2007年1月の地平線通信

■1月の地平線通信・326号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙年の12月、森本孝さんの『舟と港のある風景−−日本の漁村・あるくみるきく』(農文協)を読んだ。89年11月の第121回地平線報告会ではアラフラ海の船旅の話をしてもらったが、もともと森本さんは和船や伝統漁法の研究者として、日本各地の海辺の村々を訪ね歩いてきた人である。

●立命大の探検部を出たあと、森本さんは観文研(日本観光文化研究所)に出入りするようになり、所長で民俗学者の宮本常一先生から、消えゆく木造漁船や漁具の記録・収集というテーマをいきなり与えられて、70年代の半ばから漁村巡りを始めた。副題からうかがえるように、この『舟と港のある風景』という本は、月刊で出ていた観文研の機関誌『あるくみるきく』に森本さんが発表した旅の報告を中心に、当時の原稿をほぼそのまま再録したもので、大きく様変わりする直前の日本の漁村を描いた貴重な記録となっている。

●私が観文研の門を叩いたのは、初めての旅に出ようと決めた大学4年生の秋、77年のことで、向後元彦さんがカラーシャ族について書いた『あるくみるきく』のバックナンバーを閲覧させてもらうためだった。当時の観文研には、大きく2つのグループがあるように感じられた。第1が、宮本先生のもとで国内の旅や調査を進めていたグループ。第2が、海外の旅を志向する宮本千晴・向後元彦・三輪主彦・伊藤幸司・岡村隆・賀曽利隆といった、のちに地平線会議の創設にかかわることになる大学山岳部・探検部系の人たちだ。私もやがてこの海外派の末席を汚すことになったが、少数民族やイスラーム社会のなかで半年近く過ごした目で『あるくみるきく』を毎号読んでいくうちに、国内派の人たちの、宮本先生直伝の旅の方法論こそ自分に欠けているものではないかと思うようになった。大学ではフィールドワークを学ぶ機会などなかったので、観文研でものの見方を鍛えてもらいたかったのだ。しかし、81年に宮本先生が亡くなるあたりからしだいに観文研は改編・縮小されていき、89年に活動を休止してしまう。

●『あるくみるきく』という雑誌は、旅人=研究者である所員たち自身が執筆から編集、レイアウトを手がけるため、書店に並ぶ一般の雑誌や単行本にはないアマチュアリズム、というより素人臭さが持ち味だった。商業誌だったらばっさり削られてしまうような仔細な観察や未整理な感想が、この本でもあちこちにそのまま残っている。しかし、それが記録としての価値を高め、当時のなまなましい現実を伝えているように思う。

●写真についても同様だ。観文研では常に、なぜそこでシャッターを切ったのかが問われた。プロの写真家が撮るようなフォトジェニックな写真ではなく、1枚のカットから雄弁に語れるような、意味のある写真を撮ることが望まれた。この本にも漁民たちの笑顔がいくつも載っているが、望遠レンズで背景をぼかして、画面いっぱいに顔を切り取ったような写真は1枚もない。笑顔が生まれた状況が確実に伝わってくる、標準レンズや広角レンズで撮った自然な写真が並んでいる。

●森本さんの本を読みながら、ああ、自分がずっと書きたかったのはこの文体なんだ、撮りたかったのはこんな写真なんだと、痛切に感じた。いままでカラーシャ族について何度か書く機会があったが、いつもその雑誌や書籍の読者を意識しながら書いていたし、ビジュアル的にインパクトのある写真を揃えようとしていた。おかげで、作品としての完成度は高まったかもしれない。でも、記録性という点では、どこまで意味のあるものになっただろうか。望遠レンズで絞りを開けて背景をぼかせば、自分の狙いが際立たった強い写真になる。しかし、広角レンズで隅々までピントを合わせて写せば、写真に込められた情報量は圧倒的に多くなる。後世の読者にとって面白いのは、記録性の高い後者の写真なのではないだろうか。

●そんなことをつらつら考えているうちに、ふと、今年で創設後29年目を迎える地平線会議に思い至った。一部上場企業の研究機関だった観文研とは比ぶべくもない、手弁当で続けてきた運動体だが、地平線会議の周辺で私たちが積み重ねてきた活動も、後世に伝えていく価値があるのではないかと思う。ところが、年報『地平線から』の8冊や『地平線データブック・DAS』を見ても、外の世界の行動の記録ばかりが並び、地平線の同人たちの活動は浮かんでこない。報告会レポートをはじめとして、最近の『地平線通信』が積極的に紙面の充実に努めている背景にも、そのことに対する反省が込められているように見える。

●というわけで、今年は地平線会議自身の歴史をどう残すかをみんなで考えてみたい。まだ構想の段階だが、江本御大から先月顔を出したばかりの新人君まで、各人の行動歴がひと目で見渡せるような、巨大な「地平線大年表」というのはどうだろうか。インターネットでみなさんに参加いただけるプロジェクト、もうすぐ立ち上げます。ご協力、よろしく![丸山純]


先月の報告会から

「ねこの屋久詣で」

中島菊代

2006年12月23日 榎町地域センター

<第1部 屋久島通いの変遷>

 今回の報告者は、なかじまねこさんこと中島菊代さんだ。屋久島に通い続け、その数6年で30回! まずは2006年11月、最新の訪島の様子の紹介から始まった。大阪在住で、ふだんは障害を持つ人の通所施設で働いているねこさん。1回の訪島は土日を挟んで3泊くらいが多く、ひとりでテント泊することもあるそうだ。11月の訪島では、訪れるたびに「帰ってきました」という気になるという「花山の森」で数日を過ごしている。雨を含んでしっとりとした輝きを見せるその森や、道中に目を留めた木の葉や苔、ヤクシカなどの写真がスクリーンに映し出される。森に育てられ、森を育てる仲間たちだ。ざっくりとした手織りのエプロンドレスとジーパンに身を包んだねこさんは、大阪弁をまじえながら1枚1枚の写真に説明を添えていく。花崗岩でできた外周約130キロの屋久島は、淡路島よりやや小さく、お椀をかぶせたような形。世界遺産に登録されているのは島全体ではなく、一部であることなどの説明や、島でお世話になっている人たちの紹介もあった。

◆続いて、これまでの訪島について、最初から順を追って写真とともに紹介された。年ごとにキャッチをつけてまとめられていたので、ねこさんと屋久島の関わりがわかりやすかった。

◆2000年8月「初屋久 −久しぶりの旅行−」 以前はアフリカやモンゴル、スリランカなど海外旅行も多かったが、90年代の後半は事情があって3年ほど旅行に出ていなかったねこさん。久しぶりに大学時代の友人と旅行することになり、その行き先が屋久島だった。白谷雲水峡エコツアーなどを楽しむ。「すごく水が豊かなところやな」というのが第一印象。

◆2000年11月「再訪 −縄文杉にも会っておこう−」 最初の訪問からわずか3カ月後に「やっぱり縄文杉にも会っておこう」と再び屋久島入り。

◆2001年「怒涛?の訪島 −発信へ−」 この年7回訪島。8月には宮之浦岳で初めてのひとりテント泊。テントから望んだ星や月の動き、メリハリのある自然に心奪われる。12月にはメールマガジン「ねこからの手紙」で写真と詩の発信を始める。

◆2002年「揺れる気持ち −移ろうかな−」 島に移り住むことを考えながら通い続けた年。求人案内を見て興味をもったツアーガイド会社を訪ねたところ、「なんと採用されてしまい」、4月から屋久島への移住が決定。一方、夏のアラスカ旅行では「寝ている自分の背中から根っこが出ている感覚」を味わう。地球の表面にいる生き物それぞれから根っこが出ていて、それが中で絡まっているイメージが突如出てきて不思議な気がしたそうだ。

◆2003年「とどまる −訪島3回−」 人間ドックでひっかかったことや家族の問題があり、屋久島への移住を断念。2月にそれを就職が決まっていた会社に伝えに行く。それでも未練が残り、8月の訪島ではその会社の縄文杉1泊2日のツアーに研修生として同行し、ガイドすることの楽しみを知る。

◆2004年「森からのギフト −つながり−」 ひとつめのギフトは、白谷雲水峡への裏ルートである楠川歩道(年貢として納める屋久杉の運搬道として江戸時代に造られた石組みの道)を歩いていたときに得た感覚。簡単にいってしまえば、石や木に心を移すことで、自分がそれらとすりかわる感覚だ。報告会では、そのときの心の動きを詳細に書きとめた文章が読み上げられたが、ここではスペースの関係で全文を紹介できないので、ぜひホームページ「ねこからの手紙」(通称「ねこ手」http://www.neko-te.net/)でお読みいただきたいと思う(「屋久島病の日々」コーナーの「森からのギフト」に掲載)。その文章は次のように終わっている。「その瞬間、わたしは石になり、木になり、土になり、水になった。そして、石や木や土や水は、わたしになった。宇宙は果てしなくつながり、広がりながら、同時に、それぞれの中に内包されていた。森がわたしを肯定し、受け入れてくれている。森からの思わぬギフトに、いつしか涙をこぼしながら、歩いていた」。

◆ふたつめのギフトは、白谷雲水峡の石。ねこさんのお母さんが屋久島を訪れたときに、そこが娘のお気に入りの場所であることを知り、ひっそりと置いた握りこぶし大の石が、2年の年月を経て苔むした状態でその場に存在していた。森から与えられたそのふたつのギフトによって少し気持ちがラクになり、屋久島に通う方向性が見えてきたような気がしたというねこさん。息を吹き返して、この年は5回屋久島入り。「できるだけ体を整えておく」「まわりに心を開きリラックスする」「すぐ対応できるようにニュートラルな気持ちでいる」「あとは屋久島に委ねておけばよい」−−そんな言葉が当時の旅日記には残されていた。

◆2005年「出版 −つながりを実感する力−」 屋久島に通う方向性が見えてきたこと、アラスカで感じたことなどから、「つながりを感じられれば、いろんなことがよくなっていくのでは」と考えるようになる。その最初のステップとしてインターネットとは別の届け方を試み、8月に写真詩集『きみの胸に火 灯しに行くよ』(新風舎)を出版。この年は4回訪島している。

◆2006年「遊ぶ・学ぶ −ネイチャーガイドにくっついて−」 実習生という名目でネイチャーガイドツアーに参加することが増えた年。山で雪が降っていても、麓ではハイビスカスの花が咲いている、そんな屋久島の自然の不思議を改めて実感する日々……が、今につながる。

◆ねこさんの目を通してとらえられた島の自然や集落などの写真を見ながら、時間を追って話を聞いていくうちに、こちらもすっかり屋久島に通い続けている気分になり、移住をめぐっては気持ちが揺れた。

◆振り返ると、それ以前は悶々としていたのが、屋久島という扉を開いてから、いろいろなことが変わっていったと語るねこさん。地平線会議と出会ったのも、屋久島に通い始めたのとほぼ同時期。そんなこともあって、今は「詣でる」気持ち。これからも屋久島に委ねて通い続けたいと報告を締めくくった。

<第2部 音楽とともに旅する詩>

 第2部は、ねこさんによる自作の詩の朗読と音楽のコラボレーション。音楽の担当は、地平線の報告会や通信の発送作業によく参加されている車谷建太さんと、車谷さんの高校時代のバスケットクラブの先輩であり、音楽仲間の加藤士門(しもん)さん。今回は、津軽三味線のほかアフリカの太鼓・ジャンベやインディアンドラム、インディアンフルート、カリンバなどを使って即興で演奏してくれるという。ブタの蹄の束(やわらかないい音がした)など珍しいものも用意されている。会衆のほとんどが、ふたりの演奏を聴くのは初めてとあり、会場中に「期待くん」がふわふわ浮かんでいるのが感じられる。

◆オレンジのニットの上着を着た車谷さんと、黒のポンチョにカラフルな帽子が印象的な士門さんは舞台中央の奥に座り、ねこさんは客席から向かって右側に立っている。屋久島の風景や森の中の映像が流れ、演奏者それぞれとねこさんが手を握り交わし、第2部がスタートした。 「泣けなくなったあなたへ 踏ん張ってるあなたへ……」ねこさんの張りのある声が会場を包む。しばらくして、パン、パン、パコンと、ゆっくり静かに三味線の音が入ってきた。それを受けるように、シェーカー(マラカス)のカラカラと乾いた音が響く。「あめふりのうた」「旅する気持ち。」「言の葉つぶて」「雫音」「銀色ナミダ」……と朗読が続く。ねこさんの詩は、身近な生活や自然を入口にして、そこから大きな世界へつなげていくものが多い。屋久島の映像とねこさんの声に、そして音楽に乗って、次々と言葉が流れてくる。

◆「事前に音をつくり込もうとしたら、何もできないことに気づいたので、即興を楽しんだ」と車谷さんはいっていたが、決して言葉を消すことのない音楽は、ときに森で暮らす生き物の鳴き声や遠吠えとなり、ときに木立や海を渡る風となり、また人の暮らしの中の生活音となって、言葉に寄り添っていた。こちらは、森を歩いているような、大地に抱かれて眠りにつこうとしているような心地よさに身を任せるばかり。あとで士門さんが「僕らは音楽で旅をするというスタンス。音楽はすでにそこにあるもので、鳥になったり、馬になったりしながら、そこにある音楽に乗って旅していく感じ。自分も屋久島の映像を見ながら旅していた」と語るのを聞いて、納得した。

◆終盤、ねこさんの声に力が増し、聴く側の背筋が一瞬びくっと伸びた(と思う)詩があった。タイトルはずばり「地平線会議」。せっかくなので、ここでも紹介したい。

◆地平線会議/求めるしか/求めるしか、なかった。/求めるしか/求めるしか、なかった。/なぜなの?/どんな意味があるの?/やっていけるの?/それをして なんになるの?/生きていること/今生きて呼吸をしていること/そして遠くを見ること/生きていること/今生きて呼吸をしていること/そして遠くを見ること/求めるしか/求めるしか、なかった。/求めるしか/求めるしか、なかった。

◆そして、39編目となる最後の詩「来年もよろしく」が読み上げられると、三味線の音が徐々に高まり、新年へ向けての寿ぎモードで盛り上がって演奏終了! 70人ほどの会衆の拍手に包まれて朗読と音楽の時間が終わった。と思ったら、さらに津軽三味線の協演という、うれしいおまけまであった。「来年に向けて、ここから世界にいい風が吹きますように」という言葉に続いて始まったのは、朗読のときとはまったく異なる力強くてテンポのはやい演奏。三味線の音が何十にも重なり合って飛んでいく。「和音が旋回しながら広がる」イメージでふたりで作ったという「センカイノワオン」という曲で、地平線の場で演奏するならこれ、と車谷さんは決めていたそうだ。

◆客席を見渡すと、満ちたりた笑顔の人もいれば、しみじみしている人もいる。関東はもとより山形や愛知、関西各地から「ねこ手」の掲示板仲間も集まっている。ねこさんのクライミングの師匠・山田 淳さんと婚約者・横山蘭子さん(07年1月1日に入籍とのこと。おめでとうございます)の姿もあった。そうそう、海宝道義さんから「自家製ベーコン」がねこさんに、そしてねこさんから「屋久杉の香」が全員にプレゼントされたことも、書き忘れてはならないにゃん。

<2次会も大盛況>

 その後の「北京」での忘年会を兼ねた2次会も、60人ほどの参加を得て大盛況。生演奏をバックにしての朗読を「めちゃ気持ちよかったねん」と振り返りながら、大好きなビールを飲んでいたねこさんに、あえて聞いてみた。「メールマガジンや著書を通して、ねこさんが伝えたいことは何?」と。つながりの実感? 屋久島の魅力? どちらも間違いではない気がするけど、それがメインとは思えなかった。

◆「伝える内容はじつは何でもよくて、寄り添いたいんだよね」。それが、ねこさんの答えだった。「つながりの実感」は社会的なものだけど、もっと個人にピンポイントで寄り添いたい。べっとり接するのではなく、ふとしたときにそばにあることに気づく、「すきま家具のような」存在でありたいという。なるほどー。その思いが、詩や本のタイトルにもある「火 灯しに行くよ」につながっているのか。ねこさんが輪の中にいると場がなごむ理由もわかった気がした。そして、ねこさんに寄り添い、そんなふうに思わせた屋久島はすごいなあと改めて思った。(「ねこ手」仲間の妹尾和子)

『コラボな旅−−屋久島の森の声を聞きながら』

詩の朗読に合わせて演奏をするということ。それは僕にとって未知の世界でした。きっかけは長野亮之介さんの提案で、思いがけない突然のお話でした。ねこさんの写真詩集を開いてみると、屋久島の森と自分の心を重ねるように、奥深くまで旅をしているからこそ見つけたり触ったりすくったりできるような純粋でストレートな気持ちが、彼女ならではの世界となって広がっていました。心の中がジーンと温かくなるのを感じました。

◆僕にとって、音を奏でることは旅をすることでもあります。今回登場してもらった加藤士門君。彼との付き合いは長く、お互いに何の準備がなくとも、音を奏で始めさえすれば、どこへでも音の世界を旅することの出来るかけがえのないパートナーです。更に唯一、共にザックを背負って歩いたのが3年前の屋久島でした。三味線・カリンバ・インディアンドラム&フルート・ベル。いつもの音色を携えて、「屋久島を詣でる」というねこさんの心持ちを胸に、息を合わせることのみに集中しながら本番を迎えました。

◆ねこさんが訪ね歩いた森の景色を見ながら、彼女の声とリズムに合わせて音を奏でてゆくうちに不思議な感覚に包まれてゆくのを感じました。3年前に歩いた時のあの感覚が蘇ってくるのです。あの時に出逢った木々からこぼれる光、顔を撫でてゆく風、根っこから漂う匂い、それらに乗って彼女の言葉が森の声のように聞こえてきます。森の中を歩いているようで、ねこさんの心の中を歩いているような…。気が付くと、僕達はその旅を心から楽しんでいました。それぞれの記憶や想いが音色や言葉となって重なり合い混じり合うことで、また一つとない唄が生まれる。やはり、旅とは始まってみなければわからないものですね。

◆初めて地平線会議に足を運んだのがちょうど一年前の忘年会報告会でした。皆さんのそれぞれの旅のありよう、そこに流れている共通の想いに心を打たれ続けてきました。今回このような機会をいただき、改めて音楽と旅のつながり・可能性を実感出来たように思います。そして何よりも、演奏を通じて皆さんと喜びを分かち合えたことが僕にとっての大きな幸せでした。江本さん、長野さん、ねこさんをはじめ、支えて下さった皆様、有難うございました。コラボレーションは新しい世界への切符です。これからも旅を続けながら、たくさんの唄に巡り会えることを夢みています。(車谷建太)

『報告会という扉を開けて』

 「地平線で報告…!?わたしが??」。準備しつつも実感がないまま、まるでどこかひとごとのような気分で、当日がやってきました。そして始まってからも、ふと我に返ってアタフタしては、やがてまたふわふわと話に戻る…というようなことをひそかに(?)繰り返していました。

◆今回は屋久島についてというより、『わたしにとっての屋久島』を趣旨として、今までを振り返らせてもらいました。果たして足を運んで聴いてもらうに足る内容だったか?と未だよぎったりしますが、個人的な人生の時間に耳を傾けてもらえたこと、わたしにとって、これからの力になってくれるような予感がしています。

◆試みとして、初めて詩の朗読もさせてもらいました。もともと『ひとりに寄り添う』気持ちで始めた創作活動。この朗読においても、心向きは同様でした。ただ、「届けよう」と思うときに、わたしなりに大事なこととして、『こめた想いを一旦手放し、戻ってきたものを届ける』というプロセスがあります。でもそれは、きっとキンチョーしている場では難しいだろう、とも思っていました。ところが!仕掛け人長野亮之介画伯が車谷建太さんと、そして車谷さんが加藤士門さんともつないでくれて、プロセスはひょいと飛び越えられたのでした。ふたりから奏でられる音が詩にいつしか付着していた想いを拭い去り、 あるいは彩ってくれ、わたしはただ真ん中あたりを差し出せばよかったのでした。会場のみなさんがそれぞれの思いで受け取ってくださったことで、二度とは共有できない時間が確かに流れているのを感じながら、車谷さん、士門さん、会場にいる人、そしてわたしの間を、せわしなく何かが行き交っている気がしました。それは細かな光の粒子のような感じがしました。

◆準備段階で快くご協力いただいたみなさん、そして当日会場に足を運んでくださり、また、言葉をかけてくださったみなさん、ありがとうございました。温かな気持ちで会場を後にしてもらいたいと願った報告会でしたが、わたしの方が、今もなお、温められています。屋久島に行ってから、ひとつずつ開いてくれた扉。今回もそんな扉をまた押したような気がします。そしてこれからどんな扉を開くことができるのか、楽しみです。

◆ごぼうび(?)にいただいた大好きな『海宝ベーコン』、スライスしてそのままひとくち。ん〜、できたてはやっぱりおいしい!…と、ここで終わるはずでしたが、もうひとことだけ。地平線通信の校正をさせてもらっている関係上、今回の報告会レポートをひと足先に読ませていただくことができました。そこでようやく報告会が本当に終了したという実感が湧きました。妹尾さん、ありがとう。(中島菊代)


地平線ポスト・新しき年に

<地平線通信に寄せて>
響きあう「いのち」

 あけましておめでとうございます。地平線通信、いつも興味深く読ませていただいています。僕の方は昨年も富士山域を始め、国内各地の自然のなかで自然やひととのふれあいを楽しく過ごしました。中でも印象に残っているのは残雪期、北海道日高山脈のチロロ岳山頂で遠くポロシリ岳(山脈の最高峰でアイヌ語で大きくて広いの意)と対峙して泊まった日、富士山の山頂噴火口に歩み入り、その中心で蒼空を仰いで大の字で過ごしたこと、生まれ育った大分の藤河内渓谷の清流のほとり、岩屋などで火を囲んで過ごしたこと、中秋の名月に屋久島の縄文杉の前で一晩過ごしたことなど等。いずれもそのとき同行した方々と共に、その場に呼ばれていたような不思議なひとときでした。年末は尾瀬と南アルプス深南部の縦走に個人ガイドで入ってきました。どちらもひとの気配のない静寂の空間。自然の気充満した世界に溶けてゆくような山行でした。最近、村の広報の「子育て通信」というコラムにこんな内容の原稿をかかせていただきました。

 〜自然とは、自(おの)ずから然(しからし)むと書きます。それは直接に花や木、山や森をさすのではなく、木を木たらしめ、山を山たらしめる何らかの「はたらき」を表すといえるでしょうか。その「はたらき」は実は自然の中だけでなく、都会にもこの空間全体にも満ちているものですし、私たちの内にもはたらいています。私はそのはたらきを「いのち」とよんでいます。私たちひとりひとりの内にはたらく「いのち」。花や木、山や空にはたらく「いのち」。自然の中でそのピュアな「いのち」にふれると、私たちの「いのち」は生き生きと活性してきますね。自然だけでなく、「ひと」にふれてもそう。特に小さな子どもたちにふれたとき。なぜなら、子どもたちは本来の「いのち」そのままに生きていますから。どうぞ、肩書や先入観を外し、ひとりのひととして、ひとつの「いのち」として、子どもたちはじめ、出会うひとや自然と向き合ってみて下さい。そこにきっと、何かが生まれてくることでしょう。響きあう「いのち」……そこから始めてみませんか。〜

 娘が5歳と2歳になり、自主保育に取り組む友人家族と子どもたち共々、自然の中に入る事が多くなりました。そんな体験から感じたことを村の方々向けに短くまとめたものです。「わたし」という枠が外れたとき、自身の中の「いのち」のあらわれを制約するものが消え、「いのち」そのものが鮮明になってくる。特に自然の中でそんな状態になったとき、そこに満ちるピュアな「いのち」との共振は、同じ「いのち」はたらくものたちに生まれる共感を呼び起こす。僕が惹かれてやまないものはまさしく、この瞬間なんだな。そして、この実感こそが、様々な違いを超えて未来を開いてゆくひとりひとりのよりどころになるのではないかなと感じている次第です。(富士山麓住人 戸高雅史)

[心の旅、チベット最深部・カイラースから]

■江本さん、地平線会議の皆さん、こんにちは。現在自転車で地球一周中の心です。 旅立ちから10ヶ月、ラサ出発から40日でチベット最高の聖地・カイラース山に到着しました。 カイラース巡礼は、チベット人に倣って山麓をぐるりと回ってきました。一周52kmの巡礼路を3周…。体力には自身のあるサイクリストですが、歩きとなると話は別です。普段は自転車ですから、歩くことを体が忘れているのです。あちこちが筋肉痛になりました。海抜4680m〜5670mの巡礼路、神秘的なカイラースをすぐそばに感じながら歩き、いつも自転車に乗っている時とは違う、静かで穏やかな心境の中で過ごすことができました。自然とこみ上げてくるのは“感謝”の気持ち。私を支えてくれている全ての人々への感謝、自分が生かされていることへの感謝。カイラース周辺で過ごした2週間は、とても有意義な時間となりました。この先、旅はまだまだ続きます。'06/10/04 チベット最深部より 伊東心

http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/

追伸:その後、極寒のアクサイチンを無事に抜け、11月7日、新疆ウイグル自治区のカシュガルに至りました。このハガキはカシュガルで投函します。

(なんと正月元日に他の年賀状と共に届いた!伊東君の旅については上記のHPで追跡できる。…E)

[地平線通信の刺激]

 江本さん、世の中さっぱりめでたくなんかないように思えますが、ここはとりあえず謹賀新年。いつも地平線通信をお送りくださりありがとうございます。北海道の山岳・エコツーリズム大会で初めてお会いしてから、もう5年になりますか。

◆この間、皆さんの幅広いご活躍を紙上で拝見しながら、時に励まされたり、時にうらやましいと感じさせられたり。それぞれが何らかの目標をたて挑んでゆく姿があり、紙面を通しそれを応援する雰囲気があって、いわば同好の士が同好の志で集まったり離れたりしながら、自慢しあったり愚痴ったりしている姿に、けっこう胸を打たれています。ああこの人も地平線のメンバーだったのかと認識を新たにしたり、旧知の人の名前を紙上に見つけて「ははーん」とうなずくことも、ままあります。

◆紙上で読ませていただくことがらは、すべて現場に身を置き体を動かしながらのレポートなので、手ごたえやリアリティのすごさがこちらに充分伝わってきます。さらにそれらは、今までの紙上に報告された先行諸氏の体験を踏み台になされているわけですから、その深さや広がりはとりもなおさず、地平線会議のもった時間、地域的広がり、歴史をも、今日的な形に現しているといえるのでしょう。

◆325号のフロントページに三輪主彦さんと言う方(私はまだお会いした事がありません)が、「地平線の彼方に何かがあると期待に胸をふくらませながら後ろも見ずに先にすすんできた」と書かれています。これに続くつぶやきもさすがですが、地平線会議の原点と求心力がこういうことなんでしょうね。知的欲求の身体的表現、といったのはチェリー・ガラードでしたか。

◆ところで私は昨年、サラワク、ブルネイ、ミンダナオ、スラウェシといった赤道アジア地域を40日ばかり巡る機会がありました。いままでアジアはほとんど知らないままで来てしまいましたが、そこの人たち、歴史、文化、自然の多彩さと深さに目を見張りました。南シナ海に沈む夕日の美しさや、赤道直下ボルネオの気候が東京の夏よりずっと快適だという事実にもびっくりです。地平線会議の皆さんには自明の事なのでしょうが、一般の日本人にとっての本当のアジア旅行はこれからだ、という気がしています。いまさらナニをとお思いでしょうが、アジアを体験し、理解するということをもっともっと本気でやらんといかん、と悟ったのが昨年の収穫です。

◆ともあれ、今年は報告会にもぜひ参加させてください。去年いくつか聞いてみたいなと思った会があったのですが、うまく都合がつけられませんでした。そしてしっかりと体温までが伝わってくるような、皆さんのレポートを楽しみにしています。諸姉兄並びに江本さんのご健勝を。ではいずれ近々に。(小林天心)

★小林さんは、観光進化研究所代表。日本エコツーリズム協会の前事務局長、ニュージーランド政府観光局代表もつとめた。「国際山岳年」とエコツーリズム年が重なった2002年夏、国際山岳年日本委員会事務局長だった江本と知り合った。「観光の時代」などの著書がある。チェリー・ガラードはアムンゼンに敗れたスコットの南極探検隊のメンバー。著書「世界最悪の旅」で知られる。(E)

『地平線カレンダー・2007』、申し込み受け付け中!

●今回はやっぱり駄目らしいと誰もがあきらめていた『地平線カレンダー・ 2007』ですが、熱帯マラリアを思わせる高熱と悪寒でダウンするまで描き続けた長野画伯の超人的な頑張りにより、なんとか無事に完成して、12月23日の報告会に間に合いました。おかげさまでいつもの倍近くが売れ、今年になって急遽増刷に踏み切ったほどです。

●今回のテーマは、ハワイ。ホノルルとモロカイの2つのフルマラソンを走るために、この12月上旬にハワイを訪れた画伯が、旅先で目にした印象的な風景と人々を描いています。題して『夏威夷風良乃島悠走行』(HAWAII FURA NO SHIMA YUSO KO)。

●判型は、2006年版と同じ A5判(横21cm×縦14.8cm)。2ヵ月が1枚のカレンダーになっていて、それに表紙を付けた全7枚組です。頒布価格は、1部あたり500円。送料は8部まで80円、 9部以上は160円。

●地平線のウェブサイト(http://www.chiheisen.net/) に、絵を掲載しました。そこから申し込みもできます。専用のメールアドレスを設けましたので、ウェブサイトのページから「申込書」をコピー&ペーストして貼り込み、必要事項を記入してご送付ください (calender07@chiheisen.net)。葉書での申し込みも受け付けています(〒 167-0052 東京都杉並区南荻窪2-22-14-201 丸山方 地平線カレンダー・ 2007係)

●お支払いは、郵便振替で。カレンダー到着後でけっこうです。いきなりご送金いただくのではなく、かならず先にメールや葉書などで申し込んで ください。

 郵便振替:00120-1-730508
 加入者名:地平線会議・プロダクトハウス

●残りが少なくなってきていますので、お申し込みはお早めに。


=2007年の年賀ポストから=

いただいた賀状、メールから勝手に抽出して紹介させてもらいました。 ご容赦を。(E)

■「300日3000湯」、ただいま419湯目です。(賀曽利隆)

■今年は地平線の出席率50%以上をめざしていきます。とりあえずの目標は20回目のサラワク行きです。全力あるのみ!!(樫田秀樹 「新しい貯金で幸せになる30の方法」(築地書館)などを刊行)

■今夏、再びパリから前途1000キロを南下して行きます。(吉岡嶺二 昨年「北海から地中海へ・欧州運河2000キロカヌー行」のパート1・パリ〜アムステルダム810キロを漕破)

■ダブル・フルの体力をみならわなくちゃ。新年早々サッカーの試合です。(三輪主彦)

■今年もパワーとガッツのみです。ルウェンゾリ登ってきます。(屋久島在住 野々山富雄 はだかで力瘤を強調した元気な写真とともに)

■昨年春の竹早山荘コンサートの折りにはいらしていただきありがとうございました。私はお正月はもう26年つづけている冬山コンサートで八ヶ岳の山小屋に登っています。(ケーナ奏者 長岡竜介)

■江本さん、お元気ですか?麦丸と共ににぎやかなお正月を過ごされていることと思います。私の方は文章を書く仕事の面白さと難しさで毎日まいにち充実してますよ!PS.地平線@オキナワ、楽しみです!私の祖父が糸満市の出身なので沖縄には何かと縁を感じてしまいます。地平線のみなさんと行ける日を楽しみにしていますよ。(新垣亜美)

■沖縄ぐらしも早や1年、相変わらずたのしくのんびりと毎日笑いながらくらしています。今年も遊びに来てください。ゴン(江本と親しい犬の名)が待ってます。(うるま市浜比嘉島 外間晴美)

■本年もよろしく。皆さまもお元気で。8103日で「九千日」へ登山中

   新天地 向かうが如く 初登山

(東浦奈良男 伊勢市在住の毎日登山家 1984年10月26日に印刷会社を退職した日から1日も欠かさず山に登り続けている)

■12キロの減量で山歩きのスピードが高まりました。本年もよろしくお願いいたします。(堺市 宇都木慎一)

■いつも地平線が“そこ”にあることが心の支えです。(大久保由美子)

■地平線の方々との出会いは今も大きな力になっています。本年もどうぞよろしくお願い致します。通信ありがとうございます。(影山幸一・本吉宣子)

■賢風(まさかぜ)は毎朝5時起きでお父さんとランニング・玄関そうじ・脳の筋トレ(?)がんばってきました。やっと1年生か〜。(鶴岡市 難波裕子)

■いつも地平線通信をお送りくださいましてまことにありがとうございます。興味深く拝読しています。昨年『反空爆の思想』(NHKブックス)を出版しました。(吉田敏浩)

■ようやくできたクジラの絵本。毎日抱えて眠っています。(佐藤亜紀子 絵本のタイトルは『クジラから世界が見える』遊幻舎)

■ラダックの山は大雨が続く中、ぎりぎりの日程で登りました。技術的には易しく、でもすばらしかったです。(恩田真砂美)

■お元気でいらっしゃいますか。どうにか、とうとう納まりました。彼は建築設計の営業広告をしています。(兵藤由香 旧姓瀬沼:06年10月結婚。おめでとう!)

■ご無沙汰してすみません。今年は少し活動します。冬はとりあえず山スキー三昧となりますが。(滝野沢優子 2007年も犬のフォトエッセイを出版予定)

■実家がある広島県呉市広町から広島市の平和祈念公園まで自分の脚で初詣に行ってきました。約40キロくらいの道のりを、はじめは小走りで、後半は歩きでなんとか完歩。人生1度っきりだし冒険していきたいなあと、帰り道によった「カープ」という名の広島風お好み焼きのお店で「スペシャルお好み焼き」を食べながら思った2007年元旦でした。(山本豊人)

■お久しぶりです。実はクエスト挑戦断念もやむをえない状況になっていたのですが、借金をして犬を借り、なんとか出られるようになったばかりです。フードドロップ(各チェックポイントに先送りする犬のえさなど)の締め切りが今月末までだし、本当にバタバタしています。それでは、クエスト精一杯頑張ります。早く走りたいです!!(アラスカ 本多有香)

■雲南省を自転車で移動しています。秋からの続き、標高1700mからはじめて、1340mまで降りてきて、そこからメコン川を離れてあと50kmで、大理です。12日から20日まではインドです。それからまた中国に戻り、ラオスに抜けます。いつも通り予定が遅れています。

◆車で相澤韶男氏が同行しています。彼に手伝ってもらって携帯の通じるところどこでもインターネットに繋げるソフトを入れてもらいました。雲南省ではどこでもつながるようです。中国の通信網の発展ぶりはすさまじいです。(関野吉晴 1月8日野地耕治さんあてのメール)

■実を言うと…私はいつも地平線通信の一面(表紙面)の文章に感動しているのです。時にはうるうるしたりして…。今年も一面に力を注いで下さい!!(田中明美)

■本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。江本さんはとても不思議ですね…。長老と少年と男性と女性と先生と生徒とヒトと動物が…全部ひとつの体におさまっているように私には思えるのです…。(大西夏奈子)

[ペルーで大発見!・・多忙な予感]

 Eもとさま江。もしもし、謹賀新年にございます。さてさて、亥年もあけてすぐの元日の朝、ドクトル関野氏からの電話で起こされました。「今、チベット。これから一人旅を始めるんだ〜」と、やたら弾んだ声。グレートジャーニーがタンザニアでゴールインしたのが2002年2月、今年で早や5年になります。本当なら少なくとも今年までは国外出国禁止令が続いていたはずですから、やはりドクトル、おぬしもワルよの〜。大学の授業を休める間は目一杯歩くと、相変わらず思うがままに地球の上を漂っているようです。

◆ドクトルは「6月にまたペルーのひろしくんを客員招聘教授で呼ぶ」という話もしていました。古くからの共通のマブダチひろしくんとは、リマの天野博物館事務局長・学芸主任の阪根博氏のこと。天野博物館といってもあまりメジャーではありませんが、阪根氏の祖父に当たる天野芳太郎氏が1964年に創立した、由緒あるプライベート・ミュージアムです。天野氏は若き日から海外雄飛を志し、波瀾万丈縦横無尽の生涯を全うされた超弩級の大人物。当方もさんざんお世話になりましたが、これほど風格を湛えた壮大なスケールの人物にはいまだ出会ったことがないように思います。何といっても満州で馬賊に、という時代にラテンアメリカをめざしたその抜群のセンスがすごい。

◆ちなみに、世界遺産の人気投票でダントツの1位を常時キープしているおなじみインカ時代の遺跡マチュピチュを日本人で最初に訪れたのがこの天野氏、1935年のことです。ペルーで大成功した氏が、生涯を費やして調査研究に没頭されたのが沿岸部のチャンカイ河谷の文化でした。その谷から、5000年前の神殿遺跡が突如発見されたのが昨年春のこと。これまでの常識を覆す世紀の大発見です。旧大陸で4大文明とされていた同じ時期に、新大陸でもピラミッド型の神殿が築かれていたのですから、世界史の教科書を全部書き直さなければならないことになります。

◆ラス・シクラス遺跡と呼ばれる現場は、ひょっこりひょうたん島のようなふたつの地味な小山でした。当方も何回かすぐ横を歩いたことがありましたが、まさかこんなところに、としか言いようのない大発見です。しかも、この遺跡の注目すべき点は耐震構造の建築であることです。シクラと呼ばれるアシのような繊維で編んだネットに礫石を詰め込んだ、蛇籠のような構造材が盗掘孔から大量に発見されました。つまり、地震の際にもネット内の石がショックを分散吸収することによって、建築物全体の構造が保持される造りになっているわけです。そのアシ状のシクラ繊維を年代測定にかけた結果、最古のデータは紀元前2950年プラスマイナス60年と確認されました。新大陸最古の綿製織物片や、「ちびまるこちゃん」と名づけられた土偶も出土しました。

◆ラテンアメリカの文明のすごいところは、先土器時代に大規模な神殿を建設してしまう非常識な発展過程にあります。つまり、旧大陸の文明は石器時代から土器が発生し、農業が起こり、都市が形成され、宗教が誕生し、権力が集中して・・・といった共通する発展過程があるのに対して、新大陸の文化は土器も作らないうちに、いきなりピラミッドを築いてしまうわけです。この大胆不敵な無鉄砲さが、たまらぬ魅力なのでしょう。いつまで通っても、飽きることはありません。

◆それに加えて、もうひとつ。旧大陸の諸文明はすべて、その進化発展の最大の理由が戦争にあるとされてきました。つまり、外部の敵からの摩擦や防衛が、文明を進化させる原動力になったと解釈されてきたわけです。しかし、新大陸の形成期の遺跡からは、そのような痕跡はまったく発見されていません。

◆さらに興味深いのは、チャンカイ谷から150キロほど北の沿岸部に位置するカラル遺跡。10年ほど前から発掘が続いているこの遺跡も、約4600年前と通説をはるかに上回る古い時代の階段状ピラミッド群です。ここでも、シクラ繊維を利用した耐震構造が見られるほか、円形劇場や通風孔を併設した炉など宗教センターを想起させる遺構が多数発掘されています。

◆この円形劇場からは、コンドルなどの骨で作られた笛が合計32本、セットで出土しました。これが何を意味するかといえば、何らかの儀礼が執り行われていたこと。つまり、祭りです。各地から巡礼が集まる信仰の中心地で、鮮やかな色彩の祭りが行なわれていた時代を想像すると、カーニバルの一方の起源を見たような気すらしてきてしまいます。

◆これまで孤立した存在とされていたカラル遺跡と今回発見されたラス・シクラス遺跡との関係が明らかになれば、一定の広がりを持つ文明圏として捉えなければならないでしょう。チャンカイ谷には、5000年前から植民地まで各時代の遺構が点在し、それらを結ぶ道も確認されています。近い将来、谷全体を歴史的ジオパークとして、世界遺産に登録するプロジェクトも動き始めています。いかにも日本的なのは、この世紀の大発見を我が物にしようと乗っ取りをたくらむせこい輩が、裏で怪しい動きをしていること。一部の考古学者だけではなく、各分野に渡る学際的な調査活動を展開すべく、今年は忙しくなりそうです。(1月7日 白根全)

■宗谷岬から新年の挨拶を兼ねて!
[さらば、スターライト号(太平洋横断計画顛末その4)]

 今年も北風に呼ばれて、冬の北海道を自転車ツーリング中の安東です。日本最北端の宗谷岬より、まずは新年のごあいさつ。大晦日にはこの最北の地に、全国から自動二輪ライダーやチャリダーが集結しキャンプ、仲間とナベを囲んで新年を迎えるのが恒例なのです。ぼく自身は正月の宗谷は7年ぶり。最果ての地を彷彿とさせるオホーツク海旅情へ、遥々と雪の道を走り続けて、何を好き好んで旅人はここに集まるのでしょう? マロリーなら、なぜならそこに端っこがあるからさ、と答えるでしょうか。まあ登山の山頂と同様に、もう進まなくていい所までくると安心するのかも知れません。

◆でも中にはその限界を越え、向こうの世界に飛び出してゆく人もいます。宗谷岬には荒れ狂う海の彼方を見つめる一人のサムライの銅像があります。日本を代表する探検家、間宮林蔵です。ぼくもかつて先人の足跡を追い、ここから冬の極東シベリアを自転車で縦断しました。今年は間宮海峡発見200周年なので、林蔵がこの地にまたぼくを呼んだのかも知れません。元旦早々から最北端でテント野宿とヤミ鍋を満喫できたわけですが、野宿といえば先月の報告会の三次会野宿、なかなか盛況でしたね。入れかわり立ちかわり多くの人が立ち寄り、ウルトラランナー海宝さん差し入れの泡盛古酒久米泉12年物で、宴を祝うことができました。

◆いつも二次会後に皆さん別れ惜しそうに、店の前からなかなか去らないので、そういう場合は躊躇せずに三次会に参加しましょう。終電で帰り暖かい部屋で一人過ごすか、野宿で鍋をつつきながら東京の星空のアバンチュールを語らい朝帰りするかの違いだけです。寝袋持参で参加しましょう。1月はあんこう鍋の予定です。

◆ところで当初はこの正月、熱気球太平洋横断の気象研究などで忙しいはずでした。しかし先月の通信での報告通り、スターライト号のテストは気球が破裂して失敗、その後に原因究明のため安東独自に荷重計算や構造を検討すると、強度的な設計が根本的になってないと判断せざるを得ませんでした。こう見えても安東は高校で微積分の数学では学年トップ、大学では流体力学の研究室に通い、貿易会社ではラジコン飛行機の設計図を持って中国の工場を渡り歩いていた、完全なるエンジニア系の人間なのです。工学も芸術と同じでセンスの世界であり、検討するほどスターライトの秘密が見えてきました。

◆高々度1万メートルの空間を、時速300キロで天龍のごとく荒れ狂うジェット気流。最新鋭の気象データを利用しその動きを予測するとはいえ、人類ごときにコントロールの効かない神々の領域。その巨大な自然の前に人の企みなど通用しないこともあり、万全で挑んでも太平洋に不時着もあると考え、それでも生き残る術を考慮してきました。しかしテスト失敗時のように空中分解すれば墜落は必至。大自然の脅威に挑戦することがぼくにとって究極の課題なのに、機体不備で死んでは化けて出るしかないぞ〜。機械の性能は設計図の段階でほぼ分かります。スターライトには設計図がありません。飛んでみないと大丈夫かどうか分からないようなのです。

◆空気の薄い高々度では、外気は零下五十度、気球内は大変な高温になります。さらに旅客機をも揺るがす乱気流はジェット気流末端で顕著に起こり、普通の気球より遥かに頑丈に作らなければなりません。しかしスターライトは弱いのです。普通よりも…。いろんな人や会社を巻き込んだので皆さんに申し訳なく、自身も残念だけど、命は大切だしすべての都合に優先させていただきます。そういうわけで、ぼくの熱気球の物語はこれで終わりです。期待してた人にごめんなさい、手伝ってくれた人にありがとう。間宮林蔵が国禁を越え未知の北方に挑んだように、去年のぼくは地表を離れ洞窟探検と気球の三次元に挑み、異なる世界からより自分の行動哲学を深めました。

◆挑戦と無謀、未知と無知は紙一重であり、冒険者はドンキホーテにならないよう常に現実に目を向け、傲慢にならず新しい世界に挑まなければなりません。さあて次はシベリアに怪獣でも探しに行くか。その前に、真っ当な仕事もやらないと!気球ですっからかんになってしまったし。次のチャレンジはそれからだね。(ヤミ鍋隊長安東浩正、1月6日稚内よりメール)

     ★     ★     ★

★安東君が搭乗を避けたことは、今回は妥当だったか、と思う。太平洋を飛行するにはあまりに時間がなさ過ぎたし、技術的資金的にもムリがあったようだ。安東君の理由には説得力がある。ただ神田道夫さんは、30年熱気球の飛行に取り組んできた日本の空の冒険の第1人者だ。役場勤めをしながら飽くなき挑戦を続けるその姿勢に私たちは動かされ、リヤカーの永瀬忠志さんらとともに第2回「地平線賞」を贈ったこともある(かって毎年の行動者の中から価値ある挑戦をした人間を地平線会議が勝手に選び、手作り万年筆を贈呈していた。神田道夫さんの当時の行動については年報『地平線から1983』の15〜17ページに森田靖郎氏が詳しく記述、地平線賞の選考経過については同じく361ページに記載されている)。2000年には空の冒険が評価されて安東君に先がけて植村直己冒険賞を受賞してもいる。数々の実績を持つ神田さんが今回のこれだけの挑戦をどのように構想し、計算して実行に移そうとしたのか、一度地平線会議としてご本人の話を聞いてみたいと思う。(江本嘉伸)

[アマゾン漂流ランナー、「野宿野郎」最新刊にも登場!]

 先日、河田真智子さん宅の近所で郵便配達していると突然現われた河田さんが「坪井さん、羽毛布団いらない?」。「はぁ、布団ですか」いきなりすぎて理解不能。「実は夏帆(河田さんの娘さん)が羽毛にアレルギーあるって知らずに布団買っちゃったのよ。うちでは使えないから、よかったら使って」何がなんだかわかんない顔の僕を見て、河田さんはそう言葉を足す。ようやく分かりました河田さん。

◆その河田さんの新著、障害児の娘さん夏帆ちゃんとの日々をつづった「お母さんはここにいるよ」になぜか登場する僕の写真。見つけた人はかならず笑顔で「見たよ」と報告してくれ、すこぶる評判がいい。まだ本を見てない人はぜひ手にとってみて。笑顔の理由が分かるかも。

◆評判といえば、最近に地平線でにわかに勢力を伸ばしつつある不思議お姉さん、「野宿野郎」加藤さん。ほとんど知られてないけれど、実は彼女は高校生のころにトイレ野宿を重ねながら徒歩で日本縦断したツワモノなのです。次回の報告会には野宿野郎、第5巻を販売すると言っておりましたので、こっちも注目です。

◆なぜ僕が野宿野郎の宣伝をするかと言うと、第5巻の巻頭いんたびゅーは僕なのです。野宿とは何か? 加藤さんが書くのに苦しんだ僕の答をぜひごらんあれ。いろいろ宣伝ついでに、もうひとつ。アマゾン川をイカダで下った日々をつづった「アマゾン漂流日記」3刷り目が出ました。前回の報告会で受付の隅っこにこっそり置いたら見事10冊完売。そこで今月も地平線特別価格1600円でこっそり売ります。うーん、エゴの塊のような文になってしまった。

◆PS、郵便局は正月なしでした。現時点で目黒局には累計700万枚の年賀状が押し寄せており、このままいけば1000万枚をこえそうです。このくらいなら個人情報じゃないから、バラしてもいいでしょ。(ジャーニーランナー、ただいま郵便配達員 坪井伸吾)

地平線ポスト宛先

〒173-0023
東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方
〒160-0007
東京都新宿区荒木町3-23-303 江本嘉伸方
E-mail :
Fax: 03-3359-7907(江本)

[太陽の光が城門口から入り込む素晴らしき瞬間!]

 あけましておめでとうございます。琉球泡盛の古酒づくりの旅人こと長濱です。ここ沖縄は、22℃の暖かい陽気のお正月を家族3人で過ごしました。新年の祈りは、「元気印の長濱をミーマンチィ キミ ソーリ ヨウ(注:見守ってください、の意味)」と仏前に合掌しました。

◆話は変わりますが、昨年春のころ、夏至の日(6月21日)の朝日が「城門の門口に太陽の光が入るらしいよ」と友人(名護氏)から聞きました。俄かには信じられないが、「琉球の縄文時代(「赤椀の世直し」という本に詳しい記述あり)」のテーマの討論仲間数人で密かに太陽を見に行くことになりました。夜明け前の午前4時過ぎ那覇を出て車で40分ほど南下、南城市の「玉城(グスク)」の城門でそれに遭遇しました。日の出が5時ごろで、朝日はゆっくり昇り、確か5時30分か、門口の下方から次第に大きくなり、門口いっぱいに太陽の光が入射したのです。その瞬間、皆一様に歓声が上がりました。入射光を浴びているとまさに自然の恵みを受ける、体に神々が宿るような感覚に襲われます。先人の築城の知恵のスゴサを、皆感じ取ったのでした。

◆また、冬至の日(12月22日)は、夕日前に内側から城門の玄関口に太陽の光が入るらしいよ、と話があり、今度は友人知人に声をかけ、30人ぐらいで見に行きました。すると見事に、午後3時30分頃から、上の方から入りだし、門口いっぱいに太陽の光が入射したのであります。大歓声の瞬間でした。太陽・地球・城(グスク)・人間との不思議な関係、出来事の体験でした。後で知ったことですが、エジプトのピラミッドも太陽の光が入射するそうですね。また「ダイヤモンド富士」という現象も太陽の光ですね。

◆何かつながっているのかな?このことは何か意味があるのだろうか?自然崇拝の源?太陽神の証し?神々の降臨?自然の畏怖の念の始まり?誰か詳しい人、興味のある人がいましたら教えてください。地平線会議の皆様にこの体験をしてほしい、と思い書かせていただきました。夏至の日、冬至の日は、太陽光を見て、光のファンタジーを楽しんで、そして元気を貰ってください。めんそーれ 縄文の沖縄へ、赤椀の世界へ(那覇発 長濱静之)

★「赤椀」は、弥生中期の北部九州で作られ、朝鮮半島を含む各地へ広く伝播した赤彩色の須玖(すぐ)式土器のことと言われている。沖縄には、海辺の村のノロ(神女)たちの歌う「神歌」と称される古い歌謡群があるが、この神歌の主題は、「世直し」、つまり革命である。女たちは弥生時代の勾玉(まがたま)を首に懸けて、「ヤマトから下りたる赤椀の世直し」と歌う。名護博著『邪馬台国総合説 赤椀の世直し』にその背景、歴史が詳しく、長濱さんは古酒を造りながら仲間たちと赤椀の世直し論議を重ねている。「赤椀の世直し」──この言葉の意味をことしは理解したい。(E)

12月23日、報告会のあと
3次会野宿の結党式をやりました

 ワシは寒いの苦手だから帰るつもりだったのに、2次会で野宿主催者「かとうちあき」にぴったりマークされ「今日の野宿はすべて山辺さんにおまかせ」などと言われ連行された。寒さ抵抗力がグッピー並のワシは、こんな寒い日は公園ではなく温かい布団もしくはコタツで寝たいのに。北京を出たらさっきよりさらに冷えてとても寒かった。このまま野宿すると間違いなく「八甲田山」。なんとしても生き延びねば。

◆電車もある、お金もある、住むとこもあるのになぜ彼女は冬に野宿するのか?ワシには、先祖が犯した罪を彼女が償っているとしか思えない。寒がるワシとは違い「今日は暖かくてよかったね〜」と皆さん野宿日和をアピール。とくに田中幹也さんは真夏のビーチにいるかのような格好。シャッチョ〜サン、サムクナイアルカ?しかも、マットも寝袋も持たず野宿しようとする幹也さんを見て「幽霊なのでは?」と恐ろしくなった。

◆公園についたワシは場所を確保すべく、10畳ぐらいはあるシートを敷いて一角を占拠。ワシは寒がりなだけで、準備はちゃんとしているのです。場所を確保したことで、まかされた任務は果たしたと勝手に判断。あとは安東さんにおまかせすればなんとかなるでしょう。銀マットを敷き、フリースを着込み、カイロを握りしめ、ぬくもりに溺れていたら、安東さんが鍋の準備を始めた。「シメシメ」と思い本気でゴロゴロすることにする。

◆安東さんはとても立派な人で、コンロも鍋も食材も持ってきてくれて、鍋も一人で作ってくれた。おかげで、ワシがクリスマスケーキを食べている間においしそうな鍋が完成。「立派な人がいる時は立派な人にすべてまかせる」というワシの判断はとても立派だったと思う。鍋が完成し、いよいよ党首・安東氏による「結党式」が始まった。「結党宣言」を前に、安東氏は気分を盛り上げるため海宝さんからいただいた「幻の泡盛」を皆に配った。さすが世界のANDOWさん。鍋の具材に特売のウインナーを持ってきたワシとは格が違う。これが大冒険家と娯楽旅行者の違いなのだよワトソン君!!

◆安東さんのスピーチはよく覚えてないけど「山辺くん、ウインナーありがとう」と言ってたような、なかったような、結党宣言にふさわしいお話だったと思います。そして乾杯。この瞬間「地平線会議☆野宿党」が結成された。「おめでとう〜♪」パラパラと拍手がおこり、結党式のために集まってくれた地平線の方々は、世紀の瞬間を見届け満足顔で帰っていった。寒いなか、ありがとうございます。ワシも対抗してこっそり「コタツ党」を結成しようかなぁ〜。

◆鍋を囲み話していると、安東さんがバックのなかから巨大なクモを取り出した。「おぉ、なんてことだ!ヤミ鍋のはじまりか?」しかし、よく見るとそれはカニだった!!安東さん、あなたはどこまで立派なのですか!?ノーベル野宿賞間違いなしですよ!!それにひきかえ「カニが熱くて逃げようとしている写真を撮ろう」などと言ってカニを鍋からはみ出して喜んでる自分はなんておバカなんだ。

◆野宿しながらカニを食べる。このギャップがすばらしい。安東さんの作った鍋はホントおいしく好評だった。鍋を食べて厚着してても、ずっと座っているとだんだん寒くなってきたので、いくこさんが今日買ったばかりのシュラフカバーをこっそり着用。検針モレがないか毒味してあげることにした。「これであったか〜♪」と悦に入っていると、隣で幹也さんが中山いくこさんが今日買ったばかりの寝袋に入り「新品は暖かいなぁ」と言ってくつろいでいた。上には上がいるものです。

◆いくこさんは途中で帰るため、そのまま一晩借りていた。「いくこさんなんのために今日買ったの?」ゴッドねえちゃんはスゲェーや。だけど、これでワシは幹也さんの凍死体「第一発見者」にならずに済みそうです。冬の野宿は寒いけど、いろんな人のキャンプ道具が見れて楽しい。お店のことやメーカーの特徴、品質など、実際に使っている人の感想が聞けるので、グッズ情報を得るには最高の場だと思う。みんなの話を聞いていると、寝袋は「モンベルが小さくて暖かい」そうです。

◆前回5人だった野宿も、途中で「車谷三味線協会」のお二人が加わったりして、参加者十数人、うち女子3名と大盛況な野宿になった。何人か寝袋に入り寝る仕度を始めたので、3次会野宿も第二部「寝る」に移った。みんな温かそうな冬用寝袋にくるまっている。特にたかしょ〜さんの寝袋はフワフワしててホンマ温かそう。いらなくなったらください。ムサビの学生、佐藤画伯は寝袋が無いので、下に敷いてあるシートにくるまって寝ようとしていた。「あんた、その格好じゃあ高倉健でも死ぬよ」と思ったのか、みんなが服を貸してあげていた。公園でシートにくるまって寝たことが、彼のこれからの人生に悪影響を及ぼさないことを心から願います。

◆ワシの寝袋はカイロを3個入れてシュラフカバーしてたおかげでかなり温まっていた。「殿、寝袋温めておきました!」「でかしたぞサル!!」そんなことを考えながら眠りについた。朝、ラジオの音で目が覚めた。この公園は前回、朝早く掃除ジジイに強制退去させられた公園。今日も来たか?と思いきや、ラジオ体操が始まったので私達も参加することにした。早起きして運動すると気持ちいいな〜。ちなみにかとうさんはこのラジオ体操で翌日筋肉痛になったそうです。オババなのに無理するからだよ。

◆一人の犠牲者もなく大盛況に終わった野宿会。最後のシメはやはり安東さん。内容はよく覚えてないけど「かとうさんのイビキがどうだった」とか言ってたような、なかったような結党記念野宿にふさわしいシメだったと思います。3次会野宿は特に決まりはなく、2次会のあと公園に集まりクダ巻く集団なので、興味のある方は一度立ち寄ってみてください。(野宿藩家老 山辺剣 06年から発送作業の常連)


■斉藤政喜さんが自分の装備類を販売してつくった「シェルパ基金」から前回に続き地平線会議に新たに1万円を頂きました。ありがとうございました。

■通信費ありがとうございました■

 先月以降通信費を払っていただいた方々は以下の通りです。(前号までの支払いリスト、記載漏れがやはりありました。すいませんでした。今後一層注意しますが、当方のミスは遠慮なくご指摘ください)

 橋本記代/古山隆行・里美/宮崎 拓/松川由佳/平本明子/中澤和子/針生江美/高野久恵/荒木利行/戸高雅史/久永裕子/辻 里映/矢次智浩/菅沼 進/中島恭子/網谷由美子/稲見亜矢子/谷脇百恵/寺本和子/城山幸子/森井祐介/埜口保男/和田美津子/三羽宏子/平本達彦/川本正道/山口徹/横内宏美/

■先月の発送請負人 森井祐介 関根皓博 三輪主彦 藤原和枝 村田忠彦 山本豊人 佐藤ムサビ4年生 白根全 李容林 江本嘉伸 落合大祐


地平線ポスト…南極だより

[南極新年レポート!!]

■元日南極メール■

 江本さん 明けましておめでとうございます。今日はゆとりがあっていいです。メールに返信できるっていうのは、それだけで十分なゆとりです。ようやく少し、神経をなだめられている感じです。休みって大切ですね。年越し蕎麦もいただきました。「しらせ」ではこれから宴会です。通信用に新たに文章を書くのはやはり今はキツイので、レターを載せて下さい。南極のことをいろんな人に知ってもらいたいけど、マスを相手にするのではなくて、身近な人への発信から始めたいです。それが、いい感じで進んでいるのがうれしいです。無理しすぎないように続けたいと思っています。それではまたメールします。気長に待っていてくださいね。(1月1日 南極にて 永島祥子)

★48次南極観測隊に地圏グループのチーフとして参加している永島祥子さんは、「しらせ」で南極に到着、いよいよ仕事を開始している。そのかたわら12月4日を第1号として仲間に『南極レター』を発信している。教えられるもの多い内容なので、できるだけ地平線通信でもお伝えしていきたい。以下は大晦日に届いた最新レター。(◆は編集子)(E)

『南極レター』 No. 5 2006/12/31

 みなさんこんにちは。大晦日ですね。紅白が…もう終わりましたね。こちらは今、午後4時を少し過ぎたところです。今日は午前中まで夏期設営作業をしていました。午後は作業はなく、48次隊は「しらせ」に戻って、「しらせ」で正月を迎えます。さて、前回『南極レター』を送ったのは、野外に出る前の日でしたね。年内は3つの野外観測が予定されていました。ラングホブデ3泊4日、スカーレン2泊3日、パッダ島2泊3日。野外が大好きな私としては、野外に出るといつも、心の底でピックアップ延期=停滞を期待しているのですが、今のところ全て天候に恵まれ、残念ながら順調です。しかし、夏の安定した天気というのは確かに非常にありがたいものです。

◆実は観測の方も思いがけずむちゃくちゃ順調です。ヒルマン監督じゃあないけど、「信じられない!」です。たいてい、うまくいかないものなんですが、今のところ予定していた全ての項目が全てうまくいっています。天気がいい、と言っても、気温は昼間で2℃くらいです…高いですよね。少し風があれば、体感気温は0℃とかマイナス数℃になります…割と暖かいですよね。太陽光パネルの交換など、電気工事を伴う仕事をしようとすると、どうしても手袋をぬいで素手で作業してしまうんですが、「越冬中は絶対にできない」作業が多いです。風がなく天気がいいからこそうまくいった、そう感じるものが多いので、停滞したいなあなんて悪い考えは捨てて、天気のいいことに素直に感謝しなくてはなりません。

◆ラングホブデ、スカーレンに行ってきて、明日はパッダ島に行くという日に、事件が起こりました。昭和基地の北330マイルにいるスペイン船籍の漁船から急患の救助要請が来たのです。すぐに隊長がしらせに戻り、しらせや、文部省、防衛庁など国内部署と協議をして、救援に向かうことが決定されました。我々が船を失うということは、ヘリコプターを使った全てのオペレーションは一時中断、物資輸送も中断されるということです。そのときに、野外に出ていた47次のパーティに、夜の定時交信で緊急事態を伝え、すぐに撤収するよう指示が出されました。

◆救助に向かう医師が一人、昭和基地に残る医師が1人、のこりの1人は、S17という南極大陸上の拠点でドイツとの共同観測オペレーションを行っているパーティの元に派遣され、我々観測隊側の医療体制も整えられました。ちなみに今の時期は、47次と48次で全部で4名の医師がいます。うち1名は今、ドームふじ基地に行っています。野外パーティピックアップとS17への医師派遣のフライトが実施されたのが、夜の21時です。それまでの間、しらせにいた観測隊員は、緊急出港に向け、個室の保定チェックや、観測室の物資の固縛にかけずりまわりました。

◆しらせは昭和基地沖の定着氷にアンカーをとって、船倉の物資の保定を解いて氷上輸送や野外観測支援などを行っていたわけですが、昭和基地沖から離脱し再度暴風圏を通過する可能性が出てきたので、保定をやり直さねばならないのです。私もこの日はたまたま船にいたので、観測隊員の居住区を見回ったり、観測中断となった観測機器の、船体からのとりはずし作業を手伝ったりしました。しらせ乗員は、船倉や冷蔵庫、冷凍庫などありとあらゆる場所の保定をやりなおしました。出港できる状態にするのに、5、6時間を要しました。この日たまたま船にいたおかげで、緊急時の物事の成り行きを体験できたのはよかったです。

◆しらせの艦内放送は、実に明確です。「達する」で始まり、何が起きて現在の状態はどうで、これからの見込みはこうである、ということを、少ない言葉で的確に伝えます。「早朝からの作業で各自疲れていることと思うが、人命に関わることであるのでがんばってもらいたい!」最後にそう締めくくられていましたが、こういった内容の放送を聞いたのは初めてでした。

◆この事件が起きたのが12月27日です。実はその時点ではしらせがいつ帰ってくるのか、行ってみなければわからない状態で、観測隊側も非常に青ざめていました。患者の容態によっては、医師が付き添った状態で、ケープタウンまでしらせで搬送という事態も十分考えられるため、そうなった場合にはしらせが2週間不在になります。我々48次隊の食糧も、1月4日までの分しか輸送しておらず、しらせ離岸となったときに、食糧をどうするかも話しあいましたが、結論は、47次隊の予備食で食いつなぐ、ということにして、一切追加の輸送は行いませんでした。

◆しらせが帰ってくるまで当然、野外観測は中断されますし、予定されていた物資が輸送されない以上、夏期設営作業も制約を受けます。我々に許された夏はたったひと月半です。ただでさえ短い工期に、素人を使って非常に特殊な場所で特殊なものを設営するという悪条件、その条件がさらに厳しくなるわけです。しかし人の命より重要なオペレーションなんてない!そう思います。我々は、刻々と変わる条件の中で最善を尽くすしかないのです。これが南極です。

◆「南極では何が起こるかわからない」口癖のように皆が言います。経験者は心のどこかでいつもそう思っているし、初めての人たちもあまりにも皆が同じことを言うので経験していないなりに「何が起こるかわからない」と心の中で少しは覚悟しているはずです。今回の事件はまさに、そのいい例でした。自分たちが事故を起こした!というもっと最悪のことでなくてよかったですが、本当に、何が起こるかわからないです。

◆結果的には、患者は軽症で、安静にして自力でケープタウンへ帰るよう指示が出されました。「しらせ」も全速で戻ってきてくれたので、「しらせ」不在はたった1日半で済みました。今はまた昭和基地沖にオレンジ色の素敵な船体がいます。しらせが離れるとき、どんなに不安で、しらせが戻ってくるとき、どんなに安心したか…。こんなことでは、しらせが本当に離れていく時が思いやられますね。しっかりしなくては。

◆さて、明日はようやく待望の休みです!だって正月ですから。フリーマントル出港以来、初の休みです!うれしいです。しらせが早く戻ってきてくれたおかげで、野外観測も物資輸送も、遅れは挽回できそうです。何を優先的にやり、何を諦めるか、という状況にならずに済んで、すごくほっとしています。我々地圏は、本当なら今日帰ってくる予定だったパッダ島での野外観測は1月2日に出発ということで調整してもらいました。スケジュールはさらにきつくなりましたが、何とかうまく調整して、予定していることはなるべく多く完遂したいと思っています。1月2日から2泊3日でパッダ島に行き、翌日から4泊5日でルンドボークスヘッタというところに行きます。

◆帰ってきたらしばらくは昭和基地にいます。そして1月中旬から2月上旬にかけて、3回の野外観測があります。まだ、7回のうちの2回しか終わっていません。さらに基地での観測引継ぎ、夏期設営作業などがあり、やっぱり南極観測隊員ってタフじゃなきゃダメですね。最近では誰でも来れるようになった南極ですけど、なんだかんだ言ってもみんながんばり屋さんだし、みんなタフだと思います。(12月31日 永島祥子)

[四万十ドラゴンランへようこそ!!]

 故郷の四万十川でユニークな地域活動を続けている農大探検部OB、山田高司さんが仲間と四万十川源流から河口までの全流程を「徒歩」「自転車」「カヌー」の人力のみで駆け抜ける「四万十ドラゴンラン」という面白い企画をたちあげました。これは断然楽しそう。経費もかなり安いし、早めに申し込むが勝ちかも。(E)

■江本様 あけましておめでとうございます。

 この3月26日から4月1日にかけて、四万十川全流を人力だけで踏破する計画をしています。「四万十ドラゴンラン」と銘打って、徒歩と自転車とカヌーで6泊7日かけて旅する予定です。TOTO水環境基金の助成金でやりますので参加費21000円と格安です。地平線の方々も是非ご参加ください。(山田高司)

<期日/活動内容/宿泊場所/講座>

◎3月26日集合(JR須崎駅:13時)/四万十川源流点ハイキング(10km)/せいらんの里/水環境講座1「森」
◎3月27日/徒歩移動(20km)/大野見青年の家/水環境講座2「暮らし」
◎3月28日/自転車移動(54km) /オートキャンプ場/水環境講座3「水質」/ウェル花夢
◎3月29日/自転車移動(42km)/四万十楽舎/水環境講座4「川」
◎3月30日/カヌー移動(20km) /カヌーとキャンプの里/地元婦人会おもてなし料理/かわらっこ
◎3月31日/カヌー移動(19km) /オートキャンプ場/大交流会とまろっと
◎4月1日/水環境講座5「海」/解散(土佐くろしお鉄道中村駅:12時)

 キャンプ地での地域交流も交えて、河川環境を深く見つめるためのプログラムです。「体力」「精神力」に自信を持つみなさんの参加を楽しみにしています。

【日程】2007年3月26日(月)〜4月1日(日):6泊7日
募集対象:高校生以上(高校生は保護者の承諾書要)
募集定員:30名(応募多数の場合は抽選致します)
参加費 :21,000円(6泊7日全行程すべての費用を含みます)
持ち物 :参加者決定後に各自に詳しい要項をお送りします
申込〆切3月3日(土)
申込方法:電話、FAX、メールのいずれかで受付致します。FAXの場合、住所・名前・電話番号・年齢を必ず明記下さい。電話での受付は午前8時半〜午後5時半となります。(毎水曜日定休日)
申込・問い合わせ先:〒787-1323 高知県四万十市西土佐中半408-1 (社)四万十楽舎(しまんとがくしゃ)tel 0880-54-1230 fax 0880-31-9788
gakusya@mail.netwave.or.jp
http://www.netwave.or.jp/~gakusya/


[あとがき]

 2007年。あらためて、ことしもよろしく。私は静かな東京で8か月になった麦丸と正月をすごしました。今年はもっと仕事をしよう、と決意し、いろいろ整理を始めたら、なんという「紙持ち」か、とあらためて思い知らされました。

◆紙というのは本、ノート、スクラップ記事を含むあらゆる資料、というより要するに紙くず類です。インターネットが当たり前になった昨今では考えられないほど私の時代は「紙資料」を頼りにした。そして「もしかするとこれは後で役にたつかも」という紙が山、冒険、モンゴル、チベット、ロシア、ランニング、わんこ、クマ、イノシシなどなどテーマ別に今なおごみの山ほどたまっている。

◆結構、面白いのがあって、ついつい読みふけってしまうわけですね。勿論、手紙類もすごいです。地平線の仲間たちが行動しながらあちこちから書き送ってくれた葉書、書簡類は冒険者たちの汗がにじんでいる感じで到底捨てられない。中にはこの便りを最後に帰らなかった人もいるしね。それから、写真。アフリカの砂漠や極地から何気なく送ってくれた写真類が相当たまっている。勿論、自分のも。

◆記録を残しておきたい、という思いがなにか本能のように体にしみこんでしまっているのかな。今月のフロントで丸山君が指摘してくれている通り、このところ報告会レポートの充実に力点をおいているのもそんなあらわれなんでしょう。

◆それにしても、皆さん、文章がうまくなっている気がする。今年もどんどん書いてね。私が嬉しいから。(江本嘉伸)


■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

“憧れの旅”のマボロシ
   〜エモ侍の旅日記〜

  • 1月25日(木曜日) 18:30〜21:00
  • ¥500
  • 於:新宿区榎町値域センター(03-3202-8585)

「いろんなこと、知れば知るほど、知らないことが増えてくなあ」というのは、地平線ジャーナリストの江本嘉伸さん。御存知地平線会議の代表世話人です。読売新聞社を定年退職し、フリーランスになってからは、在職中以上に忙しく国内外を飛び回る日々。そのパワーの原動力は旺盛な知的好奇心です。東京オリンピックの年に記者となり、自転車でサツ回りをした頃から、目にするもの全てが時代の貴重な記録だと認識してきました。自分の目と足で対象に触れ、咀嚼して発信してきた姿勢は今も一貫していますが、大新聞の冠が取れて見えてきたものも。

昨年末、ホノルルマラソンを走りに訪れたハワイでも、“太平洋の楽園”といった決まり文句のウラに隠れて見えにくい、ありのままのハワイを『目撃』するべく五感を働かせていました。

今月はフリーランスとなってはじめて語る、江本流旅の考え方を話して頂きます。珍しいエピソードもいろいろ。お楽しみに。


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が100円かかります)

地平線通信326/2007年1月10日/発行:地平線会議/制作:地平線通信制作室 /編集長:江本嘉伸
スタッフ:三輪主彦 丸山純 武田力/レイアウト:森井祐介/編集協力:中島菊代 大西夏奈子 横内宏美/イラスト:長野亮之介/印刷:地平線印刷局榎町分室
地平線Webサイト http://www.chiheisen.net/
発行 地平線会議 〒160-0007 東京都新宿区荒木町3-23-303 江本嘉伸方


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