2000年6月の地平線通信



■6月の地平線通信・247号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信247表紙こんにちは。今日は地平線会議に向けられたありがたい志についての報告です。先日、一通の封書が届きました。見知らぬ証券会社からのものだったので、よくあるダイレクトメールと思い込み、あけずに何日もほうっておいてしまった。そしたら、やがてその証券会社から間い合わせがあって、「しまった、申し訳なかった!」と大反省した次第。それは、亡き斉藤実さんの志だったのです。

◆斉藤実さんを覚えていますか? 海難に遭遇した時、海水まじりの水でも生き延びられることを証明しよう、と手製のゴムボート筏「ヘッカッパ号」で実験漂流した冒険家。太平洋で台風に遭遇し、生死の間をさ迷った壮絶な体験は、1981年11月、第25回地平線報告会で語って頂きました。4次にわたる漂流実験の後は、肝臓を悪くされ、241号の通信で訃報をお伝えした通り、昨年11月22日、68歳で亡くなられました。

◆海へ出ることはできなくなっても斉藤さんは最後まで冒険心と自然を愛する心を持ち続け、また若い世代の野放図なくらいの生き方を支援しよう、としていました。その思いを斉藤さんになり代わって宏子夫人が地平線会議に託してくださったのです。それも小さなものではありません。証券でなんと1万ドル!

◆思ってもみなかったことに驚き、慌てました。同時に、そこまで私たちの小さな活動を評価してくれた斉藤さんご夫妻の心が嬉しく、励みにも思い、あらためて21年間もこういう活動を続けてきたことに社会的責任を感じています。

◆世話人たちと相談してありがたくお受けすることにしますが、貴重な申し出を通信費(毎号結構がかるのです、皆さん、ご協力を)など活動経費として使ってしまう気はありません。若い世代に望みを託していた斉藤さんご夫妻の心を最大限活かせるよう、当面は証券のまま預託しておき、将来の冒険者たちのための「地平線基金」のようなものに発展させられないか、と考えています。斉藤さん、宏子さん、ありがとうございました。地平線会議は、斉藤実という人の生き方と私たちに伝えようとしたメッセージをこれからもずっと忘れないでしょう。

◆もうひとつ、新しい土地と関わる話です。9月、地平線報告会が250回になるのを記念して面白い企画を進めています。奥会津の村、福島県伊南(いな)村で思い切ったイベントをやってみよう、というのです。通信に時々登場する丸山富美さんが臨時職員として住み込んでいる村で、伊南川という清流が村の財産、そしてその一角、駒嶽神社の境内に「大桃の舞台」と呼ばれる、かって歌舞伎を上演した藁葺きの舞台がある。できれば、その舞台を使って自然の中で、たとえば伊南川と地球の大河を結ぶ面白くてスケールの大きい報告会をやりたい、というわけです。

◆伊南村も乗り気になってくれていて、先日は役場の担当課長の方が富美さんとわざわざ上京して下さり、いろいろ話をしました。村太鼓の出演、蕎麦うち、茸取り、植樹、川遊び、キャンプファイア、温泉などなど楽しいことがいっぱいできそうです。泊まりは勿論キャンプなのでお金はそんなにかかりません。テーマをはじめ詳しい内容はすぺてこれからですが、今から日程だけとっておいて下さい。9月23(土)、24(日)です。

◆1月の鶴岡での庄内報告会に続いて斉藤実さんのご厚意と、奥会津の村との出会い。地平線会議にとっては、不思議な縁が実りつつある2000年紀です。(江本嘉伸)



地平線新刊情報

ご存知、金井重さんの名著「シゲさんの地球ほいほい見聞録」(山と渓谷社)が文庫本として生まれ変わりました。タイトルは「年金風来坊シゲさんの地球ほいほい見聞録」。今度は中公文庫から800円で発売です。



報告会レポート・247
キミはヤギ派かヒツジ派か?!
江本嘉伸・賀曽利隆・丸山純
2000.5.26(金) アジア会館

▼スライドをみているだけで、おなかがいっぱいになってくる報告会だった。今回は普段の報告会スタイルから趣向を凝らし、3人に登場してもらった。それぞれの地域におけるヤギ・ヒツジ事情がスライドをみながら好きなように語られた。

▼トップバッターは丸山純さん。丸山さんの通うパキスタンの山奥、カフィリスタン族が家畜にしているヤギはとても神聖な存在。ほとんどが男たちによって世話されている。パキスタンといえばイスラムの国だが、カフィリスタンはちがう宗教をもっている。彼らが唱える牧畜は信仰の上に成り立っている。神にいけにえをささげたり、人々が生きていく上でとても大事にされていることが印象的だった。カフィリスタン族は言う、ヤギの肝臓が一番美味しいと。客人にその一番いいところがまず出される。丸山さんも何度も生の肝臓をもてなされた。生あたたかく食べるのにきついが、もてなしの心がまだまだ生きている。

▼2番目は江本嘉伸さん。先月に続いての登場。モンゴルのヤギとヒツジは、ひとくちで言えばヤギは勇敢で決断力に優れている。遊牧の群をぐいぐい引っぱっていく。その点ヒツジはおっとりして臆病だが、従順で遊牧民からは一番可愛がられている。江本さんもまた客人に最高のもてなしである「ヤマニ・ボードック」という料理をスライドでみせてくれた。ヤギの尻部を切って内蔵をとり出し、袋状になったヤギの皮袋の中に肉・野菜、熱く焼けた石をつめ込み、石焼き状態にして出来上がりを待つ。このうまいこと、うまいこと、サイコー!!

▼3番目に賀曽利隆さん。アフリカ・サハラ、ホロロ族・トワレグ族のヤギ・ヒツジをみせてくれた。外見はほとんど同じだが、鼻のあたりの違いで見分けるそうだ。鼻筋がへこんでいるのがヤギ、ふっくらしているのがヒツジだそう。そしてどっちでも派の賀曽利さんは、オートバイによるヤギ肉・羊肉たべはしり世界一周をスライドで披露してくれた。このへんで会場はもう満腹状態!!

▼休憩のあとは白根全さんの飛び入り南米ヤギ・ヒツジの話。その後は報告者の話もそっちのけで、馬乗り片山忍さんがもってきてくれた馬肉、江本さんからみなさんにとモンゴル土産の羊肉のローストがくばられた。江本さん自身が一人一人に回って羊肉を一切れずつカットしてくれたのも嬉しかった。

▼パキスタン・モンゴル・サハラの3地域のヤギとヒツジの話は、味くらべの競演となったところもある。僕自身、ヤギ肉は沖縄の波照間島で食べたことがあるが、獣臭さが口に残った思い出がある。それはそれでよかったが、やはり北海道を自転車で旅をして野宿しながら食べたジンギスカンの美味はわすれられない。また聖書にもこうある。『主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私をみどりの牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます…』クリスチャンでもある僕は、ぜったいヒツジ派です。[瀬口聡]



《ヤギとヒツジ》 −−報告会翌日に−−

◆昨夜のヤギとヒツジをテーマにした報告会はおもしろかった。“ヤギ派”丸山さんのパキスタン北部、“ヒツジ派”江本さんのモンゴルと、地域を特定してのヤギ&ヒツジの話には、教えられることが多かった。そのようなお二人のこだわりのヤギとヒツジ論のあとを受けた“ヤギ&ヒツジ・どっちでもいい派”カソリの世界を舞台にしたヤギとヒツジにまつわる話というのは、きわめてやりやすいものになった。

◆それにしてもぼくは今までに、世界中でヤギ・ヒツジ肉を食べてきたが、ヤギとヒツジをあいまいにしてきた感が強い。たとえば原稿を書くときも、「ヤギやヒツジ」という書き方をすることが多かった。ところが丸山さん、江本さんのこだわりの話を聞いていると、「おー、そうか、ヤギとヒツジはそこまで性格が違うのか」といった驚きを感じるのだった。これからは、世界をあちこち旅するなかで、間違いなく、もっとヤギとヒツジの違いをしっかり認識して見ていく、または食べていくことができるなという“手応え”のようなものを昨夜は持つことができた。それと、サハラからアラビア半島、イラン、アフガン、パキスタン、タクラマカン、モンゴルとつづく広大な乾燥地帯での牧畜の定点観察のような旅をしたい!という思いにとらわれた。丸山さん、江本さんの話を聞いていると、ヤギ、ヒツジを主とする牧畜の仕方の違いにおおいに興味をそそられたからだ。今回の“ヤギとヒツジ”といったようなテーマでの報告会ができたということは、これからの報告会の新たなる道筋を切り開いたかのような印象をも持った。[賀曽利隆]


◆モンゴルのヒツジはでかくてうまそう。アフリカのヒツジはなるほどヤギそっくりで毛がなく見分けがつかない……ヤギ派の私も、ヒツジにたいする認識を新たにしました。後半登場した羊肉と馬肉腸詰にすっかり会場全体が席巻されて、予定していた“知的ディスカッション”が消し飛んでしまったのは残念だけど、ともかく楽しく盛り上がれて、地平線ならではのひとときを過ごせたと思います。ありがとうございました。[丸山純]


◆すんません。後半、とっておきの肉持ち出してアカデミックな報告会の雰囲気を乱してしまって。でも、うまかったよねえ。要は、羊とヤギは違うんだ、ということわかれば十分です。[江本嘉伸]



野々山富雄の「明日できるコトは今日やらない」
ノノの奇妙な冒険―第5回
怪獣探検隊 帰還す

◆さて、1ヶ月にも及ぶ悪戦苦闘の末、我が探検隊は怪獣に遭遇しえたか? 遺憾ながらダメであった。何度か見間違い騒ぎはあったが、発見にはいたらなかった。

◆「以前はいたんだが、他の湖に移動したんだよ」と、アニャ−ニャ博士は最後になって珍説を披露してくれたが、とにかく見つからなかったわけだ。聞き込み調査の中、モケーレ=ムベンベの本当の意味は‘虹とともに現れるもの’ということがわかった。雨上がりに現れやすい、ということだろう。コンゴドラゴンは文字通り虹のごとき存在であった。

◆では、本当にそんなものはいなかったのだろうか。私は今でも‘何か’がいたのだと信じている。恐竜とまでは言わないが、首の長い大トカゲの新種という可能性もある。人間の手がまだ触れてないものは、まだまだたくさんあると思う。しかし、地球の自然環境がこれほど急激に、破壊されている現在、目が届かないうちに人知れず消えていく、いや滅ぼされていく者たちは数多くあるだろう。時々、変な幻想にひたる事がある。モケ−レ=ムベンベの最後の1頭が、今この瞬間、死んでしまったんじゃないかって。

◆再び、あのジャングルを訪れてみたい。しかし、コンゴは今、内乱でムチャクチャになってしまった。博士や村人達はどうなっているだろう。‘探検’なんていきがっても、所詮平和な国の‘お遊び’なのだろうか。その答えは人によって様々だろう。私は、私の生き方の中で、それを表していくしかない。

◆私は学生の時からまた、子供のキャンプ・インストラクターのようなことをやっていた。遊び半分のようで、実はこれはとってもしんどい。毎日がガキどもとの取っ組み合いのようなもんだ。しかし、そこにある確かな手ごたえ。子供達に自然の素晴らしさと怖さを教えること。次にくる者達へ、教育というにはおこがましいが、そんなスクールをつくりたい。それを、自分の仕事としていきたい。あの植村直己さんが夢見た冒険学校をつくっていきたい。東京農大の長江源流域航下隊に参加させてもらったりしながら、いつもそんなことを考えていた。

◆そんな時、山田高司兄より誘いがあった。「野々山、アフリカ行かんか。」私は即座に答えた。「あ、タダで行けるなら行きます。」偉そうなことを言いながら、あいかわらず行き当たりばったりの私であった。[野々山富雄]



地平線ポスト
地平線ポスト宛先:〒173-0023
東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方
東京都新宿区荒木町3-23-303 江本嘉伸方
E-mail :
Fax: 03-3359-7907(江本)
地平線ポストでは、みなさんからのお便りをお待ちしています。旅先からのひとこと、日常でふと感じたこと、知人・友人たちの活躍ぶりの紹介など、何でも結構です。E-mailでも受け付けています。

●クルト & はるみ・メイヤーさんから…2000.5.11…ビシケク発

Привет из ъишкека(プリビェト イズ ビシケカ = ビシケクからこんにちは!)

◆早いもので日本を出発して2ヶ月が過ぎようとしていますが、お変わりなくお元気でしょうか。寒かったロシアを通り抜け、ステップ地帯のカザフスタンを通過し、中央アジアで山と湖が最も美しいと言われるキルギスに5月9日到着しました。中央アジアは西と東の文化が入れ混じり、とても興味深いところです。ロシア語がまだ通じるので、旅が楽です。また、楽しいです。



●金井重さんから…

◆「サウジアラビア、コーランの世界を行く」ツアーに参加しました。サウジは個人ビザを出していませんが、ようやくツアーが出るようになりました。でも名目は「視察団」女性はベールはもちろんのこと、アーバーヤーという黒い足首まである丈の長いコートを、リヤドの上空から着用します。ところが暑い外では必ず着用のこのスカーフとアーバーヤーが、ホテルの中では着用なしでもいいのですから、ちょっと変ですね。でもさすがにアルコールはホテルの中でも一切厳禁でした。

◆さて、この私たちのツアーと同じ時、同じ会社のグアテマラのツアーで法人の死傷事件が起きたのにはビックリしました。例によってサウジからグアテマラに脱線してしまいましたが、サウジのツアーも同じ時、同じ会社のツアーの事故も、ちょっとやそっと派話せませんので、これはまたの機会に。

◆さて5月9日に帰ってきて、6月10日にはおとなりの中国に行ってきます。今日チケットをとりました。去年ダラムサラでダライラマにお会いしてきました。今年の3月はブータン。今度こそチベットと言うわけです。雲南省まで寄り道しながら行きたいし、ウィグル自治区も、内蒙古もねらっています。2回ツアーに乗りましたが、今回はもともとのバックパッカーの旅にもどって出発です。では、またね。



>>> Pole to Pole 2000 >>>
石川直樹 現地報告

◆日本を発って3ヶ月が過ぎました。日本はそろそろ梅雨入りした頃でしょうか。今ぼくが自転車をこいでいるカナダ西部は、気温20度弱とかなり過ごしやすくなってきました。つい先ほどまで平原を貫通する一本のまっすぐな道を走り、春の草いきれの中で、今までのことを思い出していました。

◆100マイルハウスという小さな町で初めて7人のメンバーと出会い、一ヶ月間スキーやカヤックのトレーニングを積んだ後、北極に向かいました。北磁極を4月5日にスタートし、60キロほどのそりをひきながら、目的地のレゾリュートにスキーで到着したのはちょうど一ヶ月後の5月5日。一度、飛行機による食料や装備などの補給を受け、最後の一週間はスノーモービルによるサポートを受けました。全部で700キロ弱の行程です。途中7匹の白熊に遭遇し、一度だけぼくらが寝ている最中にテントから15メートルほどのところまで接近してきたことがありました。仲間のディランが足音に気づきライフルをもって外にでなかったら、危なかったかもしれません。頬と鼻に凍傷を負った仲間が何人かいますが皆無事に戻ってきました。レゾリュートでは河野兵市さんと出会い、大場満郎さんと無線で話しました。大場さんのグループはぼくたちと同ルートを逆からたどり、5月中下旬に北磁極に到達したようです。

◆その後、ぼくらはカナダ北極圏のフォートマクファーソンという村の近くを自転車で出発し、ホワイトホースなどを経て、南へと自転車をこいできました。自転車は皆が一緒に走るのではなく、一人一人がリレー形式で距離をかせいでいきます。行く先々の町でプレゼンテーションを行い、経験をシェアしながら、環境問題などについて話し合っています。この旅のキーワードは、「小さな一歩が大きな変化をつくっていく」ということで、色々な例やデモンストレーションを使い、それらのことについて説明しなくてはならないのです。ぼくにとってはスキーや自転車などの肉体的なことよりも、何百人もの中学生や高校生の前で、英語でプレゼンをするというメンタルな面の方がよっぽどつらいです。だいぶ慣れてきましたが、まだまだ修行が足りません。

◆一昨日、バンクーバーを出発し、カナダを横断すべく、今は東へ東へと自転車をこいでいます。カルガリー、トロント、オタワを通り、7月の上旬にニューヨークに到着する予定です。南極への道のりはまだまだ長いですが、素晴らしい仲間たちとともに、旅をさらに楽しんでいきたいと思っています。それではまた![石川直樹]



今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介)
地平線通信裏表紙 7/27(火
Friday
6:30〜9:00 P.M.
アジア会館(03-3402-6111)
\500

 

冒険は何時(いつ)頬を濡らす?

 99年5月、田中幹也さんはカナダ人力縦断1万4000キロの旅に終止符を打ちました。95年にスタートし、5年越し4回に渡る冒険行。しかしゴールは思いがけずあっけなく、物足りない思いの方が強かったそうです。
 これまで夏山装備で越冬したり、自転車で雪山を越える、初めての山スキーでいきなりロッキー山脈縦走に挑むなど、あえて「常識」の枠を崩す行動をしてきた田中さん。アクシデントのなかった4度目のカナダ行をどう消化していいのかとまどっています。
 86年に山を始めるやいなや、4年間で国内外180ルートを登攀、冬季初登10ルートという先鋭的なクライマーとして注目された田中さん。90年代に入ると一転して垂平の旅に目を向け、カヌー、自転車、徒歩でがむしゃらに世界中を歩いてきました。その経験の上で田中さんは今、自分が冒険に求めるものは何か、もう一度問い直しています。
 今月は田中さんの旅をモチーフに、冒険の芯とは何か、考えてみたいと思います。98、99年の積雪期ロッキー縦走の旅を中心に、田中流旅の技術も披露します。
 お楽しみに!


通信費カンパ(2000円)などのお支払いは郵便振替または報告会の受付でお願いします
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)

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