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こんにちは。11月6日、『地平線大雲海』ついに出来上がりました。分厚い、もち応えのある『大雲海』を手にして一番嬉しかったのは、私ではないかな。25年前のはがき通信をスタートに、延々と地平線会議がたどってきた道のりが、この1152ページにはこめられている。私はその全部を知っているのだ。
●記念フォーラムの直前、西東京市に住む那須美智さんからはがきが届いた。「300か月にわたって延々と続いてきた地平線会議にまずお慶びを申し上げます」との書き出しで「3日から7日まで80歳の父を連れて熊野古道を歩くことにしていますので残念ながら出席できません。日本山岳会と違って地平線には元気のよい若者が参加してくるので未来は開けていますね」と、続く。
●那須さんは、名はほとんど出ないけれど、地平線の初期を支えてくれた大事な人だ(西堀栄三郎日本山岳会会長の晩年、ずっと秘書をしていた)。たとえば『大雲海』に復刻されている9号〜14号のはがきは、すべて那須さんが書いたことが字体からわかる。ことし故郷の佐渡島に戻った高野久恵さん(11月7日の会場に駆けつけてくれていた)も、縁の下を長くやってくれた一人。44号は高野さんの字だ。73号続いた「はがき通信」を懐かしみつつ(私の手書きも14通もあったのだ)、ワープロ書きになって何度も同じ「79・8・17誕生話」を書いている自分に苦笑しつつ、7日を迎えた。
●生きているうちに、やって良かった、と思える瞬間が稀に訪れる。11月7日の「その先の地平線地平線会議300か月記念フォーラム」は、その貴重なひとつだった。あの日、箪笥町区民センター大ホールに醸し出されていた空気を何と表現すればいいのだろうか。地平線会議という獏とした空間にいろいろな年代が混在しつつ、動きをつくっている。それぞれの思いを抱く人たちが、ステージの上も舞台裏も受け付けまわりも、勝手に動いて、それでいて調和があった、と言えばいいのか。「層」ということを初めて実感したのである。飛び交う無数の粒子でできている蚊柱状の球体を想像してみてほしい。もしかしたら、そういうものに近づいたのかもしれない、とさえ思う。
●山岳部で自然と真摯に対峙した時の怖さを知り、すでに15年やっていた新聞記者生活で人間の質というものを多少学んでいた。1979年8月に地平線会議を立ち上げた時のことだ。そして「この仲間となら持続できるのでは」との予感を持ち、同時に「必要であればひとりでも支えてみよう」というささやかな決意を抱いた。いずれ皆、疲れるだろう、その時には多少の厄介は引き受けよう、との気分である。古顔は普段顔出さなくとも、いざという時に駆けつけてくれればいいのだ。
●新聞という表現の場を持っていながら、地平線会議を仲間と始めたのは、それを切実に必要、と感じたからだ。人々が思った以上に世はへんてこりんな志向で動いており、冒険でも探検でも何でも「有名になったが勝ち」みたいな、まさかまさかの雰囲気が出来つつあった。大事にすべきは、内容、人の質ではないのか、と思うのに、マスメディアは勿論、経済効率が思った以上にあらゆる分野を支配していて、あれあれ?という方向に進んでしまう。
●案ずるほどのことはなく、地平線の周辺には次々に良き人間があらわれた。続けていれば、必ずつながってゆくのである。勿論、世界はそう甘くはない。“人肌のぬくもり”だけで、持続できるものではないことは、皆が知っている。
●ことし『大雲海』の制作の流れと11月6、7日の準備、本番を通して私は、地平線会議に「基盤」のようなものができたのかもしれない、と感じている。それができるまで、25年ぐらい続ける必要があった、のだと。
●そのことは、これからも長く地平線会議をやってゆく、という決意表明につながる。どうせ好きなもんが好き勝手にやるんだ、いつ終わってもいいんだ、と、ことさら重荷にしないようにしてきたが、もうその時期は通り越したようだ。地平線会議は、第1世代、第2世代が消えても、存在し続けるのではないか。その意味があるのなら、さらにその先までも。
●前夜祭で、17才になった榊原夏帆さんが花束を贈ってくれたのには感激した。思ってもみないことだったので、ほんとうに嬉しかった。あの夜の夏帆さんの笑顔を忘れないだろう。
●会場に影山幸一、本吉宣子夫妻の姿を見た時も嬉しかった。お二人は地平線会議の旅人たちのシャッターの瞬間を集めた見事な写真展『地平線発』を企画、全国各地で好評を得たが、経費面で私たちの非力もあって赤字を背負った。地平線の写真展によって、ひとつの美術展企画会社がなくなったのだ。そのことを私はずっと忘れない。
●ともあれ、素晴らしい11月であった。さあ、もう少し続けていこうぜ、とのメッセージのつもりで、今号の地平線通信は、始まって以来の64ページ建てである。[江本嘉伸]
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丸山純+令子 |
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メールが送られてきた。後田さんの「レポート」 を補完する内容なので、ほぼ全文を掲載します。 |
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全8枚組で頒布価格500円 |
●おなじみの長野亮之介“画伯”がカラーで描くイラスト満載で大好評の「地平線カレンダー」。その2005年版が完成しました。タイトルは『月雲省風写暦』。1994年にチベット高原周辺を歩いたときのスケッチを収録したものです。今回は、カレンダーとしての使い勝手を向上させて、左右にタマ(日付)部分を配置。予定を書き込める小さなスペースを設けたうえ、満月・下弦・新月・上弦と移りゆく月齢もわかるようにしました。最後のページには画伯の「絵師敬白」とともに、月齢や旧暦についてのミニ解説も用意。地平線のウェブサイト(www.chiheisen.net)でサンプルをご覧いただけます。
●今年の分と同じA5判(横21cm・縦14.8cm)で、8枚組。2ヵ月が1枚のカレンダーになっていて、それに表紙と解説(絵師敬白)のページが付属した計8枚組です。頒布価格は、1部あたり500円。送料は2部まで140円、3部まで200円、7部まで290円(それ以上はご相談ください)。
●お申し込みは葉書などに氏名(ふりがな)、送付先住所、郵便番号、電話番号、申し込み部数を明記のうえ、「地平線大雲海制作室:〒167-0052 東京都杉並区南荻窪2-22-14-201 丸山純方」へ。『大雲海』と一緒に郵送できると、送料がかかりません。同時申し込みの方はひとこと書き添えてください。
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●11月7日の大集会で頒布を開始した『地平線大雲海――地平線通信全記録 0号〜300号』の在庫が、おかげさまでかなり少なくなってきてしまいました。限定330部しか刷らなかったのに、最近地平線会議から少し遠ざかったしまった人たちや、これから地平線の活動に参加したいのでぜひ売ってくださいという若い人まで、意外な人たちからの申し込みが相次いでいます。
●これまでの地平線会議の出版物は、何年も(『地平線から・1982』はまだ10数冊在庫があります)かかって完売となってきましたので、油断していらっしゃる方も多いようですが、このままのペースで行くと、わりと早い時期に在庫がなくなってしまうかも。
●12月の地平線報告会で購入しようと思っている方も、いまのうちに予約していただいたほうが確実です。お代はあとでけっこう。
●先日も「地平線通信のバックナンバーをちゃんと残してあるからいらないや」という方に強引に押し売りしてきましたが、25年間の地平線会議の歴史が1冊の本として読めることに、心底感動してくれました。「実際に手にしてみないと、この感動はわからないね」とのことです。この地平線通信301号にも、そのあたりの感想がいくつか掲載されていることでしょう。
●地平線通信の読者のみなさんにこそ、手にしていただきたい1冊です。再刷の予定はありませんので、お早めに。
●A5判(『地平線から』や『DAS』と同じ)・全1152ページ(厚さ約4cm)。頒布価格は1冊2600円。送料は3冊まで500円です(それ以上は問い合わせてください)。
●氏名(ふりがな)、送付先住所、郵便番号、電話番号、申し込み部数を明記のうえ、「地平線大雲海制作室:〒167-0052 東京都杉並区南荻窪2-22-14-201 丸山純方」へ。
●郵送希望なのか、12月の報告会での手渡し希望なのかを明記してください。『地平線カレンダー2005』もよろしく。
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●地平線通信161号と240号の2ヵ所で、同じページを間違って貼り込んでしまうという大ミスをしでかし、そのまま印刷してしまいました。p.445とp.831の2ヵ所です。11月7日の大集会になんとか間に合わせようと必死で徹夜の作業を続けていたうえ、さまざまな事情が重なって気づきませんでした。申し訳ありません。
●欠落してしまったページをこの地平線通信301号に同封しましたので、『大雲海』をお持ちの方は、該当ページに挟み込んでください。
●11月7日当日の参加者名簿などを参考に、なんとかこれまで買っていただいた方々を割り出し、欠落ページをご送付している最中です。欠落ページが送られてこない方をご存じでしたら、上記「地平線大雲海制作室」までご一報ください。地平線のウェブサイト(www.chiheisen.net)に詳しい案内があります。
●お手数をおかけして申し訳ありませんが、よろしくお願いします。[丸山純+『大雲海』制作室]
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金井重 丸山富美 埜口保男 北川文夫 飯野昭司 青木(生田目)明美 横山喜久 野々山富雄 西澤栄里子 中島菊代 岩淵清 森井祐介 花崎洋 坂下哲之 関根皓博 村田忠彦 賀曽利隆 大西夏奈子 松田仁志 岸本実千代 河田真智子 江本嘉伸 海宝道義 海宝静恵 遊上陽子 斎藤豊 河野昌也 近藤淳郎 鹿内善三 香川澄雄 シール笑みこ&スティーブ・シール 菊地由美子 白根全 村松直美 原健次 三上智津子 佐々木陽子 藤田光明 三輪主彦 佐藤安紀子 坂井紀子 石原卓也 加藤幸光 吉岡嶺二 藤本亘 松川由佳 山本千夏 山本祥子 田口幸子 瀬沼由香 小林天心 後田聡子 横内宏美 江本くるみ 杉田晴美 戸高雅史 井上智 宮本千晴 向後元彦 向後紀代美 藤原和枝 坂井広志 古山里美・隆行 下島伸介 桜井恭比古 神長幹雄 山田まり子 坂本勉 山田和也 中村易世 石川秀樹 山本将 網谷由美子(敬称略)
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前夜祭とフォーラムを見ていて、これは地平線通信特別版を出さねば、と思った。石川直樹君のように「今回は書かせてほしい」と、言ってくれた者もいたし、それだけ自然の盛り上がりがあったのだ。前夜祭とフォーラムの各パートは事前に書き手を指定していたが、あとはかなり自由裁量に任せた。結果、ご覧のような構成となった。渋る書き手を説得したものもあるが、それは例外で、皆ユニークな視点で書いてくれた。
◆全体の構成、各文章についているタイトルは、ほとんど私がつけた。全体を通して読ませたかったので、不満な向きもなにとぞご容赦を。
◆フォーラムの直後、ひそかに三輪さんに言った。「分厚い通信にしたいので、レイアウトと印刷と製本頼むよ」。いつもの武田君ひとりに頼むには、彼も現役の仕事人間、分量が多すぎると思ったのだ。しかし、話を聞いた武田君は、「やりますよ」と言ってくれた。確かに、何人かで分担するのは、逆にやりにくい面が出てくる。こちらとしては、ありがたかった。
◆問題は分量だ。当初は30ページぐらいかな、と思っていたのに、どんどん増え、おまけに読ませる内容のものばかりだったので削れず、結果、武田君の仕事がどんどん増えた。最後は三輪さんが昔懐かしい光プリンターに印刷、製本を頼み、ぎりぎりセーフ。武田君、連日連夜、ご苦労様でした。[江本嘉伸]
地平線のタマゴ 年報『地平線から』を知っていますか? 79年から83年まで毎年刊行し、その後変則的に数年をまとめた3冊を出版。現在は休刊中ですが、この年報こそ、地平線会議創設の核でした。「こだわったのは三点。『同時代』、『当事者の声』、『活字』。皆で、何でも活字にしちゃおうと思った。外に向けて、活字で発信することで、はじめて出来事が『記録』になる。生の声じゃだめなんだ」と言うのは、最初の5冊の編集長を務めた森田靖郎さん。
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300号の発送請負人 村田忠彦 三輪主彦 江本嘉伸 森井祐介 関根晧博 武田力 落合大祐
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります) |
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