地平線会議 in 四万十黒潮エコライフフェア |
地平線報告会本編 |
※エコライフフェア側の案内チラシなどでは「地平線会議 in 四万十黒潮エコライフフェア」となっていますが、地平線会議にとっては「地平線報告会 in 四万十黒潮エコライフフェア」です。ここではタイトルとして大きく印刷されているので、そのままにしておきます。
[四万十川観戦記]
★29日朝10時。既に広い会場に多くの人が来場している。テントは40か50もあろうか。何団体参加しているのか正確にはよく分からない。前日丸一日、山田さんらスタッフと、中学生からお年寄りまでのボランティアに支えられ整えられた会場は、好天に恵まれどこも人で賑わっている。 |
★三々五々地平線の仲間達が集まってくる。山田高司さんの講演が始まる午後1時までは、出展ブースを見て回ったり、食品販売コーナー「エコキッチン」で昼食を調達したり、のんびり過ごす。鰹と文旦がうまいというのが皆の共通見解だ。文旦(1個20円)ばかり大量に仕入れ、テントの下でパクつく。一応地平線の受付テントなんだから、受付の仕事もしなさいってば! ちなみに鰹を食べた食器は100円払って借り、洗って返すと100円戻ってくる(いわゆるデポジット制)さすがエコライフ。ブースは販売あり実演あり体験あり、実に多様で面白い。活気がある。 |
★午後1時、ドームに駆けつけると既に満員で立ち見も入りきらない盛況ぶりだ。まずは江本さんが山田さんを紹介する。登場したのは東京農大探検部時代の山田さんが江本さんに南米から書き送った1981年5月30日付けの手紙。内容は何と強盗にあって身ぐるみ剥がれた話。パンツ一丁になって皆に笑われた、以降人間に気をつけるようになった、20歳そこそこで良い経験だった、とのことである。パンチの効いた始まりだ。恐いのは人間だけではなく、ピラニアの川で釣りをし、ワニの寝床で夜を明かし、という旅であったらしい。「おまえはばかだと思っていたけど、そこまでばかと思わなかったと、ずいぶん言われましたけどね」山田さんは笑いながら話す。 |
★四万十黒潮エコライフフェアという事で、山田さん若き日の大冒険だけでなく、環境問題に関するスライドも織り込まれている。山田さん自身が撮った写真だが、よくこんな良い写真がと思うほど、話に対応した分かりやすい写真がある。熱帯雨林では木種が多様で、100メートル四方で同じ木を見つけるのは難しいんです。そう言って示したスライドには、お行儀良く4種類の木が並んで生えているという調子である。ある川を渡ろうとしたら、雪解けで増水した川に橋が流され、冷たい川を泳ぎ渡ったら体が固まってもうダメかと思った、これが山田さんの地球温暖化体験。「川は地球の血管。川を調べろ、地球の血液検査だ」そう言われて世界中の川に行き始めたと言うが、行き続けた理由は、鏡のような川面に空が映りこんで、上も下も空、舟に乗って空中散歩という状態が楽しかったからだという。 |
★「青い地球の川を旅」するのが先で、「木を植え」るのはついでだそうだ。途中「アマゾン流域は女性人口が多いから、男が行けば嫁のなり手に恵まれる。でも今日は若い人が少ないから言っても無駄か」そう言った瞬間、二十歳の私と目が合った。ボクにアマゾンへ婿入りしろって言うんですか? |
★午後2時、今度は賀曽利隆さんと石川直樹さんがスライドを使って講演風の話をする。ここからは地平線会議のWebサイトで同時中継されたので、ご覧になった方もあるだろうか。賀曽利さんは一足先に四国入りし、バイクで四国を一周してきた、その成果のご披露。地元でもあまり認知されていない峠を見つけましたよ〜!といつもの調子で語りまくる。地図もメモも見ずに四国の地名がポンポン飛びだすのを見て、隣に座る三輪さんが耳打ちする。やはり賀曽利隆はすごい。 |
★石川さんのスライドは、Pole to Poleや七大陸最高峰、それにスターナビゲーションの写真など。今でこそ世界の石川だが、始めての1人旅は奇遇にも中学生時、坂本龍馬に会うための四国行だったそうだ。(高知県桂浜にいるのは龍馬の銅像だけで、墓は京都にあり、石川少年はガックリ来たそうだが)それから数年。今は七大陸最高峰も制覇し、ニューヨークやアフガンといった世界の最前線を旅しつつスターナビゲーションを学びつづけているとのこと。江本さんに問われて「自然と対峙して生きる力・知恵を持った人々に惹かれる」と語る様は鮮烈だ。 |
★講演が終わり、すし詰めの会場から出る。次は全国から集まった地平線の仲間達を紹介するリレートークだ。ドーム前広場に集まり、湿った地面にマットやビニル袋を敷いて座り込む。そこに玄米を使ったおむすびが振る舞われる。これがうまい!うまいうまいと皆パクつきながら話を聞いた。地平線の仲間は、北は山形から南は熊本まで、日本中から集まった。その詳細は地平線ドキュメントに譲るが、丸山さんの司会のもと、それぞれの出身、四万十までの経路、普段の活動などが語られ、みな思い思いの格好で聞き、和やかな雰囲気になる。いままで名前だけだった人の顔を見て、肉声を聞き、言葉を交わせた。陳腐な話だが、直接会うことは大切だ。四万十側の人の紹介もあったが、カヌー遊びを四万十に広めたという人、はた日本で唯一水泳の国際競技でのスターター資格を持つ人が登場したりした。さあこの人は誰でしょう? イアンソープもこの人がいなければ何もできないよ! そう言われて何だろうと頭をひねったが、個性的な人もいたものだ。 |
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★一通り紹介が済んだ後、登場したのが四万十沿いに住む音楽家のATASAさん。シタールの響きが日の沈んだ河原に拡がり、女性ヴォーカル木戸さんの張りのある澄んだ声が、星の輝き始めた空を満たす。そこに篝火が持ち込まれる。放射冷却で気温が下がり、上着がある人は上着を着込み、寝袋がある人は足を突っ込み、中には就寝用スポンジマットを風よけにして、2人必死に寄り添って寒さをしのいでいる人もいるという状況だったが、篝火はかなり暖かい。皆が火の回りに集まる。暗くなるにつれ、お祭り騒ぎの気分から、ゆったりした気分に変わってくる。三輪さんが星を指さす。あれがオリオン座。大星雲が見えるかな? あっちに北斗七星。そこから左に北極星。北極星の反対側にカシオペア…… |
★コンサート後のリレートーク第二段はスライドを映しながら。大久保由美子さんのマナスルでの体験、北川文夫さんのザンビアでのエコツアー、飯野昭司さんは地元・山形の月光川の写真。熊本の川本正道さんは「地平線会議・熊本」創設以来の水絡みの活動を報告した。さらに賀曽利さんにも再登場していただき、石川直樹さんはチョモランマ映像を披露するはずだったが、時間がずれ込んでいたので食事をしながら、という事になる。四万十黒潮大交流会の始まりだ。みな思い思いの食べ物を取っては、篝火の周りで食べる。人気は温かい汁物だが、その他の料理も山のようにあり、美味しい。「ウマイからっておにぎり食い過ぎて失敗したよ」とボヤいたのはどなた? どれも美味しくて、量も食べきれないほどあって、同じ事を考えている人は沢山いたのでは。 |
★賀曽利さんは昼過ぎの講演会のスライドをもう一度。昼は周りが明るすぎてよく見えなかったし、賀曽利さんの話は一回でお終いでは勿体ない。石川さんの映像には、石川さんより1つ年下のフランス人スノーボーダー、マルコ・シフレディのチョモランマ北壁挑戦の姿が。彼はこのとき滑降に成功し、しかし満足できず、もう一度同所に挑んで帰らぬ人となった。白一色の画面に、スルスルと様子を見るようにボードを走らせては止まる若者の後ろ姿が映っている。 |
★かくして四万十の河原での1日は終わった。山田さんの挨拶をもって撤収に入り、今晩の宿、四万十楽舎へ移動する。時間が押している。距離は遠い。人数は多い。声を掛け合いながらの移動作戦だ。四万十楽舎の新玉さん、地平線の丸山さん、落合さんという映像スタッフ3名に下っ端アシスタントの私が最後となり、イベントに使った機材を片づけ楽舎へ移動した。 |
★新玉さんの車で楽舎に到着。1階入口脇の食堂では1日が無事終わった勢いで、もう大騒ぎが始まっている。ビールが配られ、ツマミの刺身が山と盛られ、河原では時間が無かったオークションが始まった! 詳細は菊地さんのレポートに譲ろう。江本さん・石川さんの名コンビに賀曽利さんやシゲさんの合いの手が入り、競りの調子に合わせてATASAさんの太鼓が場を盛り上げる。オークションが終わると1人、また1人と部屋に引き取っていったが、それでもかなりの人数が残って話に打ち興じ、最終的には朝の5時まで続いたそうだ。 |
★翌日ご飯ですよとの呼び声に飛び起きる。朝は慌ただしい。まず早朝出立し東京に戻る石川さんが楽舎を出る。次いで早めに会場入りしたい人、近くのトンボ自然公園に地平線写真展を見に行く人が出発。最後に残った一団は、楽舎の目玉の1つ、カヌーを体験しに行く。賀曽利さんはとっくの昔に出発したあとだ。江本さんによれば、トンボ公園組はトンボの羽化を見るという幸運に恵まれたらしい。カヌー組の菊地さんは、楽しかったよと清々しい様子で戻ってきた。かく言う私は甚だ地味ながら部屋で旅の記録を纏めていた。今でないと書けない事がある。静かな楽舎に、同じくカヌーに乗らなかったシゲさんが楽舎内を案内してもらっている声が響く。 |
★四万十楽舎は廃校になった小学校を改修した宿泊施設だが、敢えて小学校らしさを残してある。部屋の名前は「1年教室」「4年教室」「保健室」といった具合で、江本さんが泊まったのは「校長室」 他の部屋は見なかったが、私の部屋には二段ベッドが3つとロッカーがあった。昨夜は丸山さん、落合さん、川本さんの持ち込んだ機材がコンセントを占領していた。事務所は職員室。階段には卒業生が残していったに違いない似顔絵が飾ってある。部屋の隅に置いてあった、宿泊客が書き込めるノートをパラパラとめくる。四万十楽舎は、ゆっくり何泊かすれば、また貴重な体験ができるに違いない。 |
★会場へ向かう時間となる。車での移動はほぼ楽舎スタッフの方に頼った。ドームに入ると、昨日とうって変わって大分すいている。これはどうした事か。今日は参加できない人が多いのか、はた昨日の話が比較的真面目でピンと来なかったか、とにかく当方としては有難い。自分用と荷物用、イスを2つ占拠できる。こんな面白い話、勿体ないゾー! |
★山田さんが昨日と同様プロローグを務め、江本さん・賀曽利さん・三輪さんに繋ぐ。江本さん曰く「人間、つましくなっちゃいけないんじゃないか、もっと自分は強いんだ、賢いんだと自慢した方が良いんじゃないか」ということで、水「自慢」バトルだ。その題名の調子に相応しく雰囲気の硬さはほぐれ、愉快かつ有意義なやりあいが展開された。2人別々に自己紹介する間はスローペースだが、2人の掛け合いが始まった途端、俄然リズムは軽快になり、話は縦横に展開される。川の流れを真剣に語ったかと思えば、賀曽利さんのムチャクチャな冒険談で会場を湧かせる。江本さんと三輪さんが旅の食事についてやり合うと、それが食文化探求の話題へ繋がる。「厳密に川の源流はどこかという問題はあまり重要ではない。源流と呼ばれる場所には、そこを源流と呼ぶ人々の誇りとなるような風格が求められる」という話には、なるほど、と手を打ちたい気持ちになった。 |
★最後に江本さんは「四万十川は日本最後の清流と言うに相応しいか」という疑問を2人にぶつけた。2人の答えは「否」だ。四万十川は清流としては十指にも入らないという。四万十流域の方々の前でだ。会場の軽い緊張。が、賀曽利さんは続けて言う。「でもね、ここまで日本最後の清流で有名になったんだから、ボクァもっともっとその名前を宣伝すべきだと思いますよ!」 清流の名を宣伝し、その名に相応しい川にしていけばよい。他の川だってそれに負けず、清流を競い合うようになればいい! 四万十川へのエールを送り、地平線会議in四万十エコライフフェアは幕を閉じたのであった。(松尾直樹) |
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