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■12月の地平線通信194号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)
戦後50年という節目だった1995年も残すところあとわずかになった。1月の関西大震災には日本中から多くのボランティアが集まり、マスコミでは1995年をボランティア元年と呼んでいるようだ。緻密なイラストで知られる浅野哲哉はじめ地平線会議のメンバーも神戸に駆けつけているところをみても、自発的な無償行為という本来の意味でのボランティアが日本に生まれつつあることは疑いない。
キリスト教社会である欧米では、無償奉仕であるボランティア活動は人間としてごくあたりまえの行為とされている。ソマリアの辺境で私は「ディザスター・レスキュー」というスイス隊のキャンプに世話になりながら、難民の救援活動の実態を見せてもらったことがある。1981年当時のソマリアの国境地帯には、エチオピアからの難民が溢れ、餓死者が続出している時期だったが、スイス隊のキャンプの夕食には、先ずワインが抜かれ、必ず2品の料理があり、デザートまであった。ほんの数キロ先では、その夜も餓死している者がいるというのにである。その疑問を責任者に話したことがある。
「我われが毎日健康で正常な精神を保っていなければ、彼らを救うことはできませんよ。いったいだれがこんなところまで来て、彼らを救うというのですか?」ボランティアたちは、3ヵ月のローテーションで交代し、まるでバカンスを楽しんでいるような雰囲気だった。当時の私は、現地食を食べながら最低半年は滞在しないと、その地域を理解することはできないという頑なな考えを持っていたので、スイス隊のシステムはヨーロッパ人の限界だと解釈していた。しかし、その後、各地の難民キャンプで多くのNGOのボランティアを見ているうちにジャーナリストでない場合はその地域への理解の度合いなどとは関係なく、先ず救援活動に参加することが重要なのだと考えるようになった。
これまでにも日本人による多くのボランティア活動が国内外でも展開されてきたが、関西大震災を契機に、より組織的で本格的な救援活動が一般社会に定着していくことを期待したい。海外遠征など自分の欲求のためだけの長期休暇ではなく、「ボランティア休暇」が認められるような時代になれば、「解脱して人間を救済したい」と悩める人を、ボランティア活動に目覚めさせることによって、「救済」できるようになるのではなかろうか。
関西大震災に続いて地下鉄サリン事件、信用組合の倒産など振り返ってみれば国内だけでも“歴史的”な大事件が続いたが、オウム事件についてだけは、いずれしっかりと書きたいと思っている。オウムの背後には北朝鮮やロシアなどが絡んでおり、これは国際的大陰謀事件なのである。
地平線会議の報告会は来年200回を迎える。この区切りの年を皆で有意義なものにしたいものである。〔惠谷 治〕
腹に思わず力のはいる報告だった。 グググググッ、ギギギギギギーッ・・。何とも言いようのない不気味な音がビデオ画面から響く。氷がきしみ、割れる音だ。次第に幅を広げてゆくリード(開水面)を3台の犬ぞりが辛うじて飛び越える。リードがなければないで、来る日も来る日も、氷の壁を崩し、犬そりを通すための道作りの労働が続くだけだ。無論、写真やビデオに撮られた場面は、幾分でも余裕のある時に限られる。どんな困難でもあっさりした口調でしか表現しない豪快な高野さんが「いろんなことをやってきたけれど、正直今回は想像を上回る激しい旅でした」と言うほどに、北極海横断1500キロの行程はしんどさの連続だったようだ。
一行は、ウィル・スティガー隊長はじめ米、ロシアなど4か国の5人(うち高野さんと米人のジュリーの2女性も)。ロシアのセーベルナヤ・ゼムリャ島沖を1995年3月7日に出発したが氷の状態が悪すぎたためにいったん引き返し、北緯85度付近までヘリで移動してから再スタートした。極点到達が4月22日。1978年に相次いでやはり犬ぞりで極点に達した日大隊チームや単独行の植村直己さんは、極点からは飛行機でピックアップされたが、高野さんらはさらに対岸のカナダに向かって横断の旅を続けなければならなかった。途中、犬ぞりをカヌーに換えて行動を続けるが、重いカヌーを引きずって氷上を進むのが今度は大仕事となった。
高野さんらが自分に課したもう一つの仕事は、コンピューター・ネットワークを通じて世界各国の小学校と通信することだった。子供たちを指導する熱心な教師たちの支援もあって、直接北極の現場が日本はじめ各国の子供たちとつながった時は「感激だったけど、ああこのテントが事務所になっちゃった、とちょっぴり複雑でした」と正直に語る。
地平線報告会も193回になるが、行動者自身の口から直接聞く迫力は、到底こういう文章では表現できない。報告会に来ない人は、もちろん皆忙しく、いろいろ理由はあるのだが、うんと損をしている、と思う。
(E)
11月23日、立川のグランドホテルで、日本人マッシャー(犬ぞり使い)として知られる小嶋一男さんの「アイディタロッド」出走を励ます壮行会が開かれた。アラスカのアンカレジからノームまで1900キロを犬ぞりで走る過酷なレース。これまでに6回出場し、その全てを完走している小島さんは、ついに「7度完走」の偉業(というのだろう、やはり)に挑戦することとなった。小嶋さんは11月27日、現地に向かった。
12/18 MONDAY(今月は、月曜日!!) 6:30〜9:00 P.M. アジア会館(03-3402-6111) \500 |
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早大探検部2本立て! メコン川下りと四川省のバミューダトライアングル 今月の報告会は、早稲田大学探検部95年の活動から、2題。 Iは2〜3月、中国雲南省の景洪から、ラオスのゴールデントライアングル下流のフェイサイまで、約400kmのメコン川カヌー航下。ファルトボート3艇に分乗した6人の運命やいかに!? IIの舞台も中国。四川省のイ族自治県、馬鞍山から流れ出る黒竹■(ヘイチュウゴウ)。沢登りを目的に入ったこの川の上流部が、実は中国内で話題になっているミステリーゾーンだった。解放後だけでも30人以上が謎の失踪をしているという「恐怖的死亡谷」。遺書をしたためて臨んだ隊員達が上流で見たものは!? 続きは会場にて。 ※■:中国文字のためJISになし |
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