青木明美さんから「いわきのその後」など

元気な二児の母、横須賀の青木明美さんから、「もんがあさんに何か書きなさい、とし尻をたたかれ」久々にメールをもらった。明美さんは1998年8月の地平線報告者。生田目明美時代で、「バイクキャラバン青の都へ」のタイトルで話してもらった。男たちを従え、中国のカシュガルからウズベキスタンの青の都・サマルカンドまでのシルクロード・ツーリング。歯切れのいい文章とともに地平線の“豪傑”として知られる。

2、3日、短い期間ですが、私も東北へ向かいます。

江本さん、こんばんは。

息子が小学校に入学し、片道2キロ通学で我が家のタイムスケジュールが一気に朝型に変わり、保育園では大人の事情で(笑)PTA副会長になり、小学校でも広報委員を引き受ける事になり、相変わらずフルタイムの仕事は続け、なんやかやと日常にバタバタ忙殺されておりました。

そんな折、いわき支援の時のいわき出身のママ友から連絡がありました。

今度は東京電力ふくしま第一原発のある大熊町の住民2000人が避難先の田村市から会津若松に避難先を集団移転したので、会津若松に物資が足りないので支援したい。

ただ、前回のいわき支援は3月で春休みでしたが、今は彼女の子供の幼稚園も始まり、物資を集めたり、トラックを仕立てたりする事は無理なので、義援金を会津若松に支援物資を持って行く友人に渡し、支援物資購入や活動資金に当ててもらうとの事でした。

そこで彼女の自宅で子供服等の古着のフリーマーケットを開き、売り上げを義援金にすると言うので、私は客になって、娘の夏物のワンピースをゲット!

もちろん出品にも協力して、おもちゃやオマルなんかを出しました。ママ友ネットワークの中のお子ちゃまは、4才以下が多いので、うちの息子と娘の古着が丁度いいのですが、3月末に保育園で被災地に送る子供服を募っていたのでダンボール5箱くらい、すっかりさっぱり出してしまい今回フリマには服はほとんど出せませんでしたが、おもちゃ類を買ってもらえて、全額義援金にしました。

今やれる事をやる。小さな事でも、ほんのわずかな事でも、やらないよりやった方がいい。そんな事を実感できる出来事でした。

いわきのその後を少し聞いて来ました。
がれきはまだそのままだし、相変わらず、行政は避難所以外の被災者には手が回らないようだけれど、店が通常営業しているので、状況は随分良くなったとの事でした。

来週は息子の小学校の運動会です。
やっと新学期が始まったばかりの被災地の学校や校庭に出られない福島の子供達の事をふと思ってしまいます…

もんがぁさんに、地平線311に何か書きなよぉと尻をたたかれ(笑)…風邪気味の娘が咳で眠れずに、夜中に吸入して、やっと寝かしつけたら、今度は私が眠り損ねたので、布団から携帯メールで打ちました!
青木明美

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青木明美さんから「いわきのその後」など への1件のコメント

  1. もんがぁ〜さとみ こと 古山里美 より:

    うぉぉ! 忙しい中、携帯での長文メール。私、プレッシャー、かけすぎたかしらん?
    しかし、いわきのその後のお知らせ、重要ですね。
    いわきだけじゃないけれど、どこも1回お手伝いしたからもう終わり、というレベルじゃ
    ないですものね。
    私も、RQ登米での現地ボラの後は、大きな支援はできる状況ではないですけれど、
    明美ちゃんが書いたように、小さくても出来ることをやるのが大事と思って、やっています。
    5年でも10年でも、期限は自分で決めて…。

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