2003年09月の地平線通信



■9月の地平線通信・286号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙自転車で冬のシベリア横断に出発する前だから、一年ちょっと昔の話になってしまうが、ぼくの日本での学生時代に住んでいた下宿「暗闇荘」が閉鎖されてしまった。鳥取市郊外の片田舎にあるその部屋の窓からは、見渡す限り一面に田んぼが広がっていて、夜はウシガエルの大合唱で賑やか。裏山にはタヌキが住んでいてたまに庭に顔を出す。その下宿の家賃は格安月5千円。たむろする住人は、いつも金のない山岳部の関係者ばかり。かくいうぼくも山岳部員だった。どいつもこいつもただ者ではない。住人の海外渡航率は100%。しかもヒマラヤやアフリカといった辺境率がやたらと高い。共同の台所では、いつも誰かが怪しげな料理を作っていて、棚には当時鳥取では手に入らないようなガラムマサラやナンプラー(タイの魚醤)といった調味料が途絶えることはなかった。

●獣医学科の学生が多かったためか、実験用に飼われていてお役目御免になった犬や猫やニワトリが拾われてきて、下宿には放し飼い。玄関の戸をガラガラと開くと、まずは下駄箱の上に陣取っているオンドリが出迎えてくれる。この下宿では人間も動物も対等だった。動物用の点滴を腕に刺してハイな気分になっていたあぶない部員もいたくらいだ。壁にはクライミングウォールが設置され、焼酎やビール瓶がギアにまじって散らかっている、ゴミだめのような下宿だったが、ここほど自分の感性にぴったりの住処はなかった。ぼく自身は卒業して10年近くたってしまうのだが、この下宿にはずっと山岳部の後輩たちが住み着いていたので、鳥取に行くことがあればいつでも自分の古巣のような感覚で戻ることができた。

●山岳部員はなかなか4年では卒業しない。歴代の先輩方々には、休学してヒマラヤの未踏峰に挑んできたり、ヨセミテにクライミングの修行に行ってきたような正統派から、マグロ漁船に乗ってインド洋を巡ってきた先輩など、そんじょそこらにはいないような人ばかりだ。そういった連中に囲まれていると、人間なにか面白いことのひとつやふたつやることが当たり前の雰囲気になってくる。ぼくも大学を一年休学して旅にでた。人生が愉快に狂い始めたのは、間違いなくこの「暗闇荘」の住人たちの影響によるものだ。この下宿に住んでいなければ、このあいだの冬季シベリア横断なんて酔狂なことに出かけることもなかったに違いない。そんなバンカラだった下宿も時の流れか、なくなってしまった。故郷を失ってしまったかのように、鳥取が疎遠なものとなってしまった。

●話は変わるが、気が付くともう9月。ちょうど一年前の今時分に、フィンランドに程近いロシア領ムールマンスクから自転車でシベリア横断の旅を開始した。9月の北極圏はもう肌寒かったことを思い出す。短い夏が去り、そろそろシベリアもまた冬の季節を迎えつつあり、タイガの森もツンドラも深い雪と氷に閉ざされてゆくのだろう。河はやがて凍り、その上をまた生活物資を運ぶトラックが走り始めて冬にしか存在しない道が出来上がる。この間の自転車での横断はオホーツク海に到着した時点で春が来て、冬道も融けてしまい終わってしまったが、できることならもっと東へ、ベーリング海峡まで行きたかったことを思うと、冬の訪れとともにウインターサイクリストのぼくの血も騒ぎだす。だけれどまたすぐに出かけるというモチベーションもなかなか沸かないものである。

●それで今は何をやっているかというと、群馬の山奥でイヌワシの人口巣をつくる作業にきている。猛禽類では日本最大のイヌワシ。推定生息数は500頭。お目にかかることすら珍しく、種を維持するには最低数の生息数なので絶滅を危惧されているらしい。巣は断崖絶壁のオーバーハングの下のテラスに作られる。羽を広げると2メートルにもなるという大きなワシが巣を作れるようなテラスは自然界にもなかなかなくて、土砂降りの雨で巣が崩落してしまうことも多い。そこでそんなテラスを作れば多少はイヌワシの減少を食い止められるのではというのが、今回のプロジェクト。よって設置はクライマーの仕事となる。まあぼくはクライミングサイトにおける安全確保の仕事だけだが、状況確認にユマーリング(登行器を使って宙ぶらりんのロープを登ってゆくこと)して岩壁数十メートル上の現場にゆくと、ほとんど宙吊りになったままの作業はなかなかスリリングだ。イヌワシがこの巣を見つけてくれれば、と願うばかりである。[安東浩正]



先月の報告会から(報告会レポート・288)
0からの旅へ
坪井伸吾
2003.8.25(月) 箪笥町区民センター

◆外回りの営業社員(よく日焼けしている)それが最初に受けた、折り目正しい雰囲気を醸し出す坪井氏の印象であった。いやいや彼はそんな模範的年金納付者とは対極的な生き方をしてきた人である。

◆まずは日本一周を皮切りに、五大陸の殆どをバイクで走破した。その必然の帰結として学生生活は追加延長措置甘受。延びたキャンパス生活においても勿論価値ある足跡を残している。大体、数ある部活の中から「これだ!」っと選んだのが「人力車友の会」なのだ。未知なるものへの挑戦、更にそれが並外れて困難であるほど圧縮好奇心で固まった彼の冒険心を捉えてしまうようだ。その極めつけが、人力車を曳いて東海道五十三次550キロの完走というわけだ。

◆いざ出発点日本橋に実行メンバー4人が集結した時にはテレビカメラが並んだという。ほぼ野宿でつないだ道程では、食事を提供し歓待してくれた人たち、人力車研究の指南役、萩市在住の中原省吾氏(千葉から福岡までひとりで人力車を引っ張った人)はじめ多くの出会いも忘れ難い(ついでながら、報告会には、かのインド・リキシャの鉄人、浅野哲哉氏も人力車と聞いては黙っておれんとばかりに駆けつけた)。

◆さて、ずらり並ぶ坪井氏の冒険の中から一つを挙げるとすれば、それは「アマゾン筏下り」だろう。準備として事前に行った11日間の断食で極限からの生還を確信し、個性的である事では引けを取らない古原氏、栗本氏を強力なメンバーに加えアマゾンに繰り出したのが30代を前にした1992年。

◆7メートル四方のすのこ状の上にテントを載せた形の筏。動力はといえば、人力による方向転換用のオールのみ。しかし総重量数100キロに及び簡易住居に匹敵する筏をオールだけで操縦する事自体不可能である事は出発と同時に思い知らされた。こうなれば、アマゾンと五分で渡り合うという愚かな発想は捨て、流れに運命を任せる浮遊物と化そう。釣り三昧、暇つぶしに考案したトランプ3名様用マージャン三昧、はたまた普通なら手にする事すらない「養豚」に関する書など読書三昧の日々。

◆坪井式ライフスタイルで重要な地位を占める釣りは大いに有効だったが、コツを掴みつつ獲得した魚たちは、グロテスク、色鮮やか、毒含み、凶暴、でっかい、などなど泥水から姿を現す度に旅の猛者たちを驚かせた。

◆一見プカプカのんびり無人島生活気取りの毎日も、筏が岸に乗り上げてしまえばビクともしない頑固者。そうかと思えば流れ如何で岸に角をゴツンゴツンと当てながら回転し、本体崩壊の危機にも。

◆状況を打破したのは、メンバーが買ったカヌーだった。アマゾンでは気軽な自転車感覚で子供でもカヌーを自在に操る。生活物資の調達始め、収入源の産物輸送、更には筏などへの訪問販売と、まさに“暮らしの足”だ。坪井さんたちも途中に町を見つけるとカヌーで食料を仕入れに出掛け、筏に追い着くという綱渡りの川渡り生活。

◆こう聴いてくると、大アマゾンをなめてかかりそうになるが、侮るべからず。筏なんて航行するタンカーから見れば(実際は見えないのだが)木の葉の如き存在で、衝突すれば、存在していなかった事になってしまうのだ。

◆旅も後半となり、徐々に海と見紛う、ぐるり水平線の中で毎晩の様に襲われた嵐には、心底疲れ果て、眠りから覚める度、命あることを実感したという。ついにツワモノ一名リタイヤー。連夜の嵐に加えつかみ所の無い河口の地形から、知らぬ間に大西洋に迷い出てしまうかもしれない恐怖。食料が尽きた事もあり、四ヶ月運命を共にしてきた筏を去ることを決め、最小限の荷物とともにカヌーへ。

◆しかし、これからがサバイバルの戦いなのだった。男二人と荷物の重みに耐えかねたカヌーは、沈んでしまったのである。カヌーの浮力を頼りにしがみつくこと数時間。偏食知らずのピラニアやカンジェロの餌になる立場から挽回し、何とか中洲に辿り着いた結果の今日の坪井氏だというのに、「なんか、ライン下りして来ました」みたいに語る所が心憎いじゃありませんか。[藤原和枝]



地平線ポストから
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●浅野哲哉さんから…2003.8.27…《E-mail》…地平線会議発足当時、法政大学探検部の学生でした

◆先日はおひさしぶりでした!! 世話人のみなさんに出会えて、すっごく励みになりました。ずーーと続けてこられた皆さんの努力に感動してます。なにもお手伝いできず、すみませんでした。

◆昔、「インドを食べる」発刊キャンペーンで、カミサンをカルカッタ製人力車に乗せて東京を走ったこと、それを江本さんが記事にしてくださったことを思い出しました。あの時の記事と写真は、以下のページに昨年まとめてありますので御覧ください。
http://www.indo.to/masala/HBIndia/Life/TRAFFIC/Tp020051.html

◆小生、ここ数年はインドの「食」の世界から離れ、現地で収集してきた「コーラム」と呼ばれる吉祥紋様の世界にどっぷりつかっています。2年前に17年降りに北インドを旅してからは、整体の修行をしながら、ひたすら「コーラム」の表現世界に没頭。この1年間で約50作品のアニメを作り続け、Web上で公開しています。
http://www.indo.to/masala/KLM%20Animation/KA-index.html
(中略)

◆従来、インド関連のイベント(古典音楽や舞踏のコンサート等々)は、とかく退屈なイメージがありましたが、まったく新しい、新鮮な表現世界を獲得しつつあります。しかも、最も原初的な女性の家庭芸術と口琴という始源の楽器とのコラボレーションですから、その背景にある様々な文化的・科学的内容も示唆に富んでいます。地平線会議的な「行動」ではありませんが、未知なる「インド表現」の地平線をめざす、「思念的行動の記録」といえるかもしれません。

◆法大探検部の後輩たちは、今、スリランカの仏教遺跡探査をしていますが、帰国後の報告会が楽しみです!!


●シール・笑みこさんから…2003.9.6…大阪市発《E-mail》

◆江本さん、お元気ですか? まだまだ暑いですね。おととい会った東京の友達が、大阪の暑さにびっくりしていました。ほんと、蒸し暑いです。

◆いま、関東地区で住むところを探しています。希望は、八王子か多摩か相模原周辺で、来年の5月に都営に申し込んでみようと思っていますが、できれば、廃屋? ずーっと空き家の一戸建てか、アパート、団地、とりあえず住めたらOKですが、家賃は2万円ぐらいで、できたら2DKを希望しています。関東では難しいでしょうか?

◆もし、2、3年旅に出られる方で、留守宅を守って、なんていいお話ないでしょうか? 1年でもいいです。または、生活道具がそろってないので今みたいな下宿というのも考えています(短期可)。いいお話がありましたら、ぜひぜひお知らせくださいませ。

◆P.S.こちらは、のんびりペースで過ごしております。こころのどかに、毎日に感謝しています。ご安心を…。



地平線はみだし情報 10月25,26日に行われる奥多摩一周山岳耐久レースに地平線会議の若手が一斉に出走! 菊地由美子、松尾直樹、尾崎理子、鈴木博子ら。「体力即知力学会」の江本、三輪に騙されて、の説も。


●三輪主彦さんから…2003.9.3…板橋区発《E-mail》

◆フリーターになったので、好きなときに遊びに行けるようになりました。8月は数日、東京にいただけです。昨日ミャンマーのイラワジ川河口のマングルーブ林から帰ってきました。雨季なので毎日雨雨で、すべてが湿って、ジトジト、グチャグチャになっていました。東京はカラッとして涼しくて過ごしやすいですね。だれが東京は世界一湿気が多くて住みにくい町だとなどと言ったのか? とりあえず、帰りましたの挨拶ですが、金曜日からは八ヶ岳(みわ塾)です。


●滝野澤優子さんから…2003.7.19…ケープタウン発…夫婦でバイク世界一周中。「ばんざーい!ケープタウンだ!(でもまだ半分)」と喜んでいるイラストつきのハガキで

◆ご無沙汰しています。お元気ですか? 日本を出て2年、ようやく折り返し地点のケープタウンまでやってきました73000キロ。ここまでほぼ陸地で来れたのには自分かたちでもびっくりです。コンゴ、アンゴラ、とひどい道を抜け、ナミビア、南アでば快適に旅をしていますがやや物足りない感じです。日本までまだまだ時間はかかりそうです。各地で犬たちの写真を撮っています。みなさんにもよろしくお伝えください。

◆追伸 「WAN」という犬雑誌に世界の犬の話を連載しています。地平線犬倶楽部も復活させましょう。



――地平線会議からのお知らせ――
地平線報告会の拠点を、アジア会館から、榎町地域センターに移します

◆1979年9月26日、第1回地平線報告会を開いた時から、地平線会議は赤坂8 丁目、地下鉄青山1丁目駅に近い「アジア会館」を利用してきました。毎月ほぼ必ず第4金曜日、アジア会館の2階「2A」室は、地平線会議の専有状態とさせてもらってきたのです。

◆2年前、そのアジア会館が全面改築されることとなり、会議室が使用できなくなって、新宿区の「箪笥町区民センター」を中心に報告会を開いてきました。アジア会館新装なった折には、再び、“復帰”するつもりでした。

◆さる7月15日、アジア会館は新装オープンされました。すぐ駆けつけたのですが、新装にともない、会議室の使用料金は、予想以上に高いものとなりました(たとえば、100人が入れる会議室は、8万円〜16万円です)。

◆懐かしい、思い出多い、アジア会館ですが、この際、毎月の報告会で利用することを諦め、最近地平線通信の発送作業を含め、報告会にも何度か使って好評の、「新宿区榎町地域センター」を今後、地平線報告会の中心会場とすることに決めます。地下鉄早稲田駅から近く、ここも足の便は悪くありません。アジア会館ファンの方々、どうかご了解ください。

◆榎町地域センターのアドレスは、以下の通りです。

◇東京都新宿区早稲田町85 〒162-0042
Tel 03-3202-8585
◇営団地下鉄東西線:早稲田駅 徒歩7分
◇都バス(白61)新宿西口→練馬車庫:牛込保健センター前下車
◇公式地図はこちら
http://www.city.shinjuku.tokyo.jp/division/261500enoki/senterindex.htm

◆来年には300回を迎える地平線報告会を、これからもよろしくお願いいたします。[地平線会議世話人一同]




■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

希望砦の森から〜2人と1匹の北極圏〜

9/26(金) 18:30〜21:00
 Sep. 2003
 ¥500
 新宿榎町地域センター(03-3202-8585)

「自分の手で殺したウサギの味は、それまで食べたどれよりおいしかった」と話すのは菊地千恵さん。2000年、カナダ・マッケンジー河流域のフォート・グッド・ホープという村に1人で1年滞在していた時の経験です。

たまたま1人で見回りに出かけたワナに、生きたままかかっていたウサギ。体調を崩している老人にスープをつくるため、迷った揚げ句の選択でした。静かな森の中で正面からウサギの命と向き合った千恵さん。命と食が「ストン」とリンクしたそうです。

千恵さんを北の森につなげた1人は、田中勝之さん。独協大探検部時代の91年、マッケンジー河下りに挑んで以来、同地に通い続けるパートナーです。そしてもう“1人”が、グッド・ホープ村で生まれたオオカミ犬のラフカイ。「日本ではペットかもしれないけど、森の中では頼もしい相棒」と、勝之さん、千恵さんともに声を揃えます。

いつも輝いていて、シンプルに暮らす森の住人達にあこがれる2人と1匹の旅に、今月は耳を傾けませう。


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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