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■12月の地平線通信・217号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)
◆11月初旬、ヴェトナムのハノイに行ってきました。ACTMANG(代表は向後元彦さん)とヴェトナム女性連盟が主催する「マングローブ地域における女性の社会・経済的状況――生活と環境の改善にむけて」というワークショップに発表者として参加したのです。
◆20年前から私は地元の板橋区を中心にして「衣服のリフォーム」の指導をしてきました。最初は古くなって、もったいないので衣類を仕立て直す、だから形はやぼったくてもしかたがないと思われていました。しかし私は衣類のリフォームは「新しい創造」だと考えていました。古くなったからではなく、既製の服を自分の趣味にあわせて作り直す、使い勝手がいいように改良する、あるいはお年寄りや障害者が使いやすいように手直しをすることがリフォームなのだと言いつづけてきました。そのようにリフォームした衣類は世界で一つしかない自分だけのオリジナル品です。
◆昔の女性は衣類の仕立て直しはお手のものでした。しかし最近は針や糸を持つことはほとんどなくなりました。衣類はお店で買ってくるもの。古くなったり気に入らないものはタンスの奥にしまい込んで、新しいものを買えばいいという時代になったのです。女性の手仕事の伝統と衣類に関わる生活の知恵が失われるのも時間の問題です。高齢者の方がリフォームをすれば、手を動かすことになり、老化防止にもなり、さらに自信の回復にもなります。自分の思い出のある衣服をタンスの中から引っ張り出して、鋏をいれ、縫い直すと自分自身が新しく生まれ変わったような気がします。リフォームは手仕事復活、老化防止、生きがいづくりにもなるのです。
◆若者のファッションの世界にも変化が見られるようになりました。彼らの間でもあきらかにリフォームしたとわかる服を着ることが流行し始めています。古い和服から作ったスカート、シャツの胸に無造作に縫いつけた鹿ノ子絞りなど、私の目からもとても魅力的で新鮮です。ファッションは若者たちによってリードされ、開拓されてゆきます。私は彼ら自身のセンスに期待しています。
◆こんな話をこれまでしてきたのですが、最近は環境問題の盛り上がりと共にリサイクルの一環としてのリフォームが見直されてきました。日本だけでなく外国でも興味を持ってくれるようで、2月にはスリランカのゲガーラにも行きました。言葉がまったくできないので、私の思いが伝えられたか心配ですが、実習を交えてなんとかやり遂げました。言葉がなくても技術は伝えられると思う反面、言葉がないとやはり意志が伝えられないという両方の思いが交錯しているところです。それはともかく私にとって、自分の仕事を世界の人々に伝えることができたことはうれしいことです。針と糸で世界中がつなげそうな手ごたえを感じた1997年でした。来年がたのしみです。[三輪倫子]
地平線会議からのお願い ◆昨年の200回記念大集会以来、大勢の仲間が増えました。それは大変うれしいことなのですが、内情を白状しますと、毎月670通の通信を送る費用と手間がパンク状態になっています。ここ何年も交流のない方もおり、もう通信はいらない人もあると聞いています。 ここで一度「地平線通信」が今後もいるか、いらないかというお返事をいただきたいと考えております。一方通行通信というのは、あまりおもしろくありません。少々出費がかさみましたがハガキを同封しましたので、年賀状を書くついでに、ぜひお返事を下さい。もし何か手伝って下さる方は、その旨書き添えて下さい。新しい郵便番号、電話番号もお願いします。地平線会議の名簿(そんなものは存在していません)を通信発送以外に使うことはありません。念のため。 ◆通信費はお返事を頂いてから、どのようにするか報告をいたしますので、当面は送らないで下さい。12月末日までには投函して下さい。[三輪主彦] |
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阪口恵美子 |
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◆海外に出る前に、まず日本を自分の目で見て、感じて、理解しようと、750ccの大型バイクで10ヶ月に渡る日本一周を決行する。途中、台湾と120kmしか離れていない与那国島でボーダーを越える決意を新たにする。
◆600ccのバイクでオーストラリアに旅立つ。そこで出会ったサイクリストの「花を見た?」「道を横切る蟻を見た?」などの言葉が耳に残る。走り去る風景の中に見落としたものを、彼らは見て、感じていた事にショックを受け、バイクではなく、自転車での旅を考え始めていた。
◆この旅で出会ったオーストラリア人のスティーブン・シールさんも、彼女のバイタリティに影響され、途方もない計画と思える世界一周の旅へのパートナーとして、同行することとなる。
◆1990年初頭、MTBでの旅を開始。東南アジア、北中南米、アフリカ、南欧から西欧へと旅した彼女は、多くの試練を感じさせない程明るく、楽しげに記憶を辿らせる。交通事情の悪さで命の危険すら感じた中南米、道らしき道がないザイール横断、スペイン入国時のオーストラリア人へのビザ発行拒否、ガーナでのマラリア、16日間シャワーを浴びられなかったこと、西サハラの地雷地帯通過…。
◆男性と共に走ること、ましてや国籍も文化も言語も違う2人が、四六時中顔を突き合わすというのだから、ぶつからない訳がない。口論の最中、お互いが辞書片手に意味を確認しているうちに、いつの間にか熱も冷め、そのまま食事にでかけてしまうというエピソードは、旅のパートナーとして最適でもある事を教えてくれた。
◆エミコさん81,000km、スティーブさん101,000kmを走破し、あと4年。ヨーロッパ、ロシア、アジアなど、未解放地区を含むエリアを巡り、2001年に帰国予定。この模様は旅の資金ともなるサイクルスポーツ誌の不定期連載を通して見る事ができる。
◆移動性高気圧エミコ・スマイルはゆっくりとユーラシア大陸を迷走し、笑いと幸せを各地に振りまきつつ、再びこの報告会にやってくるだろう。[山上 修]
(その2) |
◆3日間の沢のぼりを終え、次の日から始まる登山について、地図を見ながらミーティングをした。インストラクターからルートの説明、一日の行程距離を聞く。地図上ではだいたい一日9時間くらいの行程。とにかく目的地の小屋までは夜何時になってもたどりつかなくてはいけない。参加者が明日の出発時間を決めることになった。「とりあえず、7時ごろには出発しようか?」っと私から言ってみた。「え〜なんでそんなに早いの?」「何時に起きなあかんの」「ちょっとたまにはゆっくり寝ようや」たまにはといってもまだ始まって3日間しかたってない。登山をするために、早朝出発の経験をしたことないメンバーがほとんどだった。結局、他の二つのグループは7時出発。私たちのグループは9時の出発で決定した。
◆山登り初日、7時過ぎに起床。朝食後、ザック、雨具、寝袋など登山に必要な装備を借りる。3日分の食料と装備をインストラクター含めて8人で分けた。パッキングも初心者にとっては時間がかかる。デコボコになったザックを背負って、とりあえず出発準備OK。出発は予定通り9時。もちろん周囲には自分たちとインストラクター以外誰もいなかった。太陽はすっかり顔を出し、出発して30分後にはバテ気味のメンバーもいた。50分歩いて10分休憩を何度くりかえしただろう、気がつくと目的の小屋につくころは真っ暗な森の中だった。しかし、なんとか午後8時前に小屋に到着。その日の反省を考え、次の日は5時起床に決定。できるだけ早く出発することをみなで約束した。やっぱり、人は体験して学んで行動が変化していくものなんだ!と思いながら寝袋に入った。
◆登山二日目、5時起床。朝食後、パッキングして6時20分に出発。この日は前日よりも長い行動が予想されていた。まずは、お昼までに宮之浦岳を目指す。そうしないと日が暮れるまでに目的地へ到着することができない。ごろごろした岩場や、急な登りでは転んだり、足を捻挫したり、この頃からケガやキズの手当ても増えていた。宮之浦岳には朝10時すぎに到着。このペースなら予定通りに目的地へ到着できるかもしれない。真っ暗な森を歩くことは避けたい。みんな気持ちは同じだった。ところが、二日目も最後の下りに時間がかかる。足が笑って、棒のようだ。なかなか思い通りに進めずキャンプ地を決定したのは夜の8時前だった。この日の行動は13時間半にも及んだ。とにかく、明日は正午までに目的地に到着しなくてはいけない。起床を4時、朝は軽食(むしぱんと珈琲)。出来るかぎり早く出発することが決まった。なんだ!みんな早起きできるやないの!人ってどこにいても、やっぱり期限(締め切り)があれば気合いが倍増するのかなあ?と思いながら寝袋に入った。
◆登山最終日、4時起床!5時過ぎ出発。出発地点から約12キロの行程は全てトロッコのための線路上であった。(昔、縄文杉の運搬に使用されていたもので、今も水力発電所など山で作業する人たちよって利用されている)朝焼けが、紫から桃色へと変化する瞬間。深い森の中の線路上で感動とためいきが一緒になっていた。「ふわ〜、なんでこんな色になるんやろなあ〜」自然の醸し出す色と空気と滝の音や川の響きは、みんなを別世界にワープさせた・・・桃色からオレンジ色になって、夜が明けて朝になる。森の起床を感じた。そんなこんな感動も味わいながらも、時間に間に合わせるためにとにかくひたすら前に進んだ。日の出を見ながら線路上を延々と10キロ以上歩くなんて!やっぱり贅沢だなあ〜! 心と身体が喜んでいた。結局、登山最終日は予想以上のタイムで目的地に到着した。
◆この登山での教訓、「早起きは3文以上の徳がある」[丸山富美]
地平線ポストから |
地平線ポスト宛先:〒173 東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方 〜電子メールでも受け付けています〜TAB00165@niftyserve.or.jp 武田力方 |
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●金井重さんから…97.11.24
◆お元気ですかポートオブスペイン(トリニダード・トバコの首都)の暑い暑い町の公園にガンジーさん(銅像)が突立っています。彼曰く「ここはブラック41%、インド人41%、混血16%、中国その他2%なんだよ」よくぞ連れてきたもんです。私のゲストハウスは6人の女性が夜と昼に曜日交代で働いています。とても顔と名前を覚えきれません。毎日なんだかんだと通ったトラベルエージェントも(オーナーは男)全部女。バードウォッチングに行く途中、ツァーKKの女が途中で後からきた車の男と大声で話して別れました。「私のBF」と言います。「おやまあ、私はどこでも女だけだったからBFをつかまえられなかったよ」彼女「またきて、今度紹介するから」と大笑いになりました。
◆町では男も多いけど慣れるのに大変、何しろコロンビアもエクアドルも日系人の家庭に泊まって日本語バンバン話してきたでしょ、ブラックの英語はとてもシンド。焦るとこんなところでスペイン語出たりして、むつかしいねー。町はイギリス時代が長かったからちゃんと歩道もあるし、大雨(今は雨期)のあとは洗ったようにきれいになります。でも暑い日中は男達が動き出しランチの空箱はバカバカその辺に捨てるし、どこからでも飛び出してくるし、大声で叫び笑いとても猥雑な町に変身します。銀行は金曜は昼まで、どこも土日はしっかりお休み。仕事のテンポはラテンどころじゃあまい。暑いしね。
◆町の中国人食堂に入ったら奥の調理場からおばさんが出てきて「中国語が話せるか」「日本人なのよ」と言ったらガッカリしてました。もうここは長いと言いますが、やっぱり同じようなおばさんだとつい懐かしくなって出てくるんですね。中華レストランよりずっと格が下がる中国人食堂。お客も地元の人たち。おばさんはよく見るとなかなかいい顔してますが、足が不自由のようです。
◆町を歩いているとおもしろそうな事務所もあります。“カリビアンウーマンズナントカ”という看板。でも立ち止まれません。歩いていると風もあるのですが立ち止まったらワーッと暑くて暑くて。走り出したら止まれないという自転車操業が肉体的にわかるというものです。動物園に入ったら南米産の動物をなでながら園舎のあちこち洗ったり、楽しそうに働いている人をみて感心してしまいました。これが同じトリニダード人? 仕事と人間の関係はなかなかのものですね。銀行や官庁の人がこんなに楽しそうによく働くとはとても思えないです。
◆ここからガイアナに飛んだのですが、ここはなんとインド人が51%です。でもやっぱり夜の人達はブラック系が多い。ここは入管の窓口が外国人とガイアナ&カリブの島国の人という2列です。ベネズエラのとなりですが、カラカスからはどの航空さんも飛んでなくてトリニダードやバルバドスからです。スペイン語圏と違う「南米ガイアナ地方(ガイアナ、スリナム、ギアナ)」。町はポートオブスペインよりもっとカルカッタよりにした感じ。驚いたのは海、果てしない大海原はまっ茶色。水平線までまっ茶色が続きます。満潮から干潮に変わってもまっ茶色。どんなに暑くてまっ茶色でも海に入ると抱き合っている人がいます。
油照り 茶色の海の 風は秋
貝もなし 茶色の潮の 引きし浜
日本大使館もないのでいよいよ日本語を話すチャンスなし。でも夜(YWCA)のブラックや地元のインド人に少し近づいたかな。植物園でインド系の女性(25才)から「今、夫とトラブッている」悩みを打ち明けられたりもしました。彼は上司の奥さんのユーワクでetc.という、地上共通の問題です。彼女らはインド人、上司夫妻もインド人、どうもインド人とブラックと中国系との交わりは少ないようです。
◆スリナムは自然保護協会のエコツアー参加が楽しみでしたが、今年は中止、雨期に入っても雨が少なく滝に水がないと言います。ここは1975年に独立した若い国。教育はどこまでも無料。若者達は旧宰主国のオランダに飛び出し、首都でも人間はパラパラ。この町にもガンジーさんは突立っていました。インド系は35%だそうです。さすがにもとオランダ。インドネシア人が15%います。公用語はオランダ語ですが就学率が高いのでしょう、どこまで行っても英語が通じます。
◆ここの海もまっ茶色。アマゾン川の泥土が南赤道海流でこっちに流れてくるのだそうです(スリナム川もまっ茶色)。ガイアナではデラミミ川と交わる地帯がまっ茶色なのだと言ってました。飛行機からみる海岸線はずーっと赤っぽい茶色でした。アマゾンはすごいもんですね。それでここはボーキサイトも採れますが、食料品は全部輸入。そしてGNPの低いスリナムより食べるものが少ないのは情けない。野菜も少なくやっと黄色っぽい小さいトマトを見つけて喜んだりしてます。くだものはまあまあ。ボーキサイトも石油も金も、そして人口密度は低く、奥地のジャングルは自然のまま(マラリアも)というスリナムですが、郵便事情はワーストNo.1。日本へ1〜2ヶ月だそうです。今日は11月16日(日)この手紙はうまくいけば年内に、遅くとも1月には着くでしょう。では地平線のみなさま、よいお年を、or あけましておめでとうございます。
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●野口英夫さん…97.10.18…カナダ発
◆こんにちは。いつもいつも遠い所まで地平線通信ありがとうございます。月末にあわせてきこくして、せめて郵送代を渡さないと、と思いつつ、いつもすみません。カナダが生活の場になってしまっているので、もうここはまるで遠い日本のような感覚です。少しでも日常から抜けるために、少しずつでも身体を動かし、いろいろなレースに挑戦しはじめました。9月はMTBレース、10月は階段登り競争、冬はスキーのレースを中心にいこうと思っています。
◆月に1回の報告会、独特の雰囲気、今度帰国の際は是非行きたいと思います。今年の夏は近場のスコミッシュという町でロッククライミングをしてました。その日暮らしに近い状況で「健康は全ての富に勝る」を信条とする、野口英夫
●埜口保男さんから…97.11.14…千葉発
放送大学の卒論「長期旅人と病気・その対策と療養」のアンケート用紙を持って
報告会の席で怪しい人をつかまえていました
◆アンケートのご協力ありがとうございました。JACCを含め105通もの結果を回収することができ、貴重な資料をまとめることができました。担当教授もどこにこんな妙なグループが存在するのかと疑問を持ちながらの指導で、これだけ貴重な資料がそろったのだから、どこかの学会で発表したらどうだとのアドバイスもするほどです。どうだ、こんな資料、地平線会議でなければ集まるまい!
◆ちなみに地平線会議とJACCは、105名中14名がマラリア、13名が肝炎罹患者という、実に危険きわまりない保菌グループであることが判明しました。詳細は追って、地平線の席でご連絡します。
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地平線はみだし情報
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三輪主彦さんが「ジャーニーランのすすめ」窓社(03-3362-8641)を出しました。本邦初の「走り旅」の本だそうです。図書館に希望を出してご一読を!
12/26 日本の食卓を飾る海の幸。その約半分が輸入されたものって、知ってますか? 牛肉やオレンジ以上に魚を食べていながら、私達はあまりにも魚のことを知らないんじゃないか? そう気づいた佐藤安紀子さんが、仲間と設立したのが、「ウーマンズフォーラム魚(WFF)」です。 「魚と海と環境」の情報にアンテナを張り、海と食卓を結ぶ架け橋になろうと活動を続けているNGOです。設立して4年。お魚通信「魚(GYO)」の発行。「浜の母さんと語ろう会」などのワークショップも行っています。 今月はWFF事務局スタッフの佐藤さんに、日本の海をとりまく状況はどうなっていて、何が問題なのかを話して頂きます。95年に発効した「国連海洋法条約」に批准していながら、協定を結べず、もめている日、中・韓の現状など、目からウロコの話が盛だくさんです。お楽しみに! INFORMATION |
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