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■11月の地平線通信・216号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)
●「自分の常識、他人の非常識」。決してものごとを決め付けてはならない、世の中は多様な価値観があるのだ、とずっっっっと思ってきた。旅によってこの考え方を体得していたつもりだった。けれどもまだまだ、アマかった。1カ月の滞在を終えたばかりの、ミクロネシアの小さな島で、またそれを実感した。
●ミクロネシア連邦ヤップ州の離島。州都のヤップ島には、もう7年通っている。日本などからの青少年たちを村で暮らさせてもらったり、向こうの子どもたちを日本に呼んで「便利さのツケ」を見てもらったりしている。けれども離島には昨年まで縁がなかった。行く理由がきちんとないと、行けないのだ。
●私は北極でも展開した、「通信を利用した環境教育」というプロジェクトのおかげで、その島に入ることができた。男はフンドシ、女はラバラバという腰巻きを身に付ける。住居はヤシの葉と木を利用した、昔ながらの材料のみ。コンクリートなどの新建材は許されない。電気もいれない。ラジカセを持って歩くのはおろか、大きいものは持ち込んでもいけない。つまり、島にもともとあったもの以外は厳しく制限している。彼ら自身の意志だ。
●暮らしは自給自足で、金で買うものといったら、インスタントコーヒーと砂糖、ビーチサンダルくらいだ。生活に必要なものは、何百年もそうしていたように、すべて島の自然の中から取り出せる。島は本当に美しい。夢ではないかとマジで疑ったほどだ。人が暮らしていてこれほど美しい場所は体験したことがない。ゴミ箱がない。自然の循環の中に、人間の暮らしがすっぽり収まっているから、ゴミが出ない。何よりも、機械の音が一切しない。子どもの声、ニワトリ、そして風と海。星までが音を出しているかと思うほどだ。
●無線もあるし人々は旅もする。情報はたくさん持っていて、日本やアメリカで人々がどんな暮らしをしているか知っている。それでも彼らは「おれたちに一番便利なのは、風と自分らの技術だけで動いてくれるカヌーさ」と言い切る。子どもたちの多くも「島はこのままでいい。自分たちの文化を維持したい」と言う。もちろん、百パーセントの島民がそう確信しているわけではない。酋長たちも揺れている。でも、教育を受けるために島を出たり、アメリカや州都で働いたことがある連中が、島に帰ってくる。
●暮らしは、私たちの感覚からすると非常にハードだ。暮らすための肉体労働が多く、何をするにも手間がかかる。家を建てる、補修する、カヌーを作る、芋を植える、木に上ってパンノミを取る、重い食材を運ぶ、魚を取る、かごを編む、料理をする。すべて人間の力だけで行う。「ないものは買う」のではなく、「なかったら作る」。人としての生命力も強い。強くなければそもそも生きていない。ずっと労働しているから、体もいい。死ぬまで木に上ることができる。
●社会としては、完全な安全保障がされている。生まれてから死ぬまで、住む家や食料に困ることはない。島全体、および複数の島々で、危機管理のシステムが出来上がっている。警察もない。殺しや強盗などの凶悪犯罪は起こらない。「いじめ」もない。先天的なものをのぞき、心の病もないようだ。事故はあっても病気はほとんどない。様々なルールで、昔から資源管理がされて、海の魚も主食のタロイモも、捕り過ぎたり食べ過ぎたりができないようになっている。自立している彼らは、工業国がこれ以上地球環境を悪くしない限り、このまま何千年も生きていける。
●これらのシステムが維持されているのは、「個人の自由」が制限されているからだ。好きなものを着て、食べて、好きなもので家を建てて、などはありえない。表現の自由も、ルールの範囲内だ。女は、島を離れて高校に行ってはならない。男女のあり方から魚を食べていい人悪い人まで、彼らの生活は厳格なルールに沿っている。
●私は「自由であること」がもっとも大切なことだ、とどこかで思い込んでしまっていた。もしかしたら「個人の自由」と「好き勝手」をはきちがえているのかもしれないが、彼らは人の欲という自由を制限していることで、環境問題とも無縁で、持つものと持たないものの差がほとんどなく、死ぬまで安心して暮らせる平和な社会を築いている。
●「自由が一番」という思想も、地球全体を視野に置き、長い長い時間をしゃくにして考えたとき、やはり「絶対的価値」ではないのだという私にとっては衝撃的な気づきだった。私たち工業国に暮らす人間が、楽をしたい、好きに生きたい、長生きをしたい限り、持続可能な社会はありえないのかもしれない、という思いが頭をよぎる。
●「私たちは遅れているのかと悩んでいたが、そうでもないのかもしれない」と酋長たちに言わしめた、プロジェクトの報告書を読んでくださる方はご連絡を。[高野孝子]
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かずみまき サドン・ボイラギ/アショク・ダス・バウル/シュクマール・マリック |
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◆かずみさんはバウルになるまでを簡潔に話した。あまりに短い自己紹介で、もっとかずみさんについて知りたいと思ったのは私だけではなかったはずだ。けれど、俗などうでもいい質問は、その場にはそぐわなかった。彼女は凛とそこに立ち、横には3人の行者が静かに座っていた。
◆バウルについて、グルへの質問が出た。話すより唄うほうが得意だからと、思いがけないライブとなる。オフィスのような素っ気ない空間で、グルは『ハッハッハッハッハ〜…』と、気分が良いときに出るという独特の笑いも披露してくれた。一弦琴エクターラ、鼓タブラ、小さなシンバルのジュリ。オレンジ色の衣を身につけたかずみさんの唄う表情には、ベンガルに住む女性の輝きがあり、のびやかで張りのある唄声は、自然でてらいなく、私たちの心に響いてきた。
◆かずみさんから曲の合間に、バウルの生き方や歌詞の説明があった。バウルは身体を痛めつける苦行を行わない。苦行によって得る満足感はエゴを増大させるから。また、グルは本を読むことをあまり勧めない。知識を得ることで、本当の自由から遠くなるから。バウルは一切の既成宗教を否定している。そして、人間の身体に全(すべて)があるという。身体に宇宙があり神がいるのだと。♪人間の身体は何でも手に入る魔法の木/手入れすれば宝が出る/ときをみて耕しさえすれば/この世に来た意味は満たされる♪
◆宝の種が身体に入った時、よく耕された柔らかな身体でなければ、なかなか芽は出ない。かずみさんはバウルに出会った時、既に柔らかな身体を持っていたに違いない。蒔かれた種を素直に育て、花を咲かせることができたのだから。
◆演奏を聴いたあと、清々しい気持ちになっていた。きっとそんな喜びを求めて、ベンガルの人々はバウルの唄と踊りを愛するのだろう。いつの日か村人達といっしょに、かずみさんの唄に酔いたい。[中畑朋子]
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7月の報告者渡辺まちこさんからご案内いただいた、秩父の今宮神社での『山伏の行事・採灯大護摩』の報告
◆そもそも私の抱いていた山伏像は『常に山中で単身生活、荒行、山駆けをしている、神通力を持つ坊さん』だった。だから山伏というのは滅多に会えないもんだと思っていた。それが、前回の渡辺さんの報告で「むむ?」と思い、さらにいただいた案内には、「山伏の方で護摩供に参加される方は下記の参加申込書にてお申込みください…」なんて書いてあり、うーん、はたして山伏はそんなにいっぱい都会に暮らしていて、普段は普通のサラリーマンとかやっていて、行事になると鈴懸、衣を身にまとい山伏に変身したりするのだろうか‥‥?と、非常に興味がわいてきてしまったのだった。
◆朝降っていた雨はやんで、神社にはもうすでにたくさんの人が待っていた。運動会のようなテントが立っていて、『護摩木受付』で護摩木(300 円也)を1本いただいて願い事を書き、おじさんに渡した。同行した友人は護摩木を自分で火にくべられると思っていたらしく、そうでないとわかるとちょっと残念そうだった。
◆マイクを持ったお坊さん(?)が、今日の行事について説明のお話をはじめた。なんでも明治政府が打ち出した政策により、山岳仏教は急速に衰退したらしい。だが、役の行者さんを祀ったこの寺は、神社となった後も代々大切にされてきたらしい。
◆そうこうしているうちに、白装束の巫女さんが、「かしこみかしこみ‥‥」などとなにやら神事が始まった。人間ばなれしたような美しい巫女さんで、思わず見惚れてしまった。しかし山伏の行事に巫女さんがでてくるとは意外だった。巫女さんは榊で、綱で張り巡らされた結界内をお清めする。その後山伏達が結界内に入るのだが、その前の『山伏問答』というのがおもしろかった。そもそもは、山で出会った山伏同士が、本当に山伏かを試す問答らしい。山伏が身につけている装束の意味について、役の行者さんについて、などなど、山に響くほどの声で言い合うのだ。そのあと、ひとりの山伏が、東西南北や鬼門の方角に弓を放ち、その後いくつかの行事を経て、いよいよ採灯大護摩供が始まった。
◆結界の中心には杉の葉が何層にも積み重ねてあって、その芯は木が組んである。山伏がそこにたいまつで点火。その後一気に大きな炎が…と思ったが、水を絶え間なくかけ炎を出さないようにしている。したがって白い煙がものすごい勢いで出てきて、すごい速さでまっすぐ天に昇っていく。もくもくもくもく、すごいすごい。まるで煙が生きているようだ。その間、山伏達は般若心経を唱える。私も、なんとなく繰り返し聞いていたらあのリズムが心地好くて、気がつけば一緒に唱えていた。真ん中の一番偉そうなお坊さまは、ひとり違うお経を唱えている。護摩木が持ち込まれ、お経を唱えながら火に投げ入れる。私の書いた護摩木も、勢い良く燃えて、無事天に昇って行ったのだろうか。
◆行事が終わり、渡辺さんにごあいさつ。地平線の仲間で来たというと、とても喜んで下さった。
◆日本は「宗教」というと変な目で見られがちだけど、やっぱり人間にとってこういった自然と一体の宗教観って、大事なんじゃないかな、特に今の日本人には…。そんなことをふと思ってしまいました。
◆ところで結論。やはり、山伏は都会のここそこに生活しているようだ。だって、ひとりの山伏がてっこうの上に腕時計をしていたのを私は見てしまったのだ。[杉田晴美]
(その1) |
8月22日から31日まで、ある団体の主催するプログラム(冒険教育プログラムと称して企画された活動)に参加してきました。生まれて始めての屋久島を心と身体全身で味わった10日間。沢のぼりと山登りでどっぷりと屋久島を体感してきました。(自分にとって)ちょっと贅沢な屋久島体験記です。[丸山富美]
●はじまり編
◆8月22日夕方、宮之浦港に参加者16人が集まった。(2人遅れて到着)その日は夕食後、ミーティング。この夜のミーティングで初めて自分たちの28日までの行動を知らされる。最終日のプログラムは内緒だった。参加者は18人、その内男性の参加者は5人。結局、男グループ一つとあと二つは女グループ。私のグループは7人。
◆ちなみにグループのメンバーの職業は、公務員1人、大学生4人、家事手伝い1人、そして私!各グループに一人インストラクターがつくようだ。自分以外のメンバーはバリバリ山登りしてたり、バリバリ走ったり、スポーツウーマンなんだろうな〜?と想像していた。ところがどっこい寝袋でねたことも、ザックをしょって山を歩いたこともないメンバーが何人かいる。
◆ミーティング中も「シュラフってなんですか?」「寝る場所ってどんなとこやろ?えっ寝袋だけでねるの?」「ビバークってなんやろ?」「トイレってどんなとこにあるの」面白い質問が飛び交う。まったく初心者の関西からきた仲間は「えっらいとこ、来てしもーたわー」っと関西弁でジョークを飛ばしながら、顔は少し青ざめていた。仲間らも自分も、とにかくやるしかないな! そんな気持ちで一日目の夜は寝袋に入った。そして次の日、沢のぼり初日を迎えた。(ちなみに7人中、関西から3人、関東から4人だったがいつの間にか関西弁が主流になっていた)
●沢のぼり編
◆「ごっつー(すごい)、これ登んの?」「どないして(どうやって)登んの?」私も何度か沢のぼりをしたことがあったが、そこは今まで自分が考えていた沢のイメージとは違っていた。無口でいる奴もいれば絶叫している奴もいる。川に飛び込んだ後、インストラクターから詳しく丁寧に登り方を説明されることもなかった。ただ一言「本流と思う場所を登れ」それだけだった。最初に飛び込んだ場所もかなり流れがあり、きゃしゃな身体つきをした仲間は下流へ向かって流されていく。岩にしがみつき、足場を確認しながら、少しずつ進み最初の滝を目指した。今までの自分ならきっと挑戦してなかったような滝も、人の足、肩、頭を借りて、仲間の顔をけとばして、水をガブガブ飲み(別に飲みたいわけでなかったけど)、涙や鼻水を出しながら登った。朝の7時から夕方5時くらいまで一日だいたい10時間くらいの行動だ。
◆一日中、沢のながれを感じて、滝を登り、眠る時も沢と森の音に包まれて眠る。夜中にふと目覚めて空をみると流れ星に出会えたり…「贅沢だな〜」ってひとり言も自然に出てくる。そんな日々が3日間続いた。仲間の表情もしだいに厳しく、かっこよくなっていた…。そしてみんなの気合いと根性も日ごとに高まっていくのを感じた。(つづく)
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「スーパーKを追え」 高世仁著 |
◆高世仁さんは最近、電車を待つ時に先頭には並ばない。我が身のヤバサを承知しているからだ。第203回報告者の高世さんは、11月20日に「スーパーKを追え」(旬報社)と題した、北朝鮮の内幕を鋭くえぐる本を出版する。
◆コトはタイで発見された「スーパーK」と名づけられた偽札事件から始まった。この事件はやがて、カンボジア国内で、「よど号」ハイジャック主犯で北朝鮮に亡命していた田中義三の逮捕で思わぬ方向に進む。田中は偽札使用容疑で逮捕された。だが、北朝鮮国外に出れないはずの田中がなぜカンボジアにいたのか。なぜ偽札を使えたのか。ここで一つの推理が働く−−ハイジャック犯たちは北朝鮮の工作員では・・。
◆高世さんたちは、この後12カ国、1年以上におよぶ取材を敢行する。 詳しい経緯は省略するが、高世さんのスーパーK報道を韓国は高く評価し、その後、北朝鮮から韓国への亡命者へのインタビューは高世さんに優先してくれるまでになった。
◆偶然出会った、ある亡命工作員の一人は言った。横田めぐみさんはピョンヤン近郊の金正日政治軍事大学(スパイ養成機関)にいると。そこには、あの田中義三もいた。つまり、金賢姫のような工作員を養成している。彼はさらに言った。3人の漁船員も拉致されている。高世さんは当初、この3人が誰かは知らなかった。そして、その一人こそ、今回の与党訪朝団が面会した「寺越武志さん」だった・・。
◆謎がいくつもの層に折り重なって事実を闇の奥に置いている。だが、高世さんたちは諦めない。「事実は小説よりも奇なり、というけど、めくればめくるたびに新しい事実が浮かびあがる。推理小説の中にいるようで、面白く楽しい取材だった」と高世さんは振り返る。北朝鮮の闇を垣間見るだけでなく、これぞジャーナリスト魂と感じさせてくれる一冊だ。今月の報告会に、高世さん自ら20冊を持ってきてくれる。著者割引き(定価1800円)でサイン付き。ベストセラー間違い無しの一冊を逃さないで![樫田秀樹]
11/28 ツナギを脱ぎ捨てて、旅先で知り合ったオーストラリア人のスティーブン・シールさんとパートナーを組み、MTBライダーに転身したのが1990年の初め。以来、世界一周を目標に、東南アジア、北中南米、アフリカ、南欧から西欧へと走り回って、8ヶ月になります。あと4年、ヨーロッパ、ロシア、アジアなどを走り、2001年に帰国の予定だとか。 今回は寄留先のスイスから一時帰国の阪口さんに、12年もの長旅を選んだ胸の内や、日本人+白人カップルツーリングならではの楽しさ・苦労、サドルとテント生活の中身、道中の出会いなどについてたっぷりお話しをして頂きます。 |
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