1996年3月の地平線通信



■3月の地平線通信197号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

 歩くような速度で、疲れきった足を運ぶのがやっとという状態でゴールにたどり着いたのは、もう15年も昔の1981年の初夏であったろうか。私が三輪主彦さんと行動を共にした記念すべき日である。私が筑波大学修士の2年のとき、三輪さんは社会人留学で1年に入ってきた(ただし年齢は10才程度上)。そのとき、三輪さんが計画した大学から筑波山頂まで(片道約17Km)の往復マラニックをした。もちろん三輪さんはとっくにゴールしていて余裕しゃくしゃくで迎えてくれた。

それからしばらくして、地平線報告会を紹介される。最初はクライミングのスーパースター長谷川恒男さんの報告を聞きに行った。1981年10月のことである。標高差の大きい垂直の壁を登ることに懸ける思いと、それを成功させるための技術と精神力が良く伝わってきた。若い女性がたくさん来ていて、会場は立ち見で一杯だったと記憶している。

その後、数度筑波からアジア会館まで出かけ、いろいろな人の行動を直接本人から聞くことができ、行動そのものから驚かされるばかりか、物の見方や人の生き方を考えさせられることが多かった。地平線会議とは何とすばらしいことをボランティアだけでやっていることかと感心していた。広島へ転居後は、はがき通信のみが地平線からの情報になった。そこで、地方からの地平線会議について思っていることを書いてみたい。

 毎月送られてくるはがき通信は、報告者の行動が書かれていて、これだけ読むだけでも楽しみであった。今ではB5版4ページの充実した内容で読む側としてはとても満足している。毎月新しい行動者の記録を読むとこちらも生きる力を分けてもらっているようで楽しい。人間の本能には冒険心があり、それを目覚めさせてくれるような効果あるのではないかと思う。毎月定期的に行動者を探して報告会を開き、地平線通信を送り続けるのは大変なことと思うが、今後とも続けていただけるよう希望する。

華やかな冒険も心躍らされるものがあっていいが、地道な行動も十分に感動を得られるものである。地平線会議のいいところは、こういった行動を平等にとり上げる所にあると感じている。海での遭難実験をした斎藤実さんの報告は長谷川恒男さんのものとともに忘れられない報告である。報告会で得られるような感動や精神の高揚は残念ながら地平線通信では味わうことができない。地方にいて最も残念なことはこの事である。地平線通信の内容が面白いほど、どんな報告会でどんな反響があったかということが知りたくなってしまう。ここに東京(周辺)と地方の差を感じる。報告会も200回を迎えるにあたり、記念大会が開かれるのでぜひとも参加したい。

しかし、これは通常の報告会とは異なり内容が盛りだくさんで充実感がある一方で、一人の行動者の報告会から得られるような感動は得難いものであろう。そういったことからも、報告会の地方開催を望む読者も多いのではないだろうか?

地平線ポストには全国からの便りが寄せられていて、地方からの関心も多いと思う。せめて地方拠点都市でその地方出身または在住の行動者の報告会ができないだろうか? 年に1回でもいいからどこかの地方で地平線報告会を開けたらすばらしいことと思う。費用や会場などの準備はその地方の読者が集まって行うようにすれば実現可能ではないだろうか。地平線の読者ならばそのくらいは喜んで手伝うと思う。

 さて、一方で地方と地平線を結ぶものにHARAPPAがある。HARAPPAは地平線の世話人の一人丸山純さんがパソコン通信のNifty-serveに設けたホームパーティーで、参加者が誰でも読み書きできる電子伝言板である。報告会に参加できないためか地方からの参加が多く、今では秋田、東京、京都、大阪、兵庫、岡山、広島、愛媛、熊本など日本全国からの参加があり、ほとんど毎日意見が交わされている。地方在住者にとっては貴重な"原っぱ"である。

更に、HARAPPAでの議論の結果、インターネットを利用したWWWによる地平線ホームページ(地平線通信196号参照)を開設し、電子メディアによる情報発信に積極的に取り組んでいる。WWWでは文章以外に写真や音声を伝えることができ、(地方の)情報不足を補ってくれる効果がある。また、地方のHARAPPA参加者数名のホームページも別々に動き出している。

これからネットワークの整備が進んでゆけば、WWWと電子メールを組合わせることで、より充実した情報を日本はもちろん世界からも交換できるようになるだろう。地方の地平線ファンとして期待が大きいところである。(北川文夫)



■リレー連載・地球“犬”体験……2


ケィンミはイニュイの知恵袋   中村進

 ケィンミはイニュイの言葉で「犬」のことですが、一般的にはエスキモー犬と呼ばれています。特に、エスキモー犬は犬の世界では極めて厳しい仕事に従事する労働犬です。
 イニュイとはグリーンランドの最北地域に生活する先住民族のことで、エスキモーという名で知られている人たちのことです。
 さて、少し昔の話になりますが(現在も変わっていません)私が観たケィンミの素晴らしい仕事ぶりをちょっとご紹介します。

□暗黒の海氷を走る
 北緯77度を超える最北の地域では、太陽のない暗黒の日が4カ月も続きます。12 月に入り海氷が厚くなるとイニュイたちは犬ぞりでカッシウチ(アザラシの網猟)に出掛けます。
 では、イニュイとケィンミたちは真っ暗な海氷の上をどうやって走るのでしょうか。目的地の猟場までは記憶を頼りに「右、右、左、左」と言葉でケィンミを誘導していきます。しかし、一度走るとそのルートには橇や犬の足跡、さらに犬のオシッコやウンチなどが残されます。というと、もう“ピーン”と来たかもしれませんが、帰りの犬ぞりでは居眠り運転もOKなのです。
 犬の嗅覚は人の数千倍といわれます。つまり、犬の「鼻」がイニュイの目になってくれるわけです。スノーモービルはライトが点きますが居眠り運転はできません。
 暗黒の冬のカッシウチは人と犬が一体となって自然と共存している一つの姿として感動しました。

□氷上の知恵くらべ
 アザラシは鋭い手の爪を使って海氷に直径20〜30cm程の穴を開けます。これは空気を吸って呼吸したり、海氷の上で休んだりするためです。春のある日、300m程の距離をおいて呼吸穴が三つありました。犬ぞりで近づいてそれぞれの穴の氷の厚さを調べると、そのうちの一つはピチャピチャと海面が出てきました。これは数分前までアザラシがそこにいた証拠です。
 さて、そこでイニュイの人がどうしたか。
 彼は橇から銛と銃を静かに取り出し、その穴の前で構えました。次に彼は「ピー」と口笛を吹きました。すると、ケィンミたちは他の穴へ向かって走り出しそこで止まりました。
 海氷の下にしたアザラシはダカダカと走り去っていく犬ぞりの音を聞いて「もう大丈夫、昼寝でもしようか」と先ほどの穴にやってきたら、そこにイニュイが待ちかまえていたのです。
 アザラシはイニュイとケィンミにまんまと騙されてしまったのです。この猟はイニュイの巧みな知恵ですが、イニュイだけでは決してできない猟なのです。こうしたことでケィンミたちもその知恵の一旦を担っていると感じたわけです。
 最北の厳しい自然環境でイニュイたちが狩猟を糧として生きてこられたのはそうした犬ぞり文化を創造したことではないでしょうか。移動したり、獲物を探したり捕ったり、肉や荷物を運んだり、動物を引っぱったり、これらの主役は確かにケィンミたちでした。地球最北の逞しさケィンミたちに感謝。



■地平線ポストから
宛て先…〒173 東京都板橋区大山町 三輪主彦方

●水谷任子さん……東京都世田谷区発
 春がもうすぐです。地平線会議のためいつも何か働いて下さる方々、ご苦労様です。「200回記念大集会」のカンパ1万円と会費4000円、合計14000円お送りさせて頂きます。会費は去年(たぶん未納?)と今年の分です。
 経済的制約と時間的厳しさの中で、自分の生き方を見つめている人は何故か元気で輝いているように思います。乾杯(外字=ハートマーク)

●久野暢郎さん……東京都世田谷区発
 毎月、地平線通信を送っていただきありがとうございます。
 そちらに行くようになって約1年たちます。仕事が終わって1時間かけ柏から青山へ行き、30分ぐらいしか報告会が聞けないことがよくあったけど、それでも来てよかったと本当に思わせる場所でした。そのお礼の意味をこめまして、カンパさせて頂きます。7月13日の大集会の翌日か翌々日からバイクで世界一周に出かける予定で現在準備しています。途中、自転車で旅行したい所も含め4年の予定です。皆さんのように、いろんなことを感じることができればと思います。

●高野久恵さん……東京都杉並区発
 長らくごぶさた致しております。このところ、すっかり本業中心の生活です。それでも、まとまった休暇(3日〜4日)がとれれば、小さな旅に出かけています。ただ、蘭嶼へは、1年前に行ったきり。今年こそはと思うのですが、4月に入らないと決められません。とりあえず、カンパ同封致します。



●先月の報告会から〜自分を探す旅〜熊沢正子
 1996.02.27/アジア会館

 1985年から87年にかけて日本一周をした熊沢さんは、サイクリストではなく「チャリンコ族」と名乗っている。それは、自転車で走ることが目的ではなく、自転車とともに旅をするという意味なのかもしれない。
 “放浪”を経験した旅人の社会復帰は難しい。熊沢さんも例外ではなく、日本一周を終えたときに描いた夢を実現できないもどかしさを感じながら、淡々とした社会生活を送っていた。
 そんなある日、10日間の休暇を取って韓国へサイクリングに出かける。すると、見るものすべてが新鮮で、初めての異国に心がときめくのに気づいた。同時に、順調に進んでいた仕事に不安を感じて日本一周を始めた数年前を思い出し、「今度、今までのことをチャラにするなら外国に行こう」と決めたのである。

 外国へ行くなら沖縄の石垣島から行きたい。石垣島は日本一周のときに長期滞在をした思い出の場所だ。そこからまた旅を続けたいという思いもあった。そして92 年7月、日本一周のときに知り合ったヒデこと飯田英文さんといっしょに台湾に渡った。
 台湾では、1台のバイクに5人も乗っていることや、右も左もめちゃくちゃな交通ルールに驚く。その一方で、石垣ではなくなってしまったような風景に懐かしさを感じていた。子どものころに見た田舎の光景に似ていたこともあって、台湾を身近に感じながら3週間の滞在となった。

 台湾からイギリスに飛ぶと、季節は夏から秋に変わったようだった。アジアとヨーロッパの距離の違いを肌で感じながら、予想に反して畑が多く、空が広いことに気づく。
 熊沢さんにとってイギリスは、憧れの地である。幼年時代に読みふけったイギリスの作家・アーサー=ランサムの物語の舞台なのだ。その物語が始まる湖水地方のウィンダミア駅に立ったのは、物語と出会ってから二十余年を経ていた。
 スコットランドを走ってからフランスに行き、スペインへ南下していくにつれて、少しずつ風景が輝いてきた。スペインから南フランスに戻るころには、ハーブのにおいが風に含まれるようになっていた。

 そして、台湾を出てから約一年。今度はローマから韓国のソウルへ移動する。
 「本当は世界一周をしたかったけど、そんな時間もお金もない。だったら、遠くと近くをつなげてみれば、何か見えるかもしれない」
 ヨーロッパとアジアの気候を肌で感じ、街並みや人込みを比較してみる。雑多な街並みは日本と共通しているものがあり、山並みもヨーロッパとはぜんぜん違うものだった。

 大阪に帰国した二人は、1か月半をかけて、信州を経由して東京に戻ってきた。そのときに、外国人の目で日本を見ることができたという。そして、以前は自転車を押して登った信州の柳沢峠を、今度は楽に越えることができた。
 帰国後すっきりした気分になった熊沢さんは、信州で1年生活をしたのち、再び東京に戻ってくる。田舎と都会。夢と現実。「チャラにしたい」と出かけたあの旅。いろんな思いを整理するのに2年かかり、やっとの思いで『チャリンコ族は丘を越える』(山と渓谷社)を書き上げた。

 「書くことは旅の一部」と言う熊沢さんにとって、旅は自分自身を知ることである。自分を見失った日常から距離を置き、旅のなかで自分を取り戻していく。それは、自分が今どこにいるのか、それを確認する作業でもある。(新井 由己)



■地平線ビデオ図書館のお知らせ

 93年5月から地平線報告会のビデオ記録が始まり、11月から貸し出しを開始してきました。地平線通信169号上で案内を出したところ、数名のかたから申し込みがありました。定期的に借りてくださるかたもいましたが、やはり案内が不十分なため、貸し出し数もしだいに減ってきているのが現状です。
 そこで、再度案内を出させていただきたいと思います。既にこのシステムを利用して、関西ではビデオ上映会が行なわれた例もあります。東京の報告会に参加できない人も、ぜひこの機会に報告会の内容に触れてくださることを期待しています。

●貸し出し方法
(1)報告会の受付で受け取る。
 貸し出し用に常時3か月分は用意するつもりですが、あらかじめ連絡していただければ、それ以外の月も用意します。

(2)実費負担で郵送で申し込む。
 見たい月をはがきでご連絡ください。折り返しテープを送ります。返却時に送料と封筒代(計500円)を切手などで同封してください。


●貸し出し料 無料

●申し込み先
 〒198-01 東京都青梅市二俣尾2-421-1   新井 由己



■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介/イラストのなかにある手書き文字)

3/29
FRIDAY
6:30〜9:00 P.M.
アジア会館(03-3402-6111)
\500



麻子のカメさん旅


●「私にとっては見えないのがあたりまえだからなあ。ちょっと不便かなってくらいで。幸い周囲に恵まれているから、ノロノロカメさん歩きだけど、面白いことはなんでもしてみたいと思ってるんです」と言う水野麻子さんが、たまたま新聞で見て応募した、「タダでモンゴルにいけるチャンス」は、「オペレーションローリー・モンゴルフェイズ'92」でした。
 ヴァージン航空が障害者を援助するキャンペーンに選ばれ、このプロジェクトに参加することになった水野さんは、はじめてのアウトドアを、モンゴルのホブドで2ヵ月半に渡って体験します。
 大学で文化人類学を学んだことが役立ち、遊牧民の家族調査など、「モンゴル文化をたっぷり『観察』しましたよ」という彼女ですが、バードウォッチングチームに組まされて挫折感を覚えたり、道のない草原のトイレに通うのに苦労するなど、目が見えない故の異世界体験も重ねてきました。
 最近は山登りとスキーが面白いという水野さんを今月はお招きします。モンゴルでの体験を中心に、彼女独特のアウトドアへのアプローチについて話していただきます。質問も歓迎。



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