2008年10月の地平線報告会レポート(地平線会議 in 浜比嘉)


●地平線通信348より

2008年11月の地平線通信は、全32ページと膨大な量になってしまったので、浜比嘉特集(地平線会議 in 浜比嘉)を別ページに分けて掲載しています。ここからそれらのページに飛ぶことができます。3日間の全貌は、以下の「ちへいせん・あしびなーの3日間」にコンパクトにまとめられていますが、それ以上の内容は、末尾の目次からアクセスして、特集ページをご覧ください。


ちへいせん・あしびなーの3日間

醒めやらぬ場内の熱気に一陣の風が吹いた。
ヒガンチュによる『比嘉バーランクー』が凛として始まった」

■最高気温30度。まだまだ日差しの強い浜比嘉島は比嘉区公民館。受付で渡された木製パスポートに名前を書き込み、席に着く。10月25日(土)午後1時30分、島人による『かぎやでふう節』で寿がれ、ちへいせん・あしびなーが開幕した。祝宴の座開きとしてのおめでたい踊りは、清々しさとともにどこか懐かしさも感じさせる。

◆長野亮之介実行委員長、平識勇比嘉区長の挨拶のあと、『地平線モノ語り』がスタート。「今までの地平線報告会で一番豪華」と進行の江本嘉伸さんが表する。まずはゆかりの「モノ」が登場。スクリーンで大きく映し出され、報告者の話が始まる。トップは生化学の研究者兼ウルトラランナーの原健次さん。モノは「恐竜のうんこの化石」! 予定時間の10分が経つとアシスタントの大西夏奈子さんが無情のドラを鳴らし、次なるモノへ。冒険家の坪井伸吾さんは「ニカラグアの1000万コルドバ」から、南極観測隊員の永島祥子さんは「ライギョだましの魚拓」から、ホールアース自然学校代表の広瀬敏通さんは「インド服・糸紡ぎ・毛刈鋏」から、カーニバル評論家の白根全さんは「カーニバル報道関係者用コスチューム」から語り始めた。鷹匠の松原英俊さんの「シェパードの敷き皮」や沖縄国際大学教授の江上幹幸さんと作家の小島曠太郎さんの「大鯨の歯」は会場を巡り、来場者もその手触りを楽しんだ。どの話ももっと聞きたいと思わせる、確かに贅沢な時間だった。

◆報告会の後半は『一枚の写真から』。進行は第1回地平線報告会報告者であり、元地学教師でランナーの三輪主彦さん。本土返還の少し前、浜比嘉島にも立ち寄った、歩く民俗学者、故宮本常一先生と、当時宮本先生が撮影した浜比嘉島のモノクロ写真の紹介から始まった。冒険ライダー賀曽利隆さん(この報告会に合わせ、125ccのスクーターで6回目の日本一周中!)、宮本先生が所長だった日本観光文化研究所から派生した「あむかす探検学校」で活躍した「ACTMANG(マングローブ植林行動計画)」代表の向後元彦さん、宮本先生の著書がきっかけで民俗学に興味を持った、沖縄民俗学会会長の上江洲均さん、81歳のスーパー旅人、かつての沖縄も垣間見た金井シゲさんが壇上に上がり、「一枚の写真」と、テーマである「継承」を軸に、ヒマラヤ、泡盛、かつての白いパスポート、沖縄のマングローブなど、多岐に渡る話を繰り広げた。

◆車谷建太さんの津軽三味線が溢れ出そうな話の渦を一旦ならしてくれた後は、『浜比嘉島に生きる』。うるま市立海の文化資料館学芸員の前田一舟さん進行のもと、沖縄国際大学学生たちによる調査報告が、写真や映像とともに、リレー形式で行われた。比嘉集落・浜集落各々についての丹念な報告は、初めてこの島を訪れた顔ぶれにとっても、大変ありがたいものであった。続いて前田さんと学生、そして島人の海勢頭功さん、玉城正治さんも舞台に上がり、計5人でのトークタイム。今よりももっと貴重だった農業用水や飲み水のこと、芸能のこと、未だ見られぬ由緒ある洞窟のことなど、島人の話をじかに聞ける貴重な機会であった。最後に、2年間に渡る調査協力への感謝をこめ、浜比嘉島のみなさんへと、学生たちが練習した3演目の琉球芸能が披露された。はつらつとした踊り、力強い三線、のびやかな歌声に、会場から惜しみない拍手が送られた。

◆そろそろ小腹が空いてきた頃合で、軽食タイム。てびちやラフティ入りのオードブル、浜比嘉島特産もずくスープのほか、何より島の有志による心尽しのジューシー(沖縄風炊き込みご飯)とあぶらみそのおにぎりに、お腹も気持ちも満たされた。使った食器の後片付けにはヘラを用い、使う水や洗剤を少なくした。

◆そして南島詩人、平田大一さんの『島から世界へ』。子どもたちの現代版組踊「肝高の阿麻和利」の演出を10年にかけて手がける小浜島出身の平田さんが、どのように今に至ったのか。子どもたちと、それを取り巻く大人たちがどう変わってきたのか。平田さん自身による演奏や歌を随所にまじえながらの熱い語り口に引きこまれる。一筋縄ではいかなかった子どもたちが舞台で感動体験を得るまでの話を聞き、中高生たちが今度は演出側となり試みた小学生の舞台のビデオを見、その小学生たちが高校生となって現われて目の前の舞台で踊る! さすがの演出! 高校生たちの圧倒的な組踊は、平田さんの「地域に根ざすことが海を越え、一流の国際人になるということ」という言葉を裏付けるものでもあった。思わず涙する来場者も多く、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。最後は平田さんの「出発の朝(たびだちのあした)」という歌で締めくくられた。

◆盛りだくさんだったプログラムもそろそろ大詰め。醒めやらぬ場内の熱気に一陣の風が吹いた。ヒガンチュによる『比嘉パーランクー』が凛として始まった。お盆にご先祖様を見送る「比嘉エイサー」を元にした芸能の風は、かけ声、太鼓、歌声、三線、鳴り物の音が重なってゆき、だんだんと熱を帯びながら迫りくる。空手の構えが取り入れられているという所作に、見入ってしまう。やがて熱風はうねり、大きな拍手とともに終了した。かと思いきや、また鳴り物が響き始める。ある者は舞台に上り、ある者はその場で、しばし踊って、本当に幕が下りたのだった。かぎやでふう節から比嘉パーランクーまで、約8時間のてんこもりな時間があれよあれよという間に過ぎ去っていった。

◆その後の、競り人丸山純さんのパキスタンはカラーシャ語と、アシスタント山本千夏さんのモンゴル語の挨拶で始まった『地平線オークション』は、まったりとした雰囲気と、いざオークションに入ったときのぴりぴりした空気が入り混じる独特の時間となった。バラエティに富む数々の出品物を、のべ56名の人たちが落札。集まった187,700円は、11月23日に初の海外・ハワイ公演を予定している「肝高の阿麻和利」のメンバーに贈られた。

◆この日、比嘉公民館にはざっと235名の人々が集った。外に出ると、漆黒の空に星々が輝いていた。

◆翌26日(日)、『浜比嘉たんけん隊』に嬉しい快晴の空! 午前9時30分すぎ、前田一舟さんと沖縄国際大学学生たちの案内で、比嘉港の前から出発。かつては島の玄関口であり、宮本常一さんもここから浜比嘉島に踏み入った。境目の川、肥料になる海草の芽、旅立ちのときに挨拶に来るアマミチューのお墓、家々の貯水タンク、砂浜・石垣・村を守る山が連なる原風景、琉球石灰岩、水をたたえた拝所ハマガー、かつては国から任命されていた高名なノロ(祝女)が祀られているお墓と洞窟、見晴らしの良い比嘉公園、ハブに優しいサンゴの道、神様が馬のたずなを結んだ石、シーサーや石敢當のほかシャコ貝やサン(ススキを結んだもの)などの魔よけ、清ら海ファームにも続くかつての小学生の登下校道、井戸に棲むうなぎ、子宝を授かるシルミチュー拝所…ゴールのシルミチュー公園まで、総勢55名が浜比嘉島をゆったりと歩く・見る・聞く幸せを感じたひとときだった。

◆あの日のシルミチュー公園は、とにかく気持ちのよい場所だった。青空、緑の芝生、穏やかな海、そよ風、そしておいしそうなごちそう! そんな場所で、子どもたちのパーランクーが披露された。それはまるで、1枚の美しい絵のようだった。その後、お目当てのジュースめがけてテントにかけよる子どもたちもまた、まぶしかった。おとなたちも嬉しそう。生ビール、ジーマミ豆腐、ドラゴンフルーツ、もずくの天ぷら、海宝うどん、ベーコンスープ、スモークサーモン、ナントゥー餅、豚の丸焼き、そして、外間さんから提供されたヒージャー汁(前日に牧場のヤギの命をいただいた)が並ぶ。シルミチュー公園のすぐ横からは、沖縄カヤックセンターの協力を得て、サバニの試乗会も開催された。白い帆を張る船に乗り込み、凪の海で櫂をこぎ、あるいはひと休みしながら、それぞれがいろいろな思いを抱いたことだろう。いつしか子どもたちは海に飛び込み、接岸する船を迎えては遊んでいた。 お開きになるのが名残惜しい、『ガチマヤー交流会』であった。

◆27日(月)も、よく晴れた。午後2時過ぎ、体育館には比嘉小学校のほか、島内の浜中学の先生と生徒たち、うるま市与那城の桃原小学校の先生と児童たち、区長、それに地平線会議関係者ら100名が集まった。講師は現在高知県の四万十川流域で地域おこしに関わっている山田高司さん。『青い地球の川をカヌーで旅して木を植えて』と題して、小中学生たちに話しかける兄貴のような口調で講演が始まった。山田さんは、全員に配った「質問集」を手にスクリーンの写真を紹介。「この動物は何の仲間でしょう? シカ? ヤギ? ウシ?(チベット高原のウシ科の動物であるヤクの写真を見せて)」などと問いかけながら楽しく話を展開してゆく。大学探検部時代の南米大陸の川下り、アフリカ、中国大陸での川下りの体験談から、各大陸の緑の後退の現状、そしてチャドでの植林活動など地球が抱える厳しい問題などについて話した。

◆この後、丸山純さんが開催した『デジカメ教室』の成果が発表された。3日前の24日午後、比嘉小学校高学年の12名の子どもたちは、丸山さんから手ほどきを受け、6台のカメラを渡された。週末、浜比嘉島のあちこちでカメラを構える姿が見られた。この日は3台のカードフォトプリンターを使ってダイレクトプリントし、撮影者としてひとりひとりが「自分の1枚」を選び、スクリーンに大きく映しながら発表した。思いがけない傑作の数々に、会場は大いに沸いた。

◆こうして、お天気に恵まれた3日間にわたる『ちへいせん・あしびなー』は幕を下ろした。ざっと概要の紹介にとどまったが、詳細については、次頁以降の感想集で触れられているので、そちらをぜひ読んでいただきたい。集った人たちの表情の集積が、ちへいせん・あしびなーに他ならないのだから。(中島菊代)


特集 ちへいせん・あしびなー “地平線会議 in 浜比嘉島”を巡るあれやこれや



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