2000年5月の地平線通信



■5月の地平線通信・246号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信247表紙■久方ぶりに通信のフロントを書けとのご下命に、はてさて一体何を書いたものか、連休の青空の下でしばし悩むはめになってしまった。通信のファイルをひっくり返してながめているうちに、身の毛もよだつ恐ろしい事実を発見してしまったのである。なんとおぞましいことに、この数年間というもの、報告会に一度もラテン系が登場していないではないか!

■報告の舞台となった地域とテーマを大ざっぱに分類すると、ユーラシア大陸辺境山岳でほぼ9割、後はおまけでマラソンにチャリンコ、極地に国内特別巡業、アフリカとオセアニアはほんの忘れな草。ラテンアメリカときたら、もしかして自分で報告したグレートジャーニー番外編・パナマ地峡以来、完全に忘れ去られているのではなかろうか(間違ってたらごめんなさーい)。ラテンの神髄、カーニバル文化を探求している身にすると、なんとも寂しい限りである。

■そもそも、カーニバルと聞いて羽根だらけのプリプリおねーさまが大集団で踊りまくっている光景を思い浮かべて思わずよだれを・・・、なんてのは、日本人男性は全員忍者かちょんまげ侍、女性はフジヤマ芸者ガールというぐらいの認識レベルでしかない。日本で唯一、世界に2人しかいないカーニバル評論家が言うのだから間違いはないのだ。とくに、ラテンアメリカ各地で盛大に行われるカーニバルは、コロンブス以後の500年間に渡る新大陸の負の歴史、つまりは西欧人による征服と先住民族の大虐殺、奴隷制度、植民地支配などなどの悪行のなかから生み出されたほぼ唯一の「ヨーロッパ、アフリカと先住民文化の幸福な出会いの産物」と言えるだろう。カーニバルとは演出美を競い合う「動くオペラ」であり「華麗なる総合芸術」であり、同時に「壮大な蕩尽」であり、つまりは「魂のスポーツ」なのである。それにもまして、4日間のカーニバルのために一年分の稼ぎをつぎ込むことを厭わない数百万人の人々のただ中に我が身をおく、この快感がたまらない。カーニバル通いを始めてもう10年以上になるが、いまではカーニバルに行かないと一年間体調が優れないほどにラテン化してしまったようだ。

■とはいえ、脳天気なカーニバル評論家にも悩みの種は尽きない。どの国でも同じ日程で行われるためあちこち掛け持ちができないし、飛行機やホテルは半年前から予約で一杯、料金も普段の数倍に跳ね上がってしまう。アドレナリン渦巻く狂乱のまっただ中では落ち着いて写真も撮れず、踊っているのか殴り合っているのかよくわからないような混乱の中で身を守るのも楽ではない ------ とかいいながら、来年はどこのカーニバルに行くか、祝祭の終わったその瞬間に悩み始める自分が怖い今日この頃である。

■メキシコ、キューバ、トリニダード・トバゴ、コロンビア、ボリビア、そしてブラジル各地と転戦を続けてきたが、この5年間というものブラジル北東部の旧首都サルバドール・ダ・バイーアのカーニバルにはまっている。これぞ世界最強のカーニバル、炸裂するパワーとリズムは「黒人のローマ」と呼ばれるこの旧都バイーアの育んだ究極のエネルギーを、余すところなく体感させてくれるものだ。これ以上はとても文章にはできそうもないので、これまでたまったラテン系のツケをまとめて、3回連続くらいでカーニバル大特集報告会を・・・などと企んでいたら、モンゴルのドクトル関野氏からの極秘指令で中央アジア方面に業務出張?ということになってしまった。まあ、今世紀中にはラテンの魂をたっぷりとご披露いたしますので、乞うご期待![Z]



グレートジャーニー6
人類400万年の旅・関野吉晴写真展(入場無料)

◆5月13日〜31日 10:00〜18:00(木休)/会場:フジタヴァンテミュージアム(渋谷区千駄ヶ谷4-6-15 フジタ本社ビル内)◆7月6日〜15日/11:00〜20:00/会場:東京オペラシティ特設会場(新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワー2階)◆関野吉晴講演会/7月15日 17:30〜 東京オペラシティ・リサイタルホールにて(先着順)◆問合せ03-3359-0609◆ http://www.nttdata.co.jp/wonder/g_journey/



報告会レポート・244
カワイソーの裏側
江本嘉伸
2000.4.28(金) アジア会館

▼モンゴルの報告が地平線会議では4回目となった江本さん。1987年に初めて訪れて、それから22回のモンゴル行をかぞえる。草原に遊牧民の国モンゴルというのが私たちが普段描くイメージだが、この10数年あまりで国政はガラリと変わった。社会主義の崩壊である。「モンゴル人はアメリカに憧れていますね」今まで知らなかった豊かな自由な生活が、モンゴルの人々の意識をかえていった。

▼都市の建築ラッシュ。何でも市場主義で物をお金に換算して売ってしまう人間のはかなさ。今までの心の豊かさ、すなわち旅人をもてなす心というものが民主化のおかげでうすらいできているようだ。たとえばゲル(遊牧民の住居)に招待するのも本当に素直な気持ちからであったが、今や食堂をやっているゲルが軒を連ね、旅人からお金を取る。もてなしの心が今やお金に換算していくら…と、当たり前になりつつあるのである。

小さいことかもしれないが、そういった民主化のマイナス要因が今回のゾドと呼ばれる雪害をひどくしたとも語った。民主化によって国のものから個人のものとなった家畜が180万頭死んだのだ。「社会主義の頃は9〜10月に草刈り隊の若者がトラックに大勢のって草原を走っていったものだ」政府は年間目標100万トンの“備え”として対策に万全だったのだ。もしこの備えがあれば、ここまで被害が広がらなかったのはいうまでもない。江本さんが倒れている家畜をみて、「さわるとまだあったかいんだよね」といった。「何とかしたい、ここにエサの草があれば助かるのだが…」と何度も悔しい気持ちに襲われたそうだ。

▼今まで例をみないゾドだが、日本の援助も多額なものになった。モンゴル政府から遊牧民にちゃんと援助がゆき届くかどうか、はっきりいってそれはほとんどないそうだ。やみくもな援助はどこでどうなるのか、しかしモンゴル自身がどこかで潤うからよいのでは、意見はいろいろある。もらったお金をどう使おうが関係ないと、モンゴル側の声もきこえてきそうだ。これからの国際援助のしくみを問われる話ともなった。

▼後半、江本さんは遊牧民のコスチュームで話を進めてくれ、羊のスモーク(骨付き)を客席のみなさんと回し喰いのおまけ付き。モンゴルを舌で感じた一瞬だった。またスライドの中にはグレートジャーニー敢行中の関野吉晴さんの姿もあった。[瀬口聡]



野々山富雄の「明日できるコトは今日やらない」
ノノの奇妙な冒険―第4回
怪獣探検隊サル喰う(その2)

▼彼らによれば肉食哺乳類は臭くて喰われんそうだが、それ以外のものはすべてニャマ(肉)なのだ。怪獣喰っちまうくらいだもんなぁ。

▼で、好奇心旺盛な我が探険隊は以前、別の所で食べて猿アレルギー(そんなのあるんか?)になった高林氏以外、みな喜んで喰いまくったのである。食べ物が無いのでいやいや食べざるを得なかったなんてことは、まったくない。仕舞いにはガイド達はゴリラやチンパンジーまで狩ってきて、その解体シーンを日本人メンバーはのどを鳴らして見入ったほどだ。

そんなもの喰っていいのか、大問題だ!とお叱りを受けそうだが、獲ったものは美味しくいただくのが大自然のルール。大体ゴリラ達が減り、自然が壊されていったのは現地の人たちの狩りのせいだけではない。彼らは昔からごく普通の生活の一部として猿を食べてきた。彼らの生の基である自然を壊していったのは一体誰か。猿を喰う彼らと、開発の名のもと自然を壊していった者達と、真に野蛮な行為はどちらがしたのであろうか。と言ってゴリラが絶滅に瀕している現在、今まで通りゴリラを食べ物にしていいとはもちろん私も思わない。食べる物は他にもたくさんある。しかし、こちらの常識だけで一方的に押しつける事はしたくない。

▼ところで「ゴリラってどんな味がするの?」とよく尋ねられる。で、私はこう答える。「そーだなぁ。チンパンジーそっくりな味だよ」「それじゃわかんねーよー」そりゃま、わからんよなぁ。でも本当にそっくりなんです。ゴリラは草食、チンパンジーは雑食だけどほとんど同じ味覚。ということは人間もきっとあんな味なんだろうと思う。まぁ、しいて言えばクジラか牛の固い筋肉かな。

よく食べていた猿は尾長ザルだが、これあまたちょっと味が違って固いトリ肉(ブロイラーじゃなくて)のような感じがする。臭みが強いが慣れるとこれがクセになる。他の肉もみなうまかったが、私は特にワニが好きだ。ヘビほど小骨が多くないし、カメより軟らかい。白身でちょうど魚と鶏肉の中間のような味がした。なるほど、は虫類という奴は魚類から進化して鳥類になっていったんだなぁと、食べてわかる進化の過程であった。他の場所でも私はハリネズミとかハイエナ等も食べまくり、さながら歩くワシントン条約破りとなったのである。[野々山富雄]



地平線ポスト
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●香川澄雄さんから江本嘉伸へ…2000.5.2…イエテイ同人西暦2000年チョー・オユー登山隊

ヒマラヤの八千メートル峰、チョーオユー(8201メートル)登頂を目指していた香川澄雄さんが、思いがけず早々に帰国した。香川さんは「三百名山ランニング登山」をやってのけたことで知られる猛者で、今回は「八千メートルからのランニング下山」をテーマに、イエティ同人隊の一員として3月末に現地に向かった。しかし…。以下、私信だがご本人の了解を得てこの通信に転載する。高度や、希薄な空気のほかにヒマラヤでは、こういう「味覚」や「臭い」の問題がシリアスな結果につながることもある。


◆4月26日早朝、12人の隊員10人のシェルパ全員に見送られてチョ−・オユーABC(標高5600m)を脱出し、27日夕刻にカトマンズ到着、2日間飛行機を待って、29日に帰国しました。

◆18日にチベット側ベースキャンプ入りしてからのコックの作る油炒めしたおかずが次第に喉を通らなくなり、毎日少量のおかゆと梅干、それにカーボ・ショッツ(50gで140Kcalの栄養食品)で命をつないでいましたが、次第に体力が低下し、このままぐずぐずしていると自力下山もおぼつかないと、2日間熟考して脱出の決断しました。凍死や滑落、或いはクレパスに落ちての事故死なら救いもありますが、栄養失調で餓死したというの冴えませんから。

◆高所順応の指標とされるSpO2(酸素飽和度)は、脱出当日93%で13人の隊員中1、2を争うほど優秀でしたが(平均して70%台)SpO2だけでは順応の判断はできないものと知りました。

◆コックは優秀で、毎日日本食のおかずを5、6種類ずつ、作ってくれるのですが、煮物はなく、全て油で炒めるので、4月1日から12日までのネパールのランタン谷のヤラ・ピーク登山(標高5500m)中は我慢できましたが、そこまでが限界、チベット入りしてからは、全く喉が受け付けませんでした。

◆その他、脱出当日大好きなうどんで体力をつけようと、自らキッチンテントに入り、キッコーマン醤油、ハイミー(化学調味料)及び砂糖で『だし』を作り、いざ食べようとすると、三杯酢のような酸味が有り、結局食べられませんでした。他の隊員は食欲旺盛でしたから、食べられなかったのは私の味覚の異常と飽きっぽさのせいでしょう。(横井庄一さんではありませんが、)恥ずかしながら帰国のご報告といたします。



>>> Pole to Pole 2000 >>>
石川直樹ら、第1ステージ北極海500キロを踏破!

4月はじめ北磁極をスタートした「Pole to Pole 2000」チームは、スキーと徒歩で南に進み、5月5日には出発基地のレゾリュートベイに到達、難関の第1ステージ、500キロの踏破を終えた。イヌヴィックまで空路運ばれたあと、5月11日から今度は自転車で南下する。カナダの冒険家、マーチン・ウィリアムズ率いる各国8名の青年男女たちで、めざすゴールは南極点。日本からは地平線報告会などでお馴染みの早大生、石川直樹が氷上で奮闘している。隊からの英文メールによると、地球温暖化の影響で氷が薄くなっており、状態は悪いらしい。以下、一行の行動のダイジェスト。

◆4月19日(水)最高の日! 20キロ進んだ。サスツルギ(強風で数フィートの高さに形成される雪の砂丘)が広がる。気温マイナス25度。進んでいる時は、あたたかい足が、止まると途端にスキー・ブーツごと冷え出す。靴はとても大事だ。

◆4月20日。北磁極は、あたかくなった。マイナス17度。南へ20キロ進んだ。皆快調だ。こういう上天気の日は、進路もわかりやすい。北磁極の近くでは磁石が働かないから、太陽の位置で測るしかないのだ。我々の時計で午前6時には、太陽は東にある。で、われわれは、太陽に対して90度の角度を取りながら進む。正午までに太陽は南に移るから、今度陽を正面に受け止めながら進むのだ。食料が足りそうもない。スキーをつけたツィンオッター機が日曜日には食料を補給してくれるだろう。

◆4月25日。マイナス18度。レゾリュートベイからツィンオッター機が食料を運んできた。なんと幸せなんだろう! 思いがけない収穫は、グラノーラ(干しブドウ入りのカラス麦パン)と、チョコレート・バー、それにいろんな種類のクッキー。皆がつがつ食べた。こわれた装備類も新品に換えた。はじめの数日で壊れたスキー、テントなどだ。一日、よく食べ、休み、眠り、冗談を言い合った。お腹がいっぱいになると、人生は素晴らしい!

◆補給の翌日にはキング・クリスチャン島に着いた。まさにフルスピードだ。今日1日で、なんと45キロも進んだのだから。マイナス18度。休みは5分。それ以上休むと、身体が冷えきってしまう。この5分の間に、チーズをひとかけら、次はクラッカーを少し、というふうに、足早に食べものをとり、また1時間進む。だから、食事は何時間もかけてすませることになる。こんな繰り返しを日に8時間だ。

◆4月27日。きょうも、素晴らしい旅だった。海氷面のプレッシャー・リッジ(海の動きで氷が盛り上がった部分)は、ほとんどなかった。はるか彼方、バサースト島に近づいている。このあたりから、ホッキョクグマの出没地域にはいる。ホッキョクグマは、危険な存在だ。彼らは人間を恐れず、腹が減っていれば、我々を食料とみなす。

◆5月2日。我々は、可能な限りふんばって1日に18時間も活動し、きのうは35キロ進んだ。午前3時から午後9時まで、立ちはだかる乱氷帯のルートファインディングに徹しつつ、チーム全員やる気十分。実際、我々は睡眠不足続きで、ほんの少しでも休止の瞬間、たとえば昼飯とか、スキーをつける時とか、小さな氷山でひと休みする時とか、があると、途端に眠り込んでしまう。まさに、エキサイティングな旅だ。ゴールまで9ヶ月に及ぶ計画に、目下遅れているので、連日奮闘している。地球温暖化が、乱氷状態に影響した、と思われる。この地域では、過去20年に較べて氷厚が50%も薄くなっている。[文責・E]



田部井淳子さんと、仲間から
『エヴェレスト女性初登頂25周年記念シンポ』のお知らせ

◆エヴェレスト女性初登頂(1975年5月16日)25周年にあたる5月16日、「女性が語る山岳自然保護−エヴェレストから、尾瀬から、国会から」をテーマに、記念シンポジウムを開きます。東京・渋谷区神宮前(青山学院大前)の東京ウィメンズ・プラザ(地平線報告会200回記念イベントをやった場所です)で、5月16日18時半から。

昨年エヴェレスト街道とベースキャンプを中心に、エヴェレストの登山者による汚染状況を調査し、結果を九州大学大学院修士論文にまとめた田部井さんのエヴェレスト最新報告のほか、尾瀬・長蔵小屋経営者の平野紀子さんが長蔵小屋の自然保護の歴史と現実について、生物多様性条約の推進に力を尽くしてきた参議院議員の堂本暁子さんが、立法の場から山岳環境などについて語ります。

司会進行は新聞記者の北村節子さん。参加費は、資料代として500円。予約は不要です。是非おいで下さい。問い合わせは、03-3264-6426(事務局)まで。



浅野哲哉さんのホームページ
『India Exploratio=ンド探検』 大改改訂

◆この度、小生が主宰するWebサイト『India Exploration=インド探検』を LE(Light Edition)版として大改定しました。ほぼ、すべてのサブサイトが俯瞰できるようになり、以前から考えていた仕組みがやっと整いました。特にインド女性の家庭芸術コーラム(米粉で描かれる吉祥模様)を紹介したサブサイトでは、『今日のコーラム』に毎日新しいデザインをアップして、日本の皆さんに『和名』を命名してもらおうという企画をスタートしました。
http://www.terra.dti.ne.jp/~t-asano/
[浅野哲哉さんからのE-mailを抜粋]



今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介/文:丸山純
地平線通信裏表紙 5/26(金
Friday
6:30〜9:00 P.M.
アジア会館(03-3402-6111)
\500

キミはヤギ派か、ヒツジ派か。
 「モンゴルの草原で遊牧民と暮らしていると、ヒツジという生き物の偉大さをつくづく痛感させられるね」と、江本嘉伸さん。「いやいや、ヒツジは馬鹿だから、心が通じない。パキスタンの山奥じゃ、やっぱりヤギですよ」と、私(丸山純)。「世界中でヤギとヒツジを食べまくってきたけど、サハラの南にヤギそっくりのヒツジがいて驚いたよ。あれが見分けられたら、お前は牧畜民かって尊敬される」と賀曽利隆さん。
 先月の報告会のあと、二次会の居酒屋で江本さんがモンゴルから持ち帰った羊肉の塊にかぶりつきながら、こんな話でわいわいと盛り上がりました。その続きを、アジア会館でスライドを上映しながら徹底的にやってみようじゃないかというのが、今月の地平線報告会です。
 牧畜技術の地域差から衣食住との関わり、そして文化への影響まで、人間とヤギ・ヒツジとの深くて“味”のある関係を、旅人の目を通して語り合いたいと思っています。白根全さんをはじめ、スライドによる参加も何人か予定。飛び入りも大歓迎します。どうぞお楽しみに!


通信費カンパ(2000円)などのお支払いは郵便振替または報告会の受付でお願いします
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)

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