6月の地平線報告会・大阪編(6月は大阪と東京の2回、報告会を開催します)

2004年6月6日(日)

1979年9月の第1回から数えて、今回が通算298回目の地平線報告会となりました。


【会場が変更となりました!!!】

地平線通信294でお知らせした「ミニヨン」は手狭のため、報告会の会場を次のように変更しました。

報告者…永瀬忠志

日時……04年6月6日 15時〜18時(日時は前回ご案内したのと同じです)
      二次会…同日18時30分〜21時頃(二次会場は、当日一次会の席でご案内します

会場……「大阪市立東淀川勤労者センター」大会議室
       大阪市東淀川区東中島4丁目4番4号
       ※会場側へのお問い合わせは、なるべくご遠慮ください。以下のEmailにお願いします。
        ただし、予約などはいっさい不要です。いきなり会場へお越しくださってけっこうです。

会場建物 1階正面自動ドアーをまっすぐ進んだ左手が「大会議室」。
120名入れます。会場に余裕がありますので、どうぞみなさん、
お誘いあわせのうえ、お越しください。

2階は「東淀川体育館」が併設されています。

会場内

 ◆行き方…地下鉄御堂筋線・JR新大阪駅下車 東口より東南方面へ 徒歩約5分
       1)新大阪駅コンコース東出口を出て、東口より地上に降りる
       2)すぐ前の信号を左へ
       3)次の信号を右へ(歩道橋あり、右角にファミリーマートあり)
       4)次の信号を左へ曲がり、すぐの四つ角(信号なし、ローソンあり)を右に
       5)すぐ左側にあるのが「東淀川勤労者センター」(東淀川体育館併設)

      阪急京都線・崇禅寺駅下車 北西方面へ徒歩約10分

【ちょっとご注意】(実行委員長の岸本さんから)
地下鉄で新大阪駅に到着すると東口までがすごく遠くて、しかも一度駅ビルを3階まで上がらないと、東口にたどり着けません。新大阪駅へ行くにはJRの利用をお勧めします。料金も安いです。
東口からの道筋は右に左に沢山曲がるので複雑ですが、上記の道筋の解説がよくできているのでその説明に従って歩けば、問題なく到着できます。


会場費 資料代:500円

地平線報告会は、どなたでも参加していただけるオープンな場です。テレビをはじめとする二次的な情報では決して味わえない、世界を旅してきた報告者の「生の声」を直接聞くために、1979年9月から毎月欠かさず開催されています。どうぞ気軽に参加してみてください。予約などはいっさい不要です。いきなり会場にお越しください。ただし、会場の定員を越えてしまった場合には、入場をお断わりすることもあります。ご承知おきください。

問い合わせ先  E-mail :

●メディアのみなさま、ホームページなどでご案内いただける方へ、お願い
会場側から、職員の人数が足りなくて内容や行き方の問い合わせなどにとても応じられないので、できれば会場の電話番号は掲載しないでほしいという要請を受けています。また公共の会場なので、入場料を徴収して利益をあげることができないため、資料代(これはけっこう読みごたえある内容になるはず)で会場費相当分をまかなうことにしました。記事や番組などで案内を流される場合は、どうかこれらの点にご配慮くださいますよう、お願いいたします。

取材などのお問い合わせは上記の「問い合わせ先」ではなく、 までお願いします。

地平線会議については、このページ左欄の上のほうにある「Chiheisen」ボタンから、地平線報告会については同じく「Hokokukai」ボタンから飛んでください。リンクをたどっていくと、多少古いものですが、いろいろな説明があります。地平線のミラーサイトには、全文検索エンジンも用意されています。


 「リヤカー『田吾作4号』で南米大陸8800キロ縦断!」

自画像 14年前、リヤカー「田吾作3号」でアフリカ大陸徒歩横断・サハラ砂漠徒歩縦断11100キロを歩ききった、あの“ゆっくり超人”が、ついに南米大陸を歩きとおして帰ってきました。03年6月10日、日本を出発。6月24日北海岸ベネズエラのプエルトラクルスを歩き出し、04年3月15日、大陸最南端のアルゼンチン・ウシュクアイアに到達。266日間がかりの旅でした。

 2万円で買った中古「大左エ門」を引いて日本を縦断した19歳の夏以来、オーストラリア、アジア各国をはじめ世界を股にかけてリヤカーを引きながら「時速5キロの旅」を続けてきた永瀬さん。48歳になったいま、そのおだやかな口調から何が語られるのか。貴重なスライドの数々とともに、絶対に聞き逃せない、見逃せない、帰国直後のフレッシュ・トークです。何よりも、永瀬忠志という旅人が魅力!

 報告会の後の2次会は、永瀬さんの快挙達成を祝い、はじめての大阪での地平線報告会開催と、地平線会議発足25周年前夜祭の意味を兼ねて盛り上がる覚悟です。

永瀬君についてもっと知りたい人は、こちらへ。

←永瀬君自筆のイラスト

永瀬忠志(NAGASE Tadashi)さん・旅歴

  • 1956年2月、島根県生まれ。48歳。90年11月の「第133回地平線報告会」報告者。

  • 74年3月、島根県立出雲工業高校機械科卒。78年3月…大阪産業大学工学部機械工学科卒。

  • 74年(18歳)に自転車で日本一周7500キロ。75年(19歳)、徒歩でリヤカー「大左エ門」を曳いて宗谷岬から佐多岬まで70日かけて日本3200キロ縦断。

  • 78〜79年(22歳)リヤカー「田吾作」を引いてオーストラリア大陸4200キロ横断達成。東海岸のシドニーから西海岸のパースまで100日で歩く。

  • 82〜83年(26~27歳)リヤカー「田吾作2号」を引いて徒歩でアフリカ大陸横断。東海岸のケニアのモンバサから西海岸のカメルーンのドアラまで、赤道地帯を徒歩横断。さらにサハラ砂漠徒歩縦断を目指して進行中、ナイジェリア北部のカノで荷物一式をリヤカーごと盗まれ6216日目にして断念。いったん帰国。

  • 87年(31歳)、韓国徒歩縦断466キロ。プサンからソウルまで11日間で。

  • 88年(32歳)、スリランカ徒歩縦断360キロ。西海岸コロンボから東海岸ポッツビルまで9日間で。

  • 88〜89年(32歳)、台湾徒歩縦断536キロ。北部のキールンから南部のタイナンまで14日で。

  • 89〜90年(33〜34歳)、リヤカー「田吾作3号」でアフリカ大陸徒歩横断・サハラ砂漠徒歩縦断1万1100キロを達成。再度モンバサから第一歩、すべてをやり直す。サハラを北上、ついには、フランス・パリの凱旋門まで到達。376日がかりだった。「田吾作3号」の総重量は220キロ。「長い旅だった。この1年間の旅は、10年を生きていたほどの長さにも感じていた」と当時書いた。

  • 91年(35歳)、インドネシア・ジャワ島徒歩横断……成らず。西部のジャカルタから東部のスラバヤマテ800キロを目指すが、7日目に二人組にナイフで脅され、以後待ち伏せされるようになったため253キロで断念。

  • 95年(39歳)、マレー半島徒歩横断408キロ。西海岸のクアラスランゴールから東海岸のクアンタンまで、11日間で。

  • 96年(40歳)、南インド徒歩縦断562キロ。東海岸パランギペタイから西海岸ベイプーアまでを18日間で。

  • 97年(40〜41歳)、フィリピン・パラワン島徒歩縦断414キロ。北部のタイタイから南部のバタラザまで11日間で。

  • 98年(42歳)、リヤカー「田吾作ジュニア1号」を引いてモンゴル徒歩縦断達成。北部のスフバートルから南ゴビの町、ダランザドガドまで25日間で864キロを歩き通す。

  • 99年(43歳)、タイ北部徒歩横断596キロ。東部のナンプーンから西部のメーサムレップまで15日間で。7日目から重いリュックを手車「ミニ田吾作ロッケン」に積んで歩いた。

  • 00年(44歳)、中国・タクラマカン砂漠をリヤカー「田吾作ジュニア2号」を引いて北部ルンタイから南部のミンフンまで徒歩縦断。590キロを11日かけて。

  • 01年(45歳)、高校生手作りのリヤカーで紀伊半島徒歩縦断155キロ。大阪府立堺工業高校機械科の生徒5人(当時3年)が製作した手作りリヤカー「田吾作スペシャル」を引いて大阪・堺市から三重県の伊勢神宮まで5日間で歩く。

  • 01年(45歳)、リヤカー「田吾作ジュニア3号」を引いて、アフリカ・ボツアナのカラハリ砂漠縦断。591キロ。南部のカニエから北部のハンツィまで14日で。

  • 03〜04年(47〜48歳)リヤカー「田吾作4号」を引いて、南米大陸徒歩縦断8800キロ達成。03年6月10日、日本を出発。6月24日北海岸ベネズエラのプエルトラクルスを歩き出し、04年3月15日、大陸最南端のアルゼンチン・ウシュクアイアに到達。266日間がかりだった。(以上、文責・江本嘉伸)

永瀬君のこれまでの旅はおもに『サハラてくてく記−−リヤカーマン=アフリカ大陸横断11,000キロ』(山と溪谷社 1994)と『アジアてくてく記−−足で旅した六二〇〇キロ』(山と溪谷社 1998)の2冊の著書にまとめられています。当日、報告会の会場で、サイン本の頒布もおこなう予定。なお、上記の旅歴一覧にはありませんが、永瀬君は93年と95年には、リヤカーによる南極の旅のトレーニングのために、カナダ北極圏で雪上トレーニングも体験しています。費用の点で、なかなか南極行きは実現が難しいとのことですが、夢は持ち続けているそうです。(丸山・記)

永瀬君は、1997年から何回か開催した「写真展・地平線発」にも7点の写真を出展してくれました。すさまじいアフリカの旅の模様とパリへのゴールシーンを、現在休館中の「地平線WEBギャラリー・Spice!」で見ることができます(古いページなので、レイアウトが一部崩れます。澪苦しい点、ご容赦ください)。プロフィールのページから各写真に飛んでください。これらの写真の著作権は撮影者に属しています。無断使用、無断転用は固くお断わりいたします。


以下は、この報告会の実行委員長、岸本佳則さん(西宮市)から、今回の大阪報告会開催に向けたメッセージ(地平線通信294より)。

◆1996年8月に神戸集会を開いて以降、全国各地で報告会が開催されてきました。それぞれの報告会はどれも印象深く皆さんの記憶に残っていることと思います。また、東京以外で報告会を開くことも今では特別なことではなくなりました。

◆ここ数年、大阪では江本さんが来られた際に地平線のメンバーが集まって飲み会を開くことが半ば定例化してきました。通信復刻プロジェクトにも関西在住の方が何人もいるように、東京の報告会には出席できなくても地平線会議との接点をもたれている人が関西で増えてきていると感じていました。

◆今年の秋には東京で25周年の記念集会が開かれるわけですが、関西在住で大集会に参加したいと思っている人が大勢おられ、準備するとなれば協力していただけるに違いない人の顔が何人も思い浮かぶのであれば、8年ぶりに関西で報告会を開いても良いのではないか。神戸集会が終わって以降ずっと皆さんから言われ続けてきていた、「次はいつ関西で報告会を開くの?」という質問にようやくこたえられる時が来たようです。

◆ということで、江本さんと相談して突然ですが6月6日日曜日に大阪で報告会を開くことを決めました。東京ではいつもの通り6月に報告会は開かれますが、月に2回報告会があっても良いのではないかと思っています。[岸本佳則]



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