もんがあ里美さんから新年東北旅第一報

2012年になりました。しばし、このニュースも手つかずのままでいましたが、3.11関連の動きはその後も続いています。私自身も年末は登米に行っていました。もんがあさんこと、古山里美さんからその後のエネルギッシュな東北旅についてレポートが届きました。まだ1年も経っていない3.11。ことしもいろいろな人が向かうでしょう。(E)

12月の3連休と年末年始も時間が取れたので、マイカーで東北へ行った。2011年は、我ながら、ホントよく東北へ行ったなぁ、と思う。年末年始を含めた東北(RQやいわきの生木葉ファームも含め)への訪問は24回、合計86日の滞在となっている。

さて、3連休。12月22日(木)はダンナの仕事が終わったところを横浜でピックアップし、高速に乗り途中のSAで車中 泊。23日(金・祝)は、福島飯坂ICで高速を下り、国道13号で山形県に入った。米沢市で昼時だったので、米沢牛の専門店に入る。安くはないが、一生に一度だと、米沢牛のステーキを注文。シェフが目の前で焼いてくれ、素材も焼き加減も最高~!! 他に客はいなかったので、シェフに話しかけてみた。「ここまでは、まさか原発の風評被害はないでしょうねぇ?」「いや、最初の頃はありましたよ」「じゃあ、今は大丈夫なんですね」「あと、一時期、放射能に汚染された稲わらを食べた牛からセシウムが出た時があって、その時は流通がストップしましたよ」「そうですか…」山脈を越えて、山形までが巻き込まれる原発事故、恐るべ し、だ。

この日は山形県をさらに北上し、新庄市から国道47で再び奥羽山脈を越え、鳴子に入り、東鳴子温泉の「初音旅館」という、賀曽利さんオススメのライダー大歓迎の温泉旅館に泊った。前にバイクで1度来た私達夫婦のことも憶えていてくれた。ここの女将や若旦那からは、震災時のお話などが聞けた。

若旦那は、あの時、古川に車で来ていたそうだ。地震で車を止めた脇の建物は、比較的新しい建物だったが、ちょっと手前の建物は古く、壁などがバラバラ崩れて来て、その横に止めていたら危なかったかも、とのこと。そういえば、この辺りや登米などは、地震の揺れが最も大きかった地区だった、ということをこの話を聞いて思 い出した。

夕食で頼んだ地酒は、地震で酒蔵が壊れてしまい、今は空いていた酒蔵を借りて造っているとのこと。旅館自体は、古い造りだったが、柱が数多く用いられたがっちりした構造で、幸い大きな被害はなく、停電で困った程度だったとか。また、一時期、ここにはボランティアも滞在し、朝5時から活動していたそうだ。

翌日24日(土)は、宿のすぐ前にある鳴子御殿湯駅に立ち寄る。版画家、大野隆司さんによるほんわかしたムードが漂うの畳大の作品(”猫こけしアート”と呼ばれるそう)が待ち合い室に何枚も飾られていたが、復興を願うメッセージも添えられていた。東北道へ向かう途中にある「あ・ら伊達な道の駅」 では、大崎エリアを中心をした(鳴子も大崎市だ)震災の写真集(「東日本大震災ーその時、大崎は…」大崎タイムス社)が出ていて、購入。パラパラめくると、その場にいたらとても冷静でいられなさそうな物凄い壊れ方をした道路や建物などの写真が目に飛び込み、今まで、津波の被災地を見る事が多かった私だが、改めて、津波が来ない場所でも、地震は恐ろしいと実感した。

その晩は、仙台泊。クリスマスで、しかもわりと直前にネットで宿を探したため、中心部の安めのビジネスホテルはどこも満室で、郊外の「ベストウエスタンホテル」がやっと残り1室だったのを獲得した。仙台の中心部から5キロほど北西にあり、建物 も近代的で、一見、被災はしていなさそうだった。しかし、話を聞くと、震災のため、ライフラインがストップし、給湯施設なども壊れたため、一時ホテルは休業し、8月6日から再開したということがわかった。

また、この宿へ向かう前に、海岸線も走った。まずは、蒲生地区にある日和山へ。標高6mの元祖日本で一番低い山で、2007年に訪問したことがあり、震災後、4月23日にこの地を訪れようと試みたが、道が瓦礫に阻まれ、近付くことができなかった。しかし、今回は、片付けが進み、そこへたどり着くことができた。

すぐ近くに民家があった記憶があるが、今、それは、ない。周囲は、家の土台のみが点在していた。山は、高さが変 わったかは不明だが、その場所に、日和山と書かれた看板が立てられ、裏はホワイトボードになっていて、メッセージが書けるようペンも置かれていたので、復興を願うメッセージを記しておいた。それから南下し、岩沼市(ここも津波被害が甚大)にある、日本唯一の航空安全の神様を祀る神明社へ。やはり4月23日に日和山に続けて来て、ここは神社まで来ることができた。しかし、かろうじて社は残っていたものの、物凄い瓦礫に覆われていた。今回は、その瓦礫がきれいさっぱりなくなっている。が、そこで神社の復興はストップしているようだった。

周辺の家々は、もちろん、土台のままで、そちらの復興すら進んでいない。 神社復興ということは、周辺も一緒に、ということなのかはわからないが、いつの日かそんな日が来るのを願う。仙台泊の翌日は、また奥羽山脈を越えて山形に入り(冬だから雪景色を見たいというダンナの意向)、天道温泉で温まってから帰路についた。

さて、年末年始も、またまた東北だ、ってことで、28日(水)も前回同様、仕事を終えたダンナをピックアップし、途中で車中泊して、やっぱり雪が見たいというダンナの希望で、翌日29日(木)はこれまた前回同様、福島飯坂ICを下りて国道で米沢に入り、山形を北上。夕方になったところで、銀山温泉(山形県尾花沢市)が近いことに気づく。よく山形のパンフで目にするが、情緒ある温泉街の 風景には憧れの念を抱いていて、いつかは泊れたなぁ、銀婚式の時にでもいいかなぁ、なんて漠然と考えていた。そんな銀山温泉に、今、泊れる可能性が急に浮上してきた。麓の大石田駅から直通のバスが出ているので、そこなら宿情報が聞けるだろうと、駅へ向かった。

観光情報のスタッフのお姉さんが親切にも宿に電話を掛けてくれて、2軒目で空きが見つかり、古勢起屋別館という、木造5階建ての立派な温泉宿に泊ることになった。宿の人によると、年末年始はいつも満室だから普通は泊れない、と言われた。原発の風評被害で、お客さんが、特に海外のお客さん(主に台湾、香港)のキャンセルが相次いだとのこと。また、日 本人でも、ここに来る際は福島を通るのを避けて、新潟経由で来る人もいるのだとか…。宿の方には申し訳ないが、私達にとっては、銀山温泉に泊れて良かった~。

翌30日はまた新庄→鳴子のルートで宮城に行き、北上して奥州市のバイク友達宅に宿泊。31日は予約をしていた普代村の国民宿舎くろさき荘へ向かうのだが、途中、三陸鉄道の久慈駅に寄り、三鉄応援商品である「きっと芽が出るせんべい詰め合わせ」を買い、車内でパリパリ食べつつ…、おいしい♪ くろさき荘では、年越しイベントで餅つきやそばの振る舞いなどの他、釜石の伝統芸能「虎舞」の披露もあった。踊り手は、なんと、三鉄の釜石駅長さん、菊地さんと いう方だ。なんでも、名物駅長さんで、テレビにも出たそう。

ユーモラスな舞いのあとは、三鉄の歌や、元車掌でもあるため、南リアス線の釜石駅から盛駅(大船渡駅の北にある)までの車内放送の観光案内のトークも、三鉄が復興したらぜったい乗ってみたくなるような名調子で披露してくれた。三鉄は乗ったことがない私だが、2011年の東北ツーリングでは、鉄ちゃんのダンナに連れられて三鉄やJRの駅も数多く立ち寄ったので、その駅の様子が目に浮かび、鉄道が復興したら、列車の旅もしてみたいと思った。

明けて元旦。暖かい部屋から大平洋に薄くかかった雲の合間から初日の出を見た後、外に出た。昨日ついた餅が炭火で焼かれ 、甘酒の振る舞いもあった。そこには、支配人と楽しそうに話し込んでいる地元の漁師さんがいた。漁師さんは、普代村の15.5mの防潮堤(このおかげですぐ内側の集落は、まったく津波被害なし)は、高さがあるだけでなく、田老など他の場所では、土を盛った上にコンクリートを被せているという造りがほとんどという中、譜代のは中に鉄筋を入れてコンクリートでがっちり造った構造なんだ、ということや、譜代の多くの漁師は、地震が起きてからすぐに沖へ船を出したので船の被害は少ない方だった、しかし、漁の種類によって船が違うので、普通漁師は船を2~3槽持っており、もちろんすべての船が救えたわけではない、などと 普代村の実情を話してくれた。

また、支配人だが、山田町の実家が被災しているとのこと。ここ、くろさき荘は高台で津波被害もなく、なごやかな正月を迎えてはいるが、実は、さまざまな人の気持ちを抱え込んでいるのだった。

1日の宿は、予約なし。国道45号で沿岸部を南下していると、時間的には大船渡が良さそうだった。泊れる宿のリストは前回、盛駅に立ち寄った際に手に入れているので、釜石あたりで電話を入れたところ、3軒めで空きが見つかった。大船渡の南部、下船渡の駅から近い高台の宿「オーシャンビューホテル丸森」。部屋からは大船渡湾が一望で、ここにいたら津波がよく見えたことと思う。このホテルで は、空いた部屋を被災した美容室に貸出していて「絆」という名の美容室があったが、正月期間は丁度お休みだった。夕食は、近くに復興屋台があるというので、そこへ。宿から車で5分程、国道45号を大船渡駅方面へ北上すると、明るいネオンが輝き、そこがそうだった。プレハブ造りで、20軒ほどはあっただろうか。ただ、”屋台”の名の通りどれも座席が少なく、すでに入っているお客でいっぱい。それではと屋台村のすぐとなりの、やはりプレハブ店舗の居酒屋に入った。

店内は広かったが、同じく多くの客で賑わい、やっと2人分の座席が空いていた。プレハブ店舗といえど、料理はあなどれない。海鮮ピザは、店員さんに小さいです よ、と言われつつも注文したら、確かに直径は小さいけれど、乗っているエビ、イカ、ミニホタテなどが溢れんばかりの盛り沢山で、感動! 他の料理もおいしく、満足、満足♪

2日は、宿から海に下り、下船渡駅から県道で北上し、大船渡駅へ向かおうと試みた。県道の両側は、黒色の紫外線防止土嚢がずらりと並び、茶色の吸出し防止材(見かけはジュータン)で覆われている。土木関係の職を持つダンナによると、道路のかさ上げ工事の準備だという。大船渡の地盤沈下も深刻だ。いくらも進まないうちに、大きな水たまりというか、道が水没している箇所があった。ザバザバ…、ダンナも慎重に運転し、そこを無事に切り抜けた が、その先は、ずーっと水没が続いていた。無謀なことはやめようと、今越えた水没箇所をもう一度戻り、上の国道45号に出た。

さて、実は昨日、1つ気になったことがあった。大船渡の宿を探して電話をかけた1軒目の宿「ホテル福富」。かけても全然出る気配がなくあきらめたのだが、場所は、大船渡駅よりも海側にあった。大船渡駅は津波で完全被災している。前(11月下旬)に通った時は、陸側の国道45号近くに寿司屋が開店した(ちょうど開店祝いの花環が立てられていた)のを見たが、それ以外、特に海側はまったく復興していないように感じられた。そこで本当に宿が営業しているのか? 果たして、そこの宿に行ったら、もち ろん津波被害はあったが、建物は存在し、下の階のガラスはすべて新しく取り替えられ、上の部屋にはカーテンがかかり、駐車場には車も泊っていた。よかった、リストの通り、間違いなく営業していたんだ、とホッとした。次回はここに泊って、夜は寿司屋かな、なんて夢も膨らんだ。その後は、震災後、何度も訪れ、1か月前にも訪れた陸前高田へ。前回は、1本松は、幹だけになった、と思ったが、今回、それは別の松だったことが発覚した。

本物は、茶色いながらもまだ葉を付けて、すっくと立っていた。そして今回は、初めて間近まで行った。根元には、「父母地蔵尊」と台座に文字が彫られたお地蔵さんが置かれていた。しかし、 観光客の多い事! ここで焼き芋の屋台とかお店を出したら、一商売できそう。次から次へと来る。千葉や横浜など、関東ナンバーの車も多かった。

正月休み最後の宿は、福島の飯坂温泉に予約を入れていた。聞きはしなかったが、ここも間際になっても予約が取れたのは、風評被害で客が減ったからかもしれない。チェックアウトの時に、3.11の時は、ものすごい揺れで、お客さんも帰したし、建物からみんな飛び出し、寒い中、余震も何度もあって大変だったと聞いた。そして、3日は一路帰宅の途へ。私事だが、退院を目前にした母の容態が急に悪化したと連絡を受け、心はそのことでもういっぱいだった。幸い容態は 落ち着いたが、今年の東北行きのペースは、そんなこともあり、控えめになりそうだ。しかし、少なくとも、ダンナには1月中に山形へ行ってもらわないと。実は、銀山温泉に泊まった翌30日に、車の電気系統の重要な部品が脱落し(脱落はたぶん前日)、なんとか修理屋には走行できたものの、もう年末で純正部品は手に入らないので、そこで車は預け、急遽レンタカーに乗り換え、自宅のある神奈川で乗り捨てとしたのだ。たぶん、1月中旬には直るだろうマイカーを、取りに行かねばならないのだ。長くなるので省くが、この時は地元の方にはずいぶん親切にされ、故障して余計な出費もあり、がっかりはしたものの、心温まる日でもあった 。

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