1995年10月の地平線通信


「地平線通信192号」の発行が遅れ、申し訳ありませんでした。地平線通信の内容をそのままお伝えします。ほとんどの原稿は、いったんパソコン通信ネットワークの地平線HARAPPAにアップされていますので、重複して読んでしまった方、ご容赦願いますm(_ _)m)。

■10月の地平線通信192号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

 こんにちは。とにかく、食い気の秋です。10月7日、我が55才の誕生日に行われた奥多摩耐久レースに持っていった食料を前年に引き続き、報告しておきます。

 鮭お握り2ケ、鳥飯お握り1ケ、赤飯お握り2ケ、おはぎ(粒あん)3ケ、大正あんパン1ケ、芋あんパン1ケ、よもぎあんパン1ケ、鳥の唐揚げ一包み(7個)、野菜コロッケ(大)1ケ、肉コロッケ(大)1ケ、ミカン3ケ、梨1ケ、森永ミルクキャラメル1箱、水(500CC入り)4本。

 食料を買い込んだのに安心し、あとは睡眠を十分に、と思ったら寝過ごして五日市に駆けつけた時はスタート10分遅れ、700人ぐらいごぼう抜きで急ぐうち、アキレス腱をいため、雨が本格化したのを見て第一関門の浅間峠で名誉のリタイヤ。初めての途中棄権だったが、俺もおとなになったものじゃ、とひとり感動したのでした。しかし、フフ真の戦いはこれから、この後5、6年たってどっちが強いかだよ、三輪さん。

 さて本題。来年1996年7月の「大いなる祭り」の提案です。

 毎月第4金曜日(今月の山田高さんの報告のように会場の都合でしばしば火曜日にも)に、東京・青山一丁目に近い「アジア会館」で「地平線報告会」というのをやってます。1987年9月28日に「第1回報告会」を開催して17年、来年6月にはそれが「200回」になります。

 ちなみに、記念すべき第1回は、あいかわらず「頭脳より肉体で」活躍している都立高異色教諭、三輪主彦氏で、『アナトリア高原から』のテーマでトルコ滞在の体験を、第2回(1979年10月26日)はイスラム世界の紛争地を駆けめぐっていた国際ジャーナリスト、恵谷治氏の『砂漠からサバンナへー独立の火を追って』、第3回(同11月22日)は北極に通いつめる東海大探検部OB、街道憲久氏の『カナダ北極圏にしがみついた10年』、第4回(同12月14日)は、同志社大探検部・飯田豊氏の『ラクダによるサハラ砂漠横断行』、第5回(1980年1月25日)は今やパソコン・ネットワーク「地平線HARAPPA」でお馴染みの丸山純氏の『異教徒の国・カフィリスタンー非探検人間の探検行』と、続いたわけです。

 以後、17年に及ぶ報告会には、実にさまざまな人たちが登場しました。関野吉晴、賀曽利隆、恵谷治というような常時行動人間には何回か、テーマを変えて報告者になってもらったし、チベットなど外国からの客をお招きしたこともありました。地平線会議は、お金と無縁な活動ですので、発足当初から原稿にも講演にも謝礼は払えないにも関わらず、毎月、素晴らしき行動者たちが、手弁当で来てくれたことにあらためて感謝致します。

 さて、記念すべき200回の地平線報告会自体も意味あるものを、と考えていますが、これを終えて1996年7月なかば頃、久々に盛大に『地平線祭り』をやりたいのです。既に一部の有志とは話し合っておりますが、できるだけ皆さんに参加してもらいたいので、今日正式に提案します。面白い祭りとするために、ふるくからの同志を含め、広い範囲でアイデアを募ります。思いつきでいいですから、「FAX03-3359-7907(江本宅)」あて、アイデア、あるいはこんなことをやってみたい、という提案を流して下さい。半年ぐらいはあっという間に過ぎてしまいます。今から7月をめざして準備していけば、きっと魅力的な祭りが開けるだろう、と思います。

 会場をどうするか、期間は1日だけでいいのか、どこか1週間ぐらいギャラリーを借りて「地平線会議写真展」でも開けないか、経費をどう生み出すか、などなど是非知恵を借りたい。200回の報告会でお話をしてくれた方々の中には、病気や不慮の事故などで亡くなられた方もいますが、それらの人たちの足跡もこの際、たどっておきたい。では、皆さんの積極的な提案を待っています。(江本嘉伸)



■24時間山岳耐久レースの報告

 何号か前の地平線通信で「誰でも私にかかってきなさい、ハッハッハ」と豪語したら、マラソンランナーの松田さん、10倍トライアスロンの中山さん達から挑戦状が突きつけられた。「口はワザワイのもと」と後悔したが、言ってしまったのだからしかたがない。このプレッシャーはかなり大きく、9月に入ってから毎週奥多摩へ出かけてコースの下見をした。

 今年で第3回目のこのレースの正式名称は『長谷川恒男カップ日本山岳耐久レース』といい、五日市中学をスタートし、東京と山梨県境の笹尾根を走り、三頭山、御前山、大岳山、御岳を越え、金比羅尾根を下ってもとの場所に戻ってくる。地図をみたら名前のついた山だけで26山を登り、71.6kmを走るという過酷な山岳レースである。こんなレースなのに1200人もの人が参加する。私は昨年63位でゴールした。これをいばってハッハッハと書いたのだ。

 今年は昨年より条件は悪く、夕方5時のスタートになった。主催者は何を考えてるのだ。夜の山の中を寝ないで走るなんて! 雨でも降ったらどうするんだ。

 最悪の状況は考えまいと思ってスタートしたら2時間ほどで小雨がふり出し、11時頃からは音をたてて雨がふり出した。雨は考えないことにしていたので雨具ナシ。山の夜の雨は冷たい。体が冷え左膝の神経痛がひどくなってきた。左足首は走る前からハレている。ふんばりがきかないので路肩から3回も落ちる。懐中電灯の光は雨と霧の中では足もとしか照らさない。走るどころではない。

 三頭山を12時半に通過。月夜見山の第2チェックポイントで一瞬リタイアを考えたが、収容されるまでに体がこごえそうなので、そのまま進む。大岳山の岩場で電灯がきれて立往生している何人かに会う。「もうすぐ明るくなるよ」とおきざりにする。御岳の第3チェックで88番と聞く。前に行ってる中山さんには追いつけそうにもないが、せめてあと8人は追い越そうと走りはじめる。ヒザの痛さは最高潮。しかし折れてるわけじゃない。早く終わりたいだけで川のようになった山道をかけ下る。

 御岳をすぎた頃から明るくなり電灯がいらなくなった。女性のトップを追い抜く。最後の5kmの長いこと、足の痛いこと。やっと7時40分ゴール。昨年より1時間半遅い。それでも70位だった。ゴールには挑戦者中山さんが待っていた。「チクショー、負けた」しかし、しかし、鉄人中山は月夜見山でリタイアし、車で帰ってきていたのだ。松田さんは仕事と準備不足で不出場。最大のライバル江本氏は遅刻したうえに、第1関門で敢えなくリタイア。その他の挑戦者もことごとく返り討ち。

 「どうだ、私の実力を思い知ったか!」 でも誰でもかかってきなさいとはもう言わない。プレッシャーの中で今年のレースはきつかった。もう二度とやりたくない〔痛みがとれたらまたやるぞと言うだろう:三輪主彦〕



■WANTED!! 地平線尋ね人

地平線通信は現在約500人の方に送っています。原則として2000円の通信費を下さった方、労力を提供してくれた方、いずれは払ってくれそうな方、報告会によく顔を出す方などなどに送っています。しかし、名簿を見ていると、そのいずれでもない人がいるようです。顔には覚えがあっても最近消息のない人もいて、御大の江本・三輪両氏に尋ねても(ふたりとも最近もの忘れがひどくなっていますが)心あたりがないようです。次に名前をあげる方々、ぜひ一度連絡をいただければありがたいのですが...。あるいは「私の友人だよ、代わりに通信費を払うから送ってよ」という方も大歓迎です。だんだん人のつながりが薄くなっているようで、少々寂しいので「地平線ポスト」まで連絡を下さい。[名簿係:武田力]

秋田広行/浅見智子/阿部康/板橋好枝/伊藤美佳子/乾哲美/岩田尭/遠藤久/大野幾子/大原裕子/岡本隆子/岡本康子/尾形進/奥田敬生/長田憲二/尾島重規/小高みどり/陰山栄二/篭宮良彦/加瀬明利/金子征史/椛島富喜代/川竹正/河田展安/神崎ちい子/木練千栄子/清島貴史/清原敏/久地浦恭寛/栗原正人/河野昌也/小林清美/小林多実/小松公子/小山康雄/小山和子/桜井勝之/佐藤春樹/柴山陽三/清水茂貴/下川敬明/城福悦子/鈴木裕/高岡貴志/高島智子/高橋香寿代/高橋薫/武石礼司/竹村伊織/建石一郎/田中亜紀子/谷川恵子/谷川まゆみ/玉田修市/常田陽子/豊田京子/豊田洋/虎谷健/中川淳/中込しほみ/中島達哉/中條良一/中野渡淳一/中村浩巳/長井美紀子/永田好延/成瀬しのぶ/野上洋子/羽田登志男/原田賢治/福島健司/布施 晴朗/渕上隆/古谷ひとみ/平家豊/松本智/水谷任子/水沼恵美子/宮城辰也/村上敦/村田京子/望月美枝/森本啓司/矢島宏/柳ヶ瀬和江/山上一郎/山口彰子/山崎ひろ子/山下利隆/山本慎一/山本美知子/吉武富士子/渡辺一夫


■旅に理由はいらない/滝野沢優子
1995.09.26/アジア会館

 滝野沢優子さんは、1987年から88年にかけて、オーストラリアのワーキングホリデーを利用してオーストラリアをバイクで1周。それ以降、海外ツーリングに目覚め、90年には社会主義の崩壊を見るために東欧へ向かう。90年から91年にかけてサハラ砂漠の縦断を果たした後は、旅行者の受け入れが始まったサハリンへツーリングに出かける。

 旅行ガイドブック制作の仕事のかたわら旅を重ねてきたが、中南米に行く機会はなかなか得られなかった。1度だけメキシコのユカタン半島に仕事で出かけたことがあり、次はバイクで来たいという思いを強くする。
 94年2月、LAでバイクを購入し、ついに中南米へ向けて出発することになった。過去のツーリングはほとんど現地でバイクを購入している。日本からの輸送費の高さ、カルネ(税関関係の書類)の手続きなどの問題がわずらわしいからである。北米でバイクを購入すれば、南米に入るのも簡単だという理由もあった。

 メキシコは通り過ぎるだけの予定だったが、最初にラテン民族に接したこともあり、数多く点在するマヤやアステカの遺跡、先住民の生活などに触れながら、1か月半に及ぶ滞在となった。
 ベリーズからグアテマラへ向かったが、仮登録でLAを出発したせいか、バイクでの入国許可が下りない。バイク屋に連絡をして書類を送ってもらうように頼んだものの、郵便局のストのせいでけっきょく書類は届かなかった。しかたなく一時帰国することを決め、キューバ観光を楽しんで5月上旬に日本へ戻る。

 6月30日に再度出発し、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、パナマと順調に走る。オンボロバスに乗って膝をけがしたり、国境で貴重品を落とすなどのハプニングがあったが、途中で出会った人たちのおかげで大きなトラブルにならずに済んだ。
 パナマから南米へ渡る方法は飛行機を使うかヤミの船を使うしかなく、どの方法を選択するか悩んでいた。このとき、実家の引っ越しが重なったため、今までに増えた荷物の整理と南米の準備を兼ねて、9月30日に再度帰国することになる。

 12月10日にパナマに戻ってみると、いいタイミングで中南米間のフェリーが就航したばかりだった。船でチリに渡る予定を変更してそのフェリーを使うと、予想以上に簡単に南米に上陸することができた。税関を通過するのに2週間かかった話を聞いていたので、10分で通過できたのは幸運というほかない。後に出会ったライダーがこのフェリーを使おうとチャレンジしたが、北上する場合はだめだったという。
 コロンビアやエクアドルで新年のお祭りを体験し、ペルーではプレインカの遺跡を訪ねる。途中で出会った日本人2人とアンデスを越えると、ボリビアではカーニバルが待ち受けていた。さっそく水入り風船をぶつけ合って、南米のカーニバルの雰囲気を楽しむ。チリに入ってパタゴニアを通過し、アルゼンチンに入国。警察にからまれて裁判ざたになってしまうが、なんとか無実が証明された。
 ブラジルまで北上すると、帰国前の1か月間、弓場農場という日系人の共同農場に滞在する。グアバの収穫を手伝いながら、地球の反対側で祖国に思いを寄せている人たちの心に触れ、7月29日に静かに旅を終えた。

 計3回、延べ14か月にわたる旅の走行距離は4万4000Kmに及び、今までのツーリングで最も長期間・長距離となった。

 「普通の人からみれば気楽すぎるんじゃないかと思われるんですけど、バイクの改造はまったく必要ないと思ってます。今回もガソリンフィルター1個だけで、ビックタンクもキャリアも付けませんでした。実際にそれでトラブルがありませんでしたし……」
 自然体で気負いのない旅を続ける滝野沢さんは、次は中東や、インドネシアをはじめとするアジアに行ってみたいと考えている。「旅がライフワーク」という彼女は、旅の途中で出会った犬の写真を撮り続けている。今まで各地で撮りためたカットは300枚ちかくあると聞く。案外、大好きな犬との出会いを求めて、世界へ、そして見知らぬ場所へ出かけていくのかもしれない。(新井由己)


●●地平線ポストから●●

■中畑 朋子さんから・・・9/13 プノンペンにて
 なんと5年ぶりの海外旅行に来ています。ずっと忙しかったせいか、半月ものんびりしていると、かなり休んだ気になります。働きバチのサラリーマンをかわいそうに思っていましたが、せっかく旅行にきて、麻薬と女に走る日本人をみて、もっとかわいそうに思いました(個人の勝手ですけど)。カンボジアでも経済は中国人がにぎっています。クメール人達は、政府も国民もお金が本当にない!ってかんじです。日本のNGO がつくった日本語学校や自動車整備士学校で学ぶクメール人の青年達には、時々遊んでもいるけれど、熱心で、照れやのステキな人がたくさんいます。では、また。

■松中 秀之さんから・・・
 以前、ある雑誌(多分バイク雑誌のガルル)で貴会と「地平線から」を知り、熱狂的ファンとなり、懸命にバックナンバーを探しつづけ、とうとう、最初の一冊目以外の全てを手に入れ、読破し、宝物にしているものです。そして今年2月には、貴会に入会したく、会費を納め、丁重なお手紙と'95.3.18号を送っていただきました。その後4 月から転勤となり、転居届けを郵便局に出したのですが、次号から届きません。お忙しいとは思いますが、新住所あてで、3/18の次の号から送っていただけないでしょうか。別に急ぐわけでもありませんが、ずっとずっと待っていますので、時間があいたときにでもお願いします。草々

*こういう熱烈なレターでヨイショされるとついつい木に登ってしまいたくなりますね。地平線年報の最初の一冊目というのは1979年度の号なのですが、発行部数が少なかったために、現在では相当なレアアイテムになっています(私も持ってません)。多分、違法な手段に訴えないと入手は困難でしょう(笑)。それから地平線通信のバックナンバーも探してみますが、管理状況が?なので確約はできません。今後とも“一期一会”の地平線通信をよろしく。(35)



■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介/イラストのなかにある手書き文字)
10/27
FRIDAY
6:30〜9:00 P.M.
アジア会館(03-3402-6111)
\500
緑輪隊、ニッポンを走る
砂漠化の進むアフリカ・サヘル地帯で、緑化支援活動を続けているNGO「緑のサヘル」は、この夏、活動への理解と支援を呼びかけるため、日本縦断サイクルキャンペーンを実施しました。
各地で活動報告会を開くこと38回。走行距離3,180km。約2ヵ月間の自転車による旅でした。完走したのは、「緑のサヘル代表の高橋一馬さん(47)と山田高司さん(39)。一番の収穫は、各地でキャンペーンを支えてくれ、報告会に参加してくれた人達との出会いでした。
今月は山田さんに、このキャンペーンの報告会をしてもらいます。ビデオ・スライド有。


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