1997年7月の地平線通信



■7月の地平線通信・212号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信212表紙●先月から時間を取って、ラテンアメリカの旅の本を執筆してます。もう1年以上も前から話は決まっていたのに、不器用なので締め切りのある原稿を優先していると、自分の個人的な原稿を書く時間が作れなくってイライラ。本を書くってすっごく大変だ〜。

●ラテンアメリカのツーリングはアメリカ・ロサンゼルスから南米最南端を回ってブラジルまで4万6000km、計3回、1年4か月にも及んだ長い旅だったことも進まない理由。日記を読み返しつつ、資料を広げて原稿を書いていると、旅の日々が鮮明に蘇ってきて、我ながら大したもんだと思ったり、あの人は今頃どうしてるだろうなんて考えたり。まだまだ私の中ではラテンの旅が継続中です。

●そういえば、2年前の今頃はブラジルの弓場農場で毎日グァバの収穫に汗を流して働いてました。

●そこは一種の原始共産主義のもと、26家族、約80人の日系人が暮らす共同農場で、農業の傍ら芸術活動を行っていることでブラジル日系社会では有名なところ。特にバレエは2度の日本公演も果たしたほど力を入れていて、先日の天皇、皇后のブラジル訪問の際にも披露したとか。

●弓場農場は日系人だけの集団ということでもかなり特殊な存在で、ブラジル日系人がどんどんブラジル人化していくのに比べ、農場の中だけは『古き良き日本』のまま。私が生まれ育った東京の下町みたいな雰囲気もあって、どこか懐かしい感じのするところでした。

●私が滞在していた当時、ほかに同じライダーが3人、バックパッカーが4人、計8人も旅人が集まっていました。ふらっと訪ねても快く受け入れてくれて食事と寝場所を提供してくれるので、長旅の疲れを癒すにはもってこいの場所なのです。そのかわり農場の仕事を手伝うことになってるけれど、みんな居心地の良さについつい長居をしてしまう傾向にあります。ときどき農場の人達となじめないまま帰って行く人もいるけれど、私と同時期にいた旅人はみんな「はまって」しまったようで、数カ月から1年近くも滞在していました。

●オーストラリアとアメリカ大陸を縦断したライダー仲間のOくんは、「もう表面的な旅をしたいと思わない」と言って、農場に永住することを計画中。世界一周という目的を持った旅の途中でここに寄り、進むのをやめてしまったのだから、かなり影響を受けたのは確か。日本に帰ってから資金を溜め、再び半年間滞在したあと永住の決意を固め、現在またまた資金作りと勉強のため(?)長野県の農家に住み込んでアルバイト生活。この秋には3度目のブラジルへ行く。

●カナダからバイクで走ってきたHくんも旅の最後を農場で過ごし、4ケ月ほど滞在してから日本に帰ってきたものの、しばらくモラトリアム期間を過ごしたあと、1年ほど経って「やっぱり弓場農場に住みたい」と言い出し、「自分自身の心にケリを付けるために」いい条件の就職を蹴って今年3月、再びブラジルへ舞い戻って行った。

●2年ほど不法滞在してニセ鍼灸師としてブラジリアで稼いでいたKも、今は日本に戻ってトラック運転手として働いているけれど、恋仲だった農場の女の子と結婚すると言っている。

●そういう私も弓場農場が気に入って、昨年末から再び1ヶ月間ほど滞在してきたし、農場の人が日本に来ると聞けば会いに行ったりもするけれど、彼らのように移住するほどの勇気も決断力もないし、そんな気もない。

●友人に彼らの話をすると、「宗教じゃないの?」とも言われるし、農場仲間で集まるときも「なんだかこれって一種の宗教なのかもしれないね」なんて話しているけど、農場自体はプロテスタントではあるが、変な宗教とは縁はない。じゃあ一体、弓場農場って何だろう、とときどき考える。何が彼らをそうさせるのか。 実際に旅行者が農場に住み着いてしまう例もあるので、彼らがブラジルに住むことはあながち非現実的なことではないけれど、どうしてそこまで決心できるんだろう、と現実的で打算的な私は考えてしまう。

●「良く考えなさい」、と説教じみた意見をしてケンカになったこともあるけれど、ある意味では彼らのように、何かに夢中になれることがうらやましかったりもする。最近、妙に冷めている自分がイヤでたまらない。しかたなく目の前の仕事に没頭し、犬2匹との平和な生活を送っているけれど、何か物足りない毎日。やっぱり旅に出なくてはいけない、と感じてる今日この頃。とりあえずはラテンの旅を一度卒業しなくては前に進めないので、頑張って本を書き上げないと。早ければ今年中には出版できそうです。その節はみなさん、よろしく。[滝野沢優子]



写真展「地平線発」
好評開催中!!

●写真展「地平線発」、“旅する写真展”の旅支度が本格化してきた。この地平線通信が皆さんのお手許に届くころには、皮切りとなる東京品川・O美術館での6日間の会期も終わり、次なる開催地である東京練馬、光が丘団地近く「J.CITYホール」へ会場を移している頃。そして9月1日には「YOKOHAMA本牧館」へと、写真展は東京から神奈川へ移り、本命である地方展へ一歩一歩、歩みを進めているはずだ。「J.CITYホール」も「YOKOHAMA本牧館」もかつてノヴリカが仕事をさせてもらった、または知人であるので、未知なる旅路、地方展開催への助走といったところか。

●額装作品198点、パネル作品5点、キャンバス地大判作品2点、アクリル透明箱作品1点、写真展カタログ5000冊、展示キャプション216枚、出展者紹介パネル2枚、挨拶パネル1枚、地図額1枚、協賛協力ボード1枚。化石1点(三輪さん)、『コーラン』61冊(惠谷さん)、「私の『香蘭経』コレクション」配布分500部、民族衣装布1枚(中畑さん)、依頼ずみだがまだ集まっていないその他の出展者蒐集品とそのキャプション。戸高雅史K2ポストカード配布分300枚、アンケート用紙500枚、ガラス板2枚、ゴム柱(小)1、枕木(大)2・(小)4、丸太2本、切り株1、電球30個、照明用雲のオブジェ10個、シート、釘、金槌、バネ、漬け物石4個、カラビナ8個、展示用ワイヤー、糸、三脚、チケット2000枚、ポスターetc.……が、“旅する写真展”のスタートとなるO美術館開催への旅支度である。

●目下、想像以上に規制の多いO美術館で、10時から16時の時間内に、展示施工のプロの手を借りず、当日のオープンに間に合うかどうか。スリリングな時に期待しているところ。その前に、いま分散している品々がこの小さな写真展事務局に集結したらどうなるだろう、スリリングな体験は目白押しだ。

●旅支度の中身だけでも、写真展?と思えるような、「地平線発」の奥深さがお分かりになるはず。1972年(リーフレットの74は誤り、すみません)〜1997年の世界の表情、旅人たち行動は、21世紀の子供たちにも、ぜひ見てもらいたい。閉塞した日本の今の社会で、子供たちが見て何を感じてくれるのか、元気印の20世紀の大人たちからの贈り物でもある。出展者の蒐集品はO美術館展示のみだが、この写真展の醍醐味を多くの会場で味わって欲しい。地方展では開催者に経費を出して頂くが、上記の2会場のほかは、6月30日現在、写真展の旅先は決まっていない。地平線ネットワークのご協力をお願いします。[写真展事務局ノヴリカ 影山幸一、本吉宣子]



先月の報告会から
『ナージャの村』
――輝かしい「生」へのまなざし
本橋成一
1997.06.27(金)/アジア会館

■チェルノブイリの原発事故から11年。今だに放射能汚染地区は隔離された死の村だ。もしここに入る許可が得られたら、そこに頑として住み続ける住民(サマシャールと呼ばれる)に、多分誰もがこう尋ねるだろう。何故、ここに住み続けるんですか?怖くないんですか?知らないんですか?ここは危険な死の土地なんですよ---。すでに何年かこの地で写真を撮り終えていた本橋さんも、ご多分にもれずこの種の質問をしたところ、畑を耕していた老人はこれに即座には答えず、黙々とじゃがいもを植え続けたという。仕事を終え、家に招き入れてくれた老人は、壊れかけたアコーディオンを聴かせてくれ、ポツリとこう言ったそうだ。「人間が汚してしまった大地なんだよ、ここから逃げ出してどうしようというんだ。」

■ビデオを見せてもらいながら、しきりにいくつもの映像が甦ってきた。三里塚の四角く切り取られた先祖代々の畑地に、最後まで踏ん張って草取りをする『草取り草紙』のおばあさん。犠牲者たちの祈りと焦りと家族愛に満ちた日々を追った土本典昭の水俣シリーズ。あるいは、こんなにも豊かなふるさとを何故去らなければならないのか、その生活や文化の視点からダム問題を鋭く問い返した『奥三面』等々---。それぞれに永々と受け継がれてきたその土地の暮らし、自然に根ざした暮らしというものがある。他の土地では生きていけない、寂しすぎるのだ。不屈の農民魂といおうか。法律だの権利だのの問題ではない。ただ豚やにわとりと一緒に暮したいだけだ。そこには自らの生を選び取った自由がある。ある意味でここはユートピアなのかもしれない。汚染されているとはいえ、作物の味は別段変わりがなく、モスクワなどに比べたら断然豊かだそうだ。おまけに税金もない。

■本橋さんはたぶん、「丸ごと撮りたい」という衝動にかられたに違いない。壊れかけたアコーディオンの心に染みわたる音も、唯一の友人である山羊を愛撫するおばあさんの手つきも、豊かな緑の大地に吹きわたる風も、すべてをとらえたいと思ってしまったのだろう。そして、個性豊かな6家族の面々の肖像が映像という新しい形になった。彼らの生き方から、私たちがいったいどういう時代に生きているのか、ずしりと見えてくるものがあるに違いない。強力なスタッフを得て、日本が世界に誇ってよいドキュメンタリーの輝かしい足跡に、新たな一頁が加えられることになるだろう。モンドリアン風ロゴがホームから見えるBOX東中野にて、この秋に公開予定。絶対見逃せない一本だ。[金田裕子(「杉並記録映画をみる会」スタッフ)]



北極点単独徒歩横断の河野兵市さんに
独占スペシャル・インタビュー
(愛媛・河野兵市氏〜電話によるインタビュー〜地平線会議・白根全)

★まずは日本人初の単独徒歩極点到達おめでとう。本当にお疲れさまでした。

「いやー、どうもお世話になりました。でも、ほんまにしんどかったわー。まあ、だいたい自分のイメージ通りに歩くことができてよかったけどねえ。今年は今までのトレーニングの経験も生かせたし、情報も充分あったし、自然条件も例年よりはよかったみたいだし、全部がうまいこといってくれて、本当に運がよかったって感じやね。体重も4キロしか減らなかった」

★途中で一度、ギブアップしそうになったけど‥‥。

「あのときは、ものすごいブリザードでねえ。全部の遠征隊が、かなり流されてしまった。ぼくは少しでも流されんようにブリザードの中を歩いてたからまだよかったけで、オランダ隊なんかは2日前の出発地点よりもずっと手前まで押し戻されてた。やっぱり、1キロでもよけいに歩かなきゃならんと思っただけで腹が立つし、心理的にはめちゃくちゃしんどいんだ」

★今やすっかり郷土のヒーローでしょう?

「ぼく自身は、全然変わっとらんのにねえ。なんか有名人あつかいされて、もう道路を歩きながらおちおちハナクソもほじれんですわ。でも、今回の資金はスポンサーとかは一切なしで、全部地元の人たちからのカンパなんだ。名簿に載っているだけでも5200人、あとスーパーや銀行や商店街とか、ありとあらゆるところに募金箱を置いて、総額で2800万円も集まった。私も愛媛出身だからとか、オレもヒゲをはやしてるからとかで、皆さんが実に気持ちよく協力して下さったんだよね。こんなのは、白瀬中尉の南極行以来のことじゃないかな。草の根の市民運動だね。事務局のスタッフもボランティアなんだけど、しっかりコントロールしてくれた。インターネットのアクセスが全部で2万5000件もあったっていうしねえ。今はあちこちお礼まわりの毎日ですよ」

★次の計画は?

「もう当分はやりたくないね。北極点から故郷まで歩いて戻ってくるのは、まあ厄年を過ぎてからにする。それまでに、ベーリング海峡とかロシア方面の状況をじっくり調べてボチボチやりますわ」

★時間ができたら、ぜひ地平線会議で焦げつく報告をお願いします。

「いやー、マジに年内は予定がいっぱいにつまってしまってるんだ。来年でよかったら、ぜひ話させてください」



★★やった! これでノルマは達成! 突然アラスカのドクトル・関野から電話で、「ベーリングは延期にして、先にユーコン河を下るんだけど、すぐ来てくれないかなあ‥‥」 泣く子も黙る恐怖のグレートジャーニー・スケジュールで、とにかく3日間で溜った用事をすべてやっつけて、本日このままアラスカへ出発となりました。ユーコンのあとで、キューバのカーニバルに足を延ばしますので、ちょっと早いけど「謹・暑中お見舞い」(Z)



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「地平線WEBギャラリー・SPICE!」に、
     出展してみませんか。
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●旅先でなにげなくシャッターを押しただけなのに、自分でもほれぼれしてしまうほど「いい写真」が撮れていたことって、ありませんか? いい写真をコンスタントに“狙って”撮れるのがプロですが、アマチュアだって、1回の旅で数枚は、心に残る「傑作」をものにしているはず。でも、そういう写真も身近な友人以外、なかなか見てもらうチャンスがありませんよね。

●そこで、地平線の仲間ならだれでも気軽に出展できる、新しいスタイルの写真展、[地平線WEBギャラリー・SPICE!]をインターネット上に開設することにしました。当面、テーマは自由とし、風景から人物、記念写真まで、なんでもありでいきたいと思っています。モニターの画面上で見る写真は透明感があって、独特の雰囲気になるのも魅力のひとつ。先月の地平線通信での呼びかけに応えて、すでに数名の方から作品が寄せられています。

●コンピュータをもっていない方にはいまいちピンとこないかもしれませんが、最近あちこちにインターネットカフェやアクセススポットなども増えてきましたから、以下のアドレス(URL)を入力して、どんな感じのものだか、覗いてみてください。
「http://www3.big.or.jp/~spice/」。

●自分も出展してみたいと思ったら、[地平線WEBギャラリー事務局」まで、ご連絡を。第一期は、いちおうひとり10点ていどを目安に考えています。キャプションや撮影データも、詳しいほうがおもしろいでしょう。スライド、ネガ、プリント、デジカメの画像、なんでもOK。トリミングや色、露出の補正なども可能です。インターネットに接続できない方には、こんな感じで展示されていますよ、というカラープリンタによる出力をお送りします。

●問い合わせなどは「地平線WEBギャラリー事務局」(〒167 東京都杉並区南荻窪2-38-13-205 丸山方/PEG00430@niftyserve.or.jp)まで。


民族文化映像研究所 新作フィルム上映会

未来を紡ぐ
101本の作品が織りなす基層文化の世界

【プログラム(1)/8月9日(土)】

「歴史・生命のよみがえり――越前、飛騨・白川郷の庶民たちの記録から」

【プログラム(2)/8月10日(日)】

「先住者の復権と共生の道――アイヌ民族との四半世紀」

■会場
新宿区・四谷区民ホール(四谷区民センター9階)tel03-3354-6171
(地下鉄丸の内線・新宿御苑前駅 大木戸門口下車 徒歩3分)

■会費
1回券(昼の部あるいは夜の部)…前売1500円・当日1800円
1日券(昼・夜の部の通し券)……前売2500円・当日3200円
2日券(全プログラムの通し券)…前売4500円・当日5500円

■問い合わせ・電話予約
民族文化映像研究所 tel 03-3341-2865 fax 03-3441-3420
東京都新宿区新宿2-1-4 御苑ビル2F 担当/吉野・佐藤



[7月10日現在1万円カンパに協力してくれた人]

佐藤安紀子、向後元彦、向後紀代美、北村節子、賀曽利隆、賀曽利洋子、河田真智子、山崎禅雄、西山昭宜、山田高司、吉岡嶺二、三輪倫子、海宝道義、香川澄推、中山嘉太郎、大沢茂男、久野暢郎、高野久恵、金井重、江口浩寿、田部井淳子、森井祐介、武石礼司、梅沢政弘、岸本佳則、遊友裕、滝野沢優子、武田美佳、武田力、村田忠彦、水谷任子、西村邦雄、保木由佳、飯野昭司、小川正人、藤原謙二、石川秀樹、舟本和子、田中雄次郎、久保田賢司、在田加代子、相川八重、相川和加子、高野孝子、江本嘉伸、江本くるみ、丸山純、北川文夫、小島淳一、埜口保男、宮寺修一、杉田晴美、張替純二、森田昌弘、加世田光子、森田洋、坂下哲之、花崎洋、河村安彦、土屋守、中村理英、池本元光、菊地敏之、金守達也、野々山富雄、松本栄一、神長幹雄、花岡正明、岩淵清、井口亘、河野昌也、古橋稔、桜井紀子、長谷川絹子、森國興、長迫幸成、本庄健男、岡田典子、斉藤晃、斉藤則子、尾浜良太、那須美智、佐々木眞紀子、長房宏治、山田まり子、出口昌哉、九里徳泰、川島好子、若木美枝、池田朋之、柴田美佳子、長田憲二、松田仁志、岸本実千代、今里好美、野々山桂、鹿内善三、坂本勉、難波賢一、中川淳、小松尾幹愛、西山佳子、野地耕治、島村智子、近山雅人、久島弘、山本千夏、斉藤政喜、森田友江、井川等視、山田佳範(敬称略)





■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介/イラストのなかにある手書き文字)

地平線通信212裏表紙

7/25
FRIDAY
6:30〜9:00 P.M.
アジア会館(03-3402-6111)
\500



山伏ワールドの冒険

「山伏の世界は演劇的要素が強いんです」と言うのは、元女優でもある渡辺まち子さん。例えば山を駆ける修行では、まず自分の葬式を行います。死者の役割を与えられた修行者は魂となり、死後の世界に見立てた山の中で、精神的修練を積んでいきます。実践を通して仏教の世界を理解するプログラムになっているのです。

高校生の時に、弥勒菩薩の美しさに魅せられた体験が、渡辺さんが仏教に魅かれたきっかけでした。側にいるだけで心安らぐそのパワーを、いつか自分も持ちたいと思ったのです。バイクでの日本一周、舞台/映画での役者経験、ブラジル貧民街での生活、忍者の修行など、これまでの異世界体験すべてが、憧れの弥勒への道につながっているそうです。

今月は、仏教系エンターティナーと自称する渡辺さんに、山伏の世界を案内して頂きます。節談説法(ふしだんせっぽう)という山伏の芸を初め、盛だくさんの企画でお送りします。お楽しみに!!(by 長野亮之介)

 


写真展案内カット予想外に早く地平線通信が発行できたのだが、影山さんの文章だと、もう写真展が終わっているように受け取られかねないので、急遽差し込んだ案内。


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