2009年4月の地平線通信

■4月の地平線通信・353号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙

4月はスタートの月だ。浜比嘉島のうるま市立比嘉小学校では下地邦敏校長にかわって新しく着任した伊敷ひろみ校長のもと、7日に始業式、8日に入学式が行なわれた。今年の新入生は男子ばかり3人。昨年より1人少なく、その結果、1、2年は「複式学級」となった。

◆複式学級は、児童、生徒数が少ないへき地の学校で学年ごとのクラス編成をせず、複数学年で1クラスとする学級編制のことをいう。ひとりの先生が2学年の児童を一度に指導するわけで、過疎地など学校規模が小さい場合に多く行われる。

◆新入生には特別の配慮をする意味だろう、1年生を含む場合は、2学年合わせて9人いれば「単式」つまり、学年でひとクラスにできる(1年生を含まない普通学年の場合は「2学年あわせて16人までは複式学級、17人以上なら単式学級、と決められている)。比嘉小も去年までは1、2年あわせて9人の児童が在籍していたため、1、2年は単式学級だった。

◆それがこの4月からは一緒に授業を受けることに変わった。これで全児童29人の比嘉小は、3年生5人と4年生4人で構成するクラス、5年生5人と6年生8人で構成するクラスをあわせ3つのクラスで成り立つことになる。

◆うるま市では広報誌「うるま」を毎月1回発行している。毎回20ページが標準だが、09年4月1日号は市長の施政方針が詳しく掲載されたため28ページの特別号となった。その表紙がまた特別だった。「比嘉小学校の児童12人が撮った“わたしたちの宝物”」としてカラフルな12点の写真が表紙を埋めたのである。海の文化資料館で1か月あまりにわたった写真展には、4月5日の最終日まで実に3,623名を数えた。前田一舟さんによれば、これは「海の文化資料館の施設を借りて個展を開催する個人や団体では、過去最高の入館者数」となるそうだ。

◆思ってもみなかったことだ。さまざまな反響についてはこの通信の中で詳しくふれているので省くが、何よりも、子どもたちの心がどこかではじけたように思われて嬉しい。仕掛け人、丸山純の底力が引き出した最大のものは、それであろう。森田政則教頭も「この島の子どもたちに理解の場は多いが、表現の場は少ない。デジカメを渡すことで子どもたちの力を引き出してくれたことがただただありがたい」と話していた。私としては、5、6年生が一緒になってやったことに複式学級の良い面を教えてもらった気もしている。

◆3月末、もうひとつのささやかな試みがスタートした。先月の通信で外間晴美さんが書いている「笑福い(われーふくい)市」。10月の「ちへいせん・あしびなー」で応援してくれた比嘉のねーねーたちが手作り市を始めたのだ。地平線仲間の長野淳子さんの報告。「ネーネーたちは週末だけ集まって、自分たちの作った農作物や食べ物・古着や小物などを市に出します。この市が実現したのは、ある意味地平線に触発された部分も大きいとのこと。ぜひにぎやかに盛り上げなくては、と勇んで島に乗り込んだのが3月26日。ところが...」

◆詳しい経緯は、紙数の都合で省くが、イベントは2日後というのに準備らしきものはできておらず、「どうなることやらと気が気でなかったのです。しかし不思議なことに当日の朝まで何もなかった広場には、あっと言う間にテントが立ち並び、ステージが設えられていたのでした」

◆当日はあいにくの強風と雨。イベントはハプニングの連続だったらしい。「でも」と淳子さんは続ける。「この日を盛り上げて、週末市のいいスタートにしたいという気持ちはたぶんみんなの中にあって、大荒れのイベントも温かい拍手で幕を閉じました。この週末市ができるだけ長く続いていくように、みなさんもぜひ応援してあげてください」。

◆4月13日には関野吉晴チームの丸木舟「縄文号」がインドネシアの島をスタートした。日本人4人、インドネシア人6人(伝統の木造船「パクール号」で)の編成。当分、目を離せない。あらゆる困難を越えてきた探検家だが、海上4000キロの経験は初めてだ。逆潮にめげず2日間でスタート地点のランベ村からルアオールという村まで進んだらしい。

◆目指すは「北」の沖縄。ゴール予定は7月20日頃、というが、海路は穏やかな日ばかりではないだろう。予定外のことがいろいろ起きるかもしれない。ゆっくり、慎重に、そして活き活きと進むことを願う。(江本嘉伸


先月の報告会から

半径10キロの大宇宙から

多胡光純(てるよし)

2009年3月27日 新宿区スポーツセンター

■相棒はモーターパラグライダー。大きな扇風機のようなモーターを背負ってパラグライダーを操るこの乗り物で、地面スレスレから高度4000mまで、フワリと飛んでしまう。そうして撮影された地球の姿は、まさに鳥の目線。完全に自在にとは行かず風の力を借りて撮るからか、飛行機からの写真や映像よりも“生の自然”な感じがして、力強さと親しみを感じる。TV番組を中心にそんな写真・映像作家活動をしているのが、エアーフォトグラファーの多胡光純さんだ。

◆空撮を始めたきっかけは、旅。大学探検部時代、カナダの荒涼とした大地に惹かれてマッケンジー川などに通いだす。やがて興味は、川と共に生きる人々へ。自分とは異なる価値観で生きている彼らのことが知りたくて、極北の旅を重ねた。そうやって増えてゆくストーリーを、写真と文章で表現したいと思うようになる。大学卒業後も撮影の旅を続け、デネ・インディアンと共同生活も送るが、「自分が感受しているものを撮れてない」という不満が常に付きまとった。

◆ある日、川のほとりにある小高い岩山に登った。高度を稼ぐことで、今までカヌーの上から見ていた水平の景色から突然、川の蛇行までわかる立体的な眺望が眼前いっぱいに広がった。「この景色の中で今まで出会ってきた人たちは生きてきた。人々を取り巻く“空間”が見えた瞬間に、その人に近づけた感覚がして、初めて素直にシャッターが押せた」。こうして、10年間続けてきた旅に新たな方向性が生まれた。

◆人と大地を繋ぐストーリーを表現するため、高台から撮る。そう決めた多胡さんは、日本でモーターパラグライダーに出会う。そして9か月間の集中特訓後、2003年の夏、再びマッケンジー川の撮影に挑む。カヌーで1400キロを下りながら、ひと夏で92回のフライトをこなした。ここで手ごたえを掴み、映像の世界にも足を踏み入れていく。しかし、一連の流れで撮る映像はスチールの何倍も難しかった。「撮った!という手ごたえがない。何だかポカンとして…」。

◆練習の様子がムービーで紹介される。イスに座って飛びながら、自分の顔を下から撮ったアングル。両腕は高く上げられ、パラグライダーをコントロールするブレークコードを握っている。左手にはアクセルも。あらためて、こんな体勢のまま撮影しているのか! と驚いた。操縦しながら狙った映像を撮るのは難しい。両手が放せないから自然とカメラを股にはさむ形になるが、納得がいかなかったと言う。当時の多胡さんは、まだ自分にとっての「いい映像」の基準が定まらず、ただがむしゃらにより良い撮影方法を追い求めていたのかもしれない。

◆2006年秋、NHKで紅葉を撮影する仕事が決まる。ここで、知床半島から五湖へと飛ぶムービーが流れた。金色に紅葉した草に朝露がおり、輝く湿地帯を、地面から1メートルの高さでぐんぐん進んでいく。流れる景色に、こちらも風になった気分だ。「この先はどうなっているんだろう、見てみたい! そんな気持ちが、映像で撮ろうという頑張りに繋がっている」。知床一湖では、鏡のように光る湖面に接近しすぎ、上昇の際に木にひっかかりそうになる。危なかった。

◆なぜ超低空飛行にこだわるのか?「極北の川をカヌーで行く、旅人の目線です。僕の両脇はスプロースの森がその先の景色を遮断していて、丘に登ったときにそれが開ける…。それを映像で表現したい」。ローからハイに移る感覚、と何度も繰り返した。映像としても記録としても、ある程度の価値はある。しかし撮っている本人が満足いかない。多胡さんは様々な人の協力を得て、業務用のさらに上を行く放送用カメラを試す。不満の要素を1つ消し、2007年秋、シリーズ2年目の「紅葉列島」の撮影に臨む。4か所の撮影を経験し、放送用カメラのハンドリングはできると確信。操作もマニュアルにした。だが、まだスチール撮影の高揚感には追いつかない。仕事だからやらされている感があるのか? もしそうなら、一歩間違ったら突っ込むリスクを背負いながら我慢していていいのか…。不満は根深い。

◆大きな転機となったのは、瀬戸大橋の開通20周年を記念しての撮影。すでに優れた映像は世に山ほどあるが、「詩的に撮りたい」という制作会社の一言に、自分なりに撮れるかも、という期待で臨む。しかし1本目のフライトは大失敗。誰でも撮れるようなありふれた映像で、スタッフからも慰められる始末。多胡さんは考えた。「自分はスチールのとき、何に向かってシャッターを切っているのか?」

◆答えは簡単だった−「感動しているとき」。景勝地や世界遺産の名前はいらない。極北の風が強く吹きつける、ツンドラ地帯に咲く一輪の花。それを這いつくばって撮る瞬間に、充実した時間が流れていた。その想いをこのプロジェクトにぶつけてみよう。

◆2本目のフライトムービーがノーカットで上映される。上空から瀬戸大橋が映ったのは、わずか数秒。あっという間に橋の下をくぐり、撮影のメインは橋の真下に位置する岩黒島に。小さな漁村、菜の花、小学校、修理中の船…。多胡さんの気持ちの向くまま、何かに引き寄せられるように撮っているのが伝わってくる。島のすぐ横を海面スレスレで飛ぶ。海を覗き込む人々の顔も一瞬入る。これでもかというくらい、長い長い低空飛行が続く。まるで「これが地球の姿だ」と言わんばかりだ。と、フワリと浮かび、こんどは島の北端に潜入。こちらは黒い岩がゴツゴツとむき出した、人が近づけない場所。最後は水平線から生まれたばかりの太陽に向かって一直線に飛ぶ。

◆「瀬戸大橋の空間を撮りました。俺は、橋を支えている人々の暮らしに感動しているから。そうしたら足元の1千万円のカメラが近く感じられた」。目の前のものではなく、“空間”を撮る感覚を掴んだ多胡さん。しかし、TVで使用された映像は最初の15秒だけ。宝物を見せてもらった気分だ。

◆さらに続ける。「映っているものに意味はない。大切なのは、こういう空間があることを意識できるかどうか」。地球上のどこかで、いま、ここと同じ時間が流れているという感覚。星野道夫が、街中にいても山に暮らす熊の存在を感じていたという話を思い出した。「俺が感動した瞬間、“地球の素顔”を撮り続けていきたい。このタイミングでしかない出会いを、すくいとって、感じて、撮って、書いていきたい」。そう力強く語る多胡さんは、自分の声をしっかり聞ける、すごくピュアで強い人だ。

◆2008年秋、シリーズ3年目の「紅葉列島」で九州の九重連山を飛んだ。映像もスチールと同じ感覚でいけると確信した多胡さんは、秋に見た知床の冬の姿を撮ろうと思い立つ。12月、寒風に耐えながら、雪で覆われた知床の湿原から羅臼岳(標高1660m)の頂上までを撮った。撮影のあと、いつものように現地の人々と映像を見ながら話が盛り上がる。その時ある漁師が言った。「知床の2月は本気だぜ」。流氷のことだった。ロシアのアムール川で凍結した氷がオホーツク海を流れてくる。もしかしたら、知床の人たちはずっと昔に流氷に乗ってきたのかもしれない…。そんな想像がふくらむ。これは撮ってみるしかない!

◆でも、もし氷の海に着水してしまったら? テストとして、厚さ8ミリのドライスーツを着て流氷に飛び込んだ。頭をハンマーでガツンと殴られたような衝撃で、言葉も出ない。が、何とか30分は耐えられた。考え得る限りの対策をほどこし、厳冬期用のエンジンを背負って飛び立った。またまた、お宝ムービー。え?、白い氷が波打ってる!? 不思議な迫力のある光景だ。オホーツク海を埋める流氷がアップダウンし、高さの感覚がつかめない。ぎりぎりの低空飛行で、足に波しぶきがかかる。そして、ローからハイ。高度を上げると、崖の上に民家が…景色にぐっと奥行きが出る。再び思う、「人の、こんなに近くに、こういう空間がある」。

◆知床は手ごわかった。空へ飛び上がった瞬間、冷気で唇にパーンとひびが入り、血が流れた。手はカチカチに凍りついた。リスクの大きな撮影だった。自分でもそこまでやるの?と思ってしまうが、でも「このくらいの満足感がないと撮る意味はない」。ハイリスク、ハイサティスファクションの世界だ。

◆ここで、用意した映像は終了。ルートをミスって撮り直しているシーンまですべてそのままの映像だった。映像作家が編集なしのムービーを見せるという覚悟はどれほどのものか。人の評価がどうというのではなく、ありのままを見てほしいという多胡さんの「本気」が伝わってくる。

◆撮影は風の状態に左右されるため、必然的に待機時間が長くなる。その間に地元を散歩し、人と話し、色々なことを感じる。「それから飛ぶと、ああ、こういう空間だから、あの人はあんな話をしたのかと判る。僕の判断なのに、すごく近い所で判れるのが好き」。今は映画が撮れるカメラがほしい、自分のペースで世界展開していきたいと言う多胡さん。いつの日か、世界のありのままの姿を映した多胡映画を見せてほしい。

◆報告のあと、探検部の先輩である田中さん夫妻と、奥さんの木のおもちゃ作家・歩未さんが登場。あるみさんのお腹には、わずかなふくらみが。8月には親になるという2人。「ますます突っ走っていきます(笑)」と多胡さん。飛ぶ度に家族とお互いの身を案じることは、この先も避けられない。それでも多胡さんが空の上で感動を得ている限り、やっぱりこれで正しいのだろうと(勝手に)思う。

◆「マッケンジー川での初フライトは、こわくて3日間も飛ぶことができなかった」。2003年の秋、多胡さん初の報告会での言葉はとにかく全部がリアルで、大学生だった私の心に真っ直ぐ響いた。あれから5年半。もうすぐ、私は会社を卒業する。様々な経験をした社会人生活の中で、何かに本気で取り組み、心から充実するためには、自分の感覚にもとづく意思が大切だと強烈に感じた。人の波に流れ流れて来た今いる場所を、自分の意思で来たと思い込んでいる人がどれほど多いことだろう。本当に面白い人生を楽しむため、これからは自分の声にしっかり耳をすまし、素直に生きたい。先のことは見えないけれど、「答えは自分の中にある」と、多胡さんに背中を押してもらった気がする。(新垣亜美 27才。もうすぐ山小屋のお姉さん)


報告者のひとこと

全ての空間は地球というベクトルのもと同時に躍動している。自分が生きる空間のすぐ脇に、幾万重もの空間が同時に時を刻んでいるのだ。僕はその地球の今を記録したい

■ズーム機能をオフしたビデオカメラを股に挟み、広角レンズを自分の滑空方向にフィックスして飛ぶことは、感性剥き出しで空間を求む瞬間と自身の生き様を同時にレコーディングしていることにほかならない。無論、気の効いた方向にカメラを振り撮ることも訳なく可能だが、今、己が信じる「感じ撮る」行為を追い込んだとき、余計なカメラワークは自分に必要ないと判断した。

◆映像を探求し始めた当初、技術的にビデオカメラを股に挟み飛ぶようになったが、そのスタイルが次第に自分が渇望している空間へのプロセス、発見、感動の瞬間を純粋にすくい撮っている行為だと納得し、これが僕のスタイルだと信じられるようになった。スチール撮影での感激が映像でも同じく感じられた瞬間だった。こう言い切れるまでは短いようで長かった。

◆飛ぶ以前、10年に渡り極北の河をカヌーで旅し、丘を駆け上がり眺望の元に広がる大地を空間で理解していた。繰り返したこの低い目線から高い目線という行為を今、僕はモーターパラグライダーを用い一筆書きで空間を体感し記録しようと切磋琢磨している。これからのフィールドは地球全体と考える。

◆飛ぶほどに空間は広がり、飛べども飛べども追いつかない。境目なく重なり合った空間が地球の今を構成し、その一つ一つの空間はそれぞれの色と物語を内包している。全ての空間は地球というベクトルのもと同時に躍動している。自分が生きる空間のすぐ脇に、幾万重もの空間が同時に時を刻んでいるのだ。僕はその地球の今を記録したい。多胡プロジェクトを現実化し、地球の素顔を撮る。自分の全てを懸けて挑む他ない。

◆最後になるが、今回の報告を通じ再び自分の道程に大きな区切りをつけることができたと確信する。地平線会議に感謝したい。また、たった数時間ではあるが地平線の皆さまとワラワラ喋った時間がどれだけ密なるもので、どれだけ心のバネに張りが戻ったことか。これからも話し相手、飲み相手、よろしくお願いしたい。(多胡光純


地平線ポストから

地球温暖化って、ほんとう? と、考えつつ、トランス・ヨーロッパ フットレース2009 に行ってきます!!

■毎日新聞の仲畑流万能川柳欄は私が新聞を開いて真っ先に読む欄であるが、昨年1年間の投句約48万句から先月、大賞に瀧田眞砂子さんの句「危ないは地球ではなく人類だ」が選ばれた。エコ・エコの掛け声や省エネのスローガンがあふれるなか、エコも大事だが人類が滅びても地球は必ず残る、危ないのは地球より人類の方で、地球のことまで、さも気にかけているようなふりをするのは人類の傲慢ではないかという思いの表現だろう。

◆今から30年以上前の大学生時代、近い将来、地球は氷河期に入るだろうということを専門家は言っていた。私はその時は、近い将来地球は寒冷化すると信じていた。しかし、いつの間にか、世間一般は地球が温暖化の方向に進んでいると信ずるように操作されてきた。どうなっているのだろうか。その温暖化の原因は二酸化炭素によるといわれているが最近は温暖化説が俄かには信じがたいという主張も散見する。

◆実は気温変動の本当の理由はまだほとんど分かっていない。我々は環境問題をどう捉えてゆくか悩むところである。モッタイナイ運動もキャンペーンに使っている費用の方がモッタイナイ感じである。自分の目で、足で、あるいは五感全体で感じてその変化を捕えてゆく必要があるかもしれない。本当にエコや省エネの精神を理解し、実践しているかは、そこに生活する人々の行動を良く観れば分かる。たとえそれが未知の土地であっても。

◆「Scientific American」誌2007年7月号に「もし人類が消えたら地球は?」という興味深い論文が載った。人類が地球環境に与える影響を知る新しい手段として、もし全人類が突如として消え去ったとしたら世界がどう変化していくか、綿密なシナリオをもとに推察する方法である。一例として「突然の人類滅亡後のニューヨーク崩壊タイムテーブル」が描かれている。人類消滅から2日後、地下水汲み上げポンプの停止により、ニューヨークの地下鉄は完全に水没する。

◆7日後、原子炉の水冷システムが正常に作動しなくなり、火災や炉心溶融が起こる。2〜4年後、亀裂の入った道路は雑草に覆われ、やがて根を張った木々が歩道を押し上げ、すでに損傷していた下水道網を完全に破壊する。4年後、暖房が使われなくなった住宅やオフィスビルは大きな寒暖の変化で膨張収縮を繰り返した結果、ぼろぼろにくずれはじめる。300年後、ニューヨークの吊り橋が落ちる。500年後、成長した森がニューヨークの主要部を覆い尽くす。5000年後、核弾頭の格納容器が腐食し、プルトニウム239が環境に漏れ出す。途中省略して、50億年後、死期の迫った太陽が膨張して地球は蒸発する。まさに「危ないは地球ではなく人類だ」。

◆話は変わるが、「トランス・ヨーロッパ フットレース 2009」に行って来ます。4月19日、イタリアの長靴のかかと部分の都市バーリをスタートして、イタリア、オーストリア、ドイツ、スエーデン、フィンランド、ノルウエーの6か国を北上、6月21日ヨーロッパ大陸最北端のノードカップ岬を目指す64日間、総距離約4500キロの国際大会。1日の平均走行距離は約70キロで、大会中の休養日はなく、制限時間内にゴール出来なければその時点で失格となる。このような走りは一般的には、ステージラン、あるいはジャーニーランと呼ばれている。つまり、走りながら自分の足で旅をするということである。参加者は68名、うち日本からは14名(男性9名、女性5名)で、参加者の国籍は、ドイツ、フィンランド、フランス、オランダ、ノルウエー、スエーデン、スイス、トルコ、アメリカ、韓国、台湾、日本で13カ国からの参加で最多はドイツからの25名です。参加者の最年長は75歳、最年少は26歳です。

◆実は6年前の「トランス・ヨーロッパ フットレース 2003」にも私は参加している。この時は、今回と違い、リスボンをスタートし、ユーラシア大陸を東に進み、モスクワをゴールとする総距離5036キロ、日数は同じ64日間で、1日平均79キロだった。この44名の参加者のうち22名が完走した。私は、胃腸のトラブルでリタイアを余儀なくされたが、その後は自由参加でモスクワまで走った。

◆なぜこのような長期間のレースに参加したくなるのだろうか。私にも良く説明できないが、1つは、ステージラン、ジャーニーランが楽しい、走ることに専念して64日間を過ごせるという喜び。2つ目は、このような究極とも言えるステージラン、ジャーニーランは滅多に開催されないので、チャンスがあれば逃す手はないという想い。この大会も開催までの準備に約5年かかっているし、次回は開催されるのか、開催されてもいつになるかも分からない。大会参加に必要なのは、参加してみようという気持ち、勇気と、暇と少しのお金である。出発を明日に控えた今日、快く?送り出してくれる家族と、応援してくれている仲間に感謝しているところです。

◆このフットレースを通じて私は「走り」によって感じられる「風」、その「風」を受けて自分の頬が感じる暖かさや冷たさ、通り過ぎてゆく街々、農村、山々、野原、河、そこに住む人々がエコや省エネにどう関わりを持っているかを受けとめたいと思う。さて今回はどんな結果を報告できるでしょうか。 (4月7日 宇都宮・原健次 化学者)

厳冬季カナダ中央平原北部・自転車縦断2000km、2年越しで達成!

■江本さま 3日前に極北の地より一気にバンクーバーへもどってきました。ようやく一段落した感じです。2年越しで「一つの冬」を終えた気分です。とにかく『厳冬季カナダ中央平原北部・自転車縦断2000km(2008年〜09年)』は終了です。凍傷、入院、手術、再起、完治しないままの再挑戦と長かった。自身のあらゆる葛藤という意味をも含めて。まあ、見方を変えればしょせんは趣味の域を出ない一人相撲にすぎませんが。

◆でも、いまは、身体も精神も消耗してしまっています。しばらくは動きたくありません。しばらくはあまり考えたくもありません。のんびりまどろんでいたい。突然始まって突然終わる、というのがいつもの自分の行動パターンです。でも、情熱的な行動とは祭みたいなもの。跳ね上がるようにスタートして、熱中して消費して燃焼して、唐突に終わる、というのがむしろ自然なのではないかと思います。

◆終わったと同時にこれまであった「やらねば」という焦燥感からも解き放たれた感じです。犠牲にしたものが多すぎたかな、あの程度のことで気負いすぎていたのかな、とも終わったと同時に痛感しています。しばらくは静養とともに、旅の冷却期間が必要です。

◆ここ数日、温暖な気候のバンクーバーで、何もせずにうだうだ過ごしております。最高にまどろんでいます。余談ですが、北海道よりも北のバンクーバーも4月に晴れると日本の初夏なみに過ごしやすいのです。ちなみにひとたび雨が降ると、冬の冷たい雨ですが。いずれにしても、終わったと同時にまどろんでいるなんて、自分のこれまでの人生ではあまりなかったことです。いつもは終わるとともに次を考えたり、次が思い描けないと焦ったりしていましたから。

◆きっとこの充足感(脱力感?)は、足かけ2年におよんだ極寒の冬が、あらゆる葛藤が、つくりあげたような気がします。もし、この冬、「勝算のない旅」へ旅立たなかったならば、この感覚も得られなかったのではないでしょうか。以上、3日連続晴天つづきのバンクーバーにて、日光浴の合間に書きました。明日帰国です。(4月9日 田中幹也

リーダー犬、オリーブオイルが力尽きて……ユーコン・クエスト09年顛末

■ごぶさたです。今年のユーコン・クエストの報告です。残念ながら結果的に、また棄権してしまい、応援してくださった皆様にはなんとお詫びすればよいのか分かりません。原因はリーダー不足です。レース前に危惧していたことですが…。

◆スタート時点で、ちゃんとしたリーダーは、オリーブオイルという名前の犬が1匹。サブリーダーには、若いジミーとクイックワックの2匹と、年寄り(9歳)エミリーがいました。しかし、ジミーはレース前から肩が不調でレースに参加させるかどうか迷っていたくらいで、クイックワックは練習時点で足首が腫れているという状態でしたし、おまけに、エミリーは自分が疲れると止まってしまうので(年寄りになると犬も頑固になってくるものです)本番のレースでは使えないだろうしと、不安要素だらけでした。

◆実は親方のビルに、リーダー犬をもっとまわしてほしいと何度か頼んでいたのですが、ビルの方も次のレース(アイディタロッド)に出場するため、私に貸す犬は14匹が限界だというのです。私の状況を知ると「友人のジョン・ベーカーというマッシャーから借りるから」と言っていたので安心していたのですが、何も起こらずに時は過ぎて行き、仕方ない、何とかなるかな、という感じでの出走でした。

◆唯一のリーダー、オリーブオイルが2か所目のチェックポイントの直前で足を怪我してからリーダーをやりたがらなくなってしまい、タイレンという、見た目がいかにもハスキーっぽい子を新しくリーダーとして立てました。彼は状況をよく理解してくれ、リーダーとして訓練されていなかったのにもかかわらず、ごまかしながらも何とか進みました。

◆ジミーは、スクロギークリークという場所(スタートから563キロ地点)まで肩を痛めながらもよく頑張ってくれたし、クイックワックは、両足が腫れあがってスピードが速くなったり下り坂になると走れない状態で、いったんソリに乗せましたが、リーダー不足で困っているときは、何度か頑張って先頭を走ってくれました。この子はイーグルのチェックポイント(スタートから900キロ地点)でドロップしました。

◆リーダー犬の故障続出のせいでチームがたびたび止まってしまうため休憩時間を多めにし、みんなそれぞれ限界まで頑張ってくれましたが、やっぱりオリーブオイルなしでは難しく、残念な結果に終わってしまいました。あと120マイルでゴールだったのですが……。

◆それでも、今回は天候がよく、トレイルもよく整備されていて思いきりレースを楽しむことができました。正直、チームが止まって動かなくなったときは本当にむなしかったですが…。次回は、人に犬を借りるのではなく、新しく自分のケンネルを持たなくては、と痛感しました。詳しくは、東京で!(新潟にて 本多有香


写真展・わたしたちの宝もの

児童たちの素晴らしい作品があってこそ示す成果

■地平線会議のみなさん、お久しぶりです。うるま市立海の文化資料館では地平線会議のみなさんをはじめ、江本嘉伸さん、丸山純さん、外間晴美さん、武田力さんらのご協力をいただきまして3月3日(火)より4月5日(日)まで、写真展『わたしたちの宝もの〜比嘉小12名の児童が撮った浜比嘉島のいま〜』(主催:地平線会議ほか)を開催しました。その30日間の展示では、入館者数が総勢3,623名になりました。海の文化資料館の施設を借りて個展を開催する個人や団体では、過去最高の入館者数となります。

◆昨年はリーマン・ショックの影響で世界や日本の経済に大きな打撃を受けたとされています。その現象は沖縄県内の観光施設のお客さんの数も減ったことで示しているとおり、観光立県の沖縄でも影響がでています。ところがどっこい、比嘉小の児童の写真はその影響を受けない現象となっています。実は、入館者数3,623名のうち、県内が2,073名、県外が1,550名です。それは6割を超える入館者数がうるま市やそれ以外の市町村から写真展を見学にきているからです。もちろん、海の文化資料館は1階の海の駅あやはし館と併設していますので、入館者数の大多数が県外の観光客の比率が高いはずです。実際には海の駅あやはし館の利用者は約9割も県外の観光客で成り立っています。その理由から海の駅あやはし館はリーマン・ショックを受けやすい施設なのです。

◆そういったリーマン・ショックをはねかえす源は、少ない資金のなかで地平線会議のみなさんの労力と知恵とネットワーク、そして比嘉区自治会長の平識勇さんをはじめ、うるま市立比嘉小学校の下地元校長、金城先生らのご協力とご支援、12名の児童たちの素晴らしい作品があってこそ示す成果であったと思われます。その陰の立役者の丸山純さんには本当に感謝しなければなりません。

◆最後に一言。今でも海の文化資料館には「写真展はどこでしていますか!?」とか「写真集はないんですか!?」と訪ねてくる参観者がいます。愚生は『写真展 地平線発』のような写真集がこの南の島で生まれないかと想いを馳せているところです。(うるま市立海の文化資料館 学芸員 前田一舟

新学期がスタートし、校長先生も替わり、また、新たな気分で学校が始まりました

■こんにちは 金城です。昨日、武田さんはじめ、メンバーの方々が、とても丁寧に梱包し、学校まで写真を届けてくれました。本当に感謝です。次の場でも使いやすいように、キズなどが付きにくいように、箱の天地までしっかりと明示し、きれいに梱包してもらいました。あそこまで準備して頂けると、今後自分達で準備する時も、片づけがしやすくなります。

◆昨日の夜、写真展終了打ち上げを行ったようで、私も誘われましたが、残念ながら参加できませんでした。次回、江本さん、丸山さんが浜比嘉へいらした際に、改めて打ち上げパーティーをしたいと楽しみにしています。

◆最終日の4月5日には、もう一度写真展を見てきました。新学期の準備が間に合わず、日曜出勤でした。午前中は、地域のあやはしマラソン大会というのがあって、家族で出場してきました。県内から大勢の方が参加し、海中道路を走るのです。ついでに、多くの方が見てくれるかな〜とも思ったのですが、私が見た時は私一人でした。おそらく最後の一人だったかも……。

◆今日でとうとう終わってしまうかと思うと、写真を見ながら、これまでの取り組みと、子ども達の思い出を(特に卒業生)改めて思い返され感慨深いものでした。本当に感謝でした……。

◆ノートに書かれている方のメッセージを読んでみても、本当にやってよかったな〜とあらためて思いました。本当に、本当に丸山さんはじめ地平線会議の方々には、感謝してもし足りないくらい感謝しています。今日から新学期がスタートし、校長先生も替わり、また、新たな気分で学校が始まりました。今後ともどうぞよろしくお願いします。(4月7日 金城睦男 比嘉小学校教諭)

心憎かった講評

■最終日に行ってきました。10月のデジカメ教室が見事に再現されていて、見ごたえある写真たち、じっくりゆっくり拝見しました。丸山さんの講評がまた心憎かったです。撮影時刻がわかるのはさすがデジカメですね。あしびな〜の準備で大人がバタバタしていたときに、彼らはこんな写真を撮っていたんだなあと思うと不思議な気分でした。

◆翌日は撤収の手伝いを。ただはずすだけと思っていましたが、丁寧に留められているのを外したり、外した写真を見やすい形にまとめたり、意外にやることがありました。久島さんのクリップシーラーや武田さんのホットボンド(糊ピストル?!)という小道具も大活躍で、段ボール箱6個におさまっちゃいました。小学生を含めて延べ12名約4時間(含休憩)。しかし……設営はこの何十倍も大変だった筈。素敵な写真展をありがとうございました。見ることができてよかったです。(掛須美奈子

【もうひとつの宝もの−感想ノートから見える写真展の世界】

 写真展「宝もの」の会場に置かれた「感想ノート」、地平線通信先月号でその一部をお伝えしたが、その後の書き込みを海の文化資料館のご好意で日付順に紹介する。写真展には行けなかった人も、現場の雰囲気がある程度わかるのではないか、と思う。判読不明の部分は意訳させてもらった(間違いあったらすみません!)。打ち込んでくれた武田君、ご苦労様でした。(E)

《3/17》
◆愛知教育大学から学生26名つれて参りました。すばらしい写真展に感激しました。仲松先生の展示も興味深かったですが、この“宝もの”の展示も写真に子どもたちの思いが投影され、環境イメージの一端が無理なく表れています。こうした取り組みが沖縄の子どもが自文化を見つめ直すきっかけにつながるものと信じます。[愛知教育大学 教授 寺元潔]

★注:沖縄・地理学の父といわれる仲松彌秀の生誕100を記念してうるま市立海の文化資料館では企画展が開かれていた。
◆愛知教育大学3年の山本です。私の実家は鳥取なのですが、子どもたちの“宝もの”をみていると、自然と私のふるさとの景観が頭に浮かびました。すごいユニークな写真ばかりあり、どれだけ元気で活発な子どもたちで、どれだけ面白い先生かといったことも感じ取ることができました。感じとりました。ありがとうございます。
◆教育大の田中です。みなさんの写真見させていただきました。本当に‘光るモノ’を感じます。あなた方の宝である、自然や友達や様々なモノを、これからも大切にしてください。我々の沖縄巡りだけでは感じられない、感じられない……。これからも、この宝を大切に!!
◆遠く愛知県から参りました。全ての写真を一枚一枚大切に見させてもらいました。写真からは、子供たちの島に対する想いを感じとることができ、いい写真を撮ろうと島を駆け巡る子供たちの顔まで浮かびあがってきます。これらの写真は自分の足で歩いただけでは知ることができない、この島で育った子供たちだからこそ知っている真の沖縄の姿なのかなと思います。このような写真を撮ることのできる感性、また、地元を愛する心を持った子供たちの未来に期待しています。
◆愛知教育大学の青能です。どの写真もすばらしくてびっくりしました。感動しました。こんな面白いことをやれるような教師になりたいです。
◆愛知教育大学から来ました、石垣です。「すごーい。」という言葉しかでませんでした。どの写真も、最高ですね。ここに来て、もっと沖縄のことが知りたくなりました。私も、ここで見れた子どもたちの表情がつくれるような教師を目指します。ありがとうございました。
◆愛教大の高井です。どれもすごい生き生きとした写真ばかりで見ていてとても楽しかったです!! 小学生でも、こんなにすばらしい写真がとれるなんてびっくりです。ほんとにすばらしかったです!!
◆愛教大の杉山です。どの写真も、自分の好きなものが、いきいきと撮れていてすばらしいと思いました。こんなに美しい自然の写真が撮れるのはここだからだと思います。これからも美しい自然を大切にしていきたいと思いました。

《3/18》
◆浜比嘉出身者です。いつも見ている風景ですが、写真でみると、美しさを改めて実感しました。子供達の感性のすばらしさも感じました。いつまでも浜比嘉の美しさ、とり続けて下さいね![R.K]
◆とても素敵な発表です。すごい!!

《3/19》
◆僕もみんなと一緒の小学生です。いろんな景色を写真に残しました。毎日こんな景色が見られていいですね[ヨシキ]

《3/20》
◆久しぶりに、心が洗われるようなものに出会えた気がします。こんな写真は、プロのカメラマンでもとれないと思います。本当におどろきました。こんな美しい島にうまれた子どもたち、とてもうらやましく思います。また見に来ます。
◆なんだか、心がすーときました。6年生は中学校でもがんばってください。ゆうまくんはいっしょうけんめいカメラでとっていました。おきなわね、ほんとにたのしいです。
◆園児だった仲村颯君の成長した姿を見る事ができ嬉しく思いました。また濱崎たいよう君もモデルとして展示されていて…いい写真が多かったです。ありがとうございました。関係の努力に感謝です。濱崎歌南さんの写真も自然をモチーフにした物が多く大人顔負けですね。[東門]
◆すばらしかったですよ。将来の写真家が輩出される予感がしました。

《3/21》
◆地域の活動が手に取るようにわかる写真展ですね。すばらしいの一言です。もっとたくさんの人に紹介します。[H.S.]
◆すばらしい。今後に生かせるように――。
◆とても上手に撮れていて感動しました。
◆個性豊かで島を大切にしてる姿を感じました。素晴らしい。
◆つい先ほど、浜比嘉島へ行ってきたところ(海そうを拾いに…)。静かでいい所でした! ビーチもきれい。イカの甲や、さんごを拾いました。もちろん海そうも! 娘と海そうの研究をしてるので。また来ます。この写真のみなさんと会えるといいナ〜[那覇市 星野千晶]
◆写真を見てとてもおもしろかったです。すばらしいですネ[みずき]

《3/22》
◆景色の美しさだけでなく、子供達の心の美しさも伝わってくる素晴らしい写真展でした。[隆介]
◆金城ふじ代(43)
   はつほ(小3)9さい
   かなん(幼)6さい
   こうへい(3さい)
ぜひいってみなくちゃ、島へ。と思いました。
いろいろなものがあってかんどうしました。ぜひしまへいってみたいです。
◆すごくきもちよかったです。ワクワクしてあそびたくなるきぶんでした。[赤道小学校 2の4 花城みなみ](少女のマンガとともに)
◆感動!の一言です。忙しい日々に少しつかれていた私には本当に涙が出てしまうほどの感動でした。心が癒されました。ありがとうございました。[うるま市民です]
◆40分くらいじっくり見ました。一人ひとりの写真がすばらしいです。昆虫、海、友達、風景、島の中で生活していることに、誇りと愛しているんだという思いを感じました。私も写真を撮っていますが、構図やセンスにうなる写真も多く勉強になりました。これからもどんどん写真を撮ってください。将来の大写真家が誕生するかもしれません。楽しみです。[うるま市民 44歳 男]
◆かんどうした。[りゅうせい]
◆漢字が、読めなかった![まさと]
◆すてきな浜比嘉の子どもたち…。ありがとう!![水を考える女性会議 沖九支部 坂井真理]
◆本当に感動しました。自分たちでは撮れないような写真ばっかりで、どれを見ても、すごく引きつけられました。[沙矢]
◆1回来ただけでは気持ちが収まらず、2回見にきましたが、どの写真を見ても胸がいっぱいになり、涙があふれてきます。プロのカメラマンでも撮れないほどのすばらしい写真ばかりです。今回の写真展を見て、浜比嘉島にとても行きたくなりました。今度必ず行きます。これからもずっとずっと、ステキな写真をとりつづけて下さい。感動をありがとう。[ゆい]

《3/27》
◆わが福岡の都会じみた小学生、中学生に見せてあげたい。感動でいっぱいでした。特に真昼の決闘……良かった[坂井麗子]
◆すぐそこのうるま市(具志川)からきました。子どもたちのはかりしれない才能に脱帽!! です。比嘉小学校のみなさんまた楽しい企画楽しみにしています。高校1年のお姉ちゃんは感動していました。小学1年の弟にはなんかピンとくるものがあることを祈る。[40代のかぁーちゃんより]
◆全ての写真に励まされました。写真を手に持つことで‘ほそながい木’に心を留めるようになるんですね。僕も一瞬一瞬を大切にがんばっていこうと思いました。[鈴木悠太]

《3/28》
◆高知県から来ました。皆さんのステキな写真をみせてもらいました。素朴な写真、あたたかさの伝わる力のある写真に感動しました。沖縄はステキな所ですネ。又来たいです。[おじま]
◆熊本県からきました。子供たちの素直な視線におどろきました。島の魅力もたくさん伝わって来ます。[井上]
◆自分と同じくらいの子どもたちが、ぼくよりじょうずにとっていたのですごいです。[井上]
◆いつも見慣れている自分の島の風景だったのに、離れて暮らしているとこの写真で忘れかけていく自分の生まれた島への愛着が改めてこみあげてきます。子供たち、ありがとう。
◆今日は「われーふくい市」でしたが天気が悪く何をしようかと思っていましたが、写真展を見にいこうと思い見にきました。子供達がとったとはおもえない程すてきな写真ですね。とても感動しました。

《3/29》
◆神奈川から来ました。沖縄は自然がすごい!!

《3/31》
◆横浜からゆがふの郷滞在のためやって来ました。オーナーのススメで来てみましたが、子どもたちの写真とは思えない程良い構図で、とても勉強になりました。[大原宏行]
◆子供たちの思いをたくさんかじました。

《4/1》
◆みなさんの目を通して、浜比嘉島で生活した気分になれましたよ。とてもいい気持ちになりました。
◆愛知県から来ました。偶然立ち寄った海の駅で、こんな素晴らしい写真展が見られてとても良かったです。子供達の個性の良さが引き出されていて、島の良さも表されていて、教育の原点を感じました。一度訪れたいと思わせられる島ですね。「加藤」
◆南城市から来ました。孫達と見ましたが、みないい写真でびっくりし、感動しています。2度程、浜比嘉のホテルに来た事がありますが、島の中にこんなにいっぱい良い所があるとは…。あらためて、子供達の感性と素直さに、心洗われる思いがしました。ありがとう。[MY・MS・YT(3人)]
◆神奈川からきましたとてもかんどーうした。[3年3組 MATSUDA]

《4/2》
◆愛知県のトヨタ市からきました。とてもよかったです。
◆浜のミニデイで(8人)子供たちの写真展を見にきました。とてもいい写真です。うれしく思います。
◆とても楽しい写真展でした。いつも遊びに行く浜比嘉が新しく見えました。小学生なのに写真の腕は一流ですね。また開催してほしいです。ディスプレイもDVDでスライドを流すのも先生のコメントもすべて素晴らしい!!!
◆浜比嘉島の子供たちの才能がすごいです。小さな島にもこんな子供たちの出来事があると感動しました。
◆今日は浜比嘉区民年寄さんのミニデーサービスをこちらで行い、子供達の写真を見て頂きました。皆さん大変感動していました。皆様の感想文が子供達に大変励ましになると思います。小さな学校ですが、感性豊かな子供が育っていくと思います。今後も浜比嘉島をよろしくお願いします。[比嘉区 区長 平識]
◆5、6年生のお兄ちゃん、お姉さんをすごいと思った。流星お兄ちゃんも写っててうれしかった。[比嘉幼稚園 しゅうと れいが]
◆どきどきしまたけれど、うれしかったよ[せいやくん]
◆かんどう[ゆずき]
◆5・6年生の写真はすごいと思います。お兄ちゃんお姉ちゃんはっきりちゃんとうつっていましたよ。かんどうしました。[りかな]
◆とてもすばらしい写真展でした。写真の中から声が聞こえてきそうな感動の写真もありました。5、6年のカメラまんさん、とてもステキなスナップでした。島の一つ一つの「宝」がでてるようでした。また、見に来ます。

《4/3》
◆すばらしい写真でした。特にスライドショーを見て一つ一つの動き、表情、動きにおもわずわらってしまう、たのしいすばらしい写真でした。[うるま市]
◆きれいな写真がいっぱいありました[S.I]
◆かわいい写真もありました[M.K]
◆写真一枚一枚のアングルがきれいで、沖縄を感じさせるのや、島、人に対する愛情が感じるものなど、すごいと思いました。[Akiko]
◆しゃしんがすごくきれいでちゃんととれていたのでびっくりしました。いろんな生きものをうつしてじょうずでした。いろんなけしきやにわとりとかうつしてとってもじょうずでした。ひがしょうの宝ものをみせてくれてありがとうね。いろんなしゃしんをとってすごいと思いました。いろいろなしゃしんをみせてくれてありがとう。またつぎをみせてね。[2年 みなこ]
◆とてもきれいな写真ばかりで、すがすがしい気持ちになれました。私が子供になったら(に戻ったら)、こんな小学校に通いたいと思いました。
◆とっーてーもきれいでした。

《4/4》
◆同じうるま市にすんでますが、浜比嘉島は特別な気がします。いつまでもこの風景大事にしてほしいですね。

《4/5》
◆Andrea was here(笑顔マーク) HAHA
◆時間つぶしにたまたま立ち寄りました。素晴らしい写真を見れて感動しました……。最終日なんですね…。残念。またこういう企画ぜひ…!!!!
◆写真に興味があるので寄りました。特に子供の写真というのは意外性があっておもしろいですね。それぞれに目のつけどころがちがって、個性あふれる写真でした。とても良い企画だと思います。浜比嘉島のくらし、風景、人々があってのこの写真なんですね。名護から来たのですが、ぜひ名護でもこのような企画があればと思いました。
◆ゆっくり拝見しました。写真もいいし、コメントもいい(コメントがあるので1枚1枚じっくり見ちゃいました)。皆、生き生きしてて、浜比嘉島はやっぱりいいところですね。ありがとうございました!![み]
◆たのしい写真でした。たのしい写真展でした。皆さんの生み出したパワーに感動してます[ま]
◆比嘉小の子供たちの能力はすごい!! はかりしれない才能をもっている。それをはぐくんだ浜比嘉の豊かな自然と子供たちをあたたかくみまもる浜比嘉の人たちもすごい! ほんとにすごい。だから。ね。地平線会議のみんな、本当におつかれさま。みんなの手弁当でのボランティア精神には脱帽です。とくに丸山さん、たけださん、くしまさん。そして前田さん、ありがとうございました。[はるみ]
◆あやはし館の2階に上がる時の写真を見た時、プロの写真の展示かと思った。ほんとうに子供の目で見て撮った写真、すばらしかった。写真展ガンバッた関係者のみなさんほんとにごくろうさんでした。[のぼる]
◆滑り込みセーフで間に合いました。素晴らしいとのウワサは聞いていましたが、想像以上の出来に圧倒されました。子供達には、この感性をいつまでも失わずにいて欲しいと思います。[Q]

写真展に参加して
━━12人の写真家たちから━━

■ぼくは、写真展に参加して、写真がある部屋に入ったときにすごいと思いました。なぜならぼくがとった写真がどーんと大きくのっていたからです。また、みんなの写真もうまかったのですごいなあと思いました。また、丸山さんに、ぼくの写真のいいところをいってくれたときは、とてもうれしかったです。ぼくは、写真展をひらいて本当によかったなあと思いました。また、しんせきや家族に写真を見せたいなあと思いました。それと、これからもいっぱい写真をとりたいなあと思いました。地へい線会議のみなさん本当にありがとうございました。(5年 仲村颯

■ぼくは、写真展を見てすごいなーとおもいました。なぜならキレイだったからです。みんなの写真もすごい写真があったけどいちばんすごいのははやてとゆうだいとゆうたとゆうまくんがたたかいをしていたところです。そしてこういちくんは、みんなより多くとっていたのですごいなーとおもいました。またこんどやるときは、ぼくもみんなより多くとりたいなーとおもいました。そして写真展にもいったのでたのしかったです。またかぞくといきたいです。(5年 玉城圭輔

■つばさとれいながオープニングセレモニーでテープカットしてあやはしかんにある写真展にはいりました。ぼくは、はやてとゆうまとゆうだいとゆうたとのかくとうがおもしろかったです。ぼくは、写真を500まいいじょうもとりました。パーランクーがおわったあとりゅうとくんの写真をとりました。その写真がいちばんのおきにいりです。ぼくたちの写真てんをたくさんの人たちに見てもらいたいです。(6年 仲嶺和真

■僕は、写真展に参加して自分がとった写真がかざられていたのでうれしかったです。僕は、小さい写真で見るよりも写真展にかざられている大きい写真のほうが、きれいだと思いました。僕がうつしたくもやピンクの花をほめてもらったのでうれしかったです。丸山さんありがとうございました。地平線かいぎのみなさんもありがとうございました。(5年 山根仰慈

■ぼくは、写真展に参加して、ぼくが最初写真展の中に入って見てみたとき、すごいなぁと思いました。なぜかというと、みんなの写真が大きくなっていてすごくうまかったからです。それに、ぼくと勇磨君と優太君と颯君がとったスライドショーの「真昼の決闘」もあったのですごくおもしろかったです。そして、自分の写真を見て、本当に自分がとった写真なのかなぁと思いました。とてもピントがあってちゃんととれていたのでよかったです。丸山さんが「本当にこの写真は大人じゃとれない写真だよ」と言ってくれたのでとてもうれしかったです。後、ぼくの写真とみんなの写真を見比べて見て、みんなぼくのとちがって全然うまいなぁと思いました。丸山さん、江本さん、写真展を開いてくれてありがろうございました。(安里雄大

■3月3日に、オープニングセレモニーに参加して、自分の写真を見て、これが自分のとった写真だと思えませんでした。これで、浜比嘉島に、じしんがつけたと思います。私は、丸山さんのこうひょうを見て、「女の子は、お花などはでな物をとるかと思ったけど海などをとっていたので大人っぽい」といっていたのでとてもうれしかったです。写真展をひらいてくださりありがとうございました。(5年 浜崎歌南

■私は、オープニングセレモニーに参加して、自分のとった写真が大きくうつっていて、人のしもんなどこまかいところまでうつっていたのでうれしかったです。それと、自分がとった写真を、かんこうきゃくの人や、家族の人に見てもらえるのでとってもうれしかったです。写真展を開いてくれた丸山さん、えもとさん、まえださん、ちへいせんかいぎのみなさんこんなにすばらしい写真展を開いてくれてありがとうございます。私は自分のとった写真にじしんがつきました。ほんとうにありがとうございました。(5年 山城朱羅

■僕は、写真展に参加して、うれしかったです。なぜなら自分でとった写真が大きくはられていたからです。とくに自分が一番いいとおもった写真が一番大きかったのでうれしかったです。僕のいいところも書かれていたのでうれしかったです。地平線会議のみなさまに、とても感謝しています。ありがとうございます。(5年 新里勇磨

■ぼくは、写真展のオープニングセレモニーに参加して、まくあけの三線をしました。きんちょうしたけれど、最後まで演奏できたので良かったです。また、自分のうつした写真を見て、大きくなっていたので、びっくりしたし、うれしかったです。また、うつした写真の講評もされていたので、うれしかったです。それから、写真展を開いてくれた地平線会議のみなさん、ありがとうございました。(6年 前兼久郁

■写真展のオープニングセレモニーに参加して、自分がとった写真やみんながとった写真を見て、僕は、きれいにかざられていたのですごいと思ったし、うれしかったです。あと、丸山さんにいいところをほめられたのも、とてもうれしかったです。真昼の決闘は、何回見てもおもしろかったです。地平線会議のみなさん、写真展を開いてくれて、ありがとうございました。(5年 鶴見孝一

■僕は、写真展に参加して、とてもすごいと思いました。その理由は、僕は、自分のを見てはくりょくがでたと思ったし、それと、写真のサイズも大きくしてくれてうれしかったです。あと説明もあったし、僕たちがつくった足あともはってくれてうれしかったです。本当にいろいろなことを僕たちのために、丸山さんありがとうございました。また見に行きたいです。次、行く時は親をつれていきたいです。(6年 新里翼

■オープニングセレモニーで、テープカットをしてお客さんが中に入って、写真を見て、「みんなうまくとれてるね」といっていたので、うれしかったです。また、幕開けで、「かぎやで風」をひいて、少しまちがったけど、人前でひけたので、よかったです。自分が写した写真を見て、小さい写真より大きくした写真の方が迫力があってすごかったです。写真展を開いてくれた、丸山さん、江本さん、写真展をひらいてくれて、ありがとうございました。(6年 古喜屋礼奈

ちょっと嫉妬を覚えるくらいよかったです

■「地平線あしびなー」を陰で支えてくれた浜比嘉島のネーネーたちが週末市を開くことになりました。ついては華々しくオープニングイベントをやるので来てください。久々に歌うぞ!」という趣旨のメールが晴美ちゃんから届き、浜比嘉に行って来ました。2年半ぶりです(顛末は江本さんに報告しました)。

◆もう一つの目的だった写真展ですが、これはもうほんとうに感動しました。12人の小学生の作品そのものが素晴らしいのは言うまでもないのですが、何よりも子どもたちが写真を撮るのが楽しくてうれしくてたまらなかったことが伝わってくる、そのことが胸を打つのです。丸山さんは、子どもたちが撮影した場所を島の地図の上にしるして説明し、写真についても一枚一枚丁寧に講評されていました。それが写真と一緒にパネル展示してあるのですが、本当に褒め上手というか(ちがうか?)私が子どもだったらうれしくて躍り上がってしまうほど、愛情のこもった言葉がつづられていました。

◆子どもたちの力を引き出して伸ばしていくのは、こういう大人の存在なのかも……とつくづく感じました。それはもうちょっと嫉妬を覚えるくらいよかったです。丸山さん、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。(長野淳子

顔を上げると、その都度、あたりの光景が変わっているのです
━━写真展撤収経緯

■久米島、兼城港近くのレトロな洋菓子店のテーブルで、パソコンを叩いています。というのも、昨日、レンタサイクルで島内を一周中に江本さんから連絡が‥。『電網恢々疎にして漏らさず』ですね、まったく。

◆今回の撤収に向けては、あれこれ思案がありました。できれば、全ての展示物を回収したい。当初、私はそう考えたのですが、丸山さんの指示は、「無理しなくてよい。撮影者別に5枚ずつ壁に固定した計60枚の作品は残したいが、その他の台紙に貼った分はだめでもOK」でした。「展示の準備段階でキズや汚れの付いたものがあるし、両面テープを使ったものは剥がすのが大変。それに、キヤノンに依頼した大判プリント作品以外は自宅で簡単にプリントできる」というのです。私は驚きました。IT機器の進化により、引き伸ばした写真が高価で大切に保管された時代は終わっていたのです。

◆丸山さんとの遣り取りで、グッと気持ちはラクになりました。それでも、なるべく多くを回収したいし、展示物は撮影者ごとに一括したい。次の展示が実現するにせよ、保管期間が切れて子供たちに引き取られるにせよ、その方が管理も容易な筈です。現地へ作品を発送した際、ドタバタで、撮影者やサイズをごっちゃに梱包した反省もありました。よし、最初のプラン通りで行こう。そう決意し、近所のホームセンターに出かけ、丸山さんのデータ──作品、自筆のネームプレート、撮影ポイントマップ、本人の感想、講評など各種パネルのサイズと枚数──を参考に、大小のポリ袋を多量に購入。持ち帰って、それらを重ねて一辺をクリップシーラーで綴じ、大きなアルバムを各種試作してみました。「石油化学製品から出るガスが写真を劣化させる」という彼の一番の懸念は、袋の底辺と側面に大きなスリットを開けることで対処。とりあえず、生徒12名分と、大判サイズ用のアルバムを用意して出発しました。

◆当日の会場には期待以上の人数が集まり、撤収は黙々と、かつ順調に進みました。私も自分の作業に没頭してしまいましたが、顔を上げると、その都度、あたりの光景が変わっているのです。武田さんは、前田さんや金城先生と子供たち、新任の伊敷校長先生、そして平識区長との挨拶や打ち合わせにも、手馴れた様子で当ってくれました。多分、現地入りして以降、現場の作業しか眼中にない私に気付いたのでしょう。さすが勤め人の気配り・目配りです。

◆降ろした展示物は、ほぼ全て回収されました。それらを箱詰めしてみると、一旦開き、作品のサイズに合わせて作り直したボックスも含め、平識区長に集めて戴いたダンボール箱の量が、計算したようにピッタリだったのです。

◆予定より遥かに早く片付き、壁だけになった会場を眺めていると、『どこでもドア』みたいに島のあちこちに通じていた100を越す小窓が、全て閉じられてしまったような錯覚に陥りました。聞くところでは、次の展示の希望も寄せられているとか。窓は、またどこかで開くことでしょう。[4月11日/久島弘@久米島]

3人の新6年生、新校長先生も駆けつけてくれた「宝もの」撤収作業

■撤収当日の朝、海の文化資料館には平識勇比嘉区長がすでに来ていた。東京組の久島弘さんと私、北海道から駆けつけてくれた掛須美奈子さん、掛須さんの妹夫妻で奈良県から来た小長谷由之さん、雅子さんと外間晴美さんで、今日の段取りを確認しているところに金城睦男先生と新6年生の仲村颯君、山根仰慈君、新里勇磨君の3人が来てくれた。

◆資料館の前田一舟さんと原口愛子さんも加わり、撤収が始まった。数の力はさすがで、壁にピンで止めていた写真パネルを外すのにわずか30分しかかからなかった。苦労して設置したパネルがあっという間に外されていくのを見て、晴美ちゃんも私もちょっと複雑な思いではあったが……。

◆外したパネルを久島さん特製のビニール袋に入れたり、その袋を作ったり、パネルの裏に撮影者名を書いたシールを貼ったりと、3人の6年生も大活躍だった。階段に展示していた写真は前田さんが中心になり片付けてくれたが、ここでも6年生たちが活躍してくれた。ラシャ紙に貼ってあったテーマ別写真は原口さんと小長谷夫妻が一枚一枚きれいに剥がし、剥がせないものは裏のラシャ紙ごと切り取ってくれたため、処分するつもりだったものまで全ての写真を回収することができた。

◆新年度から赴任された伊敷ひろみ校長も様子を見に来てくださった。笑顔が素敵なやさしそうな先生で、前任の下地先生からの申し送りもあり、比嘉小を保管場所とすることを快く受け入れていただいた。

◆今回浜比嘉島に滞在している間に、山羊のエサやりに行く外間昇さんに裏山へ連れて行ってもらった。ところどころで木々の合間からきれいな海が見えるが、子どもたちが写真に撮ったようないい場所は見つからない。やはり、島を知り尽くしている子どもたちにはかなわない。最初は吠えられた琉球犬のゴンとも、いちど散歩に連れて行ってからは仲良くなれた。ゴンを連れて写真に写っていた場所を訪れたが、なにげなく見逃してしまう風景をしっかりとらえた子供たちの感性には驚かされるばかりだった。

◆この写真展はちへいせん・あしびなーの成果のひとつだと思う。写真展は終わったが、多くのものが残った。その中でも浜比嘉島の「宝もの」を、内地の人にも沖縄の人にもそして浜比嘉の人にも、写真展を見てくれた人みんなに伝えられたことがいちばんの成果だったのではないだろうか。(武田力

この花は私に、「大人が子供に対してどれほどのことをしてやれるのか、情熱だけではなく膨大な作業をこなす覚悟を持っているのか」と、静かに問いかけている。

■去年の秋から地平線では浜比嘉、浜比嘉と大騒ぎで、浜比嘉に行っていないと仲間はずれにされそうなほどだ。で、勢いにのせられて、とうとう渡辺家まで出かけてしまいました、浜比嘉に。

◆今月から中学生になる末っ子・圭太と私と京子かあちゃんの3人旅。私と圭太は10日間を沖縄ですごすのだが、かあちゃんは夜勤明けで一睡もしないまま羽田を飛び立ち、3日後にはもう帰らなくてはならないハードさ。仕事とふたりの子供が待っているのだ。女がしっかりもので、男がふらふらしている、というあたり、我が家も沖縄的である。

◆沖縄は4度目だが、かれこれ30年ぶりなので初心者同然だ。これほどまでに基地だらけのところだったのか、と驚きあきれつつ、きょろきょろしながらレンタカーを走らせる。恩納のホテルに泊まり、翌々日、まずは日帰りで浜比嘉へ行く。途中のバスターミナルで、週末市オープニング祭の手伝いに来た長野淳子ちゃんを乗せ、海中道路を渡る。外間夫妻が港の屋台「くーみーのパーラー」で出迎えてくれた。

◆長野夫妻と渡辺夫妻は白根全氏が関わった子供野外体験塾みたいな企画の子守役として、ひと夏を北海道ですごしたことがある。20数年前のことだ。私と晴美ちゃんとは「地平線トラベルセンター」という会社で何年かいっしょに働いていた。それもまた10数年前のこと。東京にいるときにはめったに会えなかったふたりと、ヤギ牧場や海岸を散歩しながらとりとめない話をしていると、10年単位の時が幾重にも通り過ぎていったのがうそのようだ。

◆ホテルへの帰り道、写真展「わたしたちの宝もの」を見る。ああ面白い写真だな、あっゴンが写ってる、これきれいだな、なんて、はじめはただぼんやり眺めていただけだった。だけど、ひとりひとりの子供の個性を、そして1枚1枚の写真を、的確に、暖かく、生かすように語りかけるキャプションを読みつづけるうち、この写真展の背後にあるただごとではない「熱」に圧倒された。

◆野辺の花のように素朴でさりげないこの写真展は、膨大な雑務と渉外と作業が積みあがった地層の上に咲いている。丸山純という異能の力が咲かせた花だ。この花は私に、「大人が子供に対してどれほどのことをしてやれるのか、情熱だけではなく膨大な作業をこなす覚悟を持っているのか」と、静かに問いかけている。

◆「近ごろの子供は……」とあれこれ批判されるが、保育園への送り迎えを14年間つづけた私に言わせれば、子供はそんなに変わっちゃいない。変わったのは大人のほうだ。大人たちが作った環境のほうだ。子供は川崎臨海工業地帯でも、小金井市でも、新宿歌舞伎町(京子の子供時代の遊び場だった)でも元気に飛び跳ねている。どこでだって花を咲かすことはできる。だから私はあえて言う。浜比嘉の子どもたちよ。君たちの住んでいる島は美しい。君たちの感性もみずみずしく素敵だ。でも丸山純という素敵なおじさんと出会えたのが、なにより君たちの幸運なのだ。さらに、丸山おじさんを「その気」にさせたことこそが君たちの力なのだ。

◆翌日、かあちゃんを那覇空港に送ったあと、圭太とふたりで浜比嘉に戻った。夜はカヤック置き場に張らせてもらったテントで寝、朝食や夕食の時間になると外間家に出没する。ゴンやぽにょを散歩させ、祭をちょこちょこ手伝う。圭太は外間家の納屋で見つけた釣竿を手に、雨の中、ひとりで堤防に出かけたり、マキを割ったり、ヤギの放牧について行ったり、馬に乗せてもらったり、の1週間。

◆ある夜、昇さんや晴美ちゃんが「圭太、おおきくなったらどっか旅にでるのか」「うん」「どこ行きたいの」。圭太はちょっと照れて、ぼそっと「ここ」。昇さん、晴美ちゃん、お世話になりました。そしてこれからもしばしばお世話になりそうです。(渡辺久樹)

この写真展は何よりも子どもたちへの宝ものとして心に残るだろう

■3月下旬、浜比嘉島の写真展を見に行った。仕事をかねて行ったので、在沖時間にあまり余裕がなかったのだが、とりあえずカーナビに浜比嘉島を登録してレンタカーを走らせた。会場は海中道路の真ん中にある、という予備知識だけしかなかったが、それらしき施設はすぐに分かった。手づくりの看板に導かれて会場に足を踏み入れると、少し語弊があるかも知れないが、これは見事な丸山純さんの作品だと思った。通信などの情報から大勢の助っ人がいることは知っているが、写真展の制作を多少手がけたことのある経験から言うと、いちばん大変な仕事と、結果に出るのは写真の選択と構成だ。それぞれの子どもたちのパネルが個性を生かした構図になっている。しかも、写真専門誌でもここまでは、という親切丁寧なコメント付きである。この写真展は何よりも子どもたちへの宝ものとして心に残るだろう。壁面の状態や照明の不足などをうんぬんするより、会場の場所が素晴らしかった。短い時間だったが、とにかく橋を渡って浜比嘉島へタッチし、そのままUターンして空港へ向かった。(グレートジャーニー雑用係・野地耕治)

この奇跡の写真展を実現するのに力を貸してくださった多くの方々に、心から御礼を

■昨年の10月24日の夜、「ちへいせん・あしびなー」を翌日に控えてみんなが準備に忙しく駆けずり回っているなか、私は少しばかり苦い思いに浸っていた。その日の午後に比嘉小学校で実施したデジカメ教室が、思うようにいかなかったからである。

◆3時から開始という段取りで2時少し前に到着したのに、もう子どもたちがスタンバイしていて、プロジェクターのセッティングもそこそこに、2時からデジカメ教室をスタートせざるをえなかった。心の準備ができないままあわててしゃべり始めたため、あれもうまく説明できなかった、これも話し忘れたというボロばかり。3泊4日で預ける大事なカメラの取り扱いについても、担任の金城睦男先生が最後に噛んで含めるように話してくれなかったら、ちゃんと徹底できなかっただろう。

◆さらに、浜比嘉の子どもたちが予想以上にシャイだったのも、なんとももどかしかった。いつもなら必ず物怖じせずにちょっかいを出してくるおませな子やひょうきん者がいて、後半にはぐっと打ち解けてくるのだが、しーんとしている。練習のためのシャッターもなかなか押してくれない。本当に私の意図が伝わったんだろうかと不安だった。

◆ところが3日後の27日の昼、カメラとプリンターをつないでプリント実習を始めたとたん、そんな不安はたちどころに吹き飛んでしまった。プリンターから次々と吐き出されてくる見事な写真の数々に、同席していた大人たちはみんな圧倒されている。まるでプロの写真家が撮ったような切れ味鋭いアングル、いかにも沖縄らしい美しい色彩、子どもならではの柔軟な感性……。それをはしゃぎながら得意気に下地邦敏校長や金城先生に見せる子どもたちの姿を見ていると、してやったりという気持ちが湧いてくるとともに、これだけ高いレベルの作品が集まったのなら、このまま関係者が見ているだけに留めておいてはいけないという思いが強くなった。

◆それは、私だけではない。12人の子どもたちの撮った作品の力そのものが、次から次へと大人たちの心を突き動かし、この3月の写真展実現へと結び付いたのだと思う。

◆先日の地平線通信で「日本国内だけでなく世界各地でも、この手法が生かせるのではないだろうか」と私は書いたが、こうして3600人もの来場者を集めて写真展が無事終了してみると、やっぱりこれと同じものを他でやるのは不可能だろうという気がしてきている。下地校長と金城先生をはじめとする教職員のみなさんがこの時期に比嘉小に赴任していらっしゃらなかったら、そしてキヤノンマーケティングジャパンの三木和彦さんが快く機材を貸し出してくださらなかったら、そもそも10月のデジカメ教室は成立していなかったはずだし、平識勇さんが比嘉区長をつとめられている時期だからこそ、さまざまな便宜もはかっていただけた。

◆さらに前田一舟さんに会場の提供を快諾いただけなかったら、公民館や学校の廊下などで何点か展示するだけのささやかな写真展になったに違いないし、キヤノンマーケティングジャパンの孫田貴行さん、荘子義宣さん、三浦大祐さんが作品の大判プリントや用紙・インクの提供に尽力してくださらなければ、ここまで大胆に展示を構成することは無理だっただろう。

◆もちろん地平線の仲間たち、撤収・設営で献身的にがんばってくれた外間晴美さん、武田力君、久島弘さんらをはじめ、デジカメ教室当日の手伝いから作品のパネル貼り、途中の経過報告、感想ノートのテキスト化まで、多くのメンバーにお世話になった。

◆なかには、この4月から新天地へと異動された方も少なくない。比嘉小からも、4名が卒業生として旅立った。いまあらためて、この写真展は関係したすべての方々のうちの誰一人欠けても実現できなかった、みなさんの気持ちが1本の糸としてつながったからこそここまでできた、ひとつの「奇跡」のようなものだなという思いを強くしている。この奇跡の写真展を実現するのに力を貸してくださった多くの方々に、応援してくださった地元のみなさんに、心から御礼を申し上げたいと思う。(丸山純


●写真展「わたしたちの宝もの」展示パネル一覧

【展示作品関係】撮影者による自選作品…A1サイズ4点+A2サイズ8点/撮影者別展示作品…A3ノビサイズ48点/テーマ別(浜と海、友だちと家族、暮らしと学校、生きもの、浜と比嘉のシマ)展示作品…A3ノビサイズ15点+A4サイズ35点+四つ切りサイズ13点/階段壁面展示作品(額装)…四つ切りサイズ14点/スライドショー作品「真昼の決闘」紹介…A3ノビサイズ2点
【作品紹介関係】撮影者自筆ネームプレート…A4変形サイズ12点/撮影者の感想…A3サイズ12点/撮影地点地図…A4サイズ12点/作品講評…A3ノビサイズ12点/作品撮影時刻データ(キャプション)…横21cm×縦4cm計60点
【写真展紹介関係他】写真展題字…A3ノビサイズ3点/先生・主催者挨拶パネル…A3ノビサイズ3点/写真展紹介パネル…A3ノビサイズ5点+A4サイズ1点/その他補助パネル…16点/床面誘導目印(子どもたち自身の足形)…A4サイズ12点(パウチ済み)
【映像展示】DVD「わたしたちの宝もの」(全展示作品・スライドショー作品「真昼の決闘」・デジカメ教室風景収録)…Ver.2:約18分(後日Ver.3を卒業式で贈呈)

●使用機材

コンパクトカメラ PowerShot E1(1000万画素機)…7台(1台は予備機)
コンパクトフォトプリンター SELPHY ES30(昇華型インク・ポストカード用紙使用)…3台
インクジェットプリンター PIXUS Pro9000(A3ノビサイズ対応8色染料インク機・用紙は光沢プロフェッショナル使用)…2台
大判プリンター iPF8000(B0サイズ対応12色顔料インク機)

●紹介された主なメディア

3月4日刊・琉球新報記事(オープニング取材)/3月7日放送・ラジオ沖縄〈Oyakoらじお〉「おしえて校長センセイ」コーナー(電話出演:下地校長)/3月22日・沖縄タイムス「投稿」欄(江本嘉伸)/3月24日放送・琉球放送RBC-iラジオ「民謡今日拝びら」コーナー(生中継)/4月1日刊・琉球新報「ジュニア通信員」欄(比嘉小5・6年生児童)/4月1日刊・うるま市報(表紙と紹介記事)


我がカーニバル人生最大の危機、明日はこっちか?

<先月号の続き>
■それにしても、何ゆえかくもシビアな審査をされるのであろうか? 多分きっと恐らくメイビー、思うにアフガニスタンとかシリア、スーダンなどテロ支援国家とされる国の住民がイギリス本国に入国する際の審査と一律同じ扱いになっているということではなかろうか。カリブ海の小国にわざわざジハードしに行くモノ好きなテロリストもいないだろうに、思考停止状態でまったくいい迷惑だ。9.11以降、人を見たらテロリストと思えと言わんばかりに世界中がギスギスしてきている。これも、すべからく某・超大国の某・前大統領のせいに違いない。と言っても、その某・超大国には南米の行き帰りに毎回トランジットで出入国を繰り返しているのだから、当然ブラックリストには載っていないはずなんですけどねえ。

◆英国ビザセンターのホームページでは、審査の経過に関してのお問い合わせには一切お返事できませんとなっている。インターネットのトラッキング・サービスに接続して、申請番号その他のデータを打ち込むシステムだが、1日何回チェックしても「アンダー・アセスメント」としか出てこない。出発予定日も迫ってきてかなり焦り始めたが、こればかりは相手次第でどうにも対処のしようがない。ますます情緒が不安定してきて、あちこち八当たり。とにかく現役パスポートが敵の手に渡っている以上、国外に出ることすらままならない。

◆すでにチケット代から宿泊費、翻訳料など、出費は大幅にかさんでいる。もし、このままビザが取れずトリニに行けないことになると、大損害もいいところだ。現地在住の音楽関係者にプレスカードの手続きもお願いしてあり、これもけっこうな費用がかかる。いっそのことパスポートを紛失したことにでもして、再発給申請してしまおうかとも思ったが、これは明らかに旅券法違反の犯罪行為だ。在外公館に現物がある以上、一発でばれてしまうだろう。いよいよ追い詰められてきて、さらに気分は煮詰まってきた。

◆この際やむを得ず、もうどこでもいいからトリニに替わる行き先をさがすことに方針を変更したのは、チケット変更可能な瀬戸際だった。今から新規開拓は不可能だし、とりあえずビザ無しで入国できて、チケットと宿、プレスカードが何とか駆け込みでも調達できそうなところとなると、過去20年に及ぶカーニバル人生の経験からしてもほとんどオプションはない。世界無形文化遺産カーニバルのコロンビアはバランキージャか、ボリビアのオルロぐらいしか思い浮かばなかった。ボリビアにJICA現地職員の友人がいたのを思い出して、慌てて緊急連絡を入れてみたところ、一肌脱いでくれそうな様子。溺れるときは藁でも腹でもつかみ、困ったときは神様でも仏様でもアラーの神でもためらいなくおすがりする当方としては、おんぶに抱っこで頼りにしてしまうことに即決定した。

◆それにしても、パスポート自体が返却されない限りは出国できない。いよいよ覚悟を決めて英国ビザセンターに申請取り下げの連絡を入れたが、いつ返却になるかもわからないまま。結局、何とかパスポートを回収できたのは出発前日の午後というきわどい状態であった。まあ、カーニバルに行けずにこの時期に日本にいることとなってしまったら、間違いなくテロ行為に走っていたことは明らかだ。地球の平和のためにも、結果オーライといったところだろうか。かくして、カーニバル前日によれよれで滑り込んだラパスの空港で、なんとロストバゲッジなんぞというおしゃれな落ちまでついた今年のカーニバル、明日はこっちだったみたいでした。

◆なんて、呆けたお原稿を書き飛ばしているところに、突然インドネシアのドクトル関野氏から電話が入った。フィリピンのコーディネーターが代わるので急遽代役を頼みたい、早くきてほしい、という、恒例のグレートジャーニー恐怖のご指名。来週からまたペルー方面出撃だし、さてはてどうしたものか。相変わらず、悩みの種は尽きぬようである。(カーニバル評論家 ZZz-全

──ふしぎ連載 大江戸銭湯探検記 その8──
 贅沢かな、江戸の花見名所をめぐりながらの銭湯ツアー

■3月に熊野古道の紀伊路の旅に行ってきました。船で京から来た上皇、公家らが大阪の天満橋で下船、熊野参詣へ向けて歩いた道。大阪、堺、和泉、岸和田、和歌山までが今回の旅。旧道では銭湯をいくつも見かけました。さて宿泊した岸和田で「カルルの湯」なる看板を発見。さっそく入ってみました。番台でいただいたパンフレットには、『神聖ローマ皇帝カール14世が遠征先のチェコで発見した炭酸泉(カルルスパート)使用の湯』とあり、うやうやしく皇帝推奨の湯につかってきました。ちなみに、大阪では410円なのに、だんじりの町岸和田では400円の入浴料金でした。

◆「梅は咲いたか、桜はまだかいな」、待ちかねた桜がようやく咲いた。江戸の花見名所をめぐりながらの銭湯ツアーのご報告。しょっぱな(初っ端)は、飛鳥山。花は六分咲き。山の下の明治通りから馬場(バンバ)商店街にある「飛鳥山温泉」。井戸で汲みあげている正真正銘の鉱泉だそうです。ここから都電で荒川遊園地へ。下町の桜の名所だが、まだ蕾が固く、しかし、町屋3丁目の「タイムリゾート」旧屋号松の湯へ。煙突がなくビルの1階が銭湯。空が見えない露天風呂もありました。

◆桜なら、やっぱり浅草、隅田川土手でしょう、と行ってみたら、こちらは花も見物客も満開で、白髭橋を渡り、向島あたりで見つけた銭湯。なんと名前が「たぬき湯」。謡曲隅田川に出てくる梅若の墓のある木母寺の地元で、町名が梅若町。梅若町のたぬき通りにある銭湯だから「たぬき湯」。ご常連らしきおばばの話、「まえにはね、今時分にゆ(湯)にくると、芸者さんらがよくきてたもんよ」。

◆外に出たがまだ明るく、浅草に戻り、警察署近くの一葉さくらを見物。こちらは八分咲き。20分ほど歩いて「一葉湯」へ。遠くから立派な煙突が見え、玄関わきにもペンキ絵があり、もちろん、中にも立派な富士山の絵がありました。道の向いが改築したばかりの一葉館でした。江戸っ子はお花見大好き、銭湯大好きです。(ナゾの田口幸子

桜の開花を待ちつつ、奥会津の新たな小学校で新学期を

■きのう4月12日、南会津町主催のイベント「やまなみ泊覧会」のオープニングセレモニーでなんと「ちへいせん・あしびなー」にも参加された平田大一さんの講演がありました。地平線通信で平田さんの存在は知っていたものの、実際に目の前で話を聴くのは初めて。ドキドキしながら耳を傾け心に残った言葉やメッセージがいっぱいありました。

◆中でも平田さんが大学卒業後、実家の小浜島に帰省すると決断したときの話は興味深く、当時90歳くらいの島のおじぃに呼び出されて言われたという、沖縄の言葉(方言)が良かった……。平田さんが伝えてくれた言葉の響きが心に伝わってきました。正確な意味をわかっていないのですか、多分、おじいが伝えてくれたことは「お前がこの島で生きていくことは本当に大変なことなんだ、それでもお前はこの島に戻ってくるのか?」というニュアンスであったと思います。

◆もう一つ『本当に大切なモノは自分の足もとにある』という言葉を平田さんは何度か口にしてくれました。小浜島の人たちにとって当たり前の風景であった、サトウキビ畑に囲まれた道を『シュガーロード』と名付けてみたり、珊瑚や石で、でこぼこになった道路を『えくぼロード』と呼んでみたり、沖縄のどこにでもある、当たり前になっているモノを観光客に面白く魅力的に紹介していたこと。講演の中では爆笑の渦に巻き込まれることが何度がありましたが、やはり会の最後に話をしてくださった小学生を演劇の世界に巻き込む話には感動しました。

◆私も数年前から、村の小学校で働きながら、与えられた環境の中で学び、成長することの大切さを実感しながらも、もっと違う世界、新しい経験をすることがあってもいいのかな。と思うことがありました。でも「いや、ここでは出来ない」と心の中で想像(&創造)することをストップさせていた自分に気づかされました。

◆平田さんたちの活動していることの真似はできなくても、子どもたちの力を引き出したり、磨いていくことは周りを取り囲む人の気持ちと行動力があればいくらでもできる!と。何というか、わけもなく力が湧いてきました。少子化過疎化高齢化の村で暮らしていても、誰かが立ち上がることで、何かが生まれる。そんな思いを抱かせてもらいました。平田大一さんありがとう。

◆ふと、昨日の講演会を思い出しながら、家の前を流れる伊南川や、周囲を取り囲む山並みも違った風景に見えています。人が心を動かされるってこういうことなのかなぁと思いながら……。(4月13日 ふみ

晴れて大学院生スタート!、そして夏にはスペイン留学

■香川大学で「くえ・うめコンビ」を組ませていただいていた「うめ」です! このたび、新春を迎え、クエは晴れて静岡で中学校で理科の講師(1年生担当です)をすることになり、うめは香川大学の大学院に進学することになりました☆ なので4年間お世話になったあの「若草寮」(平日の夕飯つきで月額寮費1万円!! 明日新入生が来る、という3月末日まで居座りました)もついに出されてしまいました。

◆大学院では「生物資源利用学専攻・バイオマス化学研究室」に属します。周囲が社会に出て行っている中、さらに学生生活を送らせて頂くので、それなりに、今しか出来ないことをしようと思っています! そこでお知らせ。以前から申請していたカディス大学(スペイン・アンダルシア地方)に行けることになりました。香川大学と交流協定のある大学なんですが、実際に行くのは私が初めてです。申請手続きがややこしくて大変でしたが、奨学金がおり、費用も最小限で済みそうです。

◆留学目的は「研究留学」。8月から4か月の期限ですが、あちらで研究技術を学ばせてもらうことになっています。うめの留学目標! [1]今のうちにスペイン語の基礎を身に付け、「スペイン」という国を知る[2]自分の考え方(日本色に染まっている)をいろんな意味で見直す[3]沢山の人と関わる![4]研究技術を学ぶ(笑)以上のことを目的としています。

◆日本から出たことのない私には、「海外ってどんなとこ?」っという次元の感覚で、レベルは低いですが、4か月という短い時間を濃縮して生活したいです。先輩方! アドバイスがあればどうかよろしくお願いいたします!!!(うめこと山畑梓


■今回の通信にユニークなDMを同封しましたが、地平線イラストレーター、長野亮之介画伯初の個展「百顔繚乱」が5月12日から24日まで、東京・東中野駅前の「ポレポレ座」1階ギャラリーで開かれます。  地平線通信を長く支えてきた画伯の初の個展を盛大に祝いたく5月16日の土曜日を「地平線お祝いデー」とします。  18時から21時まで会場のギャラリーで賑やかに祝い、近くで二次会をやる計画です。  面白い集まりになると思います。地平線会議30年記念とも考えています。遠くの方々も是非ご参集を!(E)


[通信費をありがとうございました]

■3月の地平線通信でお知らせした後、通信費をおさめたくれた方々は以下の皆さんです。万一記載漏れがある場合はお知らせください。通信費は1年2000円です。

辻野由喜/三好直子/寺本和子/城山幸子/多胡光純・歩未/前田敏機・京子/多胡啓次・幸子/松木裕美/横山喜久/新垣亜美/森井祐介/北村操/花崎洋/池田祐司/石田昭子/又吉健次郎

《1万円カンパ御礼》

■比嘉小児童の写真展の開催、報告書の制作、記念大集会(秋に予定)の開催など地平線会議30周年の記念行事のために恒例の「1万円カンパ」を始めています。早速、皆さんからあたたかい応援の心が届き、地平線会議の仕事を支えてくれています。当面以下の方々が協力してくれました。熱くお礼申し上げます。(地平線会議)

★斉藤宏子 三上智津子 佐藤安紀子 石原拓也 野々山富雄 坪井伸吾 中島菊代 新堂睦子 埜口保男 服部文祥 松澤亮 田部井淳子 岩淵清 向後紀代美 小河原章行 江本嘉伸 掛須美奈子 橋口優 宇都木慎一 原健次 飯野昭司 鹿内善三 河田真智子 岡村隆 森国興 下地邦敏 長濱多美子 長濱静之 西嶋錬太郎 寺本和子 城山幸子 池田祐司 妹尾和子 賀曽利隆 斉藤豊 北村節子

★1万円カンパ振込み先:◎みずほ銀行四谷支店 普通口座 2181225 地平線会議 代表世話人 江本嘉伸 (恒例により、カンパされた方々の名を通信に掲載して領収と感謝のしるしとする予定です。万一、漏れがありましたらご指摘ください)。

■先月の発送請負人

松澤亮 車谷建太 森井祐介 米満玲 坂出英俊 満州 三上智津子 江本嘉伸 杉山貴章 山辺剣 久島弘 武田力 関根皓博(ありがとうございました)


[あとがき]

■今月も、琉球の香り溢れる誌面となってしまった。少し過剰だよ、と感じる方もいるかもしれないが、まだほんの少ししか踏み入れていない気がする。さまざまなアプローチをこれからもしていきたい。

◆フロントで書いた「複式学級」のことが気になるのは、時に「複式解消のために」などとネガティブに評されることもあるこのシステムにひかれるものがあるからだ。「わたしたちの宝もの」でもそう感じたのだが、年齢差のある子ども──あるいはおとなでも──がともに行動することのプラスは少なくない。教師、親たちはじめ教育の現場の多様な苦労を思うと、うかつに評論してはいけないことだが、なんとなく地平線会議に通じるものがある、と思うのだ。

◆そういえば、小学校のクラス会をやります、というはがきが届いた。「5年4組」というから少なくとも横浜の小学校には1学年に4つ以上の学級があったのだ。私にとっては当たり前のそういう「学級だらけ」の状況を離島の小学生たちはイメージできないそうだ。「組って何?」と。

◆久島弘さんの原稿の中で、「電網恢々疎にして漏らさず」という表現があった。中にはわからない人もいるかもしれないので、お節介ついでにひと言。もともとは「天網恢々(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏らさず」。“恢々”は広くてゆったりしている意味で、全体としては「天が張っている網の目は粗いようだが、その実、どんなに小さな悪事でも見逃すことはない。悪事の報いを逃れることはできないことのたとえ。久島さんは「天網」を「電網」としている。

◆森井さん、今回も自転車でゲラ見せに来てくれてありがとうございました。画伯、犬の表情、最高!!(江本嘉伸


■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

14+1の三度の挑戦!

  • 4月24日(金) 18:30〜21:00
  • ¥500
  • 於:新宿区立新宿スポーツセンター(03-3232-0171)

「今年は気温がマイナス20℃くらいで暖かくて、らくだったなあ」と、今年の犬ゾリレース『ユーコンクエスト』をふりかえるのはマッシャー(犬ゾリ師)の本多有香さん。14頭の犬を率いてアラスカ・ユーコン河沿いに約1600kmを走ったこのレース。有香さんが参戦するのは今回で三度目でした。

一日平均100km以上、毎日12時間走る、人にも犬にも苛酷な旅で、今年の完走率は62%。有香さんは犬のトラブルのため、13日目でリタイア。ゴールまで惜しくもあと120kmでした。'06、'07そして'09の挑戦でまだ完走を果たしていませんが、有香さんのレースに賭ける情熱はますます強くなっています。今後はカナダに住み、永住権を取り、子犬を育てるところから手がける意気込み。「犬が大好きだからトレーニングが一番楽しいんです。レースという同じ目標に向かって一緒に成長していく過程がうれしい。結果はついてくるものかな」

今月は本格移住前の有香さんに、レースの醍醐味と犬との深い関係を語っていただきます。


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が120円かかります)

地平線通信353号/2009年4月15日/発行:地平線会議/制作:地平線通信制作室/編集長:江本嘉伸/レイアウト:森井祐介/イラスト:長野亮之介/編集制作スタッフ:三輪主彦 丸山純 武田力 中島菊代 大西夏奈子 関根皓博 藤原和枝 落合大祐/印刷:地平線印刷局榎町分室
地平線Webサイト http://www.chiheisen.net/
発行 地平線会議 〒160-0007 東京都新宿区荒木町3-23-303 江本嘉伸方


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