山田高司実行委員長からのメッセージ


■2月の地平線通信・279号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)より


●ナイル川の南の最源流点は、ブルンジにある。ユーカリ林の目立つ丘陵状の山並みを見下ろす尾根に、場違いの石積みの小さなピラミッドが作られ、その下部に穴があり、水が湧き出していた。と遠い記憶の中にその風景がある。

●「I'll come back to here for Nile」と紙に書いて、フィルムケースに入れてその穴の石の隙間に置いた。1987年の12月のことだった。もう随分前の話になってしまった。

●'85年に「青い地球一周河川行」の第一弾「アフリカ河川行」をセネガル川河口から始めて、ニジェール川、シャリ川、コンゴ川とカヌーで航行して来て、タンガニーカ湖ブルンジ対岸までたどり着いた。その後のナイル川は、当時ウガンダ、スーダンが内戦中で一旦中断した。それは長い長い中断になった。アフリカでは、パワフルな自然とエネルギッシュな人々に圧倒され力をもらった。と同時に「飢えるアフリカ」と呼ばれる飢餓地帯、森林破壊、砂漠化の進行する現状も見た。

●話は飛ぶが、かつて高校野球児だった頃、練習、試合の前後には必ずグランド整備をした。地球を庭のように遊ばしてもらうにも、庭掃除くらいしておかんといかんやろ、と考えた。ややこしい事は考えたくもやりたくもない。森が減っている。木を植えることは単純。サヘル植林一直線の高橋一馬大先輩と出会い、'91年から5年間チャドで土地の人達と木を植え続けた。住んでみたアフリカは川からは見えなかった奥の深さの光も闇も見せてくれた。

●よし、次はナイル。源流で木を植えながらいずれカヌーを進めようと思いたったのが1986年。アフリカに最初に旅出た時は、計画が終わらないまで日本に帰らないつもりでいた。しかし何をやるにもベースがいるようだと鈍い頭も気がついた。いい森と川と海と暮らしが繋がっている所にしよう、と日本全国見てまわったら四万十川になってしまった。故郷に近かった。

●ナイル源流通いを続けながら四万十川で山仕事がベースになった。2001年からは(社)四万十楽舎と言う体験宿泊施設の副楽長になってしまった。過疎高齢少子化の日本の田舎では、40代はまだ若手、いろいろな役職がまわってくる。目が回りそうだ。のんびり田舎暮らしなんてもんじゃない。男の子まで作ってしまった。名前は川と森の力と癒しに恵まれるように龍樹とつけた。

●ナイル源流で中断して以降、迷走混迷の中と移るかも知れない、自分でもそう思うときも多い五里霧中だ。ここ四万十川で日々、森と川と海に遊び、接し、案内しながら想いはいつも宇宙から見た地球にはせている。

●つねづね暮らすように旅したい、旅するように暮らしたいと願っている。その時その場で出会う人と自然に情は移る。森羅万象に多情多恨だ。痛む自然があれば何とかしたい、傷ついた人がいれば助けたい、とできないのに思ってしまう。尊敬するジャーナリスト恵谷治さんと同席した時、「取材対象に情は移さない」と言われた。その意を誤解しているのかもしれないが、プロだと思った。そして自分には無理だとも思った。

●そんなこんなで、四万十・黒潮エコライフフェア(3/29、30)の実行委員長に祭り上げられてしまいました。高知の特性か人間とはそうしたものか、エコでなくてエゴではないかと思うくらいやる気のある人々の中にも激しい綱引きがあります。そんな中での調整役のような役回りで、昨年末はつかれはててダウンして地平線の江本さんにはすっかり迷惑をかけました。四万十川でおもしろ楽しい暮らしをしている人たちの集うフェアになればと思っていますが、何しろ寄せ鍋状態であけてみなければ分からない状態です。「地平線会議in四万十」としてこのフェアの目玉にと考えております。パネリストは賀曽利隆さん、石川直樹さん、ほか、です。

●私自身、一番興味があるのは、命と生きること、環境はその一部としてあるだけです。ですから環境を前面に出して片意地はって活動している人より、地球の隅々まで体験し、その楽しさ美しさを元気に伝えていただきたい、とお二人にお願いしました。地球の風を四万十川に吹かせて下さい。[四万十・黒潮エコライフフェア実行委員長 山田高司]


to Home
to Home
to Shimanto Top