■クマが、山村どころか都市の市街地にまで出てきている、というニュースが珍しくなくなった今日このごろ。東京周辺でも、一昨年の5月か、高尾から峠をひとつ越えた神奈川県の国道20号沿いで、クマがラーメン店のドアに体当たりしてきたというニュースを聞いた。同じ年の秋には、青梅市の住宅地に程近い多摩川河川敷の公園付近に、クマが何回も出没したとも。わあ、クマさんたち、いったいどうしちゃったの?……と、相手に理由を求めるのでは、考えが足りなさすぎ。「出てくるように仕向けているのは、我々なんです」というのが、今回の田口さん報告会の主旨だ。
◆「人間の集住空間からクマの出没をなくすことが最優先課題なのに、対処療法しかやっていない。クマが出てきたら、ただ殺すだけ。それだけでは相手に何も伝わらないんです。彼らが街に出てきても叱らない。出てきてはいけないというリアクションをまったくしていない。イノシシに対してもそうです。街を走ってきたら、人はただ避ける。車は止まってくれる。それでは、野生動物たちから見れば、歓迎されているようにしか見えないんです」。報告者からのいきなりのパンチに、面食らった参加者も少なくないだろう。だったら、どうすればいいのでしょう? 「僕は、犬を使うべきだと」。その具体的なやり方を聞けるのは、報告会の終盤になってからだ。
◆狩猟文化のスペシャリスト、田口洋美さんは異色の経歴を持つ学者だ。日本映画学校を卒業後、姫田忠義氏の民族文化映像研究所のスタッフとなり、記録映画の撮影を通じて新潟県の三面集落で山とともに生きる人々と交わる。そしてマタギと呼ばれる伝統的狩猟者たちと山を歩き、各地の狩猟者たちと交流を重ねるなかで、「近代と土俗」をテーマに研究を続けていく。大学で学術的な基盤を固めたのはそれからで、40代後半で大学院博士課程を修了すると同時に東北芸術工科大学の教授となった。すごい、学びたいものを見つけてから突き進んでいくなんて! 同世代の私は、ただ周りと同調して進学・就職した自分が恥ずかしくなる。
◆この日の参加者には、20代の田口さんが足場とした民映研、観文研(宮本常一氏が所長を務めた日本観光文化研究所)出身者たちの姿が多数。会場を見渡した田口さんは「今日は大先輩が多すぎるんで、緊張します」と照れるのだった。
◆クマが人里や市街地に出没しているという問題の根底にあるのは、戦後、都市が膨れ上がって森と接するまでになったことだと、田口さんは指摘する。前半は、東北地方におけるその過程を、空中写真で追いかけていった。盛岡市、仙台市、八戸市。宅地がどんどん外へ向かって拡がっていき、間にあった耕地が消えていく姿がスクリーンに映し出された。それらの景観は、農地が宅地に地目変更されるのを役所が認めた結果。つまり、元々はあったはずの都市計画が無視されたということだ。
◆こうなると都市は森のつづきだから、クマたちも「出るべくして出た、というだけ」なのも、うなずける。東北では仙台市以外、都市の膨張は2010年ごろに止まり、すでに縮小が始まっているというが、森林と宅地に二極化した姿はそのまま残る。その一方で、山村も姿を変えていく。小さな田畑が機械化農業に対応できるようにと耕地整理事業で大きな耕作地に変えられたのに、工事が終わると活用されることなく打ち捨てられ、そこが野生動物の棲み処となっている、というマタギの里。都市計画も山村の耕地整理も、莫大なお金を使って行われた公的事業の結果がこれなのだ。
◆続いて北上山地で試験的に行なわれているという林野庁の育成林施業(多層林施業)の様子が紹介された。川沿いの湿性の場所にスギを、尾根筋に近い乾燥帯にはカラマツを植え、尾根には落葉広葉樹を残すというもの。野生動物を奥山へ戻すためにそうしたとのことだが、秋に撮られた写真では、ふもとの集落周辺が紅葉していて、山の斜面が濃い緑という、不思議な景観になっている。かつては炭焼きで頻繁に使われていた集落近くの山林が放置され、落葉広葉樹の鬱蒼とした森(再生林)に変化したからだ。奥山のほうが人の手が加わるようになり、使われなくなった里山が奥山化しているという逆転現象は、野生動物を里へ寄せる結果につながる。里へ下りたほうが食べ物があるからだ。「そういう人間の自然管理が、クマを動かしてしまっているんです」。
◆しかし、都市に人口が集中したのも山村が衰退したのも、時代の流れによるもので、仕方ないんじゃないの?……とは、都市でしか生活したことのない者の呑気な諦念かもしれない。「この国の自然をどういうふうにしたいのか。どういう環境を持続させるのか。そういう議論がまったく行われていない」のが日本の状態だと、田口さんは言う。設計図がない。ビジョンがない。そもそも、意識が薄い。「自分たちの自然なのに、山のことは林野庁、自然保護は環境省がやっているからいいと」。口調は穏やかだが、田口さんのいらだちと憤りが伝わってくるのだ。
◆東京だって、今は西のほうにしかクマは出ていないけれど、多摩川を伝って、もっと下りてくるかもしれない。クマはまだ都心にはいないけれど、サルやタヌキやキツネ類はすでに街中を走っている。野ネズミもたくさんいる。もしも彼らによって感染症が入ってきたら、あっというまに東京じゅうに広まる可能性も。なのに、ちまたで話題にも上らず、その対策など何も構築されていないのが現状だ。
◆クマたち(シカもカモシカもイノシシも)は、最初から山奥だけにいたのではない。元々は平野部にもいた大型動物を、山の奥へ奥へと押し上げていったのは、古代から近世を通して行われた農耕化への人間の努力だ。集落の周りに田畑を作り、さらにその周囲の里山を二次林として管理しながら、薪を取り、炭を焼き、堆肥を作り、屋根を葺く茅を栽培したりした。狩猟も行い、伐採も行い、人間が自然に対して圧力をかけていくことで、自分たちの生活空間から野生動物を追い出していった。
◆そんな外側に緩衝帯を持つ山村の生活空間のあり方を、田口さんは「バリア・リーフ構造」と呼ぶ(都市と近郊農村、山際の山村との関係も似たような形だという)。ところがこの農耕化のプロセスが近代に入って市場化プロセスへと変わり、人々が農耕や林業から離れていくことで、バリアが機能しなくなり、野生動物とのパワーバランスが崩れていく。そして戦後、日本から第一次産業従事者がどんどん減っていき、そのあげく、二次・三次産業に就業する人が大半を占めるようになった現在、「自然への人間の圧力が完全に崩壊した」というわけだ。
◆日本のどこも、生産型の生活から消費型の生活になり、山村の人が町に住み替えていく。当然、山は使われなくなり、中山間部から人々の力は消える一方。「サッカーと同じ。空いているスペースを使って、動物たちが攻めていくんです」とは、恐ろしい喩えだ。相手チームが向かう先は集住地帯、都市なのだから。
◆この10年、全国でツキノワグマとヒグマを合わせて年間1500頭から3000頭が捕獲されているという。その95%が有害駆除によるものだそうだ。人の近くに出てきたから、あるいは人を襲ったからといった被害届が出て、「困りものを片付ける」ということらしい。ところが、伝統的狩猟者たちマタギの集落では有害駆除というのはあまり出ないという。
◆狩猟者でもある田口さんが所属する山形県小国町の五味沢班では、春の予察駆除でだいたい7頭を捕獲する。その7頭を捕るために、20頭は逃がしてしまうとのこと。この逃げたクマたちが人間の怖さを知っているので、のちに里に出て「有害獣」となる確率を下げているのではないかと考えられるそうだ。
◆有害獣の被害が出るのは、おもに春と秋。2016年春に秋田県鹿角市で起こった連続人身事故は、食害があった(クマにより人が食べられた)ということで、社会に大きな衝撃を与えた。じつのところクマによる食害は以前にも時々起こっていたが、遺族の感情や社会の感情への影響を考慮して公表されないことが多かったそうだ。
◆春に人身事故が起こる原因として、クマの交尾期と人間のネマガリダケ採取時期との重なりが指摘されている。クマの発情期は6月から7月にかけてだが、最近は少し前倒しになってきて、5月半ばから交尾が始まっている。発情期のオスグマは狙ったメスグマが連れている子どもを食べ、子どもを食べられたメスはしばらくすると発情し、オスを受け入れる、という生殖メカニズムが働くそうだ。
◆オスがそんな興奮状態にあるときに、近くの、しかもクマも大好きなネマガリダケのそばに人間がいる、という状態が人身事故の被害を招いてしまうらしい。これをどうやって回避するか。美味しいネマガリを人が諦めるのか。「僕は犬を放せと。そうでもしないと、クマはそこから離れません。犬はそんなクマにかかっていくけど、殺すまではしません、からかって遊ぶんです」。秋の人身事故もキノコや魚など食物との関連で起こることが多いそうだが、殺されることはほとんどないという。そこには種の保存にかかわるまでの切実さがないからだろうか。
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■報告会の後半は、近代狩猟史の流れをたどった。それまでは山村で暮らす伝統的狩猟者たちしかいなかった日本に、ニッカーボッカー姿と鳥打帽に象徴される「にわか猟師」が登場するようになったのは大正期のころ。サハリンに続き朝鮮半島を併合した日本へ、欧米の商人が毛皮を求めてやってきた時代だ。日本ではそれまで動物の毛皮は筆以外に使われていなかったが、外国からの需要があるからと、金儲けを目的に狩猟を始める人々が増えたのだそうだ。
◆さらには軍隊で飛行機が使われるようになり、防寒のための毛皮の需要も高まった。当時は「とんでもないバブル」だったそうだ。マタギたちの生活も潤うようになり、一冬で稼いだ金で家が建つほどだったとか。その裏で、限度を知らないにわか猟師たちの乱獲に遭ったニホンカワウソに絶滅の悲劇が訪れる。「ハンターはお金のために野生動物を殺す悪い人たち」といったイメージを持たれることもあるが、それはこうしたにわか猟師たちによるもの。「地域の農作物の保全と地域の生活空間の保守のために猟をしていた人たち(マタギ)とは違うんです」と、田口さんは念を押す。
◆「マタギというのは、農民であり、その地域に根差した暮らしをしてきた人たち。だから、その地域の自然の面倒を見ることができたわけです」。野生動物が増え、都市での対策が必要な今こそ、そんな彼らの経験値を活かす道を選んだほうが早道になるはず、というのが田口さんの野生動物管理への提言だ。なのに、そうはなっていない。「今はもう、地域の伝承者も高齢化して、いなくなっていきつつある。ギリギリなんです、この5、6年でやらないと」。
◆長野県の秋山郷の小赤沢という集落の写真が映し出された。戦後の食糧難対策で山という山を焼畑にしたときのもの。それが今や鬱蒼とした森になって、「村が森にのみ込まれそうなぐらいになっている。これが僕の言う『攻めてくる森』です。そして、攻めてくる森は、もれなく動物を連れてくるんです」。それは長い年月をかけて人々が山を使ってきた(食料を作り、自然の中に自分たちの空間を整えてきた)歴史が消えることだ。
◆「僕は野生動物の問題に関しては楽観視していません。やばいことになる。人間は負けます」。そんな言葉を聞いて、私はふと、環境学者の宇井純さん(故人)のことを思い出してしまった。沖縄の海の汚染問題を語るとき、宇井さんも「もう、希望はない」というようなことを嘆いていたからだ。闘う学者の宇井さんが。
◆でも、田口さんは最後に希望を語ってくれた。「僕の希望は今、犬なんです」。お、やっと、その話をしてくれるんだと、身を乗り出してしまう。その構想とは、犬の放し飼い特区といったものを作ること。飼い主から捨てられたような犬たちを再調教して、群れ社会を作ってもらう。人を咬んでしまうなど、いろいろ問題は起こるだろうけれど、アメリカなどで使っている道具(吠えることはできるマウスピース?)を活用する。そうやって、地域に犬の圧力を戻していくのだ。かつて、あちこちで犬が吠えて家や集落を守ってくれていたように。そこには地平線会議に来ているようなアウトドアに親しんだ人たちにも参加してもらいたい、とのことだ。群れを作った犬が元気よく駆け回る山里! ぜひ見てみたいものだ。……ただ、追いかけられると怖そうだけれど(笑)。(熊沢正子 2005年の第16回マタギサミット以来、田口さんのおっかけをしている旅ライター)
先日の報告会で、時間切れとなってしまい、ここに若干のまとめを記しておきたい。
報告会では日本国内の野生動物問題、とりわけツキノワグマの話に終始してしまったが、現在、より深刻な状況を作り出しているのはイノシシである。イノシシは近世中期までは東北、北陸地方などの多雪地帯にも生息していたが、近代には福島県から北関東、山梨、長野県南部、愛知、滋賀、京都辺りまで後退していた。しかし、20年ほど前から一転して生息域を拡大しはじめ、再び北上して2017年には秋田県、岩手県を超えて青森県にまで進出した。イノシシは東北地方に帰ってきた。これからは、どのくらいの時間で繁殖、定着が進むのか、という問題と向き合うことになる。
地域は高齢化し、都市部においても少子化が進行し、日本全体の人口数も減少してゆくことが分かっている。日本は、有史以来右肩上がりで人口数が増加し、2008年に1億2808万人をピークに減少しはじめている。人間の存在の圧力がピーク期から減退期へと移行すると同時に野生動物は動き出しているということになる。
都市で日常を過ごしている人たちには、この動向に今ひとつリアリティーを感じることが出来ないのも無理はない。都市の日常の風景には、なかなか大型野生動物の姿は登場しないし、いくらニュースで取り上げられても、自分たちにとっては遠い場所での出来事に思えるだろう。でもそれは着実に進行している。
今年は寒波で東京でも積雪があり話題となっているが、北海道や東北の山間地では少なからず弱って死んでゆくシカやイノシシが出ているだろう。しかし、決定的にシカやイノシシの個体数を激減させるものになるかどうかは分からない。この後、強烈な寒波が来れば激減する可能性もゼロではない。研究者の中にはこの数十年の間にリトル・アイスエイジ(小氷期)がやって来る、あるいはすでにはじまっていると警鈴を慣らす人々もいる。地球温暖化は寒冷化に向かう予兆であると説く人もあるくらいである。
私は今回の報告で、人々は自然環境の変動にルーズになっているのではないか? また、野生動物と日常接する機会もなく、どう向き合えば良いかを問われる経験もないため、この危機は意外に無視されてしまっているのではないかと暗い気持ちになると話した。地域で、この現状(少子高齢化、自然環境変動、野生動物の生息域拡大)の問題に果敢に挑戦している若者たちが、若干ではあるが確かに存在する。しかし、国がいかにこれを叫んでも、なかなか上手くいっていない。新たに狩猟免許を取得し、野生動物の個体数調整に参加してくれる人たちは増えてこない。否、増えるよりも引退してゆく狩猟者の方が遙かに多いのである。
また、地方の中山間地域で、若者たちが自立的に生活し、積極的に野生動物問題と向き合えるような経済環境は整備されていない。若い新人の狩猟者が一人で山と森の世界に入り、大型野生動物と対峙出来るようになるには、技術的に長い時間を要する。生活のために働き、余剰の時間で野生動物と向き合うとしても土日の時間をやりくりしてやっと山に入れるという状態なので、豊かな経験の上に判断し行動するという訓練もままならない。
若い狩猟者たちが経験を蓄積し、その経験の上に判断し行動できるようになるには、あまりにも実戦経験の蓄積に時間がかかりすぎる。少なくとも10年、15年という時間が必要になる。しかも良い先輩に恵まれ、身体的にも、能力的にも抜群な狩猟者となれば、相当の環境が必要になるだろう。
その間、どうやって都市や集住空間に暮らす人々の安心で安全な日常を守れるか? そこで犬を味方に付けた都市防衛システムの構築を訴えてきた。犬の導入は、モンキードックやベアドックなどの名で知られてはいるが、私が導入したいのは恒常的に地域で飼育された10〜20頭の群れを放すことである。犬たちの群れには縄張り意識が生まれ、かつて地域で放し飼いが行われていた当時のように群れの力で野生動物を追ってくれるはずである。その犬の力を、もう一度借りようというものである。しかし、保健衛生上の問題、自治体の条例に基づく放し飼いの禁止という壁を越えてゆくためには、まず「放し飼い特区」のような地域限定の実験的試みを進めてゆく必要がある。
どのように飼育し、どのように放し、またどのように回収するか。人にかからない犬の調教法や手法。これを早急に抑える必要がある。そこには狩猟者も関わってゆく人犬相互の力に基づいたシステム作りが求められるのは当然である。これは地域を挙げて取り組まなければならない大きな事業といっていい。こうした工夫を早急にしなければ手遅れになる。既に追い込まれた日常の風景が目の前にあるのだから。(田口洋美)
■1月に届いた地平線通信の「野良犬が人類を救う!?」というタイトルとオヤジ犬のイラストに惹かれて、2年以上ぶりに報告会に参加した。(そんなに長い間、顔を出していなかった気がしないけれど…。そうか、昨年3月、江本さんの出版記念パティに出席したんだっけ)。イラストを描いた長野亮之介さんが、「優子ちゃんが来るかも?」と思ったそうで、それにまんまと反応してしまった。たしかに、「犬」で惹き付けられたのは事実だが、「熊」の話にも興味をそそられた。
◆というのは、2016年秋、福島県天栄村の我が家のすぐそばにも熊が出没したからだ。直線距離でたったの50m。私も歩いてよく通る、神社のある森の中。数日前から近所で熊の目撃情報が寄せられていたそうで、神社の軒下で、衰弱して動けなくなっていたところを捕獲、射殺された。私は福島を不在にしていたけれど、たまたま自宅に居た夫が銃声を聞いた。殺さずに麻酔で眠らせて山に戻せばよかったんじゃないのか、と思った。それほど大きくなかったというから親離れしたばかりだったのかもしれない。山から人里へ下りて迷ってしまい、戻れなくなったのだろうか。
◆我が天栄村は分水嶺の奥羽山脈を挟んで太平洋側の中通りと日本海側の会津地方にまたがっている。会津ならば熊も珍しくないけれど、私を含め村人の多くが住んでいるのは太平洋側で、我が家のある住宅団地は市街地から5kmほど、奥羽山脈からは10kmは離れている。一面の平野に田んぼが広がる田園地帯で山に囲まれているわけではない。20年以上、ここに住んでいる人も、「こんな近くに熊が出たのは初めて」と言っていた。
◆田口さんの話では、昔と違って、山間部では高齢化・過疎化で里山が放置され、森が伸張してきているのだという。一方、都市部では新興住宅地が森に食い込むように造られていて、どちらも熊の棲む奥山と人里の間にあった緩衝地帯がなくなり熊と人の生活圏がつながってきていることが、熊の出没が増えている原因だとのこと。
◆福島の場合は放射性物質飛散の影響で山菜やキノコ採りで山に入る人が減ったために、熊が人里に出てくるようになったと言われている。浜通りにある原発被災地では、人間が住まなくなった町を野生動物が闊歩している。他地域とはちょっと事情が違うかもしれないが、やはり緩衝地帯がなくなったのが理由だ。
◆私が気になっていた「野良犬が人類を救う!?」の話は、最後のほうでようやく言及された。どういうことかというと、熊は犬が大の苦手なので、犬が群れで吠え掛かれば退散し、人里に近づかなくなるそうだ。つまり、人間が犬の放し飼いをやめて鎖で繋いだり、室内で飼うようになったことも、熊が人間の生活エリアに出没しやすくなった理由のひとつだとのこと。
◆たしかに、最近は山里でも放し飼いの犬はほとんど見かけない。田口さんは狩猟人口が減っていく現在、次世代の狩猟者の育成だけでなく、犬を訓練し、地域や時間を限った特区を作ることを提案している。犬は狩猟犬ではなく、雑種犬でもいいのだという。すでに、猿を追う「モンキードッグ」は導入されて成果を挙げているので、熊ドッグ(?)だって大いに活躍してくれそうだ。そうなれば、保健所で殺処分になってしまう犬たちに生きるチャンスを作ることにもつながる。なんて素晴らしいアイデア! 1日でも早く実現してほしい。
◆そのほか、著書には河川敷の草地にドッグランを造り、時間を区切って犬を放すのも、熊の侵入を防ぐのに有効(熊は泳げるので)とあった。犬にとっても狭い家の中や、常に鎖でつながれているよりも自由に走れる時間ができるのはうれしいだろうし、もともと犬は働くのが好きで人間のことも好きな動物なのだから、ペットとして癒しをくれる以外にも、なにかできるはず。とってもいい試みだと思う。
◆また、動物保護活動にちょっとだけ関わっている私としては、狩猟犬の扱われ方も気になっている。年老いて狩猟に使えなくなったり、狩猟時期以外の飼育が面倒などの理由で、足を銃で撃たれ山に捨てられるとか、樹の幹につながれて冬山に置き去りにされ餓死・凍死するなどの話もあり、犬を道具としてしか考えてないハンターはいかがなものか。あまり時間がなく、これ以上の犬の話が聞けなかったのが残念。追記:活動停止中の「地平線犬倶楽部」、何とかしようと思案中。(地平線犬倶楽部代表代行 滝野沢優子 東日本大震災以前のブログは残してあるので、興味のある方は「地平線犬倶楽部」で検索してください)
■[余談]田口洋美氏は、「日本観光文化研究所」で、当時一緒に活動していた賀曽利隆氏に「字が汚いし文章がなってない」と怒られていたとか。「カソリタカシよ、お前が言うかー!」。原稿が手書きだった時代、某オフロードバイク雑誌で賀曽利氏の編集担当になり、毎回、解読に苦労していたのは私。あの頃、「字が汚くて読めない!」と言ってやればよかった。
■今回のお話を聞いて特に心に残ったことは、クマが住宅地に下りてきてしまうのは、人間がクマを追い払おうという意志を持っていないからだという事です。近年は動物愛護という考えがあり、この言葉に人間は洗脳されているという。「その行動原理はどこからくるのか?」と田口さんに質問したところ「それは動物に可愛いという考えを持ってしまっているから」と回答をいただきました。
◆ぼくは動物愛護という考えはそもそも持ち合わせてはいません。なぜなら山にいる野生動物は豚や牛といった家畜と同じで食べ物だと思っていたからです(実際美味しいし……)。今までクマが住宅地に下りてくるのは、地球温暖化の影響で山の食料が無くなったり、森林の伐採によって環境が荒らされたりしたからだと思っていました。でも実際は土地の二極化によって、人間がクマの生息地に入り込んでしまっていることを知り、目からうろこが落ちました。
◆また、クマは母クマの健康状態が良くないと受精卵が着床しないというメカニズムを持っていて、個体数をコントロールしているという事に驚きました。しかし人間は何もしていません。だからぼくは自分達の生活を見直す時なのだと思います。土地の二極化をストップさせて、里山のある本来の日本に戻していかなくてはならないと思いました。そして自分達の様な未来を切り開く存在の人に、この問題を広め伝えることが何よりも大切だと感じました。(長岡翔太郎 小6)
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