった私めは、練習時間合計わずか3時間弱…。もしかして、おれって天才ミュージシャンかも? これも天性のリズム感に加えて、カーニバル巡りで鍛えられたノリの良さ(オー・マイ・ガァ!)などと、すぐ調子にのるオレオレ自画自賛雨あられでございました。それにしても、毎回驚かされるのは地平線会議の絢爛豪華なキャラですねえ。ほんと、人材にはこと欠かないし、その気になったらもう手に負えない。人は地平線を夢見て旅立ち、とある認識に到達し、また地平線会議へと帰ってくるものなのであろうか。『大雲海』のつかの厚みこそが、行動の重さと思いの熱さの集積なのだと思います。この勢いで突っ走れ400ヶ月、いてまえ500ヶ月!! なんて、調子に乗りすぎてZZZ−全@ギックリ腰…とほほっ…。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
体がビートを感じて波打つ
恩田真砂美 

◆「表現のために行動する」という、石川君と多胡さん。気球の太平洋横断やパラのマッケンジー川撮影行の体験を言葉や映像に置き換えて伝えてくれる。彼らの洗練された作品の裏には、幾重にも積み上げた思考とプロセスがある。表現から伝わる迫力は、重ねられた努力に比例するのか。一方で、言葉につまりながら、淡々とカナダの旅を通じて得た精神的な深まりを言葉に置き換えてくれた田中さんと千恵さん。会場全体が、シンと一点に引きつけられて穏やかになった。まるで、焚き火を囲んで語っているように、言葉が静かに流れて体に入り込み、ポンと不思議な空間を残していく。安東さんの語るシベリア横断行は、オフロードの激しさと、困難を乗り越える格闘家のような情熱。思考の速さと連動しているすごいリズム感。エネルギーがあふれ出て留まるところがない。音楽を聴いているみたいに、体がビートを感じて波打つ。創設メンバーによるリレートーク。それぞれの生き様や姿勢が色濃く伝わってくる。地平線を「人肌の温もり」と評した森田さんの鋭い視線。穏やかさに隠された一触即発の緊張感。創設メンバーには、ぎりぎりまで行きかねない気迫が、いまでもあるのだ。表現とはなんだろう。行動を共有することの意味はなんだろう。意図され発せられたモノとは別のところで、肌が感じて体が刻んでしまう人間の匂いやリズム。本能的な臭覚の前では、隠すことなどできない、何か。『行動体験がオリジナリティーに溢れているのなら、それは既に「表現」のレベルにある』。最後に石川君が読み上げた地平線の趣意書案の一文に、納得。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
恐るべし地平線会議
岸本実千代 西宮発 

◆300回記念大集会に参加できてすごく良かったと思います。前夜祭から始まって、寸劇や太鼓など趣向を凝らした催しが盛りだくさんでとても楽しく過ごさせていただきました。でも、私が一番印象に残っているのは、やはりそれぞれの人の報告です。今回は一番前の席で見させていただいたのですが、その人の体験したことやこれからの夢や目標など、目の前で表情豊かに話をされていたのがとてもよく伝わってきました。聞いているだけで、なんだか、風やにおいを感じたり、ふわりと空を飛んでる気分になったり、また自分の知らない世界がまだまだたくさんあることを教えられたりしました。これからも、もっと色々な報告を聞きたいなあ、関東に住みたいなあと、心底思いました。こんな報告会を毎月毎月300回も積み重ねているなんて、やっぱり「恐るべし地平線会議!」




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
熱いパワーに財布の辛さも忘れた
鰐淵渉 愛知発 

◆楽しみにしていた300ヶ月記念フォーラム!当日はなるべく低予算で来ようと思っていたけど、結局新幹線で行く事に…。財布は少し辛かった。けれど前夜祭や更に本大会の予想を上回る白熱ぶりには、そんな辛さを忘れてしまうかと思えるほど、僕の心は息つく暇もないくらいに興奮しまくりでした。

◆熱い報告者のトークに熱いオークション。そして熱いマジックショー! 全身から発せられているかのような皆さんの熱いパワーはいつも新鮮に感じます。そんなパワーを受けて、少し休眠状態だった僕の冒険心がまたもや揺り動かされてしまったのかな?行ってみたい国や地域が、次々に頭の中に浮かんでくるのでした。

◆スタッフの皆さん、本当におつかれさまでした! 歴史的?な大会に立ち会うことができて、とても嬉しく思っています。僕もまた報告者となれたらいいなあ…。

◆さあ、この次は400ヶ月、500ヶ月。そして1000ヶ月へ!いつまでもこの地平線会議が続くことを。そして地球の顔に新たな冒険の足跡を残す夢旅人の、出会いと語らいの場となることを心から願っています。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
濃密な時間の記憶
丸山純 

◆今年の夏のパキスタンでは、4つのワークショップの開催や2つの祭りの参加に追われて、“まるで日本にいるみたいに”ほんとにあわただしく過ごしました。ところが帰国してみると待っていたのが、「地平線通信全号復刻プロジェクト」の最後の追い込み。11月7日の大集会になんとか間に合うのか、だめなのかの攻防をプロジェクト参加者のみなさんとぎりぎりまで続けたおかげで、やっぱり日本の時間の進み方はパキスタンなんかとは比べ物にならないくらいに速いと、実感させられました。さらに、大集会当日は多胡君と田中夫妻のパートの司会役をつとめましたが、伝えたいことがいっぱいで、席の目の前で掲げられる「あと○分」の表示に、あせりまくり。ともかく、ひたすら時間に追われ続けた「地平線の長い秋」でした。でも、みなさんと共にものすごいスピードで駆け抜けたこの濃密な時間の記憶は、一生忘れられない体験として残りそうです。お疲れさまでした!




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
世代を越えて、地平線
井上智 熊本発 

◆地平線会議・熊本の井上です。こう書くと支部のようですが、キャンプ場で正式に?のれん分けをしていただいたのだと、先輩から聞いています。活動は本家には遠く及ばないですが、「旅」の情報交換と、たまに報告会を開きながら、地元では環境問題や国際政治などへの視点を持って楽しみながら?活動しています。今回の「大雲海」プロジェクトでは、スキャナー部隊の末席に参加させてもらいました。丸山編集長との交信は、nifty時代からはじまりました。1996年当時「DAS」の制作で新聞記事をテキスト入力しました。久しぶりに「DAS」を引っぱり出して読んだりしましたが、「旅」とその「記録」への強い情熱を感じます。それは今でも継続されていますね。「地平線会議」は地平線+会議という言葉ですが、「地平線」が旅へのいざないとすれば、「会議」は、帰ってきてからの報告と記録だと考えると、会としてやるべきことをシンプルに継続しているということですね。近くにいれば、通信の糊付けからいろいろとお手伝いも出来るのですが、いつもありがとうございます。旅を巡っては、「旅人」香田さんの悲しい死がありました。

◆生きているリアリティをつかめない日本の若者と関連づけて書いた記事もありましたが、このようなテーマについても、みなさんの意見も聞きたいと思います。本来「旅」は個人的な事であり、みなさんは「素晴らしい」個人主義者の集まりだと書いて場を白けさせたこともありましたが、旅人だからこそ見つけられる視点や感性をもっと、世の中へ出してもらいたいなぁと素直に思います。「じゃあ、おまえがやれよ」と怒られそうですが…。300回から、これからの「地平線」[旅]はどこへ向かうのでしょうか。変わる部分と変わらない部分を含みながら、世代を越えていく「地平線」という言葉に宿る、旅の力を信じつつ、続けられる事を願っています。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
発端は新聞記事
村田忠彦 

◆15年前の1989年7月18日、なんとなく読み始めた読売新聞「旅の始まりは好奇心」(関野吉晴、永瀬忠志両氏の写真付)(注・江本嘉伸記者原稿)の記事に目を奪われた。記事には「通算117回を迎えたこの報告会は殆ど宣伝もされていないが、毎回70-100人もの出席者を数えている…」とほぼ1面いっぱいに旅仲間の記事が列挙されていた。

◆半信半疑で参加した第118回河野兵市氏の「焦げ付く青春」をスタートに気がつけば何と今回の300回まで継続していた。皆さんと異なり、さほど旅や冒険もしていないのになぜ地平線会議にひき付けられたのか?と改めて振り返ってみると、気が向いた時に参加出来る気楽さ、自分にはとても出来ない旅や冒険が居ながらにして聞け、刺激やパワーが吸収できる楽しみ、老若男女数多い皆さんと交流出来る楽しさ、などなど書き出したらきりがないくらいである。今回の300ヶ月記念フォーラムの盛り上がりを見ても、私だけでないことが立証されよう。今後とも微力ながら関わって、新情報に胸をときめかす楽しさを味わい続けたいと思う。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
めでたい大集会
西澤栄里子 長野発 

◆前夜祭・大集会、お会いしたかった多胡さん、田中さん・千恵さん、そして、あのっ!生田目さんにもお会いし、とっても感激でした。受け付け業務をする中、何回かホール内に入って皆さんのお話と映像を拝見させて頂きました。地平線会議創設メンバーの方々のお話もお聞きすることができ、それから25年続いてきた歴史流れ、沢山の方々が関わり触れ、数々なことに方々に影響を与え生み出されたことも多かったであろう繋がり、深み厚味が想像され、もっと創設メンバーの方々のお話を聞きたいっ!と思えました。そんな皆さんの凄さ深みを実感し、後に本当に長野にて報告会が行えるようになるには、この歴史深みに通じるような地平線的信念?をしっかりと考え、これに賛同し心から集い行動を共にできる熱き人々が必要であると、しみじみ思え帰ってきました。

追伸 何ヶ月も前からとっても楽しみにしており、復刻にしてもテキスト入力だけでしたので、絶対に前夜祭大集会と何かお手伝いさせてもらおうっ!と意気込んでいたところ、ナントっ!10月末に妊娠していることが分かり(旦那さん家族は喜んでおります♪)、身体、無理できない状態になりまして、前夜祭では体調悪く早々とホテル部屋に引き上げ身体を休めており、公園での二次会に参加できず、大集会当日も受付セッティング、受け付け業務と頑張っていたからなのか、相当疲労が顔に出ていたようで、旦那さんからstopがかかり、後片付けをさせてもらいたかったのですが、それも出来ず会場を後にし、その点では悔いの残ることも多かった今回です。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
オレ、フォルクローレ習いたい
渡辺京子 

◆ハツラツ300回記念、お疲れ様でした。今回の記念集会は、物静かで洗練された雰囲気。なぜかな。パソコンを操り穏やかに語る丸山さんたちの進行がそうさせていたようです。以前はスライドで、係の人に「はい、つぎお願いします」とひそひそ声があり、カシャッ、カシャッと音がしました。静かなのにどこかガサついていたあの雰囲気もリラックスできて好きでした。今回は末っ子の圭太(小二)を連れて行きました。フォルクローレだけは絶対聞かねば、と音楽に集中させようとしたものの、聞いているのだかいないのだか。ところが帰宅してから圭太が突然「オレ、フォルクローレ習いたい」と言いだし、びっくり。うちにはボリビアやペルーで買い集めたフォルクローレのCDやテープが50本くらいあり、ふだんからなじんではいるものの、まさか習いたいなんて言い出すとは。さっそく、とうちゃん(久樹)が長岡さんといっしょにボリビアに行ったとき買ってきた(そのまま押し入れに詰め込まれていた)ケーナやサンポーニャを引っ張りだしました。12月に体験レッスンする予定です。さて、どうなることやら。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
えっ? 息子さんと!?
古山里美 

◆地平線300回記念の大集会、お疲れさまでした。前夜祭も行きたかったのですが、丁度仕事のヤマ場に差し掛かっていたため、泣く泣く欠席しました。大集会の日も仕事を抜け出して行ったので、あの後も仕事場に戻って仕事を続行していた私です。それから解放されたのは、10日。翌11日は、ホント、丸一日グーグー寝て過ごしてましたよ。しかし、仕事を抜け出して参加した大集会は、ものすごい価値がありました。内容も、いろいろと凝った仕掛けで楽しかったです。私は最初の手品が一番大ウケ。いや〜、みなさん、様々な(にわか?)特技をお持ちなんですね。多胡さんのお話は、報告会に行きそびれていたので、大収穫でした。バイク仲間の(旧姓:生田目)明美ちゃんにも久しぶりに再会できたのも嬉しかったです。時間が足りないのは、いつものこと。でも、壇上で話すべき人は、まだまだもっといたのでしょうから、次の500回の時は、3日間ぐらいあってもいいのかもしれませんね!?

◆それから、ビックリしたのは、賀曽利さんの5枚目のスライド。といいますのは、仕事場(バイク雑誌の編集部)に賀曽利さんが時々打ち合わせで来た時に、私はその編集の担当ではありませんでしたが、中国の写真を横からパラパラと見せていただいたのです。それはほとんどが食べ物についてで、お話も自分の中国のツーリングについてのみ。息子さんと一緒に行ったなんて、ひとっことも話さなかったのですよ(もちろん編集担当には話したのでしょうけれど)。だから、大集会でのスライドを見て、「あれーっ、賀曽利さん、息子さんと行ってたの?」と初めて知ってビックリ。最後の5枚目にあの写真を持って来たというのは、とってもとっても嬉しかったのでしょうね。でも、あんまり語ろうとしないのは、賀曽利さん、とってもとってもテレ臭いかったから?

◆まあ、何はともあれ、300回の大集会の大成功、おめでとうございます。通常の地平線会議も、バイク仲間の話題とは違ったテーマが聞けて世界が広がる貴重な場と思っていますので、今後も時間を作って参加させていただきます。どうぞよろしくお願いします。12月にバイクで走る予定のリビアのビザはこれから取得に向けて本格的に動き出します。では。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
目指すぞ、親子2代報告者
青木明美 

◆タマンラセットを飛び立った飛行機の窓からサハラを眺めながら、もう一度バイクでサハラ越えをするぞと心に誓った時は26だった。地平線と出会った頃、私はホステスで、ビルの谷間のちっぽけな灰色の空を見上げては逃げ出す事ばかり考えていた。今なすべき事と信じて、やっと妊娠したとき、36になっていた。トラブル続きの高齢妊婦だった私は出生前診断(羊水を採取して胎児がダウン症かどうかを調べる)で悩んでいた。そして河田真智子さんの写真展を見に行って、子供を選ばないことを選ぼうと決めた。「その先の地平線」に行ってその先の旅人たちに会うことが出来た。旅人は旅をつづけている。風間さんのお話で、とかげのしっぽがまた生えるように、風間さんの冒険も続くと安心した(賀曽利さんの涙の応援演説も素敵だった)。フォーラムから帰って来て、笑みこ・シールさんの『ガンを越え、めざせ地平線』(鹿砦社)を読んだ(続きの世界一周頑張ってください)。私も旅を続けたいと思った。私の子宮頚がんに移行する可能性のある細胞というのは石炭採掘現場のような出産のおかげで、いちおう剥げ落ちた。もちろん要経過観察だが(今は旅に出る前にもうひとり産む気になっている)。その先の地平線&大雲海に携わった皆様、本当にお疲れ様でした。最高でした。世界のどこかでその先の旅人中の皆様、報告を楽しみにしています。とりあえず、乳をやりながら思うに、カエルの子はカエル…親子2代報告者になりたいなぁ。(PS.昨日、偶然に安東さんのミリオネアを見てしまった。ロマンを語るあたり余裕だとおもったのに。笑。そういえば、『鉄馬のドンキホーテ』が欲しいのですが…→(送りますよ。E)




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
マウイ島・ハレアカラから見た、水平線
海宝道義 

◆「その先の地平線地平線会議300か月記念フォーラム」、参加できず、残念でした。その日、私はハワイ・モロカイ島で、第7回目の「100kmウルトラマラソン」を開催していました。モロカイ島は、ホノルルから空路約20分のところにあります。フレンドリーアイランドと呼ばれていて、現地の方々が、毎年、とてもあたたかく、私達を迎えてくれています。今回は、ランナー22名に対して、現地のボランティアが100名という、大変、贅沢な?大会となりました。

◆大会を終えて、翌日、日本から参加した皆さんとマウイ島へ船で移動。そこで、不思議な景観と出会ったのです。ハレアカラの山頂でのことです。ハレアカラは標高3056mの世界最大の休火山で、1750年に最後に噴火してから200年も眠っているそうです。火口壁の高さが200mという巨大な噴火口の荘厳な景観が有名だそうで、マンハッタンがすっぽりはまってしまうとか。荘厳な日の出が見られることから、ハレアカラ(日の宮)と呼ばれているそうです。私達は、山頂までレンタカーで行きましたが、車を借りる時間の関係で、日の出の時刻には間に合いませんでした。その日の天気は快晴。山頂は、360度、視界が開けていました。そこから眺めると、「地球は丸い」ということがはっきりと分かる、広大で、見事な景色でした。視線を下にすれば、モロカイ島、その他の島々がはっきりと見えます。海面が確かにあります。ところが、遥か彼方に目をやると、水平線が自分と同じ目の高さにあるのです。自分が標高3056mの高さに位置しているのだから、水平線は下に見えるのでは…? 海面が、盛り上がっている、と表現したらいいのか、せり上がっているような…?本当に、何ともいえない不思議な景観でした。幾度も確かめました。目の錯覚なのか、本当にある現象なのか…。そのとき、ふと、この景観を、三輪さんに見てもらいたい、と思ったのです。ハワイで地平線会議を開き、解明してもらうのは、どうだろうか。モロカイ島で100km走った後の三輪塾、それも、悪くないかな!…、と。

◆さて、これからも続く、「地平線会議」。世界中、飛び回っている皆さんに刺激されつつ、私も、シルクロードを走る、という夢への実現に向けて、あきらめず、進んで行こうと思っています。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
人が素晴らしかったなあ
横内宏美 

◆入口出口エリアを担当していると人がよく見えます。「人」が素晴らしかったなあ、というのが私の感想。日頃「人」に辟易しがちなのものですが、深〜くコウベを垂れたくなる二日間[いや、大雲海製作期間も含めます]でした。場を創る人も、その場に参加する人も、あれだけの人数一人一人揃いも揃って素晴らしいってのは稀有なことですよ。地平線会議ってすごいなあ。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
いきなり大冒険家
阿佐昭子 

◆「面白そうなので行ってみよう」から「裏方の一人として参加!」できることになり、心から感謝しています。楽しさ100万馬力の一日でした。実のところ私は、「その先の地平線」どころか「これまでの地平線」についてもほとんど知らずにいました。今回いきなり遭遇した大集会に、まるでお気楽に参加してしまった自分を、ある意味「大冒険者」と呼んでしまおうかと…。

◆フォーラムの準備は、いくら手馴れた皆さんとはいえ、大変だったことでしょう。細かい進行等、リハーサルなし(ですよね?)の面白さを十分に出しながら(笑い)、あの場に集った全員の思い入れの深さと、ホンモノの重みをガッチリ感じました。

◆お手伝いさせていただいた書籍販売ですが、「来場記念に絶対何か買って帰ろう」という気を起こしてもらえそうな、強力な演出で仕掛けたかったですね。強烈なキャッチと飾りつけ・出演者に協力していただいてサイン入りetc.… 勿論販売が目的ではないですけれど、せっかく全国から大勢の方がいらっしゃっていたので、来場者へのサービスも込めて、会場内・ロビーどこでもエンジョイ!という感じで。大雲海は重いし厚いし!寝る前に数ページずつジックリ読んでいます。地平線に歴史ありなんですね〜 これ以上の感想は読み終わってからまた。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
ラフカイとウルフィに会えて嬉しい!!
くばようこ 茨城発 

◆「先日はフォーラムに参加させてもらって楽しかったです!! ありがとうございました。私はほぼ受付にいたので、中でのお話は殆んどわからないのですが、すっかり落ち着きを増した「介護犬」ラフカイ嬢とまだあどけないウルフィに会えたのが嬉しかったです(同じ国でも生まれた土地が少し違うだけで、あんなに毛質が違うとは!)。

◆受け付けメンバーは皆さん楽しい方ばかりでしたし、グッズを買って下さる方(お客さま)も、フレンドリーと言うか気さくな方が多くて、最後はおつりの100円玉が切れてしまったりしたのですが、お客の皆さんが率先して協力して下さったりして終始なごやかで楽しい感じでした。それとフォーラムの間、休憩以外で途中でお帰りになる人は殆んどいなかったです! それも1〜2人くらいで「仕事で帰らなきゃならないのー!悔しいっ」と、残念がってお帰りになる、と言う感じで。聞きに来ている人も、参加している人もスタッフも垣根がなくて、みんな楽しそうな顔のフォーラム!っていーなーと思いました。私もとっても楽しかったです〜。ありがとうございました!




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
裏方もする哲学する東大生
松尾直樹 

◆今回私は裏方をやりました。人気のない舞台袖から話者を眺め、忙しい日々からしばし離れ、物思いに耽る二日間でした。「哲学する東大生」の名で地平線に通い始めて、はや3年半。大学も卒論準備が始まり、年を経る毎に身辺は多忙の度を深め、蛍光灯に照らされた午前の闇と15インチのディスプレーが、今の私の日常です。しかし、たまには月に照らされた夜、何万ヘクタールの平原にも思いを馳せたいものです。地平線を創設した方々のお話しを聞き、その時ばかりは思わず厳粛に聞き入る観客席を眺め、果たしていま地平線に通う20代は40年後にこのように人々を惹きつけられるだろうかと考えました。地平線会議の創設というのは、他者と他者の出会いであったろうと思います。違うフィールドで活動する違う考えを持った者同士が、出会い、議論する場であっただろう、と。別な言い方をすれば、それはいくつもの「自分」いくつもの「個性」がぶつかり合う場でもあります。そのような個性が、他者との出会いが、自分にあるか。それとも相手に迎合しているだけか。自分のフィールドへ赴き、そこで早く芽を出したいものです。それが地平線の300か月を踏まえての感想です。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
近くて遠かった大集会
藤原和枝 

◆適材適所、無料奉仕パワー集結で成り立っているのが地平線会議。ならば自身、300回記念集会では勿論一役買う前提で参加する心積もりから、受付担当を軽く引き受けたのだが…まっまずい! 受付は会場とは完全に切り離された蚊帳の外状態に置かれると知った時は既に遅し。受付要員数として最低7、8人確保しなければ対応できない今回の大集会という事になると、応援を頼む際この事を納得してもらわなければならない。せっかく記念集会の豪華イベントを当てに参加してもらっても全体を聴くことが出来なくなってしまうわけだ。

◆大阪からの岸本さん、前田さん、村松さん、中島さんが裏方了解で待機してくれてはいたが、前日はフルで活躍の上、なんと云ってもはるばる大阪から参加しているのに、肝心の大集会が虫食い参加になってしまっては、地元としてあまりにも気が引ける。内心どうしたものかと少々焦り気味でいたところ…当日蓋を開けてみれば、早めに来ていた容林さん、橋本さんと新垣さんが快く助っ人を引き受けてくれた。これで当初から裏方メンバーとして参加表明していた後田さん、西澤さん、会計を取り仕切っていた班長横内さん、そしてそのまた頼りになる助っ人阿佐さん、久芳さんと合わせ、合計9名も揃ったではないか。結果はといえば、笑顔爽快、手際秀逸、集計完璧の見事な連係プレー。我ら、大集会を盛り上げる力になれて満足だったが、たった壁一枚隔てただけだった会場が…あぁ遠かった…




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
地平線の底力
三上智津子 

◆記念フォーラムでは、地平線会議の底力をみせていただいた気がします。私の横に立ってピザを頬張っている人が!隣の席に座っている人が!一緒におしゃべりしていた人が!素晴らしい経験、体験をしていたり、これからやろうと計画をしている最中だったり‥。あの熱気溢れる会に参加させていただき、自分が若い頃(35年〜25年前)、山や未知の世界にとり憑かれていた頃を懐かしく想い出しました。本当に充実した楽しい一日でした。この地平線会議に関わっている若い人達が、この仲間から物凄いパワーを受け取っていることを感じました。江本さんの人間的魅力も大きな要因ですね。これからも、この会が500回、1000回と続いていきますように!




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
翌日のぶつぶつ
前田歩未 京都発 

◆今回のフォーラムは感動しました。感動が抜け切らないうちにぶつぶつ言っておこうと思います。感動したとは。ナゼか今ではスタッフのハシクレに組み込まれていますが、そもそもただの好奇心で地平線にやってきて、傍観者であったわけです。「私とは全く別分野で生きている人たち」という認識で。だから、たまに江本さんが私のことを皆さんの前で紹介してくれますが、本当にいつも「場違いだ」と気が引けるんです。私は別に自信なく生きている訳ではないけれど、地平線の人たちとはやっぱりどこかに壁を感じていました。私のはまり込む場所ではないのに、その人たちに私を説明しようとすることが恐れ多くてなんだか申し訳ない気分になります。

◆だけど、昨日話を聞いていて、やっぱり人間だなって。ココロが動く部分っていうのはおんなじだって。感動っていうのは感覚的な部分ですよね? 人それぞれ感じることは違うけれど、相通じるものはあるんだなって思いました。自分自身と真剣に向き合っている人間として。人との出逢いと感謝して生きる心と体に染込んだ感覚はそういう人間ならば誰しも感じ得る共通点なのかもしれない。そんなことを多くの人に伝えることが地平線の役割の一つでもあるんだと思いました。そうして大きな輪ができていくんだと。表面的なこと(事実関係や軌跡を追うこと)でなく、内側の部分には必ず共感できる部分がある。多くの人の内側の話を聞くということは、私がドイツで学んだ「相手の個性を理解しようとする目」をもつのとおんなじだって。とにかく昨日、私は感動しました。同じようなことを感覚として知っている人たちの話が聞けて嬉しかった。今回の東京は濃かったです。焼肉屋さん(2次会のこと)の前で撤退しなければならなかったのが心残り。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
伝説の地平線人たち
中山嘉太郎 山梨発 

◆東京の例会に行けることも少ないので前夜祭とフォーラムは思う存分楽しもうと思ったのですが…フォーラムの途中に抜けざるを得ませんでした、すみませんでした。大会は伝説の地平線(創成期)の人達が誰一人欠けることなく来られていたのでびっくりしました。もちろんスタッフは昔の人と今の人が一緒になって準備していたのにも感心、一体感ですね。私は何も手伝いできなくて…次々飛び出すイベントを楽しんでしまいました。昼休みに箪笥会館の近くでラーメンを食べたのですが、たまたま隣に居合わせた女性も地平線に出ている方でした。聞くと80年頃参加していたけれど子育てで来れなくなった。しかし 最近ここ2年くらいまた地平線通いしているそうです。私と同年輩くらいの方 だったですが…。思い出して来るというのは魅力があるんでしょうね。さて今後の地平線がまた楽しみです!!




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
300か月フォーラムからサハラへ
賀曽利隆 

◆いやー、ほんとうにすごい地平線会議の大集会でした。縁の下の力持ちになって事前の準備を進めたみなさん、2日間にわたるイベントの進行にたずさわったみなさんには、とくに「お疲れさま」といいたい気持ちでいっぱいです。地平線会議発足当初、よく話したことば、「今、この時点で地平線会議をおもしろがる人が中心になってやればいい、そうすればきっと地平線会議は継続してうまくやっていける」というものでした。まさにその通りになったというのがぼくの実感です。よくぞ途切れることなく世代をつないでいきましたよね。それには江本嘉伸さんと三輪主彦さんの力が大きかったことはいうまでもありません。

◆それとものすごく感動したのは『地平線大雲海』の発刊です。これぞまさに地平線会議の底力。丸山純さんら『地平線大雲海』にたずさわったみなさん、ほんとうにご苦労さまでした。さっそく全ページに目を通しましたが、「地平線通信」の第8号が空白になっているのを見て、ちょっと申し訳ない気分です。というのは報告会の回数と通信の号数を合わせようと、当時、報告会を担当していたぼくの独断で発送済みの第7号を8号に変更し、第9回目の楠原彰さんの報告会案内の通信を第9号にしたからです。丸山さん、幻の第8号のために余計な手間をかけてしまいましたね…。追記・11月の28日から「サハラ砂漠縦断」に行ってきます。今回はぼくにとっては13度目のサハラ縦断ですがすでに14度目のサハラ縦断を計画しています。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
その先の、水平線
河田真智子 

◆島の海辺に立ち水平線を眺め、その向こうの島へ、島へと旅を続けてきました。脳に重い障害を持って生まれてきた娘の夏帆が生まれたあとはペースを落とし、時には車イスの娘と一緒に島へ向かいました。17歳になった娘との旅は、32年間の島旅の半分以上になりました。女性には何かをやめる機会がたくさんあるけれど、好きなことを続けることが辛い時の自分自身の支えになる、と10分スピーチで話しました。

◆娘が生命曲線の下降期に入った今、水平線の向こうに何を求めるか考えました。

◆これからは二つの活動をしていこうと思います。ひとつは島の高校、中学に「出前授業」をしに行きます。島の将来を共にしようとする時、私が島で学んできたことを島の子どもたちに伝えることが最も大切なことだと考えました。旅をするばかりでなく、島おこしと関わることも私の大切な活動です。12月に沖永良部島の高校に行きます。

◆もう一つは、「島の写真展」をしたいと思います。今年娘をテーマとした写真展を3回もやって、「写真が大好き」と目覚めました。今、来年の写真展に向けて、またまた審査に出す写真選びをしています。これがひたすら楽しい!のです。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
行ってよかったあ
シール・笑みこ [^_^] & スティーブ[^v^]・シール

◆300回記念と聞いてどうしても東京まで行かなくっちゃ!と思いました。だってだって「第300か月目」ってことでしょ〜。一言では言えない歴史の深さに感動です。で、実際に会場に入ってみると目に見えそうな情熱パワーにどっと包まれました。賀曽利さんのあふれる笑顔、金井重さんの楽しいトーク、安東さんには勇気を、石川さんの着実さには勉強させられました。また、風間さんの「やり続けることが大事!」という言葉にドキリとさせられ自らを見直すきっかけにもなりました。島を旅する面白さや小さい生命の大切さを考えさせられる機会も得られ、私を含め会場にいた人たちは、聞けた分だけ人生が豊かになったのではないでしょうか。地平線は多種多様、専門分野が深いのが魅力的。来月20日からの旅再開のいいエネルギーになったと、奈良に戻りいっぷくしながら実感しています。という訳で行く前・行って・行った後と楽しむことができ、無理してでも行った価値がありました。自分たちの地球、これからも守りながら楽しんでいこうではありませんか。江本さん、裏方のみなさま、本当にご苦労様でした!!




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
フォーラム、のち引越し
菊地由美子 

◆ダンボールの山に囲まれながら、リレートークの原稿を書き終えました。あの充実した2日間を振り返り、再び余韻を味わっています。ダンボールの中身は、この春に引っ越してきたばかりの部屋の荷物です。というのは、このあいだ警視庁に身柄が移ったばかりですが、またまた異動の発令が下りました。12月1日付けで、さいたま支局へ。今度はしばらく腰を落ち着けることになります。しかも、転任早々、能力以上の仕事を負うことになりそうで、ますます報告会からは足が遠のいてしまうかもしれません。それでも、森田靖郎さんがおっしゃっていたように、自分のやっていることを確認したくなったらまた、ここに戻ってこようと思います。住まいは浦和になりますが、東京からわずか30分なので、遊びに来てくださる方は大歓迎です。あ、そのときはもちろん、美味しくて栄養価の高いものを忘れずに!




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
夏帆さんからもらったこと
鈴木博子 

◆地平線会議のフォーラムで、人間が生きていくうえでとっても大切な“健康であることの大切さ”を感じられたと共に、人の輝いている笑顔がとても心に残っています。それは河田真智子さんの表情や話がフォーラムの中で最も印象に残っているからです。

◆前夜祭の夜、河田さんは重度な障害を持つ、愛娘夏帆ちゃんを連れて会場に現れました。過去の地平線の記録などから名前は知っていたのですが、お会いするのは初めてでした。しかし、初めてながらも、常に笑顔でいらっしゃった河田さんに話しかけるのに時間は要りませんでした。躊躇なく「こんちは」と。すると河田さんは笑顔で夏帆ちゃんと共に「こんにちは」。「この前の文化祭で作ったクッキー」というのを夏帆ちゃんから手渡しでいただき、その時の気持ちを河田さんが代弁し教えてくださいました。“聞いていいのかな〜”などと質問にいろいろ頭を巡らせ戸惑っている私に、河田さんご夫妻は“普通でいいんだよ”と言わんばかりに態度で私の緊張をほぐしてくれました。「17歳の高校生、夏帆ちゃん、それだけなんだ」。河田さんご夫妻は夏帆ちゃんも加え、私の問いかけに真剣に答えてくれ、会話をしてくれました。常時笑顔で、夏帆ちゃんに愛情をもって、一番に夏帆ちゃんのことを自慢に思い、接しているのがわかりました。私の心はそんな河田さんの愛情に打たれ、暖かいものでいっぱいになったのです。

◆そして、次の日のフォーラム当日、夏帆ちゃんは来ていなかったのですが、リレートークで河田さんが夏帆ちゃんの写真を出し、幸せを報告された時は、ただただ「なんでそんなに幸せなんですか?」「なんでそんなに自信をもって愛情を表現することができるのですか?」「なんでそんなに素敵に笑っていられるのですか?」との思いでいっぱいになりました。河田さんの思い、行動に感動し、そこにどうしようもない“すごさ”を感じざるを得ませんでした。

◆強く生きること、それは何でも前向きでいることなんでしょうか…。健康であり、何でも出来る自分なのに、河田さんのあの笑顔には敵わない。そんな気がしたのです。

◆そんな思いの中で同じ日に聞いたシールエミコさんの話。「自分に非があったから病気になった。そう思ったら納得できた」と次の旅に立つまで自分を前向きに持っていかれた姿に、衝撃を受けたのでした。

◆そして、もう1人。風間深志さんの「私は10年間、止まってしまったから」「走り続けることが大切」という言葉も心に響きました。

◆私はこの前、最近めっきり見ることがなくなっていた昔の勉強机の上をみて驚いたことがあります。机に張られている切り抜きの中に“風間深志”と書かれている紙があったからです。もうその紙切れは何時だったか忘れてしまうくらい昔のものなのだけど、しっかりとその時の感情は覚えています。その記事には風間さんがバイクで世界を旅するのは「自分では計ることのできない“右脳の感動”あるからだ」「この右脳の感動があるから旅は止められない」と書かれています。それを見て、まだ世界も旅も知らない少女は感動して心が痛くて心が騒いで涙を流し、「忘れたくない…いつか私も右脳の感動を…」とそれを切り抜いたのです。

◆今回、地平線会議のフォーラムで、違うところからではあるけど、また同じように風間さんの言葉が私の心を揺さぶりました。少女だった時代からもしかしたら、この地平線会議と出会うことは運命だったのかもしれないし、風間さんの言葉に心を動かされることは予知されたことだったもかもしれないと、今になって思います。

◆病気や怪我であるから気付くこと、健康であるから見失っていることはたくさんある。人生に悩み、迷っていようとも、こうして今、走ることができる。もしかして、それだけで頑張ることのできる理由はあるのだと思ったし、何があっても前だけは向いていようと思ったのでした。そんな根本的かもしれないけど、私にとって頑張れる元気をもらったフォーラムになりました。最後に、今病気、怪我をしている皆さんが早く良くなりますように。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
キュッ、トクン
橋本記代 

◆胸の奥を「キュッ」と掴んで「トクン」と落ちるあの感覚が朝から思い出されてしょうがない。彼女から伝わるウサギの鼓動と温もりがその生を頂くことの意味が、瞬く間に私の体温を上げていた。実際に何かに強く心揺さぶられた人から話が聞けるその素晴らしさは、自分自身で体験することを唯一除けば、例えようもなくて。伝えられた何かを手掛かりとして、自分自身の発見が始まるそのことが楽しくて、今もここにいる。

◆地平線会議300か月記念フォーラム。伝える人が幾人も居ることで、手掛かりは大雲海のように広がりを持つことだろう。仕事の都合で、いつも報告会終了間際に駆けつけては、発せられた言葉の欠片を、会場に残された何かを探していた。そんな私も今回は万難を排して参加して、いつも手伝えない思いを受付に立たせてもらうことで、少しだけ解消させてもらった。スピーカーから漏れるる声に耳を澄ませ、人の波が収まったら、駆け足で会場に入って探した。「全てに感謝している」彼女と旦那様が嬉しそうに発した一言が、何だか嬉しかった。帰り道、沢山の探した欠片を抱えていた私は、それだけでも充分なのに、沢山の人達の想いが詰まった素敵な固まりを抱えていた。今も枕元にある。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
地平線黒子デビュー
中檜理 

◆ある日、松尾直樹からメールが届いた。「地平線の集まりで黒子をしてくれないか。」。彼とは中学からの長い付き合いである。無下に断るわけにもいかない。そもそも、以前に何度か報告会に参加しており、地平線の活動には非常に興味があった。二つ返事で引き受けた。しかしながら、「なぜ地平線の集まりに黒子が必要なんだ?」という疑問はついに当日まで解けずじまい。そんなこんなで訳も分からぬまま、厚かましくも300回という記念すべき日に舞台に立たせてもらった。結局、自分がどれほど貢献できたのかは分からない。ただ、こうした大イベントに、端役ではありながらも参加できたことを光栄に思う。願わくは、これからも地平線の「黒子」であり続けたいと思う。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
地平線アスリートとして
藤岡啓 

◆オープニングの寸劇で、黒子を演らせていただきました藤岡です。地平線会議とは2003年の夏、初参加を決めた日本山岳耐久レースの練習のために、江本嘉伸氏を長として平地/山を問わず走りまくる健全(!?)な若者を育成する集団・地平線アスリートに加わってからの縁になります。……とは言うものの、毎月開かれる報告会にも数えるほどしか参加しておらず、今年の山岳耐久も途中リタイアして周囲からやる気のなさを疑われている僕に、300回記念集会の一翼──それもオープニングを飾る江本・三輪主彦両氏の登場に華を添えるという役回りを担わせてくれたことはとても嬉しく思いますし、感謝しています。一黒子の身としては、舞台の主役である両氏を引き立たせることのみを考えていましたが、まさかノコギリの取っ手が取れるとは思いませんでした……。鈴木博子さんの切断に時間がかかったのも反省しています。300回と一口に言ってもそこには25年もの時間が流れていることになり(僕はまだ生まれてもいない!)、今日に至るまでには並々ならぬ多くの方々の熱意と尽力があったものと推察します。月並みではありますが、今後の益々のご清栄をお祈りしています。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
次はいつ、どこで‥
飯野昭司 山形・酒田発 

◆地平線品行方正楽団のすばらしい寄せ太鼓で幕を開けた「300か月記念フォーラム」は、“その先の地平線”を感じさせる旅の報告が盛りだくさんでした。どれもじっくり聞きたいものばかりでしたが、あっという間に時間は過ぎてしまいました。

◆そのなかでもとくに印象に残ったのは、カナダの旅から帰ってきたばかりの田中勝之さんと菊地千恵さん(& ラフカイ・ウルフィー)のお話。二人とも穏やかな語り口でしたが、そこから発せられたものは言葉を越えて、心のなかの奥深いところに響きました。自分でもびっくりするくらい、無意識に心と身体が反応して目頭が熱くなりました。同じ極北の原野で暮らした星野道夫さんが探し求めた神話の世界を、田中さんと菊地さんも旅しているように感じました。

◆前夜祭と大集会で多くの方にお会いしましたが、あまり話ができなかったことは心残りです。でも、今回一番会いたかった多胡さんに会えたので満足しています。「復刻プロジェクト」終盤での多胡さんの大活躍がなかったら、あの日『大雲海』を手にすることはできなかったでしょう。

◆さて、次はいつどこで皆さんに会えるのか、今から楽しみにしています。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
その哲学の透明な響き
坂井広志・坂井紀子 

◆地平線会議300回(25年)おめでとうございます。長きに渡り毎月報告会を継続できてきたのはなぜなのだろうか? これは人類が太古の昔から冒険と探検を続けて、道を切り開いてきたDNAを、今も私たちが持っているからだと思います。今地球上に未知なる場所は無くなりつつあるといわれていますが、発想を変え、手段を変え、世界を探求すれば、それを可能にする場所は無限にあるという事でしょう。毎月のさまざまな人たちの登場する地平線会議…発想、意思、と手段は個性にあふれ、成果には喜怒哀楽の人間の感動があります。地平線会議の成功は、江本さんはじめ、当初からの主催企画者たちの哲学が透明な響きとなって、その基底を流れ続けているからなのです。毎回の登場者の思想、実践行動を第三者に展開させて、その冒険から時代を捉えようとする質素な力強い行動力が、偉大な300回という成果につながったのです。限りのある命を持つ人類の哀しさの中に一瞬の輝きのように現れる冒険、日本人が日本人に向かって呼びかけ続けている新しい試みを秘めたこの会議が、今後ますます発展する事を心から祈っています。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
あまりにも元気過ぎる!!
風間深志 

◆地平線会議の皆さんこんにちは、まずは25周年、堂々の300回おめでとうございます。

◆僕もこれまで、地平線会議には合計5回参加させていただきました。確か一度目は1980年の春、Mt.キリマンジャロにバイクで挑んだ後。二度目は1982年のパリ−ダカへの出場後、三度目は北極点の遠征(1987年)を終えて、この時は地平線会議から有難くも大変名誉ある「地平線大賞」をいただきました。そして、四度目は今年7月、通算300回目となった報告会でお話をさせていただく、筈だったのですが、結局は入院中(今年の1月4日、22年振りに出場したパリーダカで負傷し、長い入院生活を続けていました)の病院をどうしても脱出できなかったためにドタキャンをやらかして、急遽VTRでの参加となって皆さんには大変なご迷惑をかけてしまいました。で、最後(5回目)がついこの間の「300か月記念フォーラム」。

◆やっとのことで病院を抜け出し、青白い顔をして会場に弱弱しく辿り着いた僕は、熱く熱く盛り上がる会場いっぱいの皆さんの熱気に終始圧倒されて、これまた余りにも元気過ぎる賀曽利隆さんと共にトークに参加したのでしたが、一体僕はどのような顔をして、どんな話をすればいいのやら??などと思っている内に、賀曽利さんの強烈かつ強引なリードでガガガッと始まり、結局は何も話さないうちに「風間君の足が一日も早く治るように!」と言う賀曽利さんの号令一過、会場全員の「エイエイオー!」の声援を頂いて瞬く間に終了。やっぱり元気じゃないとついていけないワ、、としみじみと思いつつ会場を後にしました。畜生、いまに見てろぉ!! それにしても、地平線会議のような面白い旅人たちのフォーラムは世界広しといえども、まず無いのではないでしょうか?




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
300ヶ月も続く地平線会議の魅力
三五千恵子 

◆地平線会議の集会に行くのは、何年振りでしょう。独身の頃は、毎月欠かさず顔を出していたのに、今は小さな子どもがいるので、夜の外出もままなりません。が、300ヶ月記念の大集会ともなれば、何があっても行かざるを得ません。アジア会館で久し振りに会う面々は、皆変わらず、生き生きと輝いていて、私もかつての様に胸がわくわくしました。でも、どうして?バイクに乗らず、山にも登らず、河下りも極地探険もしない私が、なぜこうも地平線会議に魅せられるのでしょう。二日目の旅人の報告では、ガンを克服したシ−ル・笑みこさんと、パリ・ダカール・ラリーで重傷を負った風間深志さんの話しに心が動かされました。希望を持ってポジティブに生きることで快復してきたという体験談は、病気に悩まされている私には、大きな励みになりました。非日常な世界の話しが聞けるから、奇想天外の冒険談に触れられるから、個性的な様々な人に出会えるから、と、地平線の素晴らしさは多いですが、「行動者の生きた体験談を本音で、生で聞けるから。」これが私には最大の魅力の一つです。次の300ヶ月が楽しみです。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
楽しかった 受け付け
後田聡子 

◆フォーラム、ほんの少しお手伝いさせて頂きました。お伝えしたいのは、受付は楽しかったということです。私はこの数年、地平線に出たり入ったり、という形でしか参加していなかったので、ろくすっぽ知り合いもいません。コアなメンバーの方々しか(覚えていただいていてありがたいです)、お話もできません。受付をは女の園でしたから、どうしようどうしようと思っていたのです。でも、皆さん面白くて働き者で旅好きでアツイ女たちでした。いい出会いでした。やはり「最初の一歩を踏み出す勇気」が大事だなあ、と。受付にはおりましたが、大概のお話は中で聞かせていただきました。報告会が連続で行われているようで、非常に豪華でした。賀曽利さんや多胡さんは、何回旅しても、楽しくて仕方ないから行くんだよっていう雰囲気が体中から出ていて、傍から見ていて気持ちがよいくらいです。自分が旅先で、そういう気分になったことまで思い出して、ああまたどこかに行きたいモードです。本当に楽しかったです。江本さんも、妙に黒マントがお似合いで、思い出すと笑ってしまいます。では、また地平線でお目にかかります。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
悠々と流れるマッケンジーのように
河村安彦 

◆マッケンジーをフィールドに活動している同じ獨協大学OBの田中さんご夫婦と多胡氏が、この300回記念大集会の発表者に名を連ねていることに1978年の学生探検会議のことを思い出しました。太古の昔から悠々と流れる同じ川をベースとした新しい視点での表現が、新鮮でした。そして、今まで休むこともなく新しい体験を紹介し続ける地平線の、あの大河と同じパワーに感激しました。今は、長期の旅は難しいですが、今後も新しい感性をうけに報告会に参加させていただきます。それにしてもこれからは空ですか…! 1978年、1981年そして1983年と旅したマッケンジー河を空から見せてくれるなんて素敵ですね。最後に国内の川を真上から、しかも低空での撮影は圧巻でした。日本の川をあの視点で見る表現の新しいジャンルが加わることにワクワクしまね。やりたいことが増えてきますよ。いかに配偶者を説得するかが第一のの関門になりそうですが…!!

◆石川さんが宇宙に行きたいと行っていましたね、この地平線のパワーを持ってすればそんな遠いことではないような気がします。是非聴きに行きます。

◆追記:300回記念復刻版はありがたいですね。私のようにずぼらだとバックナンバーがきれいに保管されているはずもなく、改めて懐かしく拝見しています。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
かつて僕のいた場所。そしてもう一度居場所を見つけること
三五康司 

◆唐突ですが、ふと街角で嗅いだ匂いによって、これまで旅してきた風景を強く思い出すことってありません? 例えば道端で枯葉を焼く匂いに「あぁ、これはカトマンドゥのタメルストリートの飯屋の前で嗅いだ匂いだなぁ…」といった具合に。前夜祭でアジア会館のロビーに入ったとき、まさにそんな感じがしたんです。建物はすっかり変わっちゃってるのに、集まっている人々の発する熱気と、皮膚をヒリヒリ焼くような刺激性物質を含んだ空気感。僕が地平線に顔を出すようになって20年ほど経ちましたが、以前の地平線報告会のイメージが強く蘇ってきましたね。それに前夜祭に参加されているお歴々の面々も、まるで不老不死の妙薬を密かに隠し持っておられるかのようで(笑)。熱くパワフルに語り合っていらっしゃるのに接して、あたかも時間を遡ってしまったような錯覚を覚えました。確かバンコクの楽宮ホテルだったかなぁ…部屋の壁にバックパッカーに対する皮肉めいた落書きがあって「豊かな青春、みじめな老後」なんて殴り書きしてあったけど、地平線会議には、まったくあてはまらないなーと心中でほくそえんでしまいました。

◆で、翌日の“300ヶ月記念フォーラム”。石川さんや安東さんたち若手(?)の報告会、スゴク刺激的でした。リレートークも興味深かったです。でもね、皆さんの話しをずっと聞き入っていると、なんか次第に“居心地の悪さ”を感じるようになってきたんですよ。なんというか牛込箪笥区民ホールの椅子の座りごこちが、どんどん悪くなっていくような。なんだろうな、この違和感は…

◆と考えてみたら、いつのまにか“お客さん”になってたんですよね、自分。お客さんとして報告会に参加している居心地の悪さ。ショックでしたねぇ。スゲー嫌な感じ(笑)。

◆最後の石川さんの言葉、インパクトありましたよ。まるで禅僧に警サクで叩かれたような。確か「(地平線的)行動は続けることに本当の意味がある」といった主旨の発言だったかな。まさに、地平線会議とは運動体なんですよね。運動しつづけるべきものが止まっちゃったら意味ないですよね。Like a rolling stone.

◆昔は自分のなかでも何かがグルグル駆動していたような憶えがあるんですが、今じゃそんな気配はどこにいっちゃったんだろうって感じです。これじゃお客さんになっちゃってもしょーがねーや。でもね、もう一度、地平線会議のなかにちょこっとでも自分の居場所を見つけたいなーとも思うんですよ。エンジンが冷め切っちゃってるんで、暖気運転に少し時間がかかりそうなんですけど。すいませんが、またよろしくお願いしますね。




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
長時間の熱気、日本で唯一なんじゃないかな
長岡竜介 

◆こんなに長時間のイベントで、熱気の途切れない催しは多分日本で唯一なんじゃないかと思います。すごい。300回記念集会も最初から最後の打ち上げまで楽しかった! 毎回記念集会でケーナ演奏させていただいて、今回で何回目になるか。前回は青山だったかな、200回記念の時。ますますの盛り上がりですね。皆さんの行動力からいつも元気をいただいています。

◆私が吹いているケーナはアンデス高原の葦笛。音色の向こうには氷河の山々や、青い空、アンデスを渡る風が見えます。自然の中で生まれたアウトドア楽器で、人と自然の風の融合なんじゃないかなと考えています。ケーナを始めたのも、もともと山登りが好きで、自然の音色を奏でられる楽器に魅せられたからで、音楽のベースはいつも「自然」です。今回の集会でも、いろいろなフィールドでの地平線の皆さんの行動の報告を楽しませていただきました。自然の中での行動は、自然と一体になること、自然のエネルギーを素直にうけとめること、そして、自分を自由に解き放つことだと感じました。これからも地平線の皆さんの自然の中でのわくわくする行動を楽しみにしています。ありがとうございました!




〜 記念フォーラムへの感想集 〜
震災の新潟から駆け戻って
埜口保男 

◆10月末のある日、突然出張命令が出た。 「千葉県からも派遣することになった。新潟に行って、震災後の精神科的救援をしてくるように。現地での活動は5日間」

◆これで前夜祭参加はすっ飛んだ。帰庁日が本大会の日じゃないか。それにしてもどうして私なの? 「お前ならガスなし電気なし水なしで生きていけるだろ」

◆そういやだいぶ前にも似たようなことを言われたっけ。ありゃあ、ニューヨークへ搬送する患者が出たときだ。「仕事も内容も期待しちゃいないけど、明日ニューヨークへ行けっていわれて行けるのはお前しかないだろ」

◆どうも私は非常時のみが期待で採用されているらしい。しかし初期の段階で災害地の精神科活動ができたことは実に有意義でした。

◆地平線の皆さん、前夜祭参加できずにすいませんでした。1000回記念大会には必ず出席します。ではいずれ新潟の話も。




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