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■5月の地平線通信・199号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)
●ミワがフロントページを書くときはマラソンの自慢話だと思っている人が多いようですが、まさにその通りです。と言いたいところなのですが、今回はその前にいくつか書きます。
●まず最初は多大のカンパを下さった皆様に感謝、感謝。ほんとうにありかとうございました。実は今年の最初には資金が底をつき、そろそろ地平線会議も限界かなと思っていました。通信費(2000円)をいだいていますが、集め方が悪いので赤字だし、毎月の報告会(500円)も79年の発足以来一度も値上げしていないし〜い。カンパは7月13日の200回記念大集会に使うことになっていますが、ちょっとだけ通信にも回してもらいます。
●その7月の大集会に向けて、長野亮之介さん(近頃読売新聞のファッション欄のイラストと文を書いている)を中心にして準備が進められています。総合タイトルは『地平線の旅人たち』で、13日土曜日の午前10時半から午後8時までぶっ通し、青山の《ウィメンズプラザ》を借り切って遊ぼうと思っています。詳細はまだ十分つめていませんが、最初は、田部井淳子さんのミニ講演、「女の行動学…うしろ髪とうしろ指」という題のシンポジウム、地平線の200人のビデオ、長岡竜介さんのケーナのミニコンサート、恒例のチャリティーオークションなどが企画されています。
また、一部の趣味で、「地平線犬(いぬ)学」なるシンポもあるとか。乞う期待。詳細は次号。7月13日(土)は1日空けておいてください。また、オークションに出す品、あるいは買うための資金も用意しておいてください。
●この日にあわせて2つの出版を考えています。1つは地平線データブック、『DAS』(データ・アンド・スクラップス)です。出す出すと言いながらここまできましたが、今回は丸山さん、新井さんの寝食を忘れた活躍で間違いなく間に合います。
もう1つは「地平線の旅人たち…201人目のチャレンジャーへ」という市販本の発行です。昔からの仲間である大手零細出版社の「窓社」から出します。これまで報告をしてくれた人たちの1ページずつ書いてもらいます。18年間、振り返ってみるとよくもまあこれだけの人が来てくれたものだと感慨をあらたにしました。話してもらっても、一銭も払わないどころかカンパまでもらったこともたびたびです。今回もまたタダで原稿を依頼し(もし大ベストセラーになったら払いますが、現在のところ、できた本を1冊くばるだけです)、なお遅いといって催促しているのですから、こちらもまたすごい。仕事をなげうったE氏の奮闘ぶりに南極からも原稿が届きました。ほぼ9割の回収率ですからエライ。
●さていよいよマラソンの話と思っていたが、スペースがなくなりました。それでも名古屋−金沢270キロの日本で一番長いウルトラマラソンを45時間で見事完走したことだけは、さらに130人中19位だったことだけは書き残しておきます。[三輪主彦]
時は今から16年前のこと、いまだ私が世間の汚れに染まらぬピカピカの若者だったとお考えください(想像できんわい)。
所はインドのヴァラナシ。ご存じガンガの流れに面したヒンドゥー教の聖地であります。
私はひとり、その裏通りを歩いておりました。
くねくねと続く路地のひとつを曲がろうとしたおり、出会い頭に犬とぶつかりそうになり、私の足は反射的にその犬を蹴ろうとしました。
いえいえ、普段は犬など蹴るようなことはございません。動物にも女性にも優しいのが身上の私です(わたし、ではなく、わたくし、と読んでくださいね)。その時も、防衛本能といいますか、本気で蹴飛ばそうとしたわけではございません。
しかし、その茶犬にしてみれば、蹴られる、という恐怖はかなりのものだったようで、一瞬、凍りつき、そして、この人間は本気ではない、とわかったとたん、恐怖の反動の怒りが脳天を突き上げたらしく、わひんわひん、と通り過ぎた私の背後に吠えかかるのです。
しかし、インドの町中で犬ほどみじめな動物もあまり見かけません。牛やら山羊やらカラスやら、いろんな動物が人間様と対等の顔つきで町にいるのですが、犬というのは、いつ見かけても、通りの掃きだめのような、吹きだまりのような隅っこで、ぐたあーっ、としているようです。
私の背に吠えかかる犬もよろよろと動きが鈍く、あちこち毛が抜けていました。吠えられたってこわくありません。
わひんわひん、と、ひとしきり吠えると、茶犬は、鼻っ面を天に向け、うおおおおーん、と何度も遠吠えをしました。
私は、そんな茶犬とのことなど、たちまち忘れ、散歩を続けました。
目の前に茶店があります。暑いし喉も渇いた。チャイでも飲もうか、と店に近づくと、茶店の隅でうずくまっていた黒犬が、私の顔を見ると、いきなりガバと起き上がり、ぐわうぐわう、と私に吠えるではありませんか。
茶店のオヤジもけげんな顔です。
チャイを飲むのはやめにして、また、歩き出しました。背後で茶店の黒犬が、あおおーん、と遠吠えするのが聞こえました。
その黒犬のこともたちまち忘れ、さらに歩くと、果物の屋台があります。パパイヤでも買って帰ろうか、と屋台に近づくと、屋台の下でべったり腹ばいになっていた灰色の犬が、こちらを見るや、またしてもぬっと起き上がり、ぎゃうんぎゃうん、と吠えるのです。
変だな、とは思いましたが、まあ、あまり気にしないことにして、でも、パパイヤを買うのはやめにして、さらに歩いてゆきます。
やがて映画館。アミータブ・バッチャンのポスターの下に丸くなっていた犬(色は忘れました)が、私を見ると、こいつは丸くなったまま、ひゃおんひゃおん、と吠えるのです。
さすがに気味が悪くなりました。私ひとりが歩いているのではありません。なにしろインドの町です。人があふれるようにいるのです。その人の渦をリキシャやバイクや車がかきまわし、牛や山羊が徘徊し、じっと通りを見ているだけでも頭がくらくらしてきそうです。
それなのになぜ犬たちは私だけに吠えるのか。
考えられるのはただひとつ。最初に蹴ろうとした茶犬です。あいつの遠吠えです。あいつが遠吠えで、仲間の犬軍団に復讐を頼んだのです。
そんなことを考えている間に、通りかかった布地屋の犬が、ぜんそく病みのように背中をふるわせつつ、げほんげほん、と、これは吠えるというより、咳のような声を絞り出しては私をにらむのです。だいぶガタがきた犬軍団のようです。
この町の犬が私を狙っている。これはもう疑いから確信に変わりました。散歩は中止です。私はくるりと向きを変えると、宿めがけて急いで歩きました。途中二度ほど犬に吠えられました。
夜、宿の屋上から、すっかり寝静まった町を見下ろしていると、闇の中に犬の遠吠えが聞こえます。そして、十数匹の犬の群れが夜盗のように江戸の町、じゃなくて、ヴァラナシの町を、すばらしい勢いで駆け去ってゆきました。インドの犬は、夜になると野生の血が目覚めるのかもしれません。
で、私は外に出て、犬に会うのがおそろしくなったかというと、別にそんなこともなくて、翌日になると、相変わらず、道端で、ぐたあーっ、としています。
昼間、インドで犬に吠えられたのはあの一日だけでした。
※岸本さんは以前、大阪で報告会のビデオ上映会を開催したことがあり、今回も8月の下旬に向けて、イベント開催の準備を始めているようです。手伝ってみたい、参加したいというかたがいたら、地平線ポストまでご連絡ください。
小島淳一/宮崎琢巳/長谷川絹子/帰山和明/岩谷勝弘/富岡彰/嶋洋太郎/岩元正/栗原正人/佐藤安紀子/加曽利隆/永田好延/坂井紀子/岩井美由紀/山本将/林与志弘/後山廣春/岩渕清/桜井悦子/長澤久吉/湯山きょう子(敬称略)
そして、25歳のときにアラスカのマッキンリーに一人で出かけ、日本人で4人目の単独登頂を果たす。最初の3日間は不安を感じていたが、4日目から気分が軽くなり、20日かけて頂上にたどり着くことができた。続いて翌年にヨーロッパのマッターホルンへ出かけると、しだいに単独の登山に限界を感じるようになる。
89年には川崎市教員登山隊の一員として、ブロードピークに遠征する。頂上に2度アタックしたが、雪の深さに阻まれて撤退。8000mを越える山の難しさを痛感する。翌年のナンガパルバットの遠征が決まると、富士山麓の工場に住み込みで働きながら、富士山で毎週トレーニングを重ねることにした。
自分のベストコンディションで挑んだナンガパルバットでは、見事に無酸素で頂上に立つことができた。無酸素登頂は日本人初である。しかし、頂上間近の岩の壁で仲間が滑落して亡くなってしまう。
初めて8000mの頂上に立ったという思いと同時に、頂上にこだわらなければ、もう少し自分に余裕があれば、二人で戻ることができたのではないかということが、強く心に残った。「自分に自信ができたことと、人の魂について考えさせられたのが、ナンガパルバットの遠征で得たことでした」と戸高さんは語る。
その後、91年のブロードピーク、92年のガッシャブルムI峰、93年のガッシャブルムII峰と遠征を重ね、94年には世界第2峰のK2に挑戦することになる。8500mを越す山に無酸素で登るということは、人間の限界に近いことであった。
けっきょく、チームによる登山スタイルの違いでコンディションが合わず、深い積雪に阻まれ、8400mで撤退することになる。このときは、肋骨を折り、左足が凍傷になるなど、体力の限界までやってしまったという。この経験から、今までのがんがん登るスタイルを見直し、自分と周囲のリズムを重視する方向に意識が向いてくる。
翌年には、自分が今まで感じてきたことを表現しようと、再度ブロードピークに遠征することにした。自分の理想の登山スタイルを考えたとき、従来のノーマルルートからの登頂ではなく、北峰から主峰まで縦走する計画が頭に浮かんだ。ブロードピークは3つの峰で一つの山という思いがあった。
6500mのベースキャンプに到着すると、10日間かけてそこの標高に体を慣らし、次の5日間で7400mまで2回往復する。無酸素で登頂するには、このように高度順応を確実にしなくてはならない。
ブロードピークを北峰から登ってしまうと、ノーマルルートのある主峰にたどり着くまで、下山ルートがほとんどなくなる。北峰に登る斜面の傾斜は60度近くあるので、ここを戻ることもできない。となると、縦走をやり遂げるにはスピードが重要になる。ザイルやハーケンなどの荷物もぎりぎりまで削らなければいけない。
そして、北峰の壁に取りついてから一週間。天候にも恵まれて、無事にベースキャンプに戻ることができた。
「振り返ってみると、この一週間というのは、ブロードピークという山に、ほんとうに溶け込むことができたような不思議な時間だったと思います。自然や宇宙のリズムと自分たちのリズムが一つになったような、自分が思い描いていた登山ができたような気がしています」
時間の流れを感じないでただ登っていたブロードピークの体験から、戸高さんは「生命の瞬間」を意識するようになった。人間がシンプルになることを突き詰めていくと、周囲の世界と一つになっていくのではないか。その思いを確認するために、戸高さんは5月13日にK2に向けて旅立った。
人間の限界を越えた孤高の山で戸高さんが何を感じてくるのか、次の報告を楽しみに待ちたい。(新井 由己)
5/31 FRIDAY 6:30〜9:00 P.M. アジア会館(03-3402-6111) \500 愛と幻覚の犬ゾリレース 犬ゾリの国際レース・アイディタロッドも今年で24回目。唯一のアジア人マッシャー小嶋一男さんは、13回大会以来7回目の出場を前にして、足ならしの300マイルレースに出走しました。 ところが40マイルのコーナーで立木に激突。左足が完全に動かないままチェックポイントにたどりつきましたが、回復せずリタイア。じん帯切断という大ケガでした。コース設定に問題があった上、少雪でアイスバーンとなっていたための事故でした。 「でも、本レースをリタイアするきは全然なかったですよ。犬の仕上がりは良くて、勝つ自身はありましたら」と小嶋さん。3月2日の本番には、じん帯の切れたままの左足を、ブレースという特殊なギプスで補強し、痛み止めを打ちながら出走。12日と9時間26分後、ゴール。小嶋さんの自己新記録であり、13回大会までの優勝記録を上まわるタイムでした。順位は13位。 「麻薬みたいなもの」という過酷なこのレースの魅力について、今月は小嶋さんに存分に語っていただきます。 |
先日お届けしたばかりの地平線通信最新号題字の8頭の犬たちがそれぞれ「ち」「へ」「い」「せ」「ん」「つう」「し」「ん」と犬(?)命に発音しているのにお気づきでしょうか? 今月の報告者、マッシャー(犬ぞり使いのこと)小嶋一男さんの偉大なる犬たちを意識しての意欲作でしたが、芸術的表現に入れ込みすぎて大事なことをもらしてしまいました。そう、日時が抜けていました。ごめんなさいワン。
地球最大の犬ぞりレース「アイディタロッド」に7回出場、7回とも完走した、小嶋一男さんの「愛と幻覚の犬ぞりレース」の報告会は5月31日(金)18時30 分から21時まで、いつものアジア会館(地下鉄青山一丁目下車、電話03-3402- 6111)で開きます。時間ぎりぎりのお知らせ追加となりましたが、小嶋さん、地平線のみなさん、お許し下されワンワン。
左膝の靭帯をかばいながらの1800キロ。12日と9時間26分と過去最高のスピードでゴールするまで睡眠時間は18時間半だけという、驚異的な報告にご期待下さい。
地平線ポスト:〒173 東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方
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