なぜか話をしているうちに涙がこみあげてくる・・・アウトドア義援隊、天童での役割終了-ボランティアたちを支え続けた網谷由美子さんの報告

もうおとといのことになるが、17日、天童のアウトドア義援隊の現地本部でボランティアの皆さんによる大掃除が行なわれ、1か月に及んだここでの活動の幕を閉じた。夕方5時からはアウトドア義援隊隊長である辰野モンベル会長の挨拶、被災地を伝える写真家の記録などを中心に活動報告会が開かれ、ついで「謝恩会」が行なわれた。

私もこの会に「RQ市民災害救援センター」の代表である高木さんとともに参加させてもらった。緊急支援を必要とした東日本大震災発生直後、合計300トンの物資を被災現地に届けたアウトドア義援隊の活躍は貴重だった。RQも大いに助けられた。高木代表は、それへの感謝を伝えに駆けつけたのだった。

山形には地平線仲間が多い。あかねずみさん、飯野君、おーしまさん、大江さん、それに社員ボランティアとしてはるばる参じたガンさんこと岩野さん、皆さん、ご苦労様でした。長い間、ボランティアたちの食事作りを引き受けた地平線仲間のあかねずみこと網谷由美子さんに最終日のできごとをレポートお願いした。 皆さん、おそらく別の現場でまたなんらかのかたちでボランティア活動をやるだろうな。

(4月19日0時40分着信)

3月19日からアウトドア義援隊本部として機能していた天童の拠点は役割を終え、新本部がモンベル仙台店に移行することに。一ヶ月間物資の集積、仕分けの基地として、ボランティアのテント村として、県内外のボランティア同士の交流の場としてお世話になったミツミ電機さんの倉庫を4月17日、モンベルスタッフさんと大勢の地元ボラン
ティアさんたちで大掃除をしました。

全国からの善意の物資を無駄にしないため、その前に徹底的にパッキング、受け入れ先を探して配送してあったので、広い倉庫はガランとして広々。食堂からもありとあらゆるものを片付けてから手分けして大掃除。床に残ったガムテープも人海戦術で丹念に探し、「あったー!」の声にテープ剥がし剤を持った人が駆けつけてきれいに取るという徹底ぶりでした。

ぴかぴかになった広すぎる倉庫で、みんなで大鍋のトン汁で昼食。ころあいを見て、立ち上げ当初からボランティアのまとめ役をしてきた八木さんから「被災地に行ったことのある人から、一人ずつ話をしてもらいましょう」と提案された。

ここにボランティアに来る人のほとんどは都合のつく日に日帰りで物資の仕分けをしてくださっていたが、当初登米に仕分けした物資を配送するだけだったのが、途中から被災地に直接物資を届けたり、被災家屋の片付けに車を何台も出すようになり、出かける人がたくさん必要になったこともあり、日帰りのボランティアさんからも被災地に同行する人が何人も出ていたのだ。最近は特に若い人に現地を見てもらおうと、積極的に送り出していた。

一人ずつ短くではあったが、自分が見たこと、感じたことを話した。現地でも、帰ってからも泣かなかったのに、なぜか話をしているうちに涙がこみあげてくる・・・何人もが同じようにだんだん感情が高ぶってしまうのだった。つい昨日あたり行った人よりも、少し時間が経過した人の方がその傾向が強いように感じた。

精神的なダメージは後になって出てくるとは聞いていたが、自分も被災地に行った直後は泣かなかったのに、やはり話をしているうちにセーブできなくなってきて愕然としました。

でも、伝えるということ、吐き出すということ、二つの意味で話すことは必要なのでしょう。

人手が多いので、広い広い倉庫を徹底的に掃除しても予定より早く終わり、午後は義援隊に無料で大浴場を開放してくださっている天童温泉の滝の湯さんに汗を流しに行けました。

夕方5時からは交流会。お掃除だけの人や、都合で交流会だけ参加の人もいたが、どちらの部も50人前後の参加となった。現地に行けたのはごく一部の人なので、災害直後にモンベルで被災地に入った時のDVDが上映され、被災地の様子、支援活動の様子が伝えられた。

辰野会長のしの笛と地元ボランティアの方のセッションがあったり、泊り込みでどっぷりとアウトドア義援隊とともに過ごしてきた地元ボランティアの報告コーナーも突然あって、自分の番がふいにまわってきて動揺(笑)。

かたや辰野会長のところには、モンベルさんが記念品に準備してくださった「アウトドア義援隊」のロゴ入りタンブラーにサインをしてもらう行列が。
毎日朝5時から夜11時まで食事当番で走り回っていた私をアロマテラピーの資格をとったボランティアさんがお疲れ様でしたとアロマオイルでハンドマッサージしてくださっていると、興味津々の江本さんが割り込もうとしてきて「女性限定ですよ」と言ったのに、後でちゃっかりしてもらってましたね(笑)

辰野会長が肩こりが尋常ではないとおっしゃるので、肩に一人、両手に一人ずつの三人体制で揉む図もありました。
交流会の後、二次会が盛り上がるかと思いきや、みんな疲れたのか二階の食堂に残ったのは数人だけ。寝ている人たちに遠慮してひそひそと静かに盛り上がっておりました。

翌朝、8時のバスで長野に帰るボランティアさんを山形駅まで送って天童に戻ると、モンベルさん二人が遠野に最終物資搬送に出ていて、辰野会長と江本さんは被災地に出かけ、残ったのはモンベルさん二人と地元どっぷりスタッフ数人だけになっていました。最後の最後の後片付けをして、昼頃に静かにさらりと解散。

みんなどうにも実感がなく、荷受口に入るとトラックが物資を持って来そうな気がするのでした。
昨夜は天童の雰囲気が好きで好きでしょっちゅう手伝いに来てくれていた「これから女子大生」が大泣きして帰りましたが、今日は最後の最後まで後片付けして、ほんの数人で静かにさらりと解散。
実際終わっていないんだし・・・
一度でも被災地に行ったメンバーはみな、「また行きたい。必ず行く」と言っている。

はじめは「近所だし行ってみるか」という感じで集まった普通の若い子たちが、ここでいろいろな人に出会って成長し、確実に変化したように見えます。最初はおもしろい人がたくさんいて楽しくてしょうがなかっただけかもしれないけれど、被災地にも行き、衝撃を受け、それをなんとか消化しようとし、変わっていきます。
被災地への支援だけでなく、関わった人の多くに得るものが大きかった天童の拠点でした。

短めで、と言っておきながら長くなってしまいました・・・

山形市 網谷由美子

カテゴリー: エコセン・義援隊・RQ関係, 地平線会議   タグ: , ,   この投稿のパーマリンク

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