2000年3月の地平線通信



■3月の地平線通信・244号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信244表紙●「10年ぶりに来たんですけど、システムは変わってないんですか?」――前回の報告会で受付をしていたときに投げかけられた言葉だ。その男性に「参加費は500 円ですか?」と尋ねられ、「500円です」と答えた。そのときの「ああ、そのままだ」と言いたげな彼の表情が印象的だった。

●私は3月に大学を卒業し、4月から新聞記者になる。奈良支局への配属が決まり、明日、家を探しに奈良に行く。この4 月は私にとって大きな節目であり、出発の時なのである。一人暮らし、奈良という土地、仕事と、初めてのことばかりだ。

●2年前の冬、私は初めて地平線報告会に参加した。その年の夏初めてモンゴルを訪れ、そのパワーに強く惹かれた私は、日本に帰ってから会う人皆にモンゴルの魅力について語っていた。するとそのなかの1人が、「そんなにモンゴルが好きなら」と言って、江本嘉伸さんのことを教えてくれたのだ。それがきっかけで、地平線会議を知るようになった。

●報告会では、自分の親や学校の先生と同年代の方々が「どこからどこまで走った」「次は○○にカヌーで行く」「自転車で行く」「バイクで行く」と真剣かつ楽しそうに話す姿に衝撃を受けた。私の周りには、そのような体験を語ってくれる大人はいなかったからだ。その人の経験を生で聞くこと、その場に自分がいるということの良さを知った。「これまで自分が考えもしなかったようなことを成し遂げた人が、今ここにいる」「人間ってすごいなあ」「少しでもこの人に近づきたい」と思える人を間近に見る喜び、興奮、憧れがそこにはあった。

●報告会に足を運び、感激し、その人の旅に思いを馳せながら眠りにつく生活を始めてから何カ月たった頃だろうか。「報告者の方々を『すごいすごい』と言うだけで、私自身はどうなんだ?」とふと思った。自分が皆の前で報告するだけの体験を持ち合わせていないことを歯痒く感じた。それまでの自分の旅行が、急にちっぽけなものに思えてきた。

●そんな思いを払拭できたのは、地平線通信の発送や、報告会の受付をお手伝いしているときだった。私にもできることがある、と思えたのだ。それ以来、発送や受付の手伝いが以前よりもっと楽しくなった。

●地平線のおかげで、1人の体験をシェアできることの素晴らしさを知り、応援したいと思う人が増えた。送り出す側の気持ちを初めて考えた。旅立つ側には新しい世界が待っている。だが送り出す側にとっては、今までと変わらぬ日常生活が流れてゆくのに、その人の部分だけが抜け落ちる。誰かが旅に出ている間、いままでのように「いいなあ、私も行きたいなあ」とただうらやんでいるだけでなく、その間自分自身を鍛えて待っていよう、と今では思う。

●地平線会議に来るきっかけを与えてくださった江本さんがリタイヤなさる年に、私が同じ職業に入っていく、ということも不思議な縁だ。報告会に参加してきた学生が社会人になると、地平線に来られなくなってしまうことが多い。しかしそのほとんどは、いつかまた来るぞ、と思っているに違いない。何年たってもフラっと行けば誰かがいる、と思えるところはあまりないのではないだろうか。地平線会議は、そんな数少ない存在だ。私のこれからの生活はどうなっていくのか全くわからないが、冒頭の男性のように、必ずまた帰ってこようと思う。[大井田ひろみ]


地平線はみだし情報

3月17日(金)21:00から22:53「テレビ東京開局35周年記念番組 20世紀最後の秘境 青く透明な大地ココシリ」(テレビ東京・テレビ北海道・テレビ大阪・テレビ愛知・テレビ瀬戸内・テレビ九州にて同時放送)

◆これが私を丸1年近く苦しめてきた番組です。でも、かなり本格探険物としての見ごたえはあると思います。これが好評をはくせば、これまでの涙も苦労もぶっ飛びます。[山本千夏]



報告会レポート・244
シベリアタンデムラン
東はるみ+クルト・メイヤー
2000.2.25(金) アジア会館

◆「東はるみさんとクルトさんが、サイドカーでロシアを走って日本に来てるよ」と石川に住む友人から聞いたときはびっくり。「冬のロシアを、どうやって?」「冬は川が凍って、夏は湿地帯で走れないところも通れるようになるから、わざわざ冬を狙って、川の上を走ってきたんだって」。山形での写真展の帰り、江本さんにその話をしたら、ぜひ日本に居るうちに報告会に呼べないか、ということになり、鹿児島に里帰りしていた東さんをつかまえてお願いした次第です。

◆東はるみさんとクルト・メイヤーさんは現在スイスに住んでいます。1980年、お互いにイギリスに語学留学をしているときに知り合い、翌年にタンデムでの世界一周ツーリングに旅立ち、6年かけて42ヶ国、15万kmを走破しました。バイク雑誌などに旅のレポートが発表されたのが、ちょうど私が海外ツーリングを考えていた時期だったので、とっても印象に残っていました。

◆今回は、去年の7月にスイスを出発し、ヨーロッパをあちこち旅してからロシア、モンゴルと通って、ウラジオストックからフェリーで富山へ入り、東京から鹿児島まで往復して、戻ってきてばかり。まだまだ旅の途中です。ロシアでクルトさんの高い鼻が凍傷になりかかったり、モンゴルではバイクと人間の入国できる国境が別々で、いったん人間だけ入国してから、ロシアに戻って電車に乗せてようやくバイクも入れた、などの苦労はあったようですが、ホテルやガソリンの心配もなく、個人的に旅するには何の問題もないとのこと。治安も日本で言われているほど悪くはなく、あちこちで親切なロシア人家庭にお世話になったそうで、楽しく旅をしてきた様子がスライドから伺えました。どこでもウオッカを勧められ、一気飲みして二日酔いになった話も出て、ロシアを旅するには、酒に強くなくっちゃいけないんだ、と私は勝手に納得してしまいました。気になる旅の費用ですが、現在まで2人で 80万円くらいだそうです。日本の滞在費が一番お金がかかると言ってましたが、まったく同感です。

◆会場には、これからロシアを自転車で走りたい、去年行ってきたという人も来ていて、具体的な質問が多く飛び出しました。新しい顔ぶれも目に付き、いつものシーンとした報告会とはちょっと違った雰囲気がありました。

◆「ロシアは世界的には悪者のようにされているし、いいニュースは入ってこないけど、ロシアの人たちって、とっても暖っかいし、ロシアのいいところを少しでも伝えられればうれしい」とはるみさんが言っていたのが特に印象に残りました。2人は3月に再びロシアへ渡り、中央アジアの国々も訪ねてスイスへ戻る予定ですが、現在、日本でのビザ取得が難航しているとのことです。

◆身長 190cm以上もあるクルトさんと、150cmそこそこの小柄なはるみさんは、見た目にはかなりデコボコカップルですが、日本の一般的な40代夫婦と比べて、ずっと人生を楽しんでいるような感じです。ちなみにクルトさんは電気技師で、1年間休職して旅をしているとか。日本とヨーロッパのバカンスに対する意識の違いも大きいんでしょうけど、うらやましい限りですよね。

◆それにしても、ロシアやモンゴルをバイクで自由に走れて、ロシアと日本を結ぶフェリーができるなんて、数年前には予想もできないことでした。92年に私がサハリンを走ったときは、パトカーに誘導され自由な行動もできなかったけれど、時代はどんどん変わっていくんだなあ、と実感しています。その分私も年を取って、いつのまにか30代後半。ああ、タメイキ。

◆ところで先述の石川の友人は、バイクで西サハラルートを越えたときに車で旅していた2人に会ったそうです。その友人と私はエクアドルのキトでばったり会ったのですが、バイクで海外を旅するライダーは仲間意識が強く、帰国後もさまざまな形で交流をし、情報交換をしています。また、最近は海外ツーリングを一生に一度の大イベントでなく、興味のむくまま何度も出かけたり、長い世界一周の途中で一時帰国するなど、より気軽に考える人も増えてきました。女性一人で南米を走ってる人もいますし、定年後にバイクの免許を取り、海外の山を登りながらツーリングする、という男性もいて、一昔前の「海外ツーリング=冒険」という考えはなくなりつつあります。「海外ツーリング普及家」としての私の活動(ただ吹聴しているだけ)もだんだん功を成しているようで、うれしく感じています。

◆私も南米の旅から戻って早5年、次の長い旅を意識するようになった今日このごろ。やっぱり刺激的な海外ツーリングはやめられません。今度は日本からフェリーでロシアに渡り、中央アジア、アフリカというルートを検討中です。

◆最後に、東はるみさん著「地球に恋してタンデムラン」を寄付してくれた(株)造形社に多謝。当日の売り上げはお2人に贈呈しましたが、地平線会議でも数冊預かってますので、購入希望の方はご一報ください(税込 1500円)。[滝野沢優子]


地平線新刊情報

‘かがくだいすき’シリーズ「くらやみでも へっちゃら」[文 桃井和馬・絵 長野ヒデ子]大日本図書 定価1400円(税込み)B5変型判P32/2000年3月発売

◆最近、暗闇がなくなってしまった。そう思いませんか? 町の街灯、24時間営業しているお店もめずらしくありません。ここで考えたいのは、明かりに象徴される「現代文明」が、本来人間の持っていた五感を鈍らせているのではないか、ということです。この本では、子どもと大人が一緒に体験する「暗闇のレッスン」からストーリーが始まります。もちろん、今ではだれもが暗闇の初心者。だけど不思議です。暗闇の中に身をおくと五感が鋭くなり、家族の絆も強くなります。ひいては人間の持つ生命力、そして自然の厳しさや優しさを感じることができるのです。やさしい文章と、情感豊かな絵でつづられる、ゆたかな「暗闇の世界」から、あなたは何を感じますか?


地平線ポスト
地平線ポスト宛先:〒173-0023
東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方
東京都新宿区荒木町3-23-303 江本嘉伸方
E-mail :
Fax: 03-3359-7907(江本)
地平線ポストでは、みなさんからのお便りをお待ちしています。旅先からのひとこと、日常でふと感じたこと、知人・友人たちの活躍ぶりの紹介など、何でも結構です。E-mailでも受け付けています。

●大沢茂男さんから

〔今年もエベレストの氷河湖で初泳ぎをした便りが届きました。20年前エベレストBCを目指した友が昨年亡くなり、その方の鎮魂と自分自身の生前葬の意味の水泳だったそうです。大沢さんは今年76歳、まだまだ盛春です。〕


珠峯乃女神乃御加護、初泳ぎ乃湖中で気合と共に口から火が出て、前日乃打撲乃激痛が一瞬に消滅する奇跡が生じて成功できました。今後も古希乃盛春をヒマラヤ山中乃不恵乃子等に捧げます。


 鎮魂初泳
道遙世界最高峯
友遺骨胸参週間
氷河撒骨哀惜涙
安永眠祈珠峯泳
2000年元旦

 生前葬
拓農家生幾辛酸
悲涙感涙数萬石
南氷北洋珠峯泳
人生燃尽死悔無
1999年12月29日
大沢茂男 作


●飯野昭司さんから…2000.2.12…山形県酒田発 【地平線HARAPPAより】


2470 00/02/12 22:23 飯野 関野吉晴さんの講演会
●昨日(2月11日)は、鶴岡市で関野吉晴さんの講演会を開催しました。一昨日は吹雪いていましたが、昨日はまずまずの天気でした。来場者は約100人で、遠く福島市や山形市からも来てくれました。会場は「こぴあ」という生協の2階にあるホールです。ホールの前にちょっとした展示スペースがあり、写真展「地平線発」から抜き出した関野さんの写真をそこに展示しました。

●関野さんとグレートジャーニー応援団の野地さんを庄内空港まで迎えに行っている間に、1月の報告会のときも手伝ってくれた池田と渋谷が中心となって会場の準備をしてくれました。講演に先だって、アマゾン民族館の山口吉彦さんに関野さんの略歴を紹介していただきました。関野さんと山口さんは共にアマゾンで活動している関係で以前から親交はありましたが、会ったのは今回が初めてだそうです。

●「1時間半をめどに話をするけど、いつも長くなっちゃうんだよね」と始まる前に言っていたとおり、2時間半にわたる講演になりました。グレートジャーニーをやろうと思ったきっかけから、これまでの旅の様子、アマゾンのインディオの話など、スライドを使って時間ぎりぎりまで話をしてくれました。講演の後の書籍販売サイン会も盛況で、予想以上の売れ行きでした。

●その後、湯野浜温泉の宿に移動し、関野さん、野地さん、山口さん、関野さんの旧くからの知人4人、関野さんがぜひ会いたいとのことで来ていただいた鷹匠の松原さん、松原さんを取材しているカメラマンの赤川さん、松原さんの友人の網谷さん、そして私の11人で食事をしながら歓談しました。皆さんユニークな方ばかりでしたが、関野さんと山口さん・松原さんが話をするという場に同席できて、とても贅沢なひとときを過ごさせていただきました。

●今日は、山口さんにアマゾン民族館を案内していただきました。関野さんたちは、仙台から迎えに来てくれたグレートジャーニー応援団の古山さんの車で福島に向かうとのことです。鷹匠の松原さんが午後から鷹を飛ばすそうなので、関野さんはそれを見に行くとのことでしたが、うまく見られたでしょうか。

●写真展「地平線発」、地平線報告会、そして関野さんの講演会と続きましたが、とりあえず今日ですべて終わりました。このひと月は、これまでの人生のなかでも特筆するくらい、あわただしいながらもとても充実した日々でした。

●野々山富雄さんから…2000.1.21…屋久島発

◆電話入りました。Fax兼用です。冷蔵庫、洗濯機ももらい生活は一変。電気は便利だとしみじみ思います。まあ、それにおぼれないようにしていきたいものです。

◆昨年秋にヤクザル調査の手伝いをしました。屋久島には京大霊長類研の研究施設があります。秋はサルの発情期。そのDNAやホルモンを調べるため、尿や便、できれば血液や精液を採集したのです。発情したサルのお尻をおっかける。つまり、サルのストーカーをしたわけですな。走りまわり、木々を飛びまわるサルを追い、森やがけを駆けずりまわって、えれえ大変でした。

◆でもおもしろかったですよ。サルってのは、本当、見ててあきない。研究員にくっついていくので、サルたちのいろんなおもしろい話も聞けるし、勉強になりました。しかも、その人、若くてかわいい女性大学院生。いやー、たまにはいいこともなくちゃ。しかし、研究者ってものすごいもんだと思いました。ゴチャゴチャいるサルの群でもすぐに個体識別できて、何時間でも飽くことなく一匹を追跡する。小さい体でオレより機敏でタフじゃないかと思うくらい元気に森を走ってました。

◆ニホンザルの意外な事実。ボスザルはいない、よく木から落ちる、××××は死ぬまではしないけど、教えたわけじゃないのにしょっちゅうしてる、などなど、目の前で見れるってのがすごいです。そんなのが日常的な屋久島、いいでしょー。みなさんもぜひ来て下さいね。



カ、カ、カ、カーニバル!!

◆賑やかな音楽とともに突然、電話がかかってきたら、あの評論家から、と思って間違いない。今年も来ましたね、白根全のカーニバル・なま中継。今回は3月8日、サルバドールからだった。それも「プレスルーム」から。今回はアマゾンのマナウス、おなじみのリオ、と三ヶ所のカーニバルを評論しているそうな。阪神淡路大震災のあった年を除いてもう11年連続でカーニバルの時期になると、現地に駈けつける世界でも稀なカーニバル評論家。自分だけ楽しむんしゃなくて、そろそろ地平線報告会でばっちり報告してもらいたい。[E]



関野吉晴 またモンゴルへ

◆グレートジャーニーの関野吉晴が3月10日、冬のモンゴルへ旅立った。3日放映された「グレートジャーニー・6」は大好評で、視聴率は最高の15.9%だったとか。ドキュメンタリーでこれだけの数字はまず珍しいとのことだ。とりわけ先日の通信で予告した通り草原で出会った6歳の女の子、プージェのきりっ、とした可愛さが印象に残る。関野は「かっこいいなあ。娘に見せたい」と番組の中でつぶやくが、その8才になるひとり娘、知恵ちゃんも、今回はじめて番組を最後まで見たそうだ。出発前にはプージェのためにトランブや折り紙を自分で用意してまた当分帰ってこない父親に託したという。

◆モンゴルは家畜の誕生の季節。関野はラクダの背に乗ってゴビ横断をめざすが、子ラクダの誕生を見るのが最初の仕事になる。[E]



不定期破天荒連載「生田目が行く!」
第12発 ―生田目の観察―

◆ホステスには月に何日か強制同伴日と言うのがあってその日は必ずお客様と同伴出勤しなければならず、もし出来なければもちろん罰金がある。それから着物出勤日(必ず和服着用)や新調日(着物でも洋服でもおnewをおろす)などがある。昔は着物のしつけ糸を取らずにいてお馴染みさんや、それを買っていただいた方にしつけを取っていただくなんて言う粋な儀式もあった。それを見越してお店には呉服屋、靴屋、ブッティック、宝石、毛皮屋等が出入りしている(店はホステスにきれいにしていてもらいたいし、バンスで店に縛ることも出来るので業者と結託していたりする)。

◆その他にもいろいろ行事があって、特に客足の落ちる2月と8月(“にっぱち”と言われて水商売の低迷期)は店もいろいろ策を講じる。判りやすく言えばクリスマスのようにパーティチケットを出してホステスがお客様に買っていただくのだ。もちろんホステスによってノルマが違うし、枚数によってバックも違う。

◆お客様には誕生日、バレンタインは言うまでもなく、中元、歳暮もしくは年賀、栄転、転勤、果ては結婚記念日、奥さんや子供の誕生日のチェックも必要だ。奥さんに気に入っていただければこちらの仕事もスムーズだからだ。“あなたのところなら安心なの”までこぎつけられればもう敵無しだ。

別にプレゼントが奥さんに届かなくても(お客様が持ち帰らない)問題ない。お客様に“この子はそこまで気を使うのか”と思わせる事に意義があるのだ。度々同伴して頂いたりすればなんでも無い日にも、疲れがたまってそうだなと言えばビタミン剤、寒くなってきたなと思えば、手袋とか“ちょっとお買い物に行ったら素敵なネクタイを見かけたから”とかなんとかいってプレゼントする。(絶対、普段お買い物で紳士服売り場なんて行かないけど、そう言うのだ。“いつもあなたのこと考えてるの私”が大切。笑)事ある毎に付け届けを怠れない。転勤でもう2度と来ていただけないと予想できても、念のためである。一生東京に来ないことはありえないから、布石だ。これが結構役立つ。

同伴の予定も無く、一組の指名予約も入っていなくて、ナーバスな時に(出勤日に自分のお客が一人も来ないなんてホステスにとっては恥じなのだ。ただの見栄だけどね)ひょっこり昔のお馴染みさんが訪ねてくれたなんてことがままある。プレゼント選びも一苦労だ。高価なものが好きな方。堂々と持ち帰れないから小さいものを好む方。いかにも飲み屋でもらいましたとかゴルフの景品だったなんて言い訳のしやすいものを望む方。女房に見栄を張りたいから、いかにも女からもらったぞ的な物がいい方。

人それぞれあるが、それでいて私からもらったという印象を本人になるべく植え付けられるもの。頭が痛い。傑作だったのは、中元歳暮に取引先からビールは沢山来るけど、つまみはぜんぜん来ないんだよなとおっしゃる方がいて、もちろん全国珍味巡りセットみたいなのを贈って差し上げたことがあった。

それから金持ちやおじいちゃんに人気なのがサハラの砂とか箱のつぶれた烏龍茶(地元のよろずやの店先にひっかかってた激安、味3流以下)などだ。彼らはお金はあるから高いものはいくらでも買えるから、私が長旅の末、持ちかえったことに喜ぶのだ。何万円も餞別を頂いても、50円の烏龍茶でもただの砂でも、ブランド品より喜ぶ。

◆衣装代、エステ代、勉強代(ゴルフ、英語、お花、着付け)、プレゼント代とホステスとは元手のかかる商売だ。その上、競争があって、給料が決まる。もちろんお客さまに気を遣って、その上にホステスの徒弟制度やら人間関係がある。よく高給取でうらやましいといわれるが絶対割はよくないと思う。笑

◆あー今月も本題に入れなかった。申し訳なく以下次号 いよいよ“壮絶!いじめの花道”こう御期待![生田目明美]



素晴らしい出会いと感動でいっぱいでした。庄内のみなさん、ほんとにありがとう。
出羽庄内ミレニアム集会に参加して
1月の地平線報告会レポート+会場でみなさんに書いてもらったノートから

▼1月29日土曜日、スキー客の混雑を避けて山形新幹線経由でやってきた江本さんと私たち夫婦は、昼過ぎに出羽庄内国際村に到着した。さっそく写真展が開催されているホールに入ってみる。天井が高く、ずいぶんと広い。会場の設営から装飾まで全部自分たちだけで手作りでやったと聞いていたのに、こんな本格的で立派な展示になっているとは、驚いた。ずらりと並ぶおなじみの写真を見ているうちに、うれしさがこみあげてくる。さっそく飯野さんをつかまえてその気持ちを伝えたが、「ここまでがせいいっぱいで……」と、にこにこ笑っているだけだ。

▼飯野さんから突然、写真展「地平線発」を庄内でやりたいという相談のメールをもらったのは、去年の1月初めのことだった。まずほとんど不可能だろうと、内心あきらめていたのだが、その後何度か東京の報告会に足を運んでくれたり、メールなどで連絡をとりあっているうちに、いつのまにか日程が決定し、報告会までいっしょに開催しようということになっていった。資金的な裏付けなどぜんぜんなかったのに、なんとかなるさとどんどん前に進んでいった飯野さんに、人もお金も付いてきたのだ。思いがあれば、道はかならず開ける。

▼いかにも地平線流のやり方で実現した写真展+報告会にこうして参加することができて、感無量だった。


探検帽がやっぱり似合う・山口吉彦さん

▼1時をだいぶ回ってから、第243回の地平線報告会「出羽庄内ミレニアム集会」の「Part 1」が始まった。最初に登場した報告者は、この出羽庄内国際村に併設された「アマゾン民族館」の館長、山口吉彦さんである。1942年に鶴岡に生まれた山口さんは、子どものころに読んだ探検記で、アマゾンに強いあこがれをいだいたという。東京農大を出てフランスに留学し、ワインの醸造を学んでいたが、博物館でレヴィ=ストロースが集めたアマゾンの資料に出会って大きな衝撃を受け、文化人類学を志すようになる。その後、世界各地でフィールドワークにたずさわったあと、念願のアマゾン入りを果たし、日本人学校の教師などをしながら、南米で通算十数年暮らした経験を持つ。

▼ざっと経歴を話してくれたあと、スライドを上映しながら、山口さんはアマゾンの魅力について熱をこめて語りだした。信じられないほど巨大な、あるいは美しい色をもった蝶、魚、鳥、ワニ、ヘビ、獣たち……。どの写真からも、野生動物が放つ独特の迫力が伝わってくる。

▼いつしか話は先住民たちの暮らしぶりに移り、衣・食・住についての興味深い報告が続いた。今回の報告会のテーマである「“狩り”をめぐる地球体験」にふさわしく、狩猟に使う道具や仕留めた獲物の利用法などにも触れていく。

▼最後は、アマゾンの森林伐採がもたらす環境破壊に話が及んだ。インディオの生活が成り立たなくなり、地球環境全体に悪影響があるだけではなく、1本の木に100万の生命体を宿す未知の森がなくなることは、難病などに効く特効薬を発見する機会が失われることにもつながる。アマゾンには、自然と人間の共生の道が隠されているんですという山口さんの言葉が、ずしりと心に残っている。

▼話が一段落したところで、アマゾン民族館の収蔵庫からもってきてくれた剥製や槍、弓矢などをひとつひとつ取り上げて、使い方などを解説してもらった。民族の知恵が活かされた本物の道具を、山口さんはひとつひとついとおしげになでまわす。

▼アマゾン民族館は、山口さんがアマゾンに十数年滞在しているあいだに集めたさまざまな民具や美術品などを鶴岡市に寄贈して生まれたものである。報告会の翌日、山口さんの案内で収蔵庫や館長室まで見せていただいたが、個人でこれだけの貴重な民族資料を集めてこられたこと、そして一地方自治体がその展示・保管を引き受けていることに、大きな感銘を受けた。


イヌワシと共に登場の・松原英俊さん

▼続いて登場したのが、朝日村に住む現役の鷹匠、松原英俊さんだ。最初に『奥羽の鷹使い』という30分ほどのドキュメンタリー映像が上映された。鷹の調教法から松原さんの暮らしぶりまで丹念に撮られた作品で、見応えがある。とくに雪のなかで何度も獲物を襲うよう鷹を訓練していくシーンは、息詰まるような迫力に満ちていた。

▼その後再登場した松原さんは、なんと左腕にイヌワシのコンロンを乗せている。北海道で狩りをしてきたばかり。なにもかも見通してしまうような鋭い目に、会場が湧きかえる。しかし飼い主の松原さんの目だって、野性的なすごみを帯びている。49歳という年齢にはとても思えない、若々しさが全身に漂う。

▼松原さんは青森に生まれた。幼少のころから鳥や動物好きで、山登りにも親しんでいたという。慶應大学卒業後、自然のなかで生きたいという気持ちが高まり、老鷹匠に弟子入り。その後すぐに独立して、ほとんど独力で鷹匠の道を歩んできた。

▼じつは私たち夫婦は、パキスタンのチトラル王家専属の鷹匠と親しくしているのだが、鷹の訓練法をいくら尋ねても、信じがたい話ばかり。半信半疑で聞いていた。ところが松原さんの話には、そっくりなやり方をしている部分がかなりある。

▼ぎりぎりまでエサを与えずに飢餓状態に置き、野性をどこまでも砥ぎ澄まさせておかないと、鷹は狩りをしない。一歩間違えば、死んでしまう。そこを見極めるために、シーズン中、鷹匠は鷹と寝食を共にしなければならない。人間が、野生動物と一心同体化するわけだ。

▼松原さんと相棒の鷹が初めて獲物を仕留めるまで、なんと4年半の月日が流れた。雪の斜面を転げ落ちてやっと押さえた獲物を手にして、この日のために生きてきたんだ、自分以上の幸せな男は世界にいないと、うれしくて号泣したという。一瞬の生のきらめきをみつめる松原さんの言葉のひとつひとつに、静かに感動が広がっていく。

▼休憩時間、どっとみんなが松原さんとコンロンを囲む。こわごわ頭をなでてみた人もいた。


リレー形式で紹介した・世界各地の狩猟生活

▼「Part 1」の最後は、東京から押しかけた5組によるリレートーク。時間が押してしまい、予定の半分もしゃべってもらえず、申し訳ないことをした。

▼トップバッターは、夜行バスで朝到着し、晩にまた夜行バスで帰った賀曽利隆さん。日本三大秘境と言われた宮崎の米良に伝わる猪狩りの祭りの模様を見せてくれた。民俗文化研究家としての賀曽利教授の“講義”、東京でもぜひ聞きたい。

▼2番手は樫田秀樹君。サラワクの密林に生きる狩猟採集民をめぐり、じつに味わい深い話をしてくれた。狩りというのは、森の恵みをいただくことにほかならないこと。そして人間が頂点にいるのではないこと。この言葉が参加者全員の胸に深く刻まれたようだ。

▼3番手は石川直樹君。南太平洋で参加した海亀漁で食文化や男女の役割の意味を、さらに勇壮なカツオ漁の模様も解説してくれた。美しい写真に歓声が起こる。

▼4番目は丸山令子による、パキスタンの鷹狩りの話。昨秋ようやく録音できた、鷹を捕獲した喜びの歌をみなさんに聴いてもらった。私が話したのは、覆面をつけてにじり寄る、カラーシャ族の鳴きウサギ猟。

▼トリは江本嘉伸さん。極北に生きるイヌイットのハンターを皮切りに、自身の体験した各地の狩りを紹介。最後は、白装束で踊るモンゴルのタルバガン(鳴きウサギ)猟の実演となった。


スタッフの方々に、心から感謝

▼その後の「Part 2」では会場をつるおかユースホステルに移して、自身の旅を全員が順番に語り合い、恒例のオークションも実施した。夕食に出た名物寒鱈汁に大感動。庄内のみなさん、おかげさまで素晴らしい報告会になりました。ありがとう。(丸山純)


地元
鶴岡から
●地元鶴岡から来ました(生まれも鶴岡)。現在、温海温泉にある高校で、旅好きが好じて地理を教えています。あまり教科書の内容は進まず、専ら自分の体験ばかり話しています。仕事になれるのが精一杯で旅に行けず、ストレスが……。今日、色々な話が聞けて楽しく、アンド、大変刺激になりました。[丸谷浩之]

●一週間災いの日々……。これで最後にしてよ!!っていう感じの土曜日。新しい展開は自分自身の手でやっていけそう。という事でたくさんの貴重なお話、ありがとう。(飯野くん本当にご苦労様です) [田中恭子]

●恭子さんというお友達ができて、知らなかった世界に時々足をふみ入れています。私も自分の夢をもってこれからの半生を過ごして行きたいと思います。[本間賀代子]

●写真展よりも報告会を楽しみに来ました。賀曽利さんに初めてお会いして“得した!!”と思いましたが、松原さんとイヌワシに会って“こっちの方が得した!!”と思いました。一生かけてもこれから、こんなに近くイヌワシを見ることなんてないでしょう。ワシの超然とした姿に感動しました。[丹羽諭美]

●飯野さんはじめスタッフの皆さんご苦労さまでした。ハンティングは人間の生きるための基本だなと思わされました。生きるために命がけ、地平線のむこうにはそうして生きている。私たちはなにか忘れてしまっていると思わされた。[丹羽孝]

●久々に感動するお話を聞きました。この会にたずさわった皆様に感謝します。[阿部等]

●貴重なお話を伺うことができて、参加してよかったと思いました。スタッフのみなさんお疲れさまでした。[五十嵐ゆかり]

●みなさん精力的に活動しているので、ビックリしました。裏話等、2次会でお話しして欲しいと思います。[長谷川光樹]

山形の
県内から
●松本栄一さんに紹介していただき、昔の冒険の思いをなつかしく、今もすばらしい旅をされていたり、新鮮な感じで楽しませていただいております。[東根市/大江章]

●鷹匠のこと。迫力があった。モノ、カネを追うに急な今日、どういう意味を持つのか。民俗芸能とし、これを支持することの少なき。ないことを残念におもう。とにかく今日のつどい、74歳の私として、始めて知ることの多かったこと。収穫だった。関係のみなさんに厚くお礼申し上げます。南方はかつて転戦の地。暫くぶりに郷愁をおぼえる。いっそうのご健闘をいのります。[羽黒町/丸山光夫]

●実際に体験した皆さんの話はおもしろい。自分も昔外国を旅した事があるが、また行きたいと思った。[西川町/奥山悌二]

●山形新聞で見て寒河江より来ました。私も学生の頃多少旅をしたものですから、大変楽しく半日過ごしました。また、いつの日か山形でこのような会議があればと思います。[寒河江市/若月仁]

●以前からなんとなく存在は知っていて、関心を持っていた“地平線会議”が地元で開催されると知り、こんな機会はめったにない!と喜んで参加しました。一人ひとりの持ち時間が少なくて、あまり詳しく聞けないのが残念ですが、ほんのほんの少しでも、いろいろな経験を聞けて、とても楽しかったです。PartIIにも期待して……。[山形市/網谷由美子]

●『生の瞬間』を、ありがとうございました。[寒河江市/今井幸子]

●いろいろな面々、いろいろな体験が聞けて良かったです。「狩りは自由」――この言葉が印象に残りました。エモノをおって走る。これは人間の本能なのかもしれません。また「本当に強い人間は耐えることができる人間」――重い言葉だと思いました。以上です。[酒田市/鈴木栄史]

近くて遠い
雪国から
●やっと報告会に出席できました。79年11月以来、地平線通信をもらっていましたが、報告会には出席できずにいました。ひょんな機会から三輪先生と知り合って、今回やっと出席できました。今後も出席するようにしたいと思っています。今日はとても感動しました。アマゾンも鷹匠も!![青森県岩崎村/鹿内善三]

●山でみたイヌワシを生で見れてgoodでした。ただ今失業中なので、なにかとめいってますが、みなさんのパワーあふれる話を聞いて元気がいっぱい出てきます。自分のなくしてしまったと思い込んでいるものが、少し見えてきました。[秋田県能代市/宮崎栄一]

●南会津から鶴岡への風景をみながら、心地よく。この場に集まるエネルギーの熱さには、つねにPowerをいただきます、いただいてます。ありがとう。[福島県伊南村/丸山富美]

●那須からのんびり走って、日本海を見ながら旅気分でやってきました。庄内のみなさん、お疲れさまです。盛大な写真展でおどろきです。那須でもぜひやりたいと思います。 P.S. ポスターの写真に使ってもらってありがとうございました。[栃木県那須町/滝野沢優子]

はるばる
首都圏から
●久し振りに山形に来て、楽しい一時を過させていただいています。[千葉県市川市/松本栄一]

●山口さんや松原さんのお名前は以前より存じあげていましたが、今日初めてお目にかかれてうれしかったです。お話の内容も興味深く、実に感動しました。[埼玉県浦和市/難波賢一]

●一週間前に結婚式を挙げ、今日は新婚旅行で〜す! 一昨年の秋に「日本山村会議」というのに出ました。民映研の上映グループの全国ネットワークが主催で、山人の話を聞いたり、焼畑の見学をしたりという会で、今回の鶴岡の報告会はその延長というかんじです。できるだけ沢山の人の話を聞いて、見て帰ろうと思います。[埼玉県浦和市/難波(金田)裕子]

●楽しいお話が聞くことができて、来てよかったなと思っております。これからもできるだけ参加して、沢山の人の話を聞いてみたいと思っております。小学校の教師をしていて、ここでうかがったお話は、私の中で色々な意味で役に立っているような気がします。今日も本当にがんばってきてよかったです。[千葉県四街道市/大谷早苗]
●我が身ひとつでじかに世界を旅して、世界の人々と個性でわたりあってきた人たちの話は、実に味わい深く、考えさせられるものがあります。話が聞けてよかったです。[千葉県四街道市/松本敦子]

●東京から車で親子4人やって参りました。行きにチェーンが切れるというハプニングもありましたが、アマゾンの山口先生と鷹匠の松原さんのお話がきけてとてもよかった。アマゾン博物館では古代マヤ遺跡の展示等興味深く、また来たくなりました。“狩りに関する話”ももう少し時間があってそれぞれの方の話がききたかったのですが、またのおたのしみですね。本当にみなさんありがとうございました。[東京都杉並区/神谷恵子&岩石ファミリー(夏実・茉里・悠介)]

●山形は以前から縁のあった場所でした。出羽三山で山伏修行をしたり、飛島で生まれてはじめてタイを突いたり……。そして今回地平線で3度訪れることができました。山形、大好きです。このような機会を作って下さった飯野さんはじめ、準備にたずさわった皆様、お越しいただいた方々に本当に感謝しています。ありがとうございました。[東京都目黒区/石川直樹]

●やっと地平線写真展を見せて頂きました(いつも海外に出てましたので……)。実行委の皆さん、お世話さまでした。夜の交流会にも館長さん、鷹匠の松原さん、コンロンも、みなさんありがとうございました。生まれて初めてイヌワシと見つめ合って、そのすべすべした羽根をなでて、大感激。「鷲囲む国際村の淑気かな」「太郎月きりヽ鷲の目茶色の目」。[埼玉県浦和市/金井重]

●山口館長、コンロン、御主人ともどもの出席で、また、こちらの係の方々の御世話で楽しい時を過ごすことが出来ました。同じ旅をしている方のお話はほんとうに楽しいものです。[東京都町田市/田中進・田中正子]

●庄内のみなさん、お疲れさまです。盛会ですね! 来てよかったです。これからの第2部もとってもたのしみ! まだ2〜3日いたいなぁ。東京にも来て下さい![東京都練馬区/杉田晴美]

●「地平線会議が何ぞや」ともわからずに参加させて頂いたのですが、様々なお話に目からウロコが落ちまくりです。以下、前の杉田さん同文![東京都練馬区/竹村純二]

●きっと凍えるくらい寒いだろうと思っていたのですが、案外あったかくて……。鶴岡の皆様のあたたかさのおかげでしょうか。私は何回かこの辺りきたことがあります。朝日岳登山の時に朝日村も通ったのですが、そこに松原さんがおいでなのですね。鶴岡、酒田……の皆様はすばらしい活躍をされているのですね。いろいろ感動しています。飯野さんご苦労さまでした。[東京都板橋区/三輪主彦]

●来てすぐアマゾン館を見て、その多彩、豊かな陳列に驚きました。よくぞあれこれの生活用具類、装備品、etcをあつめたものだと、山口館長の情熱に脱帽。そして松原さんとイヌワシの崑崙に感動。不思議な体験をさせてもらいました。大きなワシと人がこれだけのつながりをもっていることを目の前にして。[東京都新宿区/江本嘉伸]

※時間がなくてノートが回りきらず、書いていただけなかった参加者がまだまだおおぜいいらっしゃいます。



石川直樹「Pole to Pole 2000」へ!!

◆新聞や週刊誌で紹介されたのでご存知と思うが、北極点をスタートに各国の若者がイヌぞり、徒歩、スキー、カヤック、自転車などを駆使して南下、自力で南極点をめざす「Pole to Pole 2000」という壮大な冒険計画が、4月スタートする。

◆カナダの極地冒険家、マーチン・ウィリアムズがミレニアムに若者たちに国際的な挑戦の機会を、と企画したもので、わが地平線会議の仲間、石川直樹が、“日本代表”のかたちで参加している。

◆七大陸最高峰登山のガイド支援などを仕事とするプロ組織「アドベンチャー・ネットワーク」の創設メンバーであるウィリアムズは、南極点、北極点のほかエヴェレストにも8400メートルまで登った経験をもつ冒険家。2000年を記念する行事として、少々おおがかりな野外教育を思いついた。スポンサーの問題で難航し、出発まで苦労の連続だったが、なんとか4月1日のスタートを目前にするところまで漕ぎつけた。2月26日、石川直樹のほか、カナダ、アメリカ、南ア、韓国など世界から8 人の青年男女がカナダの基地に集結した。

◆昨年の地平線報告会の報告者になっている石川は、高校2年の夏にインド、ネパールをひとり旅したのを手始めに、高校卒業後は、アラスカのユーコン川900キロを単独でカヌーで下ったり、ミクロネシアの島でふんどしひとつで暮らしたり、北米最高峰マッキンリー(6194メートル)に登頂したり、と現代の青年にしてはまあ型破りの冒険生活を送っている。

◆とりわけ、最近は南太平洋最後の航海師とされるマウ・ピアイルグに弟子入り、星座を指針とする伝統航海術の習得に打ちこんでいることは、ご存知の通りだ。

◆石川直樹とその仲間たちの冒険については、山上修、丸山純、友人の森雅浩らが中心となって「応援する会」のホームページを作っている(公開はもうすぐ。アドレスは地平線のホームページに掲載します)。

◆北極点を4月1日出発、南極点に20世紀のおおみそかに着く予定だが、目下カナダでトレーニングに励んでいる。

◆3月11日に入った、最新のメールを引用させてもらう。《石川です。3日間のスキーから帰ってきました。Boss mountainというところです。今回はちょこっとだけハードでした。わざわざ起伏のある樹林帯を通り、岩の上からスキーのまま飛んだり、急ながけを四苦八苦しながら登ったりしました。全て北極の乱氷を想定してのことです。ローリー(注:現地で指導役をつとめる極地のベテラン。植村直己を知っている)からも色々なことを学びました。マイナス40度でのトイレの作法、遠征におけるスポンサーシップとは、テントとそり選びの重要性などなど(以下略)》



今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介/文:白根全)
地平線通信裏表紙 3/28(火
6:30〜9:00 P.M.
アジア会館(03-3402-6111)
\500

本を旅する

神長幹雄さんは、山と旅の本をつくる編集者です。雑誌「山と溪谷」の前編集長でもありました。これまで多勢の旅人、登山家に共鳴して、彼等の声を私達に届けてくれました。

一方で自らも好奇心のおもむくままに世界中に足跡を記し続けています。喧騒と熱気に惹きつけられての東南アジア通い。ソ連側アルタイ、中国キレンなどの辺境。訪れた国々は50カ国にのぼりました。

旅の編集者と行動者、二足のワラジをはいてきた神長さんは最近三足目を手に入れました。本の著者というワラジです。その本「運命の雪稜」は、高峰に挑み、志なかばで逝った登山家へのレクイエム。

今月は神長さんをお招きし、3つの異なった視点から「旅」を語っていただきます。


通信費カンパ(2000円)などのお支払いは郵便振替または報告会の受付でお願いします
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)

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