2020年4月の地平線通信

4月の地平線通信・492号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙

4月15日。世界も東京も異常な緊張感に包まれる中、この地平線通信を出そうとしている。2月、3月の通信でも新型コロナ・ウィルス問題から書き始めているが、いまや、まったく深刻な空気となった。日本時間14日夜時点での米ジョンズ・ホプキンス大システム科学工学センター(CSSE)の集計によると、新型コロナウイルスによる世界の死者は12万人を超えた。アメリカの2万3000人が最大でイタリア(約2万人)、スペイン(約1万8000人)と続く。感染者は累計約193万人で、米国(約58万人超)が全体の約3割を占める。次いでスペインが約17万人、イタリア約16万人、フランス約14万人となっている。

◆日本は14日夜現在、 死者162人(クルーズ船除く)国内感染が確認された人、8173人。欧米と較べるとかなり少ないが、実は不気味に増え続けている。今月7日の政府対策本部で安倍首相は東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡など7都府県を対象に、法律に基づく「緊急事態宣言」を行った。そして「人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減することができれば、2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせることができる」と語った。期間は大型連休が終わる5月6日までの1か月間。

◆7、8割削減するというのは経済活動を止めるに近く、容易ではない。都心の地下鉄がガランとするまでの効果は出せないままだ。東京都民としては夜発表される「本日の感染者数」をはらはらしつつ見守る毎日だ。しかし、どこよりも深刻なのが医療の現場だろう。連日700人を超える死者が出るニューヨーク(ゆっくり終息方向に向いつつあると聞く)ほどではないが、医療現場はマスク、防護服、ゴーグルなど医療従事者に必要不可欠な装備すら不足しており、恐ろしいことに医師、看護師が次々に感染しつつある。

◆3月29日、人気者の喜劇役者、志村けんさん(70)が新型コロナ・ウィルスで死んだことが、この感染症の恐ろしさを一気に広めた、と思う。スポーツ選手など名のある人々の感染が相次ぎ、これは簡単なことではない、と日本中が気がついた。3月の報告会を前に地平線会議も追い込まれた。世界がこれほどの事態と戦っているさ中に報告会か? 考え抜いた末、報告会前日メールとウエブで伝えた。「明日30日に予定していた森田靖郎さん報告会、延期します。」

◆「延期します」と知らせたものの、いまの時点で森田さんの話はどうしても聞いておきたかった。森田自身話したい気持ちがあった。そうか、人を集めないでやろう。落合大祐さんが提案してくれたやり方を実行することにした。3月30日午後、四谷荒木町の我が家を大慌てで片付け、書棚の前に森田靖郎さんに座ってもらった。聞き手は進行役の長野亮之介と私。記録者として落合君。それに片付けを手伝ってくれたうめちゃん(山畑梓。結婚して南の島に移住した)。たった5人の報告会。90分、森田靖郎はひとりで話し続けた。一枚のペーパーも見ずに理路整然と。あれほど多彩な本を書いてきた作家ではあるのだがそれにしてもすごい。地平線の仲間たちにそっくり伝えたい、と次ページから13ページにわたってこの報告会の全てをお伝えする。

◆4月の報告会はやらないのでいつもの予告イラストのかわりにこの「報告会」の風景を描いてもらったので参考にしてほしい。なお、約束した通り、森田さんの報告会はいずれ必ずやるつもりでいる。「その際は私が皆さんの質問を受けるかたちで是非」とご本人の話だ。

◆新型コロナ・ウィルス問題で、あらためて地平線会議が問われている、とも感じている。時代を自分たちはどう捉え、記録し続けることができているか。そういう容易ではない命題を私自身はいつも意識してきた。報告会をお願いするにあたっても、通信に原稿を依頼する際も。太平洋戦争の終焉、東京オリンピックの開催(1964年)、東日本大震災の発生など、いくつかの現代史の現場に居合わせてきたが、この新型コロナ・ウィルスの世界席巻はまさに現代史に深く刻まれる出来事であろう。そこに私たちはまさに生きているのだ。

◆運動不足を避けるため、夜、街を歩く。前後200メートルは人がいないようにして静寂の街を歩くのは好きだ。ラジオのニュース番組を聞いていると感染病専門医が話していた。「コロナ対策としてマスクより効果的なのは、ともかく他人と距離をとること、それに尽きます」。たとえばジョギングにしても仲間と群れない。どんな状況でも人と2メートル離れる。群れないで個として生きよう。なんだか地平線のスローガンみたいではないか。今回のとてつもない試練。私たちは、できるだけウィルスから逃げなくてはいけないが、同時に、ただ見ているだけではいられない、とも思う。(江本嘉伸


先月の報告会から

渡りケーナ吹きの文明論

森田靖郎(作家)

2020年3月30日 地平線会議事務局(江本宅)

文明の衝突? 新型コロナウイルス

 こんにちは、森田です。いつもの会場ではなくて、今日は地平線会議の事務局ということで、ちょっと雰囲気が違うんですが、最後まで聞いていただければありがたいなと思います。

 3.11、いわゆる東日本大震災の後、ぼくはこの地球が何か大きなものに支配されているんじゃないか、それは文明だろう、と。文明には一定のリズム、700年から800年ごとに東の文明と西の文明が入れ替わる、そういう文明周期説というのがあります。ちょうど今の文明がその交替期に当たる。これを文明の衝突と専門家は言ってます。

 こういうときには何が起こるか分からないんです。地震とか台風、あるいは森林火災、民族の移動、そして、疫病なんですね。

 今回の新型コロナウイルスっていうのは、ある意味では文明末の現象のひとつではないか、そんなふうに思うんですね。と言いますのは、この前の文明末、中世のヨーロッパでは、ペストが大流行しました。

 そのペストでヨーロッパでは、人口の5分の1とか4分の1とか、そういう大被害があったんですが、その後新しい文明のもとに資本主義、民主主義が栄え、現在に至っているわけなんですね。今日はこれから文明末現象としてどういうことがぼくらに起こってくるのか? 襲ってくるのか? また、資本主義、民主主義というのはこれからどうなるのか? 時折コロナウイルスと文明との関わりなんかを含めながら、お話していこうかなと思うんですが。

 一言だけお断りしておきたいんですが、今回のイラスト予告で、長野さんはいつもよく丁寧にぼくの話を聞いて作ってくださっているんですけども、ただ、ぼくの肩書がジャーナリストになっていたんです。ぼくジャーナリストではないんです。そんな大したものではなく、単なるモノ書きなんですが。

 今日の話はやはりジャーナリストと言うとちょっと誤解を招く内容かなと思うんですね。ぼく自身もジャーナリストという肩書だとちょっと重荷を背負ったという感じがありますので、今日はその肩書を忘れて聞いてもらいたいなと思うんですね。

 日本の近代化は明治から始まりました。あれから約150年です。明治、大正、昭和、平成。起承転結で言えば明治が起こりで、平成が結びということになります。令和はまた、新しい起承転結の始まりかなと思うんですけども。

 日本はグローバルスタンダードに則って、経済成長が順調に進み、経済大国と言われるところまで来ました。ところが平成になると、この成長に陰りが出てきます。

 気がつくと経済大国は中国に譲り、またGDPにおいても中国の半分、1人当たりのGDPでも20何位に後退する。政府はこれを何とかしようと、金融緩和政策をとります。お金をジャンジャンと市場に送り込むんですが、国民は賢明です。こういう先行き不透明なときにはあまりお金を使おうとはしないんですね。みんな貯金をするんです。

賞味期限……資本主義の宿命

 このため、平成の長いデフレ不況、結局ここから抜け出すことはできなかったんです。一方企業は、行き場を失ったお金で、自社株買いに走ります。本来はこういうお金は、設備投資とか開発とかに使うべきなんですが、なによりも、働く人に還元すべきお金だと思うんですが、株価を上げるために自社株買いに走りました。株主は喜びます。しかし結局、株価は上がっても、生活そのものが良くなったという実感はなかなか得られなかったんですね。

 日本人はまじめですから、コツコツと経済成長を遂げてきたんですけども、バブルの頃からでしょうか、土地を転がしてお金を得る。また、株や投資で利益収益を得る。こういうことで、経済成長率よりも、株や投資の収益率の方がはるかに上回ってるんですね。これは、資本主義の矛盾と言えるんではないだろうかと思うんです。

 じつは、こういうことにマルクスは、早くからもう気付いていました。マルクスは「これは資本家の善悪ではない。自己中心的に動く資本主義の宿命だ」、こんな言い方をしています。

 マルクスは、反資本主義を言ってるんではないと思うんですね。資本主義の自画像、そういうものを映す鏡のようにぼくは思います。

 このマルクス主義に真っ先に飛びついたのは、資本家とか労働者でなく、知識人です。知識人は自分の教養のためにマルクス主義を身につけたんですね。これをマルクスは「知識人のアヘン」と言っています。

 日本では政治とか経済は積極的にマルクス主義を取り入れませんでした。このマルクス主義で国家を打ち立てたのはソ連ですね。そのソ連も崩壊しました。もう一方の大国、中国もまた、市場経済、国家資本主義へと移っていきます。

 共産主義へ至る金の橋と言われた社会主義ですが、結局、ユートピア・共産主義に至った国は今のところどこも現れていません。

 さらば社会主義。資本主義は勝ったかもしれません。しかしぼくらはそれに納得したというわけではないと思うんです。資本主義に代わる実効的なものが他に見つからなかった、これがわかっただけなんではないだろうかとぼくは思うんです。

 ぼくは、「資本主義って一体何なんだろう」、「ぼくらが今まで歩いてきた道、その延長線上に未来はあるのか」と、資本主義の自分史を追ってみようと思ったんですね。

 まずはアメリカ、そしてヨーロッパ、旧ソ連、東欧、そして北欧へと、資本主義を追えば追うほど資本主義の正体とはなかなかわかりづらいんです。行く先々でいろいろ姿を変えるんですね。そしてぼくの目の前には本当に大きな図体で、まるで怪物のように映ってきます。

 出口が見えない、そういうトンネルのようなところに入ってしまったんですが、そのときにぼくはひとつの言葉に出会いました。それが“欲動”という言葉です。欲に動くと書いて“欲動”です。

欲動の資本主義の行方

 フロイトは精神分析学のひとつとしてこの欲動という言葉を用いています。人間は欲動によって生まれ、生き、そして死んでいくと。人間の食欲とか性欲、また金銭欲、権力欲、出世欲、こういったものはすべて欲動によるものだと。

 人間は欲動によって動かされる。欲動のことを英語ではドライブと言います。

 ぼくはこの欲動という言葉に出会って、ようやくマルクスが言った、“資本主義の宿命”こういうものが何となくわかりかけてきました。

 資本主義の中心は何といってもお金です。お金は国家にも企業にも人にも競争を強いるという性格があります。このため、欲動のままに突き進んでいくと、資本主義が資本主義を壊す、そういうこともあるし、そういう現場も見てきました。

 しかし日本人には昔から低く暮らして高く望むという、清貧を尊ぶそういう考え方があります。清貧と言っても清く貧しく生きろということではないと思うんです。

 お金が多いか少ないかで人間の価値が分かるのではなくて、志が高いか低いか、これで人間の価値が決まるんだと、ぼくはそのように解釈してるんです。

 そう解釈すると、こういうお金とか物質中心の社会で、何となく自分なりの生き方ができるんじゃないか。そういうことを教えてもらった気がするんですね。

 平成から令和に変わった昨年の5月、ぼくは『欲動の資本主義』という本を書きました。ぼくは大学時代、じつは経済学を専攻しているんです。しかし恥ずかしい話なんですが、ぼくは経済学のことなんて何も勉強してないんですね。専門書もほとんど読んだという覚えがなく、マルクスの『資本論』なんて手にしたこともない。卒論でどういうものを書いたのか、それも覚えてないんです。

 ですからぼくにとってこの『欲動の資本主義』は、50年目の卒論だ、そういうつもりで書いたんです。

 資本主義のことを書いたら、やはり次はなんといっても民主主義です。民主主義と言うと、いまはネットの時代ですから“ネット民主主義”です。出版社の人と話すと「すぐに書いて欲しい」「出来れば2020年までに出版したいと」わずか6か月あまりしかないんです。

 何かそういう緊急出版のような形で、昨年の12月、『中国の表現規制から見るネット監視社会』という本を書きました。このタイトルそのものはぼく自身はあまり気に入ってはいないんです。だいたいぼくは自分の本は自分でタイトルを決めるというふうにしてきてるんですが、今回は少し事情が違いました。出版社の人とか編集者が「今はネットの時代です。皆がネットで検索します。そのときに上位にヒットする、そういうキーワードをやっぱりタイトルにつけた方がいいですよ」と言われたんですね。そういうことでこういうタイトルになったんですけども。

 ぼくは自分の心の内では、ネット社会っていうものは確かに便利だし、良い社会だと思うんです。そういうデジタルアシスタントみたいなものをぼくらは生活の中で十分利用してるんですが、でもその一方で、ネットで被害に遭ったという話もたくさん聞きます。

ネット民主主義の向こう側

 さらにこれからネット社会がどのようになっていくのか、あるいは今現在どのように進んでいるのか、かなりぼくらが知らない未知の部分がある。ですからぼく自身としてはそういう部分を含めて、ネット民主主義の向こう側、というものを見てみたい、書いてみたい、というつもりで取材してきました。

 ぼくが、あるいは出版社が、せき立てられるようにこの本を書く背景には、1年前に中国で、オンラインゲームとかアニメーションなどのネット配信が突然ストップしました。ネット遮断です。

 こういうゲームとかアニメには、映画に映倫っていうのがあるように、必ず審査があるんですね。これは中国で言えば検閲です。こういうものに受からないとネット配信ができないんです。中国政府は、この審査をストップしたんですね。まさに中国夏の変です。

 その背景には、最近こういうゲームとかアニメーションが非常に過激になってきていると。とくに暴力的なシーンが多い。また、性的なものが多い。こういうものを中国の青少年に見せたくない、そういう事情があったんだろうと思うんです。

 さらに深読みするとたぶん、ネット全体として、中国にとって不都合な表現がどんどん入ってくる、それも防ぎたかった。そのために審査そのもののハードルを上げる意味でストップしたんじゃないかと思うんですね。

 じつはぼくはこういうゲームのことをある時期まで全く知りませんでした。取材するまではこういう世界に全く興味がなかったんです。

 調べていくと、じつは今、エンターテイメントの世界で最も成長産業なんです。この中心となっているのがアメリカ、中国、日本なんです。それぞれ4兆円とか3兆円規模のビッグ産業なんですね。

 ですから、長く審査を留めておくと経済的な影響も大きい。しかも、周りのネット界に与える影響も大きいということで、半年後に中国はそれを再開します。その時にはかなり条件がつきます。それがネットにおける表現規制です。

 制作会社とかあるいはクリエーターたちが自主規制しなくちゃいけなくなるんですね。それは性的な表現や暴力的な表現を抑える、モノによっては中国版っていうふうに作らなきゃいけない。

 ぼくは、これはネット界の文革再来ではないか、そんな気がしたんですね。これは中国だけの問題ではなくなって、世界的にもこの表現規制は広まりました。

 その頃香港では、逃亡犯条例の改正を巡って、学生や市民が立ち上がってました。逃亡犯条例の改正はひとつのきっかけです。

紙爆弾とデジタル戦士

 内容的に言うと、どんどんと中国化していく香港の自由が、このままでは奪われるのではないか、そういうことに危機感を抱いた学生や市民が中心となって大規模なデモを起こしたんだと思うんですね。

 ぼくは、これは香港の天安門事件だと思いました。北京で起きた天安門事件はそのちょうど30年前、1989年6月に起きています。そのときにぼくはずいぶん取材したんです。天安門広場で座り込んだ学生たち。彼らがとった作戦は紙爆弾というものです。

 紙爆弾と言っても何も紙で作った爆弾ということではないんです。FAXです。FAXで中国各地にいる民主化運動家たちと繋がる、また世界の民主化運動家たちと繋がる。その輪がどんどんどんどん広がっていきます。これを紙爆弾と称して、北京政府は恐れたんですね。

 一方今の香港では、SNSです。SNSはFAXと違ってスピーディーです。しかもインパクトが違います。学生や市民がデモの状態を映像で撮ったらすぐさまSNSにアップされます。それを見た学生・市民がすぐ行動を起こします。100万200万というデモが起きてもおかしくないぐらい。ぼくはこれこそデジタル戦士だなと思いました。

 しかし、ちょっと待てよっていう気分になりました。と言うのは、FAXのときはやはり送受信するのに時間差があります。また原稿を書いたり読んだりする時間差もあります。こういう時間の間(ま)に、彼らは考えたり、あるいは仲間同士で話し合ったり、相談したり、議論したりする、そういう時間の間っていうのはあるんですが、SNSではその時間の間っていうのはほとんどない。ほとんど衝動的と言っていいぐらい、人を動かすことができるんですね。これは、FAXからSNSへという時間の流れ、年月の流れを感じさせると同時に、ぼくはそこにネットの魔力があるような気がするんですね。

 今ぼくらはネット社会にどっぷり浸かっていると思うんです。何かを調べるときもネットです。通販で何かを買おうとしてもネットです。友達や仲間と情報交換したり、あるいはメッセージ交換したりもネットです。仕事で情報を送ったり受けたりもネットです。

 電車に乗りますと皆スマホっていうのを見てます。新聞を見ているようにスマホを皆眺めて読んだり見たりしてます。電車を待っている人もそうです。基本的にいつもそうです。皆スマホっていうのを手放さないんですね。長野さんは、それを「首折れ族」と表しています。見事な表現だと思います。

勝ち馬に乗りたがるネット症候群

 ネットでモノを検索したり、あるいは買ったりすると、その購買歴とか行動歴、こういう個人の生態が残されます。そうするとすぐさまそれに対して返事が来ます。まるで何かこちらの心の中を見透かされたように「次あなたが欲しいものはこれですよ」というような形で、どんどんどんどんと送られてきます。何か自分が丸裸にされたような可視化社会です。

 こういうものは“エコチェンバー現象”と言われています。エコチェンバーっていうのはいわゆるこだまの残響音です。SNSなどの空間では、ぼくらが買ったりモノを調べたりすると、同じような情報がどんどん送られてくるんです。

 また、ランチに行こうか、あるいは飲みに行こうかとネットで調べると、やはりネットで上位にあるものを知らずと選んでしまいます。行列があるお店とか、知らない内に選んでしまっていることがあります。

 先日からマスクがないとネットに出ると、次の日はもう薬局に行列です。トイレットペーパーがなくなると言うと、もう次の日に行くとスーパーのトイレットペーパーの売っている棚は空っぽです。

 今ぼくらは、ある種の共通した情報の中で生きてます。そうした中で「その情報から乗り遅れたくない」、そういう思いに駆られてしまう。それにより衝動的な行動に移ると思うんです。

 ぼくはこれを“勝ち馬に乗る症候群”と思うんです。欲しいか欲しくないかとか必要か必要でないかというよりも、「勝ち馬に乗りたい、そこで安心感を得たい」というようなことがネット社会にはあると思うんですね。

 ネット情報では、不確かなものもあります。ネット社会の情報というのは、やはり注目を浴びるということが一番ですから、面白かったり刺激的だったりということがまずあって、正しい正しくないというのは二の次に置かれることが多いと思うんですね。ネット情報だけに固執すると、他の意見を遠ざけてしまいがちです。これが確証バイアスです。

フィルターバブルで覆われるネット世論

 アメリカのネット研究家の人は、こういうネット社会のことを「フィルターバブル」と称して警告を与えています。フィルター、つまり被膜に覆われた状態です。「いいね」「いいね」を押していると、ひとつの被膜の社会に、その集団の中に、ぼくらは入れられてしまいます。フィルターに閉じ込められると、自分の好む情報にしばられ、さまざまな情報から隔離されて、思考や考え方、あるいは行動といったものが次第に画一的になってしまいます。見えるものも見えなくなってくる。そして視野も狭くなってくる。そして、その限られた情報のなかで動かされてしまう。こういう世界をフィルターバブルと称して、時として弊害を生むと警告しているんですね。少数派の意見でも、ネットではそれがだんだんに広がって、ひとつの「ネット世論」みたいなものを作り上げてしまいます。これをぼくは「ネットポピュリズム」と呼んでいます。これが前述したエコチェンバー現象のひとつです。必ずしもこれが民意を反映しているかどうかわかりません。逆に民意をねじ曲げていることもあるかもしれないのです。これは民主主義に逆行するものではないか、そんなふうにぼくは思うのです。

ネット校閲のコンテンツモデレータ

 今、ネット社会にはたくさんの情報が流れます。この情報が正しいかどうか、この情報は人を傷つけるか傷つけないか、そういうことチェックしている機関があるのだろうか。出版社や新聞社には校閲という部門があります。ここでしっかりと確認して、世に送り出してもよい信頼できる原稿であるという保証をつけて送り出すのが校閲なんですが、ネット社会にそれが果たしてあるんだろうか。今、月にするとグーグルでは1120億ページビューが閲覧されています。これがどれだけのものなのかぼくにはまったく想像もつかないんですが。これだけの情報のなかで、これは正しいものだから、このまま放置して流してもいい、そしてこれは人を傷つけたり、あるいは罪悪的なもの、また犯罪的なものだから削除しなければならない、こういったことを決めるネット上の校閲部門を「コンテンツモデレータ」といいます。

 フェイスブックのコンテンツモデレータはマニラに集中しています。なぜマニラなのか、ぼくにはわかりません。ちょっと違和感がありますが、それはそれで構わないと思います。このコンテンツモデレータは、罪悪的な情報が世界に散らばらないように毎日チェックしているんですね。彼らは「クリーナーズ」、「掃除屋」ともいわれています。コンテンツモデレータが、その情報を削除するか、あるいはそのまま放置して流すのか、その基準はどこにあるのか。最終的にはモデレータ自身が決めることになってしまっているようです。

 あるとき、これから自殺するというようなライブ画像が送られてきました。この情報を放置して流していいものか、あるいは削除すべきか、コンテンツモデレータはちょっとためらったんですね。こういう人たちが、それを決定するための時間はわずか8秒しかないんです。その8秒間、たまたまその時ためらったために、ライブ映像がそのまま流れました。ライブで見たのは数千人ですが、そこから広がり、数十万という世界の人たちが映像を見て、ショックを受けました。

 こういうことを日々繰り返しているコンテンツモデレータ自身、精神的にも非常に悩みが多く、メンタルヘルスそのものを保つのが大変らしいのです。なかには自殺するコンテンツモデレータもいる、そんな話も聞きました。

民主主義と逆行するポリコレ社会

 このフィルターバブルに包まれた社会と同じように、もうひとつぼくらには包まれている社会があるんです。それは「ポリコレ」という社会です。ポリコレとはポリティカル・コレクトネス。これはある種の偏見とか差別、そういうものを防ぐために、社会的にも政治的にも中立であると体裁を整えるための言動のこと。これが最も広がってるのはアメリカです。

 アメリカの映画やドラマを見ますと、主人公の上司には必ず黒人がいます。男性中心の社会、例えば警察ものなどでは必ず女性の警察官、捜査官が大活躍します。登場人物に、1人か2人は同性愛者が出てきます。このようにキャスティングしなければ、この作品はある種の差別をしているのではないか、偏見をもっているのではないか、と思われるかもしれない。そう思われないために体裁を繕っているんですね。

 アメリカは、ポリコレ、さらにセクハラ、パワハラに疲れ切っています。そこに登場したのがトランプです。トランプはそういうことに一切構いません。言いたいことを言います。白人至上主義を堂々と言いますし、移民に対しても出ていけ、壁をつくると言います。また女性を軽蔑する発言も繰り返します。一部のアメリカ人はこれに眉をひそめましたけれど、かなり多くのアメリカ人は内心、胸のなかではスカッとした。自分が言いたいことはトランプが言ってくれている、と。これが今のトランプ人気につながっているのではないかという気がします。トランプが何を言ってもアメリカの誰も不思議だと思わないんですね。次にトランプが何を言うのかを楽しみにする人さえいるくらいで、トランプもそれを意識して、どんどんどんどん言いたいこと言っている。

 じつは日本も相当のポリコレ社会です。昨年、愛知県で「表現の不自由展・その後」が開かれました。その展示品の中に韓国人がつくった「平和の少女像」というのが展示されました。これを見た実行委員会の副会長である名古屋市長は、「あれは日本人のほとんどが反日の象徴だと思っている。平和の少女像の展示は即刻中止すべきだと思う」というような発言をしたんです。たちまち、その日のうちにそれがツイートされました。

電凸(デントツ)

 そして次の日、実行委員会に電話とメールが殺到したんです。そして実行委員会はやむなく3日間でこの展示を中止しました。その原因は電凸(デントツ)です。電凸、懐かしい言葉ですね。60年代、70年代に流行りました。当時は今のようなネット社会ではありません。パソコンもまだなかった時代です。何か文句があったり、苦情があったり、そういうときに自治体や新聞社に電話でどんどん訴える。電話突撃、これが電凸の言葉のもともとの意味です。最近の自治体というのは、電凸、いわゆるメールとか電話でのこういう行為に、ちょっと腰が引けるんです。社会的にも政治的にも中立であるということを表明するために、こういう抗議がくると、すぐさま中止するなど動いてしまう、そういう傾向があるんです。「表現の不自由展・その後」の実行委員会の会長である愛知県知事は、「名古屋市長の発言は、検閲ととられてもしかたがない。憲法違反の疑いが濃厚だ」と、NHKの取材に自身の考えを述べられております。こういう公的な機関こそ表現の自由というものを守らなければ、日本の憲法の保障している表現の自由を守る受け皿として機能しないのではないか、そういう意見も多数ありました。

国家を動かしたネットポピュリズム

 今こういったポリコレ、あるいはフィルターバブル、こういう包まれた社会のなかで作られていくネットポピュリズム(ネット世論)が、世界、あるいはひとつの国、そういうものを動かす、そういう現場にぼくらも遭遇しています。

 これは数年前に起きたイギリスでのEU離脱の国民投票です。当初は、離脱派のガス抜きとして行われ、結局はEUに存続するだろうと見られていました。イギリス国民もそのように思っていたんですね。ところが、その国民投票を開けてみると、離脱派が勝利したのです。これには当のイギリス国民も驚きました。やはり仕掛け人がいました。ケンブリッジ・アナリティカという選挙に特化した会社です。ケンブリッジ・アナリティカはイギリスに本部を置いていましたが、ケンブリッジ大学とはまったく関係はありません。

 ケンブリッジ・アナリティカは、この離脱派の選挙参謀として加わったのですね。そのとき、彼らがとったのは、マイクロターゲティングという心理操作作戦。これはまさにネットを利用した作戦だと思うんですね。最初はイギリス国民の主だった人に、EUにいてどんな恩恵があるだろうか、と呼びかけます。そして次にイギリス国民としての誇りがあるだろう、と揺さぶります。最後は決めゼリフです。「今、流れは離脱派へ向かっている」。この一言で、勝ち馬に乗りたいという、ひとつのネットの性格を利用したんですね。そうするとそれまで離脱を考えなかった人も、離脱へ向かっているのか、ということでどんどん離脱派へと投票して、結果を見て、何か夢から覚めたように驚く。その後、イギリスは国を二分してこの問題に悩むことになるんです。

世界を変えることは楽観的であるべき、なのか

 このケンブリッジ・アナリティカが世界的に有名になったのは、その2年後。アメリカの大統領選挙です。トランプは数ある候補者のなかで最も大統領にふさわしくない人物とされていました。そこに選挙参謀としてケンブリッジ・アナリティカは乗り出してきます。ケンブリッジ・アナリティカは、まずトランプが共和党の指名候補になるための作戦をとります。これがネガティブキャンペーンです。

 ライバルの候補たちの悪口を徹底的に言うのです。嫌なことばかり、弱点などをついて。結局、相手は嫌がって、どんどんと落ちていきます。そして、トランプが共和党の指名候補になるのです。

 次に、大本命といわれた民主党のヒラリー・クリントンとの戦いです。このときケンブリッジ・アナリティカがとった作戦は、フェイスブックから5千万人とも8千万人ともいわれる個人情報を買い取ることです。フェイスブックには性格診断アプリというのがあります。これはもともと学術用に開発されたアプリなのですが、いくつかの質問項目があります。あなたは、新聞は何を読んでいますか。テレビのニュース番組はどれが好きですか、今まで見た映画の中で感動したのはどういう映画ですかと。あるいは宗教は何ですか。そして、支持する政党はどこですかなど、こういうことをずっと答えていくんです。すると、その人の行動パターン、思考パターンというのが出てきます。これが、かなり当たるのです。多くの人がこういうものに登録しているのです。

 その中から5千万人、あるいは8千万人、数は諸説あるのですが、そういうものを買い取ったケンブリッジ・アナリティカは、この個人情報を32に分けて、別々のターゲティング広告を打っていくのです。主に民主党を支持している人たちを、共和党へ誘い込むという作戦なのです。そしてこれも最後の決め手は、「今、風はトランプに吹いている」という決めゼリフです。これによって、勝ち馬に乗りたいという人たちの気持ちがトランプへと流れていく。トランプが勝つことになるんです。

 これを世界は青天の霹靂と言っています。トランプは、フェイスブックなしでは大統領になれなかったとまで言われました。フェイスブックは、「個人情報を盗まれた」としてユーザーから訴えられます。ケンブリッジ・アナリティカも内部告発があって会社が潰れます。そしてフェイスブックはアメリカ議会にも呼ばれ、お灸をすえられます。そのとき、ケンブリッジ・アナリティカの幹部のひとりが、世界を変えることなんて、もっと楽観的に考えるべきだ、というふうなことを言っているのです。

個人情報は誰のもの?

 今ではこういうネット社会、個人情報などを使うと、本当に簡単に世界を変えられるのかもしれません。個人情報をデータ化すると、これは共有物になってしまいます。これをビジネスに展開したのが、ガーファ(GAFA)です。ガーファとは、グーグル(Google)、アップル(Apple)、フェイスブック(Facebook)、アマゾン(Amazon)のこと。この4社の総資産額を合わせると、日本の国家予算をはるかに上回ります。いずれ、ガーファに国家がのみ込まれるんだろうと言われるほどです。アメリカではガーファなのですが、中国に行くと、バット(BAT)です。バイドゥ(百度)、アリババ集団、テンセント(騰訊控股)の3社のことです。このガーファとバットの7社で、世界の総資産額の10位企業のほとんどの顔を占めてしまうほどなのです。

 中国のアリババの胡麻(ごま)信用(個人信用評価システム)は、ネットの使用頻度や使い方をすべてスコアで表します。スコアで信用度をはかるのです。それによって格付けが行われます。高い格付けにされた人は、たくさんの無料サービスを受けることができます。また中国社会ではなかなか難しいとされる航空券や病院、ホテルなどの予約が優先されます。またビジネスにおいても、信用度が高い、スコアの高い人として、非常にスムーズにいく。銀行からお金を借りるとき、融資を受けるときも、格付けが高い人は優先される。さらに、就職、また結婚にも、これが非常に有利にはたらく。ネットを使った信用度で、自分の人生まで変わってしまうという。

 21世紀はこういう個人情報が金脈ともいわれます。しかし、個人情報があるところに独占されていくということは、ある意味では民主主義に逆行していくこと。そういうことでEUやヨーロッパを中心に、ガーファなどから個人情報を取り戻せ、という動きがあることは確かなんです。今、僕らはネットを使うと、無料でいろいろな情報が届いたり、無料でいろいろなサービスが受けられたりします。しかし、本当に無料なんだろうか。こういった無料文化には必ずツケを払わされるときがあると思う。あるいは、もうすでにツケを払っているのかもしれません。

地球温暖化とコロナウイルス

 今、2030年問題というのがあります。ぼくも最近まであまり知らなかったけれど、2030年までにきちんと対応しないと、人類の未来がなくなるのではないかという問題で、2020年からの10年間が正念場というなかでも、もっとも大きな問題は地球温暖化です。だいぶ前からいわれているものの、OPEC(石油輸出国機構)や大国間の諸事情があって、なかなか対策が進んでいません。進まないどころか、どんどん深刻化して、もう待ったなしのところに来ています。これに関連するのが水不足、食糧不足です。日本人はほとんどこのことに気づいていませんが、地球規模でいうと、温暖化とセットで考えたほうがいいくらい、深刻なところに来ています。

 やはり地球温暖化とコロナウイルスは密接な関係があると、ぼくは考えています。地球が温暖化すると、媒介生物が活発化し、広域化することがあるため、感染症は拡がりやすくなります。この前の文明末、中世のヨーロッパも温暖期で、ブドウがよく生育してよいワインができたいっぽう、ネズミがすごく繁殖しました。そのネズミを媒介してペストが流行したんです。そこにモンゴルのユーラシア大遠征があって、彼らがペストを持ち帰った。人にくっつくノミやシラミを媒介してペストが拡がり、地球全体で1億近い人がペストで亡くなりました。

 地球温暖化によって永久凍土が溶けると、何万年前の細菌が蘇って、いくつかのウイルスを拡散させることも起こります。3万年前のウイルスが熱病を発生させるんです。本来、そういう病気は赤道直下でしか拡がらないけれど、温暖化のため、日本でもその熱病が発生したことがありました。自然界には細菌やウイルスがウジョウジョいますが、温暖化はウイルスを活発化させます。

 歴史を見れば、地球上で、戦死者よりもウイルスで亡くなる人のほうが圧倒的に多かったんです。今、世界中がコロナウイルスと懸命に戦おうとしていますが、同様に温暖化に対処していく覚悟が必要だと思います。たとえコロナウイルスを撃退したとしても、温暖化を放置すると、また次のウイルスが出てきます。これはもう終わりなき戦いで、真剣に温暖化対策を考えなければいけない時期が来ていると思います。

シンギュラリティ、AIが一線を超える日

 次の問題は、ある意味、地球温暖化よりも急を要するかもしれません。それはAIを搭載した殺戮兵器、LAWS(Lethal Autonomous Weapon System 自律型致死兵器システム)の問題です。これは人間が関与しない無人の兵器で、戦争のハードルがうんと下がる、とても危険なものです。LAWSの開発や利用を規制する法律をつくろうという動きは、ヨーロッパを中心に始まっています。

 今、地球上にはAIを搭載したドローンが、まるで鳥の大群のようにレーダーの下をかい潜って飛行しています。最初に成功したのはアメリカですが、中国ではもっと小さな、虫の大群のようなドローンを開発しようとしています。神風ドローンと呼ばれるこうしたドローンは、砂漠、密林、あるいは都会のなかと、地球上どこでも行くことができます。小さいので、ピンポイントで攻撃できる殺戮兵器です。

 この神風ドローンは人間がコントロールしています。ところがLAWSには人間が関与していません。AI自身が学習し、データを分析し、自ら標的を定め、攻撃する。だからこそ、今のうちに開発を阻止しなければと、ヨーロッパを中心に動いているわけです。

 ここでいちばん重要なのは、AIがいつ人間を超えるか、シンギュラリティの問題です。専門家はいろいろな意見を持っていますが、碁の世界では、すでにシンギュラリティは起きています。AIのアルファ碁zeroは、碁の名人に次々勝って、最後の砦といわれた世界最強の、中国の名人にも勝ちました。このことで、AIが人間に勝った、とまでは思われていません。これは単に碁の世界の話で、AIが人間に勝ったわけではない、というのが大方の専門家の意見です。

LAWSの現実味

 しかしぼくは、そうバカにはできないと思っています。碁の世界は、人類2000年の知恵の結晶ではないか、と。碁盤の上は国取りゲームといわれるように、そこにはあらゆる戦いの戦術、戦略があります。歴代の武将たちが、そして現代も多くの軍人が、碁を研究しています。碁盤上のシンギュラリティが、戦場のシンギュラリティになるかもしれない。LAWSが、が然現実味を帯びているんです。

 LAWS開発についてはアメリカがリードしていて、それにロシア、中国が続きますが、アメリカがもっとも恐れているのが、LAWS開発にアメリカ以上の予算を投入している中国です。中国は2030AI強国という次世代AI発展計画を発表し、AIにもっとも強い国、リーダーになろうとしています。中国製造2025は、2025年までにLAWS開発に成功しようという目標だと思います。2030年問題は、2025年に前倒しされる可能性もあります。

 LAWS開発の規制について、アメリカは現在ある人道法で十分カバーできると、規制法に反対しています。アメリカの反対に、イギリス、ロシア、韓国、イスラエルも同調し、次々LAWS開発を行うと発表しています。日本は、LAWS開発はしないと明言していますが、それはアメリカの傘下にいて、その必要がないからです。

 ぼくは、LAWSは第2の核兵器になるのではないかと心配しています。核兵器は、数か国が持つことで抑止力になっているとされ、LAWSも数か国が持つことで抑止力になると、そうやって正当化される恐れがあります。でも、核兵器とLAWSには根本的な違いがあります。核兵器は、人間がコントロールしているけれど、LAWSは人間がコントロールしていないし、することができない。アメリカは人道的にカバーできるというけれど、AIには感情がありません。果たしてAIに人道上の問題が理解できるか。

 今のAIは深層学習(ディープ・ラーニング)、人間の通信が切断されても、自ら学習することができるので、データを自分で分析し、標的を定め、攻撃することを、AI自身で決定できるんです。そうなると、人間にとって想定外のことが起こる危険性が非常に高くなる。しかもLAWSは核兵器より安価に、手軽にできるので、そうなると、テロリストの手に落ちたり、現在、内紛状態の国で使われる危険も出てきます。

次なる文明の予感

 地球温暖化やLAWSなど、2030年問題を見てくると、ぼくらは新しい文明の足元まで来ているのではないか、あるいはもう、そこに踏み込んでいるのではないかという気がします。文明周期説によると、次の文明は東へ移る番です。東というのは中国、日本、韓国、インドです。ただ、これほど文明が高度に進んでいると、地理上の問題ではすまない気がします。西・東といっても、今はグローバル化で、どこからが西か東か、その線引きもはっきりしなくなっています。

 次なる文明は、人間とテクノロジーが主従関係を争うところから発生するのでは、ぼくはそういう気がしています。

 AIは放っておいてもますます進みます。生命の神秘に対する興味、DNAや遺伝子の解析も、どんどん進んでいくでしょう。そうなると、個人の遺伝子を解析して、将来、自分がかかる病気や寿命など、人生設計に関わることもわかってくるのではないか。さらに遺伝子を組み換える、ゲノム編集も進むと思います。次なる文明は、限りなく神の領域に進んでいくのではないか。

 その一方で、文明は戦争や飢餓、疫病、ウイルスをまったく根絶できていません。その部分では少しも進んでいません。戦争や飢餓をなくし、疫病、ウイルスから人間を救う、今回コロナ陽性でも症状の出ない人、重篤な人と個人差がありますが、ウイルスに強い抗体を持った遺伝子の発見など、そういう方向へ進んでくれればいいと、個人的には思うけれど、今のままで行くと、これも置き去りにされる危険性がある気がします。

未来はSFの世界ではなくなった

 人間の欲動は、興味のある部分、おもしろい部分へと進んでいくきらいもなきにしもあらずで、ただもう未来はSFの世界ではないことだけは、確かだと思います。

 ぼくは若い頃、『一九八四年』というSF小説を読んだことがあります。イギリスの巨匠ジョージ・オーウェルが1949年に35年後の世界を書いた小説で、若い頃は、これはSFの世界で現実ではないと思っていました。この小説では、1950年代に起きた核戦争を経て、地球がイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの英語(オセアニア)圏、EUとロシアを中心としたユーラシア圏、中国・日本・韓国・インドを中心とした東の世界(イースタシア圏)という三つの超大国に分断されてます。それぞれ一党独裁の強権政治を行っていて、この三国は権力者が自分の権力を永遠に維持できるように同盟関係を結んでいます。国民は24時間テレスクリーンで監視され、さまざまな表現の自由が奪われ、統制された社会です。三つの国の共通のスローガンが、“戦争は平和なり、自由は隷従なり、無知は力なり”というもので、まるでぼくらから見たらユートピアの逆の、ディストピアの世界です。

 今回、中国はコロナウイルスから国を守るため、ひとつの都市を完全封鎖しました。それができたのは、中国が監視社会だからです。ネット監視社会がなければ、あそこまでの封鎖できません。中国はQRコードを使って国民の動きを逐一握っているから、感染者がどこを歩いたのか、すべてわかる。接触した人たちの動きも全部わかっています。

 それを全部たどって、危険な地域がどこにあるかということを、SNSを通じて市民に知らせます。市民はそれを見て、その付近には近寄らないでおこうと判断するので、今回中国はああいう形で封じこめることができたんです。ぼくは、中国の管理社会はここまで進んでいるのだと驚きました。

 もし今ジョージ・オーウェルが生きていて、『一九八四年』という小説の続編を書くとしたら、『二〇三五年』というタイトルで書くのではないか? 人類と、その最大の敵であるウイルスとの戦いの結末、そして徹底して管理された社会を描くのではないでしょうか。そういう小説をぜひ読んでみたいと思う反面、読んでみたくないという両面がぼくにはあります。

 今、世界の首脳が集まるサミットや世界経済フォーラムや国連などの場では、次の世代のために地球環境を保全しようとする提案、持続可能性のある議論をし始めています。もともと1972年にもこういうことは言われていましたが、その後冷戦などで棚上げになっていたんです。しかしここ数年、やはりこのままでは地球上に人間が住めなくなるのではないかということで、持続可能な世界のために必要な項目を具体的にあげて討議がされています。企業の間でも、今はこういう持続可能な未来志向をもった企業が評価されるようになっています。株価も上がりますし、学生からも就職先として選ばれる方向に進んでいます。

次世代へ持続可能性のあるポジティブランキング

 東京に本部がある某財団が、各国が次世代にどれほど貢献しているのかについて、ポジティブランキングを発表しました。これによると上位は、北欧、アイスランド、ニュージーランドです。これは誰でもわかると思います。北極と南極に近いので、温暖化に敏感な国なんです。

 この財団が選んだのは先進38カ国ですが、その真ん中あたりにフランスがあり、ずっと下がるとイタリアやトルコやギリシャがあります。そして最終の38位が日本です。ぼくはこれを見たときに、ちょっと信じられませんでした。なぜ日本がこの位置なんだろう? 別にもっと上でも最下位でもどうでも良いのですが、ここにあることは納得しがたいという気がしたんです。

 確かに日本は今、人口が減ってきています。高齢者が多く、高齢化率も世界一です。裏を返せば長寿国ということですが。女性の社会進出も、政府が口でいうほどは進んでいません。さらに今思うと、政治もマスコミ報道も一辺倒に偏り過ぎています。こういうことも評価を下げているのかなとは思うのですが、何より日本の評価を下げているのは、やはり福島第一原発のその後です。

 廃炉計画も思う通りには進んでいません。しかも汚染水は、結局海に流すしか方法はないと政府は決めています。ですからこの位置はしょうがないのかなと思うのですが、北欧のフィンランドでは、高レベルの放射性物質を捨てる場所として地底420メーターまで掘り、さらにそこから42キロの地底トンネルを掘っています。今現在5キロぐらい進んでいて、そこに埋めこんでいます。

 これは放射性物質が人間に無害となる10万年まで、そこに埋め尽くせるだけの計画でやっているんです。これだけを見ても、上位である国と、日本が38位であることは十分納得できるなと思って、ぼくは北欧へ行ってみたいと思ったんです。

北欧で見たもの

 北欧へ行って一番先に思ったのは、物価がとにかく高いことです。ぼくはだいたい東欧でも北欧でも、ヨーロッパはほとんど鉄道で移動します。鉄道が大好きで、乗ると必ずワインやビールを飲む、いわゆる飲み鉄です。それで列車のビュッヘでビールを2、3本飲み、サンドイッチをひとつぐらい食べて会計をすると、5、6千円は取られます。街でコーヒーを飲んで軽い食事をしても2、3千円かかります。東欧と比べると、だいたい3倍ぐらい取られますね。このことに北欧の人たちは不満や不平がないのかなと思ったら、彼らは「国が貯金してくれているんだから、それでいい」という考え方なんです。

 ぼくは十数年前に、宇沢弘文さんという経済学者が書いた『経済学は人びとを幸福にできるか』という本を読みました。その頃すでに宇沢さんは、アメリカ式の資本主義はもう限界に来ていて“まやかしの豊かさ”だ、と言っておられました。世界的にもかなり評価された経済学者です。その本の中に社会的共通資本というものが出てきます。この大気中にあるもの、空気もそうです。空もそうです。水もそうです。そして森も、森の中の木1本も。道路、下水道、海、川。鉄道、さらに教育機関、医療機関、金融機関、これらは全て社会的共通資本であり、私有制を認めないという考え方なんです。

 かなり社会主義的、というよりもむしろマルクスに近いような考え方ですが。北欧へ来て、それに納得ができました。北欧の人たちの暮らしというのは、そういった社会的資本の公共性と私有制をきちんと区別している。だから魅力的で人間的な社会が生み出されているのだと思うんです。

 少し前にブータンの国王が、GNPよりGHPという話をされました。GHPとは国民総幸福度という意味ですが、これにおいても北欧はトップクラスです。ぼくは、北欧で今行われているのは、幸福資本主義ではないだろうかと思うんですね。

ヒトとイヌとの絆を求めて

 ぼくが北欧やヨーロッパあるいは東欧にたびたび出かけるのは、もうひとつ理由があります。これはかなり個人的なことなんですが、かつて大家族主義というものがありました。その後、二世帯住宅というのがありました。今はというと、子供と暮らすよりも犬や猫、つまりペットと暮らす人のほうが断然多いんです。アメリカもそうですし、日本もそうです。先進国のほとんどがそうなんです。

 ただ日本とヨーロッパでは、ペットに対する感覚がちょっと違います。日本はやはりまだペットなんですね。可愛がろうとしていて、人間目線でしか犬や猫を見ていない。ところがヨーロッパに行くと、ペットではなくパートナーとして考えるんです。一緒に、共に生きる。共生するんです。

 東欧のチェコへ行きますと、人口の割合からいくと犬を飼っている人の数が世界一高いんです。チェコを歩くと、人と人が歩いているより人と犬が一緒に歩いていることのほうが多いように思えます。チェコだけでなく東欧やヨーロッパや北欧に共通しているのは、犬としての生き方、猫としての生き方を、しっかりと受けとめているような気がするんです。

 とくにチェコでは犬の権利が定められているほど、犬は堂々と生きています。もちろんそれだけの訓練やしつけをされているのですが、犬をどこへでも連れて行きます。電車に乗ることもできるし、喫茶店でもホテルの中でもどこへでも犬を連れて行っていいんです。

 一番面白かったのは、犬を職場に連れて行く人が多いんです。邪魔にならないかというと、決してそんなことはないんですね。皆さんそこで犬と一緒にストレスもなく働いて、癒されて、仕事の能率が上がる。これにはぼくも感動しました。北欧へ行きますと、犬の幼稚園、犬の保育園がたくさんあるんです。働いている人が多いから、犬を預けて行くんですね。

犬や猫の潜在能力の高さと深さ

 じつはこういうところで働いている人は、精神的にも肉体的にも、いろいろな障害を持った人がほとんどなんです。こういう人たちは、そういうことによって社会に参加しているし、同時に犬と接することによってストレスをなくす。そして癒されているんです。

 ぼくはとくに犬好き、猫好きというわけではないのですが、人間と犬の関係にすごく興味があります。人間と犬の関係というのは非常に歴史が深いんです。3万年前に描かれた壁画が発掘されて、そこにオオカミと少年が遊んでいる絵が残されているんです。犬の先祖であるオオカミの時代から、すでに人間はもう犬と仲良くしているんですね。オオカミは人間と一緒に暮らしたくて、どんどん進化していったのが犬だというふうにも言われています。

 スウェーデンに行きますと、250年前に犬の学名を付けています。犬の学名は日本語で言うと「家族の犬」という単純なものです。250年前、すでに犬は家族の一員だったんですね。ぼくがとくに興味を持つのは、犬や猫の潜在能力の高さと深さです。こういうものは、まだぼくらが知らない未知のものがあるんじゃないか。とくにぼくは、犬と人間の絆、テクノロジーなどではとても測れないようなものがあるんじゃないかと、非常に興味を持っています。

 それが一番端的に現れるのがアジリティというスポーツです。これは20種類ほどの障害物を作って、人間と犬がペアになってそれを乗り越えていって、タイムを測るスポーツです。アジリティというのはもともとビジネスの用語で、敏捷性とか、問題解決に素早く動くパフォーマンスの高さという意味ですが、犬にぴったりの言葉だと思います。

 この競技では、コース内容は競技当日にならないと発表されません。例えば犬がジャンプするハードルがあったり、トンネルがあったり、木と木の間を行くスラロームがあったり、そういう障害を約20種類ほど組み合わせる。犬が陥りそうな罠がたくさん仕掛けられています。

 そのコースを事前に見ることができるのは、ハンドラーという人間だけです。ハンドラーがこれを見るのに8分、長くて10分。歩きながら全部頭の中に描いて覚えこむんです。そして何も知らない犬がそこに出てきて、ゴーという合図と同時に犬は一気に走り出すんです。そういう競技になると、犬のスピードはビックリするほど速いです。もともと狩猟犬ですから。ですから人間が先回りして、コースを全部教えていくとか伝えていくとか、とてもそんなものではすまないんです。ハンドラーは皆それぞれ声を出したり、手で合図したり、いろいろな形で犬に指示するんですが、犬のスピードに人間がほとんどついていけないぐらい、とにかく速いんです。ぼくが思うには、人間が頭の中に描いたコース図のようなものを、犬も同時にそのまま頭の中に描いているんじゃないか。犬は人間以上に早くそれを察知して動いているんじゃないか。そういう気がするんですね。

人間の進化に欠かせない遊び心

 アジリティというのがスポーツとしても見直されているのですが、今見直されているのが動物行動学です。さらに人間の発育の問題で、見直されているんです。人間が発育するときに、ものすごく大事な、進化の中でどうしても欠かせないのが「遊び」だということが最近わかってきました。発育のときに外で遊ぶことが、人間の前頭葉皮質を発達させるんです。この発達が遅れると、いわゆるキレやすくなったり、協調できない。失敗なんかすると、立ち直れず引きこもってしまう。さまざまな社会的障害ができる。そういう危険性があるとされているんです。

 じつは最近アメリカの研究所が、アメリカで頻発する銃乱射など、さまざまな凶悪事件の犯罪者だった人たちを調べました。犯罪者本人だけでなく、その親とさらにその親、つまり三世代にわたって6千人を調査したんです。そこで共通して出てきたのは、発育期に外で遊ぶことが極めて少なかったか、あるいは極めて少なかった親に育てられたという傾向です。その傾向が表れたのが1980年頃です。

 1980年に何があったのかというと、テレビゲームが出てきたんです。それまで外で遊んでいた子供たちが、テレビゲームができたために家で遊ぶようになった。じつは外で遊ぶということは想像以上に危険が多いんです。交通事故もあるし、日本では少ないですがアメリカやヨーロッパでは誘拐もあります。あるいは遊び道具で怪我したり、友達同士で喧嘩したり、危険が多いです。ところが医学的に言うと、外で遊ぶことの危険やそのリスクヘッジが、発育にものすごく良い。前頭葉皮質にすごく良い影響を与えると言うんです。もともと遊びにはルールというものはない。ルールを自分たちで作り、そのルールの中で負けたとしても、またそこからチャレンジしていく。そういうことによって、どんどん人間として成長し、社会的スキルを育てるんです。

 そういう意味で、アジリティが見直されているんですね。だから今ヨーロッパや北欧や東欧へ行くと、街の中に必ず遊びのスペースがあります。日本の公園のようにお仕着せのものではありません。例えばベルリンに行くと、街の外れに森があるのですが、森の中にさりげなくアジリティのコースのようなものが作られています。これは犬だけがやるわけではなくて、人間も一緒にやっているんです。そのように、さりげなく都市計画の中にそういう遊びの空間を作るということは、今の建築家たちに当然のように行われています。そういうことにぼくはとても興味を持って、通いつめるんです。

文明の前に森、文明の後に砂漠

 今日はどうしてもコロナウイルスというのが頭にあって、なかなかコロナウイルスをどのように捉えていいのかを考えながら話しているんですけれども。

 ぼくは旅を生業として生きています。ほとんど年中旅に行くのですが、旅をしながらいつも頭に描くひとつの言葉があります。「文明の前に森がある。文明の後に砂漠が残る」。19世紀のフランスの作家シャトーブリアンが残した言葉です。ぼくはすごい名言だと思っていて、いつも頭の中に残っています。

 文明がどんどん進み過ぎると、人間は不幸になると言われています。今はAIというものがあります。これがどんどん進化していて誰にも止められない。科学者ですら1秒先のことも読めない。今はAIに関して議論したり、話をしたり説明する暇もないというほど進んでいます。たぶんあと10年か20年すると、今の雇用の3割近く、あるいはそれ以上かもしれませんが、AIに取って代わられるだろうと言われています。ただそれはそれで、家事労働をやってくれたり、車の運転をしてくれたり、事務の煩雑なことをやってくれたり、そんな社会が来るのかもしれないと思う反面、仕事がなくなっていくと、人間の労働価値というのは下がってしまいます。仕事がなくなっていくと、だんだん向上心もなくなるし、生きがいもなくなる。それで人間の価値も下がってしまう。そういうことで不幸になっていく。そういうことではないだろうかという気はするんですね。

 戦後日本人の価値観として最も大きな比重を占めたのは、能率主義だと思うんですね。

 能率よくやる、効率よくやる。これは気まじめな民族、日本民族にとって、とっても素晴らしい価値観なんだな、と思うんですね。1分1秒、時間を短縮してでも、やりこなす。それが高速道路とか新幹線とか、さまざまな技術開発というものを行ってきたんだと思うんです。それが高度成長に繋がってきた、日本人ならではのものだと思うんです。その頃、人間がテクノロジーより1歩か2歩進んでいました。人間にとって一番幸せな時期だったかもしれません。その背景には、化石燃料がエネルギーとしてあったからだと思うんですね。石油・石炭。これがなかったら、高度成長はありえなかった。これは日本だけではないですね。世界中どこの国もそうです。いまも、後発の国も皆そうです。

 ただこの化石燃料ってのは、燃やすとCO2を発生するんですね。これが、地球温暖化に結びつく。こういうことに気づいたのは、ちょっと遅かったかもしれません。

コロナウイルス・パンデミックは誰のせい

 中国の空は、今クリーンだと思います。中国は今、コロナウイルスのために、経済活動はほとんどストップしております。工場も動かない。CO2も出てない。だからクリーンなんです。これがもし、一段落ついて、工場が元の通りになると、また元のようなスモッグの世界が来るんじゃないか。

 地球温暖化の対策と、経済成長。これはなかなか両立しないんですね。資本主義もまた、高度成長を過ぎると、賞味期限となってきます。資本主義は生き残りをかけてグローバル化へと、世界のあちこちへ乗り出していきます。経済活動の陰では、森林の乱開発とか、そういうものが進みます。それによって地球環境がどんどん破壊されます。生態系っていうのもずいぶん乱れてきます。

 ヒト、モノ、カネが行き交うのがグローバル化ですが、同時にグローバル化によって細菌とかウイルス、こういうものも運ばれてくるんです。中国でコロナウイルスが、ちょっと沈静化したかなと思うと、次はイタリアで猛爆発しました。中国とイタリアは、今経済的に非常に密接な関係にあります。

 パンデミックと怖れられる、このコロナウイルス。この状況を生み出したのは、やはり原因は地球温暖化とグローバル化です。誰のせいでもないんです。人間のせいなんですね。人間が欲動のままに動いてきた。その結果としてのコロナウイルスなんです。

 ところが、これをどうやって収めるか、まだ誰もわからないんです。ぼくらは、今やれることといったら、手を洗うことぐらいでしょう。手を洗うことで自分を守る、周りを守る、社会を守る。それしかできないんです。

 これまでの社会の在り方では通用しない。社会を組み替えよう、という動きもあります。でもどのように組み替えてどのようにしていくか、まだわからないんです。わからないことは、結局、過去や歴史に訊くしかないんですね。過去や歴史ってのは、未来のことを一番よく知っている。行き過ぎたものは必ず戻る。これは自然の摂理です。文明の大原則です。ですから、近代化とは何か、文明とは何か、もう一度立ち返って考えなくてはいけないのかも知れません。

 未来を予測するには、過去を予測する。そういうことが必要なのかもしれません。しかし、こういうことを今ぼくは言っていて、自分に何ができるか。何もできない。その虚しさ、無力さ、そういうものを一番感じ取ってます。

 ただバカのひとつ覚えのように、「歴史をやれ、旅をしろ」、と、こればかり繰り返しているだけなんです。とくにこの数日、東京で「自粛しよう」という都知事の話があってから、この報告会をどうするかということで、2、3日悩みまして、いま報告会をやるべきなのか、なぜ今報告会なのか、報告会をしている場合なのか、とかいろいろ考えました。地平線会議はもう40数年、こういう報告会を一度も欠かしたことはないんです。つねに今生きている時代を発信しようと、そういうふうに続けてきたのが地平線会議なんです。  

「生き抜こう」しかわからない

 3.11のとき、あのときもぼくだったんです。あの時も発信しました。原発はどうなるのか、昭和という時代は何だったのか、安全神話は何だったのか、っていうのを発信しながら、地平線会議の仲間たちは、多くは被災地へ何度も何度も行って、被災地で報告会をやって、そしてまた、コロナウイルスです。また、ぼくの番なんです。なぜか知らないですけども、そういう巡り合わせなんです。

 今コロナウイルスで、何を発信しようかとか、何を語ろうかとか、何も出てこないんです。何もないんです。わからないんです。それは医療現場もそうです。政治の場面もそうです。企業も、さまざまの全ての分野で、皆わからない。世界の人たちは、わからないことにおびえ続けてるんです。ただひとつ、ぼくは、分からない中でひとつだけ分かります。それは「生き抜くこと」だと思います。これを乗り越えて生き抜く。これだけはわかります。ぼくは今日の報告会で、何も語れませんでしたけど、たった一言だけ言えるのは、みんなで生き抜こうと、これだけは言えると思います。コロナに勝ったら、パッと今度はやりたい。そういう日が来るのを、ぼくは待ってます。今日はありがとうございました。

 

質問コーナー

長野:「北欧が日本のモデルになる?」

A:北欧はこれまでの長い歴史の中で、大きな波から外れている。いい意味で取り残されている部分がある。と同時に、様々な社会を見てきて、いいところを上手く取って、ああいう状態を選んだ。北欧へ行くと、テクノロジーの教育が早いんです。北欧に近いエストニアなんて、あっという間にIT大国になりました。その良い部分も取りながら、自分たちが持っているポテンシャリティーの高さも保つ、そういうバランスが取れている国です。

 それに一番影響しているのは風土だと思いますね。年のうち半分は太陽が覗かない、半分は沈まない。そういう中にいる人たちですから、自然に対する憧憬の深さが違います。そして、閉じ込められている時期が長いので、その間に、自分たちはどういう風に生きてゆくのか、何が幸せなのか、などと凄く考えるんだと思うんですね。一方、不幸な考え方をする人もたくさん居ると思いますが。

 ある程度、外界から閉ざされてきたという部分があるのかもしれませんが、先住民族的な文化が非常に残っている。1000年くらいトナカイと暮らす人たちが居る。これがアメリカ大陸だとかヨーロッパだと、たぶんどっかでこの文明は壊されてゆく。でも、北欧では十分残っている。それは風土から来ていると思うんですね。

 同じように、日本も風土から来てる。今回、コロナウイルスなんかでも、いまんとこ、数字的には、ニューヨークとかスペイン・イタリアに比べてまだまだ爆発的にならないという、そこには民族性や風土も影響しているんだろうと思います。そういう意味で、文明っていうものが、今まではそれぞれの文化を大事にしながら文明が育ってきたんですけども、20世紀から21世紀は、やはりITとかネットとか、そういう一つのもので世界を覆ってしまうような。そういうものは急速に発達してきたときにも、小さな文化とか、そういうものを全部飲み込んでしまっている部分がある。そういうところは、今回、パンデミックみたいに、何かあると一気に広がってしまう。そういう危険性もあるし、逆に言うと、それによって世界が、一気に加速的に環境が良くなるとか、進化するとかいうのもあるのかもしれないんですけども。それは北欧の場合は、やはりちょっと外れてる場所にあるという、そこのところが、北欧ならではの幸せである、と。

 先ほどぼくは、日本の価値観のところで、戦後価値観で能率主義が非常に合っていると言いましたが、ぼくは日本が、今振り返って思うと、高度成長の頃、やっぱりまだ人間が一歩か二歩、テクノロジーより進んでた頃、その頃が振り返れば一番幸せだったんじゃないかなっていう、バランス的にね、そういう気が、今振り返ればですよ、その当時わからないですが、そういう気はするんですね。60年代、新幹線、オリンピック、ぼくらはそういうものに憧れた。人間として幸せだったんじゃないかっていう、そういう気はしますけど。

 こういう時代ですから、価値感とか、幾らでも共有しあえる時代になってきてる。だからぼくは北欧に学ぶべきことがあれば、簡単ではないかもしれないけども、そういう土壌はずいぶん広がってますし、日本だって、他の国から見たら、結構、幸福資本主義の部分も、まだまだ残っている地域もあると思うんですよね。だからそういうとこに気づいてないのかもしれないし。だから今はやっぱりグローバル化だとか、そういうネット社会とかで何かひとつに全部覆われてしまってる。そういうところが、やっぱり今問題になってるんじゃないかな、問題としてあるんじゃないかな。

 だから先ほど言った、日本が、やっぱり次世代に向けてね、先進38国の中で最下位であるという、ぼくは最下位がどうのこうのより、そのことに日本人が気づいてないんじゃないかって、そこが怖いと思いますね。ぼくは、最下位はひとつも怖いとは思わないんです。そのことに本当に気付いているだろうか。

 それが、今の政治とかマスコミとかは、やっぱりそれが一辺倒に偏り過ぎるために、もう、福島の原発のことでも忘れられてしまわれたようになってしまう、とかね。そういうふうになっていくんじゃないかなっていう、そういうところの方が、ぼくはちょっと心配ですね。

江本:目の前の問題として、フクイチの汚染水処理をどうするのか懸念している。

A:汚染の水だけじゃなく、汚染土壌も道路の下敷きにするとかね。要するに、今さえよければよい、みたいな。やっぱりそういう政治の在り方、みたいなものを、マスコミも報道はしますけど、その在り方を「尽き上げる力」が、今日本人の中には少なくなってきているような気がするんですね。デモをやれ、とかそういうことではなくて。

長野:オンカロを引き合いに、「「十月十日(とつきとおか)の子宮籠り」長期的視野を持つことが必要では?」

A:あれは国民性ですね。ああいう国ですから、原子力エネルギーを使わざるを得ない部分があるわけです。最初からわかってるわけですね。でも、当然その反動として、その汚染物質が出てくるだろう。それをどういうふうに処理するかっていうことを、やっぱり前提に考えて導入していかなきゃいけないんですけど、日本の場合は、まず「原発ありき」で、その後何が起こるかっていうのは、その場その場で考えていくっていうか、事故こそ起きなければいいんじゃないか、みたいな。


★録画・録音 落合大祐  ★テープ起こし 中島ねこ 塚田恭子 日野和子 大西夏奈子 久島弘

報告者のあとがき

「十月十日(とつきとおか)の子宮籠り」

 三密(密集、密閉、密接)を避けて、3・30報告会は地平線サテライトです。あの時も、ぼくだったんです。3.11(2011)東日本大震災と福島原発の事故で都内は節電モード、異常な空気に包まれていました。そして今回、新型コロナウイルス……、たった5人の報告会でした。

 偶然か、それとも……。原発と感染症ウイルス──関係性のなさそうなふたつの出来事に出くわした二度の報告会、その接点は昭和が終わった年(1989)にありました。月刊誌の企画「昭和史の現場を歩く」で、30年前ふたつの現場を取材していました。「原発列島」──チェルノブイリ事故から2年(当時)、福島第一原発4号炉で重大な欠陥が見つかり、1日でヒロシマの2個分のエネルギーが取り出されている原子炉が人間の手に負えない限界へと向かっているのではないか、「原子炉爆発のXデ―」を追いました。Xデ―は22年後、3.11で現実となりました。

 さらに、対ソ戦略のために満州(中国東北部)に築いた細菌兵器部隊731部隊の取材が続きます。敗戦が濃厚になる1945年夏、731部隊は証拠隠滅のために自ら細菌兵器工場を爆破、生体実験の中国人マルタ(マテリアル/材料)を殺し、ペスト菌をばらまいて逃亡。石井四郎、北野政次ら幹部は、731部隊の細菌戦資料を引き換えに、戦犯免責となり自ら開発した細菌兵器の成果を朝鮮戦争で見守ったのです。

 あれから30年、“過去との遭遇”は偶然ではなかったのです。「原発と731部隊」、昭和という時代を象徴しています。戦後ニッポンの高度成長へ「成長神話」「安全神話」を作り上げたのは、資源貧乏と科学信仰でした。原爆製造でアメリカに敗れた日本は、敗戦後、ウラン幻影、未知の領域という科学的野心から原発へと突き進みます。あげくの、原発事故……報告会「原発の正しい別れ方」を皮切りに、その後、地平線行動へと──。

 いま、世界を震撼させる新型コロナウイルス、731部隊の幻影が浮かびます。「貧者の核兵器」といわれた生物化学兵器──731部隊は部隊というより研究室、徴兵逃れの優秀な科学者を引き寄せました。現在、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の座長を務める国立感染症研究所は、元を糾せば伝研(国立伝染病研究所)です。伝研は日本で最初(明治32年/北里柴三郎)の伝染病研究所で、戦時中は陸軍とも深い関係にありました。

 戦後、GHQは伝研を東大付属の「伝染病研究所」と厚生省(当時)管轄の「予防衛生研究所(予研)」に分割します。予研は感染症の研究、ワクチンの国家検定などを担い日本の感染症医学を引っ張ってきました。戦後、731部隊の再就職先として多くの優秀な科学者が身を寄せたのが予研です。いまの国立感染症研究所の前身です。いまは、731部隊とは何ら関係はありません。

 過ぎ去ろうとしない過去──。30年前の過去との遭遇に、因果的なものを感じながらの、3・30報告会でした。

 高度文明も、「戦争、飢餓そして疫病」を根絶することはできません。人類最大の敵はウイルスです。テクノロジーが進んでも手を洗うことしか、コロナウイルスから身を守る方法がない一方で、人間が関与しない無人の殺りく兵器LAWS開発に国家間が角突き合わせています。人類が生きるか死ぬかの瀬戸際で殺りく兵器の開発を競って何になるのか。悲鳴を上げる医療現場で、AI(人工知能)は無力なのか。最新のテクノロジー「人工心肺エクモ」も人間の手に頼るしかありません。高度文明社会、一皮むけば人間の弱さが露呈されます。

 行き過ぎると、元に戻る──自然の摂理、文明の原則でしょう。

 3.11「地震・津波・原発事故」の三重苦の国難を、当時の東京都知事は「積年にたまった日本人の心の垢を、我欲をうまく洗い流す必要がある。天罰だと思う(中略)」と……。被災者に向けた言葉ではありませんが、誤解を招いたと撤回しました。

 戦後ニッポンを引っ張ってきた「政官財の鉄のトライアングル」──戦後ニッポンの金権政治や金満ニッポン人へ警告のつもりで話されたのでしょう。「天罰」というより「天怒」といえば、真意が伝わったのではないかと思います。

 欲動のままに突き進んだあげくの地球温暖化そして生き残りをかけるグローバル化による巨大格差と環境破壊……コロナウイルスは、天怒・海怒・地怒の文明の逆襲でしょうか。

 密集、密閉、密接の三密は大衆消費情報社会、資本主義の産物です。「三密封じ」は次なる文明の産声(うぶごえ)を聞く“十月十日(とつきとおか)の子宮籠り(しきゅうごもり)”でしょうか。「卒啄同時(そったくどうじ/親鳥がヒナに殻を割るように促す)」コロナ恐慌を脱するとコロナバブルか、新生資本主義か──。

 1920年代、アメリカは戦争へ備蓄するために、小麦、トウモロコシを原料とする酒造りをやめ、国民に自粛を求める世にいう天下の悪法・禁酒法を強行しました。消費社会から統制社会へ、いよいよ臨戦体制へ、コロナ戦争の突入か──。「歴史は繰り返す。一度目は悲劇だが、二度目は茶番だ」(マルクス)。人間は欲動の塊です。茶番劇はそろそろ幕引きに──。(森田靖郎


しっかり録画・録音

■3月中旬は長崎の五島列島を旅していた。30日の報告会は新宿スポーツセンターが休館とわかっていたので、代わりに牛込箪笥地域センターで開催することになっていたが、それでも「できるだけ少ない人数の報告会にしたい」と江本嘉伸さんからメイルが届いたのがその旅の途中。ならば私も参加を遠慮しようかと思いつつ、東京に帰ると世の中が一変していた。

◆クルーズ船や屋形船、ライブハウスといった感染源が明確な患者よりも、どこで感染したのかわからない患者が急増。五輪はついに延期が決定に。30日には丸山純さん、武田力さんら主力メンバーが来られないという。牛込箪笥地域センターが閉鎖される可能性を考えて長野亮之介邸での開催を考えていると江本さんから電話をもらったが、いや会場の問題ではないだろうと違和感を感じた。「人が集まること」がリスクなのだ。

◆2011年3月25日、東日本大震災直後の報告者も森田靖郎さんだった。計画停電の影響で時間をずらして開催した報告会は、今後私たちが「日本」という国をどうしていくのか問い、非常時の足元を照らす貴重な時間になった。同じ非常時だから、もう一度森田さんの話をみんなに聞いてほしいという江本さんの気持ちはよくわかる。しかし。みんなで集まって、その場で森田さんの話を聞くことはあきらめましょう。その代わり、聞き手が江本さん1人の報告会になったとしても私がしっかり録画・録音するので、いつか落ち着いた時に「特別上映」をやりましょう、と江本さんに提案したのが28日。

◆森田さんとも相談の結果、牛込箪笥地域センターではなく江本邸で、18時過ぎにセンターに来た人に中止の案内ができるよう、前もって15時から、と前日に決まった。30日朝のTwitterタイムラインは、新型コロナの肺炎に斃れた志村けんさんを悼むツイートで溢れていた。ウイルス感染の恐怖が誰にとっても急に身近になったようだ。マイク3本、カメラ2台、ICレコーダーなど自宅にある機材を全部イケアの青いショッピングバッグに詰めると自転車では運べなくて、マスクを着けて丸ノ内線に乗ったが、ガラガラで拍子抜けした。

◆江本邸に着くと、山畑梓さんが森田さんのスペースを片付けてくれていた。窓は全開で少し寒い。15時に森田さんが来て、自分の目の前の机の上をアルコールスプレーで一吹き。山畑さん、長野さん、江本さん、そして落合、全員がマスク姿、しかも微妙に距離をとって見つめる中、背筋を伸ばした森田さんの報告が始まった。(落合大祐

そんな最中、喜界島に引っ越し

■4月から喜界島へ移り住む予定で荷造りをしていた3月28日、江本さんからの電話で3月の報告会は延期にするが現時点だから語れる事を記録する為、「森田さんの報告を記録する」という連絡があり30日江本宅へ。皆が集まる前にお部屋をセッティングし、そのままお話を聞かせて頂くというご褒美をいただきました。内容はまさに今の世界中での問題とリンクして考えさせられる内容。資本主義となり欲動で生きることが許される現代。さらにテクノロジーが人を超えていくこの先どのような世の中が待っているのかを警鐘されています。

◆一方で新型ウイルスの蔓延でテクノロジーは通用せず、原始的措置で人との「距離」を置くことを強いられています。やはり人間も動物。死が常に身近にあることを思い出させられます。この一つの歴史的な事件で世の中の進み方は変わる。行き過ぎたことは一度戻ればよいのだと森田さんは仰いました。この軌道修正が良い方向に転じるといいのですが、個人として少しだけ不安を感じます。

◆大半の方は人と接することができず、人との繋がりや接触の大切さを身に染みて感じ人と関わることの重要性を考えたことと思います。一方、経済の打撃を受けた業界を今後どう方向転換するか。Web、SNSでのコミュニケーションで人と交わらず用が済んでしまう便利機能で本来の「動くこと」「接すること」という動物の機能が衰えないことを祈りたいです。

◆そんな最中、私は奄美大島の隣にある喜界島に引っ越しました。4月4日に喜界島に入島し、自分が加害者にならないよう今は極力人との接触を避けています。現時点で島に感染者はいませんが、島は医療設備も移動も困難な場所。さらに高齢の方が多い島です。到着日に飛行場で配られた「お願い」には2週間は検温と不要不急の外出を避けるようにと書かれていました。

◆日常の光景は恐らくいつもと変わらないと思いますが、飲食店・ダイビング屋は休業するところがあり、歓送迎会は自粛。島からは「今は観光等で島に来ないで!」 という切実な訴えがSNSで発信されています。3月には売られていたマスクも今はどこに行っても売っておらず、島民の方の大多数がマスクを着用しているという、穏やかな島では違和感のある光景です。全く歓迎できない危険事態ですが、この間に人と接し方や身の回りにある「便利機能」の在り方・使い方を自分なりに考えたいと思います。(うめ山畑梓→日置梓


凍った大地を追って

その6 33年前の、ほのかな思い出

■ついにアラスカ、フェアバンクスにも新型コロナがやってきた。大学講義は3月からオンラインに変わり、学生に会うことはない。州外はもちろん村に行くことも出歩くことも禁止された。これからしばらくはファーム軟禁生活だ。先日江本さんから頂いた文庫版『西蔵漂泊』、前回にくらべ新しい情報も増えて、読み応えがある。『チベットと日本の百年』も一緒に取り出しゆっくり楽しむ。

◆考えてみれば、80年代私もピンゴのあるチベットに憧れた。ピンゴとは永久凍土中にできる氷核を持つ丘で崑崙山中、黄河源流域にあるのが当時報告されていた。そのあと2000年以降、ラサへの鉄道計画が突然はじまり、その工事の手伝いで毎年ゴルムドから崑崙を超えて行くことになるとは予想もしなかった。当時中国政府は凍土上の鉄道建設にノルウェーの助言を得ようとしたが、後でノルウェーの鉄道に凍土がないことがわかり、急遽アラスカに話がきたのだった。

◆話は戻るが私は一人でこもるのが好きなのかもしれない。今思い出すと北極海での小舟の越冬はたまらなかった。極夜はかつて味わったことがないほどの、完璧とも言える自由が存在した。おまけにまるで100年前にタイム・スリップしたような気分だった。こんな楽しい日々が一生のうちどれだけあるだろうかって、何度も自問したものだ。春になるのがさびしかった。

◆明るくならない極夜は、時間からも解放される。ファームでの生活はそれに近いものがある。4月になるとものすごい勢いで夜がなくなっていくのは悲しい。そんな去年の4月、33年ぶりにアマゾン河口の街、マカパに出かけた。今となっては凍土のない熱帯ジャングル、普通では2度と行くチャンスのないところかもしれない。ただ死ぬ前に1つ行きたいところはと言えば、ここマカパだった。でも、ずっと行く勇気のないところでもあった。

◆初めてここに来た時はリオデジャネイロからバスで3日かけアマゾン河口の街ベレンへ行き、そこから対岸のマカパへ2日ハンモックの船旅だった。今じゃフロリダからベレンへ直接飛んで、そこで乗り継ぐだけだ。ベレンの空港に着いて飛行機のドアが開くと、すごく驚いた事に、ものすごいスピードで全ての遠い過去の記憶が遡っていくのがわかった。

◆一息空気を吸い込んだだけでだ。言葉や目に見えるものより、空気にここまでの力があるとは思わなかった。この空気の湿り気と香り、これだけで30年以上前の気持ちに簡単に蘇ることができるのだ。手紙にはそれに近いものがあるかもしれない。手紙の封を開けた時、懐かしい人の文章と一緒に向こうの空気がフアっとついてくる。

◆マカパの街には赤道が通っていてそのランドマークは2階建になり若干変わったが、街の中心にあるプラサ(公園)と教会、川沿いの要塞はそのままだ。あの時のように稲妻がアマゾン川の遠くの水平線で光っていた。夕暮れの港で2人よくバスを待ったあの橋もまだあった。4日間のマカパの滞在中、雨季の突然の雨とその合間の強烈な日差し、全てが愛おしい。

◆当時インディー・ジョーンズを上映していた映画館前のプラサを歩いていると、33年前一緒に映画を観にいった女性(とそっくりな人)に出会った。この娘は一体誰なのだろう。肩までの髪型、優しい瞳、口元もまるで同じ20歳前後の天使のような女性が目の前に立っている。私はいま長い人生の夢から覚めたのか? 今は1986年なのか? 公園の水たまりに映る老いた自分の姿を見てホッとした。その優しい目をした娘は、私のことを知っているらしく、微笑んでこちらを見ている。

◆とその時、後ろからウィルソンがやってきた。自己紹介する間はなかった。彼に聞くとその娘はウィルソンの姉の長女だそうだ。そのお姉さんとは、かつて一緒に暮らした女性だった。彼女の娘はもう我々のあの頃とちょうど同じ年頃になっていたのだ。どうしているか気になっていたけれど、そこに行く勇気がなくて、そのまま33年がたった。そんな折、ウィルソンがフェイスブックで私を見つけてきた。

◆彼は色々な手段で長い間私を探していたらしい。特にお母さんが死ぬ前に会いたいというので今回決心がついたのだった。マカパ滞在の4日間ウィルソンの兄弟姉妹、お母さんと年月を埋めることができた。私の好物の魚も覚えていてくれて、素晴らしいご馳走の毎日だった。ただ彼女に再会したかったが、結局会わずにマカパを離れた。元気なのがわかっただけでよかった。話は長くなったが、そんなわけで、南米は私にとってちょっと特別なところだと思う。

◆再訪とは、忘れかけた初心を取り戻すことだろう。特にそこがその後の人生に影響を与え、分岐になったところならなおさらだ。当時の私はアマゾンの後、パタゴニアで冷たい雨を眺めながら、決めた誓いが3つあった。1、英語がちゃんと喋れるようになろう。2、一人前の専門家になろう。そして3、こんなに親切にしてくれたたくさんの人たちにそれを使って何か役に立つ人生を送ろう。この3つのルールはあの時から何も変わっていない。そういう人生を歩んできたつもりだ。当時の日記を久しぶりに開くと57歳までの人生プランが書かれていた。

◆そう、このウイルスで世の中が一変したように、そろそろ新しい生き方をする時なのかもしれない。今でも時々思うときがある。自分の人生はもしかしたらまだ夢の中なのか? もしそうなら、それはどこからなのだろう?


地平線ポストから
新型コロナ異聞

スペイン巡礼の旅で起きたこと

■2020年2月10日から3月25日まで、学生10人と共に、スペインのサンティアゴ巡礼道を歩く予定が、新型コロナウイルスの爆発的な感染の影響から、2週間短縮し3月8日に帰国しました(帰国後は3月22日まで14日間の自宅待機を実施し、全員の無事を確認)。

 スペイン到着時(2月10日時点)、スペインにおけるコロナウイルス感染者は2名だけ。緊急帰国となった3月7日時点の感染者は、在スペイン日本国大使館からの連絡によると365人。直後から感染爆発としか喩えようのない幾何級数的増加となったことは皆さんもご存じの通りです。

 オーバーシュートの兆しは、私がいた時点でもすでに見えていました。

 まず今年のカーニバル(謝肉祭)が2月25日に行われたこと。カーニバル後、スペイン社会は四旬節と呼ばれるキリスト教の大切な時期を迎えます。普段は教会に行かない人たちも、この時ばかりは毎夜教会のミサに足を運ぶのです。私も四旬節のミサに1度だけ参加しました。老人を中心に立錐の余地がないほど大勢の人が集まった教会の中で、響き渡っていたのは、聖職者の聖書を読む声と、老人たちが発するいくつもの咳。日本ではすでにコロナウイルスが深刻になっていた時期でしたから、この状況に恐怖すら感じ、学生たちには、夜の教会のミサに行くことを禁じました。

 それだけではありません。2月が終わる頃までテレビ画面には、ほぼ満員の観客を入れたサッカーの試合が放映されていました。その時点では、ほとんどの人が、新型のコロナウイルスを通常の風邪と同じように考えていたのです。

 状況が一変するのは3月に入った頃から。歩いて通過するどの街でも、アジア人の私たちに向けられる視線は厳しくなり、時には私たちを見ただけで恐怖で顔を引きつらせる人まで現れるようになったのです。サンティアゴ巡礼を5回経験した私にとっても、このような視線で見られるのは初めてのことでした。

 ニュースもコロナウイルス一色に変わっていました。ただし、その時点ではまだ、どこか他人事で、報道も最初に感染爆発を起こしたイタリア情報の紹介が中心だったのです。

 3月初旬、私たち巡礼チームは、スペイン北西部に位置するレオンという都市に到着。咳が出る学生が2名いたため、診察のため、市営の総合病院を訪れたのです。周辺地区まで入れるとレオンは人口20万人の街ですが、当時確認されていた感染者は2人だけ。訪れた病院では、コロナウイルスに感染した患者を診たことがなく、私たちが病院に入り、受付で「咳が止まらない」と告げると、周辺は緊張に包まれるばかり。「アジア人」+「咳」という二つのキーワードに、警備員も、事務員も、看護師も、医師も、そればかりか、待合室で、宝くじ売りの女性まで、宝くじをのせたテーブルを引きずり、私たちから遠ざかって行ったのです。

 直後、私たちはひとつの部屋に閉じ込められました。私たちを横目に、各所に連絡を入れて、対処方法を訊くばかりの医師たちに、『スペイン、大丈夫か?!』と感じたのでした。

 日本人の私が日本に生きている限り、表向き容姿だけで差別されることはまずありません。しかしこの時期、アジア人の私と私たちのチームメンバーは、スペインであからさまな差別の対象になったのです。スペインは豊かな国ですから、平時において、容姿だけで差別されることは表面上はありません。ところが今回のように、予測できない『不安』に社会が包まれた時、人々の心の中に潜む恐怖と動揺が、差別となり、得体が知れない異なる存在に向けられたのです。

 街中では、壁に描かれたナチスの鍵十字とスペインの国旗の落書きを目にしました。その落書きの上には、差別を助長するシンボルを打ち消そうとした跡なのでしょう。黒い斜め線が上書きされていました。社会が不安定化した時、ナショナリズムや民族主義的な観点から恐怖と動揺を解消しようとするムードが醸成されるものです。

 私のカメラの前を通り過ぎた老人の顔にも、アジア人「=異質な存在」を前にした強い恐怖が浮かび上がっていました。

 私たち、同時代の世界を生きる者たちの前に出現したのは「これまでの想像を越えた時代」でしょう。今回のスペインでの体験から、私自身、どんな状況に社会が陥ろうが、どこまでも「立ち位置」を見失わないことこそが大切なのだと、改めて感じることができたのです。(桃井和馬

帰国3日後、インドは全土ロックダウンした

■1月中旬、インドへと旅立った時にはこんな世界になることは到底予想できなかった。はじめてのインド。今回は自転車ではなく機内持ち込みの手荷物だけを携えた身軽な旅(と言いつつ、持っている服を全て着込み、カメラや充電器などの重いものはすべてポケットに詰め込み、ドキドキしながら7kgの重量制限をギリギリクリアした)。

◆南インドは最高だった。まず何を食べてもおいしい。米と豆を発酵させて作るドーサやイドリー、米粉とココナッツの蒸しパンのようなプットゥ。これらをココナッツチャツネやサンバルに絡ませながら食べる。米ベースだからか、毎日食べても飽きない。そして人がやさしい。カウチサーフィン(旅行者同士が自宅を宿として提供し合う情報サイト)を通して何人かの人に会ったけれど、どの人も驚くほど親切で、空港までわざわざ迎えにきてくれ、街を案内し、家に招いて料理を教えてくれ、その後も「何か困ったことはないか?」と度々メッセージをくれる。

◆ムンナルでは、3年前にパタゴニアで出会い、たまたま同じタイミングでインドを走っていた74歳のアメリカ人チャリダー(『なないろペダル』にも登場する、膝が人工関節のゲリー)と涙の再会を果たし、紅茶プランテーションを一緒にサイクリングした。

◆その後、北ケララの街、カヌールで長年患って来たアトピーの治療のために3週間ほどアーユルヴェーダの病院に滞在した。薬草入りのギーを飲み、身体中の毒を胃腸に集結させて下剤や浣腸で排出する。治療そのものはさることながら、精神的にけっこうキツかった。朝と夕の30分以外病院から出られない軟禁状態。そして数人を除きほとんど言葉が通じない。

◆お医者さんやセラピストもみんなとてもやさしくしてくれたのだけど、なぜかとても疑心暗鬼になってしまい、精神をすり減らした。そんな中でも向かいの病室にいた親子と仲良くなり、マラヤーラム語と日本語を教えあったり、ケララ地方の伝統的な白と金のサリーをプレゼントしてもらったりもした。

◆それからヨガアシュラムやゴアのジャングルでの滞在を経て、列車に20時間揺られてラジャスターンに到着すると空気がガラッと変わった。それは北と南の違いなのか、タイミングの問題なのかはわからない。この頃(3月上旬)から新型コロナウィルスの問題が徐々に大きくなり、町を歩けば「コロナヴァーイルス!」と指さされて笑われるようになった。それも子供だけでなく、老若男女問わず言ってくるものだから、はじめは笑ってやり過ごしていたけれどだんだんと腹が立ってきた。

◆アジア人だからか、と思っていたけれど、ゲストハウスで知り合った欧米人もそうだったと言うので、観光客はみな同じような目に遭っていたようだ。食事も南インドと比べるとバリエーションも少なく、チャパティと辛いカレーばかり食べていたせいか、帰国数日前から胃炎になってしまった。だがここに来たのは、どうしてもラジャスターン地方のブロックプリントを見たかったからだ。じわじわと痛む胃をさすりながらあちこちの工房やお店に向かった。細かな木版を一つ一つ手で削り、天然の染料を重ねて色鮮やかな模様を描き出していくさまは、ため息が出るほど美しかった。

◆こうして2か月の旅を経て3月19日に帰国した(ちなみに、行きは約7kgだったわたしの荷物は、大量のお土産と布と新しいスーツケースで帰りは32kgに膨れ上がった)。成田空港の検疫がノーチェックすぎて驚いた。帰国した3日後にインドは全土ロックダウンし、外出&出入国禁止になった。2年間ワーキングホリデーでオーストラリアに滞在し、アメリカでインターン中だった妹も緊急帰国。その翌日にはアメリカから日本への入国制限となった。姉妹揃ってギリギリのタイミングで帰国し、数年ぶりに家族が揃った。

◆3月末から入っていた今シーズンのツアーガイドの仕事は当然ながらすべてキャンセルとなってしまったけれど、もし仕事が入っていなければ帰ってこられなかったかもしれないし、こうして家族一緒に毎日食卓を囲むこともなかっただろう。

◆あらゆる経済活動が制限されて、生活が苦しくなった方々や、医療関係者の方々のご苦労を思うと居た堪れなく、政府の対応に苛立ちを覚えることも少なくないけれど、それも含めてこのコロナ問題が教えてくれるものは計り知れない。

◆我々にとって本当に必要なものが何なのかが浮き彫りになりつつあるように思う。世界中の人たちが同じ問題を抱えているこの特殊な状況。大変なこともたくさんあるけれど、武漢やニューデリーの空気やベネチアの運河がきれいになったとも聞く。都会は大きな影響を受けているけれど、農家の友人はいつもと何ら変わらない生活を送っていて、いつも以上に野菜がよく売れるという。外国産のものが入ってこなくなった今、地産地消や自給的な暮らしが今後ますます大事になっていく気がする。

◆実家の周りは住宅地で土もほとんどないが、母が仲良くなったおじさんのご厚意で、自転車で30分ほど離れたところの畑を耕し始めた。食べることは生きること。こんな時だからこそ「種をまかねば」と強く思う。ずっと後回しにして来た実家の断捨離や、『なないろペダル』の翻訳作業、覚えたてのインド料理やインド布の針仕事……。自粛生活は案外忙しい。(インドでベジタリアンになりつつある元猟師の青木麻耶

病院内もマスク、ガウン、手袋が品薄に

■お元気ですか? 新型コロナの件で日々不安な状況が続いていますが、いかがですか? 私の働く病院は山口県に6施設の感染指定病院の1つですから、日々検査対象患者が来ますし、入院しています。もちろん東京に比べたらまだまだ数は少ないですから泣き言は言えないですけれど。私は外来の師長なので日々外来受診に来られる患者に感染者がいて、それが院内感染に繋がり医療崩壊してしまうことのないように対策しています。が、田舎だからか市民の感染意識が低い、逆にスタッフは過剰に不安を感じていて業務に支障がでるなど問題はさまざまです。

◆山口県はまだ感染者数は少ないので、市民の危機感は低いと感じています。定期的な予約患者には「電話受診」を案内していますが、毎週体調にかわりがなくても朝早くから病院に来ている方もいます。入院患者とは「面会禁止」にしていますが、遠くから来たからどうしても会いたいと数人の友人が訴えます。なぜ面会禁止しているかの説明に時間かかります。「熱」があれば濃厚接触していなくてもコロナ感染かと不安になり本当の疾患がみえなくて右往左往している。

◆スタッフの中には、子供の大学入学などで関東関西に引っ越しのために行った人もいます。医療従事者も親だから、感染の危険があっても行きたい、行かないわけにはいかないということ。その後はしばらく自宅待機してほしいところだけど人員不足で困難。もしそのスタッフがコロナ感染していたら、院内感染になる可能性高いから、どちらがいいか。今は院内の対策本部の指示で動いています。

◆病院によって対策がまちまちだから、市民も混乱します。市内の総合病院の対策本部が連動して対策することが必要かなと思います。下関も、マスクやアルコール消毒がないとかは東京と同じですかね。たまに販売されるマスクを買うために、朝早くからドラッグストアに並んでいます。仕事している人は、並べないからなかなかマスク買えないですね。病院内もマスク、ガウン、手袋が品薄になってきてかなり大切に使っています。輸入制限で物が入らないですね。こんなに輸入に頼っているのだと改めて考えさせられました。

◆また、連絡いたします。江本さん、とにかく無理をなさらず体力温存、免疫力で持ちこたえてください。(下関 河野典子

北の国から

■江本さん、新年の挨拶からしばらくぶりとなりました。北海道在住の五十嵐宥樹です。2月末に知事から発表された北海道独自の緊急事態宣言が明けてから、自分の周辺では所謂コロナ問題に関して「終わった感」が漂っていました。相変わらず高齢者との接触には気を遣うものの、緊張感や危機意識といったものは薄れ、「北海道は一度外出自粛したから(もう大丈夫?)」といった声もありました。東京への帰省から戻った友人は、高齢の祖母のためにそうとう気を遣って生活していたらしく、気の抜けた札幌と東京の温度差を感じずにはいられないようでした。元来ののんびりとした北海道の雰囲気に加えて、「一度自粛したから」という根拠のない安心感が、北海道の感染拡大第2波を呼んだように私は感じます。

◆こんな騒動の中、私は記者として働き始める準備をしていたのですが、ちょうど北海道の緊急事態宣言が出たころに内定が取り消しとなり、春からの予定が全くの白紙となってしまいました。自分でも驚いたのですが、昨年秋に不眠症から体調を崩し入院したことが原因で、記者という仕事が体に合わないと産業医に判断されたためでした。入院は初めての経験で、現在は元気に過ごせているだけに、その宣告に当惑したのが本当のところです。

◆来週からは縁あってオホーツク地方の遠軽町というところに引っ越すことになりました。同じ探検部出身の相方が、地方紙の記者として着任するのに合わせての移動です。偶然にも遠軽周辺には林業の現場が多くあり、記者職以外で関心のあった山での仕事も経験できるとあって新しいチャンスの広がりを予感しています。現役時代同様、また「相棒」として支え合い、自然に身を置いて生きていける分、内定取り消しも案外悪い話ではなかったのかもしれません。

◆入院から進路の急変、コロナ騒動、引っ越しと、気を揉んでいるうちに、気付けば学生生活も終わり、北海道で8年目の春を迎えていました。自分を見失っている間に「精霊の山」登頂の計画準備も停滞していましたが、焦ることなく、情報収集とコンディションを整えて入域が許されるのを待ちたいという思いに、変わりはありません。引っ越し先の遠軽では公務員に初の感染者が出るなど、北海道全域にまだまだ感染リスクは現存しています。一度緩んだ危機意識を引き締めつつ、新天地での生活を楽しみたいと思います。(五十嵐宥樹

広大な森こそ、コロナからの避難所

■地平線会議の皆さん、こんにちは。東京オリンピックで彩られるはずの年が、あっという間に新型コロナ一色になってしまいました。外出自粛を受けて毎日を家の中で過ごす身としては、その生活の静けさと裏腹にどんどん大きくなってゆく数字を、じっと見守ることしかできません。

◆さて、先日までわたしが滞在していたインドネシアでも、ジャカルタを中心に感染が拡大してきました。渡航した2月上旬、クルーズ船での集団感染がひっきりなしに報道されていた頃、インドネシアでの感染者数は0とされていました。しかし2ヶ月が経った4月13日現在、政府による発表だけでも4000人超。死者数は日本の3倍近くにまで上っています。

◆3月中旬のジャカルタでは、感染者がまだそれほどいなかったにもかかわらず、日本よりも危機管理がしっかりしていると感じました。空港やショッピングモールでは出入りするたびに体温を計られ、多くの娯楽施設や公園、学校でも休業措置。しかし改めて考えると、普段から手で物を食べる習慣や、狭い路地に密集した住まいであったり、人が入り乱れる生鮮市場や食堂といった、日常に最も密接した部分は抜け落ちていて、実際に防げていたのはほんの上澄みの部分だったのかもしれません。

◆ではそんな首都からは程遠い、ロング・スレ村はというと、現在のところやはり感染者は出ていません。奥地である上、入り口はほとんど空路のみ、住民もそれほど多くないわけで、「そりゃあそうだろ」と思われるかもしれませんが、この「感染者0」も村の住民たちによる危機管理の賜物かもわかりません。

◆インドネシアでの感染者が出る前から、村の人たちの新型コロナへの関心は想像していた以上でした。はじめこそ怖がるだけに見えましたが、わたしが日本へ帰る頃には、彼らも布製マスクを持ち始めました。他にも、若い診療所長が人を集めて、新型コロナに関するビデオの野外上映会を行ったり、週一の定期便がスレ村にやって来ると、警察の兄ちゃんが乗客にアルコール消毒を施したりと、思い付く限りの対策を行なっている様子です。

◆さらに最近では、コロナ・ウイルスから逃れるために、村の大勢がミサンへ出かける動きがあります。(ミサンは、何らかの目的のために森に滞在することを意味するプナン語です)。話を聞いて初めて気づかされたことですが、いざという状況下では、村人だけが出入りする広大な森が彼らの避難所になるのです。森ではマスクや薬は手に入りませんが、外部から持ち込まれるウイルスの不安から解放され、清涼な空気の中で狩猟や果実採集を軸にした生活を送ることができます。

◆普段からお年寄りたちが好んでミサンに出かけているように、うだる暑さの家の中でただじっとしているよりも、ずっと主体的で、健康的に過ごせる環境でもあるのです。例年ならば村に人の多い時期であるにもかかわらず、今は赤ちゃんからお年寄りまで、多数の世帯がミサンのために家を空けているといいます。わたしたちがそれぞれ置かれている状況や環境は異なりますが、不安や恐怖に縮こまらず、一丸となってこの忍耐の時期を乗り越えましょう。一日も早い新型コロナ感染の収束を願っています。(下川知恵


先月号の発送請負人

■地平線通信491号(2020年3月号)は3月11日印刷、封入作業をし12日、新宿局に引き取ってもらいました。今号は、新型コロナ問題もあり、18ページのやや厚めの内容となりました。作業に参加してくれたのは、以下の皆さんです。日本中に「自粛」風が吹く中、15人もの人が駆けつけてくれたこと、ありがたかった。感染を警戒し互いの距離を取りながらの作業ではあったが、この時点ではコロナ・ウィルスの本当の怖さは誰もわかっていなかったのでしょう。◆3年生になった美月ちゃんはお母さんと久々の参加、貴家(さすが)蓉子さんは元早大探検部所属、、いまはテレビ関係の仕事をしています。そして、個展を終えたばかりの長野亮之介画伯が久々に参加してくれました。実は個展で江本が買った「ネコリョーノシカ」(ロシアの人形マトリョーシカのように5匹の猫が次々にあらわれる)を届けに来てくれたのですが。
森井祐介 車谷建太 兵頭渉 武田力 貴家蓉子 久保田賢次 白根全 江本嘉伸 竹中宏 大西夏奈子 菊地由美子・美月 久島弘 長野亮之介 高世泉


通信費をありがとうございました

■先月の通信でお知らせして以降、通信費(1年2000円)を払ってくださった方は以下の方々です。数年分まとめて払ってくださった方もいます。万一、掲載もれありましたら必ず江本宛て連絡ください。

石田昭子(毎月たのしみにして待っています)/兵頭由香(5000円 ツウシンヒ2ネンブン 1000エンハカンパデス)/北村敏(5000円 通信費2年分に、残りカンパです)/萩原浩司(4000円)


コロナ禍の中、最貧国ハイチのカーニバル

■クラウドファンディングでゴルゴ13のギャラをあまねく全国より集め、466億円マスク2枚にお肉券お魚券とかぬかす不埒な輩を狙撃排除する企画が局地的に大絶賛進行中の今日この頃。だらしない戒厳令発令の春爛漫麗しき日々をいかがお過ごしであろうか。こんな時節にもやはりきっぱり地平線通信、お題はもちろんカーニバルだ。

◆今年の行き先は10年ぶり都合4回目、2年越しの計画となる世界最貧国ハイチと、マルティニークほかカリブ海に浮かぶフランス領の島々。昨年から写真家の長倉洋海氏と撮影取材を計画していたが治安悪化で断念し、以来ずっと現地情勢ウォッチングを続けてきた。外国人誘拐や暴動略奪騒ぎに麻薬マフィアの勢力争いなどが頻発し、一時はあきらめかけていたが、年明けから学校の授業が再開し少しは落ち着いてきたようである。

◆マイアミ空港で長倉氏と待ち合わせ、首都ポルトー・プランスに到着。アメリカ通過時には過去2週間以内の中国渡航歴を質問されただけだったが、ハイチ入国に際しては検温と問診票記入、滞在先の申告など、やや緊張感が漂ってくる。32万人の犠牲者を出した大地震はちょうど10年前のこと。その日の食事や飲料水にも事欠く150万人の被災難民を襲ったコレラは、後日の調査で震災後に治安維持を担当した国連PKO部隊のネパール軍兵士が持ち込んだことが判明した。1万人超の死者を数えたコレラ禍の責任を国連が認めたのは2016年末で、しかも事務総長が謝罪声明を出したにも拘わらず賠償はゼロのまま。

◆マスクや消毒液はおろか、手を洗う水道や石鹸すら不十分なこの国にコロナウイルスが侵入したらと想像するだけでも恐ろしい。震災後も毎年のようにハリケーンに襲われてきたが、人々は災害だろうが疫病だろうがめげている余裕はない。生は自らの手でつかみ取るもので、闘いに負けた人間は自動的に淘汰されていく。一日200円以下で暮らす人口が60パーセントを超えるこの国で、自粛などはあり得ない。

◆今回はアーティスティックな扮装や仮面のキャラが多々登場する南部の街ジャクメルが主なターゲットだったが、大ベテランの長倉氏が音を上げるほど写真が撮りにくい。カメラを向けると確実に嫌がられ顔を背けられ、文句を言われたり詰め寄られたり。通り過ぎたバイクがわざわざ戻ってきて、何で写真を撮るんだと怒鳴りつけてくる。震災以降10年を経て少しは状況も改善しているかと思っていたが、治安が悪化した分だけ人心荒廃の度合いが高まっている感じだ。

◆思う存分に撮影できたのは、ジャクメルのカーニバル当日のカラフルなパレードだけで、首都に戻ってみれば市街各所が燃え盛るタイヤでブロックされ通行不能となっていた。給料遅配に怒った警察官がカーニバル見物の桟敷に放火するなど混乱が続き、結局首都のカーニバルは中止! 世界最悪のスラム街シテ・ソレイユ(太陽の街)取材も予定していたが、近づくことすらできないまま断念する想定外の結果となった。

◆一足先に帰国の途に就いた長倉氏を見送った後、マルティニーク島へ移動。今度はほぼ犯罪者扱いで、アジア系一人だけ別室へ連行され尋問となる。パスポートを1ページずつめくって中国への渡航歴を追及され、完全武装の医務官に検温触診体調チェックを受け、滞在先には毎朝追跡調査の電話が入る。宿泊先のムッシュー・グレッグに「E氏からのおせっかいメール」で送付されてきたコロナ対策法を伝授したところ、軽く秒殺されてしまった。熱に弱いコロナウイルスは26度以上のお湯で云々というガセネタだが、グレッグ曰く熱いシャワー浴びてお茶飲んでりゃ感染しないってことかよ、とおバカ扱いされて終了〜。カーニバル撮影後、次に向かった同じフランス領のグアダルーペ島では、さらに厳しい汚物扱いの検疫となった。

◆そもそも、検疫=Quarantineとはイタリア語で40日間の意味。疫病の潜伏期間中、疑わしい船を強制的に港外に停泊させる措置がその出処だ。隔離以外に術のない時代だが、その重要性が証明されたのは1630年のミラノのカーニバルだった。前年10月、ミラノで黒死病が報告されるが、祝祭見物を熱望する乗船員の要請で検疫を緩和し上陸を許した結果、1日3500人の死者を数える大惨事となったのである。

◆パンデミックの犠牲となった代表的な地域は、この界隈を含む新大陸一円だった。1492年コロンブス艦隊の乗組員によって持ち込まれた天然痘やインフルエンザは、免疫のない先住民社会を地域によっては絶滅にまで追い込んだ。グアダルーペ島の隣のドミニカ国には、そのパンデミックを生き延びたカリブ系カリナゴ族の最後のコミュニティーが残されている。モンゴロイドの容貌を保つ先住民が暮らす島東部のカリナゴ居住区を訪れ、図らずも人類の未来の不確実性を見せつけられた気のする旅となったのだった。

◆ちなみに4月13日現在、ハイチのコロナ感染者は37名、死者3名。キューバ医療部隊が必死の防疫対策を展開中である。(Zzz-カーニバル評論家)


今月の窓

子供の自立心を育てる 新型コロナウィルスとの闘いの中で見えたもの

 日増しに深刻さを増している新型コロナウィルスとの闘いの中で、日頃疑問に思っていたことで私に見えてきたことがあり、それが読者の皆様と果たして共有できるものかとの思いでここに書かせていただいた次第です。

 のっけから戦時中の自分の経験から報告させていただき恐縮です。私は気管支が弱く虚弱体質だったので親が改善したいと、太平洋戦争開始1年後の4才の夏2週間九十九里に、前半は父の知人の紹介で旅館、後半は漁師宅にあずけられ、翌5才の夏にも、九十九里の老夫婦の家に3週間あずけられました。

 当時両国駅はヨーロッパ型の櫛状終着駅で、ここから千葉方面の列車が発着しており、九十九里は今のように簡単に行けない遠い田舎でした。体はどうか知りませんが、親と離れて暮らすことで心が強くなったと思います。

 5歳の春ごろには、東京は不案内の九州育ちの母と弟を案内して、新聞記者だった父の勤務先の茅場町まで、新宿二幸裏から13番の市電で須田町まで行き、岩本町まで歩いて茅場町まで行きました。さらに父の指示で雷門までにも案内しました。つまり、都会育ちの子供だと市電を乗り回すことができたということです。今の5歳の子でも電車好きならこんなこと容易だと思います。

 その後日本の戦況というか生活環境は急激に極度に悪化し、食料配給では食べていけなくなって買い出しが始まりました。ある日曜の朝起きたら母がいなく、母は買い出しにでて夕刻遅く真っ暗になって帰宅しました。家の中に食料はなく、弟と残っているご飯で味噌おにぎりを作り食べてしのぎました。夏の九十九里を経験しているので、親の留守居をすることは平気でした。

 今学校が休校で子供が在宅でいるご家庭は食料が少なくてもあろうかと思いますので、人間本来の潜在力としては親がいなくても大丈夫なはずと思います。では、子供はどこまで大人になれるかですが、新型コロナウィルスの強襲を受けている現在、人為的な戦時とも近い状況と思われるので、経験した例を報告したいと思います。

 九十九里の最後の夏、幼稚園の同級生の女の子も千葉に行っていました。三姉妹の一人が海に流され、両親が助けようとして三人とも溺死した痛ましい事件が発生しました。残った二人の姉妹は親戚に引き取られましたが、姉は妹の父兄として父兄会に出席していました。通園は問題なかったようでしたが、養家の人が幼稚園には見えず、北川景子さんに似た小一のお姉さんが卒園式にも父兄として出席していました。りりしく立派に振る舞っていて、年長組が卒業後小学校に進学するのを楽しみに待っていると挨拶されたのが印象的でした。小一の先輩は今時の高一ぐらいの貫禄と落ち着きでした。

 もう一つ例を報告させてください。やがて空襲が始まると、父は中等学校時代の恩師の校長の実家に家族を疎開させるべく、福島の大野村玉山に行きました。校長が肺病で療養中バターを絶やさずお届けしたご縁です。

 話がまとまり、夜8時ごろ、父は袖玉山に3軒ばかりある鉱泉旅館に宿をとることになりました。旅館は裏の樹木鬱蒼とした山を越えたさらに奥の方にありました。電灯がない闇夜に樹木の生い茂る初めての峠の道を越えることは、東京の父には無理なので、大家さんの娘さんが送り届けることになりました。彼女は小学校2年生で、父を届けると、暗い夜道を駆けて帰っていったそうです。父はすっかり彼女のファンになり褒めそやしていました。

 私も後に高2のとき、一人で疎開先の家を再訪したとき、その夜道の暗闇を峠越えするはめになりました。無灯火の自転車だけど、もっていくよう勧められ、道に出来た轍に入れてたどり、カーブを知り肝を冷やしました。テッチョンデイ(地名)をへて、なんとか袖玉山に着きました。

 昼の野良へのヤカンの茶と昼ご飯を運んだり、食事を作ったり、赤ん坊の世話、風呂焚きなどをする娘さんのことを、そこではアーチャンと呼んでいました。どのご家庭でも小学校2、3年生がアーチャンをやっていました。彼女はアーチャンだったのです。彼女は翌年われわれが疎開したとき3年生となっていましたが、疎開したばかりの私が聞き取れない先生の方言やアクセントを根ほり葉ほり正して解析して、とどこおりなく学校にいけるよう宿題、持ち物の準備を手伝ってくれました。私には3年生の彼女が今時の高校生のお姉さんのように見えていました。現代においても途上国の子供たちはませています。モンゴル牧村の子供が早朝水くみに行く姿はアーチャンを彷彿とさせます。

 現代、孫に皿を台所に運んでと言ったら、何で俺がと一人は言いました。次に女の子へ食後の片付けを手伝わせようとしたら、何で私がと言いました。小学生の彼や彼女は仕事を嫌がります。甥に手伝わせようとしたら、その母親が私がやりますと腰をあげました。私たちは自分の子にしたように仕事を与えて親密度を高めようとしたのですが、その前に親が防波堤になっています。でも名誉のために申しますとその後、孫たちは食後の片付けを率先してやってくれています。

 ヒントは子供の労働にあるように思います。生活は一家共同で働いて維持するとの原点に立てば、お手伝いは当たり前となり、小学低学年になれば、もう家庭で役立つ人間になれるという人間の獲得文化を取り戻せるのではないかと思います。現代においては、お受験などいろいろありますが、そんな子供に限り、塾では上の空で話を聞いているようなことを塾の先生に聞いたことがあります。

 もっと子どもたちをませて育てて、新型コロナウィルスのような危機にはもっと親の手のかからない、むしろ助けとなる子供に育てれば、学校が在宅勉強になってもあまり困るケースはなくなるのではとふと考えました。それどころか、アーチャンは学校を休むと間違いなく役立ち、親が喜ぶのではと思います。家庭は子供を育てる場でもありますが、育てるにはともに働いて生活を守ることも含まれるものと思います。

 ひき続き大野村での話です。4年生以上の高学年になると、背負子(しょっこ)と鉈(ナタ)をあてがわれ、秋に日曜は朝から山に弁当をもって一人で入り、最初は火の焚き付け用の松葉かき、晩秋からは枯れ枝集めをして、毎年3か月ぐらい山働きして冬の生活を守りました。藪の中でヤマドリと鉢合わせ、ケンケンないてゆっくり谷を渡って飛ぶのを見てほれぼれしたり、大池に足を入れたら遠い対岸で蛇が水にそっと入ったのを感じてすぐ見つけたり、野生的になっていました。モンゴルで草原をゆく基礎ができた時代と思っています。当時私は疑問をもたずにやっていました。しかし、この労働が将来の基礎をつくっていたことを知りました。労働は子供にとっても大事なことだと思います。

 グローバリズムも新型コロナウィルスとの闘いの中で亀さんよろしく首を引っ込めてしまいました。先月の通信の大西夏奈子さんのすぐれた報告のとおり、何よりもわがモンゴルがいち早く首を引っ込め、各国とも現在の国境の中でこの未知の解決策の見つからない不確実性と個々に闘いを進めています。はからずも、新型コロナウィルスが見せてくれたことは、当たり前ですが、世界は国という範囲のモザイクだったことに改めて気づかせてくれたことです。だからこそ、国家間をまたいだ、大量のマスクのプレゼント合戦が美談になるのでしょう。

 この囲われたサークルの中で最終的に自立して生きねばならないことが現実であることを知らしめてくれたのなら、グローバリズムで浮かれる前に、自分のことは自分で守るという原則が厳然とある現実に沿って、将来や国際環境に備えるという極めて当たり前のことが見えていると思います。この事態がつきつけた現代文明と民主主義の脆弱さの克服には、人間一人一人の、特に子供たちの人間力をもっと高める必要もあるのではないかとの感想を持つにいたりました。地平線には学外で子供の人間力向上のために努力されている大人が少なくありません。学ぶところ大であり、誇りでしょう。(花田麿公


緊急のお願い

地平線カレンダー2020.4〜2021.3 どうか、お求めを!

■3月の報告会が広い会場で開催できなかったため、皆さんに直接購入してもらう場がなくなってしまいました。恒例の地平線カレンダー、絶賛発売中です。以下を参考にどうかお申し込みください。4月スタートなのでまだこれからです。とくにネコ好きの方は是非! 大分の黒川さんからは以下のメールが届きました。黒川さん、ありがとうございます。

「今回の猫さんは、一緒に暮らしてる猫にとても似ていて驚いています。色合いが特に素晴らしくて、うっとりしてしまいます。早速、今具合の悪い知人にも郵送しました。明日には届いてくれると思います。猫の生き方に敬意を覚えてる私には、胸おどるような内容のカレンダーです!」(4/12 大分県 黒川明江)

亮月幽森(ryogetsu yushin)
     絵本『おつきさんとねこ』の世界より
 判 型:A5判横・7枚組
 頒布価格:1部500円
 送料:140円(1部。2部以上は190円)
 絵:長野亮之介
 編集&DTP:丸山純
 発行:地平線会議
 発行日:2020年3月6日
 ※お申し込みはこのサイトの
ホームページ よりお願いします。

【絵師啓白】
ネコは時に何もない空中をじっと見つめる。目には見えない何かを見ようとしている。夜のしじまで狩りをする時も息を殺して、見えないものの気配を読む。音や匂いや、月の淡い光を味方につけて。森に捨てられたネコと月の対話をつづった童話『おつきさんとねこ』(平きょうこ作)を題材に、森の中で生きるネコの姿を描き始めた。(長野亮之介)


あとがき

■15日昼前、電話が鳴った。「えもとさーん!着きましたよおー」賀曽利隆の元気な声。彼は一体、どこにいるのか。「稚内でーす、利尻に渡ろう、と思って…」。なんと北海道を突っ走って宗谷岬にたどり着いた、という。「こういうご時世だから今回は誰にも言わず、ひっそり出てきました。これまでの旅とは全く違いますね」北海道遺産をめぐる旅というのを企画していて、コロナ問題のさ中、4号線を経由して北に上ったという。宗谷岬に着いたら電話して、と頼んであった。

◆「最大限気を使う旅です。誰にも会わないし、誰にも電話しません。江本さんならいいかと」雪にやられて凍えそうになりながらの旅。もういい年齢なのに……。利尻島には渡らなかったそうだ。「来島自粛要請」が出されているのだ。

◆三輪主彦さんから久々のメールを読んでびっくりした。先々月だったか、江本さんのフロントの「さくら丸」に乗った話を読みました。江本さんの行動は大体チェックしていると思っていたのですが、これは知りませんでした。実は私は1968年に初めてカラコルムの山に行きました。その時に「さくら丸」で香港に行き、そこから西パキスタンのダッカ経由でギルギットに入りました。初めての海外旅行が「さくら丸」だったのです。江本さんが取材していたとは知りませんでした」。

◆えー?!、あの船に三輪さんも乗ってたの?!びっくりだ。1968年と言えば私はまだ20代だ。三輪さんも20代前半だったろう。その10年後には地平線会議を始めているのだったな。いろいろな青春の風景がある。(江本嘉伸


■第491回 地平線特別報告会之図(絵と文:長野亮之介)
地平線特別報告会之図

   《画像をクリックすると別タブで拡大表示します》


■今月の地平線報告会は 延期 します

今月の地平線報告会は延期します。報告者も決まっていたのですが、この時期の開催は難しいと判断しました機会を見て、あらためて実施します。


地平線通信 492号
1 制作:地平線通信制作室/編集長:江本嘉伸/レイアウト:森井裕介/イラスト:長野亮之介/編集制作スタッフ:丸山純 武田力 中島ねこ 大西夏奈子 落合大祐 加藤千晶
印刷:地平線印刷局榎町分室
地平線Webサイト:http://www.chiheisen.net/


発行:2020年4月15日 地平線会議
〒160-0007 東京都新宿区荒木町3-23-201 江本嘉伸方


地平線ポスト宛先
pea03131@nifty.ne.jp
Fax 03-3359-7907 (江本)


◆通信費(2000円)払い込みは郵便振替、または報告会の受付でどうぞ。
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議


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