閖上(ゆりあげ)へ。一気に風化してゆく風景

14日深夜から15、16日の週末、地平線会議の仲間たちと福島、宮城へ行った。津波被害に遭いながら、立ち上がったある旅館を応援に、という趣旨だが、同時に時間の経過とともにどう被災地が変貌してゆくか確かめる意味もあったのだ。

関東地方と東北地方を分ける鵜の子岬を夜明けに迎えた。震災の傷跡は無論、茨城県内でもあちこちに見えるのだが、すでに一見してわからないまでに修復されている所も少なくない。平潟、勿来と北上して小名浜へ。まだ電気が断たれたまま点滅しない信号機がここには残っていた。

漁港近くの「みなと食堂」で朝食。魚を材料にした港町の食堂が復活営業しているのは、頼もしい。私は「うに・いくらご飯」を頼んだ。四倉まで上り、久之浜へ行くと、奇跡的に海辺の赤鳥居が生き残った波立海岸へ。鳥居まで歩いていこうとしたが、橋がやられていて通行不能となっている。

「よこ川荘」という民宿へ行く。津波に襲われた直後、1階は砂と瓦礫で埋め尽くされ、厨房内はめちゃくちゃに破壊され、「もう再営業は無理では」と以前からこの宿を知る地平線仲間は思ったというが、おかみは見事3か月で復活させた。そういう頑張った宿に14名で泊まること自体、意味があるのだ、と痛感。夜、原発問題などで議論は盛り上がった。

翌日は、川内村、葛尾村、飯館村と原発20−30キロ圏を行く。川内村の静けさに驚きつつ、飯館村に入ると役場前には観光バスが2台。大型の線量計の前で記念撮影する人たち。原発被害対策に関わる人たちなのだろうか。美しい色調のモダンな役場は、いつの間にか”視察順路”のひとつとなっている。

さらに南相馬市、相馬市を経て私としては初めての新地町へ。常磐線がずたずたにされたここは町がすべて破壊されて、跡形もない。「新地駅」の壊滅ぶりもすさまじく、ただため息をつく。

しかし、衝撃的だったのは、この日足を伸ばして行った、閖上(ゆりあげ)の惨状だった。地平線報告会でここで被災された方の話を聞いていた。テレビで何度もこの地の様子は放映されているので、ある程度想像できていたが、うーむ、それにしても。

一面、何もないのである。こんなに平らで広い町が津波に一気にやられたのか。4階建ての鉄筋マンションもすべて吹き抜け状態になっている。墓地は、一基ごとに墓標が倒され、時には底からくつがえされている。住民が逃げて助かった閖上中学校の建物がいとおしく思えた。

しかし、この閖上でさえ、すでに最悪の状態からは脱しつつある。瓦礫の山は、分別して移動され、さら地ができつつある。何もないが、時間が経つにつれて被災地は目に見えて整備されてゆき、震災直後の目を覆うほどの惨状というのは、明らかに影をひそめつつある。

風化しつつある風景。私たちは意外に早くあの未曾有の大津波がもたらした瞬間を忘れてしまうかもしれない。そう思って心がふるえた。何かが足りないのだ。おそらく「死」の現実、「死」の証拠から目を背けすぎているために。

 

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