■Part 0…はじめに



●●[写真展・地平線発]の開催にあたって(地平線会議・江本嘉伸)

地平線会議は、1979年8月17日に誕生した、いささか漠然とした志を持つ“行動者のネットワーク”である。地球を舞台に行動しはじめた、日本人の私的探検・冒険、旅の記録を追うこと、行動者同士がゆるやかなつながりを持ち、情報を伝え合うこと、異郷から帰った冒険者から話を聞き出す場を持つこと、などが当初考えたネットワークの目的であった。

なぜ、そのようなことを発想したのか。
まず、1964年4月に海外渡航の自由化が始まり、国民の誰もがパスポートを持てる時代になったことがある。それまでの日本人の探検・冒険というと大学や研究機関など組織を巻き込んだ大掛かりなものが多かったが、この年以降、日本はいわば「私的探検の時代」を迎えた、と言っていいだろう。

たとえば、1963年には年間12万に過ぎなかった海外渡航者数は、地平線会議発足当時の79年には350万人を越え、1986年には500万人を、1990年には1000万人を上回り、1996年には63年の100倍以上の1670万人に達している。
これほどの市民が海外へ出たことは、日本の歴史上なかった。その中には必ずや、記録に値いする、優れた地球体験があるに違いない。その蓄積を記録したい、と考えたのである。 こういう時代にできるだけ地球の状況と人々のことを深く知りたい、行動のジャンルは違っても良い行動者と出会い自身の刺激としたい、という願望がその背景にあった、と思う。

具体的な活動として地平線会議がやっているのは、探検・冒険年報『地平線から』の発行、『地平線通信』の発行、毎月一回の「地平線報告会」の開催などである。年報はこれまでに8冊、通信は213号に達した。

毎月必ず発行してきた通信の号数は、同じく一度も欠ける事のなかった地平線報告会の回数と一致する。79年9月に始まった地平線報告会は、96年6月で200回となった。毎月1回、つまり200ヵ月にわたって、新たな行動者が、地球各地の体験をスライドやビデオの映像、あるいは持ち帰った旅の装備類や現地で手に入れた品物とともに語り続けてきたのだ。
私たちはこの機会に三つのことをやってみた。
まず、200回を記念して全報告者にアンケート形式で書いてもらった『地平線の旅人たち』を窓社から発行した。さらに、年報に代わる情報の集大成として『地平線データブック・DAS』という、分厚い1冊を自分たちの手で制作した(限定500部とした)。そして7月には、東京・青山の東京ウィメンズ・プラザを1日借り切り、「200回記念大集会」を行なった。「地球犬報告」「おんなのひとり旅(テーマを説明するための芝居までやった)」「行動者近況ビデオ上映」など盛りだくさんのプログラムだった。

若々しい意欲に燃えたご夫婦だけの会社「ノヴリカ」から写真展をやらせてもらえないか、との話が窓社の紹介で来たのは、この直後だった。

私たちは、以前ごくささやかな手作り写真展を試みたことがある。そして、本格的な写真展を地平線会議発足20年頃にやろうか、との声は出ていた。旅をする者は文章だけでなく、写真表現にも意欲的であることが多い。旅をする心が、はっとする一瞬、表情をとらえるのだ。それらの写真を1ヵ所にまとめたら価値あるものが生まれはしまいか。そう、考えたのである。
ただ、やる以上、いいものを地平線会議らしくやりたい。そのための準備には時間をかけた方がいい。そういう心づもりであった。

しかし、ノヴリカのお二人と何度か会って話をするうち、これほど熱意をもってぶつかってくれるのなら、受けてみようか、との気になった。ちょうど『地平線の旅人たち』や『DAS』が発刊された直後でもある。そういう熱い時期のほうがアピール度も高い、『旅人たち』や「年報」を広めるためにもいいタイミングかもしれない、と考えを改めたわけである。仲間たちに相談し、やろう、と決まったのは、96年の暮れであった、と思う。

美術展のプロであるノヴリカと地平線会議との間には、無論立場の違いがある。私たちは“珍しい辺境や民族の写真”をずらり並べるだけの「旅の写真展」にはしたくなかった。地平線会議が20年近くにわたって大事にしてきたもの、つまり個の旅、行動者の視点をあくまで重視し、全体像を一定のコンセプトで統一はしない、という立場を貫くことが必要であった。

写真展のタイトルを、1979年8月17日、地平線会議を発足させたときの思いをこめて、「写真展・地平線発――21世紀の旅人たちへ」としたのは、そういう決意からである。

もうひとつ、ノヴリカと企画を進めていく中で、私たちが強く意識したのは、写真展の地方での巡回展示である。ややもすると東京中心で動いてきた活動を日本のいたるところでアピールできるのなら、地平線会議の本来の趣旨からしてもありがたいことだ。できることなら、トラック1台を借り上げ、「地平線号」と名づけて北から南まで日本列島を走り回りたい、とさえ考えた。準備時間や経費の都合で、その夢はまだ実行されていないが、そういう意志を地平線会議は持っている、ということを、ここで明らかにしておきたい。

仲間たちの理解と協力で、いい写真が集まった。ただ、今回の写真展では、結果的に39人の仲間たちにしか声をかけられなかったことが、反省材料のひとつだ。いろいろな制約があったとはいえ、地平線会議にはまだまだ優れた旅人たちが大勢おり、それらの人々の価値ある写真を展示できなかったことは、心残りなことである。いずれ日をあらためて大規模な地平線写真展を開くことを考えている。

1枚の写真が何かを語りかけるかもしれない。
229点の写真が、一つの言葉を発するかもしれない。
この写真展が、日本の隅々にいる、明日の旅人たちに届くことを期待する。

                      1997年8月 地平線会議
                      代表世話人 江本嘉伸



●●[写真展・地平線発]を企画してみて(ノヴリカ・影山幸一)

「現代美術」をご存知でしょうか。見方によれば粗大ゴミ、難解な、集客の期待されない芸術分野といわれています。私たちは、そんなコンテンポラリー・アートと共に生きて行きたい――現代美術家と社会の架け橋になりたい、と1989年11月、企画会社 NOVLIKA(ノヴリカ)を設立させました。
そして昨年8月、新聞記事で「地平線会議」と出会ったのです。『地平線の旅人たち』(窓社刊)のことや、201回目の報告会を神戸で開催するという内容を伝えていました。

鑑賞者がいることによって成立するアートと、たぶん第三者の眼を期待しないであろう行動者たちの行為と、一見対極にありそうな現代美術と地平線会議。しかし、同様に時代を呼吸しながら蠢いている、その反骨的な行動者の骨太さ加減と、地球規模のボーダレスな視点が何とも私たちを刺激したのです。
理論武装にも似たコンセプチュアルな今のアートの方向への自戒の意味を持つ写真展、また飽和状態ぎみの日本社会に、行動する人の捉えた写真の底力を素直に伝えたい、そんな写真展企画の芽が育っていきました。

しかし、非営利のネットワークと株式会社との接点を求める難しさは、美術家と交わる以上に、予想を遥かに超えたものでした。腹を割って話せるまでのステージにたどり着けるか。行動者でないノヴリカにとって地平線は、高く険しい山でもありました。分け入るほどに、行動者ネットワークの老舗である地平線会議の奥深さを痛感。想像以上に多くの屈指の行動者の存在、強烈な個性を持ちながらも、緩やかなネットワークを18年も続けてきたその不思議な求心力。写真展の既成概念を打ち破って、企画者である我々も自ら行動し、写真展そのものも動く“旅する写真展”へと発展して行ったのも当然の成り行きでしょう。

企画立案し、協賛・協力を実際に自分たちで募り、作品制作に駆け回り、カタログを作り、会場を探して、会場設営を準備していく。二人だけの零細会社の存続が危ぶまれた深刻な数ヵ月がありました。
当初トラックに全作品を積み込んで、テントでの開催など、キャラバンのように全国縦断する構想がありました。しかし、一見安価に見えるゲリラ的写真展になればなるほど莫大な経費と行政の法が顔をのぞかせ、一層複雑さを増し、断念したものでした。

日本屈指の行動者39人の1972〜97年の世界の表情229点の作品は、地球を網羅し、極地や秘境といわれる土地も多くありますが、アジアが半数を占めています。日常の風景が多く、先進国やコーカソイドを祖先に持つ人たちの写真が少ないのも特徴です。まるで自分自身や私たちの祖先モンゴロイドに出会う旅、あるいは失ってしまったものを思い起こす旅ともいえそうな印象です。だから、より身近に、撮影者の旅を追体験し、その視点を共有することができる地球体験の写真展なのです。

にわかに普及したインターネットなどによって、地球は狭くなったと思いがちですが、まだまだ広く深い未知の地球が体感できます。一歩一歩自分の足で歩を進めた旅人たちだけが捉えることのできる地球の姿、人々の表情。「写真展・地平線発――21世紀の旅人たちへ」は、次世代に伝えていきたい貴重な写真の集積です。より多くの人たちと共有するために、“旅する写真展”として、出来るだけ多くの土地で開催したいと思っています。

 

                      株式会社NOVLIKA
                      代表 影山幸一



●●この「手引き」の構成と作成の目的

この「手引き」は、[写真展・地平線発]を地元でも開催してみたいと考えているみなさんに役立てていただこうと、「[写真展・地平線発]実行委員会・東京」として制作したものです。

地平線会議とノヴリカ双方からのメッセージをお伝えするPart 0の「はじめに」に続き、写真展の概要やコンセプトを解説するのが、Part 1。続くPart 2では、企画や準備を進めていく手順を具体的に説明し、費用についても触れています。さらにAppendixとして、参考にしていただきたい資料を末尾に添付しました。
このような「手引き」がすぐにでもほしいという声にお応えしようと、何人かで手分けして大急ぎで執筆したため、説明が重複している箇所がいくつかあるなど、ふじゅうぶんな点もありますが、今後も、現状に合わせてどんどん改訂を進めていくつもりです。ご理解のほど、よろしくお願いします。

大勢の人たちが関係してくるプロジェクトでは、さまざまな思惑が交差し、それぞれ固有の事情がからんで、本来的な目的がぼけてくることがよくあります。そんなときにこの「手引き」に戻って、写真展を開催する意味を再確認していただきたいと思っています。



●●「実行委員会・東京」について

この「手引き」を制作した「[写真展・地平線発]実行委員会・東京」は、作品を提供し、写真展の開催を呼びかけていく「地平線会議」と、企画を具体化し、展示を受け持つ「ノヴリカ」によって構成される、この写真展の推進母体です。立場の異なる両者が互いのノウハウを提供しあって弱点を補い、意見交換と調整をはかりながら、今後各地で開催されていくはずの写真展に向けて協力しあっていくために、このような場を設けました。どちらに連絡をとっていただいてもかまいません。必ず話し合いの席を持ち、「実行委員会・東京」として検討していきます。ご理解とご支援をお願いします。


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