2008年11月の地平線通信

“ちへいせん・あしびなー奮闘記”
スタッフのひとこと集

関わった全員がスタッフだった

■東京から遠く離れた沖縄でやる。しかも会場の整った町中ではなく、人口約400人の小さな島。橋が架かってクルマで行けるとは言え、泊まる場所も食事も心許ない。1996年の神戸集会以来、地平線会議は何度か東京以外での報告会を行ってきたが、今回の浜比嘉島での「押し掛け」大集会は異例尽くし、スタッフや関係者の有形無形の協力なくして実現しなかった。また、参加者のみなさんにも様々な局面で助けていただき、振り返れば関わった全員がスタッフだったと言っても過言ではないと思う。

◆以前から計画を温めてきた江本嘉伸さん、長野亮之介さんを中心に、東京での具体的な準備は7月に始まった。浜比嘉島に住む外間晴美さんの話を元に詳しいメモを作成されたのは久島弘さんだった。6月のハーリー大会で大健闘した車谷建太さんを巻き込み、沖縄と足繁く行き来している妹尾和子さんに全体の調整役をお願いした。東京だけではなく、全国各地の地平線メンバーもなくてはならない存在。大阪の「ねこ」こと中島菊代さん、岸本実千代さん、飛騨高山の中畑朋子さん、モンゴル在住の山本千夏さんとはメイルのやりとりで情報共有しながら準備を進めていった。

◆準備で奮闘したのは他にも山辺剣さんと米満玲さん、杉山貴章さん、加藤千晶さんらの「野宿チーム」。若い仲間の人脈を生かし、ハブ対策から映像撮影、ごみの管理まで縁の下の力持ちを演じてもらった。特にチケット代わりに制作した「あしびなー」木札は大人気で、品切れになるほどだった。

◆主なスタッフは開催4日前から現地入り。海岸に近い一軒家を借りて自炊しながら、会場設営、各プログラム出演者との調整にいそしんだ。ここでの食事当番はほぼ江本さんが担当。それを沖縄在住の「レーズン」沼尻千春さん、札幌から来た掛須美奈子さんが手伝ってくれた。看板の制作には久島さんの綿密な設計のもと、彫刻家の緒方敏明さんが腕を奮う。

◆さて公民館の25日。朝から会場では鷹匠の松原英俊さんがホールの床掃除をしている光景が。ウルトラランナーの海宝道義さんがビールの冷やし方を細かく指導。受付の横では森井祐介さんが「地平線カレンダー2009」の販売を始めている。土壇場になって緞帳を上げる「幕開け係」を埜口保男さんにお願いした。小学校から借りた映写機の脇には岸本佳則さん。全体の撮影は白根全さん、丸山純さん、菊地由美子さんという豪華メンバー。鈴木博子さん、丸山「たいしょー」寛さん、新垣亜美さんが他のスタッフと交替で3台のビデオカメラを回す。

◆永島祥子さんは、参加できなかったシール・エミコさんのためにそっとビデオレターを。休憩時間中のオードブル、おにぎり提供は岸本実千代さんの指揮下、参加者総出で。丸山純さん、山本千夏さんがオークショニアを務めたオークションでは、車谷さんが品物を持って会場を回り、松林真理子さんが記録係をつとめる。その間、片付けに入ったキッチンでは賀曽利隆さんが黙々と食器を洗っていた。シルミチュー公園でのガチマヤーで始まった26日午後の交流会。イベントの主役は小学校の子供たちによるパーランクーだが、おなかの方は何と言っても外間夫妻提供の山羊汁、そして地平線名物「海宝うどん」である。250食分のうどんを茹でるのを大西夏奈子さん、稲見亜矢子さん、谷脇百恵さん、岸本佳則さん、村松直美さんがサポート。山本豊人さん、坪井伸吾さんが切り分ける仔豚の丸焼きの後ろには向後元彦さんが陣取って不正がないかどうか? 監視している。快適なクルーズとなったサバ二の試乗では沖縄市在住の野崎晶子さんが受付役をやってくれた。

◆一方で帰り始める参加者のために、レンタカーで参加した松澤亮さんが何度も会場の公園と沖縄本島のバス停とを往復してくれた。「あしびなー」はまだ続くが、その日の締め、参加者、島人が集まった夜の打ち上げでの主役は何と言っても金井重さんだった。名前を挙げたスタッフ、参加者以外にも、たくさんの方々にお骨折りいただいた。島人、学生、地平線メンバーあわせて初日だけで235人が集まった前代未聞の大集会が致命的な問題なく実施できたのは、みなさんの善意のおかげという言うしかない。本当にありがとうございました!(東京 落合大祐

楽しかった草刈り、そして生ビールの泡盛割り

■報告会前日の昼、キャンプ地とさせてもらった浜辺のそばの草刈りを、外間昇さんのお父さんについて、一緒にやらせてもらったのがとても楽しかったです。もう80歳になられるというのに、お父さんのチェーンソーさばきは天下一品で、恐る恐るやらせてもらったへっぴり腰の私と、それはもうスピードも出来も、全然違うのでした。しばらく私がやっていると「もう見てられん!」とばかりに私を制して自分がやり始める、お父さん。そうこうするうち、見かねた近所のおじさんも出てきて、手伝ってくれ、やっぱりこれまた、はやい! 上手い! のです。この方はなんと、刈りながら草を一か所に集めるという技までも持っていらして、私は羨望の眼差しでした。そして、草がボーボーだった所を、すっかりきれいにした(といっても私はちっとも貢献できず……)時の、爽快感といったら! などと一つの楽しかったことを書き始めると止まらないのであり、どうしよう……。そして……。

◆「大人の文化祭前夜」みたいだった準備の間、実行委員長の長野さんを筆頭に皆さまがすっごくかっこよかったこと(そしてそれを見られたのがすごく嬉しかったこと)。報告会の最中、公民館の台所でご飯を作っているおばさん達の朗らかな感じ。ガチマヤーの時、おじさんに生ビールの泡盛割りを勧められ、頭がぐわんぐわんして楽しくなっちゃったこと。ドラゴンフルーツを買おうか悩んでいたら、それを見ていたおばさんが庭から採ってきて、こっそり安く売って(くれないで売るところが好き!)くれたこと。食器の返却勝負で、久島さんに倣いヘラを上手に使う島のちびっこに完敗したこと。夜中、ゴンくん(を連れた江本さん?)の散歩について行った時の、浜比嘉のしんとした静けさ。思いつくままに浜比嘉でのステキな思い出をあげてみても、止まらないので、どうしよう……。(東京 加藤千晶

強烈な個性を持った人達の浜比嘉島入り

■「ちへいせん・あしびなー」が終わって東京に戻ってからも、体のリズムを戻すのに随分と苦労しました。スタッフとして運営に参加させて頂いた2ヵ月間は僕にとってそれくらい刺激的でした。とにかく強烈な個性を持った人達が、浜比嘉島という同じ方向に向かってエネルギーをぶつけているんです。ぶつけられる浜比嘉島としてはたまったものじゃなかったと思います。

◆そのエネルギーの中で翻弄されながら実感したのは、地平線会議というのはひとつの集団というよりは、強い個の集まりなんだなということ。今回、僕が最初にやった仕事らしい仕事は、本番までに必要な作業内容と進行具合がわかる「やるべきことリスト」を作ることでした。自分で作ってみて目の前が真っ暗になりました。残り1ヵ月を切った時点でまだ8割以上の作業が残っていたんです。

◆その状態から無事当日を迎えられたのは、スタッフを始めとした多くの参加者が、誰に指示されるわけでもなく動き、それぞれが最高の仕事をしたからだと思っています。「個人の能力」が集まったときの相乗効果を強く感じました。その渦中にいられたこと自体が、僕にとっては貴重な体験であり、「あしびなー」の最大の価値だったと言えます。

◆心残りなのは、あまりにも慌ただしかったため島の人達と十分に交流できなかったことです。なので、また近いうちに浜比嘉島を訪れようと決めました。実は今回が初めての沖縄だったのですが、次はもう少しのんびり沖縄を楽しみたいと思います。(東京 杉山貴章

もうひとつの物語━━久島弘さんがいかに人気を得たか

■今回の「ちへいせん・あしびなー」の中で、25日のプログラムとは別のところで脚光を浴びていた一人の人物がいた。その人は久島弘さんである。なぜ彼が脚光を浴びていたかというと、彼があることを指導していたからである。

◆あることとは、ヘラを使って皿をきれいにする方法である。これだけ読むと、なぁんだそんなことかと思われるかもしれないが、彼の年季の入った、しかも本当に皿がきれいになる技術は、見る者を魅了し、その技術を体得したいという気持ちにさせ、一時は久島さんの周りに島の人も本土から来た人も大勢押し寄せた。その方法はというと、まず汚れた皿に霧吹きで水を吹き付ける。次にヘラを皿に密着させながら舐めるように動かし汚れをとる。これだけである。だが、油も汚れも水分も面白いように落ちてしまうのである。

◆ただ、教えてもらいたての素人がすると、ヘラの密着度が甘かったり、霧吹きの水を吹き付けすぎたりして、久島さんのようにはきれいにはならないが、でもそれなりにはきれいになり、やったという満足感が得られる。指導している久島さんも、今までに見たことのないほどの満面の笑みを浮かべ、教えることに悦びを感じているようだった。

◆次の日のガチマヤー交流会のあとかたづけでは、前日久島さんから技術を教わった面々が、次々と食器類をきれいにしていったのが印象的であった。また、前日に直接久島さんからやり方を教わったという島の人やガチマヤー交流会で島の料理を提供してくださった人の中からも、「簡単だけどすごくきれいになるので、びっくりした。少しずつでもやってみようかな」という言葉をいただいた。後日来阪した久島さんとお会いしたときに早速このことを伝え、「今回のあしびなーではスターだったね」と持ち上げると、またあの満面の笑みを浮かべ喜んでいた。

◆ただ、久島さんはそのあとで、「自分は普段の生活でやっていることを見せただけに過ぎない。今回そういう事(ヘラなどを使って皿をきれいにすること)のやり方を知らずにやっていない人が大勢いることがわかり逆にびっくりした」と少し寂しげに話していた。私は少し耳が痛いなぁと感じつつ、「Myヘラ」を買いに行くことからはじめようとそっと決心した(?)(大阪 岸本実千代

モンゴルから飛んできてよかった! 浜比嘉島! 大好きです

■「ちへいせん あしびなー」の濃厚な時間の中で、凝縮された体験で、眠っていた旅人の本能が叩き起されました。イベント準備から始まった私の浜比嘉島での旅は、人間の本質や旅人の原点を自分自身に突き付ける強烈な問題提起の連続でした。島独特の伝統を継承することの美しさと難しさが混在し、揺れ動く島の人々と時間と場を共有した意義は、時間をかけて自分の中で熟成させたいかけがえのないものとなっています。

◆レンタルハウスでの合宿生活は、同志意識を高めてくれました。大人数の食事まかないに励んで下さった江本御大は、スタッフ最長老だったのだから、もっといたわってあげればよかった。えもじるにえもチャンプルーの味は忘れられません。大感謝。オークションの隕石をポケットに隠匿することぐらい大目に見てあげれば……いや、それは違うか。

◆記録係としてビデオカメラを回したこと。ファインダー越しにのぞいたイベントは一味違って、島の人たちときちんと心を通わしきれずに、びびって撮り損なったシーンが多すぎて自己嫌悪。「カメラを向けられると魂を抜かれる。明日の漁に行けなくなる」と打ち上げでおどけたパーランクーのお兄さん。私はその表情を撮りたかったのよぉー! 記録には残せなかったけど、記憶には残ったエピソードは無数。島の人たち、沖縄からかけつけてくれた人たち、外間夫妻、地平線会議の仲間、皆がつながってできたあしびなー、やってよかった、と思いたい。

◆山形の新米とオークショングッズに込めて心を沖縄に飛ばしてくれた飯野さん! 新米がひときわ美味しかった。寝不足ですり減った神経を癒してくれました! 旅のスペシャリストが続々集結した浜比嘉島であこがれの人たちと泡盛の杯を交わし、語り合えたことも感謝。モンゴルから飛んできてよかった! 夜空に切り裂く流れ星に、島との交流が深まるようにと祈りました。今回は初めの一歩。これからもよろしく、浜比嘉島! 大好きです。(モンゴル住人 山本千夏

あの日、浜比嘉が世界の中心のようでした

■「ちへいせんあしびなー・浜比嘉」は浜比嘉の皆さんに支えられてやり遂げることができました。感謝感謝です。イベントの内容が興味深かったのはもちろんですが、子ども達が丸山先生の指導の下、島のあちこちで写真を撮る姿が印象的でした。島の方々の、ゆったりとした落ち着きぶりも、学ぶところ大でした。また、互いの忙しさで、なかなか会うことの叶わなかった大切な友人達にも会うことができました。遠くで行われるイベントという思いがありましたが、当日は浜比嘉が世界の中心のようでした。そのせいか、普段の生活に戻ったあともしばらく、魂はそのまま浜比嘉にあるように感じていました。また、ゆっくり訪れたいと考えています。これを機会に、様々なつながりができていくことを楽しみにしています。ありがとうございました。(岐阜 中畑朋子

ブーゲンビリアの花が私に笑いかけているではありませんか。あの美しい島でイベントを開けたことは、地平線会議にとって本当に『幸せ』なことだったのだ

■印象や感銘が強いほど、それを表す言葉は短くなるようです。松原鷹匠の抱腹絶倒の話は、「松原や ああ松原や 松原や」に尽きました。また、ハードな総力戦を耐え抜き、早々と島を発つスタッフの、爽やかな中にも連日の睡眠不足が色濃い表情は、まさに「地平線やつれてサンゴあり」でした。

◆そして大半の参加者が去った28日、「!」の体験を、私はしたのです。集落内をぶらぶら歩いていた時のこと。ふと視界の隅の赤い色に気付いて目をやると、そのブーゲンビリアの花が私に笑いかけているではありませんか。驚いたのなんの。「えっ、何、これ!?」 半信半疑で周囲を見回せば、他の花々も笑っている。そればかりか、屋根も石垣も樹木も空も、ことごとく光り輝いているのです。私は云いようのない至福感に包まれ、その中で「これが浜比嘉の本当の姿だ」と感じました。

◆色々ありましたが、今回、あの美しい島でイベントを開けたことは、地平線会議にとって本当に「幸せ」なことだったのだ。決してそれを忘れてはいけない。私はいま、そう確信しています。(東京、時に大阪 右手にヘラ、左手に霧吹きのヒロベイ久島

ここは、沖縄でとっておきの場所、また来ます!

■6月のハーリーで初めて訪れ、浜比嘉島の鮮やかさにギュッと心つかまれた。10月下旬、レンタルハウスの中は準備に追われて東京的時間が流れていた。一歩外へ出ると、ちゃんとそこは浜比嘉で、静かで、ピンクのブーゲンビリアが咲き、牧場は緑が濃く、海は青くて穏やかだった。報告会や交流会で食べたごちそう、てびちソーキとうがんジューシー油みそおにぎりじーまみどうふもずく天ぷらヒージャー汁ぶたまるサーターアンダギー海宝うどんベーコンレタススープスモークサーモンモズコーン(ナントゥー)ドラゴンフルーツなどなどなどなど、どれもこれもおいしかった。いろいろな人に出会い言葉を交わし、参加してよかった楽しかったと思う。ここは、沖縄でとっておきの場所、また来ます!(北海道 掛須美奈子

実感したのは参加した一人一人の素晴らしさ

■初めての沖縄! 祖父母の故郷でもあるこの地に今年行く事を決めていた偶然。そんな郷愁を吹き飛ばす強烈な暑くて熱いあしびなーの日々。沖縄入り初日22日(水)のミーティングではピンと張りつめた空気に緊張しつつ気合が入りました。

◆嵐のような日々で沖縄時間を感じられた場所が3つ。1つは外間さんご夫妻のお宅。薫り高い珈琲と朝食を御馳走になりゴンと過ごした唯一何も考えなかったかけがえのない空間。2つめは海。波と風と太陽が眩しくて涼しくて水と水平線と遠くに見える陸がきれいでした。3つめは宿泊していた一軒家。名コック江本さんの野菜いっぱいの食事。皆と深夜まで語り合いながら飲むお酒。並んで揺れる洗濯物も雑魚寝も学生時代の合宿みたいで面白かった。普段ゆっくり話したことのない人や初対面の人とも打ち解けて過ごせた不思議な家でした。

◆あしびなー全体で実感したのは参加した一人一人の素晴らしさ。これはきれい事を言っているのではありません。するべき事を解らずにいた私に受付やパスポート作りの仕事を振り分けてくれる仲間の優しさ。仕事がのろくて実際使えない私をさり気なくフォローしながら的確な指示を出してくれる経験者スタッフの大きさ。真剣に意見を交換しあい少しでもいい方法を導きだそうとする皆の積極性。

◆日程直前になって急に手伝いを頼んだ方々も快く引き受けてくれたばかりか「手伝えてよかった」と逆にお礼を言われたり現地で知り合った人達とも手紙をやりとりしたり報告会で再会したりつながっています。大勢の性格も考えも違う人たちが雑多に集まってるのに個々に関わってみると皆いい人ばかりという奇跡?! そんな一人一人の行動や言葉に支えられて沖縄での5日間が過ぎま した。ありがとうございました。(埼玉 米満玲

新興宗教「磨き教」の誕生━━浜比嘉パスポート製作秘話

■パスポート(参加証)が好評で良かったと思います。江本さんには「これが地平線浜比嘉唯一の記念品だから終わって捨てられるような物じゃだめだよ」と言われ、長野画伯に参考として見せてもらった物が宮崎県高千穂にある一泊20万円のホテルのネームタグだったりして、要求の高さに気が狂いそうになりました。

◆材料としてもらった木は繊維が毛羽立ちザラザラで反り返ってました。これを荒い紙やすりで平にし、細かい紙やすりで磨くと年輪が浮き上がり立派になりましたが、平にするのが大変でした。反ってるから、厚さ7、8ミリの木が3、4ミリになるまで磨かないと平にならず、これを130枚やると思うとイヤになり寝ました。一人じゃ無理と気付き米満玲さんに手伝ってもらい、休日の新宿御苑でファミリーに混じりひたすら磨きました。一つ磨くは父のため、二つ磨くは母のため。新興宗教「磨き教」の誕生です。

◆木に押すハンコは「誰でも作れる消しごむハンコキット」を買ったのになかなか上手く彫れませんでした。誰でも作れるのが作れない。ショックでした。イヤになって寝ました。事前に50個作ったものの全然足りず、現地には二日前に入って二人で作業しました。自分の遅れが原因なのに、会場設営等スタッフの仕事をせず、ただ木を磨き続ける粉まみれで汚い僕に、ちゃんとゴハンを食べさせてくれた江本さんやスタッフには感謝しています。粉まみれで汚なかった木の板も、穴を開け、ハンコを押し、紐を通すと、思ってたよりまともなパスポートになり安心しました。

◆一緒に磨いてくれた人。ハンコを押してくれた人。紐を切ってくれた人。紐を通してくれた人。みんな忙しいのに手伝ってくれて、地平線の人は本当に素敵だな、と思いました。当日、パスポートが足りなくなって受付スタッフに迷惑をかけてしまったことと、まぶしいほどの演舞を見せてくれた肝高の阿麻和利さんに渡せなかったことが残念無念ですが、それだけ多くの人が集まった報告会の記念品を作れた僕や米満さんはスタッフの中で一番幸運だと思いました。(東京 華の若武者 山辺剣

うれしかったのは、島の人たちがたくさん参加してくれたこと

■今なら言っても許されますよね? 沖縄で報告会を開きたいと、一度も言ったことはないのですよー。まして「やりましょう」とハッパをかけたことも。だって大変なイベントになるのが想像できましたから。でもやると決まったからには、魅力的な会になるよう、スタッフとして自分ができそうなことには取り組みました。浜比嘉島という場所は沖縄のなかでも引力があると思ったし。久しぶりに、頭も体もフル稼働させてがんばったって感じです。まったく力不足、時間不足ではありましたが……。

◆浜比嘉島に入ってからは、働きまくるスタッフ、そして遠くからえっちらおっちら集まる多彩な参加メンバーを、みんなすごいなあと思いながら、ときどきボーっと見ていました。うれしかったのは、島の人たちがたくさん参加してくれたこと。そして参加者の皆さんの協力のもと、リサイクルプラザで借りた食器やゴミ箱などが活用できたこと、久島さんのゴミ減量技が遺憾なく発揮・披露され、布教されたことでしょうか。民宿の部屋割りなど、皆さん文句ひとつ言わず従ってくださり、ありがとうございました。

◆それにしても、盛りだくさんのプログラムでしたねー。沖縄ならではのゆるゆるとしたテーゲーさがもう少しほしかった気がしますが、それは贅沢というものですかね、おそらく。ともかく、無事に終わってほっとしました。私にとっては89回目の訪沖でした。(静岡 妹尾和子

繊細で、きらきら光るいいものたちが、まだ宙に舞っているのかもしれない

■浜比嘉島への初上陸は、日がとっぷり暮れてからだったので、翌朝は島への挨拶がてら、光あふれる集落を少し散歩した。道行く人が「おはよう」と声をかけてくれる。ブーゲンビリアが繁る細道の向こうで、おじいさんが手招きしている…ん? わたしですか? うまく聞き取れないけれど、「貝」と聞こえる。「貝? 貝殻? いただけるんですか?」。

◆ついていって門から入ると、庭に置いてある貝がらを「これは値打ちがあるよ」と差し出してくれた。それは、スイジガイという、沖縄では魔よけにも使われる貝殻だった。実はこの貝殻を、屋久島に行った折などに探したりもしていた。なんだか不思議な気持ちまま、お礼を言って、お別れした。

◆人との距離感について思い馳せる。わたしが失っている距離感について。そのきっかけをもたらしてくれたのは、挨拶をかわしたり、貝殻をもらったり、ひたすらに準備したり、意見が合わなかったり、謝ったり、優しくされたり、笑いあったりした島でのいろんなできごとだった。

◆6日間の滞在後、大切な思い出を土産に日常に戻った。けれど、ふと思う。もしかしたら、島に勢いよく着地したものだから、繊細で、きらきら光るいいものたちが、まだ宙に舞っているのかもしれないと。それらが胸に降りてくる頃合には、ふたたび浜比嘉島を訪ねたい。昇さん、晴美さん、またコーヒー淹れてくださいね。(大阪 ねここと中島菊代

素晴らしい出会いをありがとうございました

■江本さん、長野さんをはじめ関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。そして素晴らしい出会いをありがとうございました。ないちゃ〜の沖縄在住の私にとって、沖縄の仲間たち、平田さん関係者、そして地平線会議のメンバーがこの会を通して一気につながり、また輪が広がっていったことを嬉しく感じています。平田さん関係者をはじめ沖縄の人たちからは「地平線ってすごいね〜。面白い人たちが集まっているね」とのコメントをもらい、地平線メンバーからは「平田さんや子供たちのパワーにやられた〜。沖縄の力ってすごいね」とのコメントを聞いて、私としても本当にうれしい限りでした。私自身も改めて沖縄の底力を感じ、そして地平線メンバーの生命力を感じ、活動や表現方法は違えど、根底に同じものが流れているな〜と感じました。ここで出会えたご縁がこれからも続いていきますように……。ニヘーデービル、三拝云、ありがとうございました。(那覇 沼尻千春

バイクでたどり着いた浜比嘉島

■バイクを持ち込んだ私は、”あしびなー”の前後はソロツーリング。大阪からのフェリーが着いた初日に、南の喜屋武岬で偶然賀曽利さんに会ったのにはビックリ。一緒に夕日を見ちゃった♪ ペンギン好きの私には那覇の「こぺんぎん食堂」は必須。沖縄素材の料理もおいしかったし、店内の数々のペンギングッズ達が超嬉し。最北の辺戸岬では一人で朝日を見た。ツーリング中は野宿だったけど、ハブが怖いからテント張る場所には気をつかい、山中は避けた。でも、さとうきび畑の脇の空き地も後から考えると(ハブが)危なかったかも? 約5日間で南北端制覇と島も3つフェリーで渡った。

◆“あしびなー”では久島さんの手伝いで、看板を幕に縫いつけた。裏をテープで留めるぐらいでいいのではと思った私だったが、舞台の中で主役が振り回す長い棒が看板にバシバシ当たり、でもそれに耐えた看板。彼はそこまで読んでた!? スタッフ用の借家では、江本さんがこだわりの料理を次から次へと作るのにびっくり。そこまで料理好きとは知らなかった。

◆毎朝朝日を見ながらちょこっとツーリングしたら、真剣に走り込む鈴木博子さんにいつも出会った。プロ意識満々の彼女、さすがだなぁ。沖縄ならではのプログラム、平田さんのお話と子供達の舞台、比嘉の方達のパーランクー、浜比嘉探検、サバニ体験などなど多様性に富んだ“あしびなー"。メインも裏舞台も、ほんっと、存分に堪能しました〜!!(神奈川 古山里美 節約主婦

大満足の2日間

■あしびなー、楽しかったです。残念ながら1泊2日の参加だったのですが、行ってよかったです。ほんのちょっとですが、島の空気・文化・あしびなーの雰囲気に触れることが出来て大満足の2日間でした。ありがとうございました。(兵庫 谷脇百恵

島で食べるヤギと、砂漠や草原の国で食べるヤギとは、どうしてこんなに違うのだろう?

■沖縄の歴史やアマワリの事跡については詳しくありませんが、「肝高」という言葉が好きになりました。世界に向かって発信してゆきましょう。

◆金曜日。那覇空港から高速道路や埋立地のバイパスを走って行き、橋を渡る頃には空も暗くなってしまったので、景色も海もほとんど見れないまま浜比嘉島へ着いた。土曜日は当日受付と民宿案内のお手伝い。そして日曜日。午前中は地元の方の案内で島を探検する。メインは洞窟。

◆沖縄の洞窟はハブが怖い他にも、ウタキになっていたり戦跡だったりするので入る時には気を遣うのだが、今回は安心して奥に入らせて貰う。思ったよりも面白く、そのうちまた浜比嘉島へ洞窟巡りに行きたいと思わせる洞窟だ。

◆泉や(小さな島では水源は貴重なだけではなく集落の成立そのものに関わっている)、グスク(石垣で囲われた城ではなく海と部落が見渡せる山頂。沖縄のグスクの姿は元々このようなものだったのだと思う)、集落の中を見て歩くと、島の輪郭が見えてきたような気がする。

◆昼は豚とヤギ(と他にも色々)を食べる。島で食べるヤギと、砂漠や草原の国で食べるヤギとは、どうしてこんなに違うのだろう? 午後はサバニに乗せて貰う。ボートとも和船とも違うその船は、沖縄のリーフが生み出した形をしている。昔はこの小さな船で遠く外国まで行く人もいたという。とても外洋向きには見えないのだが。(埼玉 松澤亮 洞窟探検家

皆が集い、皆が決めて、皆で創る、皆のために、思いを伝えるために

■江本さん、地平線の皆さま、「あしびなー」お疲れ様でした。私は、那覇市前島の、琉球薬膳・家庭料理「拓洋」の女将、長濱と申します。

◆江本さんとの出会いは、JTA機内誌「Coralway」の編集者、妹尾和子さんにご紹介頂いてから、もう4年になります。その後、江本さんが来沖されるときは、私の手料理、泡盛とお話(特に主人ですが)でお迎えしております。

◆今回の「浜比嘉島のあしびなー」の開催を地平線会議のファンの一人として、楽しみにしておりました。私は、仕事の都合があり、姪とともに、前日の10月24日(金)に、主人の出身地のうるま市与那城へ。あやはし館で、写真展を見学、冒険・探検・登山家たちの写真を見て、生きる力というか、エネルギーと地球の凄さ・偉大に感動し、そして感謝の心が湧きあがりました。合掌!

◆現地に着きますと開催準備で、お忙しい中、江本さんに本部事務所へご案内していただき、島野菜と愛情たっぷり「エモカレー」の昼食を御馳走になりました。さすが、キャンプの達人が調理する「エモカレー」は、野性味のある味で、疲れを癒す味でしょうね、大変おいしく頂きました。ご提案、資金造りのために、「エモカレー」を小ビジネス化したら面白いと思いますがいかがでしょうか。

◆また、事務所内では、スタッフの一人一人が自分の役割を本当に楽しんでいる風に懸命に頑張っている姿に心打たれました。どこを見てもズルしている人は、見られないのです。「遊びの達人ですね」。本当にすばらしい! 皆で集い、皆で決めて、皆で創る、皆のために、想いを伝えるために、この地球&人を愛する姿に、私たちだけではなく、浜比嘉島の人たち、いや、触れ合った島々の人たちも感動と感謝の心が宿ったと思います。本当にありがとう。(共同筆:長濱多美子・長濱静之 那覇


実際の地平線通信では、見出しの両脇に「★」が入っていますが、他のページと統一するため、省きました。
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