■戸高 雅史 【TODAKA
Masafumi】
1961年、大分県生まれ。登山家・FOS主宰。福岡教育大学探検部OB。96年4月の第198回「地平線報告会」報告者。大学院数学教育修了と同時に登山ひとすじの人生に転じる。87年マッキンリーに単独で登って以来、「ひとり」をキーワードに、あくまでもシンプルさにこだわり高所登山に挑む。ヒマラヤ8000m峰を無酸素で登頂。現在は登山を中心とした野外学校FOS(Feel
Our
Soul)を主宰し、子供たちに自然と向き合う姿勢を説く。96年7月29日、K2峰(8611m)無酸素登頂。97年7月エベレスト峰(8848m)遠征に出発。
- 031 ネパール[1995年10月31日]
カンチェンジュンガ峰(8586m)2度目のアタック(単独)を8400mで断念し、カトマンズへ急いだ。途中、ヤク飼いのチベット人夫婦のカルカ(石積みの家)で温かいお茶をごちそうになった。
- 032 ネパール[1995年10月]
カンチェンジュンガ峰(8586m)南西面キャンプ3(7800m)付近。アタックにそなえ、最終キャンプに向かう。雲は遥か下方。
- 050 ネパール[1995年10月]
カンチェンジュンガ峰(8586m)南西面キャンプ1(6000m)から夕陽に輝くタルンピークを見る。刻一刻と変わる光の芸術、山の美。
- 051 パキスタン[1995年6月]
ブロードピーク峰(8051m)縦走遠征への行きのキャラバン。カラコルム・バルトロ氷河のキャンプ地ウルドカスで、ポーター達とくつろぐ。帰りもこうして休めるのだろうか…。
- 052 パキスタン[1993年7月31日]
ガッシャブルムII峰(8035m)山頂。登頂だ!……だが、今回は何かが足りないような気がした。山はいつも変わらない。それは僕の問題なのか。
- 053 ネパール[1995年9月]
カンチェンジュンガ峰(8586m)南西面6500m付近で。7200mのキャンプ2へ向けてハンギンググレイシャーを登る。高度が上ると激しい登攀はしんどい。
- 054 パキスタン[1996年7月29日]
K2峰(8611m)頂上アタック…最後の登り。一つのピークを越えた。だが、目の前にはまだピークがあった。雪の上に跪き、しばらく息を整える。再び僕は見上げた。真白き雪稜が藍の空へ突き上がってゆく。
- 055 パキスタン[1996年7月30日]
K2峰(8611m)登頂を終えた翌日、ベースキャンプ(5200m)へ戻ってきた。K2は大きなエネルギーに溢れていた。僕はその愛に包まれていた。ただそれだけで充分だった。 妻・優美撮影
- 056 パキスタン[1996年6月6日]
K2峰(8611m)へのキャラバン最終日、コンコルディアから一路北へ向かう。バルトロ氷河4800m付近、クレバスが口を開ける。背後に鋭くミートルピークが天を突く。
- 057 パキスタン[1996年6月6日]
K2峰(8611m)へのキャラバン最終日、バルトロ氷河5000m付近。いよいよK2と対面する。ポーターたちとも今日で別れ、ひとりの登攀が始まる。
- 058 パキスタン[1996年7月9日]
K2峰(8611m)への最初のアタックで7400mに泊まる。ハンギンググレイシャーのもとに一人用テントを張る。昨年縦走したブロードピーク峰がよく見える。
- 059 パキスタン[1996年]
7月29日午後4時20分。雪に覆われたK2峰(8611m)の最高点に到着した。空は雲ひとつなく、やわらかな空気に満ちていた。ただひとりで居ること。それはすべてと一つである。