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■4月の地平線通信・221号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)
青森県の野辺地の近くに「日本中央の碑」があることをご存知ですか。本州の北のはずれなのに、なんで日本中央なのかといわれるかもしれません。この碑を彫ったのは坂上田村麻呂ということになっていますから、千数百年前につくられたことになります。当時はここが「日本」(ひのもと)の国だったのです。そのころ西日本は倭(ヤマト)という名前はあったのですが、日本という呼び名はありませんでした。ヤマトが日本と称するようになっても、東北の日本は続いていたのだそうです。豊臣秀吉の手紙にも、この地方を日本とよんだことが記されています。
◆青森の日本中央碑は「つぼの碑」とも呼ばれ、西行法師も歌に詠んでいます。松尾芭蕉は「おくのほそ道」でこの碑に出会って感激のあまり涙を流すのですが、それは松島の近くの多賀城の碑で、西行の歌った「つぼの碑」ではありません。芭蕉は平泉までしか来ていませんから、本物のつぼの碑を見てはいなかったのです。
◆昨年の秋から私は、忍者説もあるほど健脚な芭蕉の足跡を追っかける「走り旅」(ジャーニーラン)を始めました。深川芭蕉庵を出発して日光、黒羽、白河の関、須賀川、福島、多賀城、松島、石巻をとおって平泉まで8日で到達しました。芭蕉はここから日本海に出るのですが、私は芭蕉の見なかったつぼの碑を見なけりゃいけないと思い、さらに北へ向かいました。3月中頃、前回の走り旅の終点、石鳥谷から3日かけて、盛岡、渋民、一戸、二戸、三戸、十和田市を走り、七戸のさきで「日本中央の碑」にであいました。昔はこのあたりが「つぼ村」だったので「つぼの碑」とも呼ばれたのだそうです。
◆3月をすぎればそろそろ春か思っていましたが上北地方はまだまだ冬の最中、最高気温が零度にしかならないので、いくら走っても暖まらず体の芯まで凍えました。下北半島の先端まで走ろうと思っていたのですが、野辺地で西行の歌にある、外が浜(陸奥湾)の海を見たとたん気力が萎えて、リタイヤしてしまいました。みちのくの冬はほんとうに寒かった。でも日本中央に到達できて満足。
◆今回は、通信費のお礼を書こうとワープロに向かったのですが、いつものように「走ってるゾー」になってしまいました。何かを始めるとついつい人に威張りたくなる性格はいつまでたっても直りません。さて本題に入ります。毎月650通づつ地平線通信を出すのは労力も費用も大変なので、ハガキをくれない人にはもう送らないつもりでした。しかし予想以上の人が返事をくれました。絶対切りすてないで!という便りもたくさんありました。分厚いハガキの束をみて、こんなにも多くの人が地平線通信を楽しみにしてくれていたのかと改めて感激しました。そういうわけで発送数はあまり減りませんが、一方通行ではなかったと思えば編集、発送の作業もそれほど苦になりません。多くの方が通信費を振り込んだり手渡したりしてくれました。中には10年分まとめて下さった方も何人かおりますので財政の方も改善されました。本当にありがとうございました。
◆4月の 9日からマングローブ植林計画と地平線会議共催のベトナムマングローブ植林ツアーが行われています。イラストの長野亮之介、編集長の中畑朋子ら多数が参加しているので、今月の発送作業は残されたおじさんコンビ、三輪と江本で寂しくやることになりそうです。そのあとは桜前線を追っかける「走り旅」もいいかなと考えています。[三輪主彦]
地平線新刊情報
地球環境子ども探検隊全8巻のうち第3巻「川遊びから自然を学ぼう」と第8巻「ぼくらのミニ地球をつくろう」どちらも三輪主彦著フレーベル館から発売中
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新井由己 |
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全行程10335Km、106日間のコースが書き込まれた日本地図を指し示しながら綿密なおでんネタ分布調査の報告が行われた。移動手段は原付バイク。調査地232ヶ所、調査スーパー・市場数406ヶ所、おでんを食べた回数103回というから、かなりのハードスケジュールといえる。
まず駅周辺の観光案内所で情報収集、大きなスーパーにてネタ調査をするが、けむたがられて相当苦労したようだ。でもスーパーやコンビニに入れば、概ねその土地のネタの傾向が判ってしまうのは、さすがに巨大流通産業の経営マーケティングの周到さを感じる。
夜はおでん専門店や居酒屋にて食べまくり。寝床は、パソコン通信で知り合った方のお宅に泊めてもらったこともあったが、大抵は公園や軒下、橋の下、無人駅構内等々。酔っ払いにからまれたり、警官に職務質問されたり、寒いおでんの季節に一夜を過ごすだけでも相当のエネルギーを費やしたようだ。
旅の詳細情報は、ニッカド電池を太陽電池で充電しつつ、携帯ワープロで逐一パソコン通信にアップされ、その総量は400字原稿用紙700枚分にも及んだ。つまり、新井さんの旅は、おでんで結ばれた参加者70人余に「実況報告として共有されていた」ことになる。これは、探検の新たな方法論を提示してくれているような気がした。
新井さんの語りは多分にアカデミックであり、何故その土地にこのネタが食べられているのかを、歴史的民俗的背景をふまえたうえで解説してくれた。詳細はこの秋に凱風社から出版される予定の著書に譲るが、いつのまにか日本地図は書き込みだらけになり、後半におでんのスライドを見ていたら、腹はもちろん減るのだが、なんだか無性に喉が乾いてきた。「喉が乾く」というのがおでん食文化の「ミソ=キーポイント」かもしれない。
近い将来、新井さんはインド料理の南北の境界線をあぶりだす旅に出るという。彼の緻密な調査力が、あのインドという怪物をどのように串刺しにして見せてくれるのか、実に楽しみだ。[法大探検部OB・インド食文化研究家 浅野哲哉]
アンケートはがきから |
●「何か手伝ってくれますか? 近況」/「何者?」/「すまい(市町村)」 「お名前」
●いつも地平線通信を送っていただきありがとうございます。瀬口聡さんに誘われて地平線マラソンに参加したのがきっかけで、地平線通信を送っていただいています。今は北海道で中学の教員をしています。/バンダナクラブのメンバー/北海道訓子府町 原田賢治
●半年前にスイスに転居いたしました。2??回記念大集会には、また参加させていただきます。/スイス 福原安栄
●今は築地で市場関係の仕事をしており、夕方は比較的あいているので、何かあれば協力できると思います。/92年くらいから、時々アジア会館へ行くようになりました。地平線のことは雑誌で知りました。私も93年に自転車でオーストラリア、インド、アフリカなどを走ってきました。ザイール川もこぎました。/東京都中央区 吉村太郎
●発送作業等、頭を使わないことであればお手伝いできます。平日昼でもOKです。(パソコンは...まだ使えません)/東京都清瀬市 石川秀樹
●地平線通信、いつも送ってくださりありがとうございます。たまに山へ行き、たまにダイビングをし、たまに宴会もし、たまにskiをするような日々を送っています。地平線通信を読んで、いろんな人がいるなーと思っています。12月号の古着リフォームの話、もう少しくわしく知りたいと思いました。/平本達彦さんの知人(宴会メンバー)大阪市立大学探検部OGです(少し洞窟やってました)/奈良県斑鳩町 掛須美奈子
●シベリアから2日前に戻りました。来年3〜4月はチュクトカで関野さんと犬ゾリです。チュクチのマッシャーたちはとってもかっこいいです。楽しみ。/東京都新宿区 高野孝子
●Yes. 私にできることがあれば手伝います。97年6月アラスカのサークルからフォートコーコンまで女の子4人で2泊3日のカヌーツーリングをしてきました。/小冒険家、ライダー、会社員です。/埼玉県新座市 寺田祐子
●何年か前に“Newsletter”で“地平線から・7”を知り、それ以来です。40代半ばも過ぎ、ただのパートのおばさんです。肉体労働でしたら、てつだえると思います。みなさんの報告を楽しみにしています。/20代の頃リベリア経由でヨーロッパに入り仏に1年、帰りに中近東を回って、旅行しただけの者です/埼玉県上尾市 長田真知子
●今年は本書いてました。ベストセラー「深夜特急」のルートをたどるという内容です。香港からロンドンまで4ヶ月、バスで旅しました。/旅行雑誌や他月刊誌に執筆。12/16に「僕たちの深夜特急」発売/東京都杉並区 西牟田靖
●4度目の中国生活。8月から4〜5ヶ月上海にいたあと、12/26に江蘇省蘇州市に移転しました。/アイアンマン(NZ1992年)、日本一周サイクリスト+海外16ヶ国、フルマラソンサブスリーまであと11分/中国蘇州市 芳井健一
●仕事の都合上、お約束して手伝うことはできない状況なので、当面は「地平線通信」と報告会に参加させていただく立場でいさせてください。/職業:テレビ番組ディレクター 趣味:走ること(今年はホノルルマラソンで視覚障害者の伴走者としてフルマラソンを走ってきました/東京都世田谷区 在田加代子
●沖縄の地でお手伝いできることがあるのかわかりませんが、地平線会議との縁がある限りつながりを持っていたいと思っております。/熊沢正子さんのさそいで8年程前に報告会にはお邪魔しておりました。現在は郷里沖縄で会社勤めをしておる33歳の男です/沖縄県那覇市 宮城辰也
●4月から木曽にいます。長らく報告会には行っていませんが、通信楽しみにしています。/一応公務員やってます/長野県木曽福島町 前島啓伸
●何でも!たのんでみてください!(資金は乏しいけど...)/ただの旅好きの教師。趣味は世界の秘境たんけんです/千葉県四街道市 松本敦子
●何かお手伝いできることがあればご連絡ください。今年は野辺山も山岳耐久レースも走っていません。マラソンに打ち込むつもりでしたが、それもイマイチ...。/市民ランナー兼三流クライマー/大阪府枚方市 松田仁志
●今はちょっと無理ですが、状況がゆるすようになりましたらご連絡させていただきます。//東京都江戸川区 三上智津子
●報告会になかなか参加できませんが、みなさまのご活躍を通信で読んでは感激しています。/一般の勤め人ですが、大の旅好き。年休をフルに使って年四・五回の海外旅行を楽しんでいます/東京都世田谷区 宮崎君枝
●なかなかお手伝い出来なくて御免なさい。11月の報告会には久々に出席しました。/日本アドベンチャーサイクリストクラブ評議員・杉並区「知る区ロード探検隊」隊員・コミュニケーションポイントピエロ代表/東京都杉並区 宮寺修一
●現在は余裕がないので、申し訳ないのですが手伝いはできません。5月から言語聴覚士として、子どものことばの障害をみつめています。そして、子どもたちから命を生きるということをメッセージとして受けとめています。子どものことば、そして心と体、それが私の地平線です。/夢を追い続ける地平線会議の人たち。その刺激がリストラの対象に近い年齢(?)である私が、新しいST(スピーチ・セラピスト)という仕事に就く励みとなりました。/東京都世田谷区 水谷任子
●北海道のF塾を卒業してだいぶたちますが、いまだ売れず、発表のアテのないシナリオやエッセイや旅行記を書き続けています。何か仕事があったらください。/必殺放浪人/埼玉県加須市 宮崎琢巳
● 10/24に男の子が生まれました。家族は皆元気です。地平線会議に出られる日を楽しみにしています。/馬鹿者/東京都目黒区 水野麻子
●いつも楽しみに拝読させていただいております。お手伝い?気持ちはありますがなかなか時間がとれなくて。継続的なお手伝いは難しくても、個別の用件ではぜひお役に立ちたいと思います。/日用雑貨品等卸業/東京都調布市 村田忠彦
●いつも地平線通信を楽しみに拝読させていただいています。学生時代と卒業後、しばらくは何回かアジア会館の方へ足を運びましたが、柏に生活の場が移ってから通信だけでバイタリティーあふれる人達の話に刺激を受けています。編集に携わっている方々には、感謝しております。直接お手伝いはできなく、申し訳ないです。/東京農大探検部OBで、学生時代は山、川下り、タイの山岳民族と生活させてもらうなどやっていました/千葉県柏市 村田公彦
●ごめんなさい。お手伝いはできませんが、通信費の支払いや報告会等には参加していきます。/何回か報告会や皇居マラソン(これは1回)に参加したことのある普通の人/埼玉県草加市 宮本佳奈子(旧姓桜井)
●通信の発送、劇団の脇役他、大声で人を集める、笑いが必要な時のさくらなど、体をつかうこと/地平線200回大集会で江本さんの娘役としてデビューさせて頂きました!!/東京都新宿区 丸山富美
●毎号、いつも楽しみにしています。家の中にいて旅をしているようです。これからも、お願いします。/内科研修医(2年目)/和歌山市 松中秀之
●地平線会議がイベントをやるときの宣伝。そのほか。/旅好き。特に「ヨーロッパのアフリカ」と言われる南イタリア/東京都世田谷区 松原慶
●時間の都合がつけば、発送等の作業を手伝います。8月にマーシャルに行ってから、ちょっとミクロネシアの病にかかりつつあります。/団体職員で結構自由に予定がくめます/千葉県野田市 増田浩司
●はい。猫の手でよろしければ。いつも本当にお疲れさまです。/91〜92年にかけて旅をして、最後にグアテマラにいたとき、これから南米に向かおうとしていた久島弘氏に出会い、「もうすぐ日本に戻るんだ…」と言ったら、「日本に帰ったらここに連絡してみるといいよ」とこの会の連絡先を教えてもらい、通信を送っていただくようになった者です/神奈川県横浜市 村木登美子
●手伝えることならOKえす。タラタラ翻訳やってます(チベット関係)/東京都練馬区 三浦順子
●中国の雲南、西蔵に関することでお役に立てることがあればご連絡下さい。協力します/「雲南・西蔵民俗研究会」の小使役/群馬県高崎市 盛田武士
●毎号楽しく読んでおります。近年はカナダ、シベリア、カムチャッカ、モンゴル、南アフリカ等へ猟に行ってきました。獲物はヒグマ、ライオン、アイベックス等です。50を過ぎても青春を求めております。/探検部 OB、日常は報道人、冬期は反職業猟師/東京都世田谷区 森國興
●相変わらずの毎日です。少し変わることといえば、来春より月刊「アウトドア」誌を担当することになりました。これからもよろしく。/東京都武蔵野市 盛田洋
●216号のフロント、高野さんのミクロネシアのお話はとても勉強になりました。文明とは何なのかを考えてしまいます。/小学校教員「鳥」をやってます/神奈川県伊勢原市 平田寛重(敬称略)
※字が小さくてごめんなさい。ルーペを使って読んで下さい!
地平線ポストから 地平線ポストではみなさんからのお便りをお待ちしています。旅先でみたこと聞いたこと、最近感じたこと…、何でも結構です。E-mailでも受け付けています。 |
地平線ポスト宛先:〒173 東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方 〜電子メールでも受け付けています〜TAB00165@niftyserve.or.jp 武田力方 |
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地平線特派員報告
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地平線通信ロンドン支局の神谷夏実特派員から、2本の報告が入りました。
◆ロンドンに転勤してもうすぐ2年たちますが、元気にやっています。今日は、アルバニアの首都ティラナに来ています。アルバニアというと、解放前に恵谷治さんがこっそり撮ったトーチカの写真が思い出されますが、そんなトーチカも今では無用の長物で、どんどん壊されているようです。◆昨年はねずみ講騒ぎで混乱しました。今はもう平常に戻ったものの、貧しい国のこと、人々の心は、金ほしい、物ほしいという気持ちでいっぱいで、マフィアは暗躍するし、月100ドルの給料じゃやってらんない、といったところです。◆テレビではコソボ、イスラエルのニュースを伝えていますが、300万人が安心して住める領土があるだけ幸せということかもしれません。今朝は雲ひとつなく晴れわたり、ティラナ周辺の山には雪が残っていますが、春めいた一日になりそうです。
◆アルバニアに続いて、アラブの国オマンのマスカットに来ています。アラビア半島の突端に位置するオマンは、3月といっても照りつける太陽は強く、白亜に輝く町並みはまぶしいほどです。周辺の荒れはてた砂漠と岩山とは対称的にまさに石油のイリュージョンです。オマンは小国で、石油経済のために結構リッチです。しかし開発途上国ということで、日本も援助しなければならないわけです。◆男たちは伝統的なデスダスという白い服をまとい、頭にはターバン(ムサド)を巻いています。役所でも、町でも皆この格好をしており、これが正装にもなっています。保守的なアラブの伝統と西洋文化の混在する世界です。
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本橋さんに土門拳賞!
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映画「ナージャの村」を作った写真家の本橋成一さんの写真展「ナージャの村」が「第 17回土門拳賞」に決定、その授賞式が4月15日行われました。記念の写真展があらためて 5月12日から18日まで東京・銀座のニコンサロンで開かれます。また、同題の写真集が 5月下旬、平凡社から発刊されます。なお、映画は現在日本各地で自主上映中。東京近郊では4月26日、横浜市健康福祉総合センター(TEL 045-782-1820)、同日、町田市公民館(TEL 0427-25-3201)、5月22日、パルテノン多摩(TEL 0423-75-1414)5月29日、東京・四谷公会堂など。7月中旬にはBOX東中野でリバイバル上映の予定。詳しくは、サスナフィルム(TEL 03-3227-1870)へ。本橋さんは昨年6月の第211回地平線報告会の報告者でもあります。
今月の地平線通信編集長代理を務めてくれた樫田秀樹さんが「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」佳作に入賞しました。昨年4月にも報告文学賞を受賞し、2度目の入賞となりました。入賞した作品のタイトルは「自分に嘘はつかない−−普通学級を選んだ私−−」、今月24日発行の週刊金曜日に掲載される予定です。
※地平線通信発送後、4月24日掲載が5月15日に変更されたとの連絡が入りました。それから、しばしば「週間金曜日」と誤植をしていますが、ここでは正しく直してあります。ごめんなさい。
今月はベトナムのカンザー・マングローブ・プロジェクト'98を第211回報告会とし、アジア会館で第212回報告会を開くことになりました。2月の地平線通信219では日本での報告会をやらないとお知らせしましたが、やはり日本でもやろう! ということになりました。24日(金)午後6時半からアジア会館です。
◆今月は編集長中畑朋子さんと地平線イラストレーター長野亮之介さんがベトナムへスタッフとして出かけてしまったので、編集長代理の樫田秀樹さんと、元祖地平線イラストレーター浅野哲哉さんのおふたりに登場していただきました。来月からは樫田さんが編集長として、中畑さんとバトンタッチします。浅野さんも時々登場する予定です。
4/24 自然が大好きな宮下さんは1989年にアフリカに渡り、スワヒリ語を学んだ後、アフリカのジャングルや人間にすっかり魅了され、ナイロビでは獣医さんの助手、ザイールではマウンテンゴリラのガイドとしてTVクルーを奥地のジャングルに誘っているうちに、類人猿にハマってしまうのでした。 ゴリラの筋肉美に惚れ、好気心旺盛でえげつなく騒ぎまくるチンパンジーが住むエデンの園みたいな理想郷を訪れ、マダガスカル島では無表情で神秘的なキツネ猿に出会います。 「類人猿を通して己を知りたい」という思いを抱きつつ、2年3ヶ月後に帰国。ゴリラのぬいぐるみを着て結婚式で踊ったりしながら資金を稼ぎ、今度はアジアの類人猿オラウータンに会うためにスマトラ島へ。 その後、国内外でアウトドアスポーツを体験していくうちに、熱帯の川を通して見る『水』の視点が生まれ、94年にマレーシア・ボルネオ島のバラム川を源流から海まで航下。この活動でオペル冒険大賞選考委員特別賞を受賞しました。 命がウジャウジャ詰まっているジャングルに一人たたずんで、五感を解放しつつ、じっと『観る』ことに至福を感じる、爽やかな「熱帯観察家」の言葉に耳を傾けてみて下さい。 |
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