■吉川 謙二 【YOSHIKAWA Kenji】
1963年、東京生まれ。極地環境研究者。北海道大学卒。92年9月の第155回「地平線報告会」では、南極点探検の本番に備えて92年5月、グリーンランドで合宿訓練の成果を報告。南極と似た条件の内陸氷床を徒歩横断しながら、衣食住から通信、環境調査の方法などのテストや歩行訓練を中心に実施。軽量かつ高カロリーで三大栄養素を満たした究極の食糧“吉川ビスケット”の考案者である。第171回報告会(94年1月)では、氷原をひたすら歩き続けること67日間、93年1月17日午後、松原尚之まさゆき、佐野哲也ら南極点探検隊の隊長として極点に到着。21世紀のパイオニアワークを予感させる本格的エクスペディションは、個人の牽引重量150キロ、学術調査もこなして、歩くのを楽しんだ氷原の旅、と語った。94年6月、8人からなる科学調査隊の隊長として、北極海の海底永久凍土調査、地球の温暖化やモンゴロイドの拡散状況を探るため、探検小型ヨットHOKI
MAI号(ホキマイ=ニュージーランド・マオリ族の言葉で“帰還”の意)で苫小牧港を出港。主な調査は秋までに終え、更にヨットで越冬調査を行った。火星探査行を夢見る科学者。
- 004 アメリカ アラスカ最北端バロー岬[1995年2月]
暗く寒い極夜は、辛く退屈な印象があるが、実際は自由で楽しい。しかし、船内気温が0℃を上下するのでコンピューターやライフルの凍結には充分注意が必要である。
- 005 アメリカ アラスカ最北端バロー岬[1995年3月]
1994〜5年は、1995〜6年に比べてオーロラが美しかった気がする。オーロラが強いときは赤い光も見え、人影もできるような気がする。
- 006 アメリカ アラスカ最北端バロー岬[1995年1月]
今も昔も極地といえばオーロラ、オーロラの下で長い冬を楽しむ。北極海越冬中。
- 007 アメリカ アラスカ最北端バロー岬[1994年12月21日]
北緯71°21′のバローでも冬は完全な暗黒ではなく、2〜3時間ほど明るくなる。外仕事のチャンスでもある。北極海の冬至の正午、エルソンラグーンで。
- 008 アメリカ アラスカ最北端バロー岬[1994年12月]
極夜ではオーロラが一番印象的と思われるが、実は月の満ち欠けが興味深い。特に満月は印象的である。
- 194 南極 エルスワース山脈(81°S,90°W)[1992年12月]
南極徒歩調査旅行。南極の大気と雪の化学成分のプロファイルを作るためのサンプリング旅行は、毎日単調だが、歩いていればいいだけの楽しいひととき。
- 195 南極[1992年11月]
南極での一番のつらさは、いつも大陸中心部から吹く風(カタバ風)に向かって歩かなくてはならないこと。極地で活動するには風を制することが重要である。