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■1月の地平線通信・206号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)
昨年は、地平線報告会200回記念イベントを盛大に祝い、「地平線の旅人たち」や「地平線データブック・DAS」も刊行し、盛り上がった1年でした。何よりこれを成しとげた諸氏の熱に敬服します。
1979年当時、私は農大探検部の2年生で、地平線会議と名のつく前のビッグバン寸前の得体の知れない集まりにわけもわからず先輩に連れられて出かけ、わけもわからんことを声張り上げて自分の言いたいことだけは言いはる人達の会合に参加していたことをなつかしく思い出します。昨年は私自身も越し方を振り返ることの多い1年でした。4月に91年から参加していた「緑のサヘル」(アフリカのチャドで砂漠化防止のための植林をしているNGO)を離れ、新しい行動の準備を始めています。
地平線の報告者も延べ200人を越え、また新しい行動を期している人、これからの新たな旅立ちを考えている人も多いと思います。私も正月にちなんで、今後の構想を初夢に託してみました。
これから何をやるか? 1985年から続けている「青い地球一周河川行・パンアフリカ編」の継続です。残るはナイル川。しかし、1985年にセネガル川を皮切りに、ナイル川源頭までたどりついたのが1988年。あれからずいぶん月日がたちました。その間、シャリ川の川辺に木を植えることに夢中でした。
なぜか? セネガル川、ニジェール川、シャリ川、ザイール川と、アフリカの川から見えたものはアフリカの大地と人々のバラエティとパワーでありましたが、近年の森林破壊、砂漠化、飢餓、内戦であの表情豊かな大陸からそのパワーが確実にはぎ取られていくのを見ました。自分の遊ぶ庭(地球)は自分で整備しとかんと遊べなくなるゾ、と思ってひとまずアフリカの人達と一緒に川辺に木を植えていたというわけです。
ナイルも木を植えながら10年位かけて下ろうという計画です。ナイル川全長6590km、ナイルの植木屋をなりわいとしながら、毎年1ヶ月の休暇を取って600kmずつ下れば10年で、下り終えられるでしょう。
ナイル川は世界最長の川であり、世界最古の文明の1つを生みました。また、近年のスーダン南部やルワンダでの戦争は史上最悪の悲惨なものであり、ナイルの水の70%をたたえるというエチオピアのアビシニア高原の森林は消滅の危機にあります。人類の文明の行きづまりのようなナイル川相手に、しばらく相撲を取ってみようと思います。
天然のダムである源流の森や、多様な野生生物の住み家である自然林はしっかり守る。人々の使用する木は生活圏の中に植えて管理する。農地は木を有効に利用したアグロフォレストリーシステムで、持続可能な土地利用を確立する。一つの川の水の循環と人々の生活の関係がうまくまわるようなモデルを作ってみたい。そんなことを考えている人達と一緒に働いてみたいのです。そして流域で出会う様々な仲間達を七福神のように宝船に乗せて、いっしょにナイルを下りたいのです。
ナイルで10年もやれば、もういっぱしの地球の庭師になっていることでしょう。その後は「青い地球一周河川行」の続行です。世界中の水辺に、虹の夢(地球と人の愉しい関係の設計図)をかけて、ユーラシア、北南アメリカと旅をするんだ。
それが終わったらどうしようか? 南の島に行って、砂浜の横にヤシとバナナに囲まれた高床の家を建てよう。昼間はラグーンの中で、小舟にゆられ足の親指につり糸つけて昼寝をしよう。夕日を見終わったら釣れた魚とヤシ酒両手に抱えて繰り出して月の下でピカピカの娘っ子くどいて歌って踊って…、愉しい青春、楽しい老後、エエ人生やなあ。今日を楽しくできなくて明日楽しいわけがない。
感動は磨かなければくもる。好奇心は怠ればよどむ。愉しく共鳴して生きて行くにはパワーがいるのだ。まじめなことはふざけてやろう。ふざけたことはまじめにやろう。ふざけたことをふざけてやったらただのアホ。まじめなことをまじめにやったらただのビョーキ。気ィつけんと三島、赤軍、オウムを、鏡に映るあだ花のように生み出し続けてきた、官民なれあい型、日本株式会社方式「みんなでやればこわくない」超ぬるま湯管理世界に取りこまれるから用心しましょう。
最後はあらぬ方向に行きましたが、夢は時になんの脈絡もなく飛ぶもの。ご容赦。97年初夢、山田編でした。[山田高司]
◆謹賀新年。1997年元旦晴気温零下20度。イヤアー、山の神様お願いだー。木遣一声エベレストの元旦は明けた。三輪さん始め地平線会議の皆さん新年お目出度うございます。遥かなるヒマラヤ山中より益々のご発展をお祈り申し上げます。
◆午前8時50分気合いもろとも湖中にとび込む。零下15度燃えさかる盛春の血は寒気は不感第18回初泳成功感激の涙も凍る一瞬だ。
珠峯初泳
雪山萬里珠峯湖
元朝泳拾八星霜
報恩林子稔桜笑
珠峯歳童七拾参
一九九七年元旦大沢茂男作
とシェルパの家の壁に書き残す 山中にて
◆こんにちは。いつも地平線通信を送っていただきありがとうございます。私は今回、エコチャレンジ96という競技に参加しました。70チーム中26位でしたが、完走まで行かなくて、完走は20%の14チームのみでした。競技はレイドゴロワーズのアメリカ版で、Ride & Run(馬と走る)、Mountaineering、Canoe、MTB、Raftingで、9日間で500km移動するものです。
◆いろいろと慌ただしくしているうちに12月も半分が過ぎ去ってしまいました。阪神大震災から1年11カ月。あの拡大神戸集会からも早くも4カ月弱。過ぎてから振り返ってみれば月日のたつのは本当に早いものです。私はまだ大阪府の吹田市で仮住まいの状態です。震災で全壊したマンションは9月には着工できましたが、まだ基礎工事の段階です。兵庫県の芦屋市に戻れるまでには、まだ1年以上の時間が必要です。
◆さて、先月の通信(204号)にあった中畑朋子さんのフロントページを興味深く読ませていただきました。日本の地域により色の感じ方に違いがあるという説はものすごくおもしろいですね。考えてみれば、それはそうだろうと思いますが、今までまったく気付かなかったことです。寒いというイメージが強い飛騨地方には赤みを帯びた自然光がさしていることや、地形の関係で同緯度の土地より黄色みを帯びた光が充満しやすいなどなかなか奥が深そうですね。できれば詳しく知りたいと思います。そういったことが書かれている本があるのならば、教えていただけませんでしょうか。お手数ですがよろしくお願いします。
◆PS.昨日、発売されたばかりのシゲさんの本を買ってきました。本の内容はもちろん長野画伯のイラストも大いに気に入っています。
1冊に134冊 パートII
◆さてさてパートIIとはなんたること。なぜ“其の二”にしなかったのか、ほんま恥ずかしいわー。昭和一ケタがこれでは、日本語がやせ、カタカナ英語が氾濫するのも無理ないわい。
◆実は1989年2月、アフリカから帰ってきたら、国鉄が消えてJRになってたんよ。悲しいねー。もう酷電と呼べない残念さ。このときのショックが大きすぎて、電電公社の変身、NTTにちっとも驚かないという、後遺症まで残ったシゲでしたが、東北道の田んぼの中で、でっかいJAの看板にはさすがにビックリ。「農協さん、汝もか」
◆さて本題に戻って、いや入って、まず134冊にちょっと補足させて下さい。1.上・下本を1件として記入し、冊数を数える時、1冊としてしまいました。(例、東南アジア紀行上・下、洋夜特急1〜3)2.書名のみで、著者名がないのは省略しました。3.書名、著者名とも英語の綴りも省略。4.実行委員会編の報告書は割愛。5.「地平線から」も地平線のみなさんは、すでに必読のはずという独断で割愛。6.雑誌もあります。号数なしで冊数も不明。1件を1冊と扱いました(例、ナショナル・ジオグラフィック)
◆と、いうわけで、旅した年数、国の数にこだわるシゲも、地平線を駆ける旅人たちの「最近おもしろく読んだ本」を数えることはできませんでした。そこでグリコのおまけ。転んでもただではおきないシゲも考えた。
◆「もしあなたが無人島に行くとしたら、なにを一冊もって行きますか」皆さんも考えてね。シゲも迷ったけど、やっぱり薄くて小さいこの一冊「奥の細道」です。朝とか昼寝のあととか、朗々と音読するのもいいと思うよ。
◆月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり…そう言えば第1回報告者の三輪先生が、奥の細道を走る計画を練っている様子。「あぁらいいわねー。無人島の前にまず伴走だわ」と、シゲも狙っているのです。
◆注、グリコのおまけ、森永や明治キャラメルにはおまけはないけど、グリコにはついていた。このおまけもチョー魅力だった。
◆12月号の地平線通信、楽しく読ませていただきました。これからもがんばって下さい。応援してます。
●野々山富雄さん
◆拝啓、元気にやってます。地平線カレンダーほしい、ほしい、ほしい! 限定100部とか言ってすぐまた人をあせらせる。もちろんAもBもほしです。よろしくお願いします。
●坂本勉さん
◆カレンダーの図案に関して以前から気になっていたことがあります。例えば、夏は海、冬は雪山の写真が多いようですが、これを逆にしたほうがいいのではないでしょうか。夏の暑い日には涼しい冬の景色、冬の寒い季節にこそ南の島の写真が似合うと思うのです。是非ご一考を!!
●帰山和明さん
◆8月神戸集会の時参加させていただきました。集会にはなかなか参加する機会はないのですが、仕事上オートバイ用品、アウトドア用品関係の仕事ですので、私自身が報告できるような体験はないのが現状ですが、旅する人たちのサポートがそういう面でできればと日々思う次第です。1997年もよろしくお願い致します。
〈タイプB〉のイラスト編「越南式平穏堂堂的生活見聞図絵」は、おなじみの長野亮之介さんによる旅の絵日記。95年夏、ベトナムの漁村に滞在した時に体験したさりげない日常が、いきいきと描かれています。こちらはいま印刷屋さんに渡すところですので、まだ在庫があります。予約いただいた方、遅れてごめんなさい。
申し込みは、〒271 千葉県松戸市西馬橋1-10-3 武田力方「地平線カレンダー係」まで、郵便で。お支払いは郵便振替(口座番号:00120-1-730508/加入者名:地平線会議・プロダクトハウス)へお願いします。価格は各700円。送料は1部190円、2〜4部270円。フロッピーディスクケースの大きさです(ケース付き)。
写真編・撮影者:1.松本栄一/2.関野吉晴/3.三輪主彦/4.賀曽利隆/5.惠谷治/6.白根全/7.渡辺久樹/8.江本嘉伸/9.向後紀代美/10.滝野澤優子/11.森田靖郎/12.岡村隆(敬称略)
佐藤安紀子、向後元彦、向後紀代美、北村節子、賀曽利隆、賀曽利洋子、河田真智子、山崎禅雄、西山昭宜、山田高司、吉岡嶺二、三輪倫子、海宝道義、香川澄推、中山嘉太郎、大沢茂男、久野暢郎、高野久恵、金井重、江口浩寿、田部井淳子、森井祐介、武石礼司、梅沢政弘、岸本佳則、遊友裕、滝野沢優子、武田美佳、武田力、村田忠彦、水谷任子、西村邦雄、保木由佳、飯野昭司、小川正人、藤原謙二、石川秀樹、舟本和子、田中雄次郎、久保田賢司、在田加代子、相川八重、相川和加子、高野孝子、江本嘉伸、江本くるみ、丸山純、北川文夫、小島淳一、埜口保男、宮寺修一、杉田晴美、張替純二、森田昌弘、加世田光子、森田洋、坂下哲之、花崎洋、河村安彦、土屋守、中村柾英、池本元光、菊地敏之、金守達也、野々山富雄、松本栄一、神長幹雄、花岡正明、岩淵清、井口亘、河野昌也、古橋稔、桜井紀子、長谷川絹子、森國興、長迫幸成、本庄健男、岡田典子、斉藤晃、斉藤則子、尾浜良太、那須美智、佐々木眞紀子、長房宏治、山田まり子、出口昌哉、九里徳泰、川島好子、若木美枝、池田朋之、柴田美佳子、長田憲二、松田仁志、岸本実千代、今里好美、野々山桂、鹿内善三、坂本勉、難波賢一、中川淳、小松尾幹愛、西山佳子(敬称略)
1/31 サハラに始まり、50ccバイクでの日本&世界一周。インドシナやタクラマカン一周など、40代の賀曽利さんの行動派多彩でした。 「20代は海外をがむしゃらに走り、30代は日本。40代は両方楽しめたな」。こう語る冒険王の、50代へのジャンピングボードが、「オーストラリア50000計画」でした。96年5/25〜11/15。約半年をかけた豪大陸2周の旅です。 前半「ロード編」では国道1号、スチュアートハイウェイ往復走破、東西南北端到達などを達成。後半「ダート編」では、主な未舗装道路16000キロを走破。総走行距離は72000キロに及びました。23年前、同じ豪州2周をした時の40000キロをはるかにしのいでしまいました。今月はこの行動を中心に、冒険王40代の総括をしていただきます。ちなみに、賀曽利さん、報告会7度目の登場となります。 |
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