今月の地平線報告会(特別報告会) |
1979年9月の第1回から数えて、今回が通算324回目の地平線報告会となります。
6月の地平線報告会は、当初決定していた30日(金)の田中幹也さんの報告会に加えて、23日(金)18時30分から、特別報告会を開催することになりました。報告者は、三浦雄一郎さん(地平線通信から転載した以下の江本嘉伸さんの紹介文「ローツェ/フェースで見たもの」参照)。続く案内は、地平線通信319号に掲載されたものです。(絵:長野亮之介/文:江本嘉伸)
《お願い》会場の都合上、多くの方が詰めかけると、入りきれないかもしれません。その場合は、地平線通信の読者を優先し、また床に座ったりしていただくこともありえます。あらかじめご了承のうえ、お越しください。引き続き、二次会も同会場で行ないます。会費は2000〜3000円の予定です。
昔話になる。1975年4月、エベレストのローツェ・フェースという氷の壁を登っていた。相棒のラクパドルジ青年とふたりだった。7600mのキャンプまでたどり着いたところで、ほとんど突然に高度障害が出た。食欲がまったくなく、寒気と吐き気がしたのだ。睡眠用に初めて酸素の助けを借りると身体があたたまってきた。翌朝、行動用の酸素ボンベをつけて歩き出す。身体が軽いのには驚いた。足が上がるのである。強かったラクパドルジが遅れだすほどだった。
◆サウスコルを見上げるあたりで、えっ?と思った。コルから落ちている蒼氷の急斜面が目の前にある(登攀ルートは手前を巻いてコルに出る)。あの蒼氷の急斜面をあの男はほんとにスキーで滑ったのか!?という驚きだった。スキーでエベレストから滑降するなんて登山の本質とは違う、何だかサーカスみたいではないか、と生意気にも当時の私は思っていた。しかし、この急峻な蒼氷を目の前にして心底、驚愕した。命を考えたらできることではない。何なのだろう、この強烈な意志は…。三浦雄一郎という冒険スキーヤーの本質にふれた瞬間だった。
◆三浦さんとはその後、いろいろな場面でお会いし、話す機会があったが一度地平線会議でも話してもらいたい、と考えていた。今回、時間の都合をつけてもらえ、それが実現することとなった。できれば奇跡の生還を果たした70年5月6日のスキー滑降の瞬間はじめ貴重な映像も見せてもらいたい。6月の地平線報告会は30日の田中幹也さんと連続の豪華版となる。(江本嘉伸)
冒険心は円熟するか?
「人間は年をとっても良いこともある」'03年5月22日、エベレストの頂上で、三浦雄一郎さんは言い放ちました。1932年生まれの今年73才。若い人達から見れば堂々の熟年ですが、'80年にはチベット川からのチョモランマ(エベレスト)頂を目指しています。 東京五輪の年に、スキー滑降世界新記録を樹立。大阪万博の年、八千mのサウスコルから滑降した冒険スキーヤーの三浦さん。半世紀を越えていまなお進化しつつある現役冒険家であり続けている「心」を、今回は特別に地平線会議のために話して頂きます。シシャパンマから帰ったばかりの熱い話になるはずです。 会場は一年前にオープンしたばかりの三浦さんの拠点「ミウラ・ベースキャンプ」にて。乞御期待! 会場の三浦ベースキャンプは収容が50名と限られています。このため、多数の人がつめかけた場合、入りきらないことがあることをあらかじめご了解ください。また、今回は同じ場所で質疑を兼ねて簡単な2次会形式の第2ステージを考えています。ひとり2000円程度(ビール+簡単な料理)かかりますがこれもご了解を。 |
地平線報告会は、どなたでも参加していただけるオープンな場です。テレビをはじめとする二次的な情報では決して味わえな い、世界を旅してきた報告者の「生の声」を直接聞くために、1979年9月から毎月欠かさず開催されています。どうぞ気軽に参加してみてください。予約などはいっさい不要です。いきなり会場にお越しください。ただし、会場の定員を越えてしまった場合には、入場をお断わり することもあります。ご承知おきください。
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