北川文夫さんによるフロント原稿


■4月の地平線通信・281号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)より

2日間のタイムマシン。あの体験がたった2日間で行なわれたのが不思議なくらい濃密な時間を過ごしました。3月29日と30日に高知県中村市の四万十川河川敷で開催された地平線報告会に行ってきた。山形からやってきた飯野さんと岡山駅を29日の7時6分に出発し、戻ってきたのが30日の20時54分。合計40時間足らずに体験したことは、この時間の何倍にも感じられ、飯野さんの「きのうの朝ここをでたんですよねえ」という感想につながっていく。

●行きの列車からは中村に近付くにつれ満開のさくらや田植えの済んだ田んぼなど春の暖かな風景が見え、南国の日差しが我々を歓迎してくれる。四万十川河川敷の会場には沢山のテントや簡易ドームが設置され、このイベントに地元の多くの方たちがかかわっていることがわかる。もちろん、フェア実行委員長になり、また地平線会議報告会in四万十を準備してくれた山田高司さんの努力も忘れてはならない。

●思い起こすと、パソコン通信時代に『地平線データブック・DAS』の編集のために共通掲示板を使い、親しく「会話」をしていた中から、地方開催をしたいという声があがった。東京から遠い人たちが地方での開催を企画したのである。こうして1996年8月に神戸で初めての地方開催が実現した。以降、地方開催の良さを実感した江本さんはじめ世話人たちは、地方開催の機会を見つけては報告会を開催していくことになる。兵庫県日高町、山形県鶴岡市、福島県伊南村、そして今回が5回目である。

●地平線会議は、東京で暮らす人には毎月定期的に非日常を体験できるすばらしい場所を提供し続けてきている。これを知ってしまったら、その魔力からは抜け出すことが出来ない。それは人間本来の可能性を自覚させてくれるからである。これらの報告を聞くと、普段の生活でも通勤を交通手段に頼らずに、足で行こう、などと考える。発想が一段高みになるのである。地方に住むことになった私などは、定期的な報告会の代わりに地平線通信と掲示板そして地平線Webが重要な情報源となった。パソコン通信での掲示板は昨年の3月で廃止となったが、そのときのメンバーの何人かとは、その後も電子メールでのやり取りが続いている。今回の報告会でも、何人かとのメールのやり取りを通していくつかの事を進めることができた。その中には映像関係の仕事をして、四万十報告会をPHS回線を使って実況中継した落合さんもいる。これは地平線Webにも公開され何人かは実況を見てくれた人もいたそうだ。

●実は今回の中村までは私の住む岡山からJRで5時間弱かかる。東京へは3時間半程度だから、ずっと遠いのである。しかし、泊り込みでいつもは会えない人たちと、いろんなことを話し合い、四万十のゆったりとした流れを眺めるだけで十分心は満たされた。地域的な集まりやすさもある。熊本の川本さんは自家用車とフェリーで参加した。川本さんとは、10年以上も前に掲示板上で知り合い、今でもメールのやり取りを続けている仲であるが、ずっと会うことが出来なかった。それが四万十で初めてお目にかかることができた。こんな出会い方もあるものだと不思議でしょうがない。

●普段の報告会も魅力的ながら、記念報告会や地方開催などは世話役のメンバーも事前の準備や情報交換で気分が盛り上がっていく。そういう意味では地方開催は、地方で報告会を望んでいる人のためだけではなく、地平線会議の活動にもアクセントを与えてくれるものだと思う。これらの報告会は休日に開催されることが多いので、近隣地域ではなくとも参加できる。私にとって今回の四万十報告会への参加は単なるJRでの旅行に過ぎないが、本当に貴重な体験であった。それは冒頭にも書いたとおり、時間に対する感覚が麻痺してしまったことによる。これは単に日常から逃避したということだけでは説明しきれない感情である。その原因が地平線会議のメンバーや内容のすごさにあるのか、個人的な日程の状況にあるのかはわからない。しかし、こういった感覚を刺激してくれるから、ますます地平線会議の魔力からは逃れられそうもない。[北川文夫・岡山住人]


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