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■5月の地平線通信・234号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)
●イギリスのロンドンに夫の仕事の関係で3年間住み、このほど帰国しました。上の娘が1歳で渡航し、2年前にロンドンで長男が生まれたこともあり、本当はもっと楽しみたかったっという気持ちもありましたが、今は、ベビー用チャイルドシート、背負子式キャリアはあるし、航空券も2歳まではタダ同然。楽しく過ごさねばと、二人の子供を連れ、イギリス内外を旅してきました。
ロンドンでの出産体験、二人の子連れ旅行などなど「さぞ大変でしょう」という労いの声をかけられることも多かったのですが、(かけていただいた方々には申し訳けないのですが)、東京から遠く離れているという心理的解放感もあり、むしろ、日本での子育てより楽だったと思います。かくして、長男の生後6ヵ月から、東奔西走の旅が始まりました。
●ヨーロッパはどこを旅しても、見るものは『石』でできたモニュメントや自然の景観。ヨーロッパの文化自体、石の文化と言われますが、わが家の旅も目指すはいつも、古代遺跡、ストーンサークル、そして洞窟などでした。だいたい、ロンドンのわが家も築100年の煉瓦造りの家、夫は、仕事は鉱山、思いを馳せるは地底の洞窟と、日々の生活でも、石との縁は切れることなく続いているのです。
●ブリテン島には約5000年前から先住古代人といわれる人々が住み着き、沢山の石の遺跡を残してきました。イングランドのストーンヘンジはその一つですが、この他に全国に無数の無名の遺跡が残されているのです。道標が整備されていない場合、地図を頼りにそれらを探すのですが、二人の子連れで、それはもう珍道中。
普通、古代遺跡は、道沿いというよりちょっと奥に入ったところにあることが多いのですが、イングランドの緑の牧草地は、羊や牛が草を食み、一見のどかで楽しいのですが、足元をよく見ると羊や牛のウンチだらけで、最後はブッシュの中を歩いていくしかなく、ぬかるみに、トゲトゲの植物、そして泣き叫ぶ赤児と、いつでもやめたくなる気持ちを抑えていました。赤児連れの最後の薮漕ぎに躊躇して敗退したこともありました。洞窟ではさすがに、観光化されたところばかりですが、必須携帯品は飴玉。夫は『洞窟は生まれる前の子宮体験と同じで気持ちいいはずだ』と言いますが、赤児にそんなことわかるはずなく、飴玉でだましだまし探検するしかありません。
●英国では、コーンウォールやウェールズに、ストーンサークル、ドルメン(板状の石を鳥居状に積んだ支石墳)などがいたるところにあります。石には、太古からの記憶、エネルギーが宿っていると言われています。ドルメンは日本の鳥居に似た形をしていますが、円周率π(パイ)にも関係し、いずれも太陽信仰に通じるものといわれています。ケルトの人達は、先住民の作ったこれら遺跡を、そのまま祭祀に使ったものといわれています。
さらに、その後にやってきたキリスト教徒たちは、これらの遺跡を破壊し教会をたてたとも言われています。こういう宗教的なモニュメントのある場所は、古代から聖地として、人々を引き付けるエネルギーに満ちていたということだと思います。ある遺跡で出会ったヒッピー風の若者いわく「モニュメントを作ることによってエネルギーを集めるのではなく、もともとの自然のエネルギーの形を石を使って表したにすぎない」
●これを聞いた夫いわく「そういえば、ロダンにしても、円空にしても、彫り上げるというより、もともと素材の中にある自然のものを掘り出すという感じがするし、古代人も芸術家もこうした見えないものが見えるってわけだ」
●わが家の旅は、イングランドを離れても続きました。アイルランドのニューグレンジの円形古墳やスライゴの遺跡群、バルト海ゴットランド島(スウェーデン)の北方民族古墳、地中海の独立国マルタのタクシーン神殿、カートラッツ(轍状に続く2本の平行する謎の溝)、マジョルカ島(スペイン)のドラック洞窟遺跡、北スコットランドオークニー島の巨大ストーンサークルなどなど、ヨーロッパの先住民の作った多くの遺産をみることができました。
何を好んで石ばっかり尋ね歩いたのか。そんな場所が私たちを呼んでくれたとしか思えません。上の娘は「ストーンサークルも洞窟も嫌い!」とはっきりいいますが、きっと彼女の記憶の奥底に、古代人からのメッセージが刻み込まれたに違いないと思っています。(神谷恵子)
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石川直樹 |
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●刑務所には懲罰という、わけのわからない懲罰が存在します。いわば規則破りということなのですが、その規則というものが世間一般で言う規則には当てはまらないため、その内容はとかく奇異なものに映ります。
●例えばそれが一般社会でも犯罪とみなされる行為、具体的には、暴行、窃盗のたぐいなら、それはそれで納得できます。ところが、物品不正使用とか、時間外運動、よそ見、放歌といった項目となると、そんなことまで違反になるのか、こりゃ辛いわい、ということになります。
物品不正使用とは、貸出された物品を本来の目的以外に使ってはならないという規則で、例えば借りた本にしおりがなくて、折り目をつけたとか、飛んでいる蝿をチリトリで叩いたとかいった場合です。あくまでも本は読むものであって折るものではない、チリトリはゴミをすくうもので、蝿を叩くものではないという理由からです。
●時間外運動とは、工場出役中には決まった時間以外には運動できないので、ああ疲れたと首を動かしたり、肩を叩いた時にその対象となります。また、入院中の患者が安静時間にベッドから離れることも時間外運動となります。
●一定時間外のトイレもまたその対象。もし懲罰になりたくなかったら、その場で失禁するしかありません。しかし着替えもなければ、床も汚すわけですから、垂れ流しのまま、なんだてめえ、これっぱしのことも我慢できないのかと叱責を受けながら働くしかない。
●労働中に何らかの物音に気を取られ、振り向くことも許されません。これがよそ見となって懲罰、つい鼻歌も放歌で懲罰。ですから、質の悪い収容者、ことに反抗的な態度を示す収容者を懲らしめる時にも、懲罰は意識的に行われるようです。例えばあえて挙げようとする収容者がいると、なんやかんやと注意をそらす行為を行い、気が散るや、はい懲罰というわけです。さて、その懲罰になるとどうなるか、これは次回に。
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◆昨年、彼女は71歳になりました。花も恥らう乙女が、はるか遠くに来たもんです。「それにしても、ま、この辺で人並みに海外旅行に行くべいか」。彼女はサウジアラビアのツアーに参加する事にしました(昨年11月のツアーから、女の個人参加もOKになったのです。但し40歳以上)
◆ところがなんと一割以上の人間が、地球の上を行ったり来たりしているこの旅行狂時代に、人が集まらなくてキャンセルになってしまったのです。しかし、旅行会社はメゲません。「来年2月にも企画してます。必ず集めます」と。その言やよし。彼女は2月に賭けることにしました。
◆しかし、待ってる間、かねて狙っていたベラウとミクロネシアに「ちょっくら行ってくべ!!」と一ヶ月の周遊チケットを握り締め、「いよいよ来週は出発よーん」とウキウキしていたある朝、一瞬にして奈落の底に転落します。今日まで一番お世話になってきたご本人のお尻から、オー・マイ・ゴッド! 鮮血がポタ・ポタ・ポタ・・。
◆賭けこんだ診療所で、超スピードでも二日も三日もかかるあれこれの検査と、刻々迫る出発時間との闘いは、まさに間一髪でセーフ。教訓は「ためるな。出す時はリキむな」で落着。それにしても、なぜ出発直前なのよ? その絶妙なタイミングに泣けますね―。
◆年が明け、時は卯年。南海のコサムイ島では、飛行機事故で3泊4日の足止めと相成りました。早速、島一番のホテル(航空会社もち)で快食・快便。このオマケつきをたっぷりエンジョイする彼女でありました。
◆34日の旅から帰国し、2月のサウジアラビアツアーもまたハラハラの日々。そして遂に、今回も人が集まりません。待ちに待った紀元前40世紀のマダイン・サーレハ遺跡もメディナの聖域も、熱砂の彼方に悲しくも消えてしまったのであります。
◆そこで彼女は考えた。「ブータンがある(ここは手配旅行でないと入れない。ならばツアーがベター)」。ところが、ここも最低の10人が彼女をいれて7人。それでも、2月20日の出発が決まり、旅行会社に拍手を送ります。
◆説明会も終わり、出発も秒読みに入った16日の朝、青天の霹靂、再びあの悪夢が。今度は後ろじゃあない。前なのだ。正直に告白することを許し給え。朝の排尿の時なのじゃ。あっ、鮮血がポタ・ポタ・ポタ・・。
◆自慢じゃあないが、20年近く定期検診はしていません。病院では、レントゲン写真を前にして「膀胱に怪しいものが見える」。先生と看護婦が一緒になって「怪しい、怪しい」と合唱します。「それじゃあなんか、ボーコーガンか?」。ボーコーガンが気に入らない。上品じゃあない。上ならいいといっても、“鼻血ブー”も品がないぞと、この期に及んで彼女はあれこれ深遠な思索を巡らすのでありました。
◆翌日、内視鏡で診て、さらにCTとなりました。三日目のCTは自動車の洗車のようなシステム、服のまま寝て、上を機械が行ったり来たりして終わり、「明日金曜日は専門の先生が来て、これを見ます。月曜に来てください」
◆「そもそも、どこに行くのですか? なに、ブータン。そりゃあ無理ですよ。ブータンで出血したらどうします」と医者。「血が固まると尿がつまって苦しいわよ」と看護婦。既に出血は16日の午前中で終わっているのに。ムリムリ内視鏡、CT撮影となった上、大いに脅され、ついに、この夜、泣く泣くキャンセルを決めたのであります。
◆いよいよ最終決定が宣告される月曜の病院は、相変わらず大勢の患者が右往左往。門前も院内も列をなす賑わいです。酸素の足りない空気のまずい院内でたっぷり待たされ、やっと先生の前に腰を下ろします。
◆連日のハードワークで鮮度の下がった先生は「入院するなら10日後。その結果がわかるのが1週間後」。彼女は黄色い声で「今日まで待った尿の細胞検査とCTが白でも、入院するんですか?」「内視鏡で診たものを摘んで、細胞検査をして初めて100%はっきりします。勿論、1〜2ヶ月後にまた内視鏡で診るという医者もいるでしょうね。そうしますか?」。初めからそういってくれれば分かり易いのに。お医者さんの日本語は難しい。
◆それにしても、尿の細胞検査とCTが白。内視鏡の先生だけが、あの時何かが見えたというのですが、問題はなぜ突然出血したのか。これが謎です。しかも、再び出発直前に。分かりませんねー、人生は。
◆ブータンをキャンセルした彼女は翌週(編集部注:2月28日)インドに向かいました。このミラクルこそ神のお告げなら、神の真意を尋ねるべく、それには神も聖者も溢れるインドというわけです。相変わらず発想が数にこだわっている気がしないでもありません。それにしても、贅肉タプタプの彼女が解脱し、空中浮遊できるのでしょうか。なにより、命あっての物種。肝炎やエイズから身を守ることができるのでしょうか。ここは一つ、彼女の無事を祈りたいものです。(金井重)(この旅の詳細は?待て次号!)
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●その頃の私は、自分の居場所(在るべき所)を必至に模索していた。今でこそフリーターや所謂「何もしていない人」のアイデンティティがある程度確立されているものの、当時はまだ「見えないIDカード」とでも言うべき「何かに属している、もしくは分類できなければ人間(日本人)として認識されない」という風潮があった。
●そんな時にHと出会った。「ずっと待っている」と言ってくれていたF君がアンソニー(キャンディキャンディ)なら、Hはテリ―だった(笑! ちょっと二枚目過ぎるけど)。今思えば全てはこれが始まりだった。Hの周りにはいつも人が集まっていた。その中にあって彼は一匹狼的雰囲気を醸し出していた。世間を陳ねていた私はそのアウトローぶりにばかり気を取られて、背後に漂う怪しく澱んだ空気を察知できないまま、彼を自分の唯一安住の地と錯覚してしまった。
●Hは、妻の浮気現場に遭遇し、逆上して彼女に瀕死の重症を負わせ、殺人未遂で執行猶予中だった。そして離婚後、施設に3歳の娘を預けていた(妻が未成年だったためか、彼が親権をもらえた)。この時は母をはじめ周囲から大反対に遭い、さながら新興宗教の被害者の会の様相だった。それは、彼への批判が一連の彼の過去にまつわることが原因だと思いこんでいた私には火に油を注ぐようなものだった。
そして大学受験の合否が出る頃になって(案の定、第一志望は落ちた)、坊ちゃんF君から「A新聞社に決まって4月から奈良支社に配属になる」と連絡が入った(その電話を受けたのは母だった)。それまで、彼のアンパン母上が遠因で、F君との交際にあまり賛成していなかった母が「とにかく奈良に行け」と言い出した(健気な親心だ)。
●親への不信感、将来への不安、先走りの自立心、偽善の正義感、全てがマイナスの方向へ作用していった。そんなすったもんだの中、生理が止まった(おいおい・・どっひゃあー!)。「女19(厄年)は孕むか死ぬか」の本領発揮である。バースコントロールもできないようなガキがSEXしちゃいかんよな! でもHは28歳だった。
●全くの計画外ではあったが、これでとりあえず事態収集かと思いきや、突然!下腹部に異常が・・。緊急入院するも結局だめで手術台の人となった。麻酔から覚め、ふとベッドサイトを見ると病院食のトレーの上にスイカが・・。「スイカってこんなに赤かったけなあ・・」。窓の外では五月雨に濡れて青味の増した葉桜の染井吉野が揺れていた。「赤ちゃんダメだったんだ」。
●事態の目紛らわしさに19の私の心も体もついて行けなかったのだ。神様が「3月のF君からの電話」「5月の切迫流産」と二度も助け船を出してくれたのに、ここに及んでも彼の背後の暗雲に気づかなかった。そしてまさかのジューンブライドとなった(うわー恥ずかしい!)。性懲りもなく、そのうち周りも分かってくれると甘い夢を描いていた。現に「妻とはこうあるべきだ」という信念の元、山内豊一の妻よろしく日々涙ぐましい努力を重ねていた・・はずだったが(笑)、志し半ばどころか志初めにして、彼の背後の暗雲の一端が露呈した(来たぞお!)。
●彼に300万円の借金があったのだ(やっぱりね)。結婚前から幾ばくかの借金があるのは知っていたが、この時は泣いて詫びる彼に「2人で頑張ればたいした事はない」と太っ腹なところを見せた。事実、私自身は早く施設に預けている彼の娘を引き取って、今度は心穏やかな気持ちで、再び子をもうけたいと思っていたので、昼間勤めていた事務所仕事に加えて、ファミレスのバイトを始めていた。若かったので、主婦業 + 昼夜の仕事も苦にならなかったから300万くらい楽勝とタカをくくっていた。
しかし、秋がきて冬が来る前には300万はなぜか1000万になっていた。「そーです。彼は大嘘つきだったのです!(爆笑)」。その上、月々の家賃と、施設に収める、彼の娘の養育費を彼に渡していたところ、全て使いこんでいた(呆然。自分の娘だろ?)。やっとこの時、「こりゃダメだ」と・・トホホ。
●離婚話は超簡単で、なけなしの40万の貯金の半分を彼に遣り、「帰っておいで」と泣く母に「嫁に行く時、もう帰る家はないと決めたから」と意地を張り通し、ふと空を見上げると・・「そうだ! インドに行こう!」と。なんじゃそれ。一応二十歳の再出発かな? 気づいた時には機上の人だった。
●交通事故には10:0というのがありますが、男女にはそれがないと私は思っています。どんなに相手が悪くても、必ず自分にも至らない点があわけで、「たら・れば」の話は嫌いですが、もしあの時、F君と奈良に行っていたらとか、19歳では1000万円に怖気づいたけど今なら・・とか思うと、人生は結構楽しいです。でも借金のある方は私に言い寄らないで下さい。今のところ、自分のだけでも精一杯です(笑)。今はただF君もHさんも幸せでいて欲しいと願います。ホント!
●次回はいよいよ旅話! インドです。ヤレヤレ。(生田目明美)
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●中島孝幸さんから(人力スケーター《自転車からペダル、チェーン、サドルを除いたような足こぎ式スケーター》で世界旅行に出かける)。
◆計画より1ヶ月遅れの5月14日頃の出発となりそうです。今は伊豆の式根島にて足慣らし及び温泉の日々です。走行予定のコースもアフリカ・南米が半分ずつ、アジアと中南米は今のところ中止となりそうです。装備・スケーターともに前回の旅よりパワーアップした状態での挑戦です。何とか1年くらいは行けるのではとまずは最初の一歩を踏み出してみようと考えています。
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●5年前アイルランドをレンタカーで旅行しているときのことです。
●たまには体を動かさなくてはいけないと思い西部の街リマリックで観光協会主催のウォーキングツアーに参加しました。参加者は6人。私以外は皆アメリカ人でおばあさんの三姉妹と20代前半の男女一組でした。
当然英語で説明するのでほとんど理解できないままに城や遺跡を回り終えようとした頃、なぜか女性の視線を感じるのです。もちろん、おばあさん達ではなくてです。そういえば相手の男と親しげに話をすることも少ないし喧嘩でもしているのかなとか、つまらないことを考え始めたら急に私の動作がぎこちなくなってしまいました。
●こういう時こそ旅の恥はかき捨てるに限ると、ツアーが終わったときに彼女に声をかけてみました。案の定、愛想良く返事をしてくれてまずは助かった気分になったのですが、話してみて解ったのは相手の男は弟とのこと。道理で頼りなさそうだし、そんなに楽しげでもない理由が解りました。
相手が姉と弟ということが解り私はリラックスして彼らに接することが出来るようになり、彼らとパブには行く事にしました。ビールを飲みながら、今思うと不思議ですが、ずいぶんと話をしました。彼女は日本へ旅行に来たことがあり、それで私と話したかったようです。その日の宿泊先の決まっていなかった私は彼らの誘いに乗りユースホステルらしきところに泊まることにしました。
●同じ部屋にフランス人の20歳ぐらいの男の子がいたので彼も誘い、4人で夕食を食べに出かけました。彼は私以上に英語が少ししか話せず、何か話しても巻き舌のためフランス語に聞こえてしまいます。彼の英語を聞いていると私の英語の発音も日本語のように聞こえているために通じないのだと解ったような気がしました。
それでも、彼女がフランス語を話せるので4人の夕食は和やかに過ごせました。3人ともそんなにお金は持っていなさそうにもかかわらず、ちゃんとしたイタリアレストランに入ってしまったため、明らかにフランス人の男の子は弱ったような顔をしていましたが、そこは彼らよりもたぶん15歳は年上の私が奢ってあげることにしました。"Let me treat you."という奢るときの言葉を何故か覚えており、彼らもこの言葉だけは直ぐに理解したようです。
ところがチップを払うようなレストランには私もずっと入っていなかったためにすっかり忘れていたら、彼女はすかさずテーブルに小銭を置いているのでした。彼女は演劇が好きなようで、ちょうど"Playboy in the western world"(西国一の伊達男とでも言うのでしょうか?)のポスターが貼ってあるのを見つけ4人で見に行こうとになりました。
まあ、良い経験だからと思いみんなで行ったのですが、ミュージカルならともかく言葉が中心の芝居ですからほとんど解らず、隣のフランス人はかわいそうに眠りこけていました。終わってから彼女も我々に遠慮がちにそれでも感想を聞いてきたので、役者の表情や仕草が興味深かったと答えたのですが、かなり無理がありますね。
人影のなくなった夜のリマリックの街を4人でユースまで歩いて戻る間、こうして突然会った旅行者と一緒に親しく街を歩くなんて本当に久しぶりのことで、何か突然学生時代に舞い戻ったような懐かしい気分に浸ることが出来ました。翌日、彼ら(彼女を?)探したのですが見つけることが出来ず、また一人にもどって旅を続けました。(岸本佳則)
5/28(金) Friday 6:30〜9:00 P.M. アジア会館(03-3402-6111) \500 コレ、森に帰る この3月、コレは5年ぶりに、ウマバワン村(マレーシア・サラワク州)の義父と再会しました。「コレ」は日本人ジャーナリスト、峠隆一さん(40)のカヤン語名です。 10年前、はじめて村を訪れた峠さんは、村の老人、マリアン=サギン氏と養子縁組をし、豹を意味するカヤン名を与えられました。峠さんの惚れこんだ村の生活は、ロングハウスという長屋での共同生活が基本です。子育ても、老人介護も、障害者の世話も、すべて村人が皆で行います。「お金はないけど、ストレスもない」村に、コレは5年間で14回も通いました。 ところが、94年秋、峠さんは、身に全く覚えのない理由で不当に逮捕・拘留され、強制送還されてしまいます。以来、片時も村のことを忘れず、再訪のチャンスを待っていた峠さんは、この春、再びコレとなって森に帰ることができました。 今月は峠さんに、この第二の故郷の話をして頂きます。サラワクの森の生活について。そして94年の事件の背景にある熱帯雨林伐採問題と、先住民の反対運動の現状などについての報告です。乞御期待! |
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議/料金70円 |
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